【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営
札幌市金融経済懇談会における挨拶
日本銀行副総裁 岩田 規久男
2015年5月27日
目次
1.はじめに
日本銀行の岩田でございます。本日はお忙しい中、当地の行政および金融経済界を代表する皆さまとの懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆さまには、日頃から日本銀行札幌支店や旭川事務所をはじめ、私どもの業務運営に様々なご協力を頂いております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。
本日は、皆さまから、当地経済の実情に関するお話や、私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。
議論の皮切りとして、まず私から内外の経済情勢について簡単にご説明した後、金融政策運営を巡る話題についてお話ししたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
2.日本経済の現状と先行き
日本経済は、家計・企業の両部門において、所得から支出へという前向きの好循環メカニズムが作用する中で、緩やかな回復を続けています。以下では、こうした判断の背景や先行きの見通しについて、輸出と生産など企業部門、雇用・所得環境と個人消費など家計部門の順に、もう少し掘り下げてお話しします。
(1)企業部門
まず、輸出については、海外経済が回復するもとで、為替円安の効果にも支えられて、このところ持ち直しています(図表1)。とくに、米国向け輸出は、現地の設備投資の回復を反映した資本財・部品の増加や自動車関連の持ち直しから、はっきりとした増加を続けています。
今後の輸出を見通すうえでポイントとなる世界経済は、先行き、先進国が堅調な景気回復を続け、その好影響が新興国にも徐々に波及する中で、緩やかに成長率を高めていくとみています。先月IMFが公表した見通しをみても、2014年に3.4%の伸びとなった後、2015年は+3.5%、2016年は+3.8%と、全体として緩やかに成長率を高めていく姿となっています(図表2)。
地域別に詳しくみますと、牽引役が期待される米国では、悪天候などの影響もあり、1〜3月の実質GDP成長率は大きく減速しました。もっとも、良好な雇用・所得環境などを背景に個人消費が冬場の落ち込みからリバウンドしているなど、家計支出に支えられたしっかりとした回復基調が続いています。先行きも、堅調な家計支出を起点に、民間需要を中心とした成長が続くと見込まれます。また、回復のモメンタムが弱い状態が続いていた欧州でも、原油安や株高の効果もあって個人消費がこのところはっきりと増加しているほか、ユーロ安による輸出や企業業績の改善から企業マインドや生産活動は上向いています。今後も、ユーロ安やECBの金融緩和の効果が浸透していくもとで、緩やかな回復が続くと考えられます。一方、新興国に目を転じると、中国では、固定資産投資の減速や在庫調整の継続を背景に、成長のモメンタムが鈍化しています。もっとも、先行きは、当局による景気下支え策の効果も見込まれることから、成長ペースを幾分切り下げながらも、概ね安定した成長経路を辿るとみています。その他の新興国・資源国は、全体として勢いを欠く状態が続いていますが、先進国の景気回復の好影響が波及していくことなどから、今後は成長率を徐々に高めていくと考えています。
以上をまとめますと、先行きの世界経済は、先進国を中心に緩やかな回復を続け、そのもとで、わが国の輸出は緩やかに増加していくと考えています。もちろん、米国経済の成長ペース、ギリシャ問題を含めた欧州における債務問題の展開、新興国・資源国の動向、地政学的リスクなど、様々な不確実性には引き続き十分注意する必要があると思っています。
このように輸出が持ち直し、後ほどご説明するように個人消費も底堅く推移する中で、生産は持ち直しています。企業収益は過去最高水準まで増加しており、企業の業況感は総じて良好な水準で推移しています(図表3)。こうしたもとで、3月短観で示された企業の2015年度事業計画では、企業収益は全体として増益が続く見通しとなっており、設備投資についても、この時期としては、前向きなスタンスが維持されています。このように、企業部門では、企業収益の改善が続くもとで設備投資が緩やかな増加基調を続けるという、前向きな循環メカニズムが今後も働くと見込まれます。
