【挨拶】わが国経済・物価情勢と金融政策:中期見通しと金融緩和の拡大について
広島県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2014年11月26日
目次
1.はじめに
皆様、おはようございます。まずは、8月の豪雨災害の犠牲になられた方々に対して謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に対して心よりお見舞いを申し上げます。また、本日はご多忙のところを、広島県の行政ならびに経済界を代表する皆様にお集まり頂きましたこと、日頃から日本銀行広島支店の業務運営にご協力頂いておりますことに、この場をお借りして、改めて御礼を申し上げます。
さて、本日の私からの挨拶の流れについてご説明いたしますと、まず、日本銀行が本年10月末に公表した「経済・物価情勢の展望」(通称、「展望レポート」)の「基本的見解」、並びに、「量的・質的金融緩和」の拡大(追加緩和)についてお話しいたします。その上で、広島県経済について簡単に触れたいと思います。その後、皆様方から、当地経済の実情に関するお話や、日本銀行の金融政策に対する率直なご意見等をお聞かせ頂ければ幸いです。
2.わが国の経済・物価の見通しとリスク評価
それでは、展望レポートの「基本的見解」で示された、わが国経済・物価情勢に関する日本銀行の「中心的な見通し」とその上振れ・下振れ要因について、私の見解と併せてご説明します。これらの見通しは、10月末時点で得られた情報に基づいており、今回実施した追加緩和の効果も反映されています。また、現時点で成立している法律に沿って、来年10月に第2回目の消費税率引き上げが実施されることを前提に見通しを立てています。なお、本年7月中間評価時点と比べた経済環境の変化として、第一に、7月頃から原油価格を中心に幅広い商品価格が下落したこと、第二に、欧州及び中国等の新興諸国の経済が減速気味なこと、第三に、地政学リスクの高まりや米国等の金融政策正常化に向けた市場の思惑が交錯する中で世界の金融資本市場の変動が大きくなっていること、の3点が挙げられます。
(1)わが国経済の現状と見通し
わが国経済の現状は、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動、輸出の弱めの動き、夏場の天候不順等の影響から、足もとでは消費・生産面においてやや弱めの動きが残りますが、基調的には緩やかな回復を続けています。また、企業収益も昨年度に大きく伸びた後、今年度も駆け込み需要の反動減があるものの高い利益率を維持していることもあり、企業の設備投資意欲は高く、中小企業を含めて本年度の設備投資計画の上方修正がみられます。雇用の増加傾向と名目賃金の上昇によって「雇用者所得」(1人当たり名目賃金×雇用者数)も対前年比で増加しており、消費を下支えしています。
経済の中心的な見通しについては、2014年度下期については、良好な雇用・所得環境の着実な改善が続くもとで個人消費は底堅く推移し、設備投資はしっかり増加し、輸出も海外経済が回復するもとで緩やかな増加に向かっていくと見込まれ、生産・所得・支出の好循環は持続していくと予想しています。また、金融環境は既に緩和的ですが、今回の金融緩和の拡大によって緩和度合いが一段と強まり、経済活動を下支えします。さらに、政府による成長戦略の推進、企業による生産性向上と内外需要の掘り起こし等もあって、企業・家計の中長期的な成長期待や潜在成長率は緩やかに高まっていくと想定しています。このため、2015年度から2016年度にかけては、見通し期間を通じて、潜在成長率を上回る成長が続くと予想しています(図表1)。
ここで、私自身の経済見通しを申し上げますと、まず2014年度の経済成長率については、もともと政策委員見通しの中央値対比で慎重ですが、今回はさらに下方修正いたしました。主因は、個人消費の下振れです。本年7月中間評価時点では消費税率引き上げ後の消費の反動は「想定内」との企業の見方が多く聞かれていましたが、実際には予想を超える反動減となり、本年8月以降も回復がもたついていることにあります。この背景には、実質所得の低下の他、天候要因や株価等の資産効果が振るわなかったことも影響しているとみています。
