【講演】グローバリゼーションと人口高齢化:日本の課題
日本経済団体連合会評議員会における講演
日本銀行総裁 白川 方明
2011年12月22日
目次
1.はじめに
日本銀行の白川でございます。本日は、わが国経済界を代表する皆様の前でお話し申し上げる機会を賜り、誠に光栄に存じます。
今年も残すところ1週間余りとなりました。わが国にとって今年最大の出来事は、何と言っても3月11日に発生したあの悲惨な東日本大震災でした。経済の面に限っても、生産設備の損壊、サプライ・チェーンの寸断、電力の不足などにより、日本経済は突然大きな下押し圧力に直面しました。こうした供給面の障害は、多くの企業の経営者や現場の方々の大変な努力と工夫により、夏場にかけて予想以上の速さで解消していきました。しかし、そうした震災による影響の克服に徐々に目途がつき始めた正にその頃、今度は欧州の債務危機が日本経済に新たな問題を突き付けることになりました。言うまでもなく、海外経済の減速と急速な円高の進行です。この結果、わが国の景気は急速な持ち直しの後、徐々にその動きが鈍化し、現在は、持ち直しの動きが一服しています。
先週公表した短観の業況判断をみますと(図表1)、新聞で大きく報道された大企業の製造業は悪化しましたが、他方で、非製造業は改善しました。中小企業は製造業、非製造業とも改善しました。このように、全体としては業況感は改善しましたが、その幅は鈍化しています。この短観の結果にも示されているように、輸出や生産は海外経済減速や円高の影響を強く受けて横ばい圏内の動きとなる一方、内需は個人消費が堅調であるほか、震災からの復旧・復興に伴う需要も見込まれるなど、相反する動きがみられています。日本銀行としては、先行きのわが国経済について、当面は、前者の要因が勝る形で、横ばい圏内の動きになると判断しています。さらにその先を展望しますと、新興国を中心に海外経済の成長率が再び高まっていくことなどから、景気は緩やかな回復経路に復していくというのが日本銀行の現在の判断です。しかし、こうした見通しには様々な不確実性があることは十分認識しています。最大のリスク要因は、言うまでもなく、欧州債務危機が国際金融資本市場や世界経済を通じてわが国に与える影響です。
こうした景気の先行き見通しは重要なテーマではありますが、この点については既に様々な機会にお話していることでもあり、また、本日は年末という区切りのよいタイミングでもありますので、本席では中長期的なスパンで日本経済を捉え、わが国の直面する課題やその下での中央銀行の課題について、日頃感じていることを申し述べたいと思います。
2.過去15年間の日本経済
グローバリゼーションの進展
先行きの中長期的な課題を認識するために、最初に、1995年と現在を比較してみます。この年を出発点として取り上げたのは、阪神淡路大震災という大きな地震に見舞われ、また1ドル80円を切る円高を経験したという点で、本年と類似点があるからです。この過去15年の間に、様々な変化がありました。
第1の大きな変化は、モノ・カネ・ヒトの面でグローバリゼーションが一段と進展したことです(図表2)。モノの面では、世界貿易は価格変動の影響を除いた実質ベースで、1995年を100としますと2011年には253に達する見込みです。このことは、世界貿易量が年率6.0%と、この間の実質GDP成長率3.7%をはるかに上回るペースで拡大し続けたことを意味しています。その基本的な背景は、冷戦の終焉によって世界の広い地域が市場経済化し、先進国の技術・資本と新興国の豊富な労働力を結びつけて最適生産を追求する国際分業の可能性が広がったことです。この過程で、中国、インド、ブラジル等の新興国は急速に成長しました(図表3)。
カネの面では、世界の外国為替市場における1日の平均取引額をみますと、比較可能な最も古い1998年時点では1.5兆ドルであったのに対して、2010年には4兆ドルへと膨らんでいます。これは世界の1日当たり名目GDPの20倍弱に相当します(前掲図表2)。
