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【講演】日本銀行はデジタル通貨を発行すべきか「ロイター・ニュースメーカー」における講演

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日本銀行副総裁 雨宮 正佳
2019年7月5日

1.はじめに

本日は、講演の機会を頂戴し、大変光栄に存じます。

わが国の決済システムを取り巻く環境には、近年、様々な変化がみられています。まず決済サービスの需要面をみると、夜間や休日にも利用できる決済手段や低コストの国際送金など、より利便性の高い決済サービスが求められるようになっています。消費者のライフスタイルの多様化やeコマースの普及といった変化がその背景にあります。一方、決済サービスの供給面をみると、スマートフォンやICカードなど、人々が決済サービスを利用できる媒体が拡がってきました。このようなキャッシュレス決済サービスの提供においては、金融機関に加え、情報技術などに強みをもつノンバンク企業――いわゆるFinTech企業――など、多様な主体が関わるようになっています。

決済システムの安全性と効率性の向上を責務とする中央銀行にとって、デジタル社会における決済システムの将来像を考えることは非常に重要です。こうした中、中央銀行が、銀行券や貨幣などの現金に替わる決済手段としてデジタル通貨を発行すべきかどうかという点が重要な論点として取り上げられるようになってきました。

中央銀行が発行するデジタル通貨のことを“Central Bank Digital Currency”と言いますが、以下ではこれをCBDCと略します。国際決済銀行が世界各国の中央銀行を対象に、CBDCに関する興味深いアンケート調査を行っています(図表1)。回答した63の中央銀行のうち、約7割の先が何らかの形でCBDCに関する取り組みを行っており、その多くは調査・研究や実験・概念実証が主目的です。実際にCBDCを発行することを念頭に開発に取り組んでいる中央銀行は少数派であり、そうしたケースは、銀行券の流通が急速に減少しているスウェーデンや、銀行券に関するインフラが十分に整備されていない新興国・途上国など一部の国に限定されています。これらのケースを除くと、中央銀行の多くが先行きにおけるCBDC発行の可能性は低いと回答しています。

このように、多くの中央銀行は、近い将来、CBDCを発行する計画はないが、調査研究は行っていくというスタンスにあり、日本銀行も同様の考えです。では、なぜ、中央銀行はこうした、一見矛盾するかのようなスタンスをとっているのでしょうか。その背景を説明することが本日の講演のメインテーマです。

以下では、まず、わが国のリテール決済の現状――つまり、個人間や個人と企業間の決済の動向――について整理し、その後、CBDCの発行形態や期待される役割について説明します。その上で、CBDCに関する調査・研究を通じて、民間デジタル通貨を含めた決済システム全体の将来像に対して、どのような示唆が得られるのか、考えてみたいと思います。

2.日本における現金決済とキャッシュレス決済

では、日本におけるリテール決済の現状とキャッシュレス化の進展度合いについて、アンケート調査や統計をもとに確認していきましょう。

個人の決済手段の内訳

個人の決済手段に関する最近のアンケート調査をみると、消費支出に占める現金とキャッシュレスによる決済比率は、約半々となっています(図表2)。ここでは、決済手段の詳しい内訳がわかる調査結果をお示ししています。この調査では、キャッシュレス決済として、銀行口座間の送金を含んでいます。これを含まない調査がしばしば使われていますが、それと比べると、キャッシュレス決済比率の水準が高くなっていることをお断りしておきます。キャッシュレス決済の内訳をみると、クレジットカードの割合が約30%と高く、交通系・流通系企業などが発行するプリペイド式電子マネーは5%程度です。また、スマートフォンなどを用いて決済する、「○○ペイ」といったフィンテック決済サービスは1%未満とまだ僅少です。

では、今後、キャッシュレス決済の割合はどの程度のテンポで上昇していくのでしょうか。この点については、なかなか先行きを見通し難いですが、現金通貨の流通枚数の動向は参考情報として有益です(図表3)。2018年の現金通貨の流通枚数の前年比をみると、1円硬貨や5円硬貨はマイナスとなり、ごく緩やかに減少しています。一方、百円硬貨の流通枚数の前年比は0%台後半ですので、2018年の名目GDP成長率とほぼ同程度のテンポで増加を続けています。また、5百円硬貨や千円札は、前年比2%を上回るテンポで流通枚数が増えており、一万円札や五千円札の流通枚数は前年比3~4%とさらに高い伸びとなっています。

