【講演】金融イノベーションの光と影
オランダ中央銀行主催「金融イノベーションがもつ経済厚生上の効果」に関するコンファレンスにおける講演の邦訳(テレビ会議により参加)
日本銀行総裁 白川 方明
2011年11月11日
目次
1. はじめに
本日はウェリンク総裁の退任を記念するコンファレンスにおいて、基調講演をさせて頂く光栄に浴しましたことを、大変嬉しく思います。本日は残念ながら現地で直接参加することはできませんが、テレビ会議 —— これも本日のコンファレンスの主題であるイノベーションの1つですが —— のおかげで、アムステルダムから10,000キロ近くも遠く離れた東京からリアルタイムで参加することになりました。
ウェリンク総裁の卓越した功績については、改めて申すまでもありません。ウェリンク総裁はオランダ中央銀行をはじめとして、バーゼル銀行監督委員会やBIS(国際決済銀行)などにおいて、多岐に亘る貢献を果たしてこられました。私は、これらの機会を通じてウェリンク総裁と仕事を共にすることができたことに感謝するとともに、その他の非公式な場も含めて同総裁から頂いた友情に対し、心からの感謝を申し上げたいと思います。
セントラル・バンカーは —— あるいはもっと広く政策当局者は、と言ってもよいかも知れませんが —— イノベーションを好むものです。イノベーションは成長を促進し、生産性を高める鍵となるものです。これなくしては、我々の経済は生産要素の投入量に比例する形でしか成長できないことになります。イノベーションの重要性は、特に先進国において高まっています。なぜならば、人口の高齢化が進み、労働力の急速な増加が望めない現状において、先進国が今後も経済成長を実現していくためには、イノベーションを通じて生産性を引き上げるという道しか残されていないからです。
この意味で、イノベーションとは、我々が本質的に望ましいと考えるものだと言えます。しかし、我々は本日、「金融イノベーションがもつ経済厚生上の効果(welfare effects of financial innovation)」を議論するために、このコンファレンスに参加しています。こうしたテーマ設定の下で議論をすることができるという事実は、金融イノベーションと称されるものが、実は必ずしも常に経済厚生を改善させる訳ではないということを暗示しているようにも思われます。特に、「イノベーション」の前に「金融」という言葉を付け加える場合、我々がその得失について改めて考えることの意味とは何でしょうか? その考案者たちが「イノベーション」と呼ぶ金融業の変化(developments)が、時として必ずしも好意的には評価することができないものであるのはなぜでしょうか?また、社会全体に恩恵をもたらすようなイノベーションを促すという観点からみた場合、中央銀行にとってのインプリケーションとは何でしょうか?15分という限られた時間の中で、これらの問いに対する明確な回答を用意することは難しいことですが、本日は私なりの考えを申し述べたいと思います。
2. 金融業のイノベーションを誘導するものは何か?
イノベーションとは、顧客のニーズにより良く応えるために、ビジネスの方法を変えることを意味しています。それは絶えざる適応のプロセスであり、その過程で生じる変化は漸進的( incremental )、あるいは非連続(discontinuous)な性格をもっています。こうした点では、金融業も例外ではありません。実際、オランダは今日の我々が理解している意味での金融の世界において、最も早い時期にイノベーションを創出した中心地の1つでありました。例えば、世界で最初の証券取引所は1602年にアムステルダムで設立されましたし、同国のホランド州は、租税収入に裏打ちされる形で公債を発行するという、現代的な財政制度を初めて導入したことでも知られています。こうした歴史上のイノベーションを通じた金融業の発展が、その後の西洋社会の躍進に大きな貢献をしたことは言うまでもありません。
それ以来、金融業におけるイノベーションは今日まで続いています。銀行が取り扱う書類の量は減少し、取引記録はコンピューター・システムで集中管理されるようになりました。ATMの出現は、それまで人手によって行われていた作業の大部分を不要なものとし、我々の財布の中では、各種のプラスチック製のカードが銀行券や硬貨以上に重要な意味をもつようになっています。こうした変化は、従来と同等、あるいは従来よりも優れた金融サービスを、顧客がより低いコストで享受することを可能にするものであり、言葉の通常の意味において、まさにイノベーションと呼ぶに相応しいものです。従って、この種のイノベーションの経済厚生上の効果について、我々が疑念をもつことは殆どないと言ってもよいでしょう。
