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【講演】我が国の金融政策とフォーワードガイダンス -金融政策運営についてのコミュニケーション政策-

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国際通貨基金(IMF)及び米国連邦準備制度理事会における講演(各9月19日、20日、於ワシントンDC)の邦訳

日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2013年9月20日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.フォーワードガイダンスは何故我が国にとって重要なのか
  3. 3.フォーワードガイダンスに関する一般的な議論と我が国のケース
    1. (1)フォーワードガイダンスについての一般的な議論
    2. (2)我が国のフォーワードガイダンス
    3. (3)過去の金融政策と比較してより明確かつ強力なコミットメント
    4. (4)我が国と他の先進諸国のフォーワードガイダンスの違い
  4. 4.量的・質的緩和の現時点での評価:物価および経済の動向と見通し
  5. 5.最後に
  6. 付表:「米国および欧州におけるフォーワードガイダンス」
    1. (1)米国におけるフォーワードガイダンス
    2. (2)ユーロ圏におけるフォーワードガイダンスの事例
    3. (3)英国におけるフォーワードガイダンスの事例

1.はじめに

日本銀行・審議委員の白井さゆりでございます。本日は、我が国の経済と金融政策についてお話しする機会を賜りまして、大変光栄に存じます。日本銀行では本年4月に、従来の金融緩和策を一段と強化する「量的・質的金融緩和」政策(以下、量的・質的緩和)を導入致しました。導入以来、半年ほどが経ちましたが、現在のところ、政府による刺激策とも相俟って幾つかのプラスの成果が見られつつあるように思います。昨年と比べますと、株価は上昇して高い水準にありますし、金融・不動産セクターでは取引が活発化し、為替相場も円安方向の動きとなっています。この間、ローン・社債市場における企業や家計の資金調達コストはかなり低い水準で推移しています。

何よりも注目すべきポイントは、我が国の景気が回復の方向に向かっている点です。実質GDP成長率は3四半期連続プラスを維持しており、直近の第2四半期は年率換算で前期比3.8%を記録しています。完全失業率は本年7月に3.8%まで低下し、世界金融危機以前の近年の最低水準(2007年7月の3.6%)に接近しています。物価についてもデフレから脱却する兆しがあります。例えば、総合消費者物価(CPI)から価格変動の大きい生鮮食料品を除いた「コアCPI」は、本年6月にはプラスに転換し、対前年比で0.4%を記録し、7月にも0.7%を記録しています。

最近では量的・質的緩和に関するメディア報道もあって、海外の専門家や市場参加者の間でその内容についての理解がかなり進んできているように見受けられます。そこで、本日の講演では、これまでとは少し違う角度から、日本銀行の政策や意図について私の見解をご紹介したいと考えております。最近では、「フォーワードガイダンス」と呼ばれる金融政策の枠組みが世界で活発に議論されていますので、本日はこのトピックスに焦点を当ててお話しを進めたいと存じます。フォーワードガイダンスは、中央銀行が、市場や国民(家計と企業)に対して、将来の金融政策スタンスについての情報発信を行うコミュニケーション戦略の一環として位置付けられることが多いようです。また、特に「ゼロ金利制約」(名目短期金利がほぼゼロ%まで低下し、それ以上は引き下げられない状態)に直面している先進諸国における中央銀行では、「非伝統的な」金融緩和手段として用いられるケースが見られます。

ここで予め本日の講演の流れについて申し上げますと、まず第2部ではフォーワードガイダンスが我が国にとって重要な理由について簡単にご説明致します。第3部ではフォーワードガイダンスについての一般的な概念説明を行った上で、(フォーワードガイダンスという言葉は使用していませんが、同様の趣旨で)日本銀行が現在実践している一連のコミュニケーション政策について概観し、過去の枠組みや他国との違いについて触れたいと思います。第4部では、量的・質的緩和の今日までの進展を振り返るために、まずは物価の動向と見通しについて概観してから実体経済の動向を見ていきたいと思います。

2.フォーワードガイダンスは何故我が国にとって重要なのか

それではまず初めに、フォーワードガイダンスが我が国にとって何故重要なのかご説明したいと思います。ご存じのように、我が国経済は1998年以来15年間にわたって緩やかなデフレ状態に直面してきましたが、日本銀行ではこれを克服し2%の物価安定目標(本年1月導入)を実現することに全力であたっています。ちなみに、1998年から今日までの平均物価変化率はマイナス0.3%でした。ここで本題に入る前に、それに関連して、少しご説明したいことがございます。実は、私が海外で講演をする際に、しばしば有識者の方々から「日本では世界金融危機の最中においても完全失業率が低い状態にあったことを考えると、何故緩やかなデフレが問題になるのか」という質問を受けることがございます。

長期にわたる緩やかなデフレ

そうした質問はもっともだと思います。確かに、我が国の完全失業率は他の先進諸国よりも低く、世界金融危機の期間を通じて経験した最も高い水準でも2009年7月の5.5%に過ぎませんでした。デフレも持続してきましたが、比較的緩やかなもので、デフレスパイラルは回避されてきました。従って、一見したところ、我が国の根本的な問題をただちにご理解頂くのは容易ではないかもしれません。

そこで、そうした質問に対して、私は次のようにお答しています。緩やかなデフレは我が国経済にとって良い状況をもたらしませんでした。なぜなら、そうした経済の下では、財・サービスの需給バランスが悪く慢性的な需要不足状態にありますし、企業にとっては経済成長や市場拡大の予想が立ちにくく、家計にとっては将来の所得上昇が見込めないとの見方が広がっていたからです(図表1)。デフレはまた長期にわたる円高傾向と相俟って、国際価格競争力の維持に努める企業に対して負担感を強めてきました。こうした経済状態は、人口減少と急速な高齢化の動きや構造改革の遅れと重なって、企業による設備投資や研究・商品開発の動きを弱め、家計には将来不安から貯蓄を促し、金融機関や投資家にはリスク回避的な投資行動をとる方向に拍車をかけてきました。

このような環境のなか、家計の間では財・サービス価格が低い状態が続くことが当然だと考えるようになり、デフレマインドが広がりました。企業の側でも、需給が改善している時期にあっても、ライバル企業の販売価格や家計のデフレ志向の購買行動をもとにして自社の販売価格を設定する傾向が強まり、デフレ志向の価格設定行動が定着していきました。金融機関の側では資金の多くがリスク資産(株式、社債、投資信託、ローン、不動産、外国証券など)からより安全な資産(国債、預金、現金など)へとシフトし、デフレ志向の投資行動が常態化していました。

2%の物価安定目標が採用された理由

前述したように、日本銀行は本年1月に2%の物価安定目標を採用するに至りました。この理由として、私の見解としては、日本経済が停滞し徐々に体力を弱めていくなかで、インフレよりもデフレの方が経済にとって弊害が多いこと、さらには主要先進諸国並みの2%前後のマイルドなインフレを達成することが重要だとの認識が強まったからだと考えております1。とはいえ、2%目標の達成は容易なことではありません。何故なら、それは我が国の市場と国民の「中長期インフレ期待」を2%程度の水準まで引き上げたうえでそれを安定化(アンカー)していくことが前提となるからです。他の主要国の中でかつてこのような状況に直面した国はありません。より専門的な表現を用いれば、インフレ期待を2%程度まで引き上げることを通じて、フィリップス曲線が上方シフトするとともに、その勾配がスティープ化して、需給バランスに対する物価の反応度が高まっていくことが重要になります(図表2)。

  1.   1  この点については、白井さゆり(2013)「我が国の経済・物価情勢と新しい金融緩和政策:金融政策の過去と現在」旭川市金融経済懇談会における挨拶要旨、2013年6月13日を参照。

