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【講演】公共政策を遂行するという仕事

京都大学公共政策大学院、法学研究科・法学部における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2011年7月15日

目次

1. はじめに

日本銀行の白川です。本日は京都大学公共政策大学院および法学研究科・法学部の共催講演会の場で、お話をさせて頂く機会を頂き、大変嬉しく、また光栄に思っています。このような機会を与えて下さったことに心よりお礼を申し上げます。本日、ここにご出席の方は、将来、職業として公共政策に携わることを志している学生、あるいは、自らの職業選択とは関係なく、公共政策、ないし、公共政策の一分野である金融政策、さらには金融政策を担う日本銀行という公的組織に関心を持っておられる方が多いのではないかと想像します。

私自身は、1972年に大学の経済学部を卒業して以来、日本銀行という、公共政策の一角を担う世界にほぼ一貫して身を置いてきました。日本銀行に34年間勤務した後、縁あって京都大学公共政策大学院で2年弱の間、教鞭をとる機会に恵まれました。2008年春からは、再び日本銀行で働くことになり、様々な政策を決定すると同時に、政策の遂行や日本銀行という組織全体のマネジメントに責任を有する立場にあります。本日は限られた時間ではありますが、「公共政策を遂行するという仕事」というタイトルでお話をさせて頂きます。勿論、公共政策といっても幅広く、全てを取り上げることはできません。私が本日取り上げるのは、日本銀行の守備範囲である金融政策や金融システムに関する政策、あるいはそれと密接な関係のあるマクロ経済政策に限られます。金融政策やマクロ経済政策の運営を巡っては、毎日、活発な議論が展開されています。そうした議論はそれぞれ興味深いものですが、本日の話の目的は、個々の政策論をお伝えすることではなく、金融政策やマクロ経済政策を例に取りながら、公共政策の果たす役割について語ることです。

2. 過去四半世紀の日本経済の経験から何を学ぶか

過去四半世紀の日本経済

最初に、公共政策の果たす役割を説明するための材料として、過去四半世紀の日本経済の動きを簡単に振り返ってみます。過去四半世紀を取り上げるのは、学生の皆さんの年齢を想像してのことです。本日ご出席の方の中には大学の学部を卒業されて直ぐに大学院に入学された方もおられると思いますし、社会人としての経験を若干積まれてから入学された方もおられると思います。本席におられる学生の皆さんの平均年齢を20歳台半ばと想定しますと、生まれたのは大体25年前、1980年代後半ということになります。

図表1は終戦後の日本の実質GDPの推移を示しています。1950年代半ばから1970年代初頭にかけては、日本の「高度成長」の時代でした。この間の年平均成長率は+9.7%という驚異的な数字であり、これは近年の中国の成長率とほぼ同じ水準です。日本は「高度成長」が終わった後、徐々に経済の成長率が低下しましたが、それでも他の先進国に比べてなおかなり高い成長を続けました。皆さんの多くが生まれた1980年代後半、日本はバブル経済の真っ只中にありました。成長率は高く、物価上昇率は低く、日本は先進国の中で最も高い経済パフォーマンスを示しており、日本中が熱気と自信に溢れているように見えました(図表2)。後から振り返ってみると、高い経済パフォーマンスと見えたものはバブルであり、自信と映ったものは慢心でした。バブル崩壊後、日本経済の成長率は徐々に低下し、何回かの景気循環を伴いながらも、経済の低迷が続きました。皆さんがある程度物心がついてからの年月という意味で、過去20年間という期間で括ってみると、この間の年平均成長率は+0.9%に過ぎません。私が大学を卒業したのは「高度成長」の終わりの頃ですが、そうした高成長の時代と低成長の時代とでは、生活する人々の意識も社会の雰囲気も変わってきます。

過去四半世紀の間に高い成長を遂げたのは、中国、インド、ブラジルなどの新興国経済です。1990年の時点では中国のGDPは日本の13%に過ぎませんでしたが、2000年には26%となり、2010年には僅かながら日本のGDPを上回るに至りました。中国のGDPを米国のGDPと比較すると、現在は40%の水準ですが、今の成長速度を前提にすると、2018年には逆転する計算になります(図表3)。

