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【講演】わが国の経済・物価情勢と金融政策神奈川経済同友会における講演

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日本銀行政策委員会審議委員 田村 直樹
2026年2月13日

1.はじめに

日本銀行の田村でございます。本日は、神奈川経済同友会でお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。また、日頃より、日本銀行の業務運営にご協力頂いておりますことに、厚く御礼を申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢や日本銀行の金融政策運営について私見を交えながら説明させて頂き、その後、皆様から、ご質問、ご意見を承りたく存じます。

2.経済・物価情勢

(1)わが国経済の現状と見通し

はじめに、わが国の経済情勢についてお話します。わが国の景気は、一部に弱めの動きもみられますが、緩やかに回復していると判断しています。

この1年間を振り返りますと、昨年4月、米国の新たな関税政策が発表され、それがわが国経済に及ぼす影響に大きな不確実性がある中で、図表1に示した通り、日本銀行の経済見通しは修正を余儀なくされました。実質GDP成長率の見通しを政策委員の中央値で申し上げれば、2025年1月時点では2025年度1.1%、2026年度1.0%と比較的しっかりとした成長を見込んでいましたが、4月に米国の関税政策が発表されたことを受けて、4月見通しでは2025年度0.5%、2026年度0.7%へと大きく引き下げました。もっとも、その後、わが国を含む多くの国や地域で米国との通商交渉が合意に至る下で、米国の関税政策に関する不確実性がはっきりと低下しました。この間、企業マインドをみると、例えば、図表2に示した短観の業況判断DIが良好な水準を維持するなど、私にとっては驚くほど、企業の前向きな姿勢が維持されてきました。

IMFによる世界経済の見通しの推移を見ると、図表3の通り、実質GDP成長率見通しは、2025年・2026年ともに、米国の関税政策発表直後の4月見通し以降、上方修正が続き、2026年1月見通しでは、関税政策発表前の水準まで戻る結果となりました。また、日本銀行の経済見通しも、2026年1月見通しでは、2025年度および2026年度のいずれも、米国の関税政策公表前の2025年1月見通しと概ね同程度の水準に見直す結果となりました。

こうした下で、先行きのわが国経済を展望すると、各国の通商政策等の影響を受けつつも、海外経済が成長経路に復していくもとで、政府の経済対策や緩和的な金融環境などにも支えられて、所得から支出への前向きな循環メカニズムが徐々に強まることから、緩やかな成長を続けると考えられます。

(2)わが国物価の現状と見通し

展望レポートにおける見通し

次に、わが国の物価についてお話しします。図表4の通り、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比をみると、賃金上昇の販売価格への転嫁の動きが続くもとで、米などの食料品価格上昇の影響等から、足もとでは2%台半ばとなっています。

なお、物価見通しについても、昨年4月以降、米国の関税政策のもたらす不確実性を背景に、修正を余儀なくされました。図表4に示した通り、消費者物価(除く生鮮食品)の見通しは、2025年1月時点では2025年度2.4%、2026年度2.0%と、2%の『物価安定の目標』以上の上昇率が続くとみていましたが、4月には2026年度の見通しを1.7%に引き下げました。これは、米国の関税政策による企業収益の伸び悩みから、2026年度の賃上げが一定程度下押しされるリスク等を見込んだものでした。もっとも、先ほども申し上げた通り、企業の前向きな姿勢が維持されている中、2026年度についても昨年に続き幅広い企業でしっかりとした賃上げが実施されると見込まれます。こうした下で、日本銀行は、2026年1月時点の見通しで、2026年度の消費者物価(除く生鮮食品)を、米国の関税政策公表前の見通しと概ね同程度に見直しました。

今後の消費者物価の見通しについての日本銀行としてのベースシナリオは、「米などの食料品価格上昇の影響が減衰していくもとで、政府による物価高対策の効果もあり、本年前半には、2%を下回る水準までプラス幅を縮小していくと考えられる。もっとも、この間も、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムは維持され、消費者物価の基調的な上昇率は、緩やかな上昇が続くと見込まれる。その後は、景気の改善が続くもとで人手不足感が強まり、中長期的な予想物価上昇率が上昇していくことから、基調的な物価上昇率と消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率はともに徐々に高まっていくと予想され、見通し期間後半(2026年度後半から2027年度)には『物価安定の目標』と概ね整合的な水準で推移する」というものです。

