【挨拶】最近の金融経済情勢について
佐賀県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 亀崎 英敏
2011年2月2日
目次
1. はじめに
日本銀行の亀崎でございます。本日はお忙しい中、坂井佐賀県副知事、秀島佐賀市長、並びに佐賀県の経済界を代表される方々にお集まり頂きありがとうございます。また、皆様方には、日本銀行佐賀事務所および福岡支店が大変お世話になっております。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。私が公の立場で当地を訪れたのは今回が初めてですが、この筑後川周辺地区は、まさに私の故郷です。私が生まれてから高校を卒業するまで過ごしたのは、お隣の山川町、現在のみやま市で、今も両親が健在のため毎年帰郷しております。この度、こうして故郷の皆様の前でお話しさせて頂く機会を持つことができましたのは、大変な光栄と存じます。
私は、2007年4月までの41年間、総合商社に勤務し、その後、今日まで4年近く、日本銀行の審議委員を務めております。日本銀行では、総裁・副総裁と審議委員からなる政策委員の9名が、各地の経済界の方々と金融経済情勢についての意見交換の目的で懇談会を開催しています。本日は、まず私から、日本全体のマクロの金融経済情勢についてお話しさせて頂きたいと思います。もっとも、金融経済情勢は、地域ごとに異なる部分もありますので、皆様にはしっくり来ない点もあるかもしれません。そうした点につきましては、後ほど皆様から当地の経済情勢のお話や、日本銀行の金融政策運営等についてのご意見を頂戴しながら勉強させて頂きたいと考えておりますので、宜しくお願いいたします。
2. 経済・物価情勢
(1)世界経済
それではまず、世界経済の情勢についてお話しします。2000年代の世界経済は、ITバブル崩壊などによる初期の低迷の後、グローバル化の進展に伴う世界各地での生産性の向上や、エマージング諸国の世界市場への組み込みの進展などにより高成長が長く続きました(図表1(1))。米国では、住宅価格が大きく上がり、家計はそれを担保に借入れを行い、消費を増やしました。住宅価格が上がったのは、人口増加やベビーブーム世代の持ち家購入に加え、金融機関が、住宅ローンを裏付けとした証券化商品を組成し、金融技術によって見掛け上高い信用力を付与して世界中から低利で資金を集めたことも理由の一つです。また、南欧やバルト諸国など欧州周縁国では、為替がユーロあるいはユーロ連動となり、為替相場の安定と低金利の恩恵により海外から多くの資金を集め、成長が加速しました。中国では、WTO加盟前後から海外からの直接投資を呼び込んで力強い成長となりました。内需が牽引するかたちで高成長を続けるブラジル、ロシア、インド、中国といった新興国が、合わせてBRICsと呼ばれるようになったのはこの頃です。
ところが、米国の住宅価格が2006年頃をピークに下落し始め、住宅価格上昇を見込んで借入を行った多くの家計が支払不能となると、住宅ローン関連の証券化商品のデフォルトが相次ぎ、それらを購入した世界中の投資家に損失が発生しました。それを機に、投資家が世界中のリスク資産から投資資金を引き上げる動きが強まったため、2007年の夏頃から欧米金融市場が混乱し始め、2008年秋のリーマン・ブラザーズの破綻で大規模な金融危機に陥りました。そして、信用不安が金融市場の混乱を引き起こして実体経済の悪化に繋がり、それがまた金融機関や金融市場に影響を与えるという悪循環となって、世界中の経済が大きく落ち込みました。また、資産価値の下落により過剰債務を抱えることとなった金融機関や家計などは、その調整を進めなければならないため、前向きの支出行動には慎重とならざるを得なくなったことも、経済を下押ししました。
