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【講演】インフレ予想に対する我々の理解はどこまで進んだか?

English

Economic Club of Minnesotaにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年4月19日

目次

1.はじめに

本日は、ミネソタ・エコノミック・クラブでお話しする機会を頂戴し、大変光栄です。

日本経済が、1990年代半ば以降、緩やかですがしつこいデフレに悩まされてきたことは、皆様の多くがご承知の通りです。日本のデフレの原因について、立ち入ったお話しをするつもりはありませんが、明白な事実をひとつ指摘したいと思います。それは、日本のデフレは、約20年間続いたということです。長期間にわたってデフレが続く中、人々の心理にデフレマインドが定着してしまいました。すなわち、「物価は上がらない、むしろ持続的に下がるものだ」という信念が固定化してしまったということです。

残念ながら、現在、デフレは日本特有の現象とは言えません。ユーロ圏では、過去数か月間、前年比インフレ率がマイナスになっています。米国においても、ミネアポリス連銀のコチャラコタ総裁が講演等で何度か述べているように、インフレ率はFOMCの2%目標を下回っており、インフレ目標の信認に対するリスクとなっています。このように、今や先進諸国の多くが、低インフレ、ないしはデフレのリスクに直面しています。

本日は、日本からの良いニュースとして、日本銀行による「量的・質的金融緩和」(QQE)政策が所期の効果を発揮しており、日本経済はデフレの制圧に向けた道筋を順調にたどっているということをお知らせしたいと思います。「量的・質的金融緩和」は、「物価安定の目標」を達成するとの強く明確なコミットメントと、それを裏打ちする大規模な金融緩和策により、低下してしまった家計や企業のインフレ予想を2%に再びアンカーすることを狙いとする政策です。世界金融危機の後、各国の中央銀行が様々な非伝統的金融政策を採用しましたが、その中でも、「量的・質的金融緩和」の設計は、革新的と言ってよいかと思います。日本銀行の「量的・質的金融緩和」によって、日本経済がデフレからの脱却を果たすことで、革新的な金融政策がデフレを克服することができるというリーディング・ケースを示したいと考えています。

インフレ予想をアンカーすることの重要性は広く共有されていますが、一方で、日本銀行が「量的・質的金融緩和」を遂行する間、学界においても中央銀行の実務においても、インフレ予想に関する様々な課題について、いまだ研究の余地があると感じています。そうした問題意識を踏まえ、本日、インフレ予想を巡る3つの課題を中心にお話ししたいと思います。具体的には、順に、(1)インフレ予想をどのように計測するか、(2)インフレ予想の形成メカニズム、(3)政策対応、の3題になります。

2.インフレ予想を巡る3つの論点

インフレ予想をどのように計測するか

インフレ予想について考える時、まず思い浮かぶのは、どのように計測するのかという問題です。インフレ予想自体は、そもそも観察不可能なものですが、多くの関連指標を活用することは可能です。インフレ予想に関する指標は、大きくは2種類に分かれます。すなわち、マーケット指標とサーベイ指標です。マーケット指標は、市場参加者の集約された見方を示すものです。よく知られたものとして、物価連動国債の利回りから計算される、ブレーク・イーブン・インフレ率があります。こうしたマーケット指標は、高い頻度で観察可能なこともあり、有益な情報を提供してくれるものです。他方、サーベイ指標についても、独自の強みがあります。例えば、サーベイ指標では、個別の回答が分かるため、その分布の変化を時間を追って調べることができます。予想が大きく変化しているような時期には、金融政策の運営上、こうした情報は非常に重要になってきます。

この点に関連して、いわゆる「ボルカー・ディスインフレ」を思い出して頂ければと思います。グレゴリー・マンキューらは、インフレ予想を問うミシガン大学のサーベイに対する回答を分析したうえで、ボルカー・ディスインフレの間、それぞれの家計が、必ずしも一様に予想を変化させていた訳ではないと指摘しています。新しい政策レジームが公表された1979年以前は、同サーベイのインフレ予想の分布は、単峰型(釣鐘型)の形状でした。強力な金融引き締めが開始された後、インフレ予想の分布は全体に左方向にシフトしつつ、ばらつきが増していきました。つまり、インフレ予想についての回答者の見方が割れるようになったのです。当時の政策レジームの移行期間には、インフレ予想の分布は、一時的に双峰型(双コブ型)の形状を示したことも、マンキューらの研究では指摘されています。これは、政策のレジームの変化を信じる人々と信じない人々という2つのグループの異なる予想を反映したものと考えられています。その後、時間の経過とともに、インフレ予想の分布は、ボルカー議長による新たな政策レジームの導入以前と比べて最頻値が低下する格好で、新しい単峰型の形状に収束しました。