この間、米国ですが、1990年代以降、復活が目覚しく、物価安定の下での高成長という、バブル期の日本経済と同じような良好なパフォーマンスがかなり長い期間に亘って続き、「ニューエコノミーの到来」ということが喧伝されました。しかし、2006年の住宅バブル崩壊後は成長率が低下しています。バブル崩壊後の5年間という意味で、現在の米国と1990年代の日本を比較すると、GDPや物価上昇率の動きは驚くほど似ています。日本についてはバブル崩壊後、「失われた10年」ということがよく言われましたが、米国でも、最近はかつての日本と同じような経験をする可能性の有無を巡って議論が行われています1。現在は躍進を続ける中国経済についても、やや長い目でみた場合には、安定成長への円滑な移行が図れるかどうかが大きな論点となっています2。いずれにせよ、やや長い時間をとると、当たり前のことですが、経済のパフォーマンスは大きく変動します。ということは、皆さんが社会人として活躍される次の四半世紀も大きな変化が起こると想定する方が自然です。日本経済はどのような方向に変化するでしょうか。結論を先取りして言えば、やや長い目で見て経済が良い方向に変化するか悪い方向に変化するかは、我々自身の意思、すなわち、民間部門の創意工夫の努力と政策当局による適切な公共政策の実行の両方に依存します。以下では、その公共政策の部分についてお話をします。

  • 1 バブル崩壊後の日本と米国の類似点と相違点については、白川方明(2010)「特殊性か類似性か?—金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験—」、2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策への教訓」における基調講演の邦訳を参照。
  • 2 日本の高度成長と近年の中国の高い成長との比較については、白川方明(2011)「高度成長から安定成長へ—日本の経験と新興国経済への含意—」、フィンランド中央銀行創立200周年記念会議における発言の邦訳を参照。

日本経済の成長率低下の原因

ところで、何故、日本の成長率は過去四半世紀の間に低下したのでしょうか。この点に関しては、3つの原因を指摘できます。

第1は、バブル崩壊の直接的な影響です(図表4)。バブル期には債務が積み上がりましたが、バブル崩壊によって資産価格が下落すると、債務を抱えた主体—日本の場合は主として企業でした—は支出を抑制せざるを得ません。企業に多額の貸出を行っていた銀行は多額の不良債権を抱え自己資本が圧迫された結果、貸出を積極的に行うことができなくなりました。これは1990年代から2000年代初頭にかけての低成長の大きな原因のひとつです。

第2は、日本の企業の経営の仕方や日本の経済や社会の仕組みが過去四半世紀の間における世界経済の大きな変化に対し迅速に適合することができなかったことです。世界の大きな変化とは、ひとつはベルリンの壁の崩壊以降起きた、計画経済諸国の市場経済への移行です。これは安価な労働力が膨大な規模で突然、市場経済に登場したことを意味します。この結果、労働集約的な財・サービスの価格は大きく低下しました。もうひとつの変化は情報通信革命の進展です。これによって情報通信コストは劇的に低下しました。この結果、取引コストが低下し、グローバルな規模で競争が激化しました。このような状況の下では、日本の経済構造、産業構造は変化せざるを得ません。象徴的な例として、iPhoneを取り上げてみたいと思います。iPhoneのコスト構造を分析した調査(図表5)をみると、1台500ドルのiPhoneの販売価格の中で、部品コストは173ドルであり、組み立てコストに至っては6.5ドルに過ぎません。これに対し粗利益は321ドルにも上っています。言い換えると、iPhoneという製品のアイデアを考え出し、これを製品化することの付加価値がいかに大きいかということを示しています。

第3は、急速な高齢化の進行という人口動態の変化です(図表6)。生産活動の主な担い手であると同時に、消費や納税といった面でも中核を担う年齢層である生産年齢人口は、1995年頃をピークに減少し始め、2000年代入り後、減少ペースが加速しています。こうした状況は、労働力人口の伸びを低め、供給面から経済成長の重石となります。需要面からみても、高齢化の進行は成長率に影響します。中核的な消費年齢人口の減少は国内市場の縮小要因として作用します。また、現役世代による高齢者の扶養負担の増加も、現役世代の消費の抑制要因となります。勿論、高齢者の増加により、医療や介護サービスを始めとする潜在的な需要の増加も期待できますが、そうした分野は一般的に規制が強く、需要に見合う形で供給体制が整備されない場合には、国内需要は全体として停滞します。さらに、選挙民に占める高齢者の割合が高くなると、選択される経済政策も変化する可能性があります。現実にそうしたことが起こるとすると、高齢化はそうしたルートも通じて経済成長に影響を与えます。