こうした事態にあって、各国は大規模な金融・財政政策を採ることで、経済の悪化を食い止めようとしました。その結果、2009年の春頃、在庫調整が一巡するとともに、世界経済は持ち直しに転じました。その後は、新興国が速やかに高成長に復したほか、先進国も、新興国の需要増加に加え、金融・財政政策の効果、在庫復元の動きなどから、米国が緩やかな回復を続けているほか、ユーロエリアは国ごとのばらつきを伴いながらも、全体として緩やかに回復しています。この間、2009年秋のドバイショック、昨年春のギリシャ危機、そして同夏から秋にかけての景気刺激策と在庫復元の一巡による減速など、心配される局面はいくつもありましたが、何とか乗り越えてきています。但し、欧米先進国では、過剰債務の返済に追われ、前向きの支出には慎重な経済主体が多いため、回復ペースがなかなか加速してきません。すなわち、米国では住宅価格が大きく下がり、住宅の価値対比で過剰な住宅ローンを抱える家計が多いほか、金融機関も融資の回収が困難になっています。また、欧州周縁国では、経済好調時に海外から多額の資金を取り入れた政府や金融機関が経済低迷の下で返済に苦慮しています。
今後も、世界経済は、新興国の高成長と欧米先進国の低成長という二極化の下で、回復を続けるものとみています。もっとも、過剰債務問題を抱える欧米先進国は、何らかのショックで内需が抑制されやすい脆弱な経済環境にあるため、経済の下振れリスクが高いとみております。欧州周縁国を巡る国際金融市場の動揺が、世界経済に再びショックを与えるリスクにも注意が必要です。一方で、生産、所得、支出の好循環メカニズムが作用している新興国や資源国では、金融緩和の修正を進めていますが、先進国の金融緩和がもたらす余剰資金が投資先を求めて流れ込む中、成長が一段と上振れる可能性もあります。ただ、それがインフレや資産市場の過熱をもたらす場合には、強い引き締め策が必要となるため、やや長めにみれば下振れリスクでもあります。
(2)日本経済
日本経済の2000年代も、初期の低迷の後、2002年から2007年まで、外需を主たる牽引役とした約6年間にも及ぶ戦後最長の景気拡大を経験しました(図表1(2))。それから下り坂となり、2008年秋のリーマン・ショックを受けて大きく落ち込みましたが、2009年春頃をボトムに持ち直しに転じています。その原動力となったのは、海外経済の回復と政府のエコ関連施策です。これらにより輸出や耐久財消費が伸び、生産の増加を通じて企業収益や雇用、設備投資にも好影響が広がりました。
しかし、昨年秋以降は、緩やかに回復しつつあるものの、海外経済の減速や、エコ関連施策の段階的な打ち切り、円高進行の影響などから、景気は踊り場局面にあります。現在は、この踊り場の先、再び上へと向かう階段を歩んでいくのか、あるいは越えられずに下り階段を降りていってしまうのかの正念場にあります。幸い、海外経済は減速局面を乗り越えたとみられることから、輸出は早晩回復してくるものと思います。また、エコ関連施策打ち切りの影響は、自動車メーカーが補助金終了後に新車を投入するなどの戦略により、生産や販売が幾分持ち直していることなどからすると、いつまでも経済の足を引っ張ることはないように思われます。このほか、円高の進行が一服していることもあります。そのため、日本経済は、踊り場局面を短期間で終え、再び緩やかな回復経路に復していく可能性が高いと考えています。その結果、雇用・所得環境や設備投資の改善傾向は続くものと思います。ただ、先行き不透明感が強い中で、家計も企業も、積極的に前向きの支出を行おうとはしないと思われるため、力強い回復は望めないでしょう。
もっとも、こうした見方には不確実性があります。まず、海外経済には先程述べたような上振れ、下振れのリスクがありますが、それが日本の輸出をはじめとする企業活動全般へ与える影響が考えられます。また、国内には、人口減少などにより将来の成長期待が弱まり、年金問題や財政赤字の問題などの不安要素とも相俟って、家計や企業の支出意欲が一段と低下するという下振れリスクも考えられます。一方、そうした不安が和らげば、前向きの支出増加に繋がる可能性もあるものと思います。
(3)足許の物価情勢
次に物価情勢です。国際商品市況は、足許では、特に新興国経済の成長や、先進国の金融緩和による余剰資金の流入などを背景に上昇しています(図表2(1))。それを受けて、日本の輸入物価も、円高の進行によりかなり抑えられていますが、上昇しています(図表2(2)、(3))。また、国内における財の企業間取引価格の変動を示す国内企業物価指数も、緩やかに上昇しています(図表3)。
