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【講演】日本経済:慎重論に答える

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エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年10月8日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.「量的・質的金融緩和」と日本経済の回復
  3. 3.日本銀行の金融政策運営と日本経済の成長力

1.はじめに

ご紹介ありがとうございます。本日は、エコノミック・クラブでお話する機会を頂き、大変光栄に存じます。

日本銀行は、昨年4月、「量的・質的金融緩和」を導入しました。それから約1年半が経過しましたが、「量的・質的金融緩和」は、所期の効果を発揮しています。昨年4月に−0.4%だった消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、1%台前半まで改善しています。日本経済は、2%の「物価安定の目標」の実現に向けた道筋を順調にたどっています。

一方、本年4月の消費税率の引き上げ後、やや弱めの経済指標の公表が相次いだこともあって、日本経済に対する慎重な見方が多くなっているように思われます。もっとも、日本銀行では、景気回復のメカニズムはしっかりと働いており、日本経済は、消費税率引き上げによる一時的な減速を乗り越えて回復を続けていくとみています。

本日は、「量的・質的金融緩和」のもとでの日本経済の現状と先行きの課題について、お話したいと思います。

2.「量的・質的金融緩和」と日本経済の回復

「量的・質的金融緩和」のメカニズム

最初に、「量的・質的金融緩和」のメカニズムについて、簡単に振り返っておきます。

「量的・質的金融緩和」は、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現するという強く明確なコミットメントと、それを裏打ちする大規模な金融緩和措置という2つの柱から成り立っています。すなわち、強く明確なコミットメントによって予想物価上昇率を引き上げると同時に、巨額の国債買入れによって、イールドカーブ全体に低下圧力を加えます。この結果、実質金利が低下し、設備投資、個人消費、住宅投資といった民間需要が刺激されます。民間需要が高まり、需給ギャップ、すなわち経済全体としてのスラックが縮小すれば、物価に上昇圧力がかかります。物価が実際に上昇すれば、予想物価上昇率も上昇し、こうした一連のプロセスがさらに強まっていきます。

これまでのところ、こうしたメカニズムは想定通りに作用しています。10年国債利回りでみた長期金利は0.5%台で推移しています。銀行の新規の貸出平均金利は、史上最低水準の0.8%程度まで低下しています。一方、コンセンサス・フォーキャストでみた中長期的な予想物価上昇率は1.6%まで上昇しており、実質金利は、長期に至るまで、はっきりとしたマイナスとなっています。

このように「量的・質的金融緩和」が所期の効果を発揮するもとで、日本経済の回復に関する大きな絵を示せば、家計・企業の両部門において、高いコンフィデンスが維持されており、所得から支出への前向きな循環メカニズムがしっかりと作用していると総括することができます。

消費税率引き上げの影響

こうした見方に対して、消費税率引き上げの影響などから弱めの指標が出ていることを受けて、「日本経済の回復のモメンタムが失われているのではないか」という懸念が聞かれるようになりました。特に、本年4〜6月の実質成長率が前期比年率−7.1%と大幅なマイナス成長となったことが注目を集めています。

もっとも、4〜6月の実質GDPの大幅な落ち込みは、1〜3月が駆け込み需要から前期比年率+6.0%と大きくプラスとなった反動であり、事前に想定されていたことです。消費税率引き上げに伴う駆け込み需要と反動の振れを取り除くために、1〜3月と4〜6月を合わせてその前の半年間、すなわち昨年7〜12月と比較すると年率+1.0%の成長となります。決して高い成長率ではありませんが、0.5%前後と推計される潜在成長率を上回っています。次に述べるように、景気回復のメカニズムはしっかりと作用していることを踏まえると、7〜9月には相応のプラス成長に復するとみています。

家計部門と企業部門の好循環メカニズム

以下では、家計部門と企業部門のそれぞれについて、景気回復のメカニズムをご説明します。

まず、家計部門です。「量的・質的金融緩和」が所期の効果を発揮するもとで、需給ギャップは大幅に改善し、ほぼ解消された状態にあります。労働市場はタイトで、完全失業率は3.5%と、ほぼ構造的失業率と同じ水準まで低下しています。FRBやBOEの用語を借りるとすれば、日本では、「労働市場のスラック」はほとんどなく、「企業内部や労働市場の余剰資源(spare capacity)」はゼロということになるでしょう。このことは賃金上昇圧力としても作用しています。賃金面では、この春、デフレ期に失われていた労使一斉交渉によるベースアップという慣行が10数年ぶりに復活しました。名目賃金は、春以降上昇が明確になっており、雇用者数の着実な増加と合わせ、雇用者所得は前年比2%を超える伸びになっています。現在の個人消費の減少は、消費税率引き上げ後の一時的な反動によるものであり、雇用・所得環境が着実に改善するもとで、反動減の影響が減衰していくにつれて、先行き個人消費は底堅く推移していくとみています。実際、最新の経済指標をみると、自動車などの耐久消費財を除けば、反動減の影響は和らいできています。

なお、統計上の実質賃金の伸びが大きなマイナスとなっていることを問題視する論調もありますが、これは消費税率引き上げに伴う一回限りの物価上昇の影響によるものです。もともと、消費税率の引き上げは以前から予定されていたものであり、ここにきて新たな下振れ要因が生じているわけではありません。

消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみた消費者物価の前年比が1%台前半であるのに対して、名目賃金は1%台、雇用者所得は2%を上回る伸びで増加しています。この名目賃金の動きは、過去の賃金版フィリップスカーブ、すなわち名目賃金の伸びと失業率の関係が示すところと概ね整合的です。米国で問題となっているような、失業率が示唆するよりも控えめな賃金の上昇しかみられないという現象は、日本では起こっていません。こうした賃金の動きが経済に悪影響を及ぼしていくと考える理由はないと思います。