こうした点を懸念して、私は本年1月から4月にかけて、金融政策決定会合の「対外公表文」に示すわが国経済の下振れリスク要因として、海外経済要因だけでなく「国内の雇用・所得環境の改善ペース」も明記すべきだと主張しました。結果として、私が指摘したリスクが顕在化し、経済が下振れる主因になったと思います。とはいえ、足もとの個人消費はゆっくりと回復しつつあり、来年1−3月頃には駆け込み前の水準に戻るとみています。また、輸出についても私の見通しは、もともと下振れリスクが高いと判断してきましたが、そのリスクが多少顕在化しているため今回下方修正を行いました。しかし、輸入も下方修正したため、貿易収支は幾分の悪化に留まるとみています。
2015年度以降の経済成長率についての私の見通しは、2014年度を大きく超えるとみていますが、7月時点よりも消費を中心に幾分下方修正をしています。これは、雇用者所得の伸び率が2014年度よりも緩やかになると判断しているからです。その理由として、(1)2014年度の企業収益の伸び率が2013年度を下回ることにより2015年度の正社員の賃金上昇率がさほど伸びない可能性があること、(2)ミスマッチを除いた失業状態がほぼ解消していることから、さらなる雇用拡大が難しくなりつつあること、(3)新規雇用者は短時間労働を選択する女性や高齢者等が多いため、追加的な労働時間が減少傾向にあること、(4)現在の雇用改善は非正規労働者が多いため賃金上昇が限定される一方で、一般的に労働生産性が高く賃金上昇率が高い製造業では正社員が減少を続けていること、(5)家計の将来の所得期待が高まる傾向が未だ確認できないこと等が、挙げられます。
なお、潜在成長率の推計値は下方修正が続き、現在は0%台前半まで低下しています(図表2)。私自身は、これには資本ストックとTFPの伸び率の低下の他、人手不足等による新たな経済活動機会の喪失、すなわち「成長制約」が建設・外食・小売・運輸・観光等で顕在化していることも影響しているとみています。この点、2015年度以降は、企業による能力拡充及び労働節約的な設備投資によって資本ストックや生産性の改善が期待できること、および企業の再編や業務見直しが進むにつれ労働力の再配分も促されることで、次第に潜在成長率は上昇していくとみています。また、政府による女性の雇用促進を目指した税制・社会保障制度の見直しが迅速に実施されれば成長制約の緩和に寄与するとみています。
以上をまとめますと、見通し期間を通して潜在成長率が1%程度に向けて徐々に上昇していくもとで、経済成長率は、2014年度は潜在成長率又はそれを下回る程度、2015年度は反動からの戻りもあって潜在成長率を大きく上回り、2016年度は少し超える程度で推移するとみています。
(2)わが国の物価の現状と見通し
消費者物価(除く生鮮食品、以下同じ)の現状については、本年5月から前年比のプラス幅が低下しており、(消費税率引き上げの直接的な影響を除くベースでみると)このところ1%程度で推移しています。物価上昇率に影響を及ぼす主たる要因である「需給ギャップ」、「中長期的な予想物価上昇率」、「輸入物価」の動きを点検しますと、需給ギャップは本年1−3月に0.4%程度へとプラスに転換し、4−6月は消費税率引き上げの反動によってマイナス0.1%程度へと悪化した後、ごく足もとでは雇用増加が継続するもとで緩やかに改善を続けています。中長期的な予想物価上昇率については、やや長い目でみれば、全体として上昇しています。また、輸入物価については、円安やエネルギーを中心とした物価への押し上げ効果は弱まりつつあります。
物価の中心的な見通しについては、消費者物価の前年比では、当面は現状程度のプラス幅で推移したあと、次第に上昇率を高め、「見通し期間の中盤頃、すなわち2015年度を中心とする期間に、2%程度の物価上昇率を実現し、その後次第に、これを安定的に持続する成長経路へと移行していく可能性が高い」と予想しています(図表3)。この背景には、需給ギャップは本年度後半にプラス基調が定着し、それ以降、プラス幅が一段と拡大していき、物価の押し上げに寄与すること、またそうした物価上昇率の高まりもあって中長期的な予想物価上昇率も上昇傾向を辿り「2%程度に向けて収斂していく」との見通しがあります。輸入物価については、最近の国際商品価格の下落傾向が消費者物価を押し下げる一方で、為替円安は押し上げ要因として影響を及ぼすとみています。
