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【挨拶】わが国経済・物価動向と今後の金融政策

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神奈川県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 木内 登英
2013年2月28日

目次

1.はじめに

日本銀行政策委員会審議委員の木内です。本日は、神奈川県の行政ならびに経済・金融界を代表される方々との懇談の機会を賜り、誠に光栄に存じます。また、皆様には、日頃より日本銀行横浜支店の様々な業務運営にご協力をいただいております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。政策委員会は一般企業の取締役会に相当し、金融政策はもとより日本銀行の広範な業務全体の運営方針を決定し、執行を監督する最高意思決定機関です。総裁、副総裁2名と、審議委員6名の計9名の政策委員が全国各地を訪問して、行政や企業のトップの方々から、地域の経済情勢や日本銀行に対するご意見等を賜り、政策決定に反映させていただいております。昨年7月に審議委員の職を拝命しました私にとっては、今回がこの金融経済懇談会への初参加、デビューとなります。

さて日本銀行は、1月22日の金融政策決定会合で「2%の物価安定の目標」の導入を決めるとともに、「期限を定めない資産買入れ方式」を導入し、金融緩和を思い切って前進させました。本日はこの歴史的ともいえる政策決定の背景を意識しつつ、内外経済の現状と見通し、わが国の物価・賃金動向とその特徴、金融政策運営の現状と今後、の主に3点についてお話をさせていただきます。その後、皆様方から当地を含む金融経済情勢や日本銀行の政策運営に対するご意見などをお聞かせ頂ければと存じます。

2.海外経済の現状と見通し:緩やかながらも改善を展望

国際金融市場の緊張緩和

国際金融市場は、欧州債務問題、米国財政問題を中心に依然として予断を許さない状況にありますが、昨年秋ごろ以降は株式や新興国通貨などのリスク資産が買い戻され、他方で先進国の国債や安全通貨として買われていた円が売られるなど、緊張感が大きく後退した状態が続いています。その主な背景としては3点挙げられると思います。第1は、欧州で、ギリシャに対する追加支援が合意したことや、ポルトガル、スペインなど周縁諸国における、財政再建や経済構造改革に一定の進展がみられたほか、欧州安定メカニズムなど各種「安全弁」の整備が進み、その結果、「ユーロ崩壊」の可能性が大きく低下したこと、米国で、大型減税の失効と巨額の歳出削減が同時に発生する「財政の崖」が本年初に回避されたこと等、いわゆるテールリスク(発生する可能性は極めて低いが、発生すると甚大な被害を及ぼすリスク)が後退したことです。第2は、欧米だけでなく日本を含め先進国が揃って積極的な金融緩和を進めたことで、政策期待に基づく安心感が投資家の間で広がったことです。第3は、米国経済や中国経済が昨年秋以降、底固さを増しており、世界経済は先行き持ち直していくという期待が浮上し始めたことです。

海外経済は減速を徐々に脱する

海外経済は全体としては依然減速した状況が続いていますが、持ち直しに向けた動きもみられています。米国経済は、緩やかな回復基調を続けています。「財政の崖」への警戒から慎重化していた企業マインドが幾分改善し、設備投資にも持ち直しの兆しが見られます。また家計部門では、長期金利低下の効果等から、住宅投資と自動車購入の堅調が目立ってきました。先行きについては、減税措置失効の影響が薄れ、また政府の歳出削減や債務上限問題など財政政策に関する不透明感が後退する中、米国経済は本年後半には徐々に回復基調を強めていくことが見込まれます。

ユーロ圏経済は、依然緩やかな後退局面にあります。しかし、先行きについては、金融市場の動揺が沈静化してきたこと、財政緊縮傾向が続く中にあってもその度合いがやや緩和されてきていること、周縁国では労働コスト削減等の構造改革が進み、輸出競争力の回復に結びつき始めたこと等を背景に、本年後半には、ドイツやフランスなどのコア諸国を中心に後退局面を脱していくと見込まれます。

中国経済は、インフラ投資を軸とする政府の財政拡張策、及び金融緩和策の効果が表れ、昨年秋以降は持ち直し傾向が確認されています。本年1-3月期の実質GDP成長率は1年ぶりに8%台を回復することが期待されます。

