【挨拶】欧州を中心とする最近の金融経済情勢とわが国の金融政策
山梨県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2011年11月2日
目次
1.はじめに
日本銀行の白井さゆりです。本日は、山梨県の行政および金融・経済界を代表する皆様方にお集まり頂き、親しくお話しする機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より、日本銀行甲府支店の様々な業務運営にご協力いただいております。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。
日本銀行では、総裁、副総裁と6人の審議委員から構成される政策委員会メンバーが、全国各地を訪問し、日本銀行の考え方や金融政策をご説明するとともに、地域経済の状況やご意見をお聞かせ頂き、政策判断の際に参考にさせて頂いております。個人的な話になりますが、山梨県には、幼い時分に家族とともにぶどう狩りに訪れたことがあり、もぎ取ったばかりのぶどうのおいしさとともに、道すがら眺めた富士山の美しさ、雄大さに息を飲んだ記憶があります。その後、ずいぶん経ってから、千円札の裏面にデザインされている富士山が山梨県側からみた姿であることを知りましたが、私が今年4月に日本銀行の政策委員会に加わることになり、さらに私にとって初めての金融経済懇談会が当地での開催となりまして、皆様にはいろいろなご縁を感じております。どうぞ宜しくお願い致します。
本日は、まず、わが国経済の先行きを左右する世界経済や国際金融市場の動向についてみていきたいと思います。皆様も報道等でご存じのとおり、現在、国際金融市場が不安定化しておりますが、その根源の一つとなっているのが欧州財政・金融問題です。今回はこの問題について、わが国経済あるいは金融市場への影響に触れつつ、少し時間を頂いて詳しくお話ししたいと思います。その上で、わが国の経済の現状と先行き見通しについてご説明するとともに、日本銀行の政策対応についてご紹介したいと思います。これらのお話に対しまして、のちほど、皆様方から、当地の実情に即したお話や率直なご意見を承れれば幸いに存じます。
2.世界経済と国際金融市場の動向
それでは本題に入ります。世界は、目下のところ、二つの課題に直面しています。具体的には、世界経済の減速感の強まりと欧州の財政・金融問題をきっかけとする国際金融市場の不安定化です。
2-1.世界経済の展望
まず、世界経済については、一部新興諸国にやや減速感がみられますが、引き続き高い成長力を維持して世界経済を牽引しています(図表1)。新興諸国の強みは、成長途上で所得や雇用が伸びているため内需が旺盛であること、財政が全体として健全なため財政出動の余地が大きいこと、労働者が豊富なこと、技術面でキャッチアップ段階にあり労働生産性の高い伸びを実現しやすいことなどがあげられます。もっとも、なかには、インフレ圧力が高く金融引き締めが必要とみられる国もあり、経済成長を損なうことなく、安定した経済を実現していくうえで、難しい政策のかじ取りを迫られています。
他方、先進諸国では緩やかな経済成長が続いていますが、米国は一頃予想されていた以上に減速しています。実際、国際通貨基金(IMF)を始めとする多くの国際機関やシンクタンクが、秋口に今年と来年の成長見通しを大きく下方修正しました。米国では今年前半の経済成長率はかなり低下しましたが、それには日本の震災に伴うサプライチェーン障害によって自動車等の生産が減少したことに加え、ガソリン価格の高騰を受けて家計の実質所得が押し下げられたことなどが影響しています。しかし、明るい面としては、企業収益が堅調で、生産、設備投資や輸出も引き続き増加しています。最近の企業の景況感に関連した指標をみると、一頃に比べ、低迷した水準で推移していますが、こうした市場での悲観的見方に比べて、実体経済面ではそれなりに堅調さを維持しているとみています。
とはいえ、米国では、家計における住宅バブル崩壊の後遺症--いわゆるバランスシート問題--が残っていることから、景気の回復ペースはごく緩やかなものに留まっています。家計にとって、住宅ローン等の債務は依然として過剰な状態にあり、雇用・所得環境の改善が緩慢なもとで、債務返済は重い負担となっています。しかも、金融資産の3割ほどが株式に投資されているため、最近の株価低迷がもたらす負の資産効果も大きいと思われます。こうしたなか、オバマ大統領は本年9月に4,470億ドル(GDP比3%)の雇用対策を発表しましたが、米議会の審議の先行きが不透明な中、来年からの景気押し上げ効果が期待できるのか不透明となっています。こうした状況を踏まえて、先行きについては、引き続きバランスシート調整の圧力が残る中で、緩やかな景気回復ペースに留まるとみています。
