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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策京都府金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 高田 創
2026年2月26日

1.はじめに

日本銀行の高田でございます。本日は、京都府の行政、財界、金融界を代表する皆様と懇談させて頂く貴重な機会を賜りましたこと、誠にありがとうございます。皆様には、日頃から日本銀行京都支店の業務運営に対し、ご支援、ご協力を頂いておりますこと、この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢や金融政策運営などについてお話しします。その後、京都府経済の動向や日本銀行の業務・政策運営に対するご意見などをお聞かせ頂ければと存じます。

2.経済・物価情勢

経済・物価情勢です。海外経済は、各国の通商政策等の影響を受けて一部に弱めの動きもみられますが、総じてみれば緩やかに成長しています。今年1月に改訂されたIMFの世界経済見通しは、米国の関税政策の影響を大きく織り込んだ昨年4月やその後10月の見通しからも上方修正されています(図表1)。また、図表2に示されるように、昨年4月の下方修正分を、今回、すべて取り戻した状況にあります。すなわち、米国経済については、昨年4月のトランプ政権の相互関税賦課の影響から、当初は内需落ち込みが懸念されていましたが、実際の影響は限られました。米国の雇用には減速がみられますが、企業収益もIT関係を中心に改善しています。先行き不安から消費・投資への懸念は根強いですが、資産価格も堅調ななか、消費は堅調に推移しています。雇用の減速を背景にFRBは昨年9月、10月、12月と利下げを行っています(図表3)。但し、賃金や所得は堅調で、AI投資も高水準です。米国の家計・企業・金融機関のバランスシートは健全であり、金融環境も安定的であることから、従来、景気悪化局面でみられた信用収縮に伴う急激な落ち込みは想定され難いと捉えています。昨年初から関税中心に、成長にマイナスに働く「北風政策」が先行しましたが、今年は減税や規制緩和政策のメニューに伴う投資拡大等も加わり、プラスに働く「太陽政策」の局面に移行し、局面が変化してきたと認識しています。更に、OBBBA1に伴う大型税還付も見込まれるだけに、サポートが加わると展望されます。また、米国の通商政策の展開を受けて、世界全体で景気の先行きに対して危機意識が醸成されたことで、米国以外の国々でも金融・財政政策が同時に緩和方向に傾き、景気押上げに揃う環境が生じています。

  1. 「OBBBA」とは、2025年7月に成立したアメリカの大型税制改革法案 「One Big Beautiful Bill Act(ひとつの大きく美しい法案)」 の略称で、トランプ政権下で導入された減税措置の恒久化や、インフレ抑制法(IRA)によるクリーンエネルギー関連減税の大幅な見直し、国際税制の変更などが含まれます。

2026年の世界経済の環境

私は、2026年のグローバルな経済環境を、回復に向けたモメンタムが始動する転換局面と認識しています。その背景に、世界の金融・財政政策が同時に拡張的に揃うことがあります。マクロ面で、金融・財政政策が拡張的であることに加え、構造面で、世界的AIブームに伴う投資拡大で経済底上げがもたらされると展望しています。こうした状況は、6年前、2020年、コロナ禍に伴い世界同時に金融財政政策両面で景気押上げ政策がとられた時期と類似します。世界の経済政策の波長が一致するのは、すなわち、世界全体で経済サイクルが同期したのは世界規模で危機意識が生じることによるもので、2020年はコロナによる危機、2025年は米国トランプ政権の相互関税賦課でした。次の図表4は、世界各国の金融政策の方向性を示しています。2022・2023年の引き締め局面から一転し、2025年中は、各国が揃って利下げを行う金融緩和局面にあったことがわかります。こうした状況は、2020年に世界が利下げした状況に似通っています。同時に、次の図表5にあるように、米欧中、各地域で財政政策の拡大も生じており、金融と合わせて拡張的な効果が生じます。これも、2020年と同じく世界中で景気押上げ要因となります。その結果、2025年当初、世界的な減速が不安視されていたにもかかわらず、金融・財政政策のベクトルが拡張的に揃うこと、更に今回はAI投資も加わることで、経済底上げ・インフレ圧力が生じる可能性に留意したいと思います。2020年以降を振り返りますと、当初、感染症拡大により人流・物流が停止したことからグローバルな経済の停滞が生じましたが、2022年以降、世界的な景気回復、物価高騰が生じました。一方、今回は人流・物流の停止もないなか、金融・財政政策のサポートに加え、世界的なAIブームも加わることで、2026年以降の早期回復を展望しています。すでに、一部の中央銀行では、利上げへの転換を市場が織り込みつつあります。昨年末から年初にかけて急な先行き期待の改善が生じ、世界の各市場で揃って史上最高値の株高が生じているのは、こうした世界的な金融財政政策によるサポートを受けている可能性もあります。

