【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策
長崎県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 森本 宜久
2011年6月23日
目次
1.はじめに
日本銀行の森本宜久です。東日本大震災から3か月半が経ちましたが、現在もなお多くの方々が、避難所での暮らしを余儀なくされるなど、厳しい生活を送られており、心よりお見舞い申し上げます。
本日は、長崎県の行政および金融・経済界を代表する皆様方にご多忙の中お集まりいただき、お話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、皆様には、日頃より長崎支店による業務運営にご協力頂いております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
さて、日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員のいわゆる「政策委員」が、できるだけ頻繁に各地を訪問し、私どもの政策についてご説明申し上げ、かつ直接ご意見をお聞きして、政策判断に活かすこととさせていただいております。本日の懇談会もそうした趣旨で開催させていただきました。本日は、まず私から、内外経済の現状、先行き見通しとリスク要因、日本銀行の金融政策の順でお話しした後、長崎県経済についても触れさせていただきたいと思います。その後は、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたく存じます。よろしくお願いします。
2.世界経済の現状と先行き
日本銀行では、去る4月29日に「経済・物価情勢の展望」、いわゆる「展望レポート」を公表しました。そこでは、当面のわが国経済は、震災による設備へのダメージ、部品供給ネットワーク——いわゆるサプライチェーン——の障害、電力の供給制約などによる下押し圧力に晒されますが、これらの供給面の制約が次第に和らぎ生産活動が回復するにつれ、本年度の後半からは景気は緩やかな回復に戻るとみられるといった見通しをお示ししています。もちろん、生産の回復も、製品が売れなければ長続きしません。このシナリオを支える重要な背景の一つに、海外経済が改善するもとで輸出が増加するという見通しがあります。ですからわが国の経済を考えるに先立ち、世界の経済はどうなのかをみてみたいと思います。
世界経済は、2008年のいわゆるリーマン・ショックから立ち直った後、昨年夏頃から成長ペースが一時的に減速しました。その後、秋の終わり頃からは新興国・資源国の高成長に牽引されて再び高めの成長率を示しましたが、足許では原油価格高騰の影響等から成長ペースが幾分鈍化しています。先行きについては、十分目配りしなければならない点が色々とありますが、基本的には、新興国・資源国経済の高成長が原動力となり、成長ペースは早期に回復して世界経済は拡大を続けると予想しています。IMFも、先行き2011年、2012年と、4%台半ばの成長が続くと予測しています。
(1)先進国経済
先進国と新興国・資源国に分けて考えますと、まず米国経済は、昨年秋以降、FRB(連邦準備制度理事会)による追加金融緩和や、いわゆるブッシュ減税の延長などの財政刺激策を受けて、景気に対する明るい見方が拡がりましたが、日々の生活に関わるガソリン価格の上昇等が個人消費を下押しし、経済成長率も幾分低下するもと、再び慎重ムードが出てきています。5月の雇用統計も、非農業部門雇用者数の増加幅が市場予想を大幅に下回るなど、労働市場の改善傾向は依然として確固たるものとはなっていません。バランスシート調整の重石や財政再建の道筋が定まっていない点なども含め、下振れリスクに留意する必要性は高まっています。
もっとも、米国経済の先行きについては、力強さを欠きながらも緩やかに回復することをメインシナリオとしてみていましたので、これまでの動きは、下の方ではありますが、想定の範囲内の動きであるとみていて良いのではないかと思っています。先行きも、新興国・資源国向けを中心に輸出は増加基調を辿るとみられますし、ここ数週間調整局面にある株式市場もやや長い目でみれば底堅さを保っていると言え、そうしたもとで個人消費や設備投資が大きく崩れるとは考えにくい状況です。下振れリスクを意識しつつも、過度に悲観することなく情勢を見守りたいと思います。
