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「日銀探訪」第16回:金融研究所歴史研究課長 蒲原為善

国内随一の所蔵資料、多様な研究支える=金研・歴史研究課(1)〔日銀探訪〕(2013年9月30日掲載)

金融研究所歴史研究課長の写真

金融研究所(金研)の歴史研究課は、金融史や貨幣史の研究者を擁する一方で、日銀に関連する歴史的資料の収集・保存・公開を行うアーカイブ、古代から現在に至るまでの貨幣や紙幣を展示する貨幣博物館という二つの現場を抱える部署も併せ持つ課だ。人員数で見ると、この両部署で働く課員の割合が課全体の8割以上を占めており、なぜこの部署が研究所の中にあるのか不思議に思える。しかし蒲原為善課長は、アーカイブや貨幣博物館が所蔵する貴重な資料が、歴史研究には不可欠と指摘。「一見すると研究と現場が併存しているように見えるが、実は課全体が歴史研究という1本の糸でつながっている」と説明する。その上で「歴史から学ぶことは重要で、長い目で見れば、しっかり歴史研究をしている組織とそうでない組織との差は必ず出てくる」と話す。

日銀には、歴史研究を志して入行した行員はほとんどいない。そのため、課への配属後に一から勉強を開始した研究員が多い。しかし、こつこつと研究を進め、戦前の高橋是清財政に関する研究論文をまとめたり、江戸時代の古文書などに用いられた字画を略して記された「くずし字」読解のエキスパートになったりするなどの業績を上げている。

蒲原課長のインタビューを3回にわたって配信する。

「歴史研究課は三つのグループで構成されており、このうちの金融史研究グループは研究が中心だが、アーカイブグループと貨幣博物館グループは現場が中心の職場だ。人員数で見ると、33人のうち27人と、約8割が現場の仕事をしている。こういう組織構成になっているのは、アーカイブも博物館も歴史研究と密接な関係があるためだ。アーカイブが多数保有する歴史的資料は、日銀や日本金融史の研究を進めていく上で欠かすことができない。また、博物館が収蔵している貨幣関係資料は貨幣・紙幣だけでなく、人々の暮らしと貨幣の関わりを示す錦絵や古文書なども含み、規模、内容とも日本随一で、これだけで日本貨幣史を語り尽くせると言われるほどだ」

「歴史研究の主要な研究者は中堅やベテラン勢で、金融研究所に配属されてから歴史研究を開始した人たちが多い。例えばある職員は、中堅クラスになったころ、行内の政策部署との議論がきっかけとなり戦前の金融史を調べ始めた。その過程で必要に迫られ、外部の先生方の教えを請いながら、文献資料の使い方など研究のいろはから学び始め、戦前の高橋財政に関する博士論文をまとめた。また別のある職員は、研究所に配属後、『くずし字』を読む力を身につけるために大学に特別聴講生として派遣され、大学院博士課程レベルの技量を身につけた。その後は高度な読解力を縦横に活用して、日本最初の紙幣である山田羽書(はがき)の発行・管理の実態に関する論文をまとめ、学会に報告した。山田羽書は、17世紀初めに伊勢神宮の門前町の山田に住む神職が、銀貨の預かり証として発行したものだ」

「貨幣博物館の学芸員も、博物館の所蔵資料に関する調査・研究を行っている。こちらの成果は、必ずしも論文という形式だけではなく、博物館の企画展開催や常設展示の見直しなどという形で生かされる」「歴史の研究が当面の日銀の政策に直接結びつくというわけではないが、研究員はそれぞれ、歴史的な観点からの基礎的な研究の成果は、日銀の業務や組織運営にいずれ何らかの形で役に立つという気持ちを持って仕事をしている。他の主要国の中銀でも、同様に歴史研究は重視されているようだ」

永久保存の歴史文書、現在7万8000点=金研・歴史研究課(2)〔日銀探訪〕(2013年10月1日掲載)