2026年の日本経済の環境

米国の関税政策の日本への影響は、当初、わが国経済を下押しすると考えられました。昨年春先以降の日本経済の状況は、喩えれば昨年4月のトランプ政権の「相互関税台風」予想を受けて生じた公共交通機関の「計画運休」のように、事前に、「台風」が来る前から見通しを引き下げていました(図表6)。但し、実際には、昨年12月発表の日銀短観では経済全体として減速は確認されず、ヒアリング情報からも、関税の影響は予想に比べて軽微だったとの見方が多く示されています。足もと、日本の企業部門では、2025年度の企業収益予想は高水準、2026年の春季労使交渉でも、2025年と比べても引き続き高水準の賃上げ率が展望されます(図表7)。2023年以降、24年25年26年と3年連続での高水準の賃上げが生じ、新たな賃金ノルムに至ることで賃上げの定着も期待されます。また、経団連も「ベア検討が標準」との姿勢を示すまでに至っています。家計部門では、個人消費は、物価上昇の影響などから消費者マインドに弱さがみられるものの、雇用者所得の改善を背景に底堅く推移しています(図表8)。従って、雇用・所得環境の改善が個人消費を支える構造に変化はないと考えます。コメなどの食料品価格上昇で足もとの物価上昇率は2%を上回っていますが(図表9)、先行して上昇した物価を賃金が追いかけ、個人消費も緩やかな増加を続けると期待されます。

物価の基調をみるうえで、様々な主体の中長期的な予想物価上昇率をみると、着実な底上げが継続しています(図表10)。国による2025年度の最低賃金引き上げ幅の目安が、前年の5%を上回る6%で決められたことも賃金の底上げが生じることを示唆します。地方では国の目安を超える水準で各都道府県が競い合い、引き上げ率が6.3%にまで至ったことは、物価のノルム転換の象徴的な事例です。最近、労働組合のベアに対する姿勢も、前年度の物価上昇を取り戻すだけでなく、それ以前の物価上昇分で反映しきれていない分を取り戻すとの点や、今後の物価上昇を見越したフォワード・ルッキングな発想が生じた点も注目されます。

以上、人手不足を背景とした供給制約――言わば「人手不足経済」への転換――のもと、企業の賃金・価格設定行動には積極的な動きがみられており、賃上げ定着を受けた国内要因、ホームメード化したインフレ圧力から、エネルギー価格下落下でも物価上昇が生じ、前掲図表9にあるように消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は2022年4月以降、4年近く2%以上の水準が続いています。物価のノルムが既に転換し、予想物価上昇率の底上げも加わるだけに、こうした国内の動向をみる限り、私としては、既に「物価安定の目標」実現が概ね達成した局面と捉えています。

米国関税の日本への影響評価

昨年4月の相互関税公表後、日本での「物価安定の目標」に向けた動きをみるうえで、米国による関税政策が水を差さないか注視してきました。その際、関税政策のわが国経済への波及経路を考えるうえで、次の4点に注目してきました。第1に、不確実性の高まりから設備投資の下振れがあるか。第2に、米国の関税政策に起因した世界経済の減速を背景とする輸出下振れがないか。第3に、企業収益の低下から2026年に向けた賃上げの動きが抑制されるとともに、販売価格も抑制する動きが生じないか。さらに、第4として、米国の各種政策に伴う思惑から為替円高が進行し、企業収益や輸入物価等を押し下げないかにありました。すなわち、これから再びデフレに戻るようなリスクがあるか否かに注目してきました。