欧州経済は、好調なドイツなどと深刻な財政問題を抱えるギリシャやポルトガル等周縁国との間で回復ペースの格差が大きくなっていますが、全体としては緩やかに回復してきました。また、先行きも同様の構図で緩やかな回復が続く見通しです。ただ、4月頃からギリシャの財政健全化や資金調達計画の実現性に対する疑問が生じ、国債利回りは10年物で15%を超えるなどかつてない水準まで上昇し、他の周縁国の金利も上昇しました。金融市場から実体経済全体にダメージが拡がる可能性がありますので、ギリシャはじめ周縁国の財政立て直しとEU全体での対応を注視していく必要があります。
(2)新興国・資源国経済
新興国・資源国経済は、堅調な内需を核として拡大しています。先行きも、インフレ懸念が高まるもとで金融を引き締める動きが続くとみられますが、経済は幾分減速しつつも高めの成長を維持する見通しです。中国では、消費者物価上昇率が5%を超え続ける中、当局も懸命に金融引き締めに動いています。実体経済をみますと、人々の収入が増え都市化が進むもと、幾分減速しつつも個人消費や住宅投資、各種インフラ投資は増加を続けると考えられ、これが牽引役となって高成長が維持される見通しです。NIEs、ASEAN経済も、一部に日本からの部品出荷の停滞が生産に影響しているとの見方はありますが、設備投資や個人消費などの国内民需が引き続き堅調に推移し、輸出も拡大が続くとみられるもとで、景気は回復基調を辿ると予想されます。なお、国際商品市況の調整に伴い、資源国経済の成長テンポの鈍化が懸念されますが、減速が長期化する可能性は低いと思われます。
3.わが国経済・物価の現状と先行き
さて、以上のような海外経済の現状と先行き見通しなどを念頭におきながら、ここからはわが国の経済や物価についてお話ししてまいります。
(1)経済情勢
まず、実体経済ですが、昨年秋口以降、エコカー補助金廃止に伴う自動車への駆け込み需要の反動などから改善の動きが一時的に弱まった後、本年入り後は、海外経済の高成長などを受けて緩やかな回復経路に戻りつつありました。しかし、東日本大震災が発生し、多くの設備がダメージを受け、サプライチェーンが分断され、電力不足が起こる中で、自動車に代表されるように売れるとわかっていてもモノが作れない状態となりました。リーマン・ショック時のいわゆる「需要の蒸発」とは異なりますが、3月の鉱工業生産指数は実に前月比-15.5%と単月では統計作成以来最大の落ち込みとなりました。海外経済の回復を起点に輸出や生産の増加がわが国経済の回復を支えていく、というメカニズムが、特に震災直後は部分的に麻痺したということです。
供給面の制約は今なお存在しており、当面は生産面を中心に下押し圧力が残ると思われますが、持ち直しの動きがみられるのも事実です。サプライチェーンの復旧時期について、自動車産業を中心に企業の横断的取り組みを含めた懸命の努力、総力を挙げた「現場力」によって、一頃考えられていたより前倒しになるという声が拡がっています。また、気温次第ながら、東北、関東圏の夏季の電力需給見通しが当初よりは緩和される等明るい材料もみられます。こうしたもとで、当初は秋口以降に供給面の制約が和らいでいくとみていましたが、生産は7〜9月中に震災前の水準まで戻る可能性が強まっており、秋口頃には供給面の制約が概ね解消されるのではないかとみられます。少し長い目でみた電力供給不安等の不確実性は依然残りますが、そうした状況になれば、海外経済の改善が輸出や生産の増加につながり、この動きがわが国経済の回復を支える原動力として作用し始めると考えられます。またその頃になると、震災で損なわれたインフラ、建物、設備の復旧・復興の動きも本格化し、わが国経済を押し上げると思われます。
需要項目別にみますと、まず輸出ですが、自動車関連を中心に大幅に減少するなど、サプライチェーンの寸断の影響が如実に現れました。もっとも、海外需要自体は全体として拡大が続くと考えられます。また、自動車はじめ輸出メーカーは供給の空白期間を最短にすべく全力を傾けています。ですから、為替動向には注意が必要ですが、従来みていたよりやや前倒しされ、7〜9月のどこかのタイミングで抑え込まれていた出荷が大きく動き出して震災前の水準をほぼ回復する可能性が強まっていますし、その後も輸出は拡大経路を辿るとみて良いと思います。
設備投資は、生産の増加や収益の回復を背景に、2009年度後半以降、下げ止まりから緩やかな持ち直しに向かいました。震災の影響による企業心理の悪化はあるものの、各種の指標をみる限り、足許でも意外に底堅いとの印象を受けています。これは、企業の成長期待は安定していることの表れではないかとも思っています。こうしたもと、設備投資は、当面一進一退はあるものの、2010年度の高収益を背景に底堅く推移し、秋口頃からは輸出、生産の復調に加え、震災復興の取り組みも本格化するにつれ、持ち直しは明確になると予想されます。
