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【講演】非伝統的金融政策の実践と理論

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国際経済学会の第17回世界大会における講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年6月7日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.緩やかなデフレの進行と伝統的金融政策の限界
  3. 3.従来の非伝統的金融政策―ゼロ金利・量的緩和・包括緩和政策―
  4. 4.次元の異なる金融政策の導入―「量的・質的金融緩和」―
  5. 5.おわりに―非伝統的金融政策の理論に関する残された課題―

1.はじめに

本日は、国際経済学会の第17回世界大会でお話しする機会を賜り、光栄に存じます。本セッションの「危機後の世界における金融政策」というテーマは、中央銀行にとって現在、最も重要なテーマの一つであると考えます。リーマン・ブラザーズの破綻を直接の契機とするグローバル金融危機を経て、FRBやイングランド銀行は、いわゆる「QE(Quantitative Easing)」やフォワードガイダンスなどの非伝統的金融政策を導入しました。この間、これらに関する理論的な研究も蓄積されています。

この点、日本銀行は、非伝統的金融政策を最も早く採用した中央銀行です。グローバル金融危機以前の1990年代の終わりから、世界に先駆けてゼロ金利政策や量的緩和政策など過去に例のない様々な政策を実践してきました。あまり広く知られてはいませんが、フォワードガイダンスを初めて導入したのも日本銀行です。そこで本日の講演では、「非伝統的金融政策の実践と理論」と題して、これまで日本銀行が実践してきた非伝統的金融政策―昨年春に導入した「量的・質的金融緩和」を含めてですが―および、実際の政策と理論との関係について、私なりの整理でお話ししたいと思います。最後に、非伝統的金融政策の理論に関する残された課題について申し上げます。

2.緩やかなデフレの進行と伝統的金融政策の限界

日本銀行が世界に先駆けて非伝統的金融政策を採用した経緯を語るに当たっては、まず、1990年代の日本経済と金融政策の変遷から話を始める必要があります。日本では、バブル経済が1990年代初頭に崩壊し、企業の破綻や金融機関のバランスシート毀損を背景に、金融機関によるデレバレッジングが続きました。その調整過程で、景気の悪化、不良債権の増加、物価の下落、および為替円高が相互に影響しながら進行する悪循環が発生し、経済成長率とインフレ率は低下しました。1997年には日本の大手金融機関が破綻するなど大規模な金融危機が発生し、1998年夏にはインフレ率がゼロ%を下回りました。こうした状況のもとで、日本銀行は、1990年8月に6%であった政策金利を一貫して引き下げ、1998年9月には0.25%とゼロ近傍に達しました。このように日本では、デフレとゼロ金利制約が、理論ではなく現実の話となったのです。

初期の非伝統的金融政策の理論

こうした日本経済の状況も踏まえ、1998年に、クルーグマン教授は非伝統的金融政策に関する理論モデルを構築し、流動性のわなへの処方箋を提示しました1。具体的には、当時の日本経済がゼロ金利のもとでも需要不足にあることを指摘したうえで、デフレを克服するためには、金融政策によって、マネーサプライを大幅に増加させ、インフレ予想を高めることにより実質金利を十分にマイナスにする以外方法はないと主張しました。

クルーグマン教授による理論は、その後の非伝統的金融政策の手法を先取りしたものであったと理解しています。もっとも、マネーサプライは中央銀行が直接的に操作することは実務の観点から困難なことや、金融政策が期待形成に働きかけるメカニズムについて十分な確信が得られなかったことなどもあり、日本銀行がこの理論をそのまま実践に移すことはありませんでした。

  1.   1  Paul R. Krugman, "It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap," Brookings Papers on Economic Activity, 1998, No.2: 137-205.

3.従来の非伝統的金融政策―ゼロ金利・量的緩和・包括緩和政策―

ゼロ金利政策の導入

政策金利を0.25%まで引き下げても経済・物価情勢が改善しないという状況を踏まえ、日本銀行でも非伝統的金融政策についての議論が行われ、政策が実践へと移されました。

まず、1999年2月に、無担保コールレート・オーバーナイト物をゼロ近傍に誘導するという「ゼロ金利政策」を導入し、所要準備を上回る資金を市場に供給しました。そして、同年4月には、ゼロ金利制約の中で、政策金利の将来的な予想経路を示すことによりイールドカーブのフラット化を図る観点から、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで」ゼロ金利政策を続けるという、緩やかなフォワードガイダンスを導入しました。

その後、日本銀行は2000年8月に、景気は回復傾向が明確になってきており、需要の弱さに由来する物価低下圧力は大きく後退したとの判断から、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったと考え、ゼロ金利政策を解除しました。ただ、その年の年末になると米国のITバブル崩壊の影響が日本に波及したこともあって、日本経済は減速しました。

量的緩和政策の導入

こうした経済情勢に対応するため、日本銀行は2001年3月に、操作目標を日本銀行当座預金残高とする「量的緩和政策」を導入しました。同時に、量的緩和政策を「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」継続するというフォワードガイダンスを示しました。