なお、物価上昇率に影響を及ぼす主たる要因として挙げた「中長期の予想物価上昇率」について、若干補足説明しておきたいと思います。まず、中長期の予想物価上昇率を評価するにあたり、特定の代表的な指標がある訳ではありません。そこで、日本銀行では家計・企業・エコノミスト・国債市場参加者等の予想物価上昇率を示す指標や市場データ(ブレーク・イーブン・インフレ率やインフレ・スワップ・レート等)を見て、それぞれがバイアスを有することや異なる動きを示すことがあることを勘案し、総合的に判断しています。また、「展望レポート」や「金融経済月報」では「予想物価上昇率」と題してそれに関連する指標を幾つか掲載してきていますが、その中でも1年以上の指標が「中長期」の指標に相当します(図表4−1、4−2)。
既述したように「基本的見解」では、「2%程度の物価上昇率を安定的に持続する成長経路に移行していく」過程として、「中長期の予想物価上昇率が2%程度に向けて収斂していく」と明記しており、2%程度の安定的実現には中長期予想物価上昇率に関する判断が必要となります。これらの指標は、現在のところ、長い目でみれば全体として上昇していますが、2%程度に収斂するにはまだ「途半ば」の状態にあると言えます。図表5では、一例として、(長期データが入手可能な)日米のエコノミストの予想物価上昇率の長期的な推移を示しています。米国では、中長期の予想物価上昇率(例えば、5年先)が概ね2%程度で安定している一方で、わが国ではこれまでのところ1%前後で、(米国と比べると)より大きく変動しながら推移しており、安定(アンカー)しているとは言い難い状況です。しかも、わが国では、中長期の予想物価上昇率が1%前後で推移している時期にあっても、緩やかなデフレが生じていたことが見てとれます。つまり、デフレからの脱却を確実にするためには予想物価上昇率を1%程度より高い水準で安定させる必要があり、だからこそ日本銀行はこれを2%程度に引き上げて安定化させようと努めているのです。
ここで、私自身の物価見通しを申し上げますと、2014年度の消費者物価上昇率の見通しは、本年7月中間評価時点よりも幾分引き下げました。その理由として、(1)需給ギャップの改善ペースがより緩慢になると見込まれること、(2)中長期の予想物価上昇率が以前から概ね横ばいの指標(例えば、家計と一部エコノミストの指標)も見られる中で、本年夏場以降からブレーク・イーブン・インフレ率、インフレ・スワップ・レート、国債市場参加者の指標、企業の自社販売価格の現在水準と比べた変化率等が低下を示してきたこと、また(実際の物価上昇率も本年5月から下落が続いていることから)それらが直ちに持続的な上昇傾向を示すとは考えにくいこと(前掲図表4−1、4−2)、(3)商品価格の下落の影響がラグを伴って消費者物価に反映されると見込まれること等が挙げられます。つまり、消費者物価の上昇率は、暫くの間、1%前後で推移した後、2015年度前半にかけて再び上昇傾向を辿るとみており、上昇に転じるタイミングを幾分後ずれさせました。
2015年度以降の私の物価見通しについても7月中間評価時点よりも幾分下方修正していますが、今回の追加緩和の効果を織り込むことで(追加緩和がなければさらに後ずれする見通しがほぼ元に戻る形で)、これまでの見通しに概ね沿ったものとなっています。すなわち、「見通し期間の終盤にかけて2%程度に達する可能性が高い」とみています。なお、中心的な見通しでは、2%程度に達する可能性が高いとみる時期について「見通し期間の中盤頃、すなわち2015年度を中心とする期間」としていますが、私を含めた多くの政策委員の見通しを網羅する表現としては、この表現よりも、「見通し期間の終盤までに」の表現の方が適当と考え、10月末の金融政策決定会合で修正案を提案しました。
私の見通しが中心的な見通しよりも一貫して慎重なのは、人手不足が賃金上昇をもたらすペース、及び、需給ギャップや予想物価上昇率が物価上昇をもたらすペースがより緩やかに高まっていくと予想しているからです。言い換えれば、少子高齢化が進むわが国では潜在的需要がそもそもさほど旺盛ではないため、(1)他国のように需給ギャップの改善が必ずしもすぐに賃金上昇やインフレ圧力をもたらすわけではなく、(2)予想物価上昇率の持続的な上昇には時間がかかると、私自身は以前から考えていることにあります。