次に家計部門のうち個人消費をみますと、震災直後の自粛ムードが徐々に和らぐもと、百貨店や家電販売等の小売サイドからは、不安感を伴いながらも、消費の地合いは正常化しつつあるという声も聞かれています。また、各種指標の動きからみて消費者マインドも幾分改善しつつあるため、先行きの個人消費は徐々に緩やかな持ち直しに向かっていくとみて良いのではないかと考えております。もちろん、夏場の電力需給がサービス業に与える影響には注意が必要ですし、長引く原発問題や節電意識は消費者マインドに影を落とすものと思います。また、雇用・所得環境も、賃金面を中心にやや厳しさが増しています。このため、持ち直しと申しましても、その足取りはかなり緩やかなものとなる可能性が高いと思います。
(2)物価情勢
物価を考えるに当たっては、当面、マクロ的な需給バランス、中長期的な予想物価上昇率、国際商品市況の3点がポイントになると思います。マクロ的な需給バランスは、短期的には、震災により供給力が落ちる一方で、消費者心理の悪化などから需要も減るため、差し引きどうなるか、こうと言い切れないのが実情です。ただやや長い目でみますと、景気が緩やかな回復基調に戻っていくにつれて需給バランスは基調的には改善していくと考えられます。中長期的な予想物価上昇率は、各種アンケート調査等をみるとここ数年1%程度で安定しています。原油等の国際商品市況は、最近一旦調整していますが、新興国の経済成長や一次産品の金融商品化等、これまで市況を押し上げてきた要因はさほど変化していません。
こうした中、国内企業物価は、やや長い目でみてマクロ的な需給バランスが改善基調で推移するもと、国際商品市況の緩やかな上昇を前提とすると、今後も相応に上昇するとみられます。また、消費者物価指数(除く生鮮食品)についても、同様の背景から小幅のプラスで推移すると見込まれます。但し、本年8月に予定されている2010年基準への改定によって、消費者物価指数(除く生鮮食品)がある程度下方修正される可能性は高いと思います。
4.先行き見通しを取り巻くリスク
以下では、こうした経済と物価の見通しを取り巻くリスクについてお話しします。
(1)経済を巡るリスク
展望レポートでは、経済を巡るリスクとして、(1)震災の影響に関する不確実性、(2)企業や家計の中長期的な成長期待の動向、(3)海外経済の動向、(4)国際商品市況が一段と上昇した場合の影響の計4項目を挙げました。
震災の影響に関する不確実性とは、供給面の制約が解消する時期、震災で損なわれた設備等の復旧が本格化する時期やその規模、そして消費者や企業のマインドを通じた影響などの見極めが、なかなか難しいということです。なお、マインドを通じた影響は、原発問題の行方や企業収益、雇用者所得の見通しにも左右されます。また、震災の影響から成長力に対する懸念が高まり、企業や家計の中長期的な成長期待が下振れますと、支出意欲が抑制され、経済が長期間下押しされるリスクがあります。逆に成長戦略への取り組みに弾みがつけば、成長期待は上振れる可能性があります。
海外経済の動向を巡るリスクについては、先ほど大方ご説明しましたので重複は避けますが、これまでよりやや大きくなっているように感じられます。新興国では、景気拡大による上振れリスクがある一方、金融引き締めが続いていますが、景気の過熱やインフレ懸念が十分に鎮静化されている状況ではなく、より長い目でみれば、景気の振幅が拡大して、持続的成長を損なうおそれもあります。また、国際商品市況が一段と上昇しますと、その分家計の購買力は弱まりますし、企業収益も一層厳しくなり、その結果、国内民間需要が下押しされることになりかねません。
こうしたリスク要因については、私としてはどれも軽重のつけがたい重要な事項であると感じています。供給制約の解消が想定より早まれば経済が上振れる可能性がありますが、やはり、未曾有の津波や原発事故を伴った大震災ですから、その影響の不確実性からくる下振れリスクを最も重く受け止めざるを得ないと思っています。またこの点と関連して、国内の空洞化が進む形で生産拠点の海外シフトが加速しないかどうか、特に中小企業の皆様にとって重大な関心事だと思いますが、私もここは注意が必要だと考えています。
(2)物価を巡るリスク