こうした下、世界経済全体の先行きを鳥瞰すると、IMF(国際通貨基金)が1月に発表した世界経済見通しでは、2013年の世界の実質GDP成長率は+3.5%、2014年は+4.1%と、2012年の+3.2%から緩やかに加速することが見込まれています。IMFの予測が実現すれば、2013年、2014年の成長率は、新興国に牽引されて過去の長期平均を上回る高さです。

3.わが国経済の現状と見通し:海外経済の持ち直し

わが国経済は下げ止まりつつある

わが国の経済は、昨年後半に、海外経済の減速等を背景として、輸出、生産が大きく減少したほか、こうした動きが製造業の設備投資など内需にも波及し、弱めに推移する展開となりました。しかし、このところの動きをみると、輸出については減少ペースが緩やかになってきているほか、生産は下げ止まりつつあることなどから、日本銀行は、2月の金融政策決定会合で、国内景気の基調判断を「弱めに推移している」から「下げ止まりつつある」へと上方修正しました。

生産が下げ止まり傾向を示した主な背景として3点挙げられます。第1に、自動車生産を一時的に大きく押し下げたエコカー補助金制度終了の影響が剥落したこと、第2に、同じく自動車関連の輸出を中心に大きな打撃を与えた日中関係の影響が緩和に向かったこと、第3に米国や中国など海外経済に持ち直しに向けた動きもみられる中、輸出の減少ペースが緩やかになってきていることです。ただし、本格的な景気回復に向けた牽引役を担うことが期待される輸出については、下げ止まりに向かう傾向は窺われるものの、今後明確な回復につながるかどうかはなお見極めが必要な状況です。そのため、わが国経済が本格回復へ向かう道筋については、依然不確実性が残ります。

財政政策効果と円安・株高の効果

とはいえ、一時的な景気浮揚効果が重なることで、本年のわが国の成長率は、比較的順調に高まっていくと考えます。第1に、2013年4-6月期以降は、総事業費20兆円規模の2012年度補正予算執行の効果が、公共投資を中心に現れてくると見られます。第2に、新政権下での経済・財政政策への期待や、日本銀行の金融緩和強化への期待にも一部支えられた足もとでの為替や株価の動きについても、輸出と個人消費を中心に今後プラスの影響が徐々に顕在化することが期待されます。第3に、2014年4月の消費税率引き上げ前の駆け込み需要が、住宅や耐久消費財を中心に生じることが予想されます。

日本銀行が1月に発表した展望レポート・中間評価における政策委員の大勢見通しの中央値では、実質GDP成長率は2012年度の+1.0%から2013年度には+2.3%まで加速し、消費税率引き上げの影響が予想される2014年度についても+0.8%となることが見込まれています。また消費者物価上昇率見通しの中央値は、2012年度の−0.2%から2013年度には+0.4%、2014年度には消費税率引き上げによる直接的な影響を除いて+0.9%と、潜在成長率を上回る成長率が持続することによる需給ギャップ改善を背景に、徐々に上昇率が高まっていくことが見込まれています。この間、リスク要因としては、欧州債務問題の今後の展開や米国経済の回復力、新興国・資源国経済の持続的成長経路への円滑な移行の可能性、日中関係の影響などが注目され、これらを踏まえると日本経済を巡る不確実性は依然大きいと考えています。

4.経済見通しの下方リスク

海外経済の回復力は弱い

以上の経済・物価見通しのメインシナリオに対して、私自身は下振れリスクの方をやや大きめに考えています。

最大の懸念は海外経済の下振れです。海外経済は今後減速した状態を徐々に脱していくと予想しますが、その回復力の持続性については予断を許さないと見ています。米国では、短期的には、住宅投資と個人消費が持ち直しの牽引役を担うと思われますが、足もとでの長期金利の上昇傾向が今後急激に強まる場合には、先行き、資金調達面から住宅投資や自動車購入に悪影響を与えることが懸念されます。また、なお残る財政を巡る不透明感が、マインド面への影響を通じて米国経済を下押しするリスクにも注意が必要です。

ユーロ圏では、政治的・社会的な不安定さが財政再建や経済構造改革の進展を妨げたり、各国間の利害調整に時間を要し財政・銀行同盟などの統合深化に向けた動きが弱まること等を契機に金融市場が再び動揺するリスクは常に意識せざるを得ません。また、銀行の貸出態度に緩和の兆しが見られないことから、資金調達面での制約が後退局面から脱する動きを阻害する事態が長期化する可能性があります。