インフレ期待の2%での安定化とフォーワードガイダンスの活用

ここで、2%程度の中長期インフレ期待を市場と国民のマインドにしっかり定着することを促す役割を担っている日本銀行にとって、フォーワードガイダンスが期待インフレを安定化させるうえで、とても重要な役割を果たすことを強調しておきたいと思います。この点に関連して、日本銀行は金融緩和の実施において「景気回復の実現」および「インフレ期待を2%の目標水準にアンカーする」という2つの目的を果たす必要があります。これに対して、主要先進諸国の中央銀行では、インフレ期待が既にインフレ目標の水準にアンカーされていることから、前者の景気回復の実現が金融緩和の主たる目的となっているといった違いを認識しておく必要があります(第3部参照)。我が国において後者の目的を実現するには、まずはあらゆる経済主体によるデフレ志向のマインドや経済行動が克服されることを促し、その上でインフレ期待を安定的に高めていく手順を踏む必要があります。従って、日本銀行が目指している責務は他の先進国と比べてよりチャレンジングな内容だと考えられます。そのため、フォーワードガイダンスの内容もそのような我が国特有の状況に即して物価の動向に焦点を当てたものとなり、同時にその実現のために金融緩和の継続に対してより強くコミット(約束)をしているのです。

3.フォーワードガイダンスに関する一般的な議論と我が国のケース

今日では、フォーワードガイダンスは先進諸国の中央銀行の間で大きな関心を集めているトピックスとなっていますが、実は、我が国ではかなり以前から何度か実施されてきたものです。実際、日本銀行は早くも1999年に、他国に先駆けて(ゼロ金利政策導入に伴う)ゼロ金利制約に直面し、その下で金融緩和政策の一環としてフォーワードガイダンスを導入しており、パイオニア的な役割を果たしてきました(図表3)。それ以降も、異なる金融緩和政策を導入する度に様々な形式のフォーワードガイダンスを導入してきました。フォーワードガイダンスは世界金融危機後に世界的な関心を集めるようになりましたが、それは米国・連邦準備制度理事会(FRB)がゼロ金利制約に直面したことで2008年末から活発に活用するようになったことにあります。最近では欧州中央銀行(ECB)とイングランド銀行(BOE)も相次いで採用しています(「付表」を参照)。

(1)フォーワードガイダンスについての一般的な議論

最近では、フォーワードガイダンスという言葉が多くの中央銀行や専門家によって使われています。しかし、この用語は様々な状況で異なる解釈で使われているように思われます。そこで、私の講演の内容を分かりやすくするために、まずはフォーワードガイダンスを、その名称が中央銀行によって実際に使われているかどうかに拘わらず、「市場や国民に対する将来の金融政策運営についての情報発信」と位置付けたいと思います。例えば、日本銀行では、現在のコミュニケーション戦略をフォーワードガイダンスとは呼んでいませんが、上記の定義に当てはめれば、そのように言うことができるでしょう。

フォーワードガイダンスは金融政策の効果を高めるために活用されていますが、目的によって二つに分類できると考えられます。第一の目的は、中央銀行の「通常の」政策反応関数(または通常の金融政策運営)について明確化を図ることです。一方、第二の目的は、ゼロ金利制約下の中央銀行が通常の政策反応関数で想定されるよりも「より緩和的な」金融政策を、将来にわたって継続することを約束することです。詳細については後で申し上げますが、これら二つの目的の違いを端的に申しますと、長期金利への低下圧力(そして資産価格の上昇)といった金融市場への影響を意図しているかどうかの違いにあります。第一の目的の場合はそうした影響を必ずしも意図している訳ではないのですが、第二の目的の場合には非伝統的な金融政策手段として用いられるため、常にそうした影響の実現を意図しています。ところで、最近のフォーワードガイダンスに関する議論では、米国のように金融緩和を縮小していく出口段階にある国でその解釈について注目されがちですが、本日の私の講演ではむしろフォーワードガイダンスの本来の目的である「金融緩和策の導入及び維持」における役割に注目していきます。

通常の政策スタンスを明確化するためのフォーワードガイダンス

第一の目的のフォーワードガイダンスは、中央銀行が市場や国民に対して通常の政策反応関数(例えば、テイラールール)についての情報を提供するコミュニケーション政策とみなすことができます。これは、Campbell et al. (2012)の分類に従えば「デルフィ的なフォーワードガイダンス」と呼ばれています2。形式としては、(1)間接的なシグナルと(2)直接的なシグナルが考えられます。間接的なシグナルとは、将来の政策スタンス(例えば、政策金利の将来経路)について、中央銀行による経済・物価の見通しとリスクバランスの評価を公表することで間接的に示唆する方法を指しています。一方、直接的なシグナルは、中央銀行が政策金利の将来経路について直接的に数値の見通しを発表する方法です。どちらの場合も、中央銀行の将来の政策スタンスは現時点で入手可能な情報と通常の政策反応関数をもとに導くものなので、新しいデータや情報が入手されればそのスタンスの見通しは変わりうるわけです。重要な点は、このタイプのガイダンスは中央銀行が将来の金融政策についてコミットをしている訳ではないということです。

一般的には、このタイプのフォーワードガイダンスは、金融政策運営の透明性と予測可能性を高めるために活用されるため、必ずしも金融市場への影響が確認できる訳ではありませんが、幾つかのケースでは影響が見られると考えられます。例えば、フォーワードガイダンスを示すことで、市場や国民が中央銀行の反応関数についての理解を深めることで、中央銀行の将来の金融政策スタンス自体には変化がなくても、そのスタンスについての予想を修正する場合です。また、市場や国民による理解が促進されることで、将来の不確実性が減少し、国債市場でのボラティリティやタームプレミアムが低下する可能性が考えられます。さらに、市場や国民が、将来の経済物価情勢を判断するのに必要な情報を中央銀行の方がより多く持っていると認識しているような場合です。

  1.   2  J. Campbell, C. Evans, J. Fisher and A. Justiniano (2012) "Macroeconomic Effects of Federal Reserve Forward Guidance", Brookings Papers on Economic Activity, Spring 2012.

より金融緩和的な政策スタンスを示すためのフォーワードガイダンス

対照的に、フォーワードガイダンスの第二の目的は、より緩和的な政策スタンスを示唆することにあります。これは、ゼロ金利制約下の中央銀行が通常の政策反応関数から転換したことを示すために活用するコミュニケーション政策であるほか、追加的な金融緩和を提供する手段だと言えます。前述のCampbell et al.によると「オデッセイ的なフォーワードガイダンス」とも呼ばれています。この下では、中央銀行は、通常の政策反応関数などをもとに市場や国民が想定する期間よりも長く緩和的な金融政策を継続することを約束します。より長期にわたって金融緩和の継続にコミットをする理由は、現在が「本来ならもっと低い政策金利を実現することが望ましいのに、ゼロ金利制約によって金利の一段の低下が叶わない期間」にあることから、その制約の期間を将来的にも金融緩和を継続することを約束することで補おうという考えに基づいています。過去10年ほどの間にこうした見解に立つ理論的・実証的な研究が徐々に蓄積されつつあります3。その最も極端な形式は、現在の金融緩和を将来においても続けることを「無条件に約束すること」(unconditional commitment)であり、景気が回復した後も、また将来どのようなショックが発生しようとも、既に約束した金融緩和を継続することを約束することを意味しています。

将来の金融緩和継続に付随する「条件」を少なくするほど、あるいは金融緩和を約束する表現が強まるほど、金融緩和効果も高まると考えられます。しかし、金融緩和効果を高めることと、将来の金融政策運営の柔軟性を確保することの間にはトレードオフの関係があります。実際には、いわゆる「時間的不整合」の問題によって、中央銀行が完全に無条件な約束をすることは現実的ではありません。例えば、過度にインフレが上昇した場合、それが中長期インフレ期待をインフレ目標から乖離させることで不安定化(ディス・アンカー)させる可能性を全く勘案せずに、現状の金融緩和を長期間継続するといったコミットメントを果たすことは難しいと言わざるをえません。同様の懸念は、長期間にわたり金融緩和を継続する結果、過度な金融不均衡や資産バブル発生をもたらすリスクについても存在するところです。従って、実際には中央銀行は、「条件付きコミットメント」(conditional commitment)の形式や「想定される」、「見込んでいる」といったコミットメントの程度を弱める表現を用いることが多いようです。

  1.   3  例えば、以下の文献を参照。P. Krugman (1998) "It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap," Brookings Papers on Economic Activity, 1998 (2); D. Reifschneider and John Williams (2000) "Three Lessons for Monetary Policy in a Low-Inflation Era," Journal of Money, Credit and Banking, 32 (4) Part 2, pp. 936-66, 2000; G. Eggertsson and M. Woodford (2003) "The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy", Brookings Papers on Economic Activity, 2003 (1); and, M. Woodford (2012) "Methods of Policy Accommodation at the Interest-Rate Lower Bound", speech delivered at the Federal Reserve Bank of Kansas City Economic Symposium, August 30 - September 1, 2012.