私の見方:より粘着的な物価上昇へのシフト

一方で、私としては、日本銀行が目指す賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムが維持される下で、最近のインフレは、内生的、粘着的なものへと変化してきているとみています。そのような中、足もと、基調的な物価上昇率は概ね2%に達しており、2026年も3年連続で2%の「物価安定の目標」と整合的な賃上げが行われることを高い確度で確認できた場合には、この春にも、「物価安定の目標」が実現されたと判断できる可能性が十分にあると考えています。そして、基調的な物価上昇率が更に上振れせず、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現というゴールにうまく着地できるか、各種データや情報を注意深く点検していくべき局面に入っていくと考えています。

消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、図表5の通り、過去45か月、2%を上回って推移しています。これをコンポーネント別に見ると、まず、食料以外の財については物価上昇率が低下してきており、ひと頃よりも落ち着いた動きとなっています。もっとも、為替円安が輸入物価を通じて国内消費者物価に与える影響度合いが高まっている中で、足もとでは再び円安傾向にあることから、今後の物価動向には注意が必要です。加えて、賃上げが進む下で、製造、流通、小売の各段階での人件費の上昇が、今後も財価格に転嫁されていく可能性が大きいと見ています。この点、図表6の通り、企業向けサービス価格指数のうち、『高人件費率サービス』と『低人件費率サービス』1の価格動向をみると、このところ高人件費率サービスの伸び率が高くなっており、人件費上昇が物価を押し上げている様子が見て取れます。今後、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムが維持される下で、川上段階のコストを含め人件費の増加が継続的に財価格に転嫁されていくことが見込まれます。

食料については、図表7に示した通り、2022年以降、持続的に価格上昇が続いています。生鮮食品や米・卵などの食品の価格の上昇が続き、それが食料加工品や外食の価格上昇に繋がっています。生鮮食品や米・卵などの食品の価格の上昇は、一時的な供給要因に起因するところが少なくありませんが、(1)肥料や光熱費、運送費などの各種コストの上昇、(2)先述した生産から流通の各段階の人件費上昇、(3)人手不足等による供給力の低下、(4)気候変動に伴う天候不順などが影響していることを考えると、値上がり品目が交替しつつも、全体として高めの価格上昇が続く可能性があります。また、生鮮食品や米・卵などの食品の価格の上昇が一時的であったとしても、食料加工品や外食の価格への波及は一度に起こるわけではなく、段階的に行われることから、一定の持続性を持つことが多いと考えられます。加えて、食料品の価格上昇は家計の予想インフレ率に大きな影響を与え、更なる物価押し上げ要因となり得ます。食料価格の伸び率自体は今後落ち着いていくと見ていますが、以上のように考えれば、2020年以前のようなほとんど価格が上がらない状態に戻るのではなく、ある程度の上昇が続く公算が大きいのではないかと考えています。

また、サービスについては図表8に示した通り、表面的な価格動向は、前年比で2%をやや下回る推移となっていますが、これは、構造的に一般物価の動きから大幅なラグを有するとみられる家賃2、3や公共サービス4が含まれるためです。これらを除いたサービス価格、私はこれを「市場ベースのサービス価格」と呼んでいますが、その動向をみると、2%を超える伸びを続けており、賃金と物価が相互に参照しながら上昇していくメカニズムが働いていることを示すものと捉えることができます。更に、最近では、家賃も、徐々にその伸び率を高めてきているほか、公共サービスについても、政府が診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等の報酬改定を掲げるなど、今後、その伸び率を高めていく可能性があります。

以上が消費者物価をコンポーネント別に見た私の考え方ですが、こういった動きの背景には、企業の経営姿勢の変化と企業・家計の予想物価上昇率の変化があり、今後、大きな外的ショックが生じない限り、これらは、わが国経済に構造的に組み込まれていく公算が大きいと考えています。以下ではこれらの点について詳しくお話しします。