成長率低下の原因の認識と対応

以上、日本経済の成長率低下の原因についてみてきましたが、成長率が低下する過程で、日本の社会はこれらの経済低迷の原因をどの時点で認識し、どのように対応したのでしょうか。また、公共政策を担う当局はどのように対応したのでしょうか。

まず第1の原因であるバブルですが、バブルの存在自体についても、バブルの弊害についても、社会全体として認識が遅れました。バブル期には、資産価格の異常な上昇、通貨や信用量の大幅な増加、投資水準の高まり、労働需給の逼迫等の現象が生じました。これらの現象は素直に考えると、いずれも金融引き締めの必要性を示唆しています。実際、日本銀行はその必要性を主張しました。しかし、金融緩和の修正は遅れました。その理由は、当時の新聞の記事を読んだり、エコノミストの論調を振り返ると、良く分かります。物価上昇率が0%台と極めて低かったこともあって、「新しい時代が到来した」という感覚が広がっていました。そのような時代の空気の中で、日本銀行の金融引き締めの議論は、「新しい時代の到来」を理解しない保守的な議論と見なされました。経済理論の世界でも、バブルの発生と崩壊がもたらす深刻な影響への問題意識は非常に希薄でした。前述のように、バブル崩壊後は金融機関の不良債権が増加し、経済成長の足枷となりました。そうした事態を避けるためには、金融システム全体への連鎖的な影響を回避しつつ経営の悪化した金融機関を円滑に処理する措置、すなわち、金融機関の破綻処理法制の整備や不良債権処理に必要な財源である公的資金の注入が不可欠でした。しかし、バブル崩壊後しばらくの間は、残念ながら、不良債権問題がマクロ経済に与える深刻な影響についての認識が薄かったと言わざるを得ません。また、破綻金融機関の処理に税金を投入することは国民の反対が強く、公的資金の注入の決定は大幅に遅れました3

次に第2の原因である世界経済の変化への不適合を取り上げます。ベルリンの壁が崩壊した時は日本のバブルのピークの頃でしたが、当初はこれがもたらす経済的な意味合いについても、また、これが日本企業にとって調整が必要な事態をもたらす変化であるという認識も薄かったように思います。日本の産業モデルは終身雇用制度の下での技術力の高い国内労働者によって支えられてきました。それだけに、日本の企業は、過去の成功の記憶に囚われ、グローバル経済に生じた大きな変化への対応が遅れました。また、グローバルな経済環境の変化に対応しようとしても、制度面の対応も遅れていました。企業の合併、コーポレート・ガバナンス、雇用、資本調達をはじめ、企業経営の様々な領域で、法律、規制、税制が現実の経済の変化に十分追い付いていませんでした。

最後に第3の原因である急速な高齢化や人口減少の問題を取り上げます。将来の人口減少という予測自体は、バブル経済のピークである1980年代後半時点でも既に指摘されていました。一般に将来を予測することは容易ではありませんが、将来の人口は出生率と死亡率からかなりの程度正確に予測できる例外的な変数です。しかし、それにもかかわらず、人口減少への対応は遅れました。その理由を考えてみると、ひとつには人口減少が経済に与える影響の深刻さについては、比較的最近まではあまり認識されていなかったことが挙げられます4。もうひとつの理由は、仮に認識したとしても、必要な行動をとることが容易ではないことです。典型的なケースが年金や社会保障です。急速な高齢化は国全体としての年金や社会保障の支払い総額の増加を意味しますが、一人あたりの給付水準を引き下げない限り、給付を賄う現役世代の負担増加を意味します。しかも、数の少なくなった現役世代が負担することになるため、一人あたりの負担はその面からも大きくなります。その結果、現役世代の消費が抑制され、経済成長率の低下要因となります。そうした事態を避けるためには、年金や社会保障の改革を進め財政を将来に亘って維持可能なものにすることが不可欠ですが、そうした改革を現実に実行に移すことは給付と負担のバランスの変更を意味しますから、容易ではありません。