フォーワードガイダンスの形式:オープンエンド、日付、経済状況ベース

フォーワードガイダンスにはさまざまな形式が考えられます。たとえば、フォーワードガイダンスが政策金利のみに適用される場合や、政策金利に加えて資産買入れなど広範な金融政策パッケージに対して適用されることがあります。また、金融緩和の継続に関する「基準」に注目して、オープンエンド(open-ended)、日付(calendar-based)、経済状況(state-contingent)をベースに分類することも考えられます4。オープンエンド・ベースのガイダンスとは、金融緩和の継続期間について抽象的な表現(例えば「かなりの期間」、「かなり長い期間」)を用いたり、金融緩和を継続する経済状況について抽象的な表現(例えば、「デフレ懸念が払拭されるまで」)を使う場合が、これに該当します。他方、日付ベースのガイダンスは、特定の日付に紐付ける表現(例えば、「今後6か月間」)を用います。オープンエンド・ベースと日付ベースのガイダンスを比較すると、後者の方が金融政策運営の透明性と緩和効果という観点からみて、より優れているとの見方があります。

経済状況(又は閾値)ベースのガイダンスは、金融緩和が維持されるための経済状況について、例えば、インフレの見通しに関する閾値の活用などで明確な表現を用います。日付ベースと経済状況ベースのガイダンスを比較すると、後者の方が前者よりも2つの点で優れていると考えられています。第一に、経済状況基準に(例えば、通常の政策反応関数で示唆されるよりも)強い経済回復が実現した後も金融緩和を継続することを示す特定の表現を用いれば、中央銀行の金融緩和に対する強い意志を示すことができるからです。第二に、将来の金融政策スタンスと経済状況の関係を明確に関係付けることで、市場や国民からみて金融政策の透明性と予測可能性が高まる可能性があるためです。日付ベースのガイダンスの主たる欠点は、例えば、中央銀行が金融緩和を継続するまでの期日をそれまでアナウンスしてきた期日よりも長期化させた場合、それが将来の経済・物価に関する中央銀行の見通しがより悲観的になったことによる結果なのか、あるいはより緩和的な金融政策への転換によるものなのか、区別しにくいことにあります。前者の場合には将来見通しを悲観して民間の経済活動と総需要を減少させる可能性がある一方で、後者の場合はむしろ将来を楽観して民間の経済活動と総需要を拡大させる可能性があります。経済状況ベースのアプローチをとる場合には、これら二つのケースを区別することが可能となります。

さらに、経済状況ベースのガイダンスにおける経済状況(又は閾値)については、物価関連指標にのみ焦点を当てる場合と、それ以外の経済指標(例えば失業率)も扱うことが考えられます。フォーワードガイダンスがどのような形式をとるかは、(1)中央銀行に付与されている責務(例えば、FRBの場合は物価安定と雇用最大化の二大責務の存在)、(2)金融政策を取巻く経済環境(例えば、現在のインフレがインフレ目標を上回る又は下回る傾向にあるのかなど)、(3)採用している具体的な手法(例えば、政策金利のみに適用するのか、あるいは政策金利と資産買入れの組み合わせに適用するのかなど)の違いを反映しています。また、私がとくに強調したい点は、フォーワードガイダンスの表現については、時間が経つにつれて変わりうる点です。すなわち、景気回復が進むにつれて、例えば、金融緩和の継続期間についてより具体的な記述に変更したり、経済状況について詳細な記述を行うなど、内容を精緻化していくことが考えられます。

  1.   4  例えば、Bank of England (2013) "Monetary Policy Trade-Offs and Forward Guidance," August 2013を参照。

(2)我が国のフォーワードガイダンス

それでは次に、我が国のケースについて見ていきたいと思います。日本銀行では早くからゼロ金利制約に直面し、金融緩和の継続についてのコミュニケーション政策としてさまざまな形式がとられてきました。我が国のこうした政策の有効性、特に金融市場への影響については、多くの実証研究が蓄積されています5。フォーワードガイダンスは「量的・質的緩和」においても重要な柱と位置付けられますので、まずはそれについてご紹介したうえで、その位置付けの解釈について私の見解をご説明致します。その後、過去に日本銀行が採用したフォーワードガイダンスを展望し、他の諸国との基本的な相違点についてもお話しを進めていきたいと思います。

  1.   5  例えば、以下の文献を参照。N. Oda and K. Ueda (2005) "The Effects of the Bank of Japan's Zero Interest Rate Commitment and Quantitative Monetary Easing on the Yield Curve: A Macro-Finance Approach", Bank of Japan Working Paper Series No. 05-E-6, April 2005; H. Ugai (2007) "Effects of the Quantitative Easing Policy: A Survey of Empirical Analyses" Monetary and Economic Studies Vol.25, No.1, March 2007; and, J. Nakajima, S. Shiratsuka, and Y. Teranishi (2010) "The Effects of Monetary Policy Commitment: Evidence from Time-varying Parameter VAR Analysis," IMES Discussion Paper Series 2010-E-6.

量的・質的緩和の下でのフォーワードガイダンス

日本銀行は、本年4月4日に量的・質的緩和の導入に伴い、金融緩和の時間軸に関する以下の二つの表現を含む公表文を公表致しました。

(1)日本銀行は、2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する(これを「第一のフォーワードガイダンス」と呼ぶことにします)。

(2)「量的・質的緩和」は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続する。その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、必要な調整を行う(これを「第二のフォーワードガイダンス」と呼ぶことにします)。

これをご覧になって、皆様はこれら二つの表現の関係はどうなっているのだろうと思われるかもしれません。この点について、日本銀行の黒田東彦総裁は、本年4月12日に実施した講演の中で、2%の物価安定目標を2年程度で達成するために必要なことは、量的・質的緩和にすべて盛り込んだと思っていると説明しています。そのうえで、経済には不確実性があり、人々の予想には常に幅があるため、全ての人に金融緩和が十分に実施されると確信してもらうために、日本銀行は2%を安定的に実現するために必要な時点まで、金融緩和を実施していくと述べることが適切であると解説しています。従って、これら二つの表現は一体となって、日本銀行の目標達成に向けたコミットメントに対する信認を高めるものとなっています。

さらにこの点について、これら二つのフォーワードガイダンス各々の役割に注目して私の見解を説明していきたいと思います。なお、以下の内容については、必ずしも日本銀行の政策委員のコンセンサスを映じたものではないことを予め申し上げておきます。フォーワードガイダンスがこのように二部構成となっているのは、市場や国民のデフレマインドからの転換を図り、しかもインフレ期待を2%程度まで高めてアンカーするというチャレンジングな課題に直面している日本銀行が置かれている環境を踏まえてデザインされているからです。

第一のフォーワードガイダンスの表現は、公表文の最初の部分で明記されており、これまでとは次元の違う金融緩和を実施するための根拠と位置付けられています(図表4)。この大胆な金融政策を実施するために、日本銀行は金融市場調節の操作目標を無担保コールレート(オーバーナイト物)からマネタリーベースに変更しました。そして、マネタリーベースおよび長期国債と指数連動型上場投資信託(ETF)の保有額を(2014年末までの)2年間で2倍に拡大し、長期国債買入れの平均残存期間を2倍以上(現行の3年弱から7年程度)に延長するなど、量・質ともに積極的な金融緩和を行うことにしました。年間当たりの増額ペースは、マネタリーベースを約60〜70兆円、(40年債までを含む)長期国債の保有残高を約50兆円、ETFを約1兆円としています(図表5)。また、不動産投資信託(J-REIT)についても2年間にわたって年間約300億円のペースで購入することにしています6