一万円札などの高額紙幣に関するこうした流通枚数の増加は、低金利による現金保有の機会費用の低下に起因した、貯蓄目的が背景にあると思われます。いわゆる、タンス預金です。一方、千円札や5百円硬貨、ましてや百円硬貨をタンス預金として溜め込む人は多くないでしょう。これらの流通枚数の増加は、貯蓄手段というより、決済手段として使われ続けている可能性を示唆しているように思います。

こうした事実を踏まえますと、釣銭が嵩張る少額決済において、キャッシュレス化が進んでいる側面が窺われますが、全体としては現金決済がなお多く使われ続けていると言えます。昨年2018年は、キャッシュレス決済に関する社会的関心がかなり高まりましたが、現金からキャッシュレスへの移行スピードは、メディアから受ける印象等とは異なり、緩やかであったように思います。先般の10連休前に、銀行のATMに長蛇の列ができたというニュースは、依然、多くの消費者にとって現金が重要な決済手段であることを示しています。

キャッシュレス決済へのシフトが緩慢な背景

では、わが国でキャッシュレス決済へのシフトが緩慢であるのは何故でしょうか。現金決済の需要と供給、双方に原因があると考えられます。

まず、現金決済の需要に関しては、キャッシュレス決済に比べお金を使い過ぎる心配が少ないといった要因のほか、盗難が少ないことや現金を落としても戻ってくることが多い「治安の良さ」、紙幣の偽造防止技術の水準が高く、偽札の流通が少ないなど「現金に対する信頼」といったものが関係していると考えられます。また、長きにわたって続く低金利環境が現金需要を押し上げている側面もあるでしょう。

一方、現金決済の供給面については、金融機関の店舗網やATM網が重要です(図表4)。これらの地理的密度が高ければ高いほど、預金口座からの現金の引き出しや口座への入金が便利になります。このため、可住地面積当たりの金融機関店舗数が多い国ほど、現金流通高のGDP比も高くなる傾向があります。日本は、狭い国土に金融機関の店舗やATMが密集し、便利で安価な現金のサプライチェーンが整備されていることが、現金流通高のGDP比の高さにつながっていると考えられます。

こうした現金決済の需要と供給の双方にわたる構造的要因が、キャッシュレス決済へのシフトを緩慢にしていると考えられます。とはいえ、新たなキャッシュレス決済の利用者や加盟店の数がある一定規模まで増加すると、その後、利用が急激に拡大し、キャッシュレス決済が一気に進展する可能性もあります。韓国の事例を見てみましょう。韓国政府は、1990年代後半の通貨危機の際に、景気対策としてキャッシュレス決済を推進しました。年間のクレジットカード利用額の20%について所得控除を受けられる制度を導入したほか、店舗側にクレジッカードの取り扱いを義務付けたことがきっかけで、キャッシュレス決済へと流れが大きく変化しました。

わが国でも、今年10月に予定されている消費税率引上げに際して、キャッシュレス決済手段を使ったポイント還元が導入されます。こうした施策をきっかけに、わが国でもキャッシュレス化の流れに弾みがつくかもしれません。

3.中央銀行デジタル通貨と民間デジタル通貨

さて、現金に対する需要が意外に根強く、現金流通高がGDP対比で増加を続けるという現象は、日本だけではなく、多くの国で観察されていますが1、長い目で見れば、多くの国で決済のキャッシュレス化が進んでいくでしょう。こうした中、中央銀行が発行する通貨、つまり中銀マネーのデジタル化についても関心が高まってきています。

  1. Morten L. Bech et al., "Payments Are A-Changin' But Cash Still Rules," BIS Quarterly Review, March 2018.

(1)中銀デジタル通貨の発行形態

CBDCには、2つのタイプがあります。一つは、利用者が銀行など一部の先に限定され、金融機関間の資金決済を目的とした電子的な中銀マネーです。これは、中央銀行の当座預金という既にデジタル化された中銀債務による決済について、分散型台帳技術などの新しい情報技術を応用しようというものであり、「ホールセール型CBDC」と呼ばれます。もう一つは、個人や企業も含む幅広い主体による利用を想定した電子的な中銀マネーです。これを「一般利用型CBDC」と呼びます。以下、CBDCという場合、後者のタイプを念頭に置いて議論を進めることとします。

