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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策:フィリップス曲線の形状について

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徳島県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2013年11月27日

目次

1.はじめに

皆様、おはようございます。本日はご多忙のところを、徳島県の行政ならびに経済界を代表する皆様にお集まり頂きまして、誠に有難うございます。私自身、徳島県を訪問するのは今回が初めてでございますので、当地を訪問し、こうして懇談の機会を頂きましたことをとても嬉しく思っております。また、皆様には、日頃から日本銀行徳島事務所および高松支店の業務運営にご協力頂いておりまして、この場をお借りして、改めて御礼を申し上げます。

さて、日本銀行は10月末の金融政策決定会合(以下、決定会合)で、2015年度までの3年間の経済成長率と物価の変化率の見通しを更新しました。また、同時に、わが国の経済・物価情勢の中心的な見通し(ベースライン・シナリオ)とその見通しを上振れ・下振れさせる要因について記述した「経済・物価情勢の展望」(以下、展望レポート)を発表しました。そこで、本日はこの内容を中心にお話しを進めていきたいと考えております。簡単に私の話の流れについて説明いたしますと、第2部において日本銀行の中心的な見通しについて、第3部においてその見通しの上振れ・下振れ要因について、それぞれ私の見解も織り交ぜながら、ご説明いたします。そのうえで、第4部では、日本銀行が本年1月に採用した2%の物価安定目標と持続可能な成長の実現に向けた経路について、需給ギャップ(実際のGDPと潜在GDPの差)と物価の変化率の関係を示す「フィリップス曲線」という概念を使って、いくつか考え方をお示しいたします。第5部では、展望レポートの読みやすさに関する私の考えをご紹介し、最後に第6部では、徳島県の経済情勢について簡単に触れたいと思います。その後、皆様方から、当地経済の実情に関するお話や、率直なご意見などお聞かせ頂ければと思います。

2.わが国の経済・物価情勢の現状と見通し

それでは、わが国の経済・物価情勢の現状と2015年度までの期間における見通しについて、10月末に公表した展望レポートの内容にもとづき、日本銀行の中心的な見通しをご説明いたします。

(1)経済の現状と先行き

まず、わが国の景気は、緩やかに回復しています。需要面をみると、輸出はやや勢いに欠けている面がありますが持ち直し傾向にありますし、個人消費、公共投資、住宅投資等の国内需要は堅調に推移しています。そして、内外需要の強弱を反映して、生産面では鉱工業生産の増加ペースが緩やかに留まる一方で、サービスや建設など非製造業の活動は強めに推移しています。

先行きについては、堅調な内需が維持されるなかで、外需も緩やかに増加していくと見込んでいます。そのため、わが国経済は、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要とその反動はあるものの、見通し期間中は潜在成長率(見通し期間平均で0%台半ばと推計される)を上回る成長を続けると予想しております。こうした見通しの柱を形成しているのが、次の四つの前提です。

  • 緩和的な金融環境が民間需要を刺激する効果は、景気の改善につれて強まっていく。
  • 国際金融資本市場が総じて落ち着いて推移するもとで、海外経済は先進国を中心に持ち直しを続ける。
  • 新たに策定される経済対策等の効果も含めれば、公共投資は2014年度上期にかけて高水準で推移する。
  • 規制・制度改革や今後見込まれる各種の企業向け減税措置、企業による内外需要の掘り起こし等もあって、企業・家計の中長期的な成長期待が緩やかに高まっていく。

そしてこの中心的な見通し(ベースライン・シナリオ)を展望レポートの7月中間評価と比較したうえで、実質GDP成長率の見通しは「概ね不変」と判断しています。ただし、政策委員見通しの中央値は、2013年度は2.7%(7月時点の見通しは2.8%)、2014年度は1.5%(同、1.3%)、2015年度は1.5%(同、1.5%)と幾分修正されています(図表1)。

私のベースライン・シナリオにおいても、以上の中心的な見通しと概ね同様の見方をしておりますが、政策委員見通しの中央値と比べて、2014年度と2015年度の見通しについては―前回の展望レポート公表時点の4月および中間評価時点の7月と同様に―幾分慎重にみています。その理由は、政府の追加経済対策には確かに2014年度以降の経済成長率を押し上げる効果が期待されますが、現時点ではそれを相殺する要因も相応に考慮する必要があるとみているからです。それらは実質輸出や鉱工業生産の回復力の緩慢さに関するもので、個人的には先行きの見通しも幾分慎重にみておくのが適切と判断しました(図表2)。

世界経済の動向をみますと、最近では新興諸国・資源国の成長モメンタムが鈍化している一方で、先進国経済では改善しており、成長のダイナミクスが逆転しています。ただし、今後も先進国の成長率が改善するペースは新興諸国・資源国を上回ることが見込まれるものの、その回復力自体は盤石ではなく、需給ギャップは需要不足超の状態が続くことが予想されています1。今後は緩やかな海外経済の回復によって、わが国からの自動車や資本財等の輸出拡大が見込まれますが、多くの企業が現地生産を進めていることや、国際的な競争激化等の影響も考慮する必要があると考えています。

  1.   1 IMFのWorld Economic Outlook(2013年10月)によると、実質GDP成長率については、先進国は2013年1.2%、2014年2%、2015年2.5%、新興国・途上国は各4.5%、5.1%、5.3%と予測され、需給ギャップについては、先進国は、2013年はマイナス2.9%、2014年はマイナス2.5%と推計されています。なお、OECDのEconomic Outlook(2013年11月)によると、OECD加盟国の需給ギャップは、2013年はマイナス2.6%、2014年はマイナス2.3%、2015年はマイナス1.8%と推計されています。

(2)物価の現状と先行き

消費者物価(除く生鮮食品、以下同じ)の前年比は6月以降プラスに転じており、最近では0%台後半となっています。展望レポートでは消費者物価の前年比(消費税率引き上げの直接的な影響を除くベース)の先行きを展望したうえで、見通し期間の後半にかけて、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いと判断しています。この見通しの主な前提として、以下に挙げる3つの消費者物価の変化率に及ぼす要因別の見通しがあります。