むしろ我々が懸念するのは、銀行業の中でも「ロケット・サイエンス」と称される側面と結び付いたタイプのイノベーションです。ここではデリバティブ取引を例にとって考えてみましょう。1990年代の初頭、各国の中央銀行が初めてデリバティブ取引に関心を向けるようになった際、多くの専門家は「デリバティブ取引とは、リスクを分解し、それらのリスクを引き受ける意思と能力のある主体に低コストで移転することを可能ならしめるもの」と説明していました1。経済主体のリスク選好が多種多様であることを踏まえれば、デリバティブ取引を通じて実現されるリスクの再配分は、経済厚生を高めるものと考えられた訳です。さらに、こうして効率的なリスク再配分が可能となる結果、金融システム全体もショックに対する耐性を高めるという点が強調されました。概念的に考える限り、こうした立論は理解できるものですが、実際には想像を超えるような失敗例も発生しています。
このような点を踏まえると、「全ての金融イノベーションが同じような働きをする訳ではない」という考え方にも与したくなります。イノベーションの中には、問題なく受け入れることができるものがある一方で、当局による慎重な監視や規制、さらには全面的な禁止に服すべきものもあるということかも知れません。
この問題を考えるに当たっての1つのアプローチは、「何がイノベーションを誘導しているのか」という点に着目するものです。
イノベーションについては、技術誘導型(technology-driven)のイノベーションと、様式誘導型(modality-driven)のイノベーションに分けて考えることができるように思います。技術誘導型のイノベーションは、新しい技術の応用によってビジネスの方法が改良される際に現れるものです。銀行のATMは、その代表的な事例と言えるでしょう。一方、様式誘導型のイノベーションは、ビジネスのプロセス自体を再編成することを通じて、その改善を図るものと位置付けられます。例えば、デリバティブ取引がなくても金融リスクを移転することは可能ですが、デリバティブ取引を利用すれば、リスクの移転をより効率的に行うことができるようになります。技術誘導型のイノベーションと様式誘導型のイノベーションは、相互に重なり合う側面もありますが、イノベーションの意義を考えるに際しては、両者を分けて考えることにも、一定の意味があると思います。
一般的には、様式誘導型のイノベーションより、技術誘導型のイノベーションの方が受入れやすいという面があるように思われますが、だからといって、様式誘導型のイノベーションが本質的に好ましくないということではありません。経済厚生を高めるという点では、様式誘導型のイノベーションも技術誘導型のイノベーションと同様に有効な場合があるでしょうし、利用の仕方を誤れば、どのようなイノベーションであれ、有害なものになりかねないリスクを孕んでいます。もっとも、そうしたリスクを否定することはできないものの、そもそも革新的な商品やサービスであれば、それに満足する顧客の方が不満をもつ顧客よりも遥かに多いと考えられますし、買い手責任(caveat emptor)に立脚した議論を展開することも可能です。あるいはまた、リスクが顕在化した場合でも、「単に不運に見舞われただけだ」という解釈もあり得るでしょう。
しかし、我々はこうした議論をすんなり受け入れることができるでしょうか?仮にこの問いに対する答が「YES」であれば、我々に求められることは、幾ばくかの監視強化の努力と、金融教育面の改善に留まりそうです。しかし、本日この場に集まっておられる皆さんが、こうした考え方で満足されるとは、私には思えません。
現代の金融業には、金融技術の誤用や悪用を誘発しかねないような、インセンティブ構造上の問題点はないのでしょうか?仮にそうした誤用などがないとしても、一握りの専門家しか理解できないような複雑な金融商品を生み出し、イノベーションという名の下にリスクの所在を曖昧にするインセンティブが存在しているという現実を前に、我々は手を拱いていてよいのでしょうか?これまで我々は、あまりにも多くの「100年に一度の事象」に遭遇してはいないでしょうか?
- 1 この点については、Bank for International Settlements, Macroeconomic and Monetary Policy Issues Raised by the Growth of Derivatives Markets, 1994 をご参照下さい。
3. 誰がイノベーションの恩恵を受けるのか?
