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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策山梨県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2019年3月6日

はじめに

おはようございます。日本銀行の原田です。

本日はお忙しい中、山梨県を代表する皆様にお集まり頂き、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様の前でお話しできるのを大変光栄に思います。また、皆様には、日頃から私どもの甲府支店をはじめ、日本銀行各部署の業務運営に多大なご協力を頂いており、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

日本銀行は2%のインフレ目標達成を目指して2013年4月から量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入、その強化を図って参りました。本日は、まず、物価以外の成果を説明し、最後に、最近の経済と物価情勢についてお話しさせていただきます。

1.金融緩和政策の成果

雇用の改善

金融政策の成果としてまず挙げられるべきものは雇用の改善です1。図1は、正規と非正規に分けた雇用です。図に見ますように、QQEを始めた当初は、増えたのは主として非正規の雇用でした。ところが、2015年初頃から正規の雇用も拡大するようになりました。それまで上昇していた非正規の職員・従業員の割合(非正規雇用者÷役員を除く全雇用者)も頭打ちになっています。

  1. 金融緩和の効果として生産性を上げる効果があるが、それについては「わが国の経済・物価情勢と金融政策-石川県金融経済懇談会における挨拶要旨-」(日本銀行、2018年7月4日)を参照。

女性と高齢者の雇用改善

図2で、雇用のうち、女性と高齢者(65歳以上)を見ると何れも拡大しています。女性の社会進出が進んでいますが、そうはいっても、ほとんどはパートで、社会のトップに立つ女性は少ないではないかという批判があるのは承知しています。男女平等の度合いを示す世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(2018年)によると、日本は149か国中110位にすぎません。しかし、何事も一遍には進まないものです。図2でも女性の正規雇用が拡大しています。女性の非正規の割合はQQEの開始とともに上昇から横這いとなっています。仕事の経験を積むとともに管理職になる女性も増大していくはずです。実際に、管理職に占める女性の比率は傾向的に上昇しています2

また、同じ図2に見るように、高齢者の雇用も伸びています。ただし、高齢者の場合は、非正規の割合が上昇しています。これは定年退職後、嘱託や非常勤として雇われる高齢者が多いからだと思われます。日本は高齢化が進んでいる訳ですから、このことは、雇用全体として非正規の割合が低下することが難しいということを意味します。しかし、15-64歳までの雇用者を見れば、2014年頃から、非正規の割合が低下しています。

高齢者が正規の職を得ることは難しいですが、より多くの高齢者が働く機会を得ているのは事実です。2017年9月には、政府の「人生100年時代構想会議」が発足し、2018年6月には「人づくり革命 基本構想」という報告書が公表され、高齢者雇用の促進を訴えています3

ただし、人生100年時代という言葉が喧伝されるようになったことは、人々に改めて長生きのリスクを認識させ、後に説明する貯蓄率の上昇=消費率の低下を招くことになったかもしれません。

  1. 2厚生労働省「平成29年度雇用均等基本調査」(2018年7月30日)の4(2)管理職に占める女性の割合、を参照。
  2. 32019年1月のG20シンポジウム「より良い未来のために:人口動態変動とマクロ経済面での挑戦」でも、報告者13人のうち7人が高齢化を乗り切るために高齢者が働くことの重要性を強調していた。

自殺者数も減少

雇用情勢が悪く、仕事に就けないと、自分が社会に必要とされていないのではないかというストレスをもたらします。また実際、失業者の増加とともに自殺者が増えるという研究があります4。であれば、失業率が低下すれば、自殺者も減少するはずです。図3は自殺者数と失業率を示したものですが、失業率が上がると自殺者が増加し、下がると減少するという関係があります。自殺の原因は経済的問題ばかりではないと思いますが、それでも景気好転、失業率の低下によって自殺者数は2012年と比べて7千人以上減少しています。

  1. 4澤田康幸・上田路子・松林哲也『自殺のない社会へ』有斐閣、2013年、参照。

出生率も微増

私は、出生率の改善もあったと思います。図4は20-39歳人口の失業率、婚姻率、出生率を示したものです。婚姻率と出生率が相関していることは良く知られた事実です。図でみても概ね同じような動きをしています。