一方、家計の財・サービスの購入価格の変動を示す、生鮮食品を除く消費者物価指数(CPI)は、2009年3月以降、前年比マイナスとなっており、デフレが続いています(図表3(2))。但し、2009年8月に-2.4%のボトムをつけた後は、緩やかなマイナス幅の縮小傾向が続いています。国際商品市況の影響を受け難い、エネルギーと食料を除くベースでも、2010年4、5月の-1.6%をボトムとして、基調としては緩やかにマイナス幅を縮小しています。これは、国際商品市況の上昇に加え、日本経済の回復により需給ギャップが縮小しているためだと考えられます(図表4(1))。
先行きも、国際商品市況の上昇や需給ギャップの縮小を背景に、生鮮食品を除くCPIの前年比マイナス幅は縮小していき、来年度はプラスに転じるものと考えています。しかし、物価の先行きにも、実体経済と同様、不確実性があります。まず、新興国経済の強まりによる国際商品市況の上振れが考えられます。一方、景気回復が想定よりも遅れるなどして人々の先行きに対する悲観論が広がった場合、今のところ安定している中長期的な物価についての見方が下振れ、実際の物価も下振れてしまう可能性もあります(図表4(2))。このほか、テクニカルな要因として、今年夏に予定されているCPIの基準改定の影響があります。統計の癖から考えて、新基準でのCPIの前年比は下方修正される可能性が高いと思われます。とはいえ、統計の変更で経済実態が変わる訳ではなく、中長期的な予想物価上昇率が安定的に推移し、マクロ的な需給バランスも緩やかに改善していくと見込まれる中、日本経済がデフレから脱却していく方向に向かっているということ自体は確かなものと思います。
(4)展望レポートについて
以上は私の見通しですが、日本銀行では毎年4月と10月に、全政策委員の見通しを統合した「経済・物価情勢の展望」を作成し、それを数字で示したものと合わせて公表しています。また、7月と1月にはその修正見通しも公表しています。
直近1月において、政策委員が最も実現可能性が高いと考えている見通しは、図表5のとおりです。実質GDPの前年比をみると、2010年度は大きく落ち込んだ前年の反動で+3.3%とやや高めの成長となった後も、2011年度は+1.6%、2012年度は+2.0%と、緩やかな成長が続く見通しとなっています。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、2010年度は-0.3%とマイナスが残ります——ここでは高校授業料の実質無償化の影響(約-0.5%ポイント)は除いています——が、2011年度は+0.3%、2012年度は+0.6%と緩やかなプラスを展望しています。なお、これには統計の基準改定の影響を織り込んでいません。
各政策委員は、先行き見通しをある程度の幅をもってみていますが、各予想値の実現可能性を確率で考えています。それを全委員分まとめて棒グラフで示したものが図表6です。棒グラフの山の高さ、裾野の広さはメインシナリオの実現性の高さを表しますが、より将来の見通しほど山は低く、裾野が広くなっており、先行きの不確実性が高いことがわかります。また、棒グラフの山の左右への偏りは上振れ、下振れのリスクの高さを表しますが、いずれも大きな偏りはなく、リスクは概ねバランスしていることがわかります。
3. 金融政策運営
次に、リーマン・ショック以降の、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。
(1)金融危機への対応
2008年秋、米国リーマン・ブラザーズが破綻すると、日本を含む世界中の金融市場の参加者は、次の破綻を恐れて戦々恐々とし、余剰資金があっても他の市場参加者には貸さず手許に積み上げるという行動を採ったため、急激な金融収縮が発生しました。日本銀行は、そうした事態に対処するため、緊急の流動性供給策として連日大量の即日資金供給オペを実施したほか、ドル資金供給オペの導入、一部外国債の適格担保化などを行いました。また、CP・社債市場において流動性が極端に枯渇するなど市場機能が著しく低下し、これが企業金融全体の逼迫に繋がったため、それらの買入れも行いました。適格担保の格付け要件の緩和も行い、そうした民間企業債務担保の範囲内で、0.1%の固定金利で期間3か月の資金を無制限に供給する企業金融支援特別オペなどの措置も導入しました。
さらに、緩和的な金融環境を確保するための施策として、政策金利である無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導目標水準を世界最低水準である0.1%まで引き下げました。そして、それを維持しながら潤沢な資金供給が行えるよう、金融機関が日本銀行に預ける預金の一部に金利を付ける補完当座預金制度も導入しました。