この第一のフォーワードガイダンスの目的は、市場や国民に対して、日本銀行が、2%目標を2年程度という期間内―これはインフレーション・ターゲティングを採用している中央銀行が通常想定している期間に相当しますが―に達成するという強い決意を示すためのものです。このガイダンスは、日付ベース(2年程度)と経済状況ベース(2%)の二つの特徴を兼ね備えています。このうち日付ベースの側面は、2%を可能な限り早期に達成するとの日本銀行の強い意図とその可能性についての市場や国民からの信認をできるだけ早く高めるために不可欠だと考えられました。日本銀行の政策に対する市場や国民の信頼が高まるほど中長期インフレ期待が上昇するペースが加速し、そうなれば企業が需給状況に合わせて販売価格を調整するような価格設定行動を強めることにも寄与すると考えられます。

第二のフォーワードガイダンスは、公表文の中頃の「量的・質的金融緩和の継続」という副題の下で明記されています。これは条件付きのコミットメントであり、経済物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検して金融緩和の継続に関して必要な調整を行うとしています(前掲図表4)。また、これは経済状況ベース(2%を安定的に持続)でもあり、量的・質的緩和の継続に関連付けて、中長期インフレ期待を2%程度に安定化していくうえで、第一のフォーワードガイダンスよりも強力な役割を果たします。

これに関連する点として、第二のフォーワードガイダンスで用いている「安定的に持続する」という表現は、経済状況を示す表現としては曖昧な印象を与えているかもしれません。しかし、私はこの表現は以下の理由から適切だと判断しています。すなわち、日本銀行が引き上げようと努めている中長期インフレ期待の形成課程については不確実性があるほか、中長期インフレ期待が2%程度にアンカーされたのかどうか、あるいはいつそれが実現しうるのかについては、政策委員の間で主観的な判断が避けられない面があるからです。しかも、インフレ期待を引き上げる点で、参考にできる他国の前例もほとんどありません。また、インフレ期待の計測に関する制約も判断を困難にしています。制約とは、例えば、(1)家計や企業のインフレ期待を正確に測る指標が存在していないこと、(2)入手可能なサーベイデータのうちの幾つかには統計的バイアス問題があること(例えば、我が国の場合、家計のインフレ期待は上方バイアスがあること、日銀短観による向こう3か月先の企業の販売価格DIには下方バイアスがあること)、(3)国債市場データに基づいてインフレ期待を判断する際には日本銀行による大量の国債購入の影響を考慮する必要があること、そして(4)ブレークイーブンインフレ率(BEI)については利付国債と物価連動国債の流動性の違いも反映していることなどの問題があります。

とはいえ、物価や経済の改善がしっかりとした足取りで見られ、インフレ期待の上昇プロセスがより明確になるにつれて、長期的な見地に立てば、第二のフォーワードガイダンスについてより詳細な情報を加えて改善していく余地がありうると、個人的には考えています。

なお、これらの二つのフォーワードガイダンスは相互に矛盾するものではなく、第一のガイダンスは第二のガイダンスを達成するための必要条件と位置付けられます。さらに、第二のガイダンスは、2%目標を安定的に実現するまで量的・質的緩和を継続するとの強いコミットメントを示したものと言えます(前掲図表4)。従って、これらの二つのガイダンスの時間軸は重複するものの、第二のガイダンスの方が幾分より長期的な時間軸を内包することが示唆されています。また、第二のガイダンスは、長期金利のボラティリティの低減および過度な上昇の防止に寄与すると考えられます。

個人的な見解ですが、この第二のガイダンスは、日本銀行が2%を安定的に実現するとの目的に照らして必要があると判断すれば、金融緩和を2年間に限定することなく必要な追加行動を採りうることを示唆しています。また、この経済状況ベースのガイダンスが達成されるまでは金融緩和を継続し、出口に向かわないことも示していると思います。

  1.   6  CPや社債などについては、2013年末までに各々2.2兆円、3.2兆円の残高まで買入れた後、その残高を維持するとしています。日本銀行は国庫短期証券の買入れも必要に応じて継続しており、また最長1年までの固定金利オペレーションも柔軟に実施しています。

我が国のフォーワードガイダンスはオープンエンド・ベースなのか

BOEは2013年8月に発表した報告書において、我が国の現在の量的・質的緩和の下での第二のフォーワードガイダンスについて言及し、オープンエンド型として分類しています7。BOEの判断や分析には高い敬意を表するものの、既にご説明して参りましたように、この分類は私の評価とは異なっています。日本銀行のフォーワードガイダンスは複数層から構成されており、最終的に実現すべき目標という視点から見れば、2%程度の物価安定の実現という経済状況ベースを中心としたガイダンスだと言えます。それにも拘らず、BOE報告書で前述の評価が導かれたのは、公表文の中で第二のフォーワードガイダンスの方のみが「金融緩和の継続」との副題の下で記載されたことや「安定的に持続」という表現が定性的で曖昧と受け止められたためなのかもしれません。しかし、後者の点については既にご説明しました通り、適切な表現であると考えています。

  1.   7  前述のBank of England (2013)を参照。

(3)過去の金融政策と比較してより明確かつ強力なコミットメント

現在の量的・質的緩和の下で日本銀行が採用しているフォーワードガイダンスは、過去の政策におけるガイダンスと比べると、より明確でかつ強いコミットメントを示しています。日本銀行は、これまでも金融緩和策を実施する度に、フォーワードガイダンスを採用してきましたが、以下では、(1)1999/2月〜2000/8月の「ゼロ金利政策」、(2)2001/3月〜2006/3月の「量的金融緩和政策」、(3)2010/10月〜2013/3月の「包括的金融緩和政策」(詳細は図表6と7を参照)に分けて簡単に振り返って参りたいと思います。

フォーワードガイダンスの第一ラウンド(1999年2月-2000年8月)

日本銀行は、1999年2月に政策金利である無担保コールレート(オーバーナイト物)をできるだけ低い水準で推移するように促す事実上のゼロ金利政策を導入しました。フォーワードガイダンスはその2か月後の4月に、公表文の形式ではなく、速水優総裁(当時)による記者会見で表明されています。そこでは、日本銀行は「デフレ懸念の払拭ということが展望できるような情勢になるまでは、市場の機能に配慮しつつ、無担保コールレート(オーバーナイト物)を事実上ゼロ%で推移させ、…(中略)…現在の政策を続けていくことになると思っている。」と発言しています。これはオープンエンド・ベースの、ゼロ金利政策の継続に関連付けたフォーワードガイダンスとして分類できるかと思います。

しかし、「デフレ懸念」という表現は、デフレの定義をはっきりと示さなかったことから曖昧であるとの指摘がなされています。その結果、出口のタイミングについてさまざまな解釈や判断を可能とし、政策委員の間でも意見の一致を見ることが難しくなっただけでなく、市場や国民に対する十分説得力のある説明を行うことも難しくなったように思われます。例えば、当時、鉱工業生産や輸出は確かに改善しつつありましたが、CPIについては総合・コアともに下落が続いていました。それでも、日本銀行は、需要の弱さから由来する物価下落圧力は著しく緩和されたとして、2000年8月にゼロ金利政策を解除し、政策金利を平均的に見て0.25%前後へと引き上げました。この点については、金融緩和の解除時期が早過ぎたとの見方が外部から少なからず聞かれているところです。

フォーワードガイダンスの第二ラウンド(2001年3月-2006年3月)

日本銀行によるフォーワードガイダンスの第二ラウンドは、2001年2月に政策金利を0.15%まで引き下げた翌月の3月に、量的緩和政策の導入の際に適用されました。量的緩和では、金融市場調節の操作目標を無担保コールレート(オーバーナイト物)から日本銀行当座預金残高へ変更し、当座預金の目標は当初の5兆円(所要準備額の約4兆円を上回る金額)から9回引き上げられ、2004年1月には30〜35兆円に達しています。当座預金残高の増額は、主として期間が短めの公開市場操作で行われ、必要に応じて長期国債の買入れも行われました。日本銀行は経済状況から見て劇的な金融緩和が必要と判断し、2001年3月の公表文において、金融緩和策は、「「CPI(全国、除く生鮮食品[以下、コアCPI])の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続する。」とのガイダンスが明記されました。これは物価の上昇率に基づく経済状況ベースで、量的緩和の継続に関連付けたガイダンスだとみなせます。また、ガイダンスの基準を「実際」のコアCPIの動向としたことで、前回のゼロ金利政策時よりも分かりやすくなった点を指摘しておきたいと思います。