ヒトの面では、国境を越える観光客が1995年の5.3億人から2010年には9.4億人へと、大幅に増加しています。移民第一世代の数も、1995年の1.7億人から2010年には2.1億人に拡大しています(前掲図表2)。
急速な高齢化の進行
わが国経済を巡る第2の大きな変化は、高齢化が急速に進行したことです(図表4)。生産年齢人口、すなわち15歳から64歳までの人口は、1995年にピークを打ち、その後は減少トレンドに転じています。1995年と2010年を比較しますと、生産年齢人口は15年間で−7%、年率にして−0.5%減少しています。一方、人口全体に占める65歳以上の比率は、1995年には15%程度でしたが、2010年には25%程度まで上昇しています。
諸外国に例をみない急速な高齢化は、日本経済に様々な面で大きな影響を及ぼしています。第1は潜在成長率への影響です。生産年齢人口は労働力として経済活動の中核を担う年齢層ですので、その減少は労働供給面から経済成長を押し下げる要因となっています。第2は財政バランスへの影響です。高齢化により労働所得からの税収が増えにくくなる一方、年金・医療・介護といった社会保障経費は、給付水準を維持する限り高齢化とともに増加しますので、財政赤字の拡大圧力が強まっています。第3は消費者のニーズ、サービスの多様化です。高齢層はそれまで生きてきた人生が多様ですので、医療・介護はもちろん、より幅広く趣味・教養も含めたシニアライフの充実に関して、個別性の強いニーズが幅広く存在しています。言うなれば、高齢化の進展はマスとしては捉えられない市場の拡大を意味します。
変化への対応の遅れ
このように過去15年間、グローバリゼーションと高齢化という大きな環境変化が進行しました。いつの時代も変化は困難とチャンスの両方をもたらしますが、いずれにせよ、社会全体としての変化への対応能力如何が経済のパフォーマンスを大きく左右します。この点では、政府も企業も様々な対応を進めてきました。しかし、残念ながら、経済成長率は趨勢的な低下が続き、その下で、物価は緩やかな低下を続けました。政府債務も大幅に増加しました。こうした事実をみれば、日本の経済システムは大きな環境の変化に十分迅速には対応することはできてこなかったと言わざるを得ません。
成長率が低下した1つの理由は、1980年代後半に発生した未曾有のバブルの後遺症です。バブルの影響は甚大です。この点で、リーマン・ショック発生以前は米国のエコノミストや政策当局者の間では、バブルも崩壊後に積極的に金融財政政策を発動すれば、経済の大きな落ち込みは回避できるという楽観論が支配的でした。しかし、現在、米国でもそうした楽観論はすっかり後退しています。バブル期に積み上がった設備や債務などの過剰が解消されるまでの間は、経済活動は停滞します(図表5)。もっとも、このバランスシート調整は、少なくとも2003〜2004年頃には、日本経済にとっての大きな制約ではなくなっていました。その後の日本経済の低迷のより本質的な理由は、グローバリゼーションと高齢化という大きな環境変化への対応が遅れてしまったことに求められます。先ほど、1995年に言及しましたが、この頃はバブル崩壊からの立ち直りを懸命に模索していた時期であり、グローバリゼーションや人口高齢化が日本経済に対して持つ意味の重さを、後に我々が実感するほどには、十分には認識できていなかったように記憶しています。言い換えますと、対応の遅れは、「解決策が分かっていても実行が難しかった」というより、「問題そのものの深刻さを十分には認識していなかった」ことによる面の方が大きかったように思います。同じことは、今後の15年間についても起り得ます(図表6)。例えば、急速な高齢化は日本の経済成長や財政の姿をどう変えていくのでしょうか。あるいは、経常収支は長く黒字を維持してきましたが、今後も黒字構造を保てるのでしょうか。
3. 日本経済の課題をどう設定するか
現状を放置することの深刻な帰結