出生率(20-39歳人口千対。以下、出生率)を見ると、従来はトレンドとして低下していましたが、2005年から現在までで、失業率の低下とともに出生率が上昇しています。

これを出生数(全人口ベース。以下、出生数)で見たのが、図の棒グラフです。同じ出生率でも当該世代の人数が多ければ出生数は増加します。1947-49年生まれの団塊世代の子供(団塊ジュニア)の世代が1995-2000年、あるいは婚姻年齢の上昇を考慮して2000-2005年に婚姻年齢に達しますので、このころに出生率の反転があれば、出生数が増加したはずです。ところが、出生数の増加はありませんでした。これは、1995年頃から2005年頃までと2008年のリーマンショック後の数年間の、いわゆる就職氷河期によって若者が安定的な職に就けず、結婚することや子供を持つことをためらったからです5,6。すなわち、QQEをもっと早く導入していれば、団塊ジュニアの世代が就職氷河期にぶつかるということがなく、1995年頃から出生数の増大が見られたのではないかと思います。

  1. 5就職氷河期については、玄田有史(主査)ほか「就職氷河期世代の経済・社会への影響と対策に関する研究委員会報告書」(連合総合生活開発研究所、2016年11月)を参照。
  2. 6前日本銀行総裁の白川方明氏も、最近の著書『中央銀行』(東洋経済新報社、2018年)で、「日本の多くの大企業は・・・金融危機による大きな需要ショックに対し、新卒採用の削減や非正規雇用の増加でまず対応した。いわゆる「就職氷河期」であり、若年層が雇用調整のあおりを受けた。この時期に就職期を迎えた大学卒業生は、いわゆる第二次ベビーブーム世代であるが、若い時に十分なスキルを蓄積することが難しかったため、所得水準の低下による非婚率の上昇と、その結果としての出生数の減少など、社会的な問題へと広がり、後々まで影響を及ぼすことになった」(112頁)と述べている。

財政も改善

雇用が良くなるということは所得が増えるということです。企業は利益が上がるから人を雇う訳で、雇用が拡大する時は、利潤も賃金も増加します。利潤と賃金、つまり日本全体の所得が増加すれば政府の税収も増えます。図5は一般政府の財政収支(対GDP比)と政府債務(対GDP比)を示したものです。日本の財政状況は悪いのですが、2017年度にはマイナス2.7%にまで低下しています。2012年度のマイナス8.3%から比べると5.5%ポイントも改善しています。景気が良くて税収が増えていたからです。消費税を5%から8%に引き上げたことによる税収増は約8兆円(対GDP比1.5%)と言われていますので、残りの4.0%ポイントは海外経済の好転の影響などもあるでしょうが、QQEにより景気が良くなったからです。また、政府債務の対GDP比も2015年度に239%とピークを付けた後、わずかですが低下しています。

個人の所得格差も縮小

さらに、所得格差も縮小しています。総務省統計局の調査によると、等価可処分所得で見た所得格差は縮小しています7,8。図6は相対的貧困率の推移を見たものです9。図に見るように、相対的貧困率は、全体で見ても、子供で見ても、一人親世帯で見ても低下しています。一人親世帯のほとんどはシングルマザーですから、2009年から2014年にかけて、シングルマザーの貧困率は62.0%から47.7%へと低下したことになります。シングルマザーの貧困率がほとんど半分に近いというのは驚くべきことですが、それでもこれだけ低下したというのは大きな成果だと思います10

  1. 7総務省統計局「平成26年全国消費実態調査 所得分布等に関する結果 結果の概要」(平成28年10月31日)、を参照。
  2. 8等価可処分所得とは、世帯の可処分所得を当該世帯の世帯人員数の平方根で割って調整したもの。OECDの国際比較では、各国のジニ係数(後出の注11を参照)や相対的貧困率は、等価可処分所得で算出したものを用いている。
  3. 9相対的貧困率とは、全世帯人員のうち、等価可処分所得が貧困線(等価可処分所得の中央値の半分の額)を下回る世帯人員の割合。なお、本文の統計局資料によると、等価可処分所得のジニ係数で見ても2009年から2014年にかけて格差は縮小している。
  4. 10厚生労働省「平成28年 国民生活基礎調査の概況」資料によっても、相対的貧困率、子どもの貧困率、子どもがいる現役世帯で大人が一人の世帯の貧困率は2012年から2015年にかけて、いずれも低下している。