以上4点について、昨年4月の相互関税賦課後、概ね1年を経過した段階の評価として、第1に、設備投資は、昨年12月の日銀短観でも目立った下振れはみられていません。なかでも、相互関税の影響を受けやすいとみられる大企業製造業が高水準を維持していることに注目しています。第2に、世界経済については、IMFの今年1月の見通しで、昨年10月に続き改善が生じ、新興国も含め半導体のサイクル等も上向きの流れがあります。第3の企業収益は、2025年上期、製造業を中心に落ち込みが生じましたが、円安の影響もあって、輸出企業でも想定対比で目立った下振れは確認されていません。日本企業は長年のリストラ経営に伴う企業財務の改善で、海外発のショックへの耐性があることも指摘したいと思います。図表11左図のとおり、企業収益は1990年代後半から直近2024年度で10倍近くに拡大し、90兆円程度と過去最大の水準となりました。日本企業は30年以上にわたって通商摩擦に伴う円高でも耐え抜くべく損益分岐点を引き下げ、ショックへの耐久度を増してきました。さらに、昨年秋以降、図表11右図のように、業績予想の修正度合いを示すリビジョン・インデックスがプラスに転じ、2025年度の収益が上方修正され、通期でも前年比増益までに至る可能性もあります。

次の図表12は企業収益の拡大が経済全体へと巡る概念図です。マクロの観点で企業収益は大きく拡大しましたが、ミクロの面では幾つかの課題が生じていました。すなわち、賃金や取引先への価格転嫁は、賃金や物価は上がらないと考えるノルムのもとで限定され、国内での設備投資も限られてきました。こうした状況から、賃金引き上げのための政労使会議や価格転嫁促進策等の政策的な対応が行われ、取引慣行上、最近の下請法2の改正も加わることで経済全体への底上げに向けたサポート材料が生じています。

私は、特に、第4の米国の政策への期待次第で市場が変動する可能性を懸念していましたが、米国経済の腰折れは回避されています。昨年9月に米国は利下げに転じましたが、円高に振れる動きは生じず、景気底堅さのなか、今年1月のFOMCでは利下げを休止しています。

以上、4つの懸念を総括すると、国内企業の前向きな動きが続く中、その制約となりうる海外の通商要因も大きな下押しにはなりにくく、再びデフレに戻る不安は払拭されたと展望しています。その結果、「物価安定の目標」実現を前提とした議論も必要と考えます。むしろ、2026年は海外経済の大きな転換から物価の上振れをより重視した議論が必要と考えています。

  1. 22026年1月1日から、「下請法」は、「中小受託取引適正化法(通称: 取適法)」として改正され、適用対象となる取引や事業者の範囲の拡大や、中小受託取引の公正化、受託側の中小企業の利益保護が強化されています。

長い「雪の時代」から「真の夜明け」を展望

2000年前後や2000年代半ばの回復局面では、企業も家計の行動も海外発の需要ショックで、バブル崩壊後、何度か「偽りの夜明け――経済の一時的な回復――」3が繰り返されました。私としては、今回の局面は「真の夜明け」4を期待しており、「これまでとは違って(This time is different)」、従来のノルムを超えた世界を展望しています。振り返れば、バブル崩壊に伴う長期低迷の起点は、1990年前後と捉えています。長期低迷は2つの柱、(1)資産デフレと、(2)通商摩擦を主因とした為替円高などの外需に依存しにくい環境の継続によって生じたと考えられます。本邦企業は、過去の通商摩擦、為替円高進行に伴う海外とのコスト競争を、前掲図表12のように、賃金を中心としたリストラや関連企業を含めた原価低減で乗り切りましたが、その副作用として賃金や価格が上がらないノルムが形成されました。