このほか、市場の緊張が、株価の下落や信用コストの高まり等を通じて資金仲介機能と金融機関経営の両面に大きな影響を及ぼしている状況を踏まえ、金融システムの安定確保を図るための施策も講じました。具体的には、金融機関による株式保有リスク削減努力を支援するための株式買入れや、金融機関が十分な自己資本基盤を維持することを支援するための劣後特約付貸付の供与といった措置です。
これらの施策のうち、時限的に導入した措置については、金融市場が落ち着きを取り戻すにつれて、徐々に完了してきています。
(2)物価安定の下での持続的成長に向けた政策運営
足許では、日本の金融市場は安定しており、経済も緩やかに回復しつつありますが、根強いデフレは続いています。そこで日本銀行は、日本経済がデフレから脱却し、物価安定の下での持続的成長経路へと復帰するため、現在、包括的な金融緩和政策を通じた強力な金融緩和の推進、金融市場の安定確保、成長基盤強化の支援という3つの措置を通じて、中央銀行としての貢献を粘り強く続けています(図表7)。
イ.強力な金融緩和の推進
まず、強力な金融緩和は、日本銀行が昨年10月に決定した「包括的な金融緩和政策」の実施を通じて行っています。この政策は、(1)金利誘導目標の変更、(2)時間軸の明確化、(3)資産買入等の基金の創設、の3つの措置からなります。
(1)金利誘導目標の変更は、政策金利である無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導目標水準を、それまでの「0.1%程度」から「0〜0.1%程度」に変更する措置です。0.1%でも十分低金利ですが、さらなる低下を許容することで、実質的にゼロ金利政策を採用していることを明確化しました。
(2)時間軸の明確化は、この実質ゼロ金利政策を、金融面での不均衡の蓄積といった問題が生じていないのであれば、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで継続する、というものです。物価の安定とは何かというと、日本銀行は各政策委員が考える「中長期的な物価安定の理解」を公表しており、その中で、ゼロ%以下のマイナスの物価上昇率は許容せず、委員の大勢は1%程度を中心と考えている、と明確に示しています。通常、景気回復局面では先行きの政策金利の変更時期の見通しがばらつき、長めの金利が振れやすくなりますが、このように政策金利の変更条件を明確に示しておけば、市場において政策変更に関する共通認識が形成され、長めの金利が安定するものと期待されます。こうした「時間軸効果」は、景気回復が進み、企業収益が改善してくる過程において、企業は収益対比で低利の資金調達を行うことができるため、より大きな金融緩和の効果を発揮すると考えられます。
(3)資産買入等の基金の創設は、国債やCP・社債、さらにはETFやJ−REITといった多様な金融資産を買入れる基金を創設し、3か月ないしは6か月の資金を0.1%で供給するという固定金利オペを含め、その総額を35 兆円程度とする、というものです。通常、中央銀行が金融政策を実行する場である短期金融市場における金利は、多くのものが既にゼロ%に近付き、これ以上の低下余地が少なくなっているため、さらなる金融緩和のためには、より長い金利や、よりリスクのある資産価格に働きかけていく必要があります。そこで、リスク性資産を含む資産買入等の基金を創設し、その活用を通じて長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を促すこととしました。特に、ETFやJ−REITといったリスク性資産の買い入れは、中央銀行としては極めて異例ですが、日本銀行の買入れが呼び水となって市場参加者の投資姿勢が積極化すれば、リスク・マネーの仲介が円滑化し、企業の資金調達環境は一段と改善するものと考えられます。
ロ.金融市場の安定確保