もうひとつ、以前にも指摘した点ですが、消費税率引き上げは、物価の基調判断にそれなりの影響を及ぼします。例えば、消費税率が引き上げられる当該年は、物価上昇率がその分押し上げられます。このため、日本銀行では消費税率引き上げの直接的な影響を機械的に取り除いた指標を重視しています(前掲図表3)。さらに、消費税率引き上げ前の時期には、短期及び中長期の予想物価上昇率の押し上げにも寄与しますので、日本銀行では同様に直接的な影響を機械的に取り除いた指標も参考にしています(図表4−2)。もちろん、消費税率の引き上げは実体経済を通じて間接的にもこうした物価上昇率や予想物価上昇率に影響を与えていますが、間接的な影響を取り除くのは難しいため、簡便的に直接的な影響だけを取り除いていることを理解しておく必要があります。従って、たとえば、「中長期の予想物価上昇率が2%程度に向けて収斂していく」状態を判断する場合にも、その判断の時期が引き上げ開始月より前にある場合には、こうした点を念頭に置いて、その予想物価上昇率の上昇が、消費税率引き上げ期待ではなく、生産・所得・支出の好循環を反映した基調的な動きなのかを慎重に見極める必要があると思います。
(3)経済・物価の見通しに対する上振れ・下振れ要因(リスク要因)
経済の中心的な見通しに対するリスク要因として、「基本的見解」では、輸出動向、消費税率引き上げの影響、企業・家計の中長期的な成長期待、財政の中長期的な持続可能性を挙げつつ、全体として「リスクは上下にバランスしている」と評価しています。物価の中心的見通しに対するリスク要因については、企業・家計の中長期的な予想物価上昇率の動向、マクロ的な需給バランス、物価上昇率の需給ギャップに対する感応度、輸入物価の動向を挙げつつ、全体として「下振れリスクが大きい」と判断しており、従来の「概ねバランスしている」との評価を、量的・質的金融緩和の導入後初めて下方修正しています。
この点、私の見解を申し上げますと、経済のリスクバランスについては、従来同様、「下振れリスクを意識する必要がある」と判断しています。第一に、実質所得の低下と家計マインドの悪化が消費を抑制するリスクについて引き続き注視する必要があるからです。第二に、世界経済の先行きについての不確実性の高まりと国内の景気回復のもたつきによって、輸出や設備投資が下振れるリスクを意識しています。第三に、成長戦略の実行や企業努力が着実に進展しない場合は、企業・家計の中長期な成長期待が伸び悩むリスクがあるとみています。
物価のリスクバランスについても、これまでと同じく、「下振れリスクを意識する必要がある」と判断しています。とくに、企業・家計の中長期的な予想物価上昇率の動向を注視しています。また、フィリップス曲線の傾き―すなわち需給ギャップに対する物価の感応度―についても、企業の価格転嫁が進みスティープ化していくには時間がかかるとみています。
3.日本銀行の「量的・質的金融緩和」の拡大について
つぎに、本年10月末の金融政策決定会合では金融緩和の拡大を決定しましたので、簡単にこの内容や背景についてご説明いたします。
(1)金融緩和の拡大策の内容
まず、金融市場調節方針ですが、昨年4月からマネタリーベースを年間60〜70兆円に相当するベースで着実に増額してきましたが、これを今月11月から10〜20兆円拡大して、年間約80兆円に相当するペースで増加することを決定しています。そしてこの方針を実現するために、長期国債の買い入れペースについて、保有残高増加額を年間約50兆円相当から約30兆円拡大して、年間約80兆円へと変更しました。同時に、イールドカーブ全体の金利低下を促す観点から、買い入れの平均残存期間についてこれまでの7年程度から、金融市場の状況に応じて7年〜10年程度へと最大3年程度延長しています。長期国債の他に、リスク性資産についても買い入れ額を増やす決定をしています。ETFおよびJ-REITについては、買い入れペースを3倍増とし、各々年間約1兆円から約3兆円へ、年間約300億円から900億円へと増額しました。また、ETFについては新たにJPX日経400にT_i連動するETFを買い入れの対象に加えています。
(2)金融緩和の拡大を決定した理由
つぎに、日本銀行が金融緩和の拡大を決定した理由をご説明いたします。先ほどご説明しましたように、わが国経済は緩やかな回復基調にあり、今後も潜在成長率を上回る経済成長を続けていくと見込まれます。しかし、物価面を中心に、足もとでは懸念すべき状況が生じる可能性があるとみられたため、先手を打って対応するのが適切だと判断したわけです。すなわち、消費税率引き上げ後の需要面での弱めの動きや原油価格の大幅な下落が、物価の下押し要因として働いている点を注視しました。