以下の図表13は、日経平均株価とドル円相場の推移です。日本の株式市場では1989年をピークに海外から全く隔絶された停滞局面、資産デフレと超円高が続く、言わば「雪の時代」が20年以上も続き、「雪の魔法」がかけられたようなデフレ状態に陥りました。以下の図表14に示されるように、企業は資産デフレの中、バランスシートを圧縮し、投資を抑制する、持たない経営を志向しました。同時に、通商摩擦を起因とした円高のなかで、損益計算書上は価格・賃金を圧縮するリストラ経営を続けました。以上、持たない経営とリストラ経営は個別企業の生き残り策ではありましたが、その状況が10年以上も継続する中で縮小均衡のデフレ均衡に陥りました。そうした状況からのマインド解凍に向けて、長い年月の金融緩和、更に2013年以降の大規模緩和で漸く出口に向けた道筋が示されました。

金融政策の波及効果に関しては、金利低下を通じて需給ギャップを改善させる、銀行中心に預貸を通じた伝統的金融仲介ルートに加え、以下の図表15のように金融資本市場(株価・為替)を通じた経路も大きな影響を与えていたことが示されています5。日本銀行の金融緩和が、市場に働きかけることでバブル崩壊後の企業行動の変化を招いた要因である資産デフレや円高も含め、いわゆる「六重苦」6からの転換に貢献した可能性が示唆されます。私としては、日本銀行が長年にわたって粘り強い緩和姿勢を続け、金融資本市場にも働きかけ資産価格の改善や極端な円高からの反転を支えたことが、バブル崩壊からの歴史的な変化となるノルム転換の変曲点を迎える「下地」となったと捉えています。そうした素地があったからこそ、2022年以降、海外発の「ビッグ・プッシュ7」が日本のノルムを解くファイナル・ブローになったと考えられ、更に、ベアも2023年から2026年に至るまで毎年繰り返されることになり、新たなノルムの形成に向かっています。

以上、日本銀行は、2000年代以降、長年にわたって粘り強い緩和姿勢の継続により、縮小均衡に至った企業行動や家計行動からの正常化を支援してきました。その結果、前掲図表14に示されるように企業行動も漸く前向きな動きが確認されてきました。また、次の図表16に示されるように、銀行貸出も拡大が生じており、企業買収も含めた投資への潜在的な意識が生じてきたと考えられます。私が、既に、物価安定の目標を概ね達成と評価してきたのは、その背景として企業行動の前向きな転換と定着度合いを反映したものです。同時に、世の中の認識からも既にデフレではないと広く認められるようになり、物価安定の目標を概ね達成との意識が共有されてきたと考えられます。

  1. 3白川方明(2009)、「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応――ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳――」。
    https://www2.boj.or.jp/archive/announcements/press/koen_2009/ko0904c.htm
  2. 4中曽宏(2017)、「日本経済の底力と構造改革――ジャパン・ソサエティおよびシティ・オブ・ロンドン・コーポレーションの共催講演会における講演の邦訳」。
    https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2017/ko171005a.htm
  3. 5詳しくは、日本銀行、2021年3月19日「より効果的で持続的な金融緩和を実施していくための点検」を参照。
  4. 6企業が直面した「六重苦」として、円高、経済連携協定の遅れ、法人税率の高さ、労働市場の硬直性、環境規制、電力コスト高が指摘されました。詳細は、「令和3年度 年次経済財政報告―レジリエントな日本経済へ:強さと柔軟性を持つ経済社会に向けた変革の加速―」等を参照。
  5. 7「ビッグ・プッシュ」とは、開発経済でよく用いられ、大きなショックが生じることにより、ある均衡から別の均衡に移行することを指します。2022年からのグローバルな潮流が日本の歴史的な転換をもたらした可能性があると考えています。

3.最近の金融政策運営

次に、今後の金融政策運営に対する私の考えをお話しします。昨年12月には、わが国の経済・物価は、これまで示してきた見通しに概ね沿って推移し、先行き見通しが実現していく確度が高まってきていたため、日本銀行は2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現という観点から、金融緩和度合いを調整することが適切と判断し、政策金利の0.75%程度への引き上げを決定しました。

政策金利の引き上げ後も、短期の実質金利は大幅なマイナスとなっており緩和的な金融環境は継続しています(図表17)。さらに、次のギアシフトに向けたクロース・コールを行う上で注目してきたのは関税を中心とした海外要因でしたが、当初抱いた不安は低下したと判断しています。