  1. 企業向けサービス価格指数(SPPI)について、過去基準の品目分類編成の変遷を考慮し、長期時系列で継続的に把握が可能な11のサービスに纏めた上で、SPPI全体の人件費投入比率(2019・2020年平均:32.7%)を基準にして、サービスを2群(高人件費サービス、低人件費サービス)に分類したものです。高人件費率サービスには、道路旅客輸送、陸上貨物輸送、港湾運送、こん包、情報サービス、下水道・廃棄物処理などが、低人件費率サービスには、金融・保険、不動産、鉄道旅客輸送、海上旅客輸送、通信、放送、リース・レンタルなどが含まれます。これらの分類の詳細は、日本銀行のWebサイト(https://www.boj.or.jp/statistics/outline/exp/pi/sppi_2020/exsppi20m.pdf)でご覧いただけます。
  2. ここでの家賃は、消費者物価指数における民営家賃と持家の帰属家賃をさしています。
  3. わが国の消費者物価指数の家賃の上昇率が低い背景として、家賃の引上げにかかる制度的なハードルが高いこと、継続家賃を含めた調査であるため居住者入れ替え時に行われた新規家賃の上昇の影響は一部に限られることなどが指摘されています。また、賃貸住宅の経年による品質劣化の調整を行っていないことも下方バイアスを生じさせています。こうした影響は、民営家賃の価格だけでなく、ウエイトの大きい持家の帰属家賃の価格にも反映されることにも留意しておく必要があります。この点、住宅・土地統計調査によれば、2018年から2023年にかけての家賃の伸び率が年率2%程度となっており、消費者物価指数の民営家賃の伸び率(0%)と乖離が生じています。消費者物価指数に占める家賃のウエイトを考慮すれば、消費者物価指数の前年比は、実態として相応に高いのではないかと考えられます。なお、サービス物価に占める民営家賃と持家の帰属家賃のウエイトは36%となっています。
  4. 消費者物価指数の公共サービスには、国や地方自治体が法律などで価格を規定する法定料金・条例料金の品目に加え、価格改定に国の認可を要する認可料金や価格改定を国に届け出る届出料金の品目も含まれます。わが国の公共料金が上昇しにくい原因の一つとして、公営企業の収益に対する補助金の投入が常態化し、営業費用や設備の減価償却費用が料金に反映されにくいことが指摘されています(2016年7月展望レポートのBOX4)。なお、サービス物価に占める公共サービス(公営家賃、都市再生機構・公社家賃を含む)のウエイトは、25%となっています。

(3)企業の経営姿勢の変化

まず、価格設定、賃金設定に関する企業の経営姿勢についてです。私は、米国の関税政策等のあおりを受けて、企業の経営姿勢が、デフレ期・ディスインフレ期のような、賃金・物価が上がりにくい状態に戻ってしまわないかという点を心配していましたが、まず、価格設定行動については、従来よりも積極化した姿が維持されてきました。短観で「販売価格は上昇する」と回答した企業の割合を、「仕入価格は上昇する」と回答した企業の割合で割った値――価格引上げに関する企業の積極性を示す大まかな指標――を図表9に示していますが、この指標は、2022年以降、企業にデフレマインドが浸透していく前の1990年代初頭の水準にまで上昇し、足もとでも高めの水準が維持されています。また、図表10に企業の1年後の物価全般の見通しと自社製品の販売価格の見通しの推移を示していますが、共に、2%を超える高い水準が続いています。私が注目しているのは、2022年までは、物価全般の上昇ほどには自社製品を値上げしないというスタンスだったものが、2022年以降は、物価全般以上に自社製品を値上げするというスタンスに変わっており、これは企業の価格設定行動の積極化を示すものと捉えています。

私は、このような企業の価格設定行動の積極化の背景には、経済全体の需要が潜在的な供給力を上回っており、物価に上昇圧力がかかっていることがあると考えています。この点、日本銀行が推計している需給ギャップをみると――推計手法によって異なる値をとり得るほか、様々な推計誤差が含まれるため、幅を持ってみる必要がありますが――、図表11の通り、足もとの値はゼロ%近傍にあります。では、足もとは、物価に上昇圧力も低下圧力もかからないような状況でしょうか。需給ギャップを分解すると、労働投入ギャップがプラス(人手が不足)になっているのに対し、設備がフルに稼働していないことを受けて、資本投入ギャップがマイナス(設備が過剰)となっています。しかし、設備がフル稼働していないのは必ずしも需要が不足しているからではなく、人手不足によって十分に設備を稼働させられないという側面も大きいと考えられます5。なお、企業の実感を示す短観のDIでは、足もとで、労働力について「不足」と感じる企業の割合が大きく上昇する一方、設備について「過剰」と感じる企業はほとんどありません。それらを加重平均したDI6が、需給ギャップの日本銀行推計値の動きから大きく乖離しているのは、このような理由によるのではないかと考えられます。したがって、私としては、需給の逼迫度合は業種によって差はありますが、マクロ的な需給ギャップは既に実態的にはプラスの領域にあって、供給力不足が物価に上昇圧力をかけている状況にあり、これが企業の価格設定行動の積極化につながっているのではないかと思っています。