(2)家計部門
次に、家計部門をみると、企業部門の好調さが、労働需給の引き締まりとそれに伴う雇用・所得環境の改善に繋がっています。失業率は3%台半ばまで低下しており、雇用に対する企業の見方をみても、人手不足感が一段と強まっています(図表4)。こうした労働需給のタイト化を反映して、名目賃金は、振れを伴いつつも、緩やかに上昇しています。このように、名目賃金が上昇し、雇用者数も増加していることから、両者の掛け算である雇用者所得は緩やかに増加しています。
雇用・所得環境が着実に改善するもとで、個人消費は、一部で鈍さがみられていましたが、このところ改善基調が徐々に明確になっています。先週公表されたGDP統計の個人消費をみても、3四半期連続での増加となるなど、底堅さが確認されたところです。また、消費者マインドも、持ち直しが明確になってきています。先行きについても、今春の賃金改定交渉において、多くの企業で昨年を上回るベースアップを含む賃上げが実現する見通しとなるなど、雇用・所得環境の着実な改善が続くとみられ、そのもとで、個人消費は、引き続き底堅く推移すると判断しています。
以上ご説明したように、わが国経済では、先行きも、国内需要が堅調に推移するとともに、輸出も緩やかに増加していくと見込まれることから、企業、家計の両部門において、所得から支出への前向きの循環メカニズムが持続すると考えています。そのもとで、2015年度から2016年度にかけて、潜在成長率を上回る成長を続けると予想しています。その先の2017年度にかけては、消費税率引き上げ前の駆け込み需要とその反動などの影響を受けるとともに、景気の循環的な動きを映じて、潜在成長率を幾分下回る程度に減速するとみられますが、プラス成長を維持するとみています。先月公表した「展望レポート」における実質GDP成長率の見通しで申し上げると、2015年度は+2%程度、2016年度は+1%台半ば、2017年度は0%台前半と予想しています(図表5)。
3.金融政策運営とわが国の物価情勢
続いて、金融政策運営とわが国の物価情勢についてお話ししたいと思います。
(1)金融政策のレジーム転換
日本銀行は現在、長年にわたるデフレの中で人々の意識に定着してしまった「デフレマインド」を「緩やかなインフレマインド」へと転換すること、言い換えると、「物価の緩やかな上昇が継続することを前提に人々が行動するような状況」を作り出すことを意図した政策を進めています。
具体的には、まず2013年1月に、消費者物価の前年比上昇率2%という「物価安定の目標」を設定しました。所謂「インフレーション・ターゲティング(インフレ目標政策)」の導入です。
そして、この物価安定目標の実現に向けて、2013年4月以降、「量的・質的金融緩和」と呼ばれる強力な金融緩和を進め、2014年10月には、これをさらに拡大する措置も講じたところです(図表6)。
こうした大胆な政策には、金融政策運営の基本的な考え方(レジーム)が転換したことを国民の皆さまにはっきりと示し、そのことを前提に各自の経済行動を変えて頂きたいという意図が込められています。いわば、「ゲームのルールが変わりました」という宣言です。
(2)早期実現へのコミットメント
実は、日本銀行はそれ以前にも、金融政策の歴史におけるフロントランナーとして、ゼロ金利政策や量的緩和の導入など、「非伝統的」とも形容される様々な金融緩和措置を講じてきました。これらはいずれも非常にパワフルな政策ツールであり得たにもかかわらず、結果として、デフレからの脱却を果たすほどの力を発揮するには至りませんでした。
この理由についての分析は百家争鳴の感がありますが、私としては、「金融政策によってデフレは克服できる」という政策当局としての信念と、その実現に向けたコミットメントが十分でなかった、言い換えると、金融政策のレジーム転換が不十分だったために、家計・企業・金融機関など民間経済主体のマインドの転換が進まなかったことが大きな要因だと考えています。
こうした反省を踏まえ、2013年4月に「量的・質的金融緩和」を導入した際には、従来とは次元の異なる大規模な緩和措置を打ち出すとともに、目標の実現時期について、「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に」ということを申し上げました。「できるだけ早期に」というスタンスだけでなく、我々がイメージしている「2年程度」という具体的な期間まで踏み込んで提示することで、物価安定目標の早期実現に向けたコミットメントを、これまでにない強い形で示したわけです。