  • マクロ的な需給バランス(需給ギャップ)は緩やかな改善傾向をたどり、見通し期間後半にかけて需要超過幅を拡大させていく。労働需給の引き締まり傾向から名目賃金にも次第に上昇圧力がかかっていく。
  • 中長期的な予想物価上昇率は、金融緩和の継続のもとで、実際の物価上昇率の高まりもあって上昇傾向をたどり、2%程度に向けて次第に収斂していく。
  • 輸入物価については、国際商品市況や為替相場の動きを反映して、当面は上昇要因として作用する。

そして、これらの中心的な見通しについても7月の中間評価時点から「概ね不変」と判断しています。すなわち、政策委員見通しの中央値は、2013年度のみ0.7%(7月時点は0.6%)と若干の修正がありましたが、2014年度、2015年度については消費税率引き上げの影響を除くと、それぞれ1.3%、1.9%、消費税率引き上げの影響を含めれば、それぞれ3.3%、2.6%、と変更はありません(前掲図表1)。

この10月の展望レポートで示した中心的な見通しについては、私も概ね同様の見方をしておりますが―4月・7月評価と同様に―政策委員の見通しの中央値よりも緩やかなペースで2%に向けて上昇していくと、やや慎重にみています。この私自身のベースライン・シナリオにおいて、2014年度以降の見通しを慎重にみている理由は、中長期の予想インフレ率の上昇は、今後は緩やかに起きると考えていることに加え、需給ギャップの改善が実際のインフレ率に反映されていくまでにはある程度の時間を要すると想定しているからです。

3.経済・物価見通しの上振れ・下振れ要因

次に、こうした中心的な経済・物価見通しに対して、10月の展望レポートで示された上振れ・下振れ要因についてご説明した後、私の見解をご紹介いたします。なお、こうしたリスク要因の判断は、今後、状況に応じて変わりうるものであることを申し添えておきます。

(1)経済見通しのリスク要因

展望レポートでは、実質GDP成長率の中心的見通しのリスク要因として、次の5つのポイントを重視しています。以下、簡単にそれらの内容をご説明いたします。

  • 海外経済の動向:米国経済は新型エネルギーの影響や財政問題の帰趨、欧州経済は債務問題等の行方、中国経済は過剰設備・過剰債務等の影響、経常収支赤字等に直面する一部新興国・資源国では国際金融資本市場の動向と併せた経済動向を注視する必要がある。
  • 家計の雇用・所得動向:企業収益が改善する一方、企業を取り巻く競争環境が引き続き厳しいなかで、労働需給の引き締まりや予想物価上昇率の高まりに伴い賃金が上昇していくか注視する必要がある。
  • 消費税率引き上げの影響 2:家計の実質可処分所得にマイナスの影響を及ぼす一方で、(1)政府の各種経済対策、(2)家計における引き上げ認識の相応な浸透、(3)財政・社会保障制度に関する家計の将来不安を和らげる効果等によって消費へのマイナスの影響をある程度減殺する力も働く。
  • 企業・家計の中長期的な成長期待の動向:規制・制度改革や税制改正、企業のイノベーション、家計の所得環境等で影響を受ける可能性がある。長期的には2020年夏の東京オリンピック開催の押し上げ効果が期待される。
  • 財政の中長期的な持続可能性:信認の低下は長期金利の上昇等を通じて経済の下振れにつながる恐れがある一方で、財政再建の道筋に対する信認が高まれば上振れに働く可能性がある。

こうした上下リスク要因を踏まえて、展望レポートでは、実質GDP成長率の中心的見通しに対する全体のリスク評価として、「上下にバランスしている」としています。

  1.   2  なお、この点は、4月末の決定会合において、私が展望レポートの書き振りが不十分であるとして対案を提出した点ですが、今回はこの点を改善しリスクとして明示的に指摘しています。

(2)経済見通しのリスク要因についての私の見解

なお、展望レポートにおける経済見通しのリスク評価の記述について、私は10月末の決定会合において反対意見を表明しておりますので、この場を借りて私の見解をご説明したいと思います。私は、4月から一貫して経済の上振れ・下振れ要因についての全体のリスクバランスは、「どちらかと言えば下方に傾いている」と評価してきました。それはまず、海外経済の回復ペースについての不確実性が高いなかで、わが国の輸出の回復ペースが既に私自身のベースライン・シナリオに織り込まれている以上に緩慢になる可能性が否定できなかったからです。また、円の為替相場が大きく減価してから暫く時間が経過していますが、Jカーブ効果や海外需要の緩慢な回復力以外の要因、例えば、海外生産へのシフトや企業の競争力の変化といった構造的要因が予想以上に強く働いているとも考えられ、わが国の輸出構造の動向を注視する必要があると考えているからです。

今回は、この点についての不確実性が4月・7月評価対比でやや強まっていることに加えて、賃金の伸びが物価上昇率に追いつかない可能性、あるいは資産効果が実質所得の減少を十分相殺できない可能性、家計・企業の中長期的な成長期待が下振れる可能性等についても、4月・7月評価時点と比べてやや明確に意識しておく必要が高まっていると考えました。例えば、本年9月の日本銀行の「生活意識アンケート調査」では、調査時点がオリンピック招致の成功が報道される前ということもあるのかもしれませんが、わが国の「経済成長力D.I.」が本年6月調査結果から悪化していることを示しています。

景気を上振れさせるリスクと下振れさせるリスクがあるなかで、現時点における各種データ等を踏まえると、私は下振れリスクの方が大きいと考えております。そして、私がそうした下振れリスクを十分に意識して金融政策運営にあたっていることを率直に対外的に示すことは、国民・市場参加者の日本銀行への信認や先行きの経済に対する安心感を高めるうえで寄与できるのでないかと考えました。そこで、展望レポートについて、「2.上振れ要因・下振れ要因」と題するセクションの「(1)経済情勢」の最後に、総括として「全体としては、海外経済の動向と家計の雇用・所得動向等の不確実性が大きく、下振れリスクを意識する必要がある。」と明記するのが適切であると提案いたしました。これが、私が10月末の決定会合で行った展望レポートに関する四か所の修正提案のうちの一つ目です。

それでは、ただいまお示しした、私が4月・7月評価時点対比で経済の下振れ要因として意識している点についてやや詳しくご説明したいと思います。

国際金融資本市場・海外経済の動向

国際金融資本市場の動向については、今後は、先進国経済の改善が進むにつれ、各中央銀行の金融政策のスタンスの違いが徐々に顕在化することで、金融緩和政策の行方やフォーワードガイダンスの解釈を巡って市場参加者の間で見方の違いや変更が頻繁に生じる可能性があるとみており、その結果、国際金融資本市場や世界経済がどのような影響を受けるのか注意していく必要があると考えています。