2-2.国際金融市場の不安定化
このように世界経済の減速感が強まっている状況下で、国際金融市場では、(後述する)欧州の財政・金融問題に対する懸念の強まりから、グローバルな投資家のリスク回避姿勢が強まっています。
具体的にみると、国際金融市場では、本年7月から8月上旬にかけて、米国における債務上限引き上げをめぐる議会対立や米国債格下げなどを契機に、緊張が高まりました。その後、市場では、欧州の財政・金融問題について、EU(欧州連合)あるいはG7とG20等において抜本的な解決策を打ち出せなかったとの受け止め方が強まり、グローバル投資家のリスク回避姿勢がさらに強まる展開となっています。このため、7月下旬以降、リスク性資産である株式の価格が世界的に大きく下落し、安全資産とみなされる主要先進国の国債の価格が上昇(すなわち国債利回りは低下)しましたが、10月に入ってからは株価が幾分回復(国債利回りは上昇)するといったように、振れの大きい展開を続けています。また、米欧を中心に社債のスプレッドが拡大し、低格付けの社債発行が困難な状況が続いています。世界の新規株式公開(IPO)も激減しました。さらに、9月以降は、本来、安全資産とみなされている金のほか、その他の商品市況も下落しました。また、為替市場でも、相対的に安全通貨とみなされた円は、ドルとともに、対新興国、対資源国通貨に対して上昇しました。この間、一部の新興諸国では、国際資金の流れが流入から流出に転じ、株・債券・通貨のトリプル安が生じるといった状況もみられました。
このように国際金融市場が不安定になっているのは、欧州の財政・金融問題の解決に向けた対策とその実現性について、市場による信認が十分得られていないことに起因しています。この問題は次に述べるように一朝一夕に解決する問題ではありません。従って、当面、国際金融市場では緊張感の強い状況が続くとみておいた方がよいと思います。
3.欧州の財政・金融問題
以上、世界経済の展望と国際金融市場の動向を概観してきましたが、次に、国際金融市場が不安定化している根源の一つである欧州の財政・金融問題について、やや詳しくみていきたいと思います1。当地においては、世界経済あるいは国際貿易の面で、特に中国をはじめとするアジア諸国との関係が深いと聞いておりますが、近年では、地元ブランドである「甲州ワイン」を欧州に輸出するプロジェクトに力を入れてこられるなど、欧州との関係も着実に深まっていると伺っております。こうした欧州をはじめとする世界経済の動向が、当地経済・産業に対して与える影響等についても、皆様のご意見を後ほどお伺いできれば幸いです。
さて、欧州といいますと「EU」とか「ユーロ圏」という言葉をよく耳にされると思います。この違いを申し上げますと、EUは27カ国からなる経済共同体で、このなかではモノやカネの動きに対する規制は殆どなく自由に流通しており、人口約5億人が住み、EU域内GDPは世界の2割を超える世界最大の経済圏です。一方、このなかの共通通貨ユーロを採用している地域がユーロ圏と呼ばれており、現在17カ国から構成されています。ドイツ、フランス、イタリア等の経済規模の大きな国が参加しており、人口は約3億3千万人、ユーロ圏域内GDPは世界の約15%を占め、米国に次ぐ大きな経済圏を形成しています。なお、ユーロ圏はドイツ、フランス、オランダ、ベルギーといった「中心国」と、ギリシア、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアといった「周縁国」に分けて論じられることが一般的ですので、本日は基本的にこの用例に従ってお話して参りたいと思います。
- 1 本節は2011年10月末までの情報をもとに記述されています。
3-1.ユーロ圏が抱える3つの問題
現在、財政問題が深刻化しているのはユーロ圏です。まず、2010年春にかけてギリシアの財政問題が発生しました。その後、2010年秋にアイルランドで、2011年初めにはポルトガルで財政赤字と政府債務が問題視され、政府の資金調達コストが上昇し、3カ国ともEUとIMFから金融支援を受けることになりました。ギリシアについては、2011年半ばになると、事実上国際公約した財政再建・経済改革プログラムが予定通り進捗していないことが明白になるにつれ、財政問題が再燃しました。こうした一連の欧州諸国の財政問題に対する懸念の高まりは、これら諸国の国債を多く保有する欧州系金融機関の信用力の低下に繋がり、資金調達コストが上昇しています。
