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【講演】いかにデフレを克服するか

English

London School of Economics主催のコンファレンス(ロンドン)における講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年3月21日

目次

1. はじめに

本日は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics)主催のコンファレンスでお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

私が昨年3月20日に日本銀行総裁に就任してから、ちょうど1年が経ちました。この1年を一言で表すと、デフレからの脱却へのチャレンジの年でした。デフレというと、皆さんには、1930年代の大恐慌時の急激な経済規模の縮小を伴った物価下落、もう少し遡ると、イギリスで19世紀後半に20年以上にわたって物価の下落傾向が続いた例が思い浮かぶかもしれません。さすがに、本日の会場にはこれらのデフレを実際に体験した方はいらっしゃらないと思うので、こうしたデフレが実際にどういうものなのか、なぜデフレは問題なのか、頭では理解できても、なかなか実感を持てないのではないでしょうか。そこで、私からは日本の15年にわたるデフレの経験と、それを如何に克服しようとしているかについて、お話しさせて頂きます。

最初に皆さんに質問です。この15年間の日本の消費者物価下落率は、年平均何%だと思いますか。答えは−0.3%です。このように、日本のデフレの特徴は、1930年代の大恐慌時の急激かつ大幅な物価下落とは異なり、極めて緩やかな物価下落が長く続いてきたということです。失業率をみても、最も悪い時期でも5.5%であり、大恐慌のように町に失業者が溢れたということはありませんでした。

といっても、緩やかな下落であれば問題ないかというと、そうではありません。大恐慌が激烈で急性の症状だったとすれば、日本のデフレは慢性の生活習慣病のような症状を呈しました。すなわち、物価が下がっていくという予想が一度国民にビルトインされてしまうと、その分、名目金利から予想インフレ率を差し引いた実質金利は上昇してしまいます。勿論、名目金利を引き下げることが出来ればそれに対応できますが、日本では1995年には既に政策金利が0.5%まで低下しており、名目金利の引き下げ余地は殆どありませんでした。実質金利の上昇は設備投資や家計支出を抑制しますので、日本の経済活動は緩慢なものにとどまりました。また、デフレの下では、実物投資に比べて現預金を保有していることが有利になりますので、リスクを取って新しいビジネスに挑戦しようとするインセンティブを削いでしまいます。その結果、日本経済は活力を失い、成長率も低下していったのです。このように、緩やかな物価下落は、じわじわと日本経済を蝕んできたと言えます。

したがって、日本経済が活力を取り戻して持続的に成長していくためにやるべきことは、2%の「物価安定の目標」を実現し、長く続いたデフレから脱却することです。この後ご説明しますが、日本銀行は昨年4月、デフレ脱却のために、従来にない大胆な金融緩和として「量的・質的金融緩和」を導入し、それを推進しているところです。本日は、日本銀行のデフレ脱却に向けた取り組みへの理解を深めて頂けるよう、3つのステップでお話しします。まず、日本経済はこれまでなぜデフレから抜け出せなかったのか、次に、どうやってデフレから抜け出そうとしているのか、最後に、デフレ脱却に向けて現在どこまで到達しているのか、ということです。

2. 日本経済はなぜデフレから抜け出せなかったのか。

先ほどお話ししたとおり、日本では1990年代の末からデフレが続いてきましたが、その間、景気後退がずっと続いていた訳ではありません。むしろ、2002年から2008年にかけての6年余にわたる回復局面は、第2次世界大戦後の最長を記録しました。また、日本銀行はデフレからの脱却を目指し、1999年以降、ゼロ金利政策、量的緩和政策、それらの継続期間についてのコミットメント、リスク性資産の買入れといった様々な非伝統的政策を他の中央銀行に先駆けて採用してきました。もし、1999年に導入したゼロ金利政策の継続期間のコミットメントに、「フォワードガイダンス」という人目を引くような名前を付けていれば、日本銀行は発明者の栄誉を得られていたかもしれません。