さらに、2003年10月には、量的緩和の継続のコミットメントについてより明確にするために、「安定的にゼロ%以上」との表現について追加的に詳しい情報を示しています。すなわち、(1)コアCPIの前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上となると判断できる必要があること、(2)コアCPIの前年比上昇率が先行き再びマイナスになることが見込まれないことが必要であること、といった表現に見直されました。同時に、これらの条件は量的緩和を終了するための必要条件であり、満たされたとしても継続が適当と判断される場合もあることが示されました。この修正されたガイダンスでは、経済状況ベースの基準が、実際の物価動向だけでなくその見通しにも適用されました。

こうした状況下で、2005年11月にコアCPIの上昇率はプラスに転じました(総合CPIでも2006年1月にプラスに転換)。そこで、日本銀行は2006年3月には量的緩和解除の条件がすべて満たされたと判断してこれを解除し、金融市場調節の操作目標を無担保コールレートに戻しました(当初は概ねゼロ%の誘導目標を設定)。もっとも、2006年8月にはCPIの基準年が2000年から2005年に改定され、それまでプラスの値とされた伸び率がマイナスに修正されたことで、事後的に見れば解除条件を満たさなかったことが判明致しました。こうしたCPIの下方修正は、過去のトレンドと比べてかなり大きく、日本銀行の予測を超えるものではありましたが、こうした修正もあったことで、量的緩和解除のタイミングは早計だったとの外部の見解も聞かれています。

フォーワードガイダンスの第三ラウンド(2010年10月-2013年3月)

フォーワードガイダンスの第三ラウンドは、2010年10月に包括緩和を導入した際に適用されました。同政策は、実質ゼロ金利政策(政策金利を0〜0.1%程度で推移)と資産買入れ等基金の設立に基づく資産買入れ(残存期間1〜3年の国債、国庫短期証券、社債、CP、ETF、J-REIT)などによって金融緩和を行うものです。同基金による買入れ残高は、開始当初の35兆円から2012年末には65兆円へと達しました。さらに、2013年末までに101兆円へ、2014年中に111兆円程度にまで増加させ、その後は無期限で残高を維持する予定としていました。フォーワードガイダンスの表現としては、公表文の中で、「日本銀行では『中長期的な物価安定の理解』に基づき、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していく。ただし、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、問題が生じていないことを条件とする。」と明記しています。また、「中長期的な物価安定の理解」は、CPIの前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」と定義されています。これは、物価上昇率の見通しに基づく経済状況ベースで、ゼロ金利政策の継続に関連付けたガイダンスだと言えます。また、条件付きのコミットメントでもあり、金融緩和の継続に対する制約条件として初めて、金融面での不均衡などリスク要因の検討といった表現を含めている点が注目されます。

2012年2月には金融緩和に関するガイダンスが強化されています。公表文では「当面、CPIの前年比上昇率1%を目指して、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策と金融資産の買入れ等の措置により、強力に金融緩和を推進していく。ただし、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないことを条件とする。」と明記しています。この修正されたガイダンスは、物価上昇率の見通しに基づく経済状況ベースですが、ゼロ金利政策だけでなく資産買入れの継続にも関連付けており、もとのガイダンスと比べて、幾つかの点で、より明確でかつ強力なものだと見なせます。具体的には、まず、(各委員による中長期的な物価安定についての様々な見解を網羅する表現である)従来の「理解」から、(日本銀行として委員全員が合意する形で中長期的な物価安定の水準を示す)「目途(英語ではゴールと表現)」へと変更されました。次に、日本銀行が、中長期的な目途を2%以下のプラスの領域に保ちつつ、当面1%の物価上昇率の目途が見通せるようになるまで強力な金融緩和を推進することを明らかにしたことが挙げられます。しかし、日本銀行が最終的に目指しているのが2%なのかより低い1%なのかが判然としないこと、さらには金融緩和が2%の目途とどのように関係するのか分かりにくいといった疑問は残ったように思われます8

  1.   8  参考までに、白井さゆり(2013)「チャレンジングな経済環境下での我が国の金融政策」イタリア中銀セミナー及びユーロアジア・ビジネス経済学会における講演、2013年1月11日-12日の邦訳を参照。

量的・質的緩和を導入した背景

こうした点を踏まえて、日本銀行は2013年1月に、ついに2%の物価安定目標を導入致しました。公表文では、日本銀行は金融緩和を推進し、「物価安定目標をできるだけ早期に実現」することを目指すことを示しています。フォーワードガイダンスの表現としては、日本銀行は2%目標の実現を目指して実質的なゼロ金利政策と金融資産買入れ等の措置を、それぞれ必要と判断される時点まで継続することを通じて、強力に金融緩和を推進する」ことを明記致しました。こうした表現が盛り込まれたことは、日本銀行の金融政策史上、重要な政策転換だったと考えています。しかしながら、それまで包括緩和の下で打ち出してきた金融緩和措置(既存の資産買入れ増額計画、2014年から開始予定の買入れ期限を定めない形式での資産買入れ方式など)では2%目標の達成が難しいとの見解が聞かれておりました。そうした現状は金融政策の信認にも関わる問題であり、2013年4月に量的・質的緩和の導入に繋がっていく背景にあったと、個人的には考えています9

  1.   9  前述の白井(2013)の旭川における挨拶要旨を参照。

量的・質的緩和と過去の金融緩和の違い

これまでの話を総括致しますと、現在の量的・質的緩和とそれ以前の金融緩和の主な違いとして、(i)将来の金融緩和スタンスに対する市場や国民による期待形成を一段と重視していること(だからこそ、大胆な金融緩和とフォーワードガイダンスを積極的に活用)、(ii)市場や国民の中長期インフレ期待の重要性に注目していること、(iii)大規模でより長期の国債買入れを実施していることなどが挙げられます。フォーワードガイダンスについても、物価安定の目標が一段と明確化されていますし、それとの関連での金融政策運営も分かりやすくなっていると思います(図表7を参照)。このことから、金融緩和効果は、イールドカーブ全体に対する下押し圧力が働くこと、より効果的なポートフォリオリバランス効果や資産効果が期待されること、円の為替相場への間接的な影響が見られることなどの見地から、従来の金融政策よりも効果が大きくなると考えられます。

(4)我が国と他の先進諸国のフォーワードガイダンスの違い

次に、現在の我が国のフォーワードガイダンスと米英諸国との比較をしてみたいと思います(「付表」を参照)。私の見解では、二つの大きな違いがあるように思います。

インフレ目標に向けてインフレ期待をアンカーする必要性

第一に、そして最も重要な点として、米英を始めとする複数の主要先進諸国では、我が国と異なり、中長期インフレ期待は既に2%程度にアンカーされてきました。現在でも、これらの中央銀行はその状態が維持されていると判断しています。もちろん、これらの中央銀行でも―米国の場合には実際のインフレ率が低下する傾向にあることから、また英国の場合には実際のインフレ率がインフレ目標を上回る状態が長期化していることから―インフレ期待が不安定化する懸念は皆無ではありません。しかし、これらの国ではインフレ期待をアンカーし続けることに注意を払えばよいのに対して、我が国の場合はインフレ期待そのものを引き上げ2%程度にアンカーを試みる点で大きく異なっており、それがフォーワードガイダンスの表現の違いに反映されています。