更に、賃金設定行動についても同様に、積極姿勢が維持されていると判断されます。図表12に示す通り、引き続き企業の人手不足感が強い状況が続いているほか、企業収益は、関税政策の影響を加味しても、全体として高い水準を維持しています。また、春季労使交渉に向けた労使の対応方針や日本銀行の本支店を通じたヒアリング情報等をみても、企業の積極的な賃金設定行動が維持されているように見受けられます。図表13の通り、昨年は2024年を上回る賃上げが実現しましたが、こうした状況を踏まえると、本年も2%の「物価安定の目標」と整合的な水準の賃上げが実現する可能性は高いとみています。

  1. 5例えば、旅館・ホテル業界では「人手不足で客室稼働率を抑制せざるを得ない」、タクシー業界では「ドライバー不足で自動車があっても動かせない」、製造業でも「人手不足で設備をフル稼働させられない」といった声が聞かれます。
  2. 6「短観加重平均DI」は、短観の生産・営業用設備判断DIと雇用人員判断DIを合成して作成したもので、設備と労働力について企業の感じている過不足感を示すものです。

(4)企業・家計の予想物価上昇率の変化

続いて、図表14に示した予想物価上昇率の動きです。私は、先行きの物価動向を考えるうえでは、実際の経済活動の主体である企業や家計の予想物価上昇率を重視すべきだと考えています。短観における企業の物価全般の見通しをみると、引き続き緩やかな上昇を続けており、5年後の予想は2%を超える姿が続いています。また、家計については、日本銀行が実施した「生活意識に関するアンケート調査」の結果を見ると、バイアスがあるため水準自体は割り引いてみる必要があるものの、5年後の予想物価上昇率の中央値および平均値のいずれも、2%を大きく上回る状況が続いています7。予想物価上昇率が2%程度で安定している欧米と異なり、低い水準から上昇してきたわが国において、これが更に上振れしていってしまわないか、注意が必要だと考えています。

  1. 7家計の予想物価上昇率にかかるバイアスを調整するため、「少し上がる」、「かなり上がる」などの選択肢で先行きの物価感を回答するアンケート(質的質問)で得られた結果から予想物価上昇率を統計的に推計すると、足もとは1%台半ばの水準と、2022年以前の水準からわずかな上昇に留まっています。量的質問の中央値、平均値とも、2022年以前の水準から大幅に切り上がっていることと比べれば、私としては、質的質問から導いた推計値は過小評価されているのではないかと感じています。例えば、過去、「かなり上がる」と回答していたような人々の予想が更に上振れたとしても、同じ選択肢を選ばざるを得ない(「かなり上がる」より上の選択肢がない)、といった制約からくる下方バイアスなどがあると考えられます。

3.金融政策運営

ここからは、日本銀行の金融政策運営について、過去の歴史などにも触れながら、私自身の考えをお話ししたいと思います。

(1)政策動向

日本銀行は、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指して政策運営を行っており、2024年3月の金融政策の枠組みの見直し以降、短期金利の操作を主たる政策手段と位置付ける、普通の金融政策に戻っています。そして、「物価安定の目標」の実現する確度の高まりに合わせて、金融緩和の度合いを調整していく方針にあり、短期政策金利の誘導目標を2024年3月に0から0.1%とした後、2024年7月会合で0.25%程度に、2025年1月会合で0.5%程度に、更に2025年12月会合で0.75%程度に引き上げました。今後についても、現在の実質金利が極めて低い水準にあることを踏まえると、「展望レポート」で示しているような経済・物価の見通しが実現していくとすれば、経済・物価情勢の改善に応じて引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。