中国については、政府の政策姿勢が最も注目されます。リーマン・ショック後の積極財政策が設備過剰、不動産市場の過熱など多くの課題を残したことへの反省から、前政権はその後、景気減速下でも財政出動策を慎重に進め、現政権下でもそうした慎重な姿勢が維持されているようにみえます。それに加えて、インフレ率の上昇、前政権が抑制を図っていた主要都市での住宅価格の反転上昇、高いリターンを求めて個人資金が流入している信託などシャドーバンキングの急拡大、の3点を主に警戒し、政府が今後財政政策面での緩和姿勢を後退させる可能性も排除できません。金融政策面でも、中国人民銀行はインフレ抑制を最優先課題に掲げる意向を示しています。また1月には銀行貸出が拡大したことを受けて、当局が大手銀行に貸出抑制を指導したとの報道もされています。当局は、シャドーバンキングについても、リスク管理の強化を進める方針を示していますが、こうした動きによって、インフラ・不動産投資などが顕著に抑制されるリスクもあります。

主要国の需給ギャップは大幅なマイナス水準が続く

上記のような短期的な景気下振れリスクのほかに、中長期的にも、欧米や中国経済が過去の信用バブルの後遺症から脱するにはなお時間を要することが懸念されます。わが国が経験したことと同様に、企業は今後も慎重な雇用姿勢を続け、また高水準の失業率が続く中で家計の中長期の所得期待が低下し、その結果、雇用・所得の拡大を伴う、自律的な景気回復に繋がるには相応の時間を要する可能性が高いとみています。この観点から注目したいのは、先進国では、経済の需要と供給のバランスを示す需給ギャップが、リーマン・ショック以降、一様に大幅なマイナス水準を続けていることです。OECD(経済協力開発機構)によると、主要先進国の需給ギャップは2009年にGDP比−4.0%に達した後、2013年でもなお−3.3%とマイナス幅が3%を上回ると見込まれます。OECDによる昨年11月時点の需給ギャップ見通しによると、日本の水準は2013年で−2.1%ですが、米国とユーロ圏ではそれを大きく上回るマイナス水準が見込まれています。

高水準の需給ギャップのマイナスは、バランスシート調整等、信用バブルの後遺症から生産設備や労働者の余剰状態が長期化していることを意味します。これは企業の収益性を損ない、さらなる投資の抑制をもたらすと共に、家計の所得増加期待の低下から消費を抑制し、さらにインフレ率の低下傾向を助長する面があります。わが国の主要輸出先である主要国でのこうした状況を踏まえると、わが国の輸出環境には、多少長い目で見ても大きな不確実性が残ると言わざるを得ません。

貿易赤字拡大と金融市場の安定性

わが国経済の下方リスクについては、貿易赤字拡大傾向の継続と、その金融市場への影響にも十分に注意を払う必要があります。既にお話ししましたように、わが国の経済成長率は、当面の間は比較的順調に高まっていく見通しであるのに対して、海外景気の回復は力強さを欠く可能性が考えられます。また、素原料輸入は今後も高い水準になると予想されます。こうした状況は、貿易赤字の拡大方向に作用する可能性があります。貿易赤字拡大は為替市場の需給関係変化等を通じて円安圧力となり、景気浮揚や輸入物価の上昇などの面から長期金利上昇要因となるだけでなく、国内資金余剰の後退という側面からも長期金利を上昇させる等、金融市場を不安定にさせる可能性があるため、実体経済への影響を含め注意が必要です。

さらに財政政策運営への信認が揺らぐことを通じて、長期金利が上昇する可能性もあり、その上昇の程度によっては銀行システムの不安定性を過度に高めることも含め、国内経済に大きなマイナスの影響を与える可能性があります。わが国の長期金利は今のところ安定を維持しており、これは、財政に対する信認がしっかりと維持されている証左とみています。しかし、欧州債務危機等の経験に照らせば、市場のセンチメントは、なんらかのイベントを契機として、いきなり非線形に変化しうることを踏まえると、その変化等を、リスク要因として、しっかりとモニタリングし続けることが必要です。