労働市場の勘案

第二に、FRBとBOEではフォーワードガイダンスのなかに雇用関係の経済指標に基づく条件を含めている点が、我が国とは異なっています。FRBの場合には、法令上、物価安定と最大雇用の実現という二つが責務とされているため、その理由は明白です。他方、BOEの場合は、物価安定が第一義的目的です。しかし、英国では、高いインフレ率と高い失業率及び低成長が並存しており、金融政策上のトレードオフが生じています。そのため、そうしたトレードオフについての中央銀行の見解を明確化する必要があって、ガイダンスでは閾値として失業率を含めていると考えられます

他方、我が国では日本銀行の主たる目的は日本銀行法の中で物価安定の実現と明記されているほか、現在、失業率は大きな問題となっておりません。既に2013年7月には3.8%(女性は3.3%)まで低下しており、世界金融危機前に記録した近年最低水準である2007年7月時点の3.6%にかなり近づいています(女性は3.4%)。従って、我が国ではガイダンスで用いる基準として雇用関連の情報を示す必要性は低いと考えられます。一般的に、我が国においては名目賃金の下方硬直性は米欧と比べて小さく、それが相対的に低い失業率の一因だと考えられています。景気循環の局面で、企業は正規社員については特別給与の調整によって、非正規社員については労働時間や勤務日数で調整する傾向があるからです。我が国では正規社員と非正規社員の間での賃金・その他処遇の格差問題やより柔軟な労働規制を求める企業の要望が聞かれますが、これらはどちらかと言えば構造的な性質を持ち、金融政策で対処できる領域を超えているように思います。

4.量的・質的緩和の現時点での評価:物価および経済の動向と見通し

これまで、我が国の量的・質的緩和におけるフォーワードガイダンスについてご説明して参りましたが、おそらく皆様は、その結果として現時点でどのような進展が見られているのかにご関心がおありだと想像いたします。そこで、さっそく物価の動向についてその現状と見通しをご紹介し、次いで経済の動向について概観していくことに致します。

改善の兆しが見られる物価の現状

まず、物価の動向についてですが、幾つかの前向きな兆しが見られます(図表8)。コアCPIの変化率は2013年6月に0.4%、7月には0.7%となり、2012年5月から連続してマイナスあるいはゼロ%で推移してきた状態からプラスに転換しています。総合CPIについても同6月に0.2%、7月に0.7%となり、2012年6月以来のマイナスのトレンドからプラスに転換を遂げています。こうした動きは、輸入物価の上昇、経済活動の改善、インフレ期待の上昇などの要因を反映しています。現時点では、物価上昇の最大の要因は、円安による輸入物価の上昇などによって電気料金やガソリン価格が引き上げられたこと、及び前年の統計の裏(前年の原油価格がこの間低水準で推移したことに起因)による影響を指摘できます。しかし、同時に幅広い消費項目でも物価上昇の動きが少しずつ見られている点が注目されます。また、これまで耐久財価格が(品質調整の影響もあって)趨勢的に低下する傾向が続いてきましたが、この下げ幅が縮小しつつあります。家電を中心とする大型小売店によってはこれまでの割引による安値販売戦略から付加価値の高い商品を中心に取り揃えて客単価を引き上げる販売戦略に軸足を移しつつあるといった変化も見られるようになっています。同様に、レストランによっては付加価値の高いメニューを取り揃えたり、内装やサービスを改善することで客単価の引き上げを目指す店舗も少しずつ増えているようです。さらにホテル・旅館の宿泊料金も上昇しています。

その他の物価指数としては、国内企業物価指数は5か月連続で前年比プラスとなり既に上昇傾向を示しています。これは、一般的に、輸入された原材料価格の上昇が販売価格に転嫁されるペースは、企業物価の方が消費者物価よりも早くなる傾向があるためです。また、まだ厳しい状態が続いていることに変わりはありませんが、これまでのデフレ的な環境と比べて、現在の方が、企業にとって投入価格の上昇を販売価格に転嫁しやすい状況が少しずつ生じていると指摘する声も聞かれるようになっています。企業サービス価格指数をみても、3か月連続で前年比プラスとなっているほか、土木建設サービス、宿泊サービス、リースなどでも価格が上昇しています。ごく最近では、地価についても首都圏を中心に、住宅地と商業地ともに土地取引が活発になっている結果、上昇に転じつつあるようです(図表9)。土地価格の上昇は、企業や金融機関のバランスシートの改善や担保価値の上昇に寄与することで、企業による設備投資や金融機関によるリスクテークを促す可能性があります。最近では首都圏において住宅販売単価の上昇も見られていますが、そうした傾向は家計のデフレマインドの改善や資産効果の高まりにも寄与するかもしれません。

緩やかに改善する物価の見通しとインフレ期待

物価の先行きにつきましては、CPIの動向はさらに改善していき、経済活動の活発化やインフレ予想の上昇による寄与度が徐々に高まっていくと見ています。概念的には、物価上昇率を決める主な要因は、需給バランス(需給ギャップ)とインフレ期待です。そこでまず、労働や生産設備などの稼働状況を見るために、日本銀行が推計している需給ギャップや短観加重平均DI(生産・営業用設備判断DIと人員判断DIを資本労働・分配率で加重平均して算出)を見て行きたいと思います。図表10では、現時点ではどちらの指標も依然としてマイナス(不足超)を示していますので、まだ経済のスラックが大きい状態にあります。しかし、今後、この状態は堅調な内需に加えて、外需が緩やかに増加していくことで少しずつ改善していくと見ています。

つぎに、市場参加者、エコノミスト、家計の中長期インフレ期待に関連する指標を見ていきたいと思います。図表11によれば、大半の指標が上昇傾向を示しています。しかし、2%目標に達するにはまだ距離があるようです。中長期インフレ期待と比べ、より短期のインフレ期待は足元の物価動向に左右される傾向があるために、変動幅が大きくなっています。しかも、2014年度と2015年度については消費税率の引き上げが予定通り実施されると仮定してそれらが一時的に物価を引き上げる影響を含めれば、2%を大きく上回ることが想定されています。具体的には、消費税率が2014年度から(5%から8%へと)3%引き上げられた場合の同年度の物価上昇率は2%ポイントほど、2015年10月から(8%から10%へと)2%引き上げられた場合の2015年度の物価上昇率は0.7%ポイントほど一時的に上昇すると推計されています。こうした推計に基づけば、現段階では消費税率の引き上げとそれ以外の影響(輸入物価の上昇や金融緩和の効果など)は、短期インフレ期待には完全には反映されていないようです(図表12)。次に、企業のインフレ期待については日銀短観による向こう3か月先のデータに基づいた非常に短期の指標しかありませんが、最近では販売価格DIが上昇傾向にあることは良い兆しだと考えています(図表13)。

インフレ期待が上昇していけば、実質金利の下落に寄与します。用いるデータによって異なりますが、いくつかの実質金利の指標によれば、足元ではマイナス金利の領域にあることが示唆されます(図表14)。マイナスの実質金利は金融緩和環境についてさらに緩和的な状況をもたらします。また、インフレ期待の上昇は家計の耐久財の消費や住宅投資を促すことに寄与すると考えられます。

日本銀行のベースラインシナリオによると、物価の見通しは2015年度までの見通し期間の後半に2%辺りに達することを示しています。政策委員の見通しの中央値を用いれば、2013年度は0.6%、消費者物価の影響を除けば2014年度は1.3%、2015年度は1.9%に達すると予想しています(図表15)。2%目標の達成ペースは、フィリップス曲線の今後の動向に大きく依存しています。現時点では勾配がフラット化した状態にあります(図表16)。しかし、企業や家計の中長期インフレ期待が2%に近づくほど、フィリップス曲線が上方シフトする程度は高まります(前掲図表2)。また、今後、家計のデフレマインドや企業のデフレ志向の価格設定行動が払拭されていくペースが速くなるほど、フィリップス曲線の勾配はスティープ化していきます(前掲図表2)。とはいえ、量的・質的緩和の影響がこうしたプロセスを経て効果が出尽くすまでには相応の時間がかかる可能性がありますので、2%目標達成にかかる期間についてはある程度の不確実性があると、私自身は考えています。