1882年に大蔵卿から下付された日銀営業免状、西南戦争時に大量増発された国立銀行紙幣の消却命令書、関東大震災での日銀本店の被災状況報告、歴代日銀総裁の書簡。金融研究所アーカイブが保存する歴史的公文書は、日銀関連書類を中心に2012年度末時点で約7万8000点に及ぶ。さらに、毎年3000点程度が追加されていくという。物価と金融システムの安定という重要任務を担う日銀は、法律により業務に関わるたくさんの資料を永久保存し、一般から閲覧請求があった場合にはそれに応じる義務を負っている。アーカイブを運営する歴史研究課の蒲原為善課長は「歴史的公文書の保存・管理は、現在や将来の国民の知る権利に応え、説明責任を果たすために必要不可欠だ」と説明。「保存や利用請求への対応などでは苦労もあるが、非常にやりがいのある仕事」と強調する。保存方法は、専門家のアドバイスも受けながら、常に最適の方法を模索しているという。

「アーカイブは、日銀に関わる歴史的資料の収集、保存、公開を組織的、制度的に行う目的で、99年9月に金融研究所の中に設置された。その後、11年4月の公文書管理法施行に伴い、日銀は内閣総理大臣から国立公文書館等としての指定を受けた。同法第一条は『国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定める』と述べている。この『国民主権の理念』が意味するところは、『歴史的事実の記録である公文書等が健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源であり、主権者である国民が主体的に利用しうるものである』ということ。要するに、現在や将来の国民に対する説明責任を果たすために歴史的公文書をしっかり管理する施設を、国立公文書館等として指定している。現在これに該当するのは国立公文書館、宮内公文書館、外交史料館、七つの大学、日銀の金融研究所アーカイブの11機関だ」

「国立公文書館等がすべきことは、法律に定められている。まず、移管を受けた歴史的公文書は永久に保存しなければならない。また、一般の利用に資するため、必要事項を記載した目録を作成して公表しなければならない。さらに、資料の利用請求があった場合にはそれに応じる必要がある。アーカイブが保有する公文書は、展示その他の方法によって積極的に一般の利用に供するよう努めなければならないし、保存・利用状況を毎年度内閣総理大臣に報告するよう求められてもいる。公文書の保存、利用、廃棄に関する定めを設け、公表する義務もある」

「日銀アーカイブが所蔵する歴史的公文書は12年度末時点で約7万8000点と、国立公文書館の129万点、宮内公文書館の8万点に次ぐ規模。さらに保管期間が10年を超える公文書はアーカイブに移管する決まりがあり、毎年度3000点程度増加している。永久保存することに伴う負担は、年を追うごとに大きくなっている。例えば、資料の劣化度合いをチェックする場合は、その可能性がある資料全てについて、手袋を着けて1枚1枚ページを繰って中身を見る。これは、保存管理の専門知識を身につけたアーキビストでなければできない仕事だ。その結果、劣化の進展が確認されれば、その度合いに応じた対策を講じなければならない」「アーカイブの世界では、永久保存のためにはどういう形で残したらいいのかについて、議論が続いている。『紙』と『デジタル(電子媒体)』のいずれが長期保存に向いているかという議論で、デジタルの方が優れているように感じるかもしれないが、ソフトやハードの進歩に伴い、古くなったものは読み取りできなくなる恐れもあるし、デジタル自体にも寿命があるので、そう簡単な話ではない。ただ、古い資料の中には紙やインクの質が良くなくて劣化の進行が早いものがあるので、そういうものは電子媒体に複製し、閲覧時には複製の方を使ってもらうといった対応は進めている」

貨幣史語れる所蔵品、博物館は改装計画中=金研・歴史研究課(3)〔日銀探訪〕(2013年10月2日掲載)