内外の金融政策スタンスの評価

もっとも、私としては、関税政策による影響で米国経済の減速が生じうるだけに、長年の歴史を振り返ったうえで、内外の金融政策のスタンスの違いで、為替を中心とする金融市場に大きな変動が及ぶリスクへの注視も、重要と考えてきました。実際、1970年代の変動相場制への移行後、日米欧の金融政策の連動が繰り返されてきました。今次局面を除いた日本銀行の1970年代、変動相場制以降、過去5回の利上げ局面を振り返ると、米国の利上げ局面で日本も利上げし、米国の利下げ後に日本は利下げに転じていました。FRBが利下げを再開する場合には日本銀行の金融政策の自由度が低下する可能性もありました。ただし、今回は米国の景気後退が想定され難いもと、2000年頃のITバブル崩壊後や2000年代後半の世界金融危機後とは異なります。昨年、米国は利下げに転じましたが、その理由はリスク管理的なものとされ、その後、長期金利は底入れし、円高も回避されただけに、今回は、過去繰り返された事例と異なり、日本の利上げの制約にはならないと考えるに至りました。

以上、2025年にかけて日本は利上げ、海外は利下げと金融政策の方向性が逆になりました。日本の金利は、マイナス金利政策下も含め、長年、世界で最も低い状況にありましたが、今日、次の図表18に示されるように、名目金利レベルはもはや世界最低水準ではありません。但し、次の図表19は、物価上昇率を差し引いた実質金利を比較したものですが、日本の実質金利は引き続き世界で最低水準にあります。次の図表20は、日米の名目金利差と実質金利差を示したものですが、最近の為替市場では名目金利差だけでなく実質金利差に着目する向きもあるだけに、為替を通じた物価動向には留意が必要です。

2026年の環境は、2025年に世界が一致した利下げ局面から一転し、金利上昇への転換に向かう可能性があります。2020年に世界が一致した利下げ局面は、実際に、人流や物流の停止もあり、前掲図表4にも示されたように、世界経済が回復し、利上げに転じるまでには1年以上の時間差が存在しました。一方、今回は、金融財政政策の押し上げに加え、世界的なAI投資が重なることで、世界的な利上げへの転換が早くなる可能性があります。2022年以降の世界的な金利上昇時、日本では、価格・賃金が上がらないノルムの残存から、政策金利を据え置いて金融面のサポートを続けました。その結果、それまでの長期に亘る大規模緩和の効果を下地に、2022年以降の世界の回復が、エネルギー・食料品価格上昇の「ビッグ・プッシュ」となって日本にも及び、ノルム解凍、価格・賃金が動く状況が実現し、2024年に大規模緩和の終了が可能となりました。

今日、既に物価が上がらないノルムも解け、以下の図表21の期待インフレを反映する物価連動国債から算出したBEI(ブレークイーブン・インフレ率)に示されるように、中長期のインフレ期待も引き上がり、物価上昇の二次的な影響も生じやすくなっています。今後、海外中心に物価上昇要因が生じた場合、日本でも物価が予想以上に上振れするリスクも念頭に置く必要があると思います。足もとはベアを中心に2026年に向けた賃金の上昇も4巡目を迎えるなか、私としては、もう一段ギアシフトを行いつつ、「物価安定の目標」の実現に概ね達していることを前提にしたコミュニケーションを行う必要があると考えております。

中立金利をどう考えるか

今日、市場では中立金利への関心が高まっています。私は1980年代から40年以上、債券市場に立ち会い、その間、1980年代から90年代にかけて金利上昇局面も経験しましたが、中立金利の概念が市場で話題になることはありませんでした。中立金利やその前提となる自然利子率の存在は理論的には重要で、日銀も以下の図表22のように自然利子率の試算値を示してきました。金利が引き上げられる中での中立金利のイメージは、例えれば、山登りをするときの山の目安を示すようなものと考えてきました。すなわち、富士山か、それとも高尾山かでは、いずれも登る際に相応の準備が必要ではありますが、そのときの装備は自ずと異なるだけに、中立金利の概念も含めて一定の目安を共有する必要性もあるかと思います。