海外経済の動向については、いずれの地域も経済危機や深刻な景気後退といったテールリスクが顕在化する可能性は低く、私が意識する下振れリスクは、景気の回復ペースが想定より下振れする可能性に関するものです。

まず米国経済の動向ですが、連邦準備制度理事会(FRB)の連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーによる長期失業率(5.2〜6%)と2%の長期インフレ目標を実現するには、潜在成長率を大きく上回る成長率を実現する必要があります。例えばCBOの推計によると、2013〜18年は労働力人口の伸び率が0.6%程度、労働生産性の伸び率は1.6%との見通しのもとで2.2%の潜在成長率が予想されています。最近の経済成長率がこの水準を超えている点は歓迎されますが、設備投資や個人消費の伸び率は、むしろ低下しています。経済成長率が十分に加速しない場合には、完全雇用の回復とインフレ率の上昇にはかなり時間がかかる可能性があります。

この点、本年の経済成長率を1.5%程度下押ししたとみられている財政引き締めの影響は、先行き次第に減衰していくと見込まれます。その一方で、議会における暫定予算や債務上限の問題が長引いており、こうした政策の不確実性が、企業・家計のバランスシートの改善に伴う投資・消費へのプラスの効果を減殺する恐れがあります。また、住宅市場については、本年7−9月期の実質GDP成長率の構成項目である住宅投資は堅調に伸びており住宅価格も上昇していますが、住宅ローン金利が5月以降上昇して以来比較的高めの水準で推移しているなかで、住宅の着工件数や販売件数が横ばい状態になっています。また、新規住宅購入者に対する貸出基準が厳格な状態にあり、今後住宅ローン申請件数が順調に増加していくのかは定かではありません。設備投資についても拡大しているものの、企業収益が増加し余剰資金をもつ企業が多く存在する割には投資比率は低水準にあり、企業の慎重さが窺えます。

欧州経済については持ち直しの兆しがみられ、同地域への資本投資や周縁国に向けた資本流入がみられるようになっており、日本からの資本財等の輸出も増え始めています。しかし、ユーロ圏域内の銀行セクターの健全性や(各国間の貸出金利水準が異なる)銀行市場の分断状態には留意が必要であり、来年のECBによる資産査定・ストレステストの実施およびその後生じうる資本増資プロセスの帰趨にかかる不確実性について注視しています。また、最近のディスインフレ傾向が、周縁国の公的・民間債務の返済負担を高めるほか、競争力改善を難しくする可能性があるため、成長への影響が懸念されます。

新興諸国・資源国の動向については、最近の経済成長は減速しており、今後の見通しも想定以上に緩慢な状態が長引く可能性を幾分意識しています。とくに経常収支赤字国や米国等と国際資本投資で統合が進んでいる国では、資本フローの変化や証券・外国為替市場における流動性の変化によって各国の金融環境がタイト化する可能性があります。また、資本流出を防止する目的で財政・金融引き締めを実施する場合には、短期的に経済成長が減速するリスクを意識しています。ただし、アジアでは、(短期的な外貨資金の融通を行う通貨スワップ取極めネットワークである)「チェンマイ・イニシアチブ」を含むバックストップの整備や、自国通貨建ての債券市場の発展に努めてきており、通貨・満期上のダブルミスマッチは限定的とみられ、1990年代後半のような経済危機に発展する可能性は低いとみています。

中国経済については、本年第3四半期の成長率は7.8%と第2四半期の7.5%から上昇しましたが、民間債務・GDP比率の上昇、シャドーバンクへの懸念、大都市圏の不動産価格の上昇等から、現在の成長率が持続していくかどうかに注目しています。また幾つかの産業での過剰生産の解消に向けた動きは、企業の再編・撤退の遅れから十分に進展しておらず、企業収益の赤字化や生産者物価の下落が長引くことが懸念されます。

国内経済の動向

わが国の個人消費については、公共投資とともに、これまでの景気回復を主導してきましたし、今後もこの動きが当面の間継続していくと思われます。とはいえ、足もとでは資産効果の一巡や生活費の上昇もあって、駆け込み需要を除いた消費の回復力にやや一服感があるように思われ、今後の状況については不透明感があります。例えば、資産効果については昨年末からの急速な株高と円安による外貨建て資産の円換算評価額の増加によって高まり、金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」(2013年)でも金融資産保有世帯の平均保有額は前年の1,539万円から本年は1,645万円へ増えていることを示しています。これが、消費者マインドの改善とともに高額品の消費を牽引し、幅広い消費項目でも支出を促してきました。しかし、資産価格の動向は、本年半ば以降は振れを伴いながらも上昇傾向は一服しているようにみえます。金融資産が消費に及ぼす効果は重要な景気回復経路のひとつですので、足もとでの株高・円安の動きを含めて、今後の資産価格の動向に注目しています3。また、賃金が伸び悩む場合には、消費税引き上げの影響を除いたベースで評価した消費行動のモメンタムが変化する可能性もありうると思います。

企業の投資行動については、維持・更新、省エネ・効率化、耐震化、研究開発等の投資の増加が見込まれます。その理由は、過去数年にわたって投資が抑制されたことで、減価償却費が設備投資額を上回る状況が発生し資本ストックが減少していること、生産設備のビンテージが(他の主要国と比べても)上昇していること、多くの企業の投資計画では拡大予定であること等が指摘できるからです。そのうえ、設備投資や研究開発投資の減税措置に対する企業の関心も強く、投資を後押しする可能性もあります。他方、「能力増強」のための設備投資については国内市場が拡大していく見通しが立たない場合は限定的となり、全体の投資は緩やかな回復に留まる可能性もあります。最近までの設備投資は非製造業が牽引してきましたが、今後は製造業において、足もとで拡大し始めた設備投資が順調に回復していくのかに注目しています。この点、本年9月の日銀短観の「生産・営業用設備判断D.I.」によると大企業、中小企業ともに過剰超で推移している点が気になるところです。

消費と設備投資等を恒常的に増やし、資金需要も高めていくには、家計の将来収入や企業の将来収益についての上昇期待を高める成長戦略が不可欠であることは言うまでもありません。現在、国会で審議を進めて頂いているところですが、今後の政策の行方を注視しています。