次に、物価の見通しを巡るリスク要素ですが、今申し上げた経済を取り巻くリスクの顕在化が考えられます。先ほど、物価を考える際のポイントとしてマクロ的な需給ギャップを挙げ、震災の影響による短期的な動向は判然としないと申し上げました。仮に供給制約から品不足が生じたとしても、企業は、そうした状態が一時的と判断すれば、安易な値上げ等の顧客を失いかねない決定は控えるでしょう。一方で、経済の下振れリスクが顕在化し、経済の低迷が長引いた場合には、物価が相応に動く可能性があります。
このほか物価に固有のリスク要因としては、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率の動向のほか、国際商品市況や為替相場の変動に左右される輸入物価の動向があります。
5.金融政策運営
(1)金融政策運営の考え方
以上、経済と物価情勢について述べてきましたが、ここからは、金融政策運営についてお話しします。日本銀行は、わが国経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復することが最重要課題であると認識しています。そうした認識のもと、(1)「包括的な金融緩和政策」を通じた強力な金融緩和の推進、(2)金融市場の安定確保、(3)成長基盤強化の支援という3つの措置により、これまでも最大限の貢献をさせていただきましたし、今後も粘り強くこれを続けてまいります。また震災後には、金融市場の安定確保の観点から、その影響による諸々の事態あるいはリスクに即応すべく、様々な手を打ってきました。
「包括的な金融緩和政策」を通じた強力な金融緩和の推進
「包括的な金融緩和政策」とは、昨年10月に決定した政策パッケージです。その内容は3つありまして、まず第一に、日本銀行のいわゆる政策金利である無担保コールレート・オーバーナイト物という銀行間の資金取引の中で最も期間の短い金利の誘導目標を、実質的にゼロ金利といえる「0〜0.1%程度」としたということです。2つ目は、「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化です。これは、「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラス領域で中心は1%程度」という「中長期的な物価安定の理解」に基づいて、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続するということです。但し、その際には、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、問題が生じていないことを条件にしています。そして3つ目は、資産買入等の基金の創設です。これは国債やリスク性資産であるCP、社債、ETF、J-REITなど多様な金融資産の買入れなどを行うため、臨時の措置として踏み切った金融緩和策です。日本銀行のバランスシート上に基金を設け、現在に至るまで着実に買入れを進めています。
成長基盤強化の支援
成長基盤強化の支援は、これからの成長の基盤となり得る分野への融資・投資に取り組む民間金融機関に対して、日本銀行が長期かつ低利の資金を貸し付ける施策です。日本銀行は「環境・エネルギー」、「医療・介護・健康」や「観光」等18の分野を例示していますが、これにとらわれず、地場産業への取り組みなど「その他」に分類されるものも相当程度みられています。日本銀行がこうした政策を実施する背景には、1990年代以降の趨勢的な成長率の低下がデフレにも大きな影響を与えており、このためデフレからの脱却には様々な成長分野の育成が肝要であるという問題意識があります。言い換えますと、デフレから脱却するためには、循環的な景気回復を目指していくことは当然ですが、同時に日本経済の長期的な成長率を高めていくための取り組みが重要です。国の方でも、「新たな経済成長の実現に向けた『新成長戦略』」を策定し取り組みを進めていますが、私は、日本銀行として金融面から本制度を掲げ、実施することは、実際の貸付による効果だけでなく、一種の強いメッセージ、問題提起となっていると考えております。
さて、成長基盤強化支援のための貸付は、昨年6月の金融政策決定会合で導入が決まり、この6月8日に4回目となる資金貸付が実行されましたが、貸付総額の上限である3兆円にほぼ達することとなりました。このため、先週の金融政策決定会合では、枠一杯となりつつあるこの制度の今後の取り扱いについて議論することとなりました。まず、これまでの貸出実行の評価ですが、幅広い金融機関が自らの顧客基盤や地域性などの特性に応じて、成長を支援するファンドを組成する等の多様な取り組みを活発化しており、投融資額も日本銀行による貸付額を大きく上回るなど、本制度の狙いであった「呼び水」効果は十分に発揮されたと言えます。但し、出資や新規開拓等への取り組みに果たした効果は十分とは言えず、その裏返しとして、地域の貸出市場における金利引き下げ競争が助長されているといった声も聞かれます。