「一般利用型CBDC」は、銀行券や貨幣などの現金を代替するものであり、2つの発行形態が考えられます(図表5)。一つは、口座型CBDCです。これは、個人や企業が中央銀行に口座を開いて、口座間の振替で決済を行うというものです。このスキームは、民間銀行において預金口座間の振替により決済する方法と基本的に同じです。異なるのは、利用者の口座が中央銀行にあるのか、それとも民間銀行にあるのかの違いです。もう一つは、トークン型CBDCです。これは、利用者のスマートフォンやICカードにCBDCを格納し、利用者間で金銭的価値を移転することにより決済を行うというもので、価値保蔵型CBDCとも呼ばれます。このスキームは、交通系・流通系企業やFinTech企業が発行するプリペイド型電子マネーと似ています。異なるのは、発行主体が民間企業か中央銀行かの違いです。

(2)中銀デジタル通貨に期待される役割

CBDCに期待される役割としては、様々なものが指摘されています(図表6)。例えば、金融政策の運営面では、CBDCに金利を付ける、場合によってはマイナスにすることで金融政策の有効性を高め得るという主張が学界を中心に聞かれます。これは、CBDCへの付利水準が広範な金融資産の金利下限として働くことを前提とした主張です。もっとも、名目金利のゼロ制約を乗り越えるには、現金を完全に無くす必要があります。CBDCにマイナス金利を付与しても、ゼロ金利の現金が残る限り、これへの資金シフトが起こるからです。多くの国民に使用されている現金を無くすことは、決済インフラを不便にすることに他ならず、そうしたことを行おうとする中央銀行は存在しません。

決済手段の林立の解消

CBDC発行の意義として、しばしば聞かれる意見の一つは、「キャッシュレス決済手段の林立状態を整理し、はやめに決済手段を統一すべき」というものです。確かに、現在、多数のキャッシュレス決済手段が林立しており、消費者にとっては、どの決済手段を選択すべきか迷うケースも多いと思われます。この点に関して、コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授が行った実験は興味深いです。彼女は、スーパーの店頭にジャムの試食スタンドを設け、ある時は6種類のジャム、別の時には24種類のジャムが試食できる社会実験を行っています。実験の結果、立ち寄って味見する人は、24種類のケースの方が多かったが、実際に購入する人は、6種類のケースの方が多かったということです。要するに、選択肢が多いと、人々は興味を持つが、選択肢が多すぎると、人々は選択を避ける傾向があるということかと思います。日本のキャッシュレス決済の現状も、これに似た状況になっていると感じる方は多いかもしれません。

中央銀行がCBDCを発行し、多くの消費者がこれを使うようになれば、こうした状態の解消につながる可能性は確かにあるかもしれません。実際、内外の通貨の歴史を振り返ると、複数の銀行が紙幣を発行し、その後、銀行券の増発が経済的混乱を招いたことで、銀行券の発行が中央銀行に集約されてきたという経緯があります。

しかし、複数の発行主体が紙幣を増発し混乱を招いた過去の歴史と、現在のリテール決済市場の状況を重ね合わせることは適切ではありません。現在は、FinTech企業や銀行が互いに競争し、決済のイノベーションを進めている段階です。私どもは、まずは、情報技術面で優位にある民間部門のイノベーションを促進していくことが重要と判断しています。決済手段が林立する状況が未来永劫続くのであれば、消費者の経済的厚生を低下させるでしょうが、そうした状況は、競争の過程でいずれ解消されていく筋合いにあります。

市場の競争環境の維持

ただ一方で、競争を市場に委ねることが、長期的に望ましい結果につながらない可能性もあります。いわゆる「市場の失敗」です。決済のネットワークには、同一ネットワークへの参加者数が多くなればなるほど、各参加者がネットワークから得られる便益が増加するという、「ネットワークの外部性」が作用します。このため、ネットワークに参加する利用者や利用店舗の数が一定の規模、つまり「クリティカルマス」を超えると、決済プラットフォームの規模が大きく拡大し、市場の寡占や独占につながる可能性が考えられます。ある特定の事業者がリテール決済サービス市場で強い支配力を持つようになれば、価格体系の歪みやイノベーションの誘因低下を招くとか、何か問題が生じた場合のシステミック・リスクが大きくなるなどの問題がでてくるかもしれません。