こうした状況を受けて、EUでは、10月末に、欧州の財政・金融問題の解決に向けた「包括戦略」を打ち出し、問題解決に向けて一定の進展がみられたと思います。市場でもEUの取組みをまずは評価しているようですが、「包括戦略」の決定を契機に、グローバルな投資家のリスクテイク意欲が回復して、国際金融市場が安定を取り戻すことになるのか、今しばらくは状況を見極めていく必要があると思います。いずれにせよ、ユーロ圏は大きな経済圏であるだけでなく、(米国と並んで)グローバルに事業展開する大手金融機関の本拠地であり、ユーロ圏外の地域との経済及び金融とのつながりが深いため、世界経済あるいは国際金融市場に及ぼす影響が懸念されていますので、以下では、こうしたユーロ圏が直面する問題について、次の三つの問題に集約してお話したいと思います。
ギリシアの財政再建・経済改革
第1の問題は、そもそもの問題の発端であるギリシアの財政再建・経済改革プログラムに対して市場の信認が失われていることです。ギリシアはユーロ圏に参加する以前からもともと政府債務の規模が大きい国でした。しかも、政府が統計自体を操作して財政赤字を過少計上していたことが2009年後半に発覚したことから、ギリシアの経済・財政運営に対する不信感が募り、国債が相次いで格下げされて国債価格が急落(国債利回りは大幅上昇)したため、同国政府の資金調達が困難となりました。このため、先ほど申し上げた通り、政府がEUとIMFに融資を申請し、昨年5月から金融支援を受けるに至っています。
ギリシアは、金融支援を受ける条件として、EUとIMFとの間で、4半期ごとに予め合意したプログラムの進展度に沿って審査を受けることが義務付けられており、承認されれば予め決められた金額が支払われる分割融資となっています。このうちの第6回目の融資分は、当初は本年9月に承認される予定でしたが、その可否の判断は一旦見送られました。その理由は、今年と来年の財政赤字目標が計画通り達成できないことが明らかになったためです。ギリシアでは、2008年から現在まで4年間連続してマイナス成長が続く可能性が高いという厳しい景気後退局面が続いています。このため、増税後でも税収が伸び悩んでおり、財政再建の遅れの一因となっています。それに加えて、所得捕捉上の問題もあって、効果的な歳入増加策もなかなか見当らないとの指摘も聞かれています。このことから、市場では、同国がさらに大胆な歳出削減あるいは抜本的な歳入確保(例えば民営化)を進めない限り、上記のプログラムが頓挫する可能性を強く意識しています。ところで、この第6回目の融資ですが、10月下旬に議会が公務員削減を含む追加的な財政赤字削減策を柱とする法案を可決したことから、11月前半には融資を受けられることになったようですが、先行きは依然予断を許しません。
さて、ギリシアに対する金融支援を昨年5月に開始する際に想定されていたシナリオは、「同国が順調に財政再建と経済改革を進めることで2012年からは自立が可能となって市場から資金調達ができる」というものでした。ところが、実際にはシナリオ通りにはいかず、ギリシアの国債利回りは高止まりしたままで、かなり高い金利を支払わないと市場からの資金調達が難しい状況になっています。
そこで、2012年からの資金調達を支援するべく、これまで説明した既存の支援とは別に、ギリシア政府とEU・IMFの間で、新しい「第2次金融支援」が取り決められました。この際に、これら当事者の間で、「政府債務が大き過ぎるために、金融支援を受け続けるだけでは持続的に債務返済ができる状態にはならない」との認識が強まったことから、大手金融機関の業界団体である「国際金融協会(IIF)」の仲介により、ギリシア国債を多く保有する金融機関(民間債権者)にも自発的に負担をしてもらうことになりました。具体的には、2020年までに償還期限が到来する国債の多くを新規国債に転換したものを民間債権者が受け入れ、その際に現在価値換算で2割程度の債務を削減し、その代わりに新規国債に元本保証を行うといった内容の債務再編案が示され、金融機関の大部分は同案に同意しました。