また、日本銀行は、金融市場が安定的に推移している現在も、さらに万全を期すため、多様な資金供給オペレーションを活用しているほか、様々な措置を講じています。実際、金融市場への潤沢な資金供給を続けており、昨年末の日本銀行当座預金残高は22兆円を超え、リーマン・ショックの影響が大きかった2008年末の約15兆円や、2009年末の約20兆円をも上回る水準となりました。資金の供給量だけでなく、金融機関がいつでも資金を調達できるという安心感を醸成するための措置も採っています。例えば、金融危機に対応するために導入した時限措置のうち、補完当座預金制度や外国債の適格担保化、ドル資金供給オペは現在も続けており、市場が不安定化することを未然に防ぐべく機能しています。
ハ.成長基盤強化の支援
さらに日本銀行は、日本経済の成長基盤強化に向けた、民間金融機関による融資や投資の取り組みに対し、長期かつ低利の資金を供給する施策を行っています(図表8)。現在、金融市場や金融機関には資金が十分に行き渡っており、また企業のキャッシュ・フローは潤沢で、家計には巨額の金融資産が温存されています。こうしたことから、日本経済がなかなか力強い成長とならない理由は、資金が不足しているからではなく、企業や家計といった各経済主体が前向きな投資や消費を行おうとしないからだと思います。その背景には、これまでの日本経済の趨勢的な成長力の低下が、各経済主体の成長期待を低下させていることがあるものと考えられます。そして、それが需要不足をもたらし、根強いデフレの根源的な要因となっているとも考えられます。そこで日本銀行は、このデフレの根源的要因を解消するため、自らが持つ機能を活かして今後の成長が期待できる分野への資金供給を促し、各経済主体の成長期待を高めていくことを支援していこうと考えました。もちろん、この措置だけでその目的が達成できる訳ではありませんが、一つの呼び水となることで、この問題についての議論がさらに深まり、成長基盤強化に向けた様々な取り組みが進んでいくことを期待しています。
昨年6月に決定された本措置の暫定的な評価としては、概ね狙い通りの滑り出しと思います。まず、本措置は全国の多数の金融機関の関心を呼んでおり、対象希望先は140以上、実際の貸付先は100以上となっています。貸付金額は、これまでの2回分の合計で約1兆5千億円となり、貸付実行期限である来年6月まで1年半を残して既に上限3兆円の約半分に達しました。対象となった個別投融資は、分野別にみると、環境・エネルギー、社会インフラ整備、医療・介護、地域再生、アジア事業など多くの分野に広がり、中には地場産業への取り組みもみられます。また、本措置の資金供給期間は最大4年にもかかわらず、実際の個別投融資はそれを超えるものが7割以上となっているほか、本措置を機に専用のファンドや投融資制度を創設し、中には借入限度額である15百億円を超える投融資枠を設定する例もみられるなど、狙いとした呼び水効果が徐々に発揮されつつあることも窺われます。
4. 物価安定の下での持続的成長経路への復帰に向けて
次に、日本経済の構造的な問題について触れたいと思います。これまでお話ししてきたとおり、足許の日本経済は緩やかに回復しつつありますが、成長力が弱いためデフレが続いており、バブル崩壊後の「失われた10年」は、今や「失われた20年」となりました。このまま「失われた30年」に陥らないためには、どうすればよいでしょうか。
(1)日本の経済成長過程
ここで、日本の経済成長の過程を振り返ってみます(図表9)。まず、終戦直後の日本には、目指すべき豊かな欧米先進国という目標があり、追い付け追い越せと頑張れば、比較的早くキャッチアップできる、後発者利益が得られやすい状況にありました。また、生産年齢人口の増加、特にその全人口に占める割合が増加する人口ボーナスの進行により、成長が加速しやすい状況にもありました(図表10)。さらに、戦前から工業化が進んでいたことなどから、低価格で高品質の工業製品を作ることができる数少ない国であり、国際市場にライバルがあまりいませんでした。こうした好環境の下、政府のきめ細かな産業政策やメインバンク制による強力な企業支援、年功序列や終身雇用制による労働者の高いロイヤリティなど、いわゆる日本型経済システムも好循環の形成を助ける潤滑油としてうまく機能し、高成長を実現したものと考えられます。