では、日本の過去2年間において、家計を対象としたサーベイ調査から、どのようなことが分かるか、興味をお持ちになるかも知れません。日本の家計のサーベイ調査(「生活意識に関するアンケート調査」)の動きから分かったことは、過去2年間、回答者のインフレ予想のばらつきは、徐々に小さくなってきたということです。日本の家計は、むしろ、将来的に物価は毎年2%上昇するだろうという見方で一致する傾向が強まっています(図表1)。

日本銀行は、多様な情報を収集し、インフレ予想をより正確に計測しようと不断の努力を重ねてきました。家計を対象とするサーベイ調査はその一環です。さらに最近では、長い歴史を持つビジネス・サーベイである短観に、企業の物価見通しに対する設問を追加したところです。データの蓄積に伴い、これらの調査から得られる有益な情報を用いて、インフレ予想をより良く理解することに繋がると考えています。

インフレ予想の形成メカニズム

企業や家計は、様々な情報に基づいてインフレ予想を形成します。その中には、中央銀行が設定したインフレ目標のほか、現在や過去の実際のインフレ率などが含まれます。不思議にも思えることですが、インフレ予想がどのように形成されるのか、そのメカニズムについて、十分に研究されているとは言い難い状況です。金融政策を適切に立案していくためには、期待形成のメカニズムについてのより深い理解が必要です。

興味深い話題をひとつ紹介したいと思います。ボストン連銀のジェフリー・ファーラーは、米国の時系列データを用いた最近の研究において、先行き4四半期のインフレ予想の変化のうち、およそ40%は、過去の実際のインフレ率の動きで説明できると述べています。ファーラーの研究と類似の誘導型の回帰分析を、日本のデータに適用すると、過去のインフレ率のインフレ予想の変化に対する説明力は、米国よりも高いという結果が得られやすいことが分かっています。日米間の対照的な結果は、米国において、インフレ予想が、よりしっかりとアンカーされている、すなわち、過去のインフレ率の影響を受けにくいということを示唆していると考えられます。

ファーラーの分析結果の示唆として、人々は、自らのインフレ予想を現実のインフレ率を観察しながらアップデートして行くということが言えます。インフレ予想の動学特性をより良く理解するため、人々がどのようにインフレ予想を更新していくか調べる際、「ベイズの定理」や「ベイズ更新」の考え方を適用してみることが有用かもしれません。ベイジアンの方法論を用いれば、中央銀行が設定したインフレ目標——日本銀行や主要先進国の中央銀行が設定している2%がその好例です——が、人々の間で、どの程度、信認を得ているか、その信認の度合いを調べることができます。日本の経験に照らして申し上げると、「量的・質的金融緩和」の導入以来、様々な予想物価上昇率の指標が、実際の消費者物価(CPI)とともに上昇してきました。こうしたインフレ予想と実際のインフレの動きの背景で、典型的なベイズ更新が働いてきたと解釈することができます。平たく言えば、日本銀行による前例の無い2%の「物価安定の目標」に対する強いコミットメントが、その初期の時期において、目標インフレ率に対する信認をある程度高めたということになります。これをベイズ統計論の用語で言い換えますと、コミットメントが、長期的なインフレ率に関する「事前の信念(prior beliefs)」の形成に影響を与えたということになります。その後、実際のCPIインフレ率が持続的に上昇するもとで、人々の長期的なインフレ率に対する信念は、より強まりました。これは、「長期的なインフレ率は2%である」ということのもっともらしさ——尤度(likelihood)——が高いと認識されてきたことを意味します。尤度が高まるということは、すなわち、当初の認識と比べれば、日本銀行が2%のインフレ率を達成する確率が高まったと考えるようになったという意味で、人々が予想を変化させたということにほかなりません。ベイズ統計論の用語で言えば、こうした変化を「事後の信念(posterior beliefs)」が更新されたと表現します(図表2)。

今述べたような、「事前の信念」、「尤度」、「事後の信念」という3者の間でのフィードバックは、ベイズ更新の基本的なメカニズムです。「量的・質的金融緩和」の波及経路に即して言えば、まず、強いコミットメントが2%の目標に対する人々の事前の信念を高め、その後、実際のインフレ率の上昇が観察されるにつれ、次第にインフレ予想も更新されていったということが言えます。このように、ベイズ更新のプロセスは、日本におけるインフレ予想と実際のインフレ率について、現実に起きていることをよく説明することができます。「量的・質的金融緩和」のメカニクスは、ある種の学習過程(learning-by-doing process)として解釈すると上手く理解することができると言ってもいいでしょう。今後、こうした方向性で、さらに研究が進んで行くことを期待したいと思います。