(2)物価の安定

そもそも、「物価の安定」とは何を意味しているのでしょうか。図表15に示す通り、概念的には、「家計や企業等が、物価の変動に煩わされることなく、消費や投資などの意思決定を行うことができる状況8」ということです。物価上昇率が低ければ低いほど良いかというとそうではなく、デフレであった当時を振り返ると、「価格の下落→売上・収益の減少→賃金の抑制→消費の低迷→価格の下落」という悪循環が発生し、名目ベースでのGDPや雇用者所得も低迷していました。このようなデフレから脱し、わが国経済の好循環を実現するには、雇用の増加と賃金の上昇、企業収益の増加などを伴いながら経済がバランスよく持続的に改善することが必要で、そのような状態では物価は緩やかに上昇していくと考えられます。

図表16は家計と企業に「好ましい物価と収入・賃金の状態」を問うたものですが、家計・企業ともに「物価と収入・賃金がともに緩やかに上昇する状態」が好ましいという回答が最も多くなっています。長い間、「物価と賃金がともにほとんど変動しない状態」を続けてきたわが国経済は、ようやく「ともに上昇する」状況に変化しましたが、「緩やかに」と言える好ましい水準で、それを定着させることが重要です。

図表17にイメージ図を示していますが、「現実の物価」が2%を超える上昇を45か月に亘って続ける一方、「物価の基調」については、これまでのところ2%に定着したとは判断できない状況にあり、政策金利を少しずつ段階的に調整しながらも、緩和的な金融環境を維持してきました。今後は、「現実の物価」が2%前後まで低下していく、あるいは、場合によっては2%を下回っていく可能性もありますが、一方で、先ほど申し上げた通り、「物価の基調」はじわじわと上昇してきており、2%に定着したと判断できる状況がもうすぐそこに来ている可能性があります。2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現のためには、一時的な要因によって大きく振れる「現実の物価」とは別に、「物価の基調」の動きを総合的に捉えて、それが2%で定着するように金融政策を運営していくことが必要となります。

  1. 8日本銀行「金融政策運営の枠組みのもとでの「物価安定の目標」について」(2013年1月22日)。

(3)賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇するメカニズム

「物価と収入・賃金がともに緩やかに上昇する状態」に至る上で重要なのは、図表18で示したようなメカニズムが働くかどうかです。先ほど申し上げた通り、私は、企業によって状況は異なりますが、総じて、企業の価格設定行動がデフレ期・ディスインフレ期の行動から変化したと捉えています。

企業の賃金設定行動にも変化が生じ、賃金の上昇、その賃金上昇を販売価格に転嫁する動き、同時に、賃金上昇による消費の底堅い動きなど、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムが働いていると捉えています。私としては、2%の「物価安定の目標」が実現したと判断するための最後のピースは、その定着度合いであると考えており、先ほど申し上げた通り、3年連続して2%の「物価安定の目標」と整合的な賃上げが行われることを確認できるこの春、暖かくなってくる頃には、そう判断できる可能性が十分にあると考えています。

(4)金利と経済への影響

ここで改めて、図表19でお示しした、1990年代以降の金融政策を振り返っておきたいと思います。日本銀行では、昨年12月に政策金利を0.75%に引き上げました。この水準は30年前、1995年以来の水準です。随分と久しぶりの水準ではありますが、30年前当時の消費者物価(除く生鮮食品)の前年比が0%前後であったのに対して、現在は2%を超える水準であることを考えれば、環境が大きく異なっていることがお分かり頂けるかと思います。

1990年代半ば以降わが国は、「ほとんど金利がない世界」に入った後、ゼロ金利政策の開始やマイナス金利の導入により、短期金利の水準は0%、そしてマイナス圏へと切り下がっていきました。この間、時間軸政策や量的緩和政策、更にはイールドカーブ・コントロールといった非伝統的な政策によって、長期金利の水準も低位に抑えられてきました。たしかに、バブル崩壊後の景気低迷、そして金融不安が高まる中、「ほとんど金利がない世界」に至る過程での金融緩和には、経済の下支え役として一定の効果があったと感じています。一方で、「ほとんど金利がない世界」に達して以降の更なる金融緩和の効果については、株価や不動産価格の上昇、行き過ぎた円高の是正といったアセットプライスのリプライシングを通じたプラス効果はあったものの、私自身の金融実務家としての経験を振り返ると、限界的な金利の低下によって、設備投資など、企業活動が活発化する様子は感じられませんでした。これは、「ほとんど金利がない世界」においては、金利の上げ下げを通じて需要を調整し、物価に影響させるという金利の機能が極めて限界的であったということだと捉えています。