5.わが国の物価・賃金動向とその特徴

さて、金融政策運営のお話しに移る前に、それと深く関わるわが国の物価・賃金動向に関し、長引くデフレの背景についての私自身の見方も交えて説明をさせていただきたいと思います。

わが国インフレ率の歴史的推移と他国との比較

1980年代以降の日本のインフレ率は、他の主要国と比べほぼ一貫して低位に推移してきました。OECDのデータによると、1985年から1995年の10年間で、G7諸国の消費者物価上昇率は年平均+3.3%でしたが、日本は+1.4%でした。他方、1996年から2011年の15年間では、G7諸国の平均値が+1.9%に対して日本が−0.1%でした。日本とG7諸国の平均値との差を計算すると、最初の10年が約1.9%、日本がデフレに陥った次の15年が約2.0%となり、ほとんど変わりません。この時期、日本以外の主要先進国でも、総じてインフレ率の低下傾向が続いていたことを示しています。

このことは、日本におけるデフレ現象が、こうした国際環境の下で生じていた可能性も示しているとみています。

特に、主要国では、リーマン・ショック以降、バランスシート調整等信用バブルの後遺症を背景に、高水準でのマイナスの需給ギャップ、すなわち、供給過剰状態が続いており、インフレ率に下方圧力がかかりやすい環境にあり、こうした動きも、わが国の物価動向に対して下向きの圧力となった可能性があると思われます。

日・米の物価上昇率格差はサービス部門が中心

さらにわが国と海外の物価動向を、品目別に比較、検討してみたいと思います。例として日米の物価動向を比べると、1997年から2011年までの平均で米国の消費者物価上昇率は+2.4%、日本は−0.2%で、両者の格差は2.6%です。格差をもたらしている最大の要因は、サービス(除く家賃)であり、2.6%のうち0.9%と約3分の1に達しています。さらに家賃を含めると約1.7%と、3分の2近くにも達します。サービス価格は一般に賃金の影響を強く受けることを踏まえると、この点に日本のデフレに陥りやすい構造と日本がデフレを克服するヒントが隠されているように思います。

潜在成長率と賃金・物価の関係

既に見たように、OECDのデータによると、リーマン・ショックの影響で需給ギャップのマイナス幅が世界的に大きく拡大した2009年以降では、日本の需給ギャップのマイナス幅は他の主要国と比較してとりわけ大きくはなく、需給ギャップの水準がインフレ率の水準を一義的に決めている訳ではないようです。日本のデフレ現象を考える際には、労働生産性上昇率、潜在成長率など供給側の要因により注意を払う必要があると考えます。

一人当たり潜在成長率と中長期の期待インフレ率との間には、わが国では比較的強い相関関係が見られます。この関係は、バブル崩壊以降、中長期の成長期待が低下する中で、日本企業が雇用ではなく賃金で調整する傾向が強く、労働者もまたそれを受け入れる傾向が強かった、という日本における慣行を反映している面があると考えられます。日本では主要国の中で例外的にデフレ傾向が長く続いていますが、他方で失業率は相対的にかなり低く、雇用環境の安定性が際立っています。この間、米国では、景気が悪化する中、雇用が減らされる一方で賃金・物価の下落はきわめて限定的となっています。このように、労働市場における調整の違いが、日米の間には観察されます。

こうした点を踏まえると、日本でデフレが終焉し、インフレ率がさらに高まっていくには、成長力強化の働きかけを通じて潜在成長率が引き上げられ、先行きの成長期待が高まっていくことが重要と考えられます。それが賃金上昇率の高まりから、サービス価格の上昇へと繋がっていくことが期待されるわけです。他方で成長力強化、生産性向上が実現しないままに賃金のみが上昇すると、企業収益が圧迫され、設備投資が抑制され順調な経済の発展が阻害される可能性があり、何れは雇用環境・所得環境の悪化となって跳ね返ってくることも懸念されます。他方、成長力が強化されない中で、賃金上昇率は変わらずにインフレ率だけが高まると、実質的な国民の生活水準が切り下がってしまいます。成長力強化を背景に、賃金と物価がバランス良く上昇していくことが、我々が目指すべきわが国経済の今後の姿と考えられます。