日銀本館から道路1本隔てた10階建ての建物の中に、年間8万人以上の来館者を集める見学施設がある。日銀が設立した貨幣博物館だ。発足以来の所蔵資料は、貨幣(コイン)や紙幣、古文書、錦絵、千両箱など合わせて約19万点で、入館料は無料。同博物館の館長でもある蒲原為善歴史研究課長は「わが国の古代から現代までのお金はほとんどそろっており、本物の資料だけを使って日本の貨幣史を語ることができる」と説明する。これだけ貴重な所蔵品の多くは、第2次世界大戦中にある貨幣収集家から寄贈されたものという。

同博物館は設立後30年を経過したことから、現在リニューアルを計画中。今年の秋口ごろから2年間程度の期間で展示設備などの補修・更新を行い、最新の研究に基づいて展示物の見直しを行うほか、小中学生や外国人、障害者などにもより親しんでもらえるような施設に衣替えを図る予定だ。

「貨幣博物館は、日銀創立100周年記念事業の一環で、1985年11月に設立された。当時の前川春雄総裁はその目的について『標本貨幣や史料の展示施設を設け、通貨と国民生活との係わり合いなどを示して、国民との接触の場とする』ためと記している。所蔵資料は、第2次世界大戦中に空襲が激しくなってきたことを受け、著名な貨幣収集家・研究家だった田中啓文氏が日銀に寄贈した『銭幣館コレクション』が中心となっている。展示物で人気があるのは各種の大判。貴重なものとしては、非常時用の備蓄として鋳造されたと言われる分銅金を数多く所蔵している。これは、日銀以外では数点しか保有が確認されていない。ただ最も重要なのは、古代から現代までの貨幣と紙幣がほとんどそろっているということだ。海外の中銀でも、ここまで資料がそろっているところはない」

「設立当時から約10年間は、土日が休館だった上、見学は予約制だったので、来館者数は年間2万人程度にとどまっていた。しかし、予約制を廃止して土日を全面開館とし、企画展やテーマ展を開始するなどの見直しを行った結果、90年代中ごろからは来館者数が増加し始めた。2012年度は約8万3000人と過去最高を記録し、今年度も2桁増となっている」

「博物館の開館から約30年が経過したが、その間に環境に大きな変化が生じたため、リニューアルを実施することになった。主要な狙いの一つは、この30年間の貨幣史研究の進展を、常設展である日本貨幣史の展示内容に反映させることだ。具体例を挙げると、現在の展示では、日本で最初に発行された貨幣は和同開珎で、読み方は『わどうかいちん』『わどうかいほう』の二説があると説明している。しかしその後の遺跡発掘調査や研究の結果、最初に発行された貨幣は7世紀後半の富本銭であること、和同開珎の読みは『わどうかいちん』であることが学界の多数説となった。こういった研究成果を展示に反映させる必要がある」

「また現在の展示は、日本人の大人を主な対象として考えており、パネルの説明が年少者には分かりづらいほか、英語のパネルも少ない。そこで、より多くの層に楽しんでもらえるように工夫するほか、バリアフリー化も進める。展示ケースなども開館以来更新していないので、より保存に適したケースや照明を取り入れていく方針だ」「銭弊館コレクションの寄贈を受けた第16代総裁の渋沢敬三氏は、亡くなる少し前に『前々から二つの夢があり、いまだ覚めずにいる』と記している。一つは貨幣にじっくり挑む学究の出現であり、もう一つは、日銀に貨幣博物館を併設することだ。それから50年以上が経過し、現在は渋沢元総裁の夢以上のことが実現している。これは少数の特別な人たちの力によるものではなく、多くの人々の地道な日々の取り組みの積み重ねの結果だ。歴史研究課の任務とは、ささいな出来事にも目を向けながら、地味な仕事を丁寧にこつこつとやり、次の世代に引き継いでいくことで、そういう取り組みが長い年月を重ねるうちに大きな業績に至ると考えている。課員一人ひとりがそれぞれ、小さくてかまわないので目標を持ち、達成に向けてたゆまず努力を継続していってほしいと思っている」

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