  • 3 バブルやバブル崩壊後の政策運営については、白川方明(2010)「特殊性か類似性か?—金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験—」、2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策への教訓」における基調講演の邦訳を参照。
  • 4 人口問題の意味や必要な対応については、白川方明(2011)「バブル、人口動態、自然災害」、日本銀行金融研究所主催2011年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳を参照。

公共政策への教訓

以上、過去四半世紀における日本の成長率低下の原因と社会や政策当局の対応を振り返ってみましたが、皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。私自身の最大の感想は、正しい公共政策を適切なタイミングで実行することがいかに重要であるかということです。逆に言うと、そうした公共政策を実行することがいかに難しいかも物語っています。適切な公共政策の実行の難しさは、決して日本に限られた問題ではありません。バブルの発生と崩壊という問題は、近年では日本が世界に先立って経験しましたが、サブプライム・ローン問題発生以降のグローバル金融危機の経験が示すように、世界中の多くの国が日本と同じような問題に直面しました。財政バランスの悪化と対応の遅れも世界的な問題になっています。

それでは、何故、正しい公共政策を適切なタイミングで実行することは難しいのでしょうか。理由を整理すると、3つ挙げられます。

第1の難しさは、現状を放置した場合に、将来どのような状態になるかを予測することは決して容易ではないことです。バブルにしても人口動態の変化にしても、その意味を理解するには随分と時間がかかりました。専門家が認識しても、それだけでは十分ではありません。政策の遂行には最終的には国民の支持が不可欠です。それだけに、専門家が政策判断の材料を提供することは非常に重要であると言えます。

第2の難しさは、望ましい状態を実現するために必要な政策を設計すること自体が容易ではないことです。バブルを防ぐための金融政策や金融規制・監督のあり方については、専門家と呼ばれる人の間でも意見は分かれており、今でも論争が続いています。しかし、いくら難しい問題であっても、何らかの決定を行う必要があります。この面でも、専門家の役割は重要です。

第3の難しさは、たとえ正しい政策が分かっている場合でも、それを実行することには多くの政治的ないし社会的困難を伴うことです。バブル期における金融引き締めへの転換の遅れ、高齢化の進行する下での財政赤字の拡大は、そのことを端的に示しています。

しかし、逆に言うと、こうした難しさを認識すれば認識するほど、公共政策やこの政策を担う当局の専門家の重要性を意識させられます。いずれにせよ、誰かが政策の必要性を認識し、政策の中身を設計し、それを実行に移すために努力を始めなければなりません。政策の企画段階ではなく実行に移すという段階では、法律や予算の裏付けが必要なことも多く、政治の果たす役割が大きくなります。しかし、政治的プロセスを通じて適切な政策を形成するためにも、専門家としての公共政策当局の存在は不可欠です。どの政策分野でも、適切に政策を遂行するために様々な工夫がなされています。具体的な対応の仕方は、公共政策の各分野で異なっており、一般論を言うことはできません。以下では、公共政策を適切に運営する上で私が重要と考えていることを、日本銀行の金融政策に即して説明します。

3. 正しい金融政策運営に必要な幾つかの条件

マクロとミクロの情報収集の重要性

第1は、マクロとミクロの情報収集の重要性です。適切な政策遂行に当たっては、現状を正確かつ迅速に認識し、将来を適切に予測する作業が全ての出発点となります。図表7は1990年代初頭の成長率の見通しを示していますが、企業経営者も市場参加者も楽観的な予想をしていました。過去を振り返ると、そうした予測の失敗の例は少なくありません。予測の失敗を後知恵で批判することは容易ですが、リアルタイムで正確に予測することは難しいことです。予測に当たって、私が重要と思っていることは、マクロの経済データとミクロの現場情報の両方を活用する意識的な努力です。マクロの経済データの典型はGDP統計ですが、これが世界で最初に試験的な形で作成され始めたのは1930年代半ばのことです。そうした統計が利用可能でなければ、そもそも経済の状況を全体として認識すること自体も難しく、その意味で非常に重要なデータと言えます。しかし、それと同時に、経済統計は様々な約束事に従って作成されるものである以上、この統計にも多くの限界があることも意識する必要があります。例えば、GDP統計は発表までに最低2ヶ月以上のタイムラグがありますし、しばしば大幅に改定されています。