そこでただ今の第1の問いかけを考えてみます。比較的見通しやすい人口動態だけに焦点を絞っても、日本経済の成長を支える条件が劇的に変化していくことが確認できます。過去の経済成長率を10年単位の平均成長率で申し上げますと、1980年代の+4.3%から1990年代は+1.5%、さらに2000年代は1%にも満たない成長率まで低下しています(図表7)。
経済成長率は、就業者数の増加率と、就業者一人当たりがどれだけ付加価値を増やしたかを意味する労働生産性の上昇率、この2つに分解できますので、そのことを手掛かりに先行きの姿を計算してみます。まず就業者数の増加率については、2000年代に年平均−0.3%と減少に転じたあと、現在の人口動態や男女別・年齢別の労働参加率がそのまま反映された場合、2010年代は−0.6%、2020年代は−0.7%、2030年代は−1.3%と、減少が加速していく見通しになります。こうした人口減少の影響は地方圏では特に深刻です(図表8)。もう一つの労働生産性上昇率については、過去20年間の平均は+1.0%程度となっています。バブル崩壊による影響の残る1990年代を除き、2000年から2008年という比較的良好な時期をとると、+1.5%となります。他の先進国でも、近年における労働生産性の上昇トレンドにそれほど大きな違いがないことも踏まえて、今後もこれが+1.0%から+1.5%程度で変わらないと仮定しますと、先ほどの就業者数の減少率と合わせた経済成長率は、2010年代は年平均+0.5%から+1.0%程度にとどまり、2030年代はゼロ%近傍となる計算となります。中長期的な成長力如何は、財政にも大きな影響を与えます。欧州債務危機は、財政に対する信認が非連続的に変化することを示す貴重な教訓です(図表9)。それだけに、強い決意で成長力の強化に取り組んでいく必要があります。
働くこと、そして価値を生むこと
それでは、成長力の強化のためには何を行うべきでしょうか。先ほどの就業者数と労働生産性という2つの要因に即して考えてみます。まず、就業者数の方は、人口動態が変わらない限りはっきりした改善は難しいですが、高齢者や女性が働きやすい環境を整えることにより、就業者数の減少スピードを和らげることは可能です。2つ目の労働生産性の上昇率引き上げについては、1人当たりが生み出す付加価値を高めていくということですから、常に人々の潜在的なニーズを掘り起こし、人々が対価を支払っても良いと思う財やサービスをこれまで以上に提供できるかどうかが鍵を握ります。やや具体的に申し上げれば、3つほどポイントがあるように思います。
第1は、グローバリゼーションという大きな流れを最大限に活用することです。成長著しい新興国の需要を中心に、海外需要を積極的に取り込む必要があることは言うまでもありません。同時に、日本の市場や社会を積極的に開放することも重要です。内外双方向で、モノ、カネ、ヒトの往来が活発になれば、アイディアやビジネス・チャンスが生まれる可能性も高まると考えられます。
第2は、内需掘り起こしへの挑戦です。先ほど述べた高齢層に限らず、国民の価値観やライフスタイルは多様化してきています。企業がそれらの潜在ニーズを現実の市場拡大につなげていくよう取り組むとともに、規制緩和の推進などによって企業がチャレンジしやすい環境整備を進めていくことが重要です。
第3は、以上の外需・内需の両面作戦をダイナミックに展開していくために、労働や資本を成長の可能性が高いビジネスへと円滑に移動させていくことです。これは、企業内における人材や資本の有効活用に加えて、経済全体での活発な新陳代謝を促していくことにほかなりませんが、それを過度な社会的ストレスを伴わずに進めていくには、転職や起業をサポートする仕組みの強化やセーフティーネットの充実が求められます。そして何よりも重要なことは、新陳代謝を受け入れ新しいことへの挑戦を社会全体で応援する価値観を共有することです。
「産業空洞化」をどう考えるか