確かに、需要の一時的な弱さは既に和らぎ始めていますし、原油価格の下落は、やや長い目でみれば交易条件の改善や実質所得の改善によって経済活動にはプラスの影響を及ぼし、物価を押し上げる方向に作用します。しかし、短期的とはいえ、現在の物価下押し圧力が続いてしまいますと、これまで着実に進んできたデフレマインドの転換が遅延、或いは後戻りするリスクがあります。このため、こうした物価の下振れリスクの顕現化を未然に防ぐことで、インフレ予想の期待形成のモメンタムを維持するために、新たな対応が適当だと判断したわけです。今回、追加緩和を決定したのは、わが国経済はデフレ脱却に向けたプロセスにおいて、今まさに正念場にあると考え、こうしたデフレ脱却に向けた日本銀行の揺るぎない決意を改めて表明するためです。
(3)金融緩和の拡大についての私の考え方
私は今回、追加緩和策に対して賛成票を投じました。金融政策決定会合における議論の内容は、議事要旨・議事録という一定のルールに則って開示される扱いとなっていますので、ここでは、金融緩和に関する私の考えをご説明したいと思います。繰り返しになりますが、私は、2013年4月の量的・質的金融緩和の導入時から、無理なく2%の物価安定目標を達成するためには2年以上かかり、「2015年度末に2%程度に近づいていく」との見通しを示し、現在でもこの見方を概ね維持しています。つまり、「2年程度」については幅をもって解釈してきた訳ですが、今年4月の展望レポートで新たに見通し期間を2016年度まで延長した際に、従来の私の見方をより明確化する必要があると判断し、「見通し期間の終盤にかけて2%に達している可能性が高い」と表現することにしました。
重要な点は、日本銀行が「持続的な成長を伴いながら2%の安定的な実現」を目指す「フレキシブル・インフレーション・ターゲティング」の枠組みを採用していることであり、そのもとで「家計・企業に対して過大な調整負担をかけずに持続可能なインフレ率2%を社会に定着させるには、2年よりも長い時間をかける経路が望ましい」と私は考えてきました。この観点から、「2%の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、量的・質的金融緩和を継続する」との枠組みのもとで、2015年度以降も「金融緩和の継続」が望ましいとの考えをこれまで明確にしてきました。
その上で、金融市場調節方針であるマネタリーベースの増額ペースについては、2013年4月4日の対外公表文に明記されているように、「年間約60〜70兆円に相当するペースで増額」し、マネタリーベースが「2年間で2倍」になるのは、2013年4月を起点とすれば2015年4月前後であることから、まずはこの時期まではその増額ペースを維持することが適当だと考えてきました。そして、その後の「金融緩和の継続」については、同じペース(及び資産買い入れ内容)をオープンエンドで維持していくこともひとつの方法として考えられましたし、別の方法としては、私自身は2%程度の達成には2016年度までかかるとみてきたことから、その頃までを念頭に(買い入れ資産の構成について)多少の工夫を伴いつつも継続することに力点をおいた方法も考え得ると思っていました。
他方、私は「追加緩和」が検討され得る場合として、昨年、2つのケースに言及したことがあります。ひとつは、「経済・物価の下振れリスクが顕在化して、それが中心的見通しを大きく下振れさせる」ケースです。もうひとつは、「金融政策に対する信認」が低下したと国民・市場に見做されるリスクがあるケースで、例えば、日本銀行がこれまで示してきたコミットメント(何らかのリスク要因によって中心的な見通しに変化が生じ、2%の物価安定目標を実現するために必要であれば、躊躇なく調整を行うとの方針)をしっかり果たしていないと判断されるリスクがある場合です。私自身は、今回は、物価上昇率および一部の中長期の予想物価上昇率を示す指標が低下しているのと相俟って、これら2つのケースが該当し得ると考えました。そこで、追加緩和によって2%の物価安定目標の実現に向けた道筋をより確実なものにしていくことを、この際、最も重視すべきだとの思いに至りました。仮に、そうしないことで、日本銀行がこれまで築きあげた信認が崩れることになれば、私自身の物価見通しはおろか、2%の実現性自体も成り立ち得なくなるからです。
なお、個人的には、後述するようなポートフォリオリバランス・チャネル等に焦点を当てた金融緩和効果をより重視した方が良いとこれまで考えてきたこともあり、今回の拡大策で、長期国債買い入れの平均残存期間をより長めとしたこととリスク性資産の買い入れを増額したことは、金融政策の波及効果を高めるのではないかと期待しています。