その意味では、マクロのデータを補完するミクロのデータが不可欠です。例えば、日本銀行では、本店だけでなく、全国の32の支店、12の事務所を通じて、地元の企業経営者の方々から景気情勢についてお話を伺うという活動を、長年にわたって続けてきています。日本銀行はまた、金融機関に対する日常的なモニタリングや考査と呼ばれる立ち入り調査を通じて、金融機関の預金や貸出、有価証券投資の活動がどのような状況にあるのかを詳細に把握しています。これらは、金融経済の「現場」でリアルタイムに何が起こっているかを知る有益な手掛かりです。しかし同時に、ミクロ情報を過信することも危険です。現実の世界は、ミクロ情報を足し合わせれば全体が判るというほど単純ではありません。個々の企業経営者の話は、当然のことながら、業種によって地域によって、景気の判断は異なります。為替相場変動の影響にしても、輸出企業と輸入企業で反応は全く異なります。また、世の中に伝わるミクロ情報には一定のバイアスもあります。例えば、経済全体の景気の悪い時には、業績好調の企業でも、景気の良い話は控えめにする傾向があり、その結果、表面的に聞こえる話だけで判断すると、判断を誤ります。要するに、マクロ情報とミクロ情報の両方を活用することが不可欠です。

理論モデルを適切に活用することの重要性

第2は、理論モデルを適切に活用することの重要性です。理論モデルと言うと、やや大袈裟に聞こえるかもしれませんが、「整合的な考え方の枠組み」とでも言うべきものです。そのことを、ここでは理論モデルという言葉で呼んでいます。インフレ、デフレ、バブル、金融危機、経済成長、いずれの問題をとっても、理論モデルが必要です。

それと同時に、理論モデルの限界も認識する必要があります。理論モデルは問題の本質に焦点を当てるために一定の単純化の前提を置いており、それ故に捨象している部分が多くあります。重要なことは直面する状況に応じて、理論モデルを適切に選択することです。政策当局者は、その点でセンスが問われます。理論家は常に様々な新しい理論、新しい見方を提供し、それに基づいて様々な政策提案を展開します。そうした政策提案には色々と教えられることも多いのですが、政策当局者はテストされていない特定の理論に賭けて壮大な実験を行うということは許されません。また、主流と見なされる理論自体も変化します。このことを具体的に示す例として、米国でサブプライム・ローン問題が起き始めた2007年春頃、米国の学界ないし政策当局者の間で支配的であった議論のひとつを紹介します(図表8)。その発言は以下の通りでした。「資産価格バブルの崩壊が金融システムの不安定性をもたらすことは殆どない。さらに、住宅価格バブルの崩壊が金融システムの不安定性をもたらすことは、もっと考えにくい。90年代に日本を含む多くの国で見られた金融システム不安は、住宅価格ではなく商業用不動産価格の崩壊が不良債権問題をもたらしたことによる。多くの人は日本の経験を読み違えている。問題はバブルの崩壊ではなく、その後の政策対応である」。その後の経験は、こうした予測が大きく間違っていたことを示しています。理論は大事ですが、特定の理論に拘り過ぎると、その枠組みを通してしか現実を捉えられなくなり、判断を誤るリスクも秘めています。政策当局者には、現在、我々が正しいと思っている理論モデルにしても、将来、変わりうるかもしれないという冷静さや謙虚さが求められます5。政策遂行に責任を有する当局者としては、既存の理論モデルから得られる判断やミクロ、マクロの情報に基づき、最善と判断する対策を講じていかねばなりません。中央銀行の政策当局者は、医学の世界における「臨床医」に近い存在であると感じています。