ここで今述べた新陳代謝にも関連するため、最近の「産業空洞化」を巡る懸念について、私の考えを少し述べさせていただきます。
まず、海外生産の拡大は現局面に特有の現象ではなく、20年以上にわたる趨勢的な変化です(図表10)。1980年代の半ばごろまでは、日本はもっぱら輸出によって世界市場のシェアを拡大してきましたが、1980年代後半以降、激化する貿易摩擦への対応もあって、現地生産を増やしてきました。さらに、その後は、グローバル化の下での需要構造やコスト構造の変化を踏まえ、内外拠点の最適化を意識して生産体制を不断に見直してきました。そうした経営判断の結果として、需要の伸びが大きい海外での生産拡大ペースが速くなり、その流れは現在も続いています。
こうした海外生産シフトは製造業の雇用減少を引き起こしましたが、そこから生じた労働供給を雇用誘発効果がより大きいサービス業など内需産業が活用して成長していくことにより、経済全体で雇用の吸収を図っていくことが必要となります(図表11)。また、製造業の内部でも、人件費の内外格差が大きいことを考えると、海外で加工・組立の量産拠点を拡張する一方、国内拠点ではより収益力の高い分野に注力し、新しい技術やアイディアで世界の先端を走るという分業を進めることが必要となります。
もちろん、海外生産シフトが、趨勢的な現地需要への対応の範囲を超えて円高などの理由で一気に加速する、あるいは中核的な企業や工場までもが国内に見切りをつけるという状況になれば、国内経済への影響が懸念されますので、この点には十分な注意が必要です。
このように、円高は輸出産業に厳しい調整を迫ることは事実ですが、同時に円高のメリットも存在します。例えば、原発の稼働停止から原油やLNGの輸入金額が急増していますが、円高による輸入代金の節約効果は確実に発生しています。企業買収の面でも、最近は、円高を活かした海外企業買収などでグローバル戦略を強化する動きが目立っています(図表12)。現在、対外直接投資収益の受取は年間3.4兆円、名目GDPの0.7%と、以前に比べると随分増加しましたが、国際的にみると、対外投資は量的に少ないだけでなく、収益率も低水準です(図表13)。国内の投資機会が乏しくなっている状況下、対外投資、特に直接投資収益による所得の引き上げは重要な課題です。いずれにせよ、わが国では円高がもたらす厳しさがより強く実感されるのは、本来円高メリットが期待できるはずの内需関連企業でも、成長の姿が描けず円高のメリットを実現しにくいといった面があるからではないかと考えられます。言い換えれば、「産業空洞化」の懸念を克服するには、結局のところ中長期的な成長力の強化に取り組んでいくことが重要であるように思います。
緩和的な金融環境を成長につなげる必要性
ここまで申し上げてきたことから明らかだと思いますが、成長力の強化は、働いて価値を生むという実体的な努力によって実現するものです。この点、一部の論者からは、「デフレを止めるのが先であり、それは金融緩和で容易に実現できる」という見方が示されることがあります。
しかし、実質成長率は上がらず単に物価だけが上がっても生活水準は上がりませんし、財政バランスも改善しません。問題はどのようにして実質成長率を上げるかということです。過去の経験をみても、実質成長率が上がる中で、物価は遅れて上昇しています。たとえて言えば、物価は経済の体温であり、成長力は経済の基礎体力に当たります。基礎体力を改善せずに、体温だけを単独に引き上げることは無理ですし、仮に一時的に成功したとしても副作用が発生します。実際、日本のデータをみると、潜在成長率と予想物価上昇率の間には高い相関関係が観察されます(図表14)。
かつては米国の有力な経済学者の中にも、「日本の低成長やデフレの問題は大幅な金融緩和で簡単に解消できるはずだ」という主張がみられました。しかし、そう主張していた学者も、リーマン・ショック後における米国経済立て直しの難しさを経験してからは、かつての日本への批判を撤回して謝罪を口にするなど、認識が随分変わってきています。