こうしたもとで、今後の本スキームのあり方について、私は、個々の金融機関がこれまでの経験を生かしながら、現場ニーズに沿って創意工夫を凝らすといった、民間の自主的な取り組みを、より一層広範に、かつしっかりと後押しするという役割を担っていくことが望ましいと考えました。金融政策決定会合でも、日本銀行は、金融機関がわが国経済の成長基盤の強化に向けて一段と活発に取り組むことを支援するとのスタンスを堅持し、これまで以上に潜在的な成長力の掘り起こしに焦点を当てるような手を打つことが決まりました。具体的には、これまでの実績が少額にとどまっている出資や担保力の乏しい企業の資金調達の円滑化に役立つと考えられる動産・債権担保融資等を対象に、新たに貸付枠を設けることとしました。併せてこの貸付枠では、金融機関が利用しやすいように1回の貸付期間を長くしたり、隅々に至るまできめ細かく成長の芽を掘り起こし、ニーズに応えていく観点から、個別投融資の最低額を引き下げたりするといった工夫を施しました。
(2)東日本大震災後の対応
一方、東日本大震災発生直後から、日本銀行では、金融・決済機能の維持、金融市場の安定確保、経済の下支えの3つの観点から、様々な措置を機動的に行ってきました。
金融・決済機能の維持、金融市場の安定確保
まず、金融・決済機能を維持するため、被災地への現金の供給や、日銀ネットをはじめとした主要決済システムの安定稼働確保に万全を期してきました。また、震災直後の予備的な資金需要の高まりに対応して、市場における需要を十分に満たす潤沢な資金供給を行いました。具体的には、震災後最初の営業日、つまり週明けの月曜日に21.8兆円というリーマン危機時の3倍近い規模の資金供給をオファーしました。その後も、連日多額の資金供給を続けた結果、民間金融機関が日本銀行に預ける日銀当座預金残高は、3月24日時点で42.6兆円と、過去最大の規模となりました。日銀当座預金残高は震災前まで17兆円前後でしたから、いかに手厚い資金供給であったかご理解いただけるかと思います。こうした日本銀行による潤沢な資金供給を背景に、金融市場は震災後も安定して推移してきました。
金融緩和の一段の強化 — 資産買入等の基金の増額 —
また、震災直後の3月14日の金融政策決定会合では、企業心理の後退や、金融市場におけるリスクを極力回避しようという姿勢の高まりが、経済に悪影響を与えることを未然に防止するという観点から、CP、社債、ETFなどのリスク性資産を中心に、資産買入等の基金による資産買入れ額を従来の2倍の10兆円程度に増額し、金融緩和を一段と強化することを決定しました。私も、市場に対して十分な安心感を与えるために、思い切った追加緩和策を打ち出すことは極めて重要であると考えたところです。例えば、震災直後に上昇したCP発行スプレッドは落ち着きを取り戻し、良好な発行環境が維持されるなど、今回の措置は、市場に対して安心感を与え、企業マインドの委縮や金融市場におけるリスク回避姿勢の高まりに歯止めをかける効果があったと考えています。なお、震災後、中小企業の資金繰りが窮屈化する傾向がうかがえます。今後も、金融環境を評価する際には、そうした点もしっかりフォローしてまいりたいと思っています。
被災地金融機関の支援措置
以上の措置に加えて、日本銀行は、今後予想される復旧・復興に向けた資金需要が本格化する前の段階において、被災地の金融機関を資金面から支援するため、これらの先を対象とした長めの資金供給オペレーションを実施することにしました。また、被災地金融機関の資金調達力を支えるため、被災地金融機関に対しては、日本銀行が受け入れる担保の要件を緩和しました。
私も、阪神淡路大震災に比べて被害が大きくなっている今回、当時の対応や経験を十分踏まえ、早期に被災地金融機関に長めの資金を供給するなど思い切った対策を通じて、窮状にある中小企業をはじめ被災地を支援していくことは、時宜にかなった有力な政策手段であると考えました。
被災地金融機関を支援するためのオペレーションは5月に始まり、一昨日第2回が実施されました。貸付額は累計で約2,000億円となります。適用金利は0.1%、予定貸付総額は1兆円で、本年10月まで原則として毎月オペレーションを実施します。