そして、2024年3月以降、政策金利を0.75%まで引き上げてきましたが、私としては、これまでのところ、その日本経済全体への影響は極めて限定的であると捉えています。少なくとも、これまでのところ、金利が上がったから設備投資をやめておこうという声など、利上げによって経済活動が抑制されたという話は、全体としてみれば、あまり聞こえてこない印象です。もちろん、個々の企業や家計にとっての影響は様々であり、そういった部分も丁寧に見ていく必要はありますが、図表20の通り、短観で見た企業の資金繰りや、企業からみた金融機関の貸出態度も、大幅に緩和的な金融環境が維持されていることを示しています。このような状況から判断すれば、中立的な金利水準まではまだ、かなりの距離がある、すなわち、政策金利を引き上げても、依然として緩和的な金融環境であることに変化はないと受け止めています。

図表21は、私が今申し上げたような政策金利と経済の関係を、イメージ図に表したものです。あくまで、日本銀行の審議委員に就任するまでに感じていた金融実務家としての実感やここ数年の経験を踏まえた私のイメージですが、政策金利が1%を下回るような水準では、利上げをしても、金融緩和による景気刺激効果の減衰は極めて限界的な変化に止まり、1%を超えたあたりから景気刺激効果が徐々に弱まり始め、中立金利を超えてから徐々に景気抑制効果が強まっていくものと考えています。ここで重要なのは、中立金利――経済・物価に対して中立的な実質金利の水準である自然利子率に、予想物価上昇率を加えたもの――の概念ですが、この中立金利について、私は、最低でも1%程度だろうとみていると従来から申し上げてきました。ただ、自然利子率は直接観察できるものではなく、その推計値は手法によって大きなばらつきがあります。更に、推計の際に参照するデータのほとんどが、デフレ期・ディスインフレ期のものとなり、一定のバイアスが生じている可能性が大きく、精緻な推計は困難な状況です。したがって、実際のところ中立金利が1%以上のどの辺りにあるのかは、政策金利を引き上げつつ、経済・物価の反応を見て探っていくしかないと考えています。その際には、ビジネス現場や家計の声、企業からのヒアリング情報に、しっかりと耳を傾けていくことが重要です。例えば、「金利がここまで上がったら設備投資は様子見をする」、「住宅ローンの金利負担を考えると当面、住宅の購入は慎重に考える」といった声がどれだけ増えてきているのか、広がりがみられるのかなどを丁寧に確認することによって、中立金利と比べた政策金利の現在地を判断していきたいと考えています。

なお、私としては、金利が1%を下回るような「ほとんど金利がない世界」は、図表22で示したような副作用をもたらしたことも忘れてはならないと感じています。図表23で示した他国と比較して低い開廃業率、また、図表24で示した通り、他国と比較して頭一つ抜けて多い中央銀行による国債保有残高について、これらが全て「ほとんど金利がない世界」によってもたらされた、とまでは言えませんが、少なくともその一因となった可能性があることには留意が必要であると考えています。更に、今後、副作用が遅れて顕在化し、マイナスの影響が大きくなる可能性にも留意が必要であり、金融市場の機能度や金融仲介機能、開廃業率といった経済の供給サイドに対する副作用など、引き続き丁寧に点検していく必要があると考えています。また、関連するテーマとして、金融緩和の長期化が問題をもたらすことはないか、例えば、過度な円安の進展や物価高の継続、不動産価格の上昇などが、経済や国民生活にどのような影響を与えていくかといった点も、丁寧にフォローしていく必要があると考えています。

(5)金利引上げの各経済主体への影響

短期金利を引き上げていくことの各経済主体への影響についても考えておきたいと思います。シンプルに考えれば、借入超過主体が金利を支払い、貯蓄超過主体が金利を受け取るため、短期金利の引き上げによって、借入超過主体は負担が増加し、貯蓄超過主体は受取利息が増加するということになります。したがって、家計であっても住宅ローン借入のある家計とない家計、企業でも借入のある企業とない企業、あるいは、借入が変動金利型か固定金利型か、借入があってもそれを上回る貯蓄を保有しているかどうかなどによって、短期金利の引き上げの影響は異なります。加えて、短期金利の引き上げが経済に波及する経路、更には、金利だけではなく、利上げに繋がった経済・物価の状況変化――企業の売上や収益の増加、雇用者所得の増加、住宅を含めた保有資産の価格上昇等――にも目を配る必要があると考えています。