次に、企業部門です。企業収益は改善を続けており、主要企業の売上高経常利益率は、グローバル金融危機前の水準を上回っています。今回の景気回復局面では、輸出のもたつきがしばしば指摘されますが、これには海外生産移管などの構造的な変化も影響しています。グローバルにみた企業収益は良好です。企業マインドも、先週公表された9月短観などにみられるように、消費税率引き上げ後の反動の影響にもかかわらず、全体としては良好な水準が維持されています。これは、多くの企業が、消費税率引き上げ後の需要の落ち込みは、あくまで一時的なものであるとみていることを示唆するものです。好調な企業業績を反映して、株価も堅調に推移しています。

こうしたもとで、企業は前向きな設備投資計画を立てており、最新の短観でも、こうしたスタンスに変化はみられません。設備投資の増加の背景としては、好調な企業収益と緩和的な金融環境に加え、長期間の投資抑制によって設備の老朽化が進んでいることから、更新投資のニーズが高まってきていることや、先程申し上げたような人手不足の強まりから、省力化投資のニーズが高まっていることも指摘できます。

以上のように、家計・企業の両部門において、所得から支出への前向きな循環メカニズムがしっかりと作用しており、日本経済は、先行き、基調として潜在成長率を上回る成長を続けると予想しています。

物価動向

続いて、日本の物価情勢についてお話します。基調的な物価動向は、経済全体としての需給ギャップと予想物価上昇率によって決まると考えられます。このうち、需給ギャップについては、先程ご説明したように、労働市場のタイト化が進むなど、スラックがほぼなくなった状態となっています。また、予想物価上昇率も、月々の振れはありますが、「量的・質的金融緩和」導入後の変化をみると、全体として上昇しています。こうしたもとで、昨年4月に−0.4%であった消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、最近では+1.1%まで改善しています。

もっとも、消費者物価の前年比は、本年入り後、8か月にわたって1%台前半の狭いレンジで概ね横ばいで推移しています。こうした物価上昇率の伸び悩みについて、「昨年は勢いよく上がった消費者物価の上昇モメンタムが失われているのではないか」との見方が聞かれます。

しかし、消費者物価の前年比が概ね横ばいとなっているのは、前年の同時期に、円安やエネルギー価格の上昇に伴って消費者物価が上昇した要因、すなわちbase effectが剥落していることによるものです。一方、基調的な物価は、着実に上昇を続けています。こうした消費者物価前年比の推移は、概ね我々が事前に予想していた通りです。Base effectの剥落にもかかわらず、消費者物価前年比がさほど低下せず、底堅く推移していることは、需給ギャップの改善や予想物価上昇率の上昇が、基調的な物価上昇圧力として作用していることを示唆しています。

需給ギャップと予想物価上昇率の改善は、今後も続くと見込まれます。一方、base effectの剥落は一巡することから、消費者物価の前年比は、本年度後半から再び上昇傾向をたどり、2015年度を中心とする期間に、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いとみています。

3.日本銀行の金融政策運営と日本経済の成長力

このように、日本経済は2%の「物価安定の目標」の実現に向けた道筋を順調にたどっています。ただし、「物価安定の目標」を実現するためには、実際や予想の物価上昇率を2%に向けてさらに引き上げていく必要があり、なお途半ばといえます。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続します。また、仮に、何らかのリスク要因によってこうした見通しが下振れ、「物価安定の目標」の実現のために必要になれば、躊躇なく調整を行っていく方針です。我々は2%の「物価安定の目標」実現という結果にコミットしていますので、それを実現するように「量的・質的金融緩和」を継続しますし、必要であれば調整を行って、実現するようにします。

最後に、日本経済の成長力についてお話します。先程申し上げた通り、日本の潜在成長率は0.5%前後と推計されています。

90年代後半には2%程度とみられる日本の潜在成長率は、趨勢的な人口減少と高齢化、長年にわたるデフレのもとでの資本ストックの蓄積鈍化などによって、次第に低下してきました。この点については十分認識されており、潜在成長率を引き上げる努力が官民で行われています。政府は、「民間投資を喚起するための成長戦略」として「日本再興戦略」を策定し、本年6月にその改訂を行いました。その着実な実行とそのもとでの企業の積極的な取り組みを強く期待しています。

中長期的な経済の成長力は基本的にはサプライサイドの問題ですので、金融政策は主役ではありませんが、重要な貢献ができると考えています。それはデフレマインドの払しょくです。デフレマインドが蔓延するもとでは、現金保有や現状維持が合理的になり、リスクを取って前向きの行動をしてもそれに見合うリターンが得られません。実際、長年にわたるデフレのもとで、企業は設備投資や研究開発などリスクをとることに消極的になり、その結果、潜在成長率は低下してきました。

デフレマインドを払しょくし、民間主体が2%の物価上昇を前提に行動を行うことが可能な経済・社会を作ることは、企業の失われたアニマルスピリットを復活させ、成長力の強化につながります。このことは、昨年来物価情勢が好転する中で、企業に前向きな動きが拡がってきたことをみても明らかです。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に達成することを通じて、こうした前向きな動きをしっかりとサポートしていきます。

「潜在成長率が低い状況で、物価を上げることが望ましいのか」といった見方もあるようですが、私の答えは明確に「YES」です。デフレからの脱却と潜在成長率の引き上げは、いずれかが優先するといったものではなく、前者は後者を実現するための重要な前提です。我々は2%の物価安定を実現します。そして、そのもとで、日本経済がより高い潜在成長率を実現できると信じています。

ご清聴ありがとうございました。