しかし、こうした実体経済面の追い風や日本銀行の努力にも関わらず、日本経済はデフレから脱却することが出来ませんでした。何が足りなかったのでしょうか。答えを先に言えば、「中央銀行の物価安定目標への強く明確なコミットメント」、そして、それによる「インフレ予想への働き掛け」です。

そもそも、日本の物価下落の原因を探ってみると、バブル時代の過剰設備や雇用の調整、新興国からの安値輸入品の流入や企業の低価格戦略、金融機関の不良債権問題と金融システム不安、過度な円高の進行など、その時々で様々な要因が影響してきました。これらの要因によって現実の物価が下落すると、人々の間に「物価は上がらない、むしろ下がるものだ」というデフレ予想が生まれました。その後、これらの物価下落要因が消えたとしても、一旦デフレ予想が定着してしまうと、人々は物価が上がらない経済を前提に意思決定や行動をしますので、いわばデフレ予想自体が自己実現的に物価の上がりにくい経済を作り上げてしまいました。言い換えると、日本経済は、人々の予想インフレ率の低下によって、フィリップス曲線が下方にシフトしてしまった状態にあると言えます。こうした状況に陥ってしまった場合でも、景気刺激的な政策によって経済活動を活発化させれば、一時的に物価を引き上げることは出来るかもしれません。しかし、フィリップス曲線が下方シフトしたままでは、景気循環の中で経済活動が落ち込んでいくと、結局はデフレに戻ってしまいます。デフレが続く間、日本経済は何度かの景気拡大を経験したにもかかわらず、結局デフレから脱却できなかった背景には、こうした問題があるのです。

それでは、長期にわたるデフレから抜け出し、持続的に2%の「物価安定の目標」を実現するためには、何が必要なのでしょうか。先ほどご説明したように、人々が「物価は下がるものだ」というデフレマインドを持っていることが問題なのですから、それを払拭して、「先行き物価は毎年2%くらい上昇していく」との見方を当たり前のものとし、それを前提に人々が意思決定や行動をする経済に変えていかなければなりません。言い換えると、人々の予想インフレ率を2%まで引き上げ、そこで再びアンカーするということです。これまで日本銀行は様々な先進的な政策を行ってきました。こうした一連の政策は、景気刺激的ではあったものの、物価安定目標を何としても達成するという強く明確なコミットメントが示されていませんでした。その結果、予想インフレ率への働き掛けが不十分であり、これを引き上げることが出来ませんでした。このため、一時的には物価が上昇したとしても、それを持続的なものとすることが出来ず、長期にわたるデフレから脱却出来なかったと考えられます。

3. どうやってデフレを克服するのか。

次に、それでは日本銀行が今、どうやって人々の予想インフレ率を引き上げ、デフレを克服しようとしているのかについてお話しします。長く続いたデフレのもとで根付いたデフレマインドは、そう簡単には払拭できないことは、これまで取ってきた政策の結果をみれば明らかです。歴史を振り返ってみると、政策によって人々のインフレ予想が短期間で大きく上昇したケースとしては、1930年代の米国のニューディール政策がすぐに思い浮かびます。また、同じ時期に日本では、「高橋財政」と呼ばれる同様の経済政策がとられました。これらの政策においては、金本位制から離脱して、実態にあった為替相場変動を可能とするとともに、積極的な財政政策と金融政策を組み合わせたマクロ経済政策が採られました。逆に、インフレ予想を大きく引き下げた事例としては、1970年代末から80年代初にかけての米国FRBのボルカー議長による強力な金融引き締めが挙げられます。これらの事例はいずれも、政策当局の経済情勢転換への強い意志と、それを裏打ちする大胆な政策転換を伴っていると言えます。したがって、人々のデフレ予想を転換し、予想インフレ率を引き上げるには、デフレ克服に向けた日本銀行の強い決意・約束を示すとともに、それを実現させるに足る思い切った政策が必要となります。しかも、この期待の転換をゼロ金利制約下で行わなければなりません。