但し、中立金利は実務的には特定が困難であり、私は「虹のようなもの」、すなわち、遠くに見えるが、近づくと見えなくなってしまうものとして説明をしてきました。米欧では1990年代以降、いくつかの景気循環を踏まえたなか、中立金利の概念も一般化してきました。一方、日本は別世界のデフレにあり、その間のデータから分析された試算値の有効性には議論があります。米国のように、「大国」の仮定が成り立ち、独自の経済環境下での中立金利を独自に示せる国と、日本のように「大国」の前提が成立しにくい国とは同列で議論しにくいと考えられます。すなわち、日本については、海外環境の影響を大きく受けやすい点も考慮する必要があると考えられます。斯かる環境下、2026年以降の世界的な回復・利上げが生じる場合、意図せざるビハインドザカーブが生じるリスクがあります。また、市場参加者の実務上の関心は、金利上昇の到達点、ターミナルレートに向きやすいですが、中立金利と混同することによるリスクも存在します。

基調的物価とヘッドライン物価

長年のデフレ下では、市場とのコミュニケーション上、縮小均衡モード、すなわちノルムが残存する期間はヘッドラインの物価が2%を上回っても、基調的物価は物価目標に達していないとして粘り強い緩和を継続することが必要でした。私は、基調的物価とヘッドラインの物価について、冷凍食品と電子レンジの喩えを用いて説明したいと思います。バブル崩壊以降、長らく、日本の物価を巡る状況は、さながら、凍り付いた冷凍食品のようなものと考えてきました。そうした状況から解凍させるべく、電子レンジで温めてきました。表面の温度が2000年代以降、何度か温まって見えたことはあり、その都度、電子レンジから取り出したものの、再び凍り付く「偽りの夜明け」を繰り返し、真ん中まで温まることがありませんでした。ここで真ん中の温度を基調的物価と考えれば、表面、ヘッドラインの物価は上昇しても、真ん中の温度、基調的物価までは十分に温まっていない状況にあったと考えられます。そうした中、長年の根強い金融緩和が下地となり、更に、2020年以降の世界的な物価上昇圧力が加わり、冷凍食品の真ん中の温度も温まったと考えられます。今回、物価目標の実現に概ね達したとして「真の夜明け」を展望しているのは、以上の観点からです。但し、一度、真ん中の温度まで温まってきた中では、外部からの温める力にすぐに反応しやすくなることにも留意が必要です。別の喩えでは、氷が浮かんだ水の温度は0度のままですが、温める過程で、一度、氷が溶けた後は水温が急に上がることとも共通します。

大規模緩和からの出口の重要性

今やノルムも解け、先述の基調的物価も温まり、「平時」に戻った中、現状のヘッドラインの物価水準にも注目した対応も重要と考えました。私は、国内での根強いノルムが後退し、既に「物価目標の実現」に概ね達したと考えていたことから、政策金利を引き上げていく必要性を感じていました。また、フォワードルッキングな観点からも今後、海外の金利環境の転換を想定するだけに、世界で大幅に低い実質金利の調整を続けることが必要と考えました。その結果、もう一段のギアシフト、緩和の度合い調整として今年1月の金融政策決定会合で1.0%への利上げを提案しています。

現在の金融政策の立ち位置は、長年の大規模緩和からの出口にあり、その円滑な実現がこれまでの大規模緩和の評価を定めると認識しています。私としては、金融政策運営については、今こそ「真の夜明け」が視野に入ったとの基本的認識を持ったうえで、段階的にギアシフトを行っていく途上にあると考えています。その背景には企業の行動が前向きに転じたことがあります。現在もなお、以下の図表23に示されるように、各種指標で見ても金融環境は緩和的であり、実質金利が大幅なマイナスであることによる効果から企業向け貸出にも幅広い業種で動意が生じています。今後も利上げにあたっては、事前に想定した中立金利を目指すのではなく、海外環境に加えて、国内での金融環境に関する幅広いデータや情報から緩和度合いを丁寧に確認したうえで段階的に対応していく必要があると認識しています。