いずれにせよ、日本の金融環境自体はきわめて緩和的です。名目金利水準はもとより、企業の実際の資金調達金利、例えば社債金利を予想インフレ率を勘案した実質ベースでみても、米欧に比べて低くなっています(図表15)。この点に関連して、「日銀のお金の出し方が足りないことが円高やデフレの原因である」といった議論がなされることがあります。そうした主張の論拠として、中央銀行が供給する通貨であるマネタリーベースの大きさが取り上げられることがあります。FRBのバーナンキ議長も指摘するように、私もこれが金融緩和の適切な指標と考えているわけではありませんが、このマネタリーベースの大きさを対名目GDP比率でみても、日本では米欧よりも大きくなっています(前掲図表15)。本席におられる皆様が企業経営の現場で感じられているように、現在は保有する現預金の量や金利水準が制約となって、投資が起きないとか外貨資産の購入が行えないという状況ではありません。きわめて緩和的な日本の金融環境を成長力の強化にどう活かしていくか、これが直面している課題の本質だと言えます。
4.中央銀行の役割と課題
実は、日本銀行に限らず、他の先進国の中央銀行も同じような状況に直面しています。欧州は債務危機問題、米国はバランスシート調整問題です。その下で、FRBのバーナンキ議長も、ECBのドラギ総裁も、中央銀行の政策措置が万能薬ではないことを繰り返し指摘しています。このように述べたからといって、私の意図は中央銀行の果たす役割の重要性を否定することではありません。その逆です。中央銀行にしかできないことが多くあります。重要なことは、政府、民間、中央銀行それぞれが自らの役割を適切に果たしていくことです。問題は何が中央銀行の役割かという点です。
金融のグローバリゼーションと中央銀行
中央銀行が、適切な金融政策運営を通じて物価の安定を図っていく上で、近年はグローバルな視点が一段と重要性を増しています。金融緩和が需要刺激効果を持つ原理に立ち返ってみますと、一つは金利の低い今のうちに投資を行うという企業行動を促し、将来の需要を現在へ持ち込ませることです。もう一つは、低金利で自国通貨が安くなれば、輸出を通じて海外需要を自国に引き寄せることができる、というチャネルです。
ところが、金利水準が概ねゼロまで低下してしまうと、現在の投資をそれ以上有利にすることが難しくなりますし、現在のように他の先進国も金利がゼロに近づいている状況では、少なくとも先進国同士では相手の需要を活用できる余地も限られます。すなわち、金融政策のいずれのチャネルも働きにくくなります。もちろん、新興国は成長力も金利水準も高いですから、先進国の金融緩和により先進国通貨が全体として新興国通貨に対して安くなれば、先進国から新興国への輸出が増加することを通じて刺激効果が発揮されることになります。しかし、米ドルにペッグした固定的な為替制度を採用している新興国が少なくなく、そして米国自身もバランスシート調整に直面しているもとで、米国の金融緩和が米国国内の景気を刺激するというよりも、むしろ新興国の景気過熱や国際商品市況の上昇を通じて、米国自身のインフレ圧力を強め、個人消費を下押す、というような問題が生じました。
このように、グローバリゼーションが進むもとでの金融政策は、海外の経済や市場を経由して思わぬ形で自分自身に跳ね返ってくるという可能性を伴っています。各国の中央銀行は、もちろん最終的には自分の国・地域における経済・物価動向を点検して政策を決定することは当然ですが、複雑な相互依存関係を意識した上での決定が以前にも増して重要になってきています。