  • 5 このことは今回のグローバル金融危機の前後でニューケインジアン・エコノミックスに対する評価が大きく変化したことにも表れています。

歴史的洞察の重要性

第3に、申し上げたいことは歴史的洞察の重要性です。マクロ、ミクロのデータの収集、理論モデルの活用はいずれも重要ですが、こうした努力さえすれば適切な政策判断に到達できると考えるのは楽観的に過ぎます。バブル期には、いつも「今回は違う」(This time is different)という見方が登場します6。バブルの歴史を研究した人が語った言葉と記憶していますが、「バブルの歴史から引き出せる教訓は、人間はバブルの経験からは学ばないものだ」という皮肉な感想がありますが、正にその感を深くします。ただ一方で、人間は十分ではありませんが歴史の教訓から学ぶ賢明さも備えています。現在、先進国はもとより新興国でも中央銀行による国債引受けは認められていません。これは中央銀行による国債引受けによって通貨の増発に歯止めが効かなくなり、激しいインフレを招き、国民生活や経済活動に大きな打撃を与えたという歴史の教訓に基づくものです7。政策の遂行に当たっては、人間の行動の織りなす社会の動きについても認識する必要がありますが、この点で歴史的事例は実に貴重な洞察を提供しています。

  • 6 Reinhart, Carmen M., and Kenneth Rogoff. This Time is Different: Eight Centuries of Financial Folly. Princeton University Press. 2009. を参照。
  • 7 中央銀行による国債引受けの問題点や高橋財政期における日銀引受けについては、白川方明(2011)「通貨、国債、中央銀行—信認の相互依存性—」、日本金融学会2011年度春季大会における特別講演を参照。

実務執行の重要性

第4に申し上げたいことは実務執行の重要性です。政策は具体的な執行(implementation)を通じて実行に移されます。金融政策の実践としての公開市場操作は、中央銀行と金融機関の間の金融取引を通じて実現されます。例えば、一口に「金融市場への資金供給を行う」と言っても、実行に移していく過程では、誰に対して、どのような金利で、どのような期間、何を担保に資金を提供するのか、担保の掛け目はどうするのか、担保の価値はどのように評価するのか、といった制度の詳細を決めていかねばなりません(図表9)。また、実際の金融取引は、手作業ではなく、システムを通じて行われるため、取引を執行できるコンピュータ・プログラムを一つ一つ作り上げていくことも必要となります。さらに、日々の金融市場調節では、何兆円を金融市場に供給するのか、国債を買うのか貸付を行うのか、1日のどのタイミングで資金を供給するのかといった具体的取引を決定していかねばなりません。日本銀行は、市場参加者からの情報も踏まえながら、目標としている水準に金利を誘導していくにはどんな取引が効果的かを時々刻々と判断しています。

私は教科書における中央銀行の記述に若干の不満を持っていますが、不満のひとつは、中央銀行が銀行業務(banking)を行う組織であるという視点が希薄なことです。中央銀行が政策判断と銀行業務の両方を行うことには様々な意義があります。まず、銀行業務の裏付けがない限り、そもそも政策を実践できません。また、銀行業務に従事することによって得られる経済や金融の動きに関する情報は、他では得られない貴重なものです。これに加えて、そうした政策判断と銀行業務の両方を行うことから形成される組織の文化は、適切な政策遂行に繋がります。勿論、実務的な実現可能性を出発点として政策のあり方を検討するのは適切ではありませんが、実務的な検証を伴わない壮大な政策論は、意味をなしません。「本質は細部に宿る」という言葉が表す通りです。中央銀行に限らないと思いますが、政策に携わる専門家は、常にこうした実務家の視点を兼ね備えていなければならないというのが私の信念です。

4. 中央銀行という組織

以上、公共政策の一分野である金融政策を例に取りながら、公共政策の遂行に必要な幾つかの条件について説明しましたが、次に、日本銀行という組織自体に話題を移したいと思います。どのような立派な政策も、ひとりの力で実現できるものではありません。組織の存在が不可欠です。先程、既存の教科書における中央銀行の記述に不満を持っていると申し上げましたが、この点に関する私のもうひとつの不満は、中央銀行という組織や組織を構成する人の重要性に対する認識が薄いように見えることです。