長期国債買入れ減額と国債市場について

大規模緩和からの出口戦略のなかで重要なのは国債市場で、市場参加者の間でも国債市場への関心が高まっています。私は、1980年代から国債市場に従事してきましたが、国債市場を振り返りつつ、現在の国債市場の立ち位置を考えてみたいと思います。以下の図表24は長期金利のベースとなる10年国債の利回りを40年振り返ったものです。40年を振り返れば、長期金利は1990年をピークに上昇しましたが、その後、バブル崩壊とともに低下トレンドが続きました。2013年以降の大規模緩和で大量の国債買入れが生じ、その後、2016年以降は、イールドカーブ・コントロール(YCC)も含め低位な水準が続きました。こうした状況から、2024年に大規模緩和の出口を迎えるに至っています。

物価安定の目標に近づき、物価・賃金が上がらないノルムも解けているだけに、2024年以降、長年続いた長期金利をコントロールしてきたYCCは時代の役目を終え、市場化・正常化に向かう局面にあると考えます。そのため、大量の国債購入で市場機能が低下した状況から国債の購入を減らして正常化に向かうことが必要と考えています。また、日銀の保有するバランスシートのあり方を踏まえても、緩和の度合いを調整する観点からバランスシートの縮小も検討する段階にあると考えています。

この点、日本銀行では、国債買入れに関して、2024年6月から減額を開始し、その後、2025年6月会合では長期国債買入れの減額計画の中間評価を行い、毎四半期4,000億円程度の減額を2026年1から3月まで続けることとしました(図表25)。また、その後は毎四半期2,000億円程度ずつ減額し、2027年1から3月に2兆円程度とすることとしています。日本銀行の買入れ減額は、「長期金利は金融市場において形成されることが基本」としたうえで、国債買入れは「国債市場の安定に配慮するための柔軟性を確保しつつ、予見可能な形で減額していく」としています。

そのうえで、私としては、市場機能を円滑に保つ観点からも、そのプロセスは慎重、かつ時間をかけた対応も必要と認識しています。これまでの日本銀行の国債買入れは、国債保有を増やすことで市場における国債の総量を抑制するストック効果から金利を引き下げる効果を持っていました。一方、買入れ減額は、これまで日本銀行が買入れていた額の一部が市場に供給されることで、事実上、市場における国債の量が増加することになります。この点を踏まえれば、今回は過去の歴史的な局面と比べても有数の市中への大量国債供給局面が生じるとも考えられます。図表26は、「ネット発行額」として、これまで発行された国債の残高前年差の推移を示します。これから、日本銀行が行ってきた国債買入れを勘案して、「市中残高」として、事実上、市場に供給される国債の前年差が示されます。1980年代からの歴史的な比較上、今回の国債買入れ減額の影響もここに表れます。2026年に向けて市場に供給される国債の「市中残高」の前年差は2000年代初の歴史的な水準を上回ると見込まれるだけに、国債市場の動向をしっかりとみていく必要があります。

国債市場とリスクプレミアム

なお、先ほどの図表24で示された1980年代からの長期金利のトレンドと長短金利差、ここでは、10年国債金利―政策金利を振り返ると、大規模緩和までは、2%を超えるような長短金利差がリスクプレミアムとして存在していました。一方、大規模緩和以降は、国債購入のストック効果にYCCによる期待も加わって、長短金利差が圧縮された状況が続きました。長短金利差が、短期金利の上昇期待に加え、国債投資に関するリスクプレミアムも反映したものであるとすれば、今日、既に出口に向かい市場機能が働くようになってきたなかで、金利リスクとして一定のリスクプレミアムを投資家が求める状況になると考えられます。また、先述の日銀の国債買入れ減少に加え、これまでの国債需要を支えてきた、預金取扱金融機関の預貸ギャップが、以下の図表27に示されるように、貸出の増加により縮小に向かい、国債への投資余力の縮小につながる可能性があることも、今後の国債市場を展望するうえで重要になります。