地域間の所得格差も縮小

さらに、地域間の所得格差も縮小しています。図7の左図は、一人当たり県民所得の上位5県の人口加重平均と下位5県の人口加重平均の比率(上位5県/下位5県)と県民所得のジニ係数を示したものです11。リーマンショックの起きた2008年の後の2010年度に格差が小さくなった後(豊かな地域の所得が減少したがゆえに格差が縮小しました)、格差は拡大しましたが、QQE以前の2012年度と比べると、縮小しているように見えます。すなわち、地域間の所得格差は縮小しています。また、図7の右図をみますと、上位5県の所得も下位5県の所得も上昇していますので、最上位に位置する東京都を除いては、上位県が貧しくなったから格差が縮小したとは言えないと思います。これがQQEだけで生じたものとは言いませんが、景気拡大の恩恵がすべての地域に及んでいるからだとは言えると思います。ただし、現在の東京都の所得が2007年度に比べて未だ低いことは、東京都が世界の大都市間競争に後れを取っていることを示すのだから、格差縮小を喜んでばかりではいられないという説もあります。

  1. 11ジニ係数は、所得等の分布の集中度を表す係数であり、格差を測る一つの指標とされる。その値がゼロに近づくほど格差が小さく、1に近づくほど格差が大きいとされる。ここでは、県民人口をウェイトとした一人当たり県民所得をもとにジニ係数を算出した。

日本は寛容な国になっている

最後に、景気拡大が続いていることで、日本は海外の文化、人材、サービス、商品への関心と寛容さが高まっているように思えます。先進国で反自由貿易の声が聞かれる中で、日本は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)(2018年12月発効)、日EU経済連携協定(2019年2月発効)を締結しました。日本は、いまや世界において自由貿易の旗手となっています。また、2018年12月の出入国管理法の改正によって、海外の労働力を呼び込むとともに、その待遇を改善しようともしています。

2.最近の経済情勢

金融政策の成果として、短期的な経済指標ではないものについてご説明して参りましたので、これからは最近の経済情勢についてお話ししたいと思います。

図8、図9は主要な経済指標をまとめたものです。図8を見ると、生産、投資、輸出のほとんどすべての指標が改善しています。停滞したのは2014年度の消費増税の後、世界貿易量が低迷した2014年後半から16年の前半までです。ただし、足下では落ち込みが見られる指標もあります。これについては後程述べたいと思います。

さらに図9で、賃金、雇用、雇用者所得(賃金×雇用)、消費を見てみます12。一人あたりの実質賃金は上昇していませんが、これは労働時間の短い非正規の労働者が増加したことによるものです。実質雇用者所得(賃金×雇用)が停滞したのは、消費増税のあった14年度だけで、それ以外では、ほぼ順調に伸びていました。失業率も順調に低下しています。

この中で、改善度合いが弱いのが実質消費です。消費活動指数で見て、消費は前回消費増税時の駆け込み需要前の2013年の水準に戻っていません。消費の原資である実質雇用者所得が、直近を除くと、順調に伸び、2013年の水準を越えていることと比べると不思議です。厚生年金保険料が毎年0.354%ポイントずつ引き上げられたことにより、可処分所得が雇用者所得ほど増えていなかったことも、ここで定義した消費率(消費÷雇用者所得)が低下していたことの一つの理由です。しかし、2018年9月以降では保険料の引き上げはなく、保険料は18.3%のままで、そこから上がることはありませんので、今後消費率が上がっていく要因となります。この比率が永久に低下していくことも考えにくいので、今後、消費が回復することも期待できると思います。

以上述べたように、QQEによって経済は回復しています。ただし、2018年末からの株価下落を受けて今後の実体経済が悪化するリスクが懸念されています。多くの場合、株価下落は将来の実体経済の低下を予測しています。ただし、その予測はリスクを過大に反映していることが多く、慎重に見極める必要があると思います。