しかし、最近では、ギリシアの財政状態が想定以上に悪化しているため、一部の加盟国からは、当初の債務再編案の債務削減率では持続的に債務返済できる状態にならないことから、さらに追加の債務削減を求める声が聞かれるようになりました。こうした声を受けて、10月末には、EUと民間債権者の間で交渉が行われ、債務削減率を5割まで引き上げることになりました。しかし、同時に厳しい財政再建を進める必要があります。そのため、ギリシアでは、景気後退のなか、国際公約を守るために、さらに追加的な財政再建を要求され、それにより一層国内景気が冷え込むという悪循環に陥っています。こうした悪循環を断ち切るためには、債務削減ももちろん重要ですが、成長を生み出す経済改革を進め、財政健全化の道筋をたてて、市場の信認を回復していくことが重要であると考えています。
ギリシア財政危機の波及を阻止する体制の整備
第2の問題は、ギリシア問題が他のユーロ圏加盟国へ波及するのを阻止する体制についての問題です。欧州各国は2008年の米国リーマンショックによって発生した世界金融危機に対応するために、景気対策や銀行救済策を相次いで実行しましたので、軒並み財政赤字と政府債務が増加しています。こうした状況下、ギリシア財政危機は、財政再建や経済改革を進めるのが相対的に困難とみられたアイルランドやポルトガルといった周縁国の国々に波及したわけです。
こうした状況を踏まえて、EUは、域内の財政・金融問題の連鎖的な波及を防止するために、昨年、「欧州金融安定基金(EFSF)」を設立しました。これは、同基金が市場で債券を発行してその資金をユーロ圏の問題国に市場より低い金利で貸し付けること、問題国以外のユーロ圏加盟諸国がこの債券に債務保証をするという構想です。この仕組みの成立後に金融支援を要請したアイルランドとポルトガルには既に適用されています。ギリシアの第2次金融支援の資金もこの仕組みから捻出されることになります。その後、この基金が発行する債券に対する各加盟国の保証額を拡大することでEFSFの貸出可能額を高め、国債の市場からの買入れやEFSFによる金融機関への資本注入等の機能を拡充する案がユーロ圏首脳会議で合意され、本年10月には各加盟国が無事に批准しました。
ところが、市場では、既にスペインやイタリアといった域内でも経済規模が大きい国々への危機の伝播が意識されており、ユーロ圏首脳会議で打ち出された基金の機能拡充策の貸出可能額ではこれら大国への波及を防止するには不十分であるとの受け止め方が広がっています。もっとも、これ以上の貸出可能額の拡大は、ドイツ等が難色を示しており、なかなか実現困難な状況です。そこで、10月末のEU・ユーロ圏首脳会合では、レバレッジを利かせてEFSFの危機対応力を高める新たな方策で合意しましたが2、詳細は11月以降に改めて検討が行われることに加え、今後の各国の承認プロセス等を考えると、実際に利用可能となるには相応の時間を要するとみられます。こうしたユーロ圏全体への財政危機の波及を防ぐ体制整備の問題は、国際金融市場の安定化に向けて重要ですが、市場の信認を得られるかどうかがポイントとなります3。
- 2 現在の貸出可能額を変更せずに、EFSFが直接的に融資するよりも何倍もの拡大が可能な「保証」等の提供が認められれば、大国を含む危機の波及を効果的に抑制できるという考え方です。
- 3 このほかに、EFSFを常設化し、問題国の債務(国債)再編の円滑な実施を可能とする「欧州安定メカニズム(ESM)」を2013年半ばに設置することが既に決定されています。また、現在、この設置時期を1年前倒しする案が検討されていると伝えられています。
財政問題から金融システム問題への転化
第3の問題は、欧州の財政問題が金融システム上の安定性の問題へと転化していることです。当初はギリシアの財政問題だったものが、財政不安あるいは経済改革への信認が低下するなかで、ギリシア以外の国々にも波及し、さらに、これら諸国の国債の信用力が疑問視されるなかで、こうした国債を多く保有する欧州系銀行に対する懸念へと問題が拡大しています。この結果、欧州系銀行の市場からの資金調達が困難になっています。こうした銀行を国内に多くかかえる国々では、フランスやベルギーなどユーロ圏の中心国も多く、欧州の財政問題は今や金融システム上の安定性へと問題が深刻化しつつあります。