  1.   3  内閣府「平成21年度年次経済財政報告」における消費関数の実証分析からは、株式資産が100円上昇した場合には3.5円消費が増えることが示されています。この効果は米国の方が大きくなっており、それは米国ではあらゆる年代層で金融資産に占める株式の割合(2007年現在)が40%以上と高いのに対して、わが国では高齢になるほど比率が上昇し、70−75歳の年齢層で最高比率の15%弱(2008年現在)にようやく達するといった違いを反映しているようです。

(3)物価見通しのリスク要因

次に、物価見通しに対する上振れ・下振れ要因の評価についてですが、展望レポートでは、以下の3つの要因を重視しています。

  • 企業・家計の中長期的な予想物価上昇率の動向:過去の物価・賃金の緩やかな下落を反映して予想インフレ率がさほど高まらない可能性がある一方で、実際の物価・賃金の上昇率が高まっていくなかで比較的早く上昇する可能性がある。消費税率引き上げに伴う幅広い品目の一斉の価格上昇が予想インフレ率に与える影響についても注意が必要である。
  • マクロ的な需給バランスに対する物価の感応度の不確実性:企業が、厳しい競争環境が続くなかでも、財・サービスや労働の需給の引き締まりに応じて、価格や賃金を引き上げていくかどうか注意が必要である。
  • (国際商品市況や為替相場の変動等による)輸入物価の国内価格への転嫁の状況についての不確実性は高い。

こうしたリスク評価を踏まえて、展望レポートでは、物価の中心的な見通しに関するリスクについて「上下に概ねバランスしている」と評価しています。

(4)物価見通しのリスク要因についての私の見解

展望レポートにおける物価見通しのリスク評価についても、私は10月末の決定会合において反対意見を表明しました。この理由は、私は4月・7月時点から一貫して、物価の上振れ・下振れ要因に関する全体のリスクバランスは「どちらかと言えば下方に傾いている」との見方をしてきましたが、現時点では下振れリスクをより明確に意識する必要があると判断したからです。そこで、展望レポートの「2.上振れ要因・下振れ要因」と題するセクションの「(2)物価情勢」の最後に、総括として「全体としては、中長期的な予想物価上昇率の動向とマクロ的な需給バランスに対する物価の感応度等の不確実性が大きく、下振れリスクを意識する必要がある。」と明記するのが適切であると提案いたしました。これが、10月末の決定会合で行った二か所目の修正提案です。以下、私の考えをご説明いたします。

最近の中長期の予想インフレ率の動向

2%の物価安定目標の実現に向けて、予想インフレを「安定化(アンカー)」させる観点から重要な役割を果たすのが(「フィリップス曲線」の切片に影響を及ぼす)中長期の予想インフレ率の動向です。中長期の予想インフレ率はこれまで上昇してきましたが、足もとでは一部の指標では上昇傾向が続いているものの、複数の指標ではその上昇ペースが緩慢または横ばい圏内の動きとなっているようにみえます(図表3)4。また、物価安定目標である2%からもまだ距離がありますので、今後、見通し期間中にこれが2%まで上昇していくのかについては不確実性があるとみています。例えば、上昇がみられていた物価連動国債のブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)の動向をみてみますと、かつては円ドル相場との相関はさほど明確にはみられませんでしたが、2012年末以降は円安傾向と整合的なかたちで急速に上昇しており、この間の相関はかなり高い水準にありました(図表5)。しかし、今年半ば以降は、円ドル相場が振れはあるもののほぼ横ばいに転じた動きにあわせるかのように横ばいに近い状態となっているようにみえます。足もとでの円安の動きを含めて、今後の予想インフレ率の動向を注視しています。

  1.   4  因みに、「短期の予想インフレ率」については、足もとの実際の物価の動向からの影響を受けやすいため、一般的に中長期の予想インフレ率よりも変動が大きくなる傾向があります(図表4)。そのうえ、わが国では2014年4月には5%から8%へ、2015年10月には8%から10%へと消費税率の引き上げが予定されているため、この期間の家計の予想インフレ率はその影響をある程度織り込んでいれば、その分高くなる傾向があります。「中長期の家計の予想インフレ率」についても消費税率の引き上げ期間をカバーする1〜2年先の予想期間を含めている場合には織り込まれますが、その効果は想定期間が長くなるほど薄まります。このことから、市場参加者、家計、企業の短期の予想インフレ率が中長期の予想インフレ率に比べて上昇ペースが速いのは、消費税率の引き上げが織り込まれているからだと考えられます。今後は、引き上げ時期が近づくにつれ、これらの指標が一段と上昇することが見込まれます。とくに、2014年度は金融緩和政策の効果や円安のラグ効果等を含めれば2%を大きく上回る可能性があり、短期の予想インフレ率がそうした動きを辿っていくのか注目されます。

需給ギャップに対する物価の感応度の変化

2%の物価安定目標の実現に向けて、需給ギャップに対する物価の感応度の動向―すなわち「フィリップス曲線」の勾配の変化―も重要な役割を果たすと考えられます。一般的に、フィリップス曲線の勾配は、同じ需給ギャップの水準にあっても企業にとって販売価格の引き上げや価格転嫁が以前よりも容易になり、価格改定頻度も高まるにつれ、スティープ化していくと考えられます。現在は、勾配が緩やかにスティープ化しうる環境へと改善しつつあると思います。しかし、企業間の競争が厳しいなか、販売価格の引き上げに伴う個人消費の減少を懸念する企業が多い場合には、フィリップス曲線はさほどスティープ化せず、想定よりも物価の上昇幅が下振れる可能性があります。特に2014年度については、企業が消費税率の上乗せ分以上の(需給ギャップの改善見合いや予想インフレ率の上昇による)販売価格の引き上げをどれだけ実施するのかは予想しにくい面があり、消費税率を除いた消費者物価の引き上げの一部は2015年度以降に先送りされる可能性もあります。これは物価見通しよりも下振れする方向に作用します。なお、誤解のないように申し上げておきますと、ここでの指摘は消費税率の引き上げ自体の是非を巡る議論と全く関係はありません。私自身は、財政の健全性確保と社会保障制度の持続性の見地から消費税率引き上げは着実に実施されることが望ましい、とかねてより申し上げておりますことを申し添えておきます。