今後の実体経済のリスクについて考えますと、アメリカの経済政策運営、米中通商摩擦、イギリスのEU離脱、欧州経済の動向、中国経済の固有の要因による減速など様々なものがありえます。

そのうち、中国経済について具体的に考えてみたいと思います。中国経済の動向は、実質GDPで議論されることが多いのですが、横這いか0.1%ずつきれいに成長率が低下していくGDPが実体経済の変動を表しているのか疑問が聞かれることもあります。図10は中国の実質GDP(四半期)、中国の輸入数量、日本の鉱工業生産と輸出の水準を示したものです。一般にGDPと輸入は連動するものですが、これを見ると、中国のGDPと輸入は連動していない一方、日本の生産と輸出は中国の輸入数量と連動しています。中国の輸入数量が今後さらに低下していけば、日本の生産と輸出の先行きも懸念されるということになります。

このように、先に述べたリスクが顕現化することがあれば、量・質・金利の政策手段によって遅滞なく追加的な金融緩和をすることが必要と思います。

なお、昨年までは、金融不均衡、バブルを懸念する議論もありましたが、株価が大幅に下落してしまいましたので、現在、株式市場において、金融不均衡があるというのはいささか無理な議論だと思います。

  1. 12過去の金融経済懇談会では、毎月勤労統計の常用労働者数×実質賃金を実質雇用者所得としていたが、常用労働者数は2018年1月に段差があるので、労働力調査の雇用者数×毎月勤労統計の実質賃金を実質雇用者所得とした。

3.金融緩和政策と銀行経営

このように、QQEは長期的、構造的にも、また短期的にも経済を改善していますが、長期の金融緩和が金融機関経営を困難なものにするという議論があります。これについて私の考えを述べたいと思います13

まず、大胆な金融緩和によって日本経済全体に良いことが起きているのだから、それが金融機関にはやって来ないというのは妙なことだと思います。

図11は、産業別の名目GDPで金融・保険業(以下、金融業)と製造業のGDPと全体のGDPを日米で見たものです。アメリカでは、全体の名目GDPが伸びている中で金融業も伸びているのに、日本では全体のGDPが停滞しているなかで金融業のGDPはことさらに停滞しています。さらに、2008年9月のリーマンショック後、名目GDPが最低になった2009年からの回復の様子を見てみましょう。日本は名目GDPが下落し、その後2012年まで横這っていましたが、QQEを行った2013年から回復しています。それとともに製造業は回復していますが、金融業は回復しているようには見えません。しかし、図の表にあるように、12年まで年率2.5%ずつ低下していた金融業のGDPがQQE後ゼロに戻りました。名目GDPが拡大すれば、金融業のGDPもまた拡大しやすいことが理解できるでしょう。

図11でアメリカを見ると、リーマンショック後も、名目GDPは成長し、それに応じて製造業も金融業も伸びています。さらに、日本のように2012年を境に成長率が異なるということもありません。リーマンショック後、すぐに大胆な金融緩和政策を行ったからです。ここでアメリカの金融業が名目GDPの伸び率を上回る成長率を示しているのは、アメリカ金融業の企業家精神によるものでしょうが、それでも名目GDPが伸びなければ、その分は成長率が低下しただろうと思います。

2%の物価目標の達成を目指す大胆な金融緩和政策は雇用を改善し、賃金を引上げ、株価上昇に見られるように企業の利益を引き上げています。名目GDPはすべての賃金と利潤を足し合わせたものですから、当然に名目GDPも増加します。名目GDPが増加すれば、銀行の名目GDPも増加するはずです。銀行からお金を借りている企業の経営状況も改善し、もっと借りたいという企業も出てくるはずです。また、信用コストも低下しています。

  1. 13以下の内容は原田泰「金融緩和政策の効果は金融機関にも届く」『週刊 金融財政事情』2018年10月8日号によるところが大きい。

金融緩和は借入需要を作っている

図12は、国内銀行の貸出と預金を見たものです。まず貸出を見ますと、バブル崩壊後、低下トレンドにありました。2001年の量的緩和(QE)後は時間がかかりましたが、QQE後はすぐに、貸出が増えています。2013年3月から2018年12月までで貸出が74兆円増えているのですが、預金は147兆円も増えています。銀行にとって、預金はいわば製品、貸出は売上です。売上と製品の差は在庫です。貸出以上に預金が集まるのは在庫を増やしているのと同じです。必要なのは在庫減らしです。金融機関が困っている根本的な原因は、借りる人がいないのにお金が集まっているということにあります。