6.金融政策運営の現状と今後

1月金融政策決定会合での決定事項

1月の金融政策決定会合では、金融緩和を思い切って前進させるため2つの措置の導入を決めました。第1は「2%の物価安定の目標」、第2は「期限を定めない資産買入れ方式」です。これに加えて、第3の重要な決定事項として、政府との政策連携の強化が挙げられます。政府との間では、「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」という共同声明を決定し、発表しました。

従来は「消費者物価上昇率で2%以下のプラスの領域で、当面は1%」を「物価安定の目途」としてきました。これを「2%の物価安定の目標」と改めたのは、「物価安定の目標」という表現を用いても、後で詳しく述べるとおり、一定の物価上昇率と関連づけて機械的に金融政策を運営することを指すのではないという理解が広がってきたと考えられること、および、政府が競争力と成長力の強化に努めるなど幅広い主体の取り組みが進展することで、企業・家計が経済活動の前提とする物価観が今後高まると考えたためです。先行きの成長力強化について不確実性はありますが、日本銀行がこうした相当に意欲的な目標を掲げることで、各主体の自主的な取り組みを後押しする、という副次的効果にも期待しています。この意味で「2%の物価安定の目標」は、日本経済再生に向けた、国民全体の一種のスローガンにもなり得ると考えています。

さらにこの「2%の物価安定の目標」実現に向けた日本銀行の強い姿勢を明確に示し、その結果として政策効果も高めるとの考えから、期限を定めない、いわゆるオープンエンド型の資産買入れ方式の導入を決めました。もともと、将来の残高の水準を約束する現行方式での資産買入れにより、昨年末の65兆円から本年末には101兆円まで基金残高を積み上げることにしています。来年初以降は、当分の間、期限を定めず、毎月、長期国債2兆円程度を含む13兆円程度の資産買入れを行ないます。

物価安定の目標とその位置づけ

ここで物価目標制度について、海外の事例も含めてやや詳しくお話ししたいと思います。日本銀行法第二条では、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と謳われています。「物価の安定」を図ることは、国民経済の健全な発展の前提条件であり、国民の厚生に深く関わるこの「国民経済の健全な発展」こそが、金融政策の最終的な目標なのだと思います。こうした考え方に基づくと、物価安定の目標の実現に向けた政策運営は、中長期的な経済の安定及び発展に資するという観点を最も重視し、金融システムの安定を点検しながら慎重に進めることが何より重要です。物価上昇率を目標値に機械的に誘導するような政策運営には、中長期的な経済の安定を逆に損ねてしまうリスクが伴うことには注意が必要です。

柔軟性の高い物価目標制度(flexible inflation targeting system

主要国中央銀行による物価目標の導入は、1988年のニュージーランドが最初で、その後、カナダ、英国などにも広まりました。ニュージーランドでは、導入当初こそ厳格な運営がされていましたが、それが経済の不安定化を招いたとの認識が広まり、日米欧主要国においては、物価目標の導入が見送られてきたのは、ご存知のとおりです。その後、物価目標導入国においては、柔軟性を高める方向で見直しが進められました。目標達成時期については明示していない国が多く、達成期間を「一般に18〜24か月」と明示しているカナダ中銀でさえも、経済・物価の情勢に応じて達成期間が変動しうることを許容するなど、柔軟性に十分な配慮がなされています。この結果、現在、主要国の中央銀行は、経済・物価の現状と見通しや、金融面での不均衡蓄積を含めた様々なリスクも点検しながら、物価安定のもとでの持続的な経済成長の実現を目指して政策運営を行っています。こうした枠組みは、柔軟性の高い物価目標制度(flexible inflation targeting system)と言えます。日本銀行が今回導入した物価安定の目標も同様の考え方に基づくものです。日本銀行では、この2%の物価安定の目標を「できるだけ早期に」実現することを目指すと明らかにしています。これについては、既に申し上げたように、物価目標の実現に際しては、中長期的な経済の安定確保を図る観点から、金融面での不均衡蓄積などリスク要因を慎重に点検しながら、柔軟性を持って政策を進めていくことが重要であり、その下で「できるだけ早期に」実現を目指すという趣旨です。