物価上昇率の「道筋」についての表現に関する私の修正案

以上の見解をもとにして、私は展望レポートにおける物価安定目標に向けた道筋の評価について違和感があり、三か所目の修正提案を行いました。展望レポートでは、「3.金融政策運営」と題するセクションの最後の段落において、「金融政策運営については、『量的・質的金融緩和』のもとで、実体経済や金融市場、人々のマインドや期待など、好転の動きが幅広くみられており、わが国経済は2%の『物価安定の目標』の実現に向けた道筋を順調に辿っている。」と記述していますが、私は、この文章のなかの「順調に辿っている」を「緩やかに辿っている」との表現に修正することを提案しました。

この提案の趣旨をご説明いたしますと、確かに実際の「コアCPI」(総合CPI除く生鮮食品)は本年6月からプラスに転じ、8月は0.8%、9月は0.7%と、足もとまでは2%目標に向かって順調に推移しているのは事実です。しかし、先行きの不確実性が大きいとみているなかで、「目標の実現に向けた道筋」の辿り方を「順調」とまで表現することについては現段階では適切ではないと考えました。その理由をこれまでの指摘を含めてまとめますと、以下のようになります。

  • 幅広い品目で物価が上昇しているものの、上昇傾向は円安とエネルギー価格の上昇が主因である。このため、需給ギャップや予想インフレ率の改善による物価上昇の動きがこれから本格化していくのか、現在は見極める段階にあること。
  • 最近では中長期の予想インフレ率の上昇ペースが緩慢または横ばい圏内の動きとなっていること。
  • 中長期の予想インフレ率と2%目標との間の乖離が大きいこと。

4.2%の物価安定目標と経済成長の両立に向けて

第3部では、経済・物価の中心的シナリオのリスク要因について、下振れリスクを意識する必要があるとの私の判断をお示ししましたが、2%の物価安定目標の達成に向けて最善の努力をしていく気持ちに変わりはありません。そこで第4部では、消費者物価の変化率と需給ギャップの関係を示す「フィリップス曲線」に焦点をあてて、持続的な成長のもとでの2%物価安定目標の実現に向けてどのような経路(チャンネル)が概念的に考えられるのか、私の考えをご紹介いたします。ここで「概念的に」と申し上げたのは、日本銀行による「量的・質的金融緩和」のもとでの「予想インフレ率を引き上げて2%程度にアンカーする」という試みは、他の主要国の中央銀行でも経験したことのないチャレンジングなものだからです。従いまして、現時点では、以下でご説明する各チャンネルについては不確実性があり、その実現性を確認するには今後の情報・データの蓄積をもう少し待つ必要があると考えています。もちろん、こうしたチャンネルが徐々に実現していけば、下振れリスクが低下していくと考えられます。

(1)わが国のフィリップス曲線の推計

まず、実際の物価上昇率と需給ギャップの関係を示したわが国のフィリップス曲線の形状についてみていきたいと思います。展望レポートでは、1983〜2013年の観察期間について推計した同曲線を示しています(図表6)。開始年を1983年としているのは1970年代の石油ショックの影響が収束したと思われる期間に限定しているからです。そして、観察期間を1983〜2013年の全期間、およびそれらを1983〜1995年と1996〜2013年の二つの期間に分けて合計3本の関数を推計しています(各A、B、Cライン)。

図表から窺える特徴として、より最近の期間を対象としたCラインはBラインにほぼ平行して下方にシフトしているようにみえること、あるいはCラインはやや長めの期間を対象としたAラインと比較すると勾配がフラット化しているようにみえることが挙げられます。下方シフトと勾配のフラット化に及ぼす要因は区別するのが難しいものもありますが、議論を分かり易くするためにやや単純化して様々な見解をご紹介いたします5

  1.   5  例えば、日本銀行(2013)「『物価の安定』についての考え方に関する付属資料」、2013年1月23日;西崎健司・上野陽一・田中昌宏(2011)「日本の物価変動の背景:事実と論点の整理」日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.11-J-9;古賀麻衣子・西崎健司(2006)「物価・賃金フィリップス曲線の推計」、金融研究、pp.73-105;加藤涼・川本卓司(2005)「ニューケインジアン・フィリップス曲線」BOJレビュー2005-J-6等を参照。

(主としてフィリップス曲線を下方にシフトさせる要因)

  • 中長期の予想インフレ率の低下:主として1990年代を中心とする予想インフレ率の低下は、潜在成長率や期待成長率の低下を反映している可能性がある(図表7、8)。実際、実質GDP成長率は1980年代平均の4.3%から、1990 年代には平均 1.5%へ、2000年代は平均 0.6%へと低下している。
  • マイナスの賃金ギャップ:1990年代末以降の労働規制の緩和によって平均賃金が低下し、労働生産性に見合った(実質)賃金が実現していないとの見方がある。この場合、単位労働費用(ユニットレーバーコスト)が低下しており、企業はマージンの改善によって販売価格を下げるインセンティブが働くと考えられる(図表9)。
  • 耐久消費財の下落傾向:消費者物価の下落には、CPIのウエイトの約10%を占める耐久消費財価格の下落傾向(1997−2011年平均4.5%下落)が影響を及ぼしている。この傾向は米国でもみられるが、品質に大きな違いがないにもかかわらずわが国の下落率が大きく、とくにテレビ、パソコン等で目立っている。この一因に、小売段階の競争環境や品質調整に関する違い等が影響しているとの指摘もある。

(主としてフィリップス曲線の勾配をフラット化させる要因)

  • サービス産業へのシフト:サービス産業は製造業と比べて価格改定頻度は低い。これは製造業では中間財・原材料コストが生産コストに占める割合が大きいため、それらの価格の変化が反映される傾向があるのに対して、労働集約的なサービス産業ではそうした割合が低いため改定頻度は低くなるからである。また、賃金上昇率が低水準に留まっている場合、サービス価格の改定頻度は低くなると考えられる。
  • 需要の価格弾力性の上昇:内外の競争激化による価格弾力性の上昇が企業の価格設定力の低下をもたらし、限界費用の上昇を価格転嫁するのが難しくなっているとの見方がある。つまり、賃金やマークアップ率に恒常的な低下圧力が加わることで、各企業は自社の財・サービスの需給動向よりも競争相手の提示する価格や顧客が望む販売価格等の「世間相場」を意識した価格設定行動をとると考えられる。ディスカウントを中心にしたマーケティング戦略がとられやすくなる可能性もある。