今現在、日本のリテール決済市場で、寡占や独占が問題になっている状況では全くありませんが、スウェーデンのように、現金流通量が減少し、キャッシュレス化が大幅に進んだ国では、リテール決済市場における競争の低下が懸念されるようになっています。このため、CBDCの発行が、リテール決済市場の競争環境の維持に寄与するという指摘がみられます2。中央銀行がキャッシュレス決済のプラットフォームを構築することによって、民間の決済事業者に対する競争圧力を維持するという考えです。しかし、私は、CBDCの発行がリテール決済市場の競争促進策として最適な選択肢であるとは思っていません。まず採るべき処方箋は、政府の競争政策により、独占企業の分割や規制強化などを行い、競争の歪みを解消することです。したがって、CBDC発行の意義をリテール決済市場の競争促進に求めることは必ずしも適切ではないように思います。

  1. 2Walter Engert, Ben S. C. Fung, and Scott Hendry, "Is a Cashless Society Problematic?," Bank of Canada Staff Discussion Paper 2018-12, October 2018.

通貨の基本的な機能と二層構造

私は、CBDC発行の意義については、もっと単純に、通貨の持つ基本的な役割に立ち返ればよいと考えています。個々の経済主体の経済活動を支えるうえで、誰もが安全、確実に、安価に利用できる決済手段の存在は不可欠であり、デジタル社会においても、その供給を中央銀行が担うべきということ自体に異論を挟む人は少ないと思います。CBDC発行の意義も、基本的にはこの点に求められるでしょう。

また、CBDCは、決済手段としてだけではなく、価値保蔵手段としても機能します。平時において、人々が中銀マネーと民間マネーの違いを意識することはあまりありませんが、金融危機時や震災時は別です。人々は不安を感じると、信用リスクのない中銀マネーに対する予備的需要を強める傾向があります。例えば、日本では、東日本大震災の直後、被災地で現金の引き出しが大幅に増えました3。また、海外では、リーマンショックを契機に金融危機に見舞われたアイスランドにおいて、中銀の金庫から現金が底をつくくらいの勢いで大量に引き出されました4。こうした点を踏まえると、デジタル社会に相応しい、信用力の高い中銀マネーの供給体制を整備すべきという見方は説得的であるように思います。

もっとも、危機時に備えるために平時にCBDCを発行することが、新たな問題を引き起こす可能性もあります。例えば、CBDCが銀行預金を代替するようになると、銀行の信用仲介が細り、実体経済に悪影響を及ぼすかもしれません。また、危機時の安全資産の受け皿として備えたCBDCが、危機をむしろ加速させるのではないかという見方もあります。デジタル社会では、伝統的な銀行取り付けよりも急激な形で――インターネットやスマートフォンの操作一つで――、銀行預金からCBDCへ資金シフトが起こり、金融危機が加速するのではないかという懸念です。“digital bank run”と呼ばれる現象です。

このような問題を突き詰めていくと、およそすべての近代国家が採用している通貨供給の「二層構造」をどう考えるか、という論点に帰着します。二層構造とは、中央銀行は、現金と中央銀行預金からなる中銀マネーを一元的に供給し、民間銀行は、この中銀マネーを核とする信用創造を通じて、預金通貨を供給する仕組みです。この二層構造は、情報処理や資源配分などの面で様々なメリットを有しています。中銀マネーにより通貨に対する信認が確保される一方で、経済への資金の配分は民間イニシアチブを通じて効率的に行われ、また、決済サービス面での民間イノベーションの力が十分活用されることになります。例えば、Fintech企業の提供する新たなキャッシュレス決済手段は、二層構造の二層目において、スマートフォンなどを利用して、ユーザーインターフェースの改善により預金通貨の使い勝手をよくしたものと整理できます。

いくらCBDCが安全、確実な決済手段であっても、それが民間マネーを相当の規模で代替するようでは、二層構造のメリットが失われてしまいます。このように、決済システムのあり方を考える際には、中銀マネー、民間マネーそれぞれを独立にして捉えるのではなく、相互関係を念頭に置いて、決済システム全体の機能や信頼性の向上策を検討する必要があります。そこで、以下では、信用力、一般受容性、ファイナリティという3つの論点に即して、どのようにすれば、民間デジタル通貨の性能をCBDCに期待されるような機能に近づけることができるか、考えてみたいと思います(図表7)。

  1. 3日本銀行決済機構局「東日本大震災直後の金融・決済面の動向:データに基づく事実整理」、日本銀行調査論文、2013年3月
  2. 4Central Bank of Iceland, "Rafkróna?," Central Bank Digital Currency Interim Report, September 2018.