日本銀行では、これらの点を勘案した上で、昨年4月4日の金融政策決定会合で、「量的・質的金融緩和」という、これまでにない大規模な金融緩和政策を導入しました。すなわち、2%の「物価安定の目標」を2年程度の期間を念頭に置いて実現することに強くコミットした上で、この約束を裏打ちするために、年間約60〜70兆円という過去に例のない規模のマネタリーベースの供給を行う政策です。これによって、マネタリーベースは2年で2倍になります。さらに、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続することを約束しています。

このように、2年程度の期間を念頭に2%の「物価安定の目標」を実現すること、かつ、それを安定的に持続するために必要な時点まで「量的・質的金融緩和」という異例に規模の大きい金融緩和策を続けることに、明確にコミットしたということです。中央銀行のこうした約束と、それを裏打ちする行動は、フォワード・ルッキングに人々の予想インフレ率を引き上げていくと考えました。また、その結果、実際に物価が上がり始めれば、バックワード・ルッキングにもインフレ予想に働くほか、中央銀行のコミットメントを信じる人が増えることで、フォワード・ルッキングな働きかけも強まると想定しました。

この「量的・質的金融緩和」の効果波及メカニズムについて、もう少し具体的に説明したいと思います。その効果波及ルートとしては、大量の資産買入れによる金利やリスクプレミアムの抑制、ポートフォリオ・リバランス、予想インフレ率の引き上げを想定していますが、特にお話ししておきたいのは、予想インフレ率の引き上げを起点としたルートです。

予想インフレ率の上昇は、フィリップス曲線を直接上方シフトさせますので、同じ経済活動水準であれば、実際のインフレ率はより高くなります。それに加え、予想インフレ率の上昇は、名目金利がそれよりも小幅にしか上昇しなければ、実質金利を低下させ、実体経済を刺激する効果を発揮します。すなわち、大量の資産買入れで名目金利を抑制する一方で、予想インフレ率を引き上げることが出来れば、実質金利を下げることが出来ます。欧米の中央銀行の場合、既に予想インフレ率が物価安定目標にアンカーされているため、実質金利を下げようとすれば、名目金利を引き下げるしかありません。しかし、日本では予想インフレ率が物価安定目標を下回っていますので、予想インフレ率の引き上げによる実質金利の引き下げ余地があるという訳です。実質金利の低下は設備投資や消費を刺激し、需給ギャップの縮小を通じて実際のインフレ率を上昇させます。物価が現実に上昇してくると、これがさらなる予想インフレ率の引き上げをもたらし、そして、それがまた実質金利を下げる方向に働く、というように予想インフレ率の上昇を起点とする好循環が生まれることが期待できます。

4. 我々はどこまで到達したのか。

それでは、2%の「物価安定の目標」を実現し、デフレから脱却するという目標に向けて、我々はどこまで到達しているのでしょうか。はじめに結論を申し上げておくと、日本経済は2%の「物価安定の目標」実現への道筋を順調にたどり、道半ばまで来ていると思っています。

まず、「量的・質的金融緩和」の効果波及メカニズムは、当初の設計通りに機能しています。すなわち、予想インフレ率は、各種のアンケートや市場の指標からみて、全体として上昇していると判断しています。また、長期金利は、日本銀行の巨額の国債買入れによって、低位で安定的に推移しています。実際、米国FRBの資産買入減額を巡って米国金利が2%以下の水準から3%程度まで上昇した中でも、日本の金利は落ち着いており、最近は0.6%程度で推移しています。この結果、実質金利は低下しています。また、銀行行動にも変化がみられます。銀行貸出は、次第に前年比プラス幅を拡大し、最近では2%台半ばとなっています。内訳をみても、大企業向けだけでなく、中小企業向けも前年比プラスになるなど、その裾野が拡がっています。こうした貸出の動向等も反映して、マネーストックの前年比伸び率も次第に高まっており、最近では4%程度となっています。

これに関連して、日本銀行では、先月、金融機関による貸出増加への取組みを支援するBOEのFunding for Lending Schemeと同様の制度を拡充しました。金融機関の貸出増加額の2倍まで資金供給しますが、その際の条件はECBのLTROのように長期の資金供給で、さらに金利面では4年固定0.1%です。日本銀行の金融政策のメインエンジンは「量的・質的金融緩和」ですが、この制度はそのトランスミッション・メカニズムを強化するものです。我々は、2%の「物価安定の目標」実現のために、出来ることは何でもやるという姿勢で臨んでいます。