以上の要因については、視点を変えてみますと以下のことがいえるかと思います。すなわち、逆向きの作用が働くならばフィリップス曲線の上方シフトと勾配のスティープ化が可能となることを示唆しています(図表10)。以下では、上方シフトと勾配のスティープ化をもたらす幾つかの「概念的なチャンネル」について、私の考えをお話しいたします。

(2)フィリップス曲線の上方シフト

一般的に、インフレーション・ターゲティングの採用国やそれに類似した枠組みを採用している国で、「中長期の予想インフレ率」が「インフレ目標の水準」にアンカーしている場合には、「(振れが大きい)短期の予想インフレ率」と中長期の予想インフレ率の間の相関が低くなると考えられます。また、その状況下では、「実際のインフレ率」と中長期の予想インフレ率の間の相関も低くなりますが、長い目でみると実際のインフレ率は中長期の予想インフレ率の周辺で推移すると考えられます。これに対して、わが国ではインフレ目標を引き上げて中長期の予想インフレ率を2%辺りでアンカーすることを目指しており、現在はその途上にあります。従って、アンカーが確立されるまでの間は、実際のインフレ率、短期の予想インフレ率、中長期の予想インフレ率の間で相互に影響を及ぼし合うことが考えられます。以下では、そうした点を踏まえて話を進めて参ります。

実際のインフレ率は中長期の予想インフレ率の引き上げをもたらすのか

まず、「1つ目のチャンネル」として、実際の消費者物価上昇率は足もとまでは緩やかに上昇してきており、本年度下期中には1%程度に達する可能性がありますが、そうした実際のインフレが社会で定着していくなかで、中長期の予想インフレ率が一段と上昇していくことが考えられます。日本銀行の「生活意識アンケート調査」によると、家計の今後5年間の予想インフレ率はガソリン価格や頻繁に購入する品目(例えば、食料品、日用品)の物価動向に影響を受けていることが分かります。このため、これらの品目の物価が足もとで上昇が続いていると、予想インフレ率もそれに影響を受けて上昇していくと考えられます。

次に、参考として、英国の事例―実際のインフレ率が高い水準で推移するなかで中長期の予想インフレ率を引き下げていった事例で、わが国とは逆の状態ですが―をみてみたいと思います。英国では1992年9月に「欧州為替相場メカニズム」(ERM)から離脱しポンドを変動相場制に移行させました。これに併せて金融政策に対する信認を強化するため、同年10月にインフレーション・ターゲティングを導入し、当初はインフレ目標レンジ(範囲)として「1〜4%」を採用しました。その後、1995年5月には目標水準を「2.5%以下」へ、更に1997年5月には目標水準を「2.5%」へと、よりポイントを明確化する形に変更しています。1998年にはイングランド銀行法が施行され、イングランド銀行は金融政策の独立性を獲得し、金融政策委員会(MPC)を設立しています。2003年末からは参照指標を小売物価から消費者物価に変更すると同時に、インフレ目標水準を「2%」へと変更しています(図表11)。現在では2%目標のもとで、それよりも上回ることも下回ることも良くないとみなされており、1〜3%の範囲を超えた場合にイングランド銀行総裁は財務大臣に対してその原因と対処方法について説明する公開書簡の提出義務があります。英国の事例から得られる特徴としては、次の4点を指摘できるかと思います。

  • 民間エコノミストの平均的な中長期の予想インフレ率は緩やかに変化する傾向があり、1998年までには2.5%前後で推移するようになったこと。
  • インフレ目標の設定および明確化は、中長期の予想インフレ率を引き下げる効果を高めた可能性があること。
  • 実際のインフレ率は、インフレ目標のレンジ・水準に向けて低下していくなかで、金融政策に対する信認を高め、中長期の予想インフレ率の引き下げに寄与した可能性があること。
  • 実際のインフレ率は、中長期の予想インフレ率と比べて早く低下しており、しかもアンカーが確立するまでは中長期の予想インフレ率をオーバーシュートして低下する可能性があること。

リーマンショック以降の英国のインフレ率の動向については、(1)ポンドの減価、(2)消費税率の変動(2008年は引き下げ、2010年、2011年は引き上げ)、(3)国際商品市況の変動、(4)政府の管理・規制価格等の影響によって変動が大きくなっており、全体として上昇傾向にあります。また、それに連動して中長期の予想インフレ率も上昇傾向にあるようにみえます。しかし、この点について、イングランド銀行は消費者サーベイデータやBEI等の他の指標が安定していること等から、全体として中長期の予想インフレ率は2%目標水準でアンカーしていると判断しています6。なお、インフレ目標を「レンジ」から「水準」または「ポイント水準」に変更したことについて、金融政策についての曖昧さを除去する利点があること、1990年代のレンジ導入期間中は予想インフレ率がレンジの「上限」で固定されるバイアスがみられたことからポイント水準への転換は望ましかったとの指摘があります7

以上の英国の事例をわが国に置き換えますと、以下の点が指摘できるかと思います。

  • 実際のインフレ率が2%目標に向けて上昇していく途上において、中長期の予想インフレ率も上昇しうると考えられること。
  • 中長期の予想インフレ率が2%に向けて収束していく途上でアンカーが確立するまでの間は、実際のインフレ率は(国際商品市況やその他の影響を受けるため)中長期の予想インフレ率をオーバーシュートして上昇することが起こりうると考えられること。
  • 2%の物価目標については、一定のレンジよりも、ポイント水準の方が望ましいと考えられること。

なお、第3のポイントについてですが、「レンジ」の考え方を否定するものではありませんが、現時点では「水準」を維持するのが良いと思っています。まずは実際の物価上昇率が安定的に1%を超え、中長期の予想インフレ率が2%程度で推移することがある程度展望できる段階になって、一つの選択肢として検討しうると考えています。そうした状況がまだ見通せない段階で早期に導入すれば、実際のインフレ率が(日本の場合は)レンジの「下限」に張り付き、2%達成が難しくなる可能性がありますし、何よりも2%達成に向けた意志が緩んだとみなされ、金融政策への信認を損なう可能性があります。

  1.   6  例えば、Bank of England (2013) "Inflation Report", August 2013を参照。
  2.   7  例えば、Andrew Haldane (1999) "Targeting Inflation: The United Kingdom in Retrospect,"  in Inflation Targeting in Practice edited by Mario I. Blejer, Alain Ize, Alfredo M. Leone, and Sérgio Werlang, IMF Seminar held in Rio de Janeiro, Brazil, May 3-5, 1999を参照。