その結果、日本は1968年に世界第2位の経済大国となり、1970年代に入って一人当たりGDPでも欧米先進国にかなり追い付いて、自らも先進国の一員となりました(図表11)。しかし、世界経済の先頭集団に入ることは後発者利益が得られなくなることであり、人口ボーナスの進行が止まったこともあって、高度成長を導いた環境はかなり変わりました。そして、石油ショックや円高にも見舞われる中、高度成長は終了しました。それでも、まだ生産年齢人口の増加は続き、また工業製品のライバル不在という状況も続いたため、安定的な成長は続きます。そして1980年代は、多くの国民が豊かさを実感できるようになりました。しかし、日本の国際的プレゼンスが高まる中で貿易摩擦が深刻化し、プラザ合意による一段の円高や、外圧による市場開放、金融の自由化などを受け入れます。こうした状況の下、バブルが発生しました。
1990年代は、前年末にピークを打った日経平均株価の下落から始まります(図表12)。バブル崩壊です。その後、不良債権処理に明け暮れ、低成長が続き、そしてデフレにも陥った「失われた10年」となりました。この間、日本の成長力を巡る重要な変化が起きています。まずは、1995年をピークとした生産年齢人口の減少への転換です(前掲図表10)。そして、冷戦終結による市場のグローバル化、国際的な資本移動の自由化、情報通信技術の高度化などの進展を契機とした新興工業国の台頭です。このことは、それまでの日本の成長を導いた好環境がほぼ失われたことを意味します。そのため、不良債権処理が概ね終了した2000年代も内需の成長力が弱い状況は続き、「失われた20年」となってしまいました。
(2)成長力の再強化のために
このように、「失われた20年」の原因は、それまでの成長を導いた好環境の喪失にあると思われます。こうした中、再び成長力を強化するためには、まずは失われた環境を取り戻す努力が求められます。例えば、生産年齢人口の減少に対しては、女性や高齢層の労働参加のさらなる促進、具体的には育児への社会支援の強化や新たなスキルの獲得を支援する積極的な雇用政策など、政府、企業、そして社会全体が協力していくべきことは論を俟ちません。また、国際市場での競争に勝っていくためには、FTA/EPAの締結国を増やすなど競争条件を改善すべきです。そして、日本がこれまで得意としてきた海外の高成長を日本の成長に結びつけるという成長モデルを維持、発展させることが求められます。そのためには、農業の生産性を高め競争力を強化して、経済成長と農業が両立する道筋をつけることも必要です。
また、環境変化に合わせた新たな成長モデルの構築も必要です。世界経済の先頭集団に位置し続けるためには、前例踏襲や他国の模倣ではなく、新たな成長分野を自ら開拓しなければ、後発国にすぐ追い付かれてしまいます。そのためには、企業がリスクを取って新分野へ挑戦することが必要です。また、所要の生産要素を、他の分野から移動させて資源配分の効率化を図る必要もあります。例えば、日本が進んだ技術を持つ環境関連産業や、世界で最も早く進展している高齢化への対応が否応なく求められている介護・医療産業などは、集中的に早急に強化すべき分野であります。その成果は、世界的な需要を取り込むことができる、国際競争力の強い先行ビジネスモデルとなるでしょう。
成長力強化のためには、環境変化に合わせて日本型経済システムを変えていく必要もあります。例えば、企業や個人の自由な創造性やチャレンジ意欲を引き出すよう、規制緩和を進めていくことは重要です。また、高成長の継続を前提に設計された制度の中には、低成長下ではコスト負担の面などから継続自体が難しくなっているものもあるため、構造改革や効率化を進めていく必要もあります。実際、これまでに行われた規制緩和は、携帯電話や宅配便などの新産業を生んだり、就業形態の多様化を通じて就業機会の拡大に繋がったりしています。また、高コスト構造是正の取り組みは、内外価格差を縮小させました。今後ともこうした取り組みを進めていけば、日本経済の活力は次第に高まっていくでしょう。
合わせて、社会保障制度の改革や財政健全化に向けた取り組みも大変重要です。なぜなら、国民に大きくのしかかっている年金や財政に対する将来不安が、前向きの支出を抑制し、成長力を殺いでいる面があるからです。低成長下では、企業も個人も政府も、リスクを伴う新たな挑戦や痛みを伴う改革には及び腰で、経済の下支え役を財政支出に頼る状態を長らく続けた結果、政府債務は膨れ上がって、今年度末の国と地方の長期債務残高は、名目GDPの約1.8倍に当たる869兆円にまで達する見通しです(図表13)。先に述べた欧州ソブリン問題は、財政の持続可能性に対する懸念によるものですが、日本も対岸の火事という訳にはいきません(図表14)。市場からの信用を失わないうちに、この問題の解決に向けた道筋をつける必要があります。