ところで、他の主要国での物価目標の導入は、インフレ率の抑制を意図し、また政策の透明性確保を通じて政治からの独立性強化を意図して導入されてきた経緯がありますが、日本銀行が今回導入した物価安定の目標は、デフレ状態からの脱却を図るという局面において導入したという点で、諸外国が導入した物価目標と異なっており、前例のない試みと言えるのではないかと思います。

1月決定会合での議決について

以上、1月の金融政策決定会合での決定について説明させていただきましたが、同会合では、私自身は2%の物価安定の目標導入に反対しました。主な反対理由は、既に2月19日公表の政策委員会金融政策決定会合議事要旨で明らかにされています。重複しますが、同議事要旨に示されている3点について、簡単に説明させていただきます。第1に、日本銀行が目指す「持続可能な物価の安定」の水準は国民の物価観に大きく左右されると考えていますが、消費者物価の前年比上昇率2%は、過去20年の間に実現したことが殆どなく、そうした実績に基づく現在の国民の物価観を踏まえると、2%は現時点における「『持続可能な物価の安定』と整合的と判断される物価上昇率」を大きく上回ると考えられること、第2に、このため、現状、中央銀行が2%という物価上昇率を目標として掲げるだけでは、期待形成に働きかける力もさほど強まらない可能性が高いこと、第3に、2%の目標実現には、成長力強化に向けた幅広い主体の取り組みが進む必要があるが、現に取り組みが進み、その効果が確認できる前の段階で2%の目標値を掲げた場合、その実現にかかる不確実性の高さから、金融政策の信認を毀損する恐れがあると考えられることです。これらの点から、現状では当面1%の物価上昇率の目標実現に全力を尽くす姿勢を掲げる方が政策効果をより高め、妥当であると私は判断しました。

一方、2月の金融政策決定会合では、「日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%としている」という文言が含まれた対外公表文に賛成しました。2%の物価安定の目標の実現は、容易なことではないとの考えに変わりはありません。また、国民の物価観は足もとで大きな変化はみられません。しかし、政府、民間などの多様な主体がデフレ克服に向けたそれぞれの役割をしっかりと果たすという認識の下、2%の物価安定の目標導入後の金融市場動向には日本銀行による金融政策や政府による各種の政策への期待が反映されていると思われることや、2%の物価安定の目標という日本銀行の決定に対する信認をさらに強めることがデフレ脱却に向けて重要であると考えました。金融政策の効果や波及を見極めながら、日本銀行の政策意図について丁寧に情報を発信していくことや、必要に応じて追加的な緩和措置を果断に講じることを検討することも含め、この目標の実現に向けた政策運営に責任を持って取り組んでいく所存です。

2%の物価安定の目標実現に向けた日本銀行の政策姿勢

私自身としては、2%の物価安定目標実現のために、期限を定めない資産買入れ方式の導入を決めたことは、今後も市場オペレーションを通じた資産の買入れを緩和強化策の中核に据えることを意味すると考えています。このことは、さらに言えば、包括緩和策が本来目指している市場価格への影響を通じた政策効果の発現——すなわち、長めの金利やリスク・プレミアムの縮小を促し、企業や家計が低コストで資金調達をし易くする金融環境を確保すること——に、より配慮するという考え方に基づくものです。

2%の物価安定の目標の実現可能性について、今のところ、市場では様々な見方があるようです。目標実現に向けた日本銀行の姿勢に対して市場が疑問を抱くと、政策効果が減じられてしまう可能性があるため、そうした事態を回避し、目標実現に向けた日本銀行の強い姿勢をアピールし続ける観点からも、持続可能なスキームの下で、所期の政策効果の発現を狙い、資産買入等の基金の着実な買入れを行っていくことが重要です。これとの関連で、3つの点、すなわち、資産買入等の基金の着実な積み上げ、政府との連携強化と財政健全性維持、政策趣旨浸透のための対外発信について、それぞれご説明します。

資産買入等の基金の運営等に関する論点

第1にまず、固定金利オペで応札額が未達となる「札割れ」と呼ばれる状態が、年明け以降頻発していることを踏まえた、補完当座預金制度にかかる付利、すなわち日本銀行当座預金への付利に関する論点です。一般的には、金融緩和の程度が強まるほど、金融機関の資金需要が充足され、日本銀行による資金供給に対するニーズが低下しますので、市場参加者は市場オペレーションに応札する意欲が低下することが考えられます。また、市場オペレーションは、市場参加者の資金需給の状態だけでなく、様々な市場の事象や思惑にも影響を受けます。こうした中で、資産買入れ実施といわば一体で変化する当座預金残高について、金融機関が同預金を保有する誘因に影響する付利金利の引下げや撤廃の議論に関しては、資産買入等の基金による資産買入れの持続可能性を意識しつつ、コストとベネフィットを勘案した慎重な検討が必要と感じます。