緩やかに改善する経済活動の現状と見通し

こうした物価の動向に関する望ましい動きは、実体経済や経済活動の前向きの動きと深く関連しています。まず、消費者や企業のコンフィデンスは共に明確に改善しつつあります(図表17)。消費者コンフィデンスが比較的高い水準にあるのは、昨年と比べた株価の上昇による資産効果や雇用の着実な改善が見られるからです。また、これらの要因と、2014年4月に予定されている消費税率引き上げ前の駆け込み需要も重なって、消費や住宅投資が改善しています(図表18)。さらに、企業のコンフィデンスも改善傾向にあり、販売や経常利益が改善していることから、今後は企業の計画に沿って設備投資が活発化していくと見ています(図表19)。

経済の見通しについても、物価の改善見通しと整合的です。日本銀行の中心的なシナリオとしては、国内需要の底堅さと海外経済の持ち直しを背景に、緩やかな回復を続けていくと見ています。確かに、この間、2度の消費税率の引き上げによる駆け込み需要とその反動の影響は見込まれていますが、それでも支出・生産・所得の好循環が働いて、潜在成長率(およそ0%台半ばと推計)を上回る経済成長を続けていくと見ています。実質GDP成長率は、政策委員見通しの中央値では、2013年度は2.8%、2014年度は1.3%、2015年度は1.5%を示しています(図表20)。

5.最後に

本日の私の講演も終わりに近づいていますが、日本銀行の責務が市場や国民のデフレマインドに変化をもたらしながらデフレを克服するだけではなく、インフレ期待を2%程度にアンカーしていく点にあることを強調しておきたいと思います。これは、我が国経済にとって大変なチャレンジであり、これを実現していく上で、本日ご説明致しました二つのフォーワードガイダンスからなる日本銀行のコミュニケーション戦略は不可欠なものだと考えています。同時に、日本銀行は我が国の経済を活性化し持続可能な経済成長を達成するために最大限の努力をして参ります。

なお、今日の金融政策、量的・質的緩和の成否は、我が国のあらゆる経済主体による総合的な努力とも深く関わっています。つまり、政府の側では経済成長戦略と信頼できる中期財政再建計画を策定・実行していくこと、企業の側では競争力を高め技術革新に努めて行くこと、金融機関の側では経済の活性化に必要なリスクマネーと技術革新や新しい産業の発展に寄与するような金融サービスを提供していくことなどが重要な鍵を握っています10

最後に、本日の私の講演が、日本銀行の金融政策についての皆様のご理解がさらに深まる機会となることができましたら、心より嬉しく存じます。ご清聴ありがとうございました。

  1.  10 この点について、国際通貨基金(IMF)は2013年8月に公表した「2013年第4条協議報告書」において、政府が積極的な構造改革によって向こう10年に亘る潜在成長率を2%まで引き上げ、しかも量的・質的緩和と中期財政再建が実施される場合には、インフレ期待の2%に向けた上昇ペースが速まり、実際のインフレ率は2年程度で2%に達することが見込まれ、その後もこのレベルで維持される可能性があることを示しています。

付表:「米国および欧州におけるフォーワードガイダンス」

(1)米国におけるフォーワードガイダンス

2003-2004年の事例

米国では、FRBの連邦公開市場委員会(FOMC)が2003年から2004年にかけて景気回復力が弱く、失業率が高止まりしている際に、フォーワードガイダンスを採用した実績があります。2003年6月に、政策金利(フェデラルファンド・レート)の誘導目標を歴史的に低水準の1%まで引き下げ、その2か月後に金融緩和を実施するためにフォーワードガイダンスを採用しています。同年8月の公表文では、"the [Federal Open Market] Committee [FOMC] believes that policy accommodation can be maintained for a considerable period"(委員会は、当分の間、金融緩和が維持されると想定)という表現を示しています。このオープンエンド・ベースのガイダンスでは、長期金利への押下げ圧力を高めるために、通常よりも長く低い政策金利を維持する意思を示したものとみなせます11。この表現は、2004年1月の公表文において、FOMC は "believes that it can be patient in removing its policy accommodation"(金融緩和を取り止めることについて忍耐強くいられると想定される)へと修正されています。そして、同年5月にFOMCは金融緩和のスタンスを変更し、金融引締めへの転換を示唆する表現に改めています。その結果、同年6月から2006年6月まで16回にわたって政策金利は25ベーシスポイントずつ引き上げられました。

  1.  11 C. Kool and D. Thornton (2012) "How Effective Is Central Bank Forward Guidance?" Federal Reserve Bank of St. Louis Working Paper Series 2012-063A, December 2012.

世界金融危機以降の政策金利に関するフォーワードガイダンス

世界金融危機を受けて、2008年12月にFRBは政策金利の誘導目標範囲を史上最低水準の0〜0.25%まで引き下げた後に、政策金利と(非伝統的手段として採用した大量の)資産買入れに対して、各々に適用する形でフォーワードガイダンスを再導入しています。政策金利に関するガイダンスの表現は時間を経てより明確になり、進化しています。当初は、2003年のガイダンスに類似したオープンエンド・ベースを採用しており、"the Committee anticipates that weak economic conditions are likely to warrant exceptionally low levels of the federal funds rate for some time"(委員会は、例外的に低い水準の政策金利を、当面、正当化する可能性が高いと見込んでいる)という記述を用いていましたが、これは、2009年3月に"an extended period"(長期にわたり)というより長めの期間を示唆する表現に変更しています。さらに、2011年8月には日付ベースに変更され、"at least through mid-2013"(少なくとも2013年央まで)といった表現にしています。2012年1月には"at least through late 2014"に修正しています。

さらに注目される点は、2012年9月に日付表現が"at least through mid-2015"(少なくとも2015年央まで)に変更されましたが、同時に公表文では次のような文章"the Committee expects that a highly accommodative monetary will remain appropriate for a considerable time after the economic recovery strengthens"(経済回復が強まった後でも、当分の間、かなり緩和的な金融緩和が適切であり続けると予想される)を明記していることです。新たに"for a considerable time after the economic recovery strengthens"という時間的表現が2012年1月のもともとの文章に追加された点が重要です。なお、FOMCはこの修正された表現が、"at least through mid-2015"で示される時期と整合的であると説明しています。さらに、"mid-2015"という日付表現について、FRBの副議長のジャネット・イエレン氏は2012年11月に、通常の政策反応関数(たとえば、修正テイラールール)で想定される解除の時期よりも後になることを示しています。同時に、最適政策反応関数(たとえば、2%からのインフレの乖離と6%の失業率からの乖離に同じウエイトを与えて最小化するルール)よりも期間は短くなるが、それでもかなり接近する時期に相当すると指摘しています12。つまり、現在の金融緩和政策が、通常の政策反応関数が示す期間よりも長期化することを示す「オデッセイ的なガイダンス」であることを証明したものと理解できます。

最新のガイダンスは2012年12月に示されたもので、日付ベースから経済状況ベースへ転換しています。公表文では、"the Committee … currently anticipates that this exceptionally low range for the federal funds rate [0 to 0.25 percent] will be appropriate at least as long as the unemployment rate remains about 6.5 percent, inflation between one and two years ahead is projected to be no more than a half percentage point above the 2 percent longer-run goal, and longer-term inflation expectations continue to be well anchored"(委員会は、例外的に低い範囲の政策金利は、少なくとも失業率が6.5%を上回る状態にあり、1年から2年先の間のインフレ率が委員会の長期目標である2%を0.5%を超えて上回らないと見込まれ、長期的なインフレ期待が引き続き十分にアンカーされている限り、適切である、と現時点では見込んでいる)と明記しています。さらに、FOMCは上記の閾値表現が"at least through mid-2015"という日付表現と整合的であると説明し、12月時点ではガイダンスの修正により追加緩和を試みたわけではないことを示しています。閾値は、低い政策金利が許容されるインフレと失業率の組み合わせについてのある種のゾーンを設けたと見なせます。

また、このガイダンスは、2%の長期インフレゴールが、平均概念であって上限ではないことを示唆しています。つまり、中期的なインフレ見通しは、長期インフレ期待がアンカーされている限り、一時的に2%を超えることがあっても容認されることになります。こうしたガイダンスは二大目標を満たすために、より緩和的な金融政策を実施する意図を示したと言えます。この考え方は、明らかにシカゴ連銀総裁のチャールズ・エヴァンス氏によって2011年に提唱された提案の影響を受けています13。同氏の提案は、低水準の政策金利を、中期インフレ見通しが3%を下回る限りにおいて、失業率が7%まで大幅に低下するまで継続することを示すべきという内容でした。同様の文脈で、ミネアポリス連銀総裁のナラヤナ・コチャラコタ氏は、失業率の閾値を5.5%、中期インフレ見通しの閾値を2.25%とする提案をしています。

  1.  12 J. Yellen (2012) "Revolution and Evolution in Central Bank Communications," Remarks at Haas School of Business, University of California, Berkeley, November 13, 2012.
  2.  13 C. Evans (2011) "The Fed's Dual Mandate Responsibilities: Maintaining Credibility during a Time of Immense Economic Challenges" Speech at Michigan Council on Economic Education, Detroit, Michigan, October 17, 2011.