後ほどご説明するように、日本銀行は現在、インフレ率が2%程度に達する時期が「2016年度前半頃」になると予想しており、これは従来の想定からは多少後ずれしています。しかし、物価の基調自体は、想定した政策効果の波及メカニズムが機能する形で着実に高まっており、現時点において、物価安定目標の早期実現に向けたコミットメントを変更する考えは全くありません。
(3)インフレ率が2%に達していない理由
生鮮食品を除いた消費者物価の前年比(いわゆるコアインフレ率)の推移をみると、「量的・質的金融緩和」の導入直前に-0.5%のボトムをつけた後、消費税率引き上げの直接的な影響を除くベースで、昨年4月の+1.5%までは順調な上昇傾向を辿りました。つまり、コアインフレ率を1年余りで2.0%ポイントも押し上げたわけで、この時期は「量的・質的金融緩和」の効果が物価面ではっきりと確認できました。
もっとも、2%の物価安定目標は、現時点ではまだ達成できていません。コアインフレ率は昨年4月をピークとして徐々に低下傾向を辿り、足許では0%程度となっています(図表7)。このようにインフレ率が低下した背景には、主に二つの大きな要因があると考えています。
(1)消費税率の引き上げ
一つ目の要因は、昨年4月に実施された消費税率引き上げによる、需要の下押しです。
税率引き上げ前の駆け込み需要の反動が生じること自体は想定されていましたが、1997年4月に消費税率が3%から5%へと引き上げられた時と比べて、その影響の度合いはさほど大きくならないとみられていました。
しかし実際に生じた影響は、大方の予想よりも大きく、かつ長引きました。この要因は一概に言えませんが、低調な雇用環境が長く続いたことによる低所得者層の拡大や、高齢化の進展による年金生活者の増加も一因ではないかとみています。
もっとも、先ほどもお話ししたとおり、雇用・所得環境や企業収益の着実な改善が続く中、家計部門・企業部門ともに、所得から支出への前向きな循環メカニズムはしっかりと作用し続けており、消費税率の引き上げがもたらした需要の下押し圧力は収束しつつあります。
(2)原油価格の下落
足許のインフレ率が低下した二つ目の要因は、昨年の夏場以降に起こった原油価格の急速で大幅な下落です。
原油価格下落の影響については、どのくらいの期間を前提とするかによって見方が変わってくることに注意が必要です。すなわち、原油安によって様々な経済活動のコストが下がることは、実体経済に幅広くプラスの影響を与えますので、「長期的」にみれば、総需要の増加によって物価を押し上げる方向に作用します。しかし、そうした総需要の拡大効果が物価面に現れるまでの間、すなわち「短期的」にみれば、エネルギー価格下落の直接的な影響の方が強くなりますので、物価は一時的に押し下げられることになります。
今後の市況に左右される面はありますが、原油価格が現状程度の水準から先行き緩やかに上昇していくとの前提にたてば、今年度の後半以降、原油価格下落の「短期的」な影響は徐々に剥落していくとみています。
(4)物価の基調的な動き
このように、エネルギー関連の下押し効果とそれ以外の品目の改善効果が互いに打ち消し合うことから、当面のインフレ率は、0%程度で推移すると予想しています。
もっとも、先ほども申し上げたとおり、物価の基調的な動きは今後も着実に高まるとみられ、原油価格下落の影響が剥落するに伴って、インフレ率は目標の2%に向けて上昇していくものと思われます。
こうした物価の基調的な動きを判断するにあたっては、(1)経済全体の総需要と供給能力の差である需給ギャップ、(2)中長期的な予想インフレ率、(3)賃金や価格の決定における将来の物価上昇の織り込まれ方、といった要因を踏まえて考える必要があります。
まず、第一の要因である需給ギャップを考えてみましょう。労働需給のタイト化による所得環境の改善に加え、エネルギー価格の下落が実質所得を増加させる効果も現れてくるため、個人消費はこの先も引き続き、底堅く推移すると考えられます。企業収益が改善する中で、設備投資は緩やかな増加基調を継続すると見込まれますし、海外経済の回復や円安による下支え効果などを背景に、このところ持ち直している輸出も、緩やかに増加していくとみられます。このように、経済全体の総