ここまで、私はイノベーションの目的については、敢えて明言することを避けてきましたが、そもそも金融機関はなぜイノベーションを行うのでしょうか?「イノベーションはビジネスの方法を改善する」と言われますが、具体的には何を改善するのでしょうか?
一言で言えば、金融機関の最も基本的な役割は、金融仲介の機能(intermediation)を果たすことにあります。例えば、企業は外部から資本を受け入れることによって、内部留保の蓄積のみに依存する場合に比べて、より多くの投資やより高い成長を実現することができます。金融機関は、資金をもつ貯蓄主体と資金を必要とするビジネス(投資)主体の間で橋渡しをする存在です。もう1つ、とりわけ銀行にとっての重要な役割は決済の機能です。もし、企業が外貨を簡単に国内通貨に交換することができると確信していれば、自らの製品を海外で効率的に販売し、成長を高めることが可能になります。この場合、金融機関は製品やサービスの売り手と買い手の間で、資金移動が円滑に行われるようにサポートをする機能を担う訳です。このように、異なる経済主体の間に立つことによって、金融機関は経済主体が直面する金融上の制約を様々な形で緩和することに貢献しています。また、こうした金融仲介や決済の機能を通じて、新たな価値が創造され、経済厚生が高まることも期待できます。
こうした見方に立って考えると、金融業のこれまでの変遷の中で、我々が必ずしも好意的に評価できないような事例があったことの理由も、改めて理解することができるようになります。つまり、金融機関が提供する商品やサービスが、金融仲介や決済の円滑化という本来の機能に根ざしていない場合に、問題が発生すると考えられます。金融機関が顧客の、あるいは、広く社会全体のニーズを見失うと、せっかくのイノベーションも価値を失うばかりか、時には有害なものにさえなりかねません。この点、技術誘導型のイノベーションは、新しい技術を考案する段階で顧客のニーズを考慮に入れることが多いため、社会的にも有用である蓋然性が高いと考えられます。これに対し、様式誘導型のイノベーションは(後述する証券化が典型例ですが)既存のビジネスを切り出して分解するケースがあり、そこでは、ややもすれば顧客の存在を忘れがちになる可能性が潜んでいるのではないでしょうか。
例えば、「証券化」と総称される金融イノベーションは、今回の危機を引き起こす一端になったという汚名を着せられています。しかし、もともと証券化は、貸し手のリスク選好(許容度)と借り手のリスク・プロファイルの間に存在するギャップを埋めることに主眼があり、理念的に考えれば、有益な機能を担うと言えるものです。証券化がこうした機能を正しく発揮するためのおそらく唯一の条件は、これをアレンジする投資銀行が、証券化商品の全てのトランシェについて買い手を見つける必要があるという点です。この点に照らしてみると、今次危機において大きな経済的苦痛をもたらす結果となった再証券化商品の中には、疑問を持たざるを得ないものがあるのも事実です。なぜならば、そうした商品には、売れ残った証券化商品のトランシェ、投資銀行が買い手を見つけることができず、自らのバランスシートに抱え込むことも躊躇せざるを得ないようなトランシェが含まれているからです。
「金融イノベーションは金融仲介を通じて社会厚生を高めるもの」という点を踏まえると、イノベーションの功罪を考えるに当たっては、それが金融仲介とどのような関わりを持っているかという点が、議論の出発点になるべきではないでしょうか。このことは、特に様式誘導型のイノベーションの是非を考える際に、重要な意味をもってくると思われます。
4. 望ましくない結果にいかに対応すべきか?