この時期の「量的緩和政策」には、2つの特徴があります。第1の特徴は、中央銀行のバランスシートの負債項目である当座預金残高、すなわち準備(reserve)を政策目標としたことです。その際、準備の供給は主として短期オペレーションの拡充によって行っており、現在、先進国中央銀行が行っているような大規模な長期国債の買入れは実施しませんでした。その意味で、純粋なreserve targetingと言うこともできます。こうした側面に関して、準備の増加は、金融システム不安の払拭には効果があったと思います。すなわち、金融機関の不良債権問題が顕在化する中で、2001年から2002年にかけての金融システムの悪化は、破綻金融機関数や不良債権処理額でみると、国内金融危機が発生した1997年から1998年にかけての状況に匹敵するものでした。こうした状況のもとで、日本銀行による流動性供給は金融システム不安を和らげ、大幅な景気後退の回避に一定の役割を果たしたと思います。そして、ここでの教訓―金融危機時の中央銀行による潤沢な流動性の供給―は、グローバル金融危機後の各国中央銀行の対応にも影響を与えたと理解しています。

「量的緩和政策」の第2の特徴は、フォワードガイダンスが消費者物価指数の前年比の実績値に紐付いていることです。前年のゼロ金利政策解除の経緯から、「日本銀行にはデフレバイアスがある」という認識が生じるもとで、こうした認識を解消するため、あえて裁量余地の乏しいフォワードガイダンスを設定したということです。実際、「量的緩和政策」は、「ゼロ金利政策」よりもイールドカーブをフラット化させており、この点では大きな効果を発揮しました。

日本銀行は、「量的緩和政策」を進めるもとで、当初5兆円(対名目GDP比で1%)程度であった当座預金残高目標を、経済情勢を踏まえながら徐々に引き上げ、2004年1月には、当座預金残高目標は30〜35兆円(対名目GDP比で6〜7%)程度にまで達しました。その後、景気は回復し、消費者物価指数の前年比も一旦プラスとなるなど、「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」というフォワードガイダンスを達成する状況になりました。こうした状況を踏まえ、2006年3月には「量的緩和政策」を終了し、同年7月には政策金利を0.25%に引き上げました。解除後も、日本経済は暫く回復を続けましたが、2008年のグローバル金融危機による負のショックを受け、消費者物価指数の前年比は再びマイナス圏で推移しました。

グローバル金融危機後の各国中央銀行の対応と日本銀行の包括緩和政策

グローバル金融危機後の各国の中央銀行は、様々な手段を用いて大量の資金供給を行い、金融市場における流動性不足に迅速かつ機動的に対応しました。また、金融システムの毀損が経済活動に大きな悪影響を及ぼしていることを踏まえ、FRBやイングランド銀行が大規模な国債買入れを開始するなど、非伝統的金融政策が幅広く採用されました。

こうした中、日本銀行は、2010年10月、「包括緩和政策」を開始しました。「包括緩和政策」は―その名称が示すように―国債に加えて、CPや社債などのクレジット商品、さらにはETFやJ-REITといったエクイティ性の金融商品も買入れ対象とすることにより、3年物までのイールドカーブの直接的な押し下げを図るとともに、各種のリスク・プレミアムを圧縮することを企図したものです。さらに、2012年2月には―FRBがinflation goalを採用したのとほぼ時を同じくして―「中長期的な物価安定の目途」を導入し、当面、消費者物価の前年比上昇率1%を目途とすることを示しました。これらの政策は、緩和的な金融環境を提供することによって、景気の下支えに効果を発揮しました。ただ、家計や企業に根付いたデフレ期待を転換するには至りませんでした。

ゼロ金利政策・量的緩和政策に関する理論

日本銀行が「ゼロ金利政策」や「量的緩和政策」を実施していた時期の金融政策理論をみると、2003年にウッドフォード教授と当時IMFのエコノミストであったエガートソン氏は、クルーグマン教授の理論を発展させ、デフレとゼロ金利制約のもとでも有効な施策を理論的に導きました2。そこで最も重要なことは「民間主体の期待形成に働きかけること(expectation management)」であり、そのためには将来の金融政策を十分緩和的にするというコミットメントが不可欠である点を強調しています。この際、単に量的緩和の目標額を拡大したり、買い入れる資産を多様化したりするだけで効果をあげることはできないと指摘しています。コミットメントが効果を発揮するためには歴史依存性が必要であり、そのためには物価水準目標(price level targeting)を設定し、それが実現するまで「ゼロ金利政策」を継続することにコミットすべきであると提言しています。

以上の金融政策理論の変遷をみたうえで、日本銀行の過去の政策を振り返ってみると、私は2つの要素が足りなかったのではないかと考えています。

過去の政策に足りなかった第1の要素は、物価安定への強いコミットメントです。ゼロ金利政策のフォワードガイダンスは、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで」という定性的なものでした。また、量的緩和政策のフォワードガイダンスは、「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」と、設定した閾値はゼロ%と低いものでした。しかも、実際の解除の判断は、その時点における経済・物価情勢を踏まえて議論を尽くした結果であったとはいえ、結果的にみれば早めの解除になってしまったと言えます。このことは、日本銀行が「デフレファイター」としての信認を十分に得られなかった原因になっていると思います。その後の「中長期的な物価安定の目途」についても、設定された数値は1%と低いものでした。このように物価安定へのコミットメントが弱かった結果、期待への働きかけが十分ではなく、民間主体に根付いたデフレマインドを払拭することはできませんでした。