こうした「量的・質的金融緩和」の効果を背景に、実質GDPの成長率は、2013年平均で前年比1.5%、第4四半期同士の比較では2.5%と、内需が主導する形で潜在成長率を上回る成長を続けています。雇用面では、失業率は3%台半ばとみられる構造失業率並みの3.7%まで低下しています。先行きも、日本経済は、生産・所得・支出という前向きの循環メカニズムが働くもとで、緩やかな回復を続けていくとみています。

物価面をみると、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、昨年3月時点では−0.5%でしたが、昨年6月にプラスへと転じ、この1月には+1.3%までプラス幅が拡大しています。英国よりは低いですが、ドイツとは同水準、他の欧州大陸国の殆どの国よりも高い水準です。この後、暫くの間は、1%台前半で推移した後、次第に上昇傾向に戻り、2014年度の終わり頃から2015年度にかけて、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いとみています。

「量的・質的金融緩和」導入から1年足らずで1%を超える物価上昇率を実現するということは、多くの人々の予測を超えるものでした。実際、エコノミストの予測を集計したESPフォーキャストをみると、昨年3月時点での今年1〜3月の消費者物価前年比の予測は+0.4%でした。我々は「量的・質的金融緩和」の効果に自信をもって導入したのですが、多くの人にとって、この消費者物価の動向は、良い意味で「驚き」であったと思います。人は予想と異なることが起こったとき、これまでの考え方や行動を変える強い誘因を持つことになります。長年にわたって定着したデフレ予想とそのもとでの行動原理を転換する作業は、現実の消費者物価の上昇という強い援軍を得て、順調に進んでいます。

なお、この4月に消費税率が5%から8%に引き上げられることから、消費税率引き上げによる駆け込み需要の反動が見込まれます。前回消費税率が引き上げられた1997年には、その後景気後退に陥ったことから、今回も景気の先行きを懸念する声も聞かれます。しかし、1997年当時を振り返ると、景気は消費税率引き上げ後の落ち込みから一旦回復しましたが、日本で金融システム不安が高まったこと、そしてアジアで通貨危機が起きたことがその後の景気悪化に大きく影響しました。翻って現在は、日本の金融システムは安定性を維持していますし、アジア新興国も外貨準備の積み上げやセーフティーネットの整備などによって、以前より頑健性を増しています。さらにわが国の雇用情勢が当時よりもはるかに良い状況にあることも踏まえると、日本経済の先行きは、消費税率引き上げによって一時的に落ち込むものの、生産・所得・支出という前向きの循環メカニズムが維持されるもとで、基調的には潜在成長率を上回る成長を続けていくとみています。

5. おわりに

以上申し上げてきたとおり、これまでのところ、「量的・質的金融緩和」が所期の効果を着実に発揮するもとで、日本経済は2%の「物価安定の目標」実現への道筋を順調にたどっています。勿論、まだ道半ばであり、今後も「量的・質的金融緩和」を着実に進めていく方針です。また、経済には上下双方向のリスク要因があるので、それを点検し、2%の「物価安定の目標」実現のために必要であれば調整を行っていきます。こうした政策をしっかりと続けていくことで、2%の「物価安定の目標」を実現してデフレから脱却できると確信しています。

15年間、日本は眠っていたくて眠っていた訳ではありません。一人の日本人が、一つの企業が、チャレンジを行おうと思ったとしても、しつこいデフレというマクロ経済の環境のもとでは、チャレンジに見合うリターンが期待できなかっただけです。我々は―「量的・質的金融緩和」や政府の様々な施策によって―、この「合成の誤謬」を打破する鍵を開けました。

そして、もともと優れた技術や人的資本を有している日本の企業は、チャレンジを再開し、経済と物価は劇的に好転しました。この流れを逆戻りさせてはなりません。我々は、強い決意を持って取り組んでいます。日本経済が、世界経済にもっともっと貢献していける日は近いと思っています。