(3)民間デジタル通貨の機能の改善

民間デジタル通貨の信用力

先ほど申し述べたとおり、デジタル社会において、危機時や震災時における人々の安全資産の受け皿を用意しておくという点で、CBDCの発行は重要な選択肢ですが、民間マネーの信用力を高める制度設計は、CBDCの発行如何にかかわらず重要です。民間部門の発行する電子マネーの信用リスクを極力抑制し、中銀マネーとの信用力格差を小さくできれば、原理的には、先にあげた資金シフトの問題も緩和されるでしょう。

わが国では、民間マネーのうち、銀行預金については、1990年代末の銀行危機を経て、預金保険による保護の仕組みが整備されました。一方、民間マネーのうち、交通系・流通系企業やFinTech企業が発行する電子マネーについても、資産保全による利用者保護が図られています。例えば、現金として出金可能な電子マネーを発行する企業の場合、顧客から受領した資金の100%以上の金額を、供託等により資産保全することが義務付けられています。

海外に目を転じますと、中国では、決済サービスを提供するAlipayなどのBigTech企業は、顧客から集めた資金の全額相当額を中国人民銀行の指定口座に預託することが義務付けられています。これは、中央銀行の信用力を基礎として、BigTech企業が民間デジタル通貨を発行するスキームと解釈できます。機能的にみると、中央銀行が100%の準備預金率を課すナローバンク制と同じであり、信用力の点ではCBDCと概ね同等とみることも可能です。

リテール決済システム全体の安定性を確保していくうえで、民間デジタル通貨の信用力を担保する制度設計は不可欠です。民間部門が運営するキャッシュレス決済のプラットフォームの規模が拡大していけば、それだけ社会的影響も高まっていきます。したがって、決済手段・サービスに関して、リスクに応じた適切な規制体系をしっかり整備していくことが必要となりますし、決済プラットフォームの運営企業には、高度なリスク管理や諸規制への厳格な対応などの責任ある行動が求められていきます。

マネーの一般受容性

ところで、民間デジタル通貨の信用力が高まったとしても、お金として広く人々に受け入れられるわけでは必ずしもありません。例えば、FinTech企業がそれぞれ運営する決済プラットフォームの加盟店は必ずしも重なってはいないので、あるFinTech企業の発行する電子マネーを保有していても、別の決済プラットフォームに加盟する店舗では利用できないことがあります。また、異なる決済プラットフォーム間では、利用者は個人間送金もできません。したがって、現時点では、FinTech企業等が発行する電子マネーは、一般受容性という点で、現金に大きく見劣りします。

海外では、決済ビジネスを手掛ける事業者間で相互運用性を確保する事例がみられます。例えば、香港では、香港金融管理局が2018年に稼動開始した24/7即時送金システム「Faster Payment System」に、主要銀行のほか、AlipayWeChat Payなど電子決済サービス事業者が参加しているため、これらの銀行や事業者の顧客間での送金が可能となっています。電子決済サービス事業者の発行する電子マネーを使って、銀行預金口座に送金することもできます。このように、相互運用性が確保されれば、民間部門が発行する電子マネーにも一般受容性が備わっていく可能性があります。

また、民間デジタル通貨の相互運用性に関しては、中央銀行がFinTech企業など新たなノンバンク決済サービス事業者に対して当座預金の開設を認めるかどうかということも論点になり得ます。中銀口座による安全かつ効率的な決済を通して民間マネーの相互運用性が高まれば、一般受容性という点でCBDCに近接し得るようになるかもしれません。ただし、ノンバンクの中銀口座へのアクセスに関しては、相互運用性という視点だけではなく、金融システムに与える影響など様々な視点から包括的に検討する必要があります。また、ノンバンクが中銀口座を介して資金決済システムへ接続するには、経営の健全性、情報管理、リスク管理など多くの面で厳格な基準をクリアすることが求められることは言うまでもありません。ノンバンク決済サービス事業者に対する中銀口座の開設については、既に英国やオーストラリアなど複数の国で認められているほか、スイスやシンガポールも現在検討を進めています。

決済のファイナリティ

次に、決済の「ファイナリティ」という論点を取り上げます。中銀マネーは、信用リスクがないだけではなく、決済の巻き戻しが発生しないという意味で、支払いの完了性――すなわち、ファイナリティ――を備えています。銀行券は、1年365日、1日24時間いつでも、ファイナリティのある決済手段として使えます。