資産買入れについてのフォーワードガイダンス

資産買入れに関するガイダンスについては、2008年12月の公表文のなかでエージェンシー債とエージェンシー住宅ローン担保証券(MBSs)の今後の買入れ方針について言及し、"over the next few quarters"(次の数四半期にわたって)という日付表現を採用しています。その後、財務省証券を含めた資産買入れ額を追加的に増やしていく度に、"this year," "over the next six months"といった様々な日付表現が用いられてきました。FRBは、2012年9月にMBSsの買取りを再開し、2012年12月には(翌年1月から開始予定とする)財務省証券の買取り再開を決定し、フォーワードガイダンスでは、日付ベースから経済状況ベースへと転換しています。2012年12月に公表された公表文では、こうした資産買入れを継続する経済状況の条件として、"until [such substantial] improvement [in the labor market] is achieved in a context of price stability"(価格安定が維持される状況のもとで、労働市場の見通しが大幅に改善するまでは)という表現を用いています。

(2)ユーロ圏におけるフォーワードガイダンスの事例

ECBの政策理事会(Governing Council) は、2013年7月に初めてフォーワードガイダンスを導入しています。記者会見用の公表文では、"the Governing Council expects the key ECB interest rates to remain at present or lower levels for an extended period of time. This expectation is based on the overall subdued outlook for inflation extending into the medium term, given the broad-based weakness in the real economy and subdued monetary dynamics"(政策理事会は、長期にわたり、ECBの主要政策金利を現状あるいはそれより低い水準に留めることを予想している。この予想は、広範な実体経済の弱さや金融動向の低調さを前提に、全体として抑制されたインフレ見通しが中期的に継続することに基づいている)と明記されました。このガイダンスはオープンエンド・ベースで、0.5%の低水準にある政策金利(メインリファイナンスオペ金利)に関連付けています。

ガイダンスを導入した目的について、ECB役員会の理事を務めるピーター・プラット氏は、ECBの金融緩和スタンスを再度主張(reassert)するためだったと説明しています14。また、このガイダンスには第一の目的(デルフィ的なガイダンス)と第二の目的(オデッセイ的なガイダンス)の両方が織り込まれていると説明しています。すなわち、デルフィ的な要素として現在入手可能な情報をもとにして将来の金融政策スタンスを示した点にあるとし、オデッセイ的な要素としてECBの中期目的(インフレが2%を下回るがそれに近いレベル)の達成へのコミットメントとそれを達成するに必要な政策手段をとる意思を明確にした点にあると指摘しています。

ECBの決定は、2013年5月以来、(とくに米国における資産買入れ額縮小をめぐる思惑によって米国長期金利が上昇したことを受けて)世界金融市場の状態が変化したことで、現在の低い政策金利が継続すると市場が予想する期間が短期化したことへの懸念を反映しています。この短期化は、ECBによる経済・物価情勢に対する評価や金融政策スタンスに変化がないのに生じました。つまり、ECBが想定するよりも早期に金融引き締めが行われると市場の予想が変化したことになり、景気回復の兆しを損なう可能性が懸念されたのです。フォーワードガイダンスの導入は、市場で予想される低金利の継続期間をECBの見通しと整合的になるように再び長期化させることに寄与したことから、追加の金融緩和手段として活用されたと解釈できます。

  1.  14 Peter Praet (2013) "Forward Guidance and the ECB," column published on VoxEU.org on August 6, 2013.

(3)英国におけるフォーワードガイダンスの事例

英国では、BOEの金融政策委員会(MPC)が2013年7月の公表文を使って、将来の金融政策スタンスを示すフォーワードガイダンスではないものの、新たな動きを示しました。すなわち、公表文では、市場金利の大幅な上昇に対する懸念が表明された上で、"in the Committee's view, the implied rise in the expected future path of Bank Rate [the policy interest rate] was not warranted by the recent developments in the domestic economy"(委員会の見解によれば、政策金利の将来経路についての予想が上昇していることは、国内経済の最近の動きからは正当化されない)と示されました。この公表文の発表後に、市場金利が低下したことから、ECBの対応と類似した効果をもたらしたことになります。

そして、2013年3月に財務相のジョージ・オズボーン氏が公表したMPCに対する新たなremit(任務)に関する書簡に沿って、MPCは同年8月に将来の金融政策運営に関する包括的なフォーワードガイダンスを発表しています。公表文では、次の表現を明記しています。"the MPC intends not to raise Bank Rate from its current level of 0.5 percent at least untilthe unemployment rate has fallen to a threshold of 7 percent, subject to the conditions below. The MPC stands ready to undertake further asset purchases while the unemployment rate remains above 7 percent, if it judges that additional monetary stimulus is warranted."(MPCは、失業率が閾値である7%に低下するまで、以下の制約条件が成立しない限り、現在0.5%である政策金利の引き上げは行わない。また、失業率が7%を上回り続ける状況において、追加的な金融緩和が必要と判断した場合、資産買入の増額を行う用意がある)。また、買入れた資産の残高については、7%の閾値に到達し、かつ以下の制約条件が成立しない限りは、維持されると明記されています。

制約条件としては次の3点を挙げ、一つでも成立すれば前述のガイダンスの適用を停止するとしています。(1) inflation 18 and 24 months ahead will be above 2.5 percent, (2) medium-term inflation expectations do not remain well anchored, and (3) the Financial Policy Committee (FPC) judges that the stance of monetary policy poses a significant threat to financial stability that cannot be contained by the substantial range of mitigating policy actions available to the FPC. If any of these knockouts were breached, the MPC will cease the above-mentioned guidance((1)MPCのインフレ見通し(18〜24か月先)が2.5%を上回ること、(2)中期的なインフレ期待が十分にアンカーされていないこと、(3)現存の金融政策スタンスが金融システム安定に重大な脅威を与えているとして金融システム政策委員会[FPC]が政策対応を講じても、その脅威を解消できないとFPCが判断するケース)。

これは、政策金利と資産買入れに関連付けられた経済状況ベースのフォーワードガイダンスとみなせます。BOEはガイダンスの導入目的について、インフレと経済・雇用の間のトレードオフについてのMPCの見解とそれに関連する将来の金融政策スタンスについて明確化することにある、と説明しています。

BOE副総裁のチャーリー・ビーン氏は、2013年8月の講演の中で、ガイダンスの目的は、追加的な金融緩和効果を狙ったものではなく、むしろ現状のMPCの金融政策スタンスを明らかにすることにあったと説明しています15。つまり、政策スタンスに関する不透明性を減らすことで、タームプレミアムの低下と市場金利上昇の防止を狙ったものと言えます。MPCは、今日の失業率の見通しを踏まえると低い政策金利は向こう3年間の見通し期間を通じて維持されると示しています。しかし、それにも拘らず、3年間の見通し期間よりも早くノックアウト条項に抵触する可能性があることから、将来の金融緩和スタンスに対する不確実性を高めることになったとの意見も聞かれています。

  1.  15  C. Bean (2013) "Global Aspects of Unconventional Monetary Policies," Speech at the Federal Reserve Bank of Kansas City Economic Policy Symposium, Jackson Hole, Wyoming, August 24, 2013.