2011年7月に欧州域内の銀行を対象としたストレステストの結果が公表され、自己資本増強の進捗が確認されましたが、その後も状況はあまり改善をみせていません。実際、IMFは、欧州系銀行に対してギリシアを含む周辺諸国の国債価格下落に伴う潜在的な損失額が2,000億ユーロ前後との推計値を示したうえで相当な規模の資本増強が必要と指摘しています。しかし、株価が低迷するなか自力で資本増強をするのは容易ではありません。このため、金融機関の間では、カウンターパーティリスクに対する懸念が高まったことで、市場運用を手控える銀行もみられています。加えて、ターム物を中心に無担保取引が縮小する傾向もみられており、欧州系銀行の資金調達コストは、長めの資金およびドル建てを中心に上昇しています。そこでEUでは、10月末に打ち出した「包括戦略」の中で、国債価格下落に伴う損失を織り込んだうえで、自己資本比率9%の達成を義務付けることとし、自力での資本増強が難しい場合には、必要に応じて各国政府あるいはEFSFによる金融機関への資本増強を行うことを決定しました。
当初のギリシアのように問題が財政に限定されていれば、解決策は、短期的には歳入拡大と歳出削減、中長期的には持続的な経済成長の実現に向けた経済改革が基本となり、対応方針は比較的立てやすいといえます。しかし、金融システムの安定性の問題への対応となると、国際金融市場への影響もあり、格段に難しくなります。現在は、財政問題とあわせて金融システムの安定性という課題にも目配りしなければならない難しい状況となっており、このことが、国際金融市場を不安定化させている重要な要因となっています。
3-2.欧州実体経済への影響
こうした欧州の問題は、財政、金融システムのみならず、堅調であった実体経済にも影響を及ぼしつつあり、これら三者の間に負の相乗作用が働き始めています。そこで、以下では、この点を念頭におきながら、欧州の実体経済の現状と先行きについて確認しておきたいと思います。
足もとの欧州経済ですが、世界経済の減速を受けて、改善の動きに一服感が見られています。これまで景気のけん引役となっていた輸出の増勢が大幅に鈍化し、生産や消費の伸びも鈍化しています。また、企業や消費者の景況感も悪化しています。国ごとにみると、製造業が強いドイツを含む中心国では、減速感が強まりつつも、企業部門を中心に設備投資も堅調で比較的好調を維持しています。雇用や所得環境も改善傾向にあり、ドイツでは失業率は約7%まで低下しています(図表2)。その一方で、ギリシアやポルトガルといった周縁国では、もともと国際競争力が弱いうえに、既に見てきたように財政健全化を巡る市場の懸念が強く、国債の格下げも相次いでいることから追加的な緊縮財政を余儀なくされており、それが短期的な景気下振れ要因となっています。
先行きについては、全体として緩やかに回復していくとみています。家計の所得環境は引き続き厳しく個人消費の伸びはあまり期待できませんが、輸出は、新興国経済の底堅い成長に支えられるという前提のもとで、次第に増加していくことが見込まれるほか、中心国を中心に設備投資が引き続き堅調に推移すると考えられます。
とはいうものの、財政の健全化はユーロ圏各国が共通に直面する課題でもあります。ユーロ圏の政府債務残高は対GDP比で2010年は85.4%と高く、しかもユーロ圏基準値である60%を大きく上回っています。このことから、財政赤字は今後も減らしていく必要があるので、ユーロ圏域内で景気刺激策として財政発動を行う余地はかなり限られていることになります。金融政策についても、政策金利は1.5%と既に低い水準にあり引下げ余地がさほどありません。財政・金融政策の発動余地が限られつつあるなかで、当面は不安定な経済状態が続く可能性に注意が必要です。
4. わが国経済の現状・見通し及び日本銀行の対応
次に、以上のような世界経済と国際金融市場の動向のもとで、わが国経済の現状・見通しと日本銀行の対応について、お話ししたいと思います(詳細については、先日公表した「展望レポート」をご参照下さい)。
4-1.わが国経済の現状と見通し
3月11日の東日本大震災後、日本経済は、急激かつ大幅に落ち込みました(図表3)。この要因としては、第1に、震災により、工場や物流インフラが破壊されたことに加え、自動車を中心とする製造業のサプライチェーンが寸断されたため、企業の生産活動が全国的に大きく落ち込んだことが挙げられます。加えて、第2には、原発事故による電力会社の発電能力が低下したことに伴い、電力の供給不足が生じて、製造業、非製造業を問わず影響が広がったことも指摘できます。さらに、震災に伴う自粛ムードや原子力発電所事故による放射性物質の問題などによって消費者心理が冷え込んだことも影響したと思います。
わが国経済の現状