中央銀行の独立性

中央銀行という組織に関して言うと、制度という点では、ひとつの重要な原理が確立しています。言うまでもなく、中央銀行の独立性という考え方です。各国とも中央銀行は政府から独立した組織であり、その点では公共政策を担う他の多くの組織とは異なり、ややユニークな位置を占めています。日本銀行について言えば、日本銀行法は「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」と規定しています(図表10)。何故、各国とも中央銀行に独立性が与えられているのでしょうか。中央銀行の最大の特質は、銀行券あるいは中央銀行当座預金という形で無利子の債務を無制限に発行できる力を持っていることです。仮に、皆さんが無期限、無利子の借金証文を出すことによっていくらでも買い物が出来ると言われたら、自ら汗水垂らして働くことによって所得を稼ぎ、その中から必要な物を買うという生活習慣はなくなってしまうでしょう。それと同様に、政府が輪転機を回しお札を幾らでも発行出来る仮想的な状況を考えると、税金を集めて支出をまかなうというインセンティブが低下してしまいます。その結果起きることは、インフレによる強制的な購買力の移転という形での税金、すなわち、激しいインフレです。現実の世界ではそこまで極端なことは起きませんが、政府が中央銀行に強い圧力を行使して必要以上に金融緩和を続けさせるということはしばしば起きました。その場合には、インフレやバブルが発生します。人類はそのような苦い歴史の教訓を踏まえて、政府から独立した中央銀行に金融政策運営を委ねるという選択をし、1990年代以降、わが国を含め、世界の多くの国で中央銀行の独立性が強化されました。

ただし、中央銀行の独立性は重要ですが、これだけで適切な金融政策の実現が保証される訳ではありません。独立した中央銀行が不適切な政策を行えば、経済の状況が悪化しますし、独善に陥って国民の理解が得られない政策を繰り返せば、結局は「この組織に安心して金融政策を委ねられない」ということになってしまいます。その意味で、法的な独立性の確保という制度論と並んで重要なことは、正しい政策を遂行する蓋然性の高い中央銀行をどのようにして作るかという組織運営の視点です。この点で私は特に以下のことの重要性を指摘したいと思います。

「組織の使命」に対する誠実さ

第1は、「組織の使命」に対する誠実さ(probity)です8。日本銀行にとっての使命、公共的利益は、日本銀行法に明確に規定されています。「物価の安定」と「金融システムの安定」です(前掲図表10)。もう少し、具体的に言うと、全国どこでも現金が円滑に流通し、預金による受払が安全確実に行われ、物価も安定している状態を実現していくことです。組織は使命を与えられることによって、その使命達成に責任が生まれますが、この責任の感覚が適切な政策遂行の重要な基盤となります。例えば、足許の物価情勢が安定していても、中長期的に見てインフレやバブルになると、結局、中央銀行は批判されます。従って、中央銀行で働く人は、当然のことながら、そうした事態を避けるために専門家として最大限の努力をしますし、そうしたインセンティブが自然に生まれます。専門的な知識を持つ当局者は、政策の中長期的な効果を十分に検証し真の公共的利益を追求していくこと、直面する課題を国民に分かりやすく説明し、理解を得る最大限の努力をすることが求められます。中央銀行が説明や行動において不誠実であると見られるようになると、それ以後、中央銀行の発する言葉は信用されなくなり、政策運営の有効性も低下します。その意味で、「組織の使命」に対する誠実さは、中央銀行が適切な政策運営を実現する上で非常に重要です。

  • 8 誠実さ(probity)の概念については、Williamson, Oliver. "Public and Private Bureaucracies: A Transaction Cost Economics Perspective," Journal of Law, Economics, and Organization, Vol. 15, No. 1, pp. 306-42. 1999. を参照。Oritani, Yoshiharu. "Public Governance of Central Banks: An Approach from New Institutional Economics," BIS Working Papers No 299. 2010. はこの考えを中央銀行に即して説明している。

組織文化

第2は、組織文化の重要性です。「組織の使命」に対する誠実さは、その使命を達成するために必要な特有な文化、カルチャーを生み出します。日本銀行にも特有な組織文化があります。そうした組織文化は日本銀行がその使命を追求しようとすると、自然に生まれてくる文化です。