(4)量的・質的金融緩和の波及経路
つぎに、改めて、日本銀行の金融緩和政策の波及メカニズムを確認しておきたいと思います。量的・質的金融緩和では、幾つかの波及経路を通じて(名目・実質)長期金利に下押し圧力をかけ、様々な市場の「資金調達コストの低下」と「資産価格の上昇」をもたらし、最終的には企業・家計等の総需要を増やし、インフレ率を高めて物価安定目標を実現すると想定しています。ここでは、中心的なツールである国債の買い入れに焦点を当てて、その波及経路について簡単にご説明いたします。
単純化のために、波及経路を3つに大別して話を進めたいと思います。まず、第一の波及経路(シグナリング・チャネル)は、日本銀行が金融緩和スタンスについて国債買い入れを通じて国民・市場に伝えることで、「将来の短期金利の経路」に関する市場の予想(期待)を下押しすることで、(名目・実質)長期金利の低下に導く経路です。リスクフリー金利が低下することで証券価格や不動産価格等が上昇しますし、金利の低下や担保価値の上昇によって企業・家計の資金調達コストも下がります。ハードルレートも下がるため企業が採択する投資案件も増え、企業・家計が保有する幅広い資産価格の上昇によって設備投資や消費も促されます。金融機関等の財務基盤も自己資本の充実や保有資産価格の上昇を通じて改善するため、内外投融資に積極的になり得ます。この経路では、当初は名目長期金利には下押し圧力が強くかかりますが、物価上昇率が高まるにつれて次第に上昇していくことが予想されます。
第二の波及経路(ポートフォリオリバランス・チャネル)では、「タームプレミアム」の下押しによって(名目・実質)長期金利を下押しし、金融機関等がポートフォリオ構成を変えることを促し、直接的に資本調達コストの低下と資産価格の上昇を実現する経路です。まず日本銀行が長期国債を買い入れますと、金融機関等の保有資産の中で長期国債が減少し、日本銀行へ預ける当座預金が増加します。このとき当座預金と長期国債は「不完全な代替資産」であるため、金融機関等は増えた当座預金を減額して新たに長期国債を購入しようとするので、長期金利は低下します。この結果、金融機関等は相対的に利回りが高い他の金融資産への投資を増やそうとします。なお、国債の残存期間が長くなるほど当座預金との代替性が低くなりますが、当座預金と長期国債の代替性が低いほどこのインセンティブは高まります。また、市場に出回る長期国債の供給量が減り市場で取引される国債の平均残存期間が短期化するため、市場のタームプレミアムが低下するわけです。
一般的に、中央銀行がより長めの国債を買い入れるほどタームプレミアムの下押し効果が大きくなります。その結果、金融機関等の金利リスク量が減少してリスクテイク余力が高まることから、リスク性資産への投資インセンティブが高まると考えられています。リスク性資産への投資は、まずは長期国債との「代替性が高い」(又は長期国債との期待収益率の相関が高い)社債やローン等へ向けられますが、それらの利回りが低下すればさらにリスクの高い低格付け債、株式、不動産、投信、海外投融資等も増えていくと考えられます。その結果、幅広い資産価格が上昇し、資金調達コストも低下すると想定されています。
第三の波及経路(インフレ期待チャネル)は、実際の物価上昇率の引き上げだけでなく、国民・市場の中長期の予想インフレ率も引き上げて実質長期金利の低下に導く経路です。前述の2つの経路によって実際の物価上昇率が高まることで間接的に予想インフレ率が上昇するという経路の他、2%の物価安定目標を達成するために国債買い入れによる金融緩和を続ける姿勢を示すことで、予想物価上昇率が直接的にも上昇し得ると考えられます。予想物価上昇率が上昇しますと名目長期金利には押上げ圧力が働きますが、その一方で前述したタームプレミアム等の下押し圧力が作用するため、名目長期金利の上昇幅はその分限定的となります。その結果、実質長期金利が低下すると考えられます。
また、日本銀行では長期国債に加えてリスク性資産を買い入れているため、こうした経路以外にも、直接的に様々な市場に働きかける効果が期待されます。
(5)日本経済を底上げする契機