わが国では、昨年10月の全銀モアタイムシステムの稼動により、1件1億円未満の当日振込について、24時間365日、即時に相手先の口座に送金することが可能になりました。ただし、こうした利用者間の小口取引に伴い生じる金融機関間の決済方式は、時点ネット決済という方式で決済されています。すなわち、金融機関から受け付けた振替指図を日中の一定の時刻まで溜めおき、その時点での総受取額と総支払額の差額を計算して、その差額分のみを決済する方式です。この方式のメリットは、資金を効率的に使えることですが、反面、特定の決済時点まで、金融機関間の未決済残を蓄積していくため、決済のファイナリティが確保されません。仮に金融機関1先でも決済不履行が生じると、決済システムに参加している全ての金融機関に連鎖的な影響を及ぼすリスクを潜在的に内包しています。

今後、キャッシュレス化が進展し、金融機関の預金口座を経由した小口取引が増えていった場合、日中の未決済残高が増え、決済システム全体でリスクを溜め込んでいく可能性も考えられます。こうした問題を解決するには、決済のファイナリティのあるCBDCを発行し、金融機関の預金口座を介した決済に偏らないようにすることが一つの選択肢となります。しかし、他にも選択肢はあります。金融機関間の小口取引の決済方式を、時点ネット決済から、リアルタイムグロス決済(Real Time Gross Settlement)に変えることです。リアルタイムグロス決済を略してRTGSと呼びますが、この方式は、金融機関から振替の指図を受けた中央銀行が、直ちにその振替を実行するという単純な決済手法です。RTGS の場合、日中に次々とファイナリティのある決済が行われるため、システミック・リスクを相当抑制することが可能となります。24時間365日、取引をRTGSにより処理するためには、中央銀行のシステムも終日稼働させることになります。

ちなみに、海外では、オーストラリアや香港、欧州などで、小口取引についても、24時間365日、RTGS処理するプラットフォームが既に構築されています。こうしたシステムは、CBDCと同様に、決済のファイナリティが確保されています。小口取引においてどういった決済方式が望ましいかについては、それぞれの国において、決済の動向を踏まえつつ、コストと便益を比較考慮しながら、考えていくことが重要であると思います。

4.おわりに

以上、デジタル社会におけるリテール決済について、中銀マネーと民間マネーの関係に焦点をあてながら整理してきました。

ここで、冒頭述べた問い、すなわち「日本銀行も含め多くの中央銀行は、近い将来CBDCを発行する計画はないが、それにもかかわらず、CBDCに関する調査研究に熱心に取り組むのはなぜか」という問いに、私なりの答えを申し述べておきたいと思います。理由は2つあります。第一に、技術革新のスピードは速く、急激にリテール決済の市場構造が変化し、キャッシュレス化が進む可能性も考えられます。場合によっては、CBDC発行の必要性が急速に高まるかもしれません。そうした事態にも対応できるように、中央銀行は最新の情報技術動向やそのCBDCへの応用可能性に関する理解を深めておく必要があります。第二に、本日の後半のお話で述べたとおり、CBDCの調査研究を通じて、すなわち、CBDCというレンズを通して、「お金に求められる機能とは何か?」、「中銀マネーと民間マネーの補完関係をどのように改善できるか?」、「民間デジタル通貨の機能をどのように向上することができるか?」といったより根源的な問題を考察し、決済システム全体を改善していくヒントが得られるのです。

日本銀行としては、今後とも、この2つの観点を踏まえて、CBDCにかかる検討を進めていく方針です。この面での最近の取り組みを2つ紹介しますと、まず、技術面では、分散型台帳技術に関する調査研究を進めています。欧州中央銀行(ECB)との共同研究「プロジェクト・ステラ」はその一環です5。これまで3本の報告書を公表しており、中央銀行の当座預金を用いた資金決済に対する分散型台帳技術の応用可能性――すなわち、ホールセール型CBDC――などについて研究を行ってきました。

一方、法律面では、日本銀行金融研究所が昨年11月に「中銀デジタル通貨に関する法律問題研究会」を設置し、CBDCを巡る主な法的論点の洗い出しを行っています。情報技術が急速に発展するもとで、仮に日本銀行がCBDCを発行する場合に、どのような法的論点があり、それらについてどのような解釈が成り立ち得るか、検討を進めているところです。近いうちに、報告書を対外公表できるものと思います。

日本銀行としては、今後とも、様々な視点から、CBDCも含めた決済システムのあり方について検討し、決済システムの効率性や安全性の改善に向けて取り組んでいく方針です。以上で、本日の私のお話を終えることとします。ご清聴ありがとうございました。

  1. 5http://www.boj.or.jp/paym/fintech/index.htm/