その後のわが国経済の展開をみると、震災による供給面の制約が解消に向かう中で、着実に持ち直してきました。サプライチェーン障害といった供給面での制約は、関係者の皆様のご努力もあって、予想以上に早く回復してきたといえます。ただし、このところの生産や実質輸出については、水準は震災前に戻っていますが、伸び率は緩やかになっています(図表4)。輸出については自動車を中心に増加していますが、その一方で鉄鋼やデジタルカメラ等の輸出が減少しています。設備投資は緩やかに増加しており、9月日銀短観で示された設備投資計画も、中小企業を含めまずまずの結果となっています。なお、タイの大洪水については、現時点で被害の全容が明らかになっておりませんが、当地を含めて、近年、完成品あるいは部品生産拠点として、自動車関連を中心に日系企業が数多く進出しており、サプライチェーンへの影響などを注意深くみていく必要があると考えています。この間、消費については、ほぼ震災前の水準に近づいていますが、外食売上高がまだ震災前水準に戻っていないなど一部に弱さが残っています。訪日外国人の人数も、依然として、震災前の水準を下回っています。
経済・物価の先行き見通し
先行きについては、当面、海外経済減速や円高の影響を受けるものの、その後は、復興需要が徐々に顕在化していくことから、緩やかな回復経路に復していくと判断しています(図表5)。設備投資は、企業収益の改善や、国内外の需要回復、政府経済対策の効果等を前提として、増加が見込まれます。また、消費も、雇用・所得環境が徐々に改善に向かうもとで、次第に底堅さを増していくと見ています。
なお、物価については、本年8月にCPIの基準改定が行われたこともあって、現在は0%近傍で推移しています。先行きについては、CPI改定の影響に加え、10月以降、たばこ税と傷害保険料の押し上げ効果が剥落するといった要因も加わり、当面はゼロ近傍で推移するとみています。なお、中長期的な予想物価上昇率は、家計や企業、エコノミストを対象としたアンケート調査等からみて、引き続き安定しているとみられますが、今後の動きには引き続き注意していきたいと思います。
先行きのリスク
こうした経済・物価の見通しには様々な不確実性があるわけですが、先行きのリスクとして私が特に意識しているのは、第1に、欧州の財政・金融問題が深刻化した場合に様々な経路を通してわが国に及ぼすリスクです。第2に、(欧州以外の)海外経済の下振れリスク、第3に、やや長い目でみた、企業や家計の中長期的な成長期待が低下する可能性に留意する必要があると考えています。
第1のリスクについては、日本に対する影響として考えられる経路として、主として、国際金融市場を介した「国際金融チャネル」と輸出など貿易取引を介した「貿易チャネル」が考えられます。
まず、国際金融チャネルについては、市場が不安定化するなかにあっても、現在のところ、わが国の金融・債券市場は総じて安定しています。また、わが国金融機関の資金調達コスト等に影響がみられているわけではありません。もともとギリシア、ポルトガルやアイルランドへの投融資がさほど大きくないためです。しかし、内外の金融市場の連関が高まるなかで、グローバル投資家の安全志向がさらに強まれば、株式などリスク資産の価格が世界的に下落する可能性があります。内外の金融市場の一体化が進む中で、わが国の株価もそれに連動して下落したり、為替市場で、相対的に安全通貨と認識されている円の為替レートが、ドルや資源国・対新興国通貨に対して一段と上昇することが考えられます。その結果、企業や家計の心理が悪化し(実際、9月日銀短観では、先行き海外需給判断DIで供給超過幅が拡大しています)、わが国の景気が下振れるリスクがあります。
後者の貿易チャネルについては、さきほど申し上げたように、欧州の財政・金融問題が深刻化することによって欧州の実体経済が下振れた場合に、直接的に、わが国から欧州へ向けた輸出を下押しする可能性があります。EU全体に対する我が国の輸出(実質ベース)は、全体の1割ほどを占めておりますので、相応のインパクトとなり得る点に留意しておく必要があります。また、アジア諸国からEU向けの輸出が減少することで、間接的に、日本からの輸出に影響が及ぶリスクもあります。