政策対応

米国の連邦準備制度(FED)を含め、多くの中央銀行が高インフレと闘っていた1980年代以降、中央銀行はインフレとの闘いに勝利を収めるに至る訳ですが、この間、事実上の広義のインフレ目標政策の採用が果たした役割は、決して小さくはありません。同時に、単にインフレ目標が設定されたというだけではなく、実務において政策ツールが注意深く用いられたことや、効果的なコミュニケーションなども重要な役割を果たしたことを十分に認識しておく必要があります。1979年のボルカー議長による有名な講演、「試練の時(A time of testing)」には、往時のボルカー議長が、FEDとアメリカ世論との間でのコミュニケーションを改善しようとしたその努力が色濃く反映されています。当時、ボルカー議長は、高い失業率に対峙しつつ、インフレを抑制するという困難に直面していました。

1980年代のFEDのケースとは異なり、現在の日本経済は、失業率ではなく、名目金利のゼロ制約に縛られながら、どのようにインフレ予想を引き上げるかという試練に直面しています。試練の中身こそ違え、米国においても日本においても、それぞれの中央銀行は、「目標重視の政策対応(goal-oriented policy)」を、最も適切な選択肢として選びました。では、日本銀行が対峙している試練の中身について、もう少し、詳しくお話ししたいと思います。

3.「量的・質的金融緩和」の理論と実践

冒頭で述べたように、日本では、過去約20年間にわたってデフレが続く中、デフレマインドが定着してしまいました。こうした状況を打開し、2%の「物価安定の目標」を実現するために、日本銀行は、「量的・質的金融緩和」政策の実行に踏み切りました。この政策は2本の柱から成り立っています。第一に、2%の「物価安定の目標」に対する明確なコミットメントです。すなわち、(a)2年程度の期間を念頭に置いて、消費者物価の前年比でみた2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現する、さらに、(b)「物価安定の目標」を安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続するというものです。政策の第二の柱は、こうしたコミットメントを裏打ちする大規模な金融緩和です。具体的には、日本銀行は巨額の国債買入れを行うことで、イールドカーブ全体の金利低下を促しています。実際、日本銀行による資産買入れの規模は、米国のLSAP(Large-scale asset purchases)と比べても、これを大きく凌駕するものです。米国のマネタリーベース対GDP比は20%程度になっていますが、日本では同比率は、既に約55%にまで達しています。

インフレ予想が上昇することに伴って、実質金利が一段と低下する余地が生じました。このことは、名目金利のゼロ制約は、中央銀行が金融政策を通じて実質金利に影響を及ぼすという能力にとって、乗り越えられない制約条件ではないということを意味しています。低下した実質金利は、個人消費や設備投資など民間需要を刺激しています。さらに、こうした民間需要の増大は、マクロ的な需給ギャップの改善と、現実のインフレ率の高まりをもたらしました。インフレ率の上昇を実際に経験した人々は、日本銀行が2%の物価安定目標を達成するだろうとの見込みについての確信度合いを高めました。「量的・質的金融緩和」政策の導入後の2年間、こうした前向きの好循環が働いてきたのです。

このようなメカニズムを通して、「量的・質的金融緩和」は、所期の効果を発揮しています。その結果、「量的・質的金融緩和」導入前、マイナス0.5%程度だったCPI前年比は、同政策の開始数か月後にはプラスに転じ、その後、1年以上にわたって+1%近傍で推移しました。ごく最近では、原油価格の大幅な下落を受け、CPI前年比はゼロ%程度まで低下していますが、基調的な物価上昇率が著しく改善したことに疑問の余地はありません。

4.おわりに

いったん定着してしまったデフレマインドですが、現在では、これが転換しつつあることを示す指標が多く確認できます。最近の労働市場での動きは、その好例と言っていいでしょう。日本の労働市場には、労使間の賃金交渉に「春闘」と呼ばれる独特の慣習があります。春闘は、古くから実施されており、毎春、業界横断的に一斉に交渉が行われます。春闘の慣習の始まりは、1950年代まで遡ると言われています。もっとも、1990年代から、すなわち、約20年間にわたって、交渉の結果としての基本給の引き上げ(ベースアップ)はゼロが続いていました。しかし、2014年の春闘では、多くの企業で約20年振りにベースアップが実現し、今年はさらに多くの企業でベースアップの実現が見込まれています。

最近の労働市場での動きは、20年にわたる日本のデフレが終わりつつあることを示すひとつの証左です。「量的・質的金融緩和」によって、まさに「山が動く」瞬間を、我々は目撃しつつあります。日本がデフレを克服し、予想物価上昇率を再び望ましい水準にアンカーすることが出来れば、——実際にそうした動きは進んでいる訳ですが——日本経済だけでなく、世界の金融政策の歴史においても、重要な足跡を残すことになると考えています。

ご清聴ありがとうございました。