第2に、資産買入等の基金で買入れ対象となる長期国債の残存期間は、現在、1年から3年としています。これは、企業による平均的な借入期間が3年程度であることを踏まえたものです。これに対して、金融市場参加者等の中には、より長めの金利に働きかけ、政策効果を高めることを重視する立場や、資産買入等の基金を通じた資産の買入れを円滑に実施し、その持続性を確保する立場などから、買入れ対象となる国債の残存期間を伸長してはどうかとの意見もしばしば聞かれます。

第3に、CP、社債、ETF、REITといったリスク性資産の買入れについては、日本銀行のバランスシートが毀損されるという潜在的なコストにも留意しながら、市場のリスク・プレミアムに働きかけるという趣旨から実施しています。これに対して、金融市場参加者等の中には、リスク性資産も買入額を拡大してはどうかとの主張もあります。

この点、買入対象国債の残存期間の伸長も、リスク性資産の買入拡大も、いずれも、2%の物価目標の実現という政策目的に照らし、既に申し上げたように資産買入等の基金を通じた資産買入れの持続可能性と所期の政策効果の2点を十分に踏まえつつ、やはりコストとベネフィットを慎重に見極めながら検討することが重要と考えます。

政府との連携強化と財政健全性維持の重要性

共同声明では、日本銀行は物価安定の目標を2%とし、その下で、金融緩和を推進し、できるだけ早期に実現することを目指すとする一方、政府は、日本経済の競争力と成長力強化に向けた取り組みを具体化し、これを強力に推進するとともに、持続可能な財政構造を確立するための取り組みを着実に推進すると表明しています。

日本銀行が2%の物価安定の目標に向けて強力な金融緩和を推進する上で、財政運営に対する市場の信認がしっかりと繋ぎとめられていることが重要です。これに関連して、共同声明で謳う政策連携が、中央銀行が財政赤字を補てんする「財政ファイナンス」を指すものではないことは改めて言うまでもありません。多くの国で中央銀行の独立性が法律でしっかりと担保されているのは、戦中時等に中央銀行が政府発行の国債を直接引き受けたことが、将来世代へのつけとなる政府債務の大幅拡大を許し、またインフレの加速、金融市場及び金融システムの動揺を招いて、国民生活を著しく悪化させたという苦い経験に基づくものです。日本では第2次世界大戦直後の急速なインフレ、それへの対応策としての新円切替え、預金封鎖等の出来事を直接記憶している人は次第に少なくなってきていますが、このような歴史の貴重な教訓を基に、警鐘を鳴らし続けることが、中央銀行の重要な役割の一つだと考えています。

「財政ファイナンス」が「禁じ手」であるだけでなく、日本銀行が行っていることは「財政ファイナンス」なのではないかとの疑念が金融市場に浮上することさえも厳に避けねばなりません。仮にそのような事態となれば、財政政策への信認が大きく揺らいで財政危機が生じ、それは金融危機を伴う形で経済活動に甚大な打撃を与える可能性が生じます。その場合、国民生活の質は今よりも格段に悪化してしまうことを認識しておかなければなりません。

この間、政府は、共同声明の中で財政規律を重視する姿勢を明確にしただけでなく、2015年度までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字の対GDP比を2010年度の水準から半減、2020年度までに黒字化させるという財政健全化目標を閣議決定しました。こうしたことも、「財政ファイナンス」に対する懸念が金融市場に高まるリスクを、抑制することに繋がっていると思われます。2012年度補正予算と中期的な財政健全化策との整合性、財政健全化への道筋などに関する政府による情報発信により、そうした政府の姿勢が金融市場にさらに一段と浸透することを通じて、「財政ファイナンス」懸念を高めることなく日本銀行が国債買入れを前進させる余地が広がり、それが2%の物価安定の目標の実現を助けることにもなると思います。

