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【発言要旨】デフレ脱却に向けた「量的・質的金融緩和」の推進

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国際通貨研究所主催国際金融シンポジウムにおける冒頭発言の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年3月19日

目次

はじめに

本日は、国際通貨研究所主催の国際金融シンポジウムに、パネリストとしてお招きいただき、誠に光栄に存じます。

このシンポジウムのテーマには、「世界経済の成長のための政策と課題」という重要な論点が掲げられています。この点、世界経済の現状をみると、リーマン・ショック後の金融危機を漸く克服し、最近では全体として回復に向かっていますが、そのペースはなお緩やかなものにとどまっており、欧州など先進国経済でデフレに陥るリスクも指摘されています。もっとも、私は、そうなるリスクが大きいとは思っていません。中長期的な予想インフレ率が各国中央銀行の目指す水準でアンカーされているからです。この「予想インフレ率」は、この後私がお話する日本のデフレの経験と、脱却に向けたチャレンジの面でもキーワードになります。

長きにわたるデフレとの戦い

1990年代後半以降の日本経済を振り返ると、不良債権問題、アジア通貨危機、リーマン・ショック、東日本大震災など、強い下押し圧力に次々と見舞われました。同時に、新興国からの安値輸入品の流入、規制緩和に伴う競争激化を受けた企業の低価格戦略といった、物価に対する直接的な下押し要因も数多く存在しました。これに対し、日本銀行は、ゼロ金利政策、量的緩和政策、フォワードガイダンスなど、世界に先駆けて様々な非伝統的金融政策を実施してきました。こうした実体経済を刺激する政策によって、景気が回復に向かう局面は何度かみられました。しかし、物価の下落傾向に歯止めをかけることはできませんでした。むしろ、長期にわたってデフレが続く中で、人々の予想インフレ率は低下し、「物価は上がらない」という感覚、「デフレ期待」が定着してしまいました。

「デフレ期待」が定着した世界では、現金や預金を保有することが相対的に有利な投資戦略となり、設備や研究開発に投資して新たな挑戦を行う意欲が削がれます。この結果、日本経済の活力は奪われ、これがデフレからの脱却を一段と難しくするという悪循環が発生しました。デフレは、それが長く続くことにより、克服するのが一層難しい課題となっていったのです。

こうした状況から抜け出るためには、人々の「物価は上がらない」という感覚を、早期かつ抜本的に転換する政策が必要となります。そのための処方箋として昨年4月に導入したのが、「量的・質的金融緩和」です。この政策は、人々の期待に直接働きかけて「デフレ期待」を払拭すること、すなわち、人々の予想インフレ率を引き上げることを政策効果の中心に据えたという点で、日本銀行のこれまでの金融緩和策や、海外の主要中央銀行で実施されている金融緩和策と異なります。

「量的・質的金融緩和」

「量的・質的金融緩和」は、2つの要素から構成されています。第1に、企業や家計に定着した「デフレ期待」を払拭するため、必ずデフレから脱却するという日本銀行の意志を、強く明確なコミットメントで示すことです。そこで、「消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」と明確に表明し、目標達成までの期限をはっきり区切りました。第2に、長期間にわたってデフレが継続してきたことを考えると、どんなに強いコミットメントを示しても、それを裏打ちするものがなければ、人々に日本銀行の強い意志を信じてもらうことはできません。そこで、マネタリーベースを2年間で2倍に拡大することとし、これを実現するため、残存期間の長いものを含めて巨額の国債買入れを行うことを決定しました。これまでのところ、日本銀行は、この決定通りにマネタリーベースの供給を進めており、2月の前年比プラス幅は約55%になっています。また、本年末には、マネタリーベースは名目GDPの約56%に達する見込みです。これは、現在の米国FRB(22%)や英国イングランド銀行(22%)を遥かに凌駕する規模であり、歴史的にも例のない金融緩和です。

この「量的・質的金融緩和」の波及メカニズムの鍵となるのは、実質金利の引き下げです。明確なコミットメントとそれを裏打ちする大規模な金融緩和によって予想インフレ率を引き上げる一方で、巨額の国債買入れによって名目金利を抑制することにより、実質金利を低下させ、経済を強力に刺激する効果が生じます。また、こうした刺激の結果として実体経済が改善すれば、現実の物価上昇率が高まり、それがさらなる予想インフレ率の高まりにつながるという、好循環も期待できます。

それでは、実際に、このメカニズムは働いているのでしょうか。これまでのところ、「量的・質的金融緩和」は、狙いどおりの効果を着実に発揮しています。すなわち、予想インフレ率については、様々な経済主体に対するアンケート調査やブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)などをみると、全体として上昇しています。また、名目金利についても、先進国の長期金利が景況感の改善などに伴って上昇しているのとは対照的に、わが国の長期金利は0.6%前後という極めて低い水準で安定的に推移しています。

こうした金融環境のもとで、生産・所得・支出という前向きの循環メカニズムを伴いながら、日本経済は緩やかな回復を続けています。物価面でも、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比をみると、この政策の導入時にはマイナスでしたが、直近のデータでは1%台前半のプラスまで改善しています。「量的・質的金融緩和」の導入から1年が経過し、「2年程度」と区切った期限の中間地点まで来ましたが、これまでのところ、わが国経済は2%の「物価安定の目標」の実現に向けた道筋を順調に辿っており、我々はこの政策に確かな手応えを感じています。

なお、日本では、今後2回の消費税率の引き上げが予定されています。前回税率が引き上げられた1997年に景気後退に陥ったことから、その再現を懸念する声も聞かれます。もっとも、当時の経済情勢をみると、引き上げ直後に成長率が一旦大きく低下したものの、その後は回復の兆しをみせていました。むしろ、その矢先に発生した、日本の大手金融機関の相次ぐ破たんやアジア通貨危機の影響が大きかったと思います。これに対し、現状、日本の金融システムは安定性を維持しているほか、新興国も負のショックへの耐性を高めているなど、当時とは環境が異なります。これらも踏まえ、日本銀行は、2回の税率引き上げを前提としても、前向きの循環メカニズムは途切れず、基調として潜在成長率を上回る成長が続くとみています。

「2%」実現に向けた今後の課題

最後に、今後の課題として、2%の物価上昇が安定的に持続する状態における価格や賃金の設定について、一言お話したいと思います。日本銀行は、2%の目標を安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続することを約束しています。すなわち、実際の物価上昇率が平均的に2%程度で変動し、「物価がだいたい2%くらい上がる」ことを前提に企業や家計が行動するような経済・社会を目指しているのです。米欧では、人々の中長期的な予想インフレ率が2%程度でアンカーされており、これが価格や賃金の設定方式にしっかりと織り込まれていますが、日本でもこれを実現しようということです。この点、来年度の賃金改定では前向きな動きがみられましたが、今後、物価上昇を前提とした賃金決定の仕組みがどのように作り上げられていくかに注目しています。

おわりに

本日お話した「量的・質的金融緩和」は、予想インフレ率を政策的に引き上げるという大きなチャレンジです。これまでのところ、この政策が所期の効果を発揮するもとで、日本経済は2%の「物価安定の目標」実現に向けて順調に歩みを進めています。もちろん、まだ道半ばであり、今後も日本銀行は、15年近く続いてきたデフレからの脱却をできるだけ早く実現するよう、「量的・質的金融緩和」を着実に推進していきます。また、その際には、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、「物価安定の目標」を実現するために必要であれば、調整を行っていく方針です。

ご清聴ありがとうございました。