(3)日本銀行の取り組み
日本銀行は、先に述べたとおり、日本経済がデフレから脱却し、物価安定の下での持続的成長経路へと復帰するため、中央銀行としての貢献を粘り強く続けています。こうした金融政策面からの取り組みも、日本経済の成長力の再強化を支援するはずです。今後も日本銀行は、その目的の達成のために必要な施策を、プロアクティブに—すなわち主体的に、能動的に—実施していくべきだと考えています。
5. 終わりに—佐賀県について
結びに当たって、当地について述べたいと思います。佐賀県の経済情勢は、厳しいながらも、全体としては緩やかな回復基調にあります。特に県内の生産をみると、輸送機械は、エコカー補助金終了に伴う駆け込み需要の反動を、新車関連部品の生産開始に伴う増産効果で打ち消しつつあるほか、電気機械や一般機械等も堅調であるなど、全体として緩やかな増加基調を続けており、全国よりやや強めの動きとなっています。この結果、足許の鉱工業生産指数は、リーマン・ショック直前のピーク対比9割強の水準となっており、全国が8割強であるのに比べて早いペースで回復しています。中でも輸送機械や電気機械は、既往ピークを上回る水準となっています。こうした背景には、当地を含め九州全体として、(1)自動車や半導体関連工場の立地や増設が比較的最近であるため設備が新しく効率的であることや、(2)全国に比べて労働コストが低廉なこと、(3)アジア地域に近く販売・調達両面で物流コストが低いことなどから、「生産の九州シフト」とも言える流れがあるものと思われます。
こうした全国対比で強い当地経済が、今後さらに発展していくためには、どうしたらよいでしょうか。私は、まずは当地に根付いた「ものづくりの文化」を活かし、今後とも弛まぬ努力を続けていくことが重要だと思います。当地は日本陶磁器発祥の地であり、約400年の歴史を持つ有田焼、伊万里焼などが今でも当地経済の主要産業となっていますが、これは、伝統を守りながらも、それにさらなる磨きをかけてきた成果だと思います。また、当地は世界遺産登録を目指している「三重津(みえつ)海軍所跡」や「築地(ついじ)反射炉跡」が示すように、幕末に日本で初めて実用国産蒸気船や鉄製大砲を製造した歴史を有しますが、こうした先端技術を積極的に取り入れる気風は、現在の主力産業である自動車や半導体関連の生産に活きていると思います。伝統の中に新しい技術を取り入れて発展させている例は、収穫量全国1位の板海苔、ハウスみかん、品質管理によってブランド化した佐賀牛など農林水産業にもみられます。
また、当地の製品、産品の品質や魅力をしっかりとアピールし、他地域の需要拡大に向けて取り組んでいくことも必要です。とりわけ、高成長を続けている新興国の需要取り込みが求められますが、そうした点からはアジアに近いという地理的優位性が活かせるのではないかと思います。実際、上海万博に合わせて同地で開催した物産展において陶磁器の売れ行きが好調であったことや、台湾において当地ブランドのハウスみかんが大きなシェアを獲得していることなど、いくつかの取り組みに成果がみられる点は心強いところです。
加えて、他地域から当地への投資や消費を増やす取り組みも必要です。来月12日には九州新幹線・博多−鹿児島ルートが全線開通し、合わせて博多−佐賀間の特急も増便されます。このことは、県内需要の福岡への流出を加速させるといった見方もありますが、ここはやはり、他地域から当地への需要を呼び込む好機と捉えるべきでしょう。交通インフラの充実は、福岡に近いという地の利もあって、今後も他地域からの工場進出を招く大きなアピール材料になります。また、当地は、豊かな自然に加え、武雄・嬉野等の温泉地、吉野ヶ里遺跡等の観光名所、アジア最大規模のバルーンフェスタ等のイベント、有明海、玄界灘の海産物、羊羹等のお菓子といった豊富な資源を有しており、観光客の取り込みも期待できます。
このように、当地は「ものづくりの文化」や豊富な観光資源、アジアや福岡に近いという地理的優位性、便利な交通インフラなど、高い潜在成長力を持っています。これらを上手に結びつけ、アピールし、一段の発展に繋げていくことを期待したいと思います。ご清聴頂き、誠にありがとうございました。