政策趣旨浸透のための対外発信の重要性

日本銀行と政府との政策連携強化のためには、金融政策運営に関する日本銀行の考え方や具体的な取り組みについて、国民にもより深く理解してもらうことが重要であり、日本銀行としてはそのために最大限努力することが重要だと考えています。私としては、物価の安定を図ることを通じて「国民経済の健全な発展」に資することが金融政策運営上の理念として重要であること、金融政策が物価に与える効果については、需要に働きかけ需給ギャップの改善を促す経路を引き続き重視していること、その上で、期待を下支えするという経路も重要であると考えられること、中長期のインフレ率のトレンドは、生産性上昇率、潜在成長率といった供給側の要因、いわば成長力によって決まる部分が大きいと考えていること等について、国民の間で理解がさらに深まるように、丁寧な情報発信に心掛けたいと思います。

金融政策決定における審議委員の位置づけ

最後に、金融政策を、一人でなく合議で決める中央銀行の委員会制度について、若干お話しをさせていただきたいと思います。冒頭にも申し上げたとおり、日本銀行法は、総裁、2名の副総裁、6名の審議委員の計9名で構成される政策委員会を置き、ここで金融政策に関する決定を行う旨定めています。現在この委員会制度は、日本銀行だけでなく他の主要な中央銀行で採用されています。元FRB(米連邦準備制度理事会)副議長のアラン・ブラインダー氏がその著書「中央銀行の静かなる革命(The Quiet Revolution)」で、一定の前提をおいた上で、政策委員会によって集団で意思決定が行われることを肯定的に捉える立場から、委員会制度が広まった背景として、中央銀行が政府からの独立性を高めるという世界的な潮流と、委員会制度を先駆的に導入していた米国、ドイツでの成功が広く認知されていったことの2点を挙げています。また同著書の中では、複数の委員会メンバーによる意思決定では、単独の個人による意思決定の場合に伴いうる様々なリスクを分散することにより、より良い意思決定ができうると述べられています。

日本銀行の政策委員は、議決に際しては各自が等しく1票を持ち、各々独立に判断をします。1月の金融政策決定会合のように全会一致でないことが生じることは、各政策委員の自主性が尊重されている証左とも言えるでしょう。このことは、各委員の選任は両議院の同意を得て内閣に任命(国会同意人事)され、5年間の任期中は、心身の故障のために職務執行が困難になるなど、特別な事由を除けば、本人の意思に反して解任されることがないという日本銀行法上の規定にも表れています。

他方で、選挙で選ばれていない政策委員が、国民生活に大きな影響を与える金融政策決定という大きな権限を与えられていることの重みを十分に認識したうえで、私たちは日々の職務に取り組んでいます。このため金融政策運営の透明性を高めること、すなわち国会や国民に対して日本銀行の金融政策運営の考え方を丁寧に説明する情報発信が、国民からの信頼を高め、維持する上で非常に重要と考えています。また金融政策運営に関する政府や国民の意見に謙虚に耳を傾け、政策に活かすようにも努めています。本日の懇談もその一環と考えています。

7.終わりに

神奈川県内の景気については、エコカー補助金終了後の自動車の販売減少が底を打ったほか、東南アジア向けに輸送用機械の輸出が増えてきていることから、下げ止まりつつあると聞いております。今後、海外経済の成長率が高まるにつれて、輸出が増加することで持ち直していくことが期待されるところです。

神奈川県内の学術・開発研究機関従業者数は、全国都道府県中最多で、イノベーションの活発な地域であると理解しております。そうした土壌を活かす形で、特区制度なども活用しながらの産業育成に取り組まれているとも聞いております。当地発の技術、企業が、広く国内の成長産業を牽引するものとなることを期待するものです。

また2014年度に、さがみ縦貫道路の開通が予定されており、物流面での改善が期待されるところです。この他県内には、鎌倉、箱根、横浜など、多くの観光地がありますが、それぞれの地域が魅力をさらに高めるべく、様々な取り組みを行っていると聞いております。首都圏にある優位性をさらに活かしていけるものと思っているところです。

多くの方々のご努力により、この地域の経済的発展がより確かなものとなりますことを願いまして、挨拶といたします。

ご清聴どうも有り難うございました。