第2のリスクについては、米国経済は、雇用が思ったように伸びず、住宅市場も差し押さえ物件の増加にみられるように住宅価格の下押し圧力が強いなか、低迷が続く可能性があり、景気の下振れが長引く懸念があります。また、新興国・資源国は、欧米向け需要が減少するなか、内需主導で成長を続けるとみられますが、インフレ圧力が高いなかで、物価安定と成長を両立する形でソフトランディングできるかどうか、引き続き注意してみていく必要があります。なお、欧州の財政・金融問題の波及により、投資家のリスク回避姿勢がさらに強まった場合、新興諸国における資金流出等により、景気が下振れるリスクにも留意する必要があります。
第3のリスクについては、日本経済は、もともと人口の減少と急速な高齢化の進展などを背景に、経済成長率が趨勢的に低下するという問題を抱えていました。それに加えて、震災後は、電力需給を巡る不確実性や震災からの着実な復旧・復興への取組みなど、新たな課題に直面しています。復興需要の不確実性も気になるところですが、なかでも、私が懸念しているのは電力供給を巡る不確実性です。懸案であった今夏の電力供給については、昨年の記録的な猛暑に比べ気温が低めであったこともありますが、企業や家計の節電対応によって、経済活動への大きな制約となることは回避できました。しかし、やや長い目でみると、日本各地で定期点検中あるいは点検に入る原発の再稼働を巡る状況が依然不透明であり、今冬以降、厳冬あるいは来年には猛暑によってさらに気温が上下する可能性もあることを考えると、電力供給を巡る不確実性は未だに払拭されていません。電力供給を巡る不確実性がこのまま改善しなければ、企業活動にも支障が生じかねないリスクがあります。加えて、円高が一段進み、企業収益や雇用・所得環境を下押ししたり、海外生産シフトが急速に進む場合には、企業や家計の中長期的な成長期待が低下し、景気下振れリスクが強まる可能性にも留意が必要です。
4-2.日本銀行の金融政策運営と震災対応
私を含め、9人の政策委員会のメンバーは、以上のような海外経済、わが国経済の現状と先行き見通し及び様々なリスク要因を考慮したうえで、10月27日の金融政策決定会合において金融緩和の強化を決定したわけですが、この点も含めて、日本銀行が現在どのような政策対応を行っているのかについて、お話しいたします(図表6、図表7、図表8)。
「包括的な金融緩和政策」の強化
第1に、強力な金融緩和を推進して、わが国経済を金融面から下支えするため、「包括的な金融緩和政策」を行っています。まず、政策金利を0〜0.1%程度という、極めて低い水準に設定したうえで、物価安定が達成されると判断できる時期が来るまでそれを続けていくという約束をしています。さらに、昨年10月以来、「資産買入等の基金」という新しい枠組みを設け、この基金を通じて、長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を促すために、国債はもちろん、CPや社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)といった多様なリスク資産を購入しています。震災直後の本年3月には同基金を5兆円増額し、8月には、海外経済の不確実性や急激な為替円高の企業心理や実体経済への影響などさまざまなリスクを考慮して、10兆円増額して、総額50兆円程度としました。さらに、10月末には、物価の安定が展望できる情勢になったと判断されるにはなお時間を要するとみられることや、国際金融市場や海外経済動向次第で経済・物価見通しがさらに下振れるリスクにも注意が必要な状況にあることを考慮して、5兆円を増額して総額55兆円程度とすることを決定しました。こうした資産買入れは、来年末までをめどにしており、現在も一段の金融緩和を実施している途上ですので、金融緩和効果はこれからも表れてくることになります。
金融市場の安定確保
第2に、わが国の円滑な経済・金融活動を維持するため、金融市場の安定確保に努めています。震災直後には、金融機関が資金を融通しあう短期金融市場において、金融機関の不安心理が高まるのを防ぐため、連日、市場の需要を十分に満たすほどの大量の資金供給を続けました。特に震災後の最初の営業日であった3月14日には、21.8兆円もの資金供給を実施しました。こうした施策の効果から、震災後の短期金融市場は震災直後こそ金利が上昇しましたが、その後は落ち着いた動きとなっています。日本銀行では、その後も潤沢な資金供給を続けていることや、わが国金融システムが相対的に健全性を保っていることもあって、欧州の金融市場の緊張感が高まっていても、今のところ、金融市場は比較的安定しています。
成長基盤強化の支援