日本銀行が2013年1月に物価安定目標として(総合)消費者物価指数ベースで2%を採用してから2年弱が過ぎようとしています。2%の数値目標を掲げた理由は、(1)再度デフレに陥らないために、統計の上方バイアスも勘案したある程度の「物価上昇率のバッファー」を残しておく必要性、(2)景気後退局面において「ゼロ金利制約」を回避するために、柔軟な金融政策発動余地を維持しておく必要性、(3)恒常的な円高を避けるために、国際基準となりつつある2%程度の目標に合わせる必要性、等を考慮したためです。加えて、わが国経済は、デフレと相俟って過去15年間に亘り名目GDPが横ばいないし低下していますが、この伸びがプラス圏内で推移するような正常な経済状況の実現が、企業・家計の経済成長期待を高めるためにも不可欠です(図表6)。この点、GDPデフレーターと消費者物価指数の動きを比較しますと、前者の伸び率が後者を下回って推移しているため、大きな乖離が生じています。つまり、名目GDPの伸び率がプラス圏内で推移するためには、消費者物価指数の伸び率が1%程度では不十分とみられることも、2%目標を目指したいと私が考える背景にあります(図表7)。
しかし、一般的に、「物価上昇は生活費の上昇をもたらし好ましくない」と捉えられることが多いため、2%物価安定目標を掲げることの意味を広く理解していただくのは容易ではありません。特に、(消費税率の引き上げもあって上昇している)物価上昇に対して現在の賃金上昇が遅行し、しかも将来の収入期待が高まるのにある程度時間がかかる場合には、なおさらだと思います。そこで、以前から私自身が主張していることですが、2%目標の重要性や金融緩和の意図に対する理解が国民・市場に浸透していくように、日本銀行の広報活動をもっと工夫する必要があると考えています。今後も改善を目指して努力をしていく所存です。
なお、経済指標が芳しくない時期には、量的・質的金融緩和の効果に対して弱気の見方が多くなりがちです。しかし、同政策導入前の停滞的な経済状況と比べれば効果があることは明らかで、かつその原動力である前向きなメカニズム自体は持続しています。従いまして、今は掲げた目標に対して振れることなく、金融緩和を続けていくことが大切だと思っています。
わが国の競争力の改善や持続的な経済成長の実現には、健全なリスクテイクが不可欠です。しかし、長期に亘るデフレマインドの浸透により、金融機関・企業・家計によるリスクテイクはすっかり委縮してしまいました。だからこそ、日本銀行は、大胆な金融緩和の実践により、デフレマインドを転換し、不足するリスクテイクを促すことを大きな狙いのひとつとしています。日本銀行が生み出している金融緩和的な環境を是非とも十分活かして頂き、政府による構造改革・成長戦略と相俟って、企業・金融機関等によるイノベーション及び潜在需要を掘り起こす商品・サービスが次々と生まれる好循環が働いていくことを、心より願っています。
4.終わりに〜広島県経済について〜
終わりに、広島県経済について触れておきたいと思います。広島県は、自動車、機械、鉄鋼、造船といった製造業が集積する西日本有数の工業県であると同時に、2つの世界遺産や瀬戸内の多島美をはじめとする豊富な観光資源、さらには国際平和都市としての広島市の高い知名度など、ものづくり、観光の両面で有利な要素を多く有しています。
さきほど述べましたように、わが国の持続的な成長のためには、企業や金融機関によるイノベーションや健全なリスクテイクと、行政による環境整備の双方が重要ですが、この点、「広島発祥の全国企業」が少なくない当地では、優れた技術やアイデアを活かし、より広い市場を目指して成長していくカルチャーがしっかり根付いているように見えます。また、行政も、広島県が「ひろしま創業サポートセンター」を立ち上げ、事業計画の策定段階から一貫した支援に取り組まれることで目標を上回る創業実績を挙げているほか、地方公共団体としては初めて、県が100%出資する形で地域支援ファンドの運営会社を設立するなど、イノベーションを促す政策を推進しています。このほか広島県は、近隣7県の広域連携である瀬戸内ブランド推進連合で中心的役割を担っているほか、「しまのわ2014」による地域の観光資源掘り起こしにも努力しています。広島市でも、広島駅周辺の再開発事業など、拠点性の向上を通じた地域の魅力向上に取り組んでいます。さらに、金融機関においても、創業ローンや新分野進出支援ファンド、農業支援ファンドなど、成長資金を供給する独自商品を提供しています。
こうした企業、行政、金融機関の前向きな取り組みを、量的・質的金融緩和による極めて緩和的な金融環境や「成長基盤強化を支援するための資金供給」が一段と後押しし、広島県経済のさらなる発展に繋がることを期待しつつ、私からの挨拶とさせて頂きます。
皆さま、ご清聴頂き、誠にありがとうございました。