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【講演】グローバル・インバランスと経常収支不均衡

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フランス銀行「Financial Stability Review」公表イベントにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2011年2月18日

目次

1. はじめに

まず、フランス銀行「Financial Stability Review(FSR)」の「グローバル・インバランスと金融の安定」に関する特集号に寄稿する機会をいただいたことについて、ノワイエ総裁とフランス銀行に対してお礼を申し上げます。また、本日の公表イベントのパネルに参加させていただき誠に光栄です。

グローバル・インバランスは非常に複雑かつ難しいテーマであり、数多くの論点が含まれています。正直に申し上げまして、FSRの全170ページを読んでいるわけではありませんが、昨日、パリに向けた飛行機の中で、いくつかの論文を読みながら、その論点の多様性に強い印象を受けました。G20諸国の中央銀行総裁が寄稿した論文はそれぞれ独特の視点が含まれており、これは、本テーマの多面性を反映したものです。

私は、日本の過去の経験や、今回の世界的な金融危機から得られた教訓を踏まえつつ、経常収支をグローバル・インバランスの持続性を測る指標として活用することに焦点を当ててお話したいと思います。

2. 日本の経験

1980年代に日本の経常黒字と貿易黒字は急増し、80年代半ばには、通貨を増価させ、黒字を削減するよう強い対外的な圧力を受けていました。1985年のプラザ合意以降、協調介入を通じて急速な円高が進んだほか、金融政策を含むマクロ経済政策は、国内需要を喚起する方向に向かっていました。経常黒字は80年代末までには減少しましたが、日本は、バブルの破裂への対応という重い課題を背負うことになりました。私は決して、対外的な圧力と経常黒字の圧縮に焦点をあてたことが、バブルを引き起こしたと主張しているわけではありません。しかし、それらは、経済が過熱している可能性の兆候を示している時に、当局が速やかに行動しにくい環境を作り出す一因にはなりました。経常収支の計数それ自体は、経済政策に影響を与える持続不可能な不均衡の発生について情報を提供していませんでした。

こうした議論は、今回のグローバルな金融危機にも当てはまります。米国の経常赤字が増大するとともにエマージング諸国の外貨準備が積み上がる状況に着目して、2000年代中頃になると、ドルの急落と米国長期金利の急騰を通じた無秩序な調整が突然生じるのではないかとの懸念が高まりました。しかしながら、周知の通り、実際には全く異なる展開となりました。金融危機発生当初、市場参加者のリスク回避姿勢が極度に高まり、世界的に「質への逃避」が発生し、米国国債への需要の増大によって米国長期金利は大幅に低下し、ドルは大半の通貨に対して上昇しました。

すると、次の論点として、「持続困難なグローバル・インバランスに繋がり得る不均衡や歪みをどうすれば見極めることができるか」、「経常収支では十分に把握できない如何なる情報に着目する必要があるのか」が浮上してきます。重視すべき点として以下の二つが挙げられます。

第一点は、経済への過度なレバレッジの積み上がりです。日本と米国ともに、危機に先立って民間部門の債務残高が長期トレンドから大きく乖離しました。日本では企業部門で、米国では家計部門で大きな乖離が発生しました。重要なことは、経済を全体として捉えた評価だけでなく、より細分化されたレベルでも評価を行うことです。こうした作業によって、政策当局者は、不均衡が蓄積されつつあるかもしれない場所をより的確に把握することが可能になります。もう一つ重要な要素として、信用がどのような仕組みを通じて供与されるかという点があります。両国ともシャドーバンクは信用ブームを支える重要な役割を果たしました。

第二点は、グロスの資本フローです。経常収支と表裏一体の関係にあるネットの資本フロー—— これは資本収支に対応しますが —— に関する情報は、その他のデータで補う必要があります。近年のユーロ圏の動向がよい例です。すなわち、過去10年間、ユーロ圏の経常収支は概ねバランスしていましたが、ユーロ圏の銀行は国際銀行システムから積極的に米ドル資金を調達して米国の非銀行セクターに資金を供給したことがわかります。資産と負債を相殺すると残高自体は小さくなりますが、グロスベースで膨らんでいった累積的なリスクは相当な規模に達していました。

3. 過去の教訓

決して網羅的なものではありませんが、ここで、現在および過去の経験から得られる教訓として三つの点を指摘したいと思います。

第一に、経常収支のトレンドは、貯蓄・投資バランスの長期トレンドを反映したものであり、経済の発展段階や人口動態に強く左右されます。こうしたトレンドの中で、経常黒字や赤字は経済主体の自発的な選択の結果として生じるものであるため、その存在自体が問題であるとはみなすべきではありません。経常収支不均衡は、それが持続困難なものとなった場合にはじめて問題を引き起こすものです。

第二に、経常収支の構造的な側面と景気循環に伴い変動する側面を見分けることは決して容易な作業ではありません。マクロ経済政策や為替政策を通じて構造的な要素の調整を試みることは、経済を不安定化させる金融面の不均衡の蓄積を助長しかねません。経常収支そのものに焦点を当てた政策運営は、むしろ副作用が大きくなります。