しかし、幸か不幸か、今や金融の世界は高度に複雑化しており、1つ2つの簡単なテストによって、小麦(有益なイノベーション)と籾殻(有害なイノベーション)を選り分けることは不可能となっています。この点に関連する最も難しい問題の1つは、ある種の金融商品なり金融取引が「公共財(public good)」を提供している —— すなわち、流動性や価格発見機能の向上を通じて市場機能を高めている —— と称される場合に、我々はどのように対処すべきかという問題です。
例えば、株式市場で話題になっている高頻度取引(high-frequency trading)を例にとってみると、ここでは取引の大半がネットアウトされるため、実質的な金融仲介は行われていないと考えられます2。従って、高頻度取引によって取引の執行速度が増しても、社会的な有用性は乏しいと論じることも不可能ではありません。他方、高頻度取引が小刻みな取引を繰り返すことで市場の価格発見機能が向上し、市場参加者にも便益が及ぶという議論を展開することもできるでしょう。株式市場が貯蓄主体と資本を必要とする企業との間で直接的な仲介機能を果たしていないからといって、株式市場自体の有用性を疑う人はいません。株式市場にバイ・アンド・ホールド型の長期投資家しかいないとしたら、市場の流動性、すなわち、迅速な取引機会の提供(supply of immediacy)は著しく制約されることになります。株式市場で活発な売買が行われているという事実によって、企業の資本調達活動が後押しされている面がある訳です。
難しい問題ではありますが、金融機関のリスクのある行動を承知しつつも、最善の対応策が簡単には見つからないことを理由に、政策当局者がこれを黙過するとすれば、こうした態度は許されないでしょう。そうした場合、我々は次善ないし次々善の解決策を見出す努力をしなければなりません。個々のイノベーションがもつ経済厚生上の効果については、見識ある論者であればあるほど多様な意見が存在し、見解の一致は期待し難いものです。そうであれば、むしろ金融業における様々な変化 —— 特に様式誘導型のイノベーション —— の背後にあるインセンティブ上の問題を考察することこそが有益かも知れません。というのは、しばしば観察されることですが、様式誘導型のイノベーションには、金融業に課される各種の規制や税制、あるいは会計基準の抜け道を探すことを目的に考案されるという側面があるためです。ルールに対する潜脱を意図して考案されるこの種のイノベーションには、経済に蓄積される過大なリスクを覆い隠し、いずれは深刻な結果をもたらす可能性が潜んでいますが、この点は今回の危機から得られる教訓の1つでもあります。
- 2 株式市場における高頻度取引については活発な議論が行われていますが、外国為替市場における高頻度取引については、従来、あまり議論が行われていませんでした。この点については、先般公表されたBank for International Settlements, High-Frequency Trading in the Foreign Exchange Market,2011をご参照下さい。
5. おわりに
冒頭で申し上げたように、イノベーションは経済成長の鍵となるものです。この点は金融イノベーションも同様ですが、金融イノベーションの場合は、「他の経済主体の活動をサポートする限りにおいては」という前提条件が加わることを忘れてはなりません。市場経済の「見えざる手」は、金融業の利益と社会全体の利益を合致させる方向に作用し得るものですが、今回の危機で明らかになったように、金融機関のインセンティブが歪められている(improperly aligned)と、「見えざる手」が本来の機能を発揮できなくなるケースが発生します。それだけに、金融機関の経営陣には、自社の職員やトレーダーが新しい金融イノベーションに基づく商品を提案してきた際に、その商品が経済全体にどのような形で付加価値を生み出すのか、金融仲介をどのように容易化するのかという点について、思いを巡らせ、そのうえで販売の是非に関する判断を行うことが求められます。
他方、中央銀行には金融業のインセンティブ構造を正確に把握することが求められますし、金融機関の行動インセンティブが歪められ、その結果、社会全体の利益を損なうような様式誘導型のイノベーションが生み出されていないかという点にも、注意を払うことが必要となります。そうした努力を通じて、我々は特定の政策措置が意図せざる形で社会厚生を損なうという事態 —— 例えば、極端な金融緩和政策を長期間に亘って継続するとか、「最後の貸し手機能」に代表されるセーフティ・ネットを必要以上に広範に提供するといった事態 —— を回避することができるのではないでしょうか。
我々は、ウェリンク総裁が退任まで議長を務められたバーゼル銀行監督委員会をはじめ、様々な国際的フォーラムで、金融危機の再発防止に向けた検討作業を進めてきました。しかし、依然として課題も多く残されています。例えば、今次危機を受けた銀行規制の強化に伴って、新たなリスクの芽が伝統的な銀行部門からシャドー・バンキング部門へ移転していないかという問題は、今後の課題の1つと言えるでしょう。金融機関のインセンティブ構造や取引慣行を、社会的に望ましい方向へさらに適合させていくための方策を考えるに当たり、本日のコンファレンスが新たな知見や視点を提供することを期待しつつ、私の話を終わらせて頂きたいと思います。
ご清聴、有難うございました。