金融を引き締めてもイールドが立つ保証はない

大胆な金融緩和による金利の低下が銀行の経営状況を悪化させるというのは、金利を上げればイールドが立つ、長短金利差が拡大し、貸出金利も上がると多くの金融関係者が考えているからでしょう。銀行は短期に資金を調達して長期に貸し出すものですから、長短金利差が拡大すれば利益は増大します。しかし、金利を上げれば長短金利差が拡大するとは限りません14。短期金利を上げた時、イールドが寝るか立つかは、その時々の経済情勢や市場の金融政策への見方によって異なります。短期金利を上げればイールドが立つとは限りません。

  1. 14政策変更とイールドカーブの関係の詳細については、「わが国の経済・物価情勢と金融政策-石川県金融経済懇談会における挨拶要旨-」(日本銀行、2018年7月4日)を参照。

物価が下がれば金利も下がる

また、物価が低下すれば、名目金利も低下します。その時、通常は実質成長率も下がるので、物価と実質生産の積である名目GDPも低下します。名目GDPの低下は景気が悪くなることですから、貸出先企業の破綻で生じるコスト、すなわち信用コストが上昇し、借入需要が減少し、最終的には金利も下がります15

人々は十分な現預金を持っているのですから、借りる人は減少しています。また、金融機関の経営に大きな影響を持つのは不良資産の償却コストである信用コストです。名目GDPが伸びなければ貸出先企業の売り上げも伸びず、不良債権となる可能性も高くなります。

QQE導入後、リーマンショック以降マイナスであった名目GDPの伸び率がプラスになっています。1998年以降、日本の名目GDPは概ねマイナス成長となりましたが、2001年から行われたQEと共に2004年からプラス成長に戻りました。2008年以降の急激な落ち込みはリーマンショックのせいで、必ずしもQEを止めたからではありませんが、嵐の前に金融緩和を止めることはなかったと思います。QEもQQEもなければ、日本の名目GDPは1998年から現在までマイナス成長が続いていたでしょう。QEもQQEもなければ、金融機関経営は、もっと悪化していたのではないでしょうか。

銀行が金利を上げて欲しいというのは、金利を上げればイールドが立つ、長短金利差が拡大すると考えているからでしょう。しかし、前述の通り、事実を見ると金利を上げてもイールドが立つとは限りません。また、金融緩和を止めれば、物価は低下し、景気が悪化して名目金利も低下します。金融機関は、金利を上げても、為替も株価も債券価格も動かず、企業の借入れ意欲も低下せず、ただ運用金利だけが上昇すると期待しているようですが、そんなことはありえません。

むしろ、過去の早過ぎた金融引締めが景気を悪化させ、物価と生産の両方を低下させ、長期的に金利を引き下げた。早過ぎた金融引締めが、金融業の現在の困難の一因でもあると思います。

  1. 15原田泰「なぜ日本の金利は低いのか」『景気とサイクル』第62号、2016年11月、参照。

4.今後の経済と2%物価目標

先ほど、足もとの経済が弱いかもしれないと申し上げましたが、物価もそうです。しかし、景気回復が続けば、雇用が逼迫し、やがて物価は上昇していくはずです。ただし、物価が順調に上昇していくためにはいくつかのハードルがあります。第1は、既に述べたような現在の景気状況の難しさです。これまでの日本の景気を見ますと、世界経済の停滞が輸出の減少を招き、それが設備投資、消費の減退をもたらし、景気を後退させることが多かったのです。典型的にはリーマンショック後の不況ですが、2015年後半からの景気の足踏みも中国経済を中心とした世界経済の停滞によるところが大きかったと思います。

第2は、消費増税です。増税が景気を後退させ、需要減が物価を引き下げる可能性があります。2019年10月からの消費増税について考えると、税率引き上げ幅が2%と小さいこと、軽減税率が適用されること、教育無償化政策などの恒久的対策がなされること、駆け込みと反動の影響を均す様々な措置が取られることから、2014年度の前回増税時の影響よりも小さくなると思います。しかし、前回の消費増税も多くのエコノミストが影響は小さいと予測したにもかかわらず、大きな持続的な影響がありました16。このような需要の減少は、当然に物価上昇を抑制します。