ところで、今回の被災地金融機関向けの支援措置は、あくまで今後予想される復旧・復興に向けた資金需要への初期対応を支援するという位置づけですが、日本銀行として、被災地の一日も早い復興・再生さらには成長のため、復興支援の枠組みについてどのような措置が考えられるかという観点から、今後も検討していきたいと考えています。
6.おわりに
最後に、歴史のある長崎県経済について触れさせていただきます。
長崎県の産業構造を県内総生産の産業別構成比でみると、この10年間では、造船関連が比較的高い操業度を維持していることもあってウエイトが若干上昇しているものの、製造業全体のウエイトが低く、製造業の就業者数もこの10年間で2割強も減少しています。こうした背景等から、長崎県の人口は、若年層の県外流出を主因に一貫して減少しており、将来的にも全国を上回るペースで減少すると予想されています。また、そうしたもとで、生産年齢人口の割合の低下、老年人口割合の上昇も早いピッチで進行する見通しです。
こうした中、長崎市を中心とする地域においては、一昨年8月に、商工会議所、経済同友会、経営者協会、青年会議所の4つの経済団体で構成され、長崎県、長崎市、長崎大学をオブザーバーとする「都市経営戦略策定検討会」が発足し、昨年5月に提言「みんなでつくろう元気な長崎」が公表されたと伺っております。いささか僭越ではありますが、こうした動きについての感想を申し上げますと、第一に、当地経済の先行きの厳しさに対する強い危機感から、産・学・官が地域活性化に向けて幅広く積極的に連携して取り組み、それぞれのトップ7名の方が直接意見を出し合う「長崎サミット」を年2回開催してその推進状況をフォローするという枠組みは、全国的にもあまり例をみないものとして注目されるところです。第二に、先行きの県内需要の縮小が不可避な中で、県外・海外からの需要取り込みについて、「基幹製造業」、「観光」、「水産業」、「大学」の4つを重点分野に絞り込んだことは、地域の特性を十分踏まえた先見的かつ合理的なものと思われます。なお、長崎地域だけでなく、佐世保地域でも同様の取り組みが始まったと伺っており、こうした動きが他地域に波及して長崎県全体の活性化につながっていくことを大いに期待しています。
また、本年度からスタートし、今後5年間の県政の基本的な方向性を示す「長崎県総合計画」を拝見しますと、将来像を実現するためのキーワードとして、「農林水産業、製造業、観光など様々な産業における『雇用の場の創出』」、「アジアの活力を本県に取り込む『アジア・国際戦略』の展開」など、「都市経営戦略策定検討会」による提言と共通の思想が織り込まれているようにお見受けしました。私は、今年度の動きのうち、特に以下の2つに対して、「長崎の優位性」を活かすものとして注目しています。
まず、第一に、アジアへの近さを最大限活用すべく、官民で連携して進められている「上海航路復活プロジェクト」です。当該航路は、最も安い運賃が片道7〜8千円に抑えられ、本年11月には第1便が就航し、来春にかけて定期便化が計画されていると伺っています。経済成長の著しい中国と長崎が定期航路で結ばれることになれば、観光客の交流面の拡大だけではなく、先行きは長崎を玄関口とした物流面での発展にも寄与するものと考えられるため、当地経済のみならず、日本経済全体の活性化につながることが期待されます。この上海航路を復活させ、十分に活用していくためにも、海外観光客の目線に立った当地観光の魅力を高める工夫や、海外との玄関口にふさわしい港湾環境の整備を早急に検討していく必要があると思われます。
もう一つは、今月からスタートした「食KING王国」のキャンペーンです。当地の美味しい旬の食材を、県内各地の歴史、文化、自然と結び付け、長崎の“食”の魅力を全国へアピールして観光客誘致に取り組むというものですが、他地域との競合も激化する中で、著名な総合プロデューサーを起用してキャンペーンを戦略的に実行していくことは大変有意義なことと思います。このほかにも、産業観光・造船観光といったまさに“長崎らしい”取り組みが進められていると承知していますが、私としましては、行政、財界、大学が一体となった真摯な取り組みが実を結び、地域住民の理解も得ながらそれぞれの提言や計画の目標が着実に達成され、その結果として元気な長崎県経済を目の当たりにできることを切に願うところです。日本銀行としましても、引き続き強力な金融緩和を推進するなどして、皆様のチャレンジを支援させていただければと存じます。ご清聴ありがとうございました。