第三に、中央銀行やその他の政策当局は多様な指標を用いて持続困難な不均衡が生じているかどうかを評価する必要があります。こうした指標には、資産価格、レバレッジ、グロスの資本フロー、そしてリスクに対する市場の価格付けや金融機関のリスク・プロファイルに関する情報などが含まれます。経常収支に関するデータだけでは、全体像の一部分しか見えてきません。かつて、国境を越えた財やサービスの移動が国際経済上の相互関係の大半を占めていた時には、経常収支や貿易収支のデータをみることによって、対外不均衡の拡大しつつある状況を比較的容易に把握することができました。しかし、グローバルな資本フローは、巨額になるとともに、国境を跨いで動く速さも加速しています。グローバル・インバランスの評価の在り方もこうした環境変化に応じた見直しが必要になっています。

4. 変化する環境

過去の教訓を精査した後、政策当局は、足許のグローバルな金融経済システムの変化に政策を対応させる必要があります。われわれは、現在、いくつかの基本的な変化に直面していると同時に、深刻な経済・金融危機からの回復過程にあります。

グローバル化が一段と加速している結果、異なる金融市場の間および市場参加者の間での相互連関がますます複雑化しています。世界の一地域が被ったショックの余波がすばやくそして想定外の経路で他の地域へ及ぶようになっています。

もう一つの基本的な変化は、エマージング諸国のプレゼンスの拡大です。エマージング諸国が世界の経済成長を牽引しており、それに伴い国際社会における同諸国の責任も重くなってきています。例えば、主たるエマージング諸国の為替レートが硬直的となっている場合の世界経済への影響が従来よりも大きくなっていることを認識する必要があります。国内産業の秩序だった構造調整という視点からは、固定相場制から柔軟な為替制度への緩やかな移行と、自国通貨の増価ペースを調整していくことが正当化されるかもしれません。しかし、緩やかにしか進まない為替調整は、同時に、金融政策を含む国内マクロ経済政策の柔軟な運営を阻害するほか、調整コストを他国へ輸出する性質を持っていることをエマージング諸国の政策当局者は認識する必要があります。もし他の諸国が自国通貨高を抑制する類似の施策を講じると、柔軟な為替制度を採る地域がより大きな影響を受ける可能性もあります。

第三の特徴点は、景気回復のペースが異なっている点です。エマージング諸国が力強い成長を続けている一方で、一部の先進国においてバブル崩壊後のバランスシート調整が続いていることもあって、先進諸国経済の景気回復ペースは遅いものとなっています。こうした中、先進国の中央銀行は極めて緩和的な金融政策運営を行っています。伝統的な金利チャネルや信用チャネルを通じた金融緩和効果は平時のようには効いていないため、制約要因が働いていないエマージング諸国への資本流入が活発化しています。

5. 政策当局者の課題

最後に、政策当局者にとっての今後の重要な課題を指摘して結びとさせていただきます。グローバル化の急速な進展によって、有害な不均衡の発見や是正策の実施は、もはや純粋な国内問題ではなくなってきているという大きな潮流の変化にわれわれは直面しています。マクロ経済政策を組み立てるにあたっては、自国経済の安定を確保することが伝統的に強調されてきました。しかし、グローバル化の深化に伴い、個別国の政策対応を単純に積み上げた結果が世界全体にとって最適な政策になるとは限らなくなってきています。このため、先進諸国とエマージング諸国双方の政策当局者は自国経済の安定の意味するところを再考する必要があります。ある国の政策の効果が国境を越えて対外的に波及すること(spillover effects)や、経済や金融の相互連関を通じて影響が自国へ回帰してくることを分析することもこれまでになく重要になっています。

大規模な資本流入や硬直的な為替制度から発生し得る金融面の不均衡への対応を検討するにあたっては、経済的にも政治的にも、全ての国のニーズを満足させる簡単な方策など存在しないことを認識しなければなりません。しかし、世界経済が運命共同体であること(we are all in the same boat)を踏まえますと、各国がそれぞれ異なる方向に進みだすと合成の誤謬が生じる危険性を高めることになります。われわれの経済政策を導いてくれる機械的ないし自動的な仕組みは存在しません。このことは、今次金融危機が複雑な経路をたどって多様な金融市場や世界各国の経済に拡がっていったことや、世界経済が緩やかな景気回復過程を進む中で新たな難問が浮上し続けていることからも再確認できます。冒頭で、各総裁方からの寄稿には多様な視点が提示されていると述べました。同時に中央銀行界からの共通のメッセージも込められています。すなわち、政策当局者間の協力は必須であり、さらに強化される必要があるという点です。地道な取り組みではありますが、政策当局者は、世界経済が海図なき航海を続けるにあたり、互いの経験から謙虚に学びながら、丁寧かつ建設的な対話を続けることが不可欠です。