過去の政策に足りなかった第2の要素は、イールドカーブ全体への押し下げ圧力です。フォワードガイダンスや残存年限3年までの長期国債買入れによって、イールドカーブをある程度フラット化させることには成功しましたが、長い期間を含めたイールドカーブ全体を押し下げるには十分ではありませんでした。グローバル金融危機後に実施されたFRBとイングランド銀行による長期国債の大量買入れは、その後の研究で効果的であることが実証されており、中央銀行の実践が理論の発展に先行した例であると理解しています。

  1.   2  Gauti B. Eggertsson and Michael Woodford, "The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy," Brookings Papers on Economic Activity, 2003, No.1: 139-233.

4.次元の異なる金融政策の導入―「量的・質的金融緩和」―

「量的・質的金融緩和」の導入

以上申し上げた2つの要素を取り入れ、日本銀行は昨年4月に「量的・質的金融緩和」を導入しました。

「量的・質的金融緩和」では、物価安定へのコミットメントを強めるため、2年程度の期間を念頭に2%の「物価安定の目標」を実現するという強く明確な「コミットメント」を示し、民間主体のインフレ予想に直接働きかけています。そして、その「コミットメント」を裏打ちするため、日本銀行が直接供給する通貨であるマネタリーベースを2年間で2倍に拡大することとし、これを実現するため残存年限の長いものを含めて巨額の国債買入れを行うなど、量・質ともに次元の異なる大胆な金融緩和を行うことを決定しました。このように、「量的・質的金融緩和」は、積極的に民間主体の期待形成に働きかけるという点で、過去の政策とは異なります。

また、「量的・質的金融緩和」では、イールドカーブ全体に低下圧力を加えるため、様々な残存年限の長期国債を買い入れています。こうした政策によって一層の金利低下を促し、より民間需要を刺激することが可能になると考えています。

この政策の導入から1年以上経過しましたが、金融市場、実体経済および物価、期待のいずれもが好転しており、所期の効果を発揮しています。「物価安定の目標」の早期実現への明確なコミットメントと大規模な緩和によって、人々のインフレ予想は全体として上昇しています。一方で、日本銀行の巨額の国債買い入れは、10年物長期金利を0.6%程度という低水準に抑制しています。これらの結果、実質金利はマイナス圏で低下を続け、実体経済を刺激してきました。すなわち、日本経済は内需を中心に成長を続けています。消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、昨年3月は−0.5%でしたが、今年の4月には消費税率引き上げの直接的な影響を除くベースで+1.5%に達しています。このように、「量的・質的金融緩和」は、インフレ予想を引き上げることで実質金利の低下を促し実体経済を刺激するという、クルーグマン教授およびウッドフォード教授やエガートソン氏による理論に共通するメカニズムを実践したものです。

5.おわりに―非伝統的金融政策の理論に関する残された課題―

最後に、非伝統的金融政策の理論に関する残された課題について、私なりの考えを付け加えて、講演を終えたいと思います。

グローバル金融危機の教訓は、ゼロ金利制約のもとで大きな負のショックに直面した場合であっても、中央銀行は非伝統的金融政策によって経済・物価情勢を下支えすることが可能であることが実践として証明されたということです。

もっとも、非伝統的金融政策の効果や波及メカニズムについては未だに解明されていない点が残っています。

その要因の一つは、現在実施中の非伝統的金融政策から脱し、全体を評価しうる段階に達した中央銀行が未だない、という実践的な経験が我々に欠如しているためかもしれません。

また、非伝統的金融政策に関する見方が分かれている要因のもう一つは、「期待」が大きな役割を果たしているにもかかわらず、その理論的な発展が遅れているためかもしれません。インフレ予想がアンカーされていることの重要性は広く共有されており、多くの中央銀行は、インフレ予想がしっかりとアンカーされている(well-anchored)ことを、金融政策を評価する1つとしています。もっとも、一旦インフレ予想が低下した場合、インフレ予想をどのように目標へ修正させるのかという理論は、これまでのところ確立されていないと思います。特に、ゼロ金利制約のもとでどのようにインフレ予想を引き上げるのかという点について、実務的に実現可能な政策手段まで含めた理論は不十分であり、今後のさらなる発展が期待されるところです。この点では、我々の「量的・質的金融緩和」の経験は、重要な材料を提供していると思います。

本セッションのテーマである「危機後の世界における金融政策」、すなわち、非伝統的金融政策の効果や波及メカニズムについて研究を深めることは、中央銀行とアカデミズムの双方にとって重要な資産になると考えています。実りの多い会合となることを期待しています。

ご清聴ありがとうございました。