日本銀行の組織文化のひとつの特徴は、公共的利益の実現に喜びや誇りを感じる文化です。物価の安定や金融システムの安定という公共的利益の実現について我々が感じる喜びや誇りをお話するために、ここでは今回の大震災後の経験をお話します。日本銀行は、1882年の創立以来、130年近くにわたる歴史の中で、関東大震災の時も、阪神・淡路大震災の時も、被災当日を含めて全ての店舗で営業を続けてきました。今回の東日本大震災でも、仙台・福島支店、盛岡事務所をはじめ、全ての拠点が通常通りの営業を続けており、被災地での現金供給や膨大な量の損傷通貨の引換え業務を行っています(図表11)。また、決済システムも大きな障害なく機能しています。現金が供給される、決済システムが大きな障害なく機能するということは、普段は「当たり前」のこととしてほとんど意識されません。しかし、こうした「当たり前」のことをいつも実現するためには、いざ事が起こってから頑張るだけではなく、普段から起こり得る危機を想定し、食糧や水の備蓄、非常用電源の確保は勿論、コンピュータ・システムが使えなくなった時の事務手順、通信が途絶えた時の金融機関との連絡の取り方、そして実践的な訓練など、有事に向けて備えておくべきことが多くあります9。経済や金融の安定という公共的使命の達成に喜びや誇りを感じる文化は、日本銀行の組織文化の大きな特徴です。

日本銀行の組織文化のもうひとつの特徴は、バンキング、すなわち、「銀行」としての業務と、「リサーチ」の両方を重視する文化です。業務については先程触れましたので、リサーチについて一言説明します。ここで言うリサーチとは単にマクロの理論的研究という意味ではなく、先程述べたようなマクロとミクロのデータ、理論や歴史の全てを動員して、現状を分析し先行きを見通すという活動のことを指しています。機械的な公式に基づいて適切な政策運営が出来るのであれば、こんなに楽なことはありません。経済や金融市場は常に変化していきます。知識は不完全である以上、変化に適切に対応するための最終的な担保は、学習(learning)を続けること以外にはないように思います。中央銀行は継続的に学習をしていく組織でなければなりません。

5. おわりに

本日は日本銀行や日本銀行の担う金融政策を例に取りながら、公共政策の果たす役割や公共政策を担う組織等についてお話しましたが、そろそろ本日の話を締め括りたいと思います。ここでもう一回、冒頭の日本の実質GDPの推移のグラフを見て下さい(前掲図表1)。皆さんを前にこのグラフを見ながら強く思うことは、現在大学の学部や大学院で学ばれている方が社会に出て活躍される次の四半世紀、あるいは更にその次の四半世紀はどのような時代になっているだろうかということです。四半世紀前に現在の姿を予測することが難しかったように、これから先の予測も難しいことです。しかし、次の3つのことははっきりしていると思います。

第1は、望ましいと考える社会や経済の姿を実現するためには、それを実現しようとする国民の意思が不可欠であるということです。その際、国民が適切な判断を行えるようにするためには、判断のための客観的な材料を専門家が分かりやすく示すことも不可欠です。

第2は、民間部門と公共政策を担う当局の両方の努力が不可欠であるということです。私の専門である経済の領域について言えば、日本経済は現在、大きな挑戦に晒されています10。急速な高齢化の進行と人口の減少、経済のグローバル化の進展です。震災後には、大震災からの復旧・復興という大きな課題も加わりました。経済活動を牽引するのは、いつの時代も民間部門の活力です。私の話のメイン・テーマではないので、本日あまり言及することはありませんでしたが、民間部門の創意工夫や競争メカニズムの重要性はいくら強調しても強調しすぎることはありません。そのことを申し上げた上で、競争が最大限の成果を挙げるためには、公共政策を担う当局の役割も重要です。民間部門の行動は個人や企業に作用するインセンティブ次第で良い方向にも悪い方向にも変わります。公共政策は、適切な制度の設計や政策の実行を通じて民間部門のインセンティブに影響します。

第3は、正しい公共政策を遂行するためには、パブリックなマインドを持った専門家、すなわち、公共的な使命の達成に情熱を傾ける専門家の集団が必要だということです。今回の講演にあたり当大学院の教育目的を改めて読んでみました11。そこには、短く考え抜かれた文章で5つの能力の涵養が謳われています。社会的変化を歴史的視野で考察する知的能力、公共的利益を判断する洞察力、公共的利益を実現するための制度を設計する能力、政策・制度を効果的に運用する実践能力、そして政策・制度を冷静に分析する評価能力です。この5つは、まさに公共政策を担う者に必要な能力です。

私としては、本席におられる方が公共政策という仕事に対し関心を少しでも持って頂ければ、そして、少しでも多くの方が公共政策の現場で働くことに情熱を感じて頂ければ、大変幸いです。長時間ご清聴ありがとうございました。