グローバリゼーションが進展する下で、中央銀行にとって、金融政策と並んで重要なことは、金融システムの安定を図るという仕事です。外国為替取引の金額が示すように、国境を越えて膨大な金額の資本が動いています。資本が移動しない場合でも、デリバティブ取引によって、リスクは国境を越えて移転しています。こうした金融取引を非常に否定的にみる見方もありますが、実体経済のグローバリゼーションが進展し、あらゆる経済取引において、金利や為替、信用リスクが随伴しヘッジのニーズが存在する以上、金融取引を否定するだけでは事態は改善しません。さらに、本年は欧州債務危機が示すように、ソブリン国家自体の信認が問われるような事態になりました。このような状況の下で、グローバルな金融システムの安定を維持することは、世界経済全体の発展の最も重要な前提条件となっています。グローバルな金融システムの安定という点では、各国政府の強いコミットメントが必要ですが、中央銀行も最大限の努力をしています。その一例が、11月末に、日本銀行を含む6つの中央銀行が米ドル資金の面で発表した協調対応策です。また、不測の事態への対応措置として、米ドル以外の外貨についても中央銀行間で融通し合って市場に供給できるよう、多角的なスワップ網を構築することとしました。金融面での不均衡の蓄積を未然に予防し、リーマン・ショックのような金融危機を再び起こさないようにするために、金融の規制や監督面での見直しを進めています。各国中央銀行は、この面でも重要な役割を担っています。
日本銀行の政策運営
最後に、日本銀行の最近の金融政策運営についてご説明します(図表16)。
第1に、日本銀行は、昨年秋に導入した「包括的な金融緩和政策」のもとで、強力な金融緩和を推進しています。資産買入等の基金については、累次にわたって増額し、向こう1年間にさらに13兆円程度買い増し等を進めていく予定です。
第2に、日本銀行は、金融市場の安定確保に万全を期すよう努めています。震災直後の大量の資金供給や先ほどのドル資金供給はその典型例です。
第3に、中央銀行としては異例ですが、日本銀行は、成長基盤強化を支援するための資金供給を実施しています。これは、金融機関に低利かつ長期の資金を供給し、金融機関の目利き力を活かしながら、緩和的な金融環境の利用を企業に促していくものです。
5.おわりに—変化への対応と成長力強化の重要性—
そろそろ時間がなくなってきました。本日皆様に申し上げたかったことを改めてまとめますと、次の5点です。第1に、日本経済はグローバリゼーションの進展と急速な人口高齢化という大きな変化に直面しており、その影響は非常に大きいことを認識する必要があります。第2に、次世代の生活水準を守るためには、こうした大きな変化への対応力を高め、日本経済の成長力を強化していくことが不可欠です。第3に、デフレは成長力の強化を通じて克服されるものです。第4に、成長力強化のためには、企業のチャレンジ精神が重要であり、それを引き出すための環境整備が必要です。第5に、日本銀行も、物価安定のもとでの持続的成長に向けて、金融面からの貢献を粘り強く続けていきます。
ところで来年2012年の10月には、IMF・世銀総会が日本で開催されます。これは現在187か国に及ぶ加盟国から1万人以上が参加する、非常に大きなイベントです。わが国では1964年に一度開催されていますが、当時の日本はまだ新興国の段階にあり、高度成長のエネルギーに溢れていました。この年を振り返ってみますと、4月28日に日本はOECDに加盟し、9月7日から11日にかけて今申し上げたIMF・世銀総会を開催、10月1日には東海道新幹線の開通、10月10日は東京オリンピックの開幕と、国民の自信につながる歴史的なイベントがいくつもありました。それから半世紀弱を経た来年秋は、日本は成熟した先進国として、様々な難問を抱える世界の首脳が議論を交わす場を提供することになります。日本はバブル崩壊を約20年前に経験し、今は世界に先駆けて急速な高齢化に直面しています。その意味では、日本は成熟国であると同時に、高齢化のフロントランナーとして、新たな成長モデルを世界に示しうる立場にあります。日本が成熟国として輝き続けるビジョンと決意を世界に向けて発信し、何よりも日本人自身が希望と勇気を取り戻す——2012年がそういう年になるよう、皆様と力を合わせていきたいと考えています。
本日は、ご清聴ありがとうございました。