期待成長率の上昇は予想インフレ率を引き上げるのか

先ほど、中長期の予想インフレ率は、潜在成長率や期待成長率とプラスの関係があることを指摘いたしました(前掲図表7、8)。従いまして、「第2のチャンネル」として、日本銀行による金融緩和に加えて、成長戦略、企業の競争力を高める努力、および金融機関による革新的で成長を推進するような企業へのサポート等によって、予想インフレ率が上昇することは概念上は考えられます。成長戦略のもとで、企業および金融機関の努力が持続していけば、潜在成長率が上昇し、企業・家計の成長期待が高まっていくと考えられるからです。また、内閣府「平成25年度年次経済財政報告」によると、企業が向こう1年間の市場価格見通しが上昇すると見込む場合に、自社の財・サービスの向こう1年間の販売価格見通しを引き上げる傾向(製造業で7割、非製造業で5割強)があることを示しています。すなわち、市場の財・サービスの需要が高まり市場価格の上昇が予想される場合には、企業はそれに合わせて販売価格を引き上げる可能性があるわけです。国内市場の持続的な拡大が見込める場合に、こうした状況は起きやすくなると考えられます。

マイナスの賃金ギャップは縮小するか

先にフィリップス曲線を下方シフトさせる要因の一つとしてマイナスの賃金ギャップの存在を指摘しましたが、この点について考えてみたいと思います。まず、賃金の動向を評価する際には、現金給与総額全体を一般労働者とパート労働者に分け、さらにそれらを一般労働者の場合には「1人当たり」、パート労働者の場合には「時間当たり」に換算した賃金の変化率に注目するのが適切だと思います8。そこで、関連指標をみてみますと、パート労働者の時間当たり賃金は上昇傾向にあり、有効求人倍率も高水準で推移しており労働需給のタイト感が強まっているように思われます(図表12)。一般労働者の1人当たり賃金も特別給与や所定外労働時間が増えていることから足もとでは上昇しています。失業率は本年9月現在4%、男性は4.3%、女性は3.5%となっており、女性を中心にかなり低い水準にあります。本年9月の日銀短観では、非製造業を中心に企業規模を問わず「雇用人員判断D.I.」が不足超となっています。労働不足がみられ始めているなか、今後もパート労働者の賃金が趨勢的に上昇していくことが見込まれます。こうした傾向は、マイナスの賃金ギャップを改善する方向に働いていくことが概念的には考えられ、「第3のチャンネル」として、企業の販売価格の引き上げを促す圧力となっていくかもしれません。

  1.   8  この理由として、第一に、パート比率の趨勢的な上昇によって平均賃金が低下する影響を取り除くことができるからです。パート比率の上昇は、(1)一般労働者による(定年後から厚生年金受給開始年齢までの)非正規労働者としての労働市場への参加、(2)サービス産業への転換、(3)配偶者控除の影響、(4)最近増えている15〜64歳の女性や65歳以上の男女高齢者の労働者の多くが非正規雇用を希望していること等の様々な要因を反映しています。そこで一般・パートに区別して別々にみることで、こうした要因を除いた傾向をみるのが良いと考えています。第二に、パート労働者はボーナス等の特別給与を受け取っているとは限らないほか労働時間が変化することが多いため、「時間当たり」の賃金の変化をみた方が、実勢が捉え易いと思われます。第三に、一般労働者の場合は、特別給与を含む「1人当たり」賃金の変化をみるのが良いと考えています。「所定内給与」が増加することが望ましいことは言うまでもないことですが、現在は景気回復局面にあり、中長期的な成長期待が十分に高まらなければ、企業にとってこれまでの慣習(景気循環に対して主に特別給与や超過労働時間で対応)を急転換することは難しい面があるほか、所定内給与の増加の動きが広がりにくいと考えられるからです。賃金の上昇は、仮に、所定内給与の増加が直ちに起きないとすれば、まずは特別給与の上昇が続いていくことが最初のステップだと思っていますので、その変化を捉えるために1人当たり賃金の動向でみるのが良いと判断しています。

(3)フィリップス曲線の勾配のスティープ化

次に、足もとでの経済状況は、フィリップス曲線の勾配がスティープ化しうる兆しを示していますが、その持続性については現段階では不透明です。ここではスティープ化をもたらしうる概念的なチャンネルについてお話しいたします。

企業の利益マージンは改善していくのか

「第4のチャンネル」として、企業に対するデフレ圧力が足もとでは幾分改善しつつあるように思われます。為替相場が昨年よりも円安水準になったことで、輸出企業が(現地通貨ベースの価格競争力を維持するために)切り下げていた円ベースの輸出価格がプラスに転じていることや一部の安価な輸入品の流入が抑制される面があるからです。また、国際商品市況が軟調に推移していることで2000年代半ばの円安の時期と比べて輸入価格の急騰が回避されています。さらに、本年9月の日銀短観によると、非製造業・大企業の「販売価格判断D.I.」がプラスに転じ、製造業・大企業も販売価格判断D.I.がほぼゼロ近傍まで改善しています。この点は、大企業を中心に販売価格を引き上げ易くなっている可能性を示唆しています(図表13)。しかも、企業の利益マージンの代理変数として販売価格判断D.I.と仕入価格判断D.I.の差に注目すると、国際商品市況と円安によって仕入れ価格が急騰した2008年頃と比べ、産業別規模別にみても改善している面もあります(図表14)。

以上の理由から、現在は、販売価格の引き上げや価格転嫁をしやすい環境に変わりつつあるとも概念上は考えられます。とはいえ、中小企業については製造業・非製造業ともに販売価格判断D.I.がマイナスに留まっているうえ、先行きの利益マージンは大企業対比で引き続き大幅なマイナスが見込まれている点には注目しています(前掲図表13、14)。わが国経済は中小企業が大多数を占めている以上、中小企業の今後の価格転嫁の度合いが物価動向の鍵を握っているため、この点の今後の動向が注目されます。