第3に、より中長期の問題である成長基盤強化の一環として、企業・金融機関によるこうした課題への取組みの呼び水となるべく、「成長基盤強化を支援するための資金供給」を導入・実施しています。これは、中長期的な成長力強化に繋がる案件を発掘し、出資や融資を行った金融機関に対して、日本銀行が借り換えを含めれば最長4年の長期資金を0.1%の低利で供給するものです。本年6月には、不動産担保や人的保証に依存しない動産・債権担保融資等へ担保範囲を拡大した新たな貸出枠を設定する等新たな取組みも始めています。
被災地金融機関支援オペ
第4に、大震災の発生後、被災地金融機関による復旧・復興資金需要への初期対応を支援するという目的から、本年4月に「被災地金融機関を支援するための資金供給オペレーション」を導入しています。被災地における復興資金需要は、動きはみられつつも今のところ本格化の段階には至っていません。しかし、本オペの結果をみると、これまで実施した6回累計で予定貸付総額1兆円に対し、合計で約4,900億円の貸付を行ったところで、相応の需要がみられており、一定の効果を挙げているとみています。また、被災地金融機関の資金繰りの状況については、注意深くモニタリングしていますが、現時点では、被災関連支援資金や保険金の流入もあって、懸念するべき状況にはありません。本オペは、本年10月末に貸付受付期限を迎える予定でしたが、引き続き被災地金融機関における復旧・復興に向けた資金需要への対応を支援するため、本年10月に2012年4月末まで受付期限を延長しました。
米ドル資金供給オペ
第5に、国際金融市場が不安定化するなか、米ドル資金を供給する仕組みを予め用意しておくことにより、金融市場に安心感を与えることも狙って、海外の主要中央銀行と協調し、「米ドル資金供給オペレーション」を実施しています(1週間物は毎週、3カ月物は原則月1回)。欧州の財政・金融問題を契機に、欧州系金融機関のドル資金調達コストが上昇している点は、既にお話しました。他方、わが国金融機関のドル調達環境については、海外とは対照的に、特段タイト化する状況にはありません。とはいえ、内外の金融資本市場間の連関が強まるもとで、国際金融市場が変調をきたす場合には、短期間のうちにわが国に波及するリスクがあります。こうした観点からは、本オペは、海外で業務展開をする邦銀に対してセイフティーネットとして機能するという意味でも、重要であると考えています。
5.おわりに 〜山梨県経済について〜
最後に、山梨県経済について一言触れたいと思います。山梨県の経済情勢をみると、足もとは持ち直しつつありますが、先行きについては、海外経済の減速や為替円高の影響などから、不透明感が急速に広がりつつあります。加えて、より長い目でみると、当地の人口は9年連続して減少しており、65歳以上の構成比も全国平均を上回っているなど、全国と同様、人口減少と高齢化への対応は、当地にとっても中長期的に重要な課題となっているように思います。
こうした中長期的な課題に取り組むうえでポイントとなるのは、やはり当地の強みを最大限活かしていくことだと思います。この点、当地の強みとしては、(1)資本財、電子部品等を中心とする製造業の集積、(2)全国屈指の収穫量を誇る果樹栽培を中心とする農業、(3)豊かな資源に恵まれ年間4,500万人が訪れる観光業の3つが指摘できると思います。2027年に東京・名古屋間の開業が予定されているリニア中央新幹線も当地にとって追い風です。こうした強みをさらに伸ばすべく、既に、当地では、山梨県をはじめとする関係者の皆様が、(1)企業誘致に向けた取り組み、(2)就農支援強化や地場ワイン・高級果樹等の輸出支援、(3)外国人観光客誘致の取組みなどを積極的に進めておられると伺っています。加えて、当地では、豊富な森林資源や日照時間日本一という自然環境を生かして、太陽光発電や小水力発電の普及促進、バイオマス発電の実用化、燃料電池の技術開発といった取り組みが進められています。原発事故を契機に電力供給への関心が高まる中、こうした取り組みは全国的にみても大変意義のあるものと思います。このような当地の強みを最大限活かしていく取り組みが、今後の山梨県経済の一層の発展につながることを強く期待しています。
日本銀行では、今後も、中央銀行として、物価安定のもとでの持続的な成長を達成するために、地域経済、日本経済について真摯に考えて参りたいと存じます。私自身も日本銀行の政策委員会審議委員として、皆様とともに、わが国経済の発展と国民の皆様の幸福を追求すべく、全力で取り組んで参ります。
ご清聴頂き、誠にありがとうございました。