第3は、消費増税に関連しての物価下落です。消費増税とともに、教育無償化政策が行われます。日本銀行の試算によれば、これは2019年度と20年度の消費者物価(生鮮食品を除く)上昇率をそれぞれマイナス0.3%ポイント、マイナス0.4%ポイント引き下げる要因になります。消費増税は、2019年度と20年度の消費者物価(生鮮食品を除く)上昇率をそれぞれ0.5%ポイント引き上げると試算していますので、かなり大きな要因です。このように、消費税に関しては、消費者物価に対してプラスとマイナスの両方に作用する要因になっていますので、今後は、消費税の影響を含めて表現することが適当と思われます。

他にも、消費税増税とは関係がありませんが、携帯電話料金の引き下げがあります。これはどれだけの大きな差になるか明白ではありませんが、消費者物価(生鮮食品を除く)の上昇率を0.5~1%ポイント引き下げる要因だという民間エコノミストの試算もあります17。これらの試算が正しいとすると、当然に2%の物価上昇率目標の達成を遅らすことになります。

しかし、私は、必ずしも悲観的には考えていません。と言いますのは、これらは一種の減税のようなもので、物価が下がった分だけ人々の実質所得が増加するからです。誰しもが実感できるような好況が続いていれば、教育無償化や携帯料金の低下で余ったお金はすぐに使われ、需要増加を通じて物価上昇に結びつくと思いますが、現状では、需要増加となるのには時間がかかると思います。しかし、余ったお金がなくなるわけではありません。これらは、物価目標の達成を遅らす要因ではありますが、達成自体を困難にする要因にはなりません。これは原油価格の下落などでも同じことです。ただし、足下の現実の物価の停滞が、予想物価上昇率の停滞をもたらし、物価上昇をさらに遅らすというリスクはあると思います。

  1. 16宮嵜浩「第6章 消費税率引上げの影響が予想外に大きかったのはなぜか」原田泰・増島稔『アベノミクスの真価』中央経済社、2018年、参照。
  2. 17山口茜・小林俊介「2018年10月全国消費者物価」大和総研2018年11月22日。

2018年7月31日の日本銀行の政策変更に対する私の考え

最後になりますが、昨年の日本銀行の政策変更に対する私の考えを説明しておきたいと思います。日本銀行では、2018年7月31日の金融政策決定会合で、「強力な金融緩和継続のための枠組み強化」として、(1)「日本銀行は2019年10月に予定されている消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持することを想定している」と政策金利のフォワードガイダンスを示し、(2)長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)において、「金利(10年物国債金利)は、経済・物価情勢に応じて上下にある程度変動しうるものと(する)」と決定しました。この上下の変動について、黒田総裁は、金融政策決定後の記者会見で、「従来プラスマイナス0.1%くらいの狭い幅で動いていましたが、その倍くらいの幅を念頭に置いて考えていく」と述べています。

この政策変更について、私は以下の理由で反対しました。(1)のフォワードガイダンスについては、時期のガイダンスではなく、経済指標と結びつけた、物価目標との関係がより明確となるようにフォワードガイダンスを位置づけるべきであると考えたからです。金融政策はカレンダー依存ではなく、データ依存でなくてはならないと私は考えていたからです。この観点からは、「当分の間」の後に「物価が現在想定している以上の強い動きを示さないかぎり、」などの文言を挿入すべきと考えました。なお、当時、2019年10月に消費税率引き上げが予定されているにもかかわらず、マーケットにおいて早期の金利引上げを予想する声が強かったので、それはあり得ないというメッセージを発すること自体は合理的なことと思いましたが、メッセージをより強力なものとするためにも、将来、経済情勢が変化した時に柔軟に対応するためにもデータ依存なものであることを強調すべきと考えたからです。そう考えているのは、予想以上に景気が悪化すれば追加的緩和措置が必要になりますし、景気が改善すれば緩和措置を弱めることが必要になるからです。