流通業者・企業のマーケティング戦略の変化は持続するのか

最近では、耐久消費財価格の下落傾向が緩和されつつあります(「第5のチャンネル」)。とくに、テレビやパソコン等、価格が上昇に転換している品目もみられます。この要因として、円安によって輸入価格が上昇しているだけでなく、小売店の間で販売戦略がディスカウント競争から付加価値の高い商品の販売へと変化しつつあることが指摘できます。わが国全体の販売量が伸び悩むなかで利益確保のためには価格を重視する必要が高まったとも言えます。また、こうした戦略には消費者マインドの改善、雇用拡大の継続、資産効果、消費税率引き上げ前の駆け込み需要といった要因も影響しているようです。ともあれ、1990年代の初めからみられた耐久消費財の下落傾向が緩和されたことは、価格設定行動における変化の兆しを示唆しているように思われます。こうした傾向は衣料・履物、外食などでも少しずつ聞かれるようになっています。この傾向が拡がりをもつことで、価格設定行動の変化が持続していくことが概念上考えられます。

以上、フィリップス曲線を上方シフトさせうる要因と、その勾配をスティープ化させうる要因として、全部で「5つのチャンネル」を概観しましたが、これらが実現していけば、2%の物価安定目標に向けた下振れリスクは低下していくことと考えられます。

5.展望レポートの読みやすさの改善に向けて

10月末の決定会合では私からの四か所目の修正提案として、展望レポートの読みやすさを高める観点から4月末の会合に続いて新たな提案を行いましたので、ご説明いたします。提案は、展望レポートの冒頭にある「基本的見解」と題するサブタイトル直後に、導入部分として新しい段落を挿入し、そこで予め全体の流れを示し、同レポートの後半で示している「二つの柱」による点検についての簡単な説明を明示するという内容です。具体的には、「今回の展望レポートでは、まず、わが国の経済・物価の先行き1年から3年の中心的な見通しについて示し、次いで、そうした中心的な見通しに対する上振れ、下振れ要因を指摘する。最後に、その見通しについて、物価安定のもとでの持続的な成長の経路を辿っているかという観点による点検(第1の柱)、および、より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現するとの観点から、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクの点検(第2の柱)を行い、先行きの金融政策の考え方を整理する。」という段落を挿入するというものです。

この趣旨をご説明いたしますと、私は審議委員に就任した当初から、金融政策についての外部の理解を促進するために、展望レポートを含む様々な公表文書について日本銀行によるコミュニケーションを大幅に改善することの重要性を訴えてきました。とくに二つの柱の記述に関しては、このレポートを読んでくださる国民の皆様の視点に立つと、趣旨を理解することが困難であるうえに、一読して理解できるような親切な書きぶりとなっていないのではないかと問題提起してきました。

そこで、正副総裁の交代以降初めての展望レポートを議論した4月末の決定会合を見直しの絶好の機会ととらえ、二つの柱という用語を全く使わずに、全体の文章を通して該当箇所に必要な説明を織り込むという提案を行いました。この提案は否決されましたが、今回の展望レポートでは、私の問題意識を踏まえて、二つの柱による評価を行っている箇所(「3.金融政策運営」)に「脚注」を新たに挿入し、関連する今年1月の公表文を参照するよう指摘する修正を加えています。しかし、読者の立場にたった分かり易さという視点では、同じレポート内で説明が完結していません。そこで、さらに追加的な改善の余地があると思われましたので、今回も新たな提案を行うことにいたしました。今回の提案では、読者の方々が最初から同レポートの流れを意識することができ、かつ2つの柱についても冒頭で簡単に解説されていますので、格段に読みやすくなると思いました。因みに、こうした導入部分の挿入は2011年10月から2012年10月までの展望レポートでもみられますが、私の提案は特に二つの柱についての説明の追加という点で、より前進した内容になっていると思います。

現在、日本銀行は2%の物価目標を掲げて異例の金融緩和を実施中という重要な時期にあります。日本銀行はコミュニケーションの改善に努めてきてはおりますが、金融政策の内容や日本銀行の意図について国民の皆様に理解を一段と深めていただく余地は大きいと感じております9。そのうえで、基本的ステップとして重要なことは、対外的に公表され、長くホームページ上で掲載され続ける多くの公式文書をできる限り読み易いものにし、こうした文書をお読み頂く読者の数を増やし、2%の達成に向けた日本銀行の意志に共感を持って頂くことだと思っています。そうした共感や理解があってこそ2%目標の実現性はより高まっていくものと信じています。そのためにも、真摯な気持ちで、国民の視点に立った分かりやすさを尺度として、改善に向けた不断の努力を行うべきであり、今後もそうした視点による一層の工夫が日本銀行内で進むよう取り組んでいきたいと思っています。

  1.   9  日本銀行の「生活意識アンケート調査」(2013年6月)によると、「日本銀行の外部に対する説明は分かり易いと思いますか」との問いに対して、18%の回答者が「分かりにくい」、40%の回答者が「どちらかと言えば、分かりにくい」、36%の回答者が「どちらとも言えない」と回答しています。

6.終わりに〜徳島経済について〜

最後に、徳島県の経済情勢についてお話したいと思います。足もとの徳島県内の景気は、緩やかに回復しつつあります。公共投資、住宅投資は増加しており、個人消費は緩やかに持ち直しています。企業の生産動向は高水準で推移しているなか、設備投資は持ち直しに向かう動きがみられています。

他方、より長い目でみると、徳島県は人口が約78万人と全国でも少ない方から数えて4番目、しかも高齢化の進展で65歳以上の老年人口の割合が3割弱(全国8位)と、「少子高齢化の先進県」となっており、先行きの活力と競争力を高め、経済成長を如何に下支えしていくかが大きな課題となっています。この点は、わが国全体が共有する大きな課題ですが、徳島県における取り組みや経験から示唆に富むと思われた点として3点ほど指摘したいと思います。

まず第1に、県を挙げて進めるLED関連企業の集積は、地元での基幹産業の育成や雇用の拡大に繋がる取り組みとして、注目されます。また、2点目として、全国屈指の「ブロードバンド環境」などを活用したサテライト・オフィスの誘致による集落再生の取り組みは、過疎化対策・町興しの観点から学ぶところが多い取り組みかと思います。さらに3点目としては、徳島県の一部の限界集落における高齢者を活用した事業展開の取り組みは、少子高齢化を逆手にとった柔軟な対応だと思います。今後、これらの動きがどのように県内外に波及していくのか非常に高い関心事として、私自身注目して参りたいと思います。

ご清聴頂き、誠にありがとうございました。