なお、私としては、正常化の過程においては市場が求めるリスクプレミアムを大幅に超えるようなボラティリティを回避するような対応が望ましいと考えます。日本銀行による国債買入れの減額が財政に対する配慮ではないことは言うまでもありませんが、事実上、市場に国債を供給する効果が生じるだけに、市場全体としての機能度の観点から、過度なボラティリティを回避すべく市場の安定に努める必要もあると考えております。過度なボラティリティが生じる場合には、市場機能が低下し、市場機能が不全に陥るリスクもあるだけに、適切な対応を行う必要も生じます。1980年代からの国債市場は、金融の自由化と歩調を合わせつつ、市場機能を有する円滑な国債市場を作り上げていった歴史であるために、資本市場の重要なインフラを保っていくためにも丁寧な対応が必要と考えられます。

この1年を振り返り、私としては、超長期ゾーンの投資ニーズの減退等、想定外の市場構造変化もあっただけに、2026年半ばの中間評価に向けて状況を丁寧にみていく必要があると考えます。また、今後も超長期を中心とした需給の不安もあるだけに長期金利の動きを注視し、金融機関の動向も踏まえたうえで、市場とのコミュニケーションを行う必要があります。同時に、国債市場については、市場機能を保つためにも発行当局と緊密に連携しつつそれぞれの役割を踏まえたうえで、しっかりとモニタリングする必要があり、例外的な状況においては、国債買入れを含めた柔軟な対応の検討も必要であると考えられます。

4.京都府経済について

最後に、京都府経済についてお話しさせて頂きます。京都では千年を超える長い歴史の中で数多くの伝統文化が継承され、現代の生活や産業、経済などの様々な分野で重要な役割を担っており、京都府経済を支える基礎となっています。

京都と言えば、日本でもっとも有名な観光地の一つですが、伝統文化の魅力が海外にも発信されることで、コロナ禍以降、それ以前にも増して非常に多くのインバウンド客が京都を訪れており、観光関連の産業は高い成長をみせています。また、足もとでは、インバウンド客が京都市内の一部地域に局所的に集中する事象(over concentration)が課題認識されていますが、行政が中心となって、観光客の京都市内および府下他地域への分散、訪問時期や時間の分散の取り組みなどが進められており、今後、観光客のみならず、府民・市民が豊かさを実感できる持続可能な観光地域づくりに繋がることが期待されます。

京都府経済を支えるもう一つの屋台骨として、モノづくり産業が挙げられます。京都には、高い技術力を持った日本を代表するグローバル企業だけではなく、グローバル・ニッチ・トップとしてサプライチェーンのなかで重要な役割を担う中小企業も数多くあります。こうしたモノづくりを支えるのは職人であり、京都では伝統文化を源流に高度かつ精密な専門技術を磨き上げた職人が古くから数多く活躍し、不断にイノベーションに挑戦し続けてきた気風が、今日の京都のモノづくり産業の発展に繋がっています。近年では、生成AIの普及を背景に、世界的にデータセンターの需要が高まるなか、京都にはこれに欠かせない電子部品や機械装置のメーカーが数多く集積しているため、京都のモノづくり産業は一段の成長をみせています。

また、イノベーションの創出やベンチャー企業やスタートアップの支援といった、新たな屋台骨づくりにも積極的に取り組まれています。京都には多くの大学があり、それぞれが多様な分野で積極的に研究開発に取り組まれており、昨年には京都大学ご出身のお二人のノーベル賞受賞者が誕生するなど、大学での研究開発のポテンシャルは全国的にみても、世界でみても非常に高いものとなっています。また、先ほど申し上げた高い専門技術を有する企業との連携も強力に推進されており、「けいはんなオープンイノベーションセンター」において、学術と産業の融合による価値創造に向けて、京都府内の大学と企業の共同研究を支援しておられます。起業家を生み・育てる環境整備についても、産・官・学・金が連携して「京都スタートアップ・エコシステム推進協議会」を立ち上げるなど、積極的に支援に取り組むことで、数多くのスタートアップ企業が誕生しています。今後、こうした取り組みが、新たな事業の創出・成長を強力にサポートすることで、京都府経済の将来の屋台骨を築いていくことが期待されます。

こうしたオール京都での積極的な取り組みが実を結び、自然、歴史、文化、産業のポテンシャルを一層引き出した、京都の「ほんまもん」の価値を活かし、京都府経済がさらなる発展を遂げることを祈念いたしまして、私からのご挨拶とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。