(2)の長期金利の弾力的化についても反対しました。その理由は、ディレクティブとしてあまりにも曖昧であることです。また、政策変更以前の長期金利をゼロ%とするという意味は、実体経済が今まで以上に改善した場合、国債の買入れ額を増大してゼロ%を維持し、緩和効果を強めるという意味が含まれています。ところが、ここで「上下にある程度変動しうる」とすると、この効果を阻害することになるからです。

おわりに

以上、日本銀行が2013年から始めてきたQQEの成果についてお話ししてきました。まず第1に、長期的成果として雇用の改善を中心に、女性や高齢者が活躍できるようになってきたこと、財政状況を長期的に改善したこと、自殺者の減少や出生率の上昇も期待できることをお話ししました。また、このような経済状況の改善は、所得格差の縮小を伴っていることも指摘しました。第2に、短期的な経済指標も継続的に改善していることをお話ししました。ただし、所得の上昇に比べて消費が弱く、2018年末からは景気の先行きに対して下方リスクが高まっていることを指摘しました。第3に、QQEと銀行経営の関係をお話ししました。私が不思議に思っているのは、QQEによって日本経済全体に良いことが起きているのに、それが金融機関には来ないと、少なくとも銀行関係者が考えておられることです。第4に、今後の経済と2%物価目標についてお話ししました。消費増税とともに、教育無償化政策が行われ、後者は物価を直接低下させる要因です。しかし、私は、必ずしも悲観的には考えていません。と言いますのは、消費税率引き上げは増税ですが、教育無償化政策は減税のようなものだからです。景気に対して、増税は心配ですが、減税は良いことだからです。ただし、景気が悪化し、2%物価目標の長期的達成も困難になるようなことがあれば、躊躇なく金融緩和を強めることが必要と思っています。

最後に山梨県経済についてお話ししたいと思います。山梨県の景気は、全体としては緩やかな拡大を続けています。製造業では、米中貿易摩擦の影響などから一部で受注が減少していますが、製造業全体では高水準の生産を維持しています。こうした状況を背景に、幅広い業種で省人化投資や能力増強投資に踏み切る動きがみられています。この間、労働需給は引き締まった状態が続いており、雇用者所得(賃金×雇用)も改善しています。そうしたもとで、個人消費は、天候要因などで振れを伴いながらも、底堅く推移しています。

もっとも、やや長い目で先行きを展望すると、山梨県は全国を上回るテンポで人口減少が進んでおり、趨勢的な需要下押しや人手不足による供給面での制約に対応していくことが重要な課題となっています。しかし、山梨県には、こうした逆風を乗り越え、着実な経済発展を目指していくための、大きな強みがあると考えています。

第1に、当県には生産用機械や電気機械、電子部品等の分野で高い技術力を持つ企業が、大手出先のみならず、数多くの地元企業も加わる形で集積していることです。世界規模で情報化社会が進展する中で、今後も関連機器や部品の需要拡大が見込まれており、こうした産業構造を有する当地に幅広い恩恵がもたらされることが期待されます。

第2は、首都圏に近接し、富士山や八ヶ岳などの山々を有する豊かな自然、複数のプレートが入り組む特有の地質構造の恩恵で日本に10ある泉質のうち8つの泉質を有する温泉地、日本一の生産量を誇るぶどうや桃などの果樹園、80を超える国内最大数を誇るワイナリーなど魅力溢れる観光コンテンツが数多く揃っていることです。また、当地発祥の「甲州」はワイン醸造用のブドウ品種として世界的なブランド地位を確立しています。近年、当県でも外国人観光客が大幅に増加しておりますが、これは当地の関係者の皆さまの弛まないご努力の賜物だと思います。当地の観光コンテンツやブランド力に磨きをかけていくことで、インバウンド需要を更に獲得することも期待されます。

第3は、中部横断自動車道の全面開通やリニア中央新幹線の開通といった交通インフラ面での大きなイベントを控えていることです。このような交通インフラの整備が県内への企業誘致や移住者の増加に加え、当県の第1や第2の強みにプラスに作用することも十分に想定されます。

今後も山梨県経済が、こうした強みを活かしながら、一層の発展を遂げていくことを祈念して、私からの挨拶とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。