例えば、図表25の家計の貯蓄・負債状況を世帯主の年齢別にみると、40歳代以下の世帯は、住宅ローンを抱える世帯が多いことから、負債の方が大きく、50歳代以上の世帯では貯蓄の方が大きくなります。したがって、様々な前提を捨象して平均的な世帯を想定すると、利上げは40歳代以下の世帯にとっては負担が増え、50歳代以上の世帯にはプラスが大きいという傾向になります。ただし、住宅ローンを抱える世帯について、金利引き上げの影響を考えるうえでは、(1)住宅ローン保有世帯は勤労世帯が多く、賃上げの恩恵を受けている世帯も含まれていること、(2)利益としてすぐに実現できるわけではありませんが、住宅ローンによって購入した住宅の価値が上がっているケースも多いこと、といった側面があることも考慮に入れる必要があります。

50歳代以上の世帯は大きな貯蓄超過となっており、もちろん世帯によって貯蓄保有額にはばらつきがありますが、預金金利の引き上げによる受取利息の増加が想定されます。老後に備えて預貯金の元本取り崩しには抵抗感を覚える家計も、安定した受取利息が増加すれば、元本の大幅な取り崩しを迫られる可能性は低下すると考えられます。

企業についても、長らく資金フローは貯蓄超過となり、借入を減らして手元資金を積み上げてきたこともあって、図表26の通り、無借金ないしは実質無借金の企業の割合は増加しています。このため、マクロ全体でみれば、過去と比べて、短期金利の引き上げの影響に対する耐性は高くなっていると考えられます。また、先ほど申し上げた見通しの通り、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムが維持される下で潜在成長率を上回る成長が実現していけば、堅調な企業収益が支払利息の増加の影響を軽減させることも期待されます。

この他にも金利上昇の影響は、政府においても生じることとなります。一般論として申し上げれば、財政運営に対する市場の信認をしっかりと確保することが重要であると考えています。

また、市中銀行の貸出金利水準の動向にも触れておきたいと思います。図表27の通り、前回、短期政策金利が0.5%であった期間を含む2007年、2008年当時の短期貸出金利は1.5から1.7%でしたが、2025年11月時点では短期政策金利0.5%に対し、短期貸出金利は0.9%にとどまっていました。信用コストが当時より低下しているという側面はありますが、それ以上に、貸出金利のスプレッドは縮小していると捉えています。住宅ローンについても同様のことが言えます。もちろん、2025年12月の短期政策金利の引き上げに伴い、今後、貸出金利がどのように推移していくかは注視が必要ですが、引き続き、過去と比べれば、短期貸出金利が相対的に低い状況が続くのではないかとみています。

4.おわりに

私としては、日本銀行が目指す賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムが維持される下で、物価上昇の主因が、原材料価格の上昇から、人件費の上昇にシフトしてきており、インフレは、内生的、粘着的なものへ変化してきていると捉えています。先ほど、物価安定の定義として、「家計や企業等が、物価の変動に煩わされることなく、消費や投資などの意思決定を行うことができる状況」と申し上げましたが、現在、生活費の上昇に困っておられる家計や仕入価格の上昇に困っておられる企業がたくさんおられ、私としては、とても「家計や企業等が、物価の変動に煩わされることなく、消費や投資などの意思決定を行うことができる状況」にあるとは言えないと考えています。早すぎる金融引締めによって「物価と賃金がともにほとんど変動しない」デフレ期・ディスインフレ期に戻ってしまうことは避けなければなりませんが、一方で、「緩やか」とは言えない物価上昇を続けることも避ける必要があります。これまで長年取り組んできた金融緩和の総仕上げとして、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現というゴールにうまく着地させることができるよう、日本経済・物価のデータや各種ヒアリング情報を丁寧に検証し、適時・適切に金融政策を講じていきたいと考えています。

最後になりましたが、神奈川県経済の発展とそれを支えておられる皆様の今後のご健勝とご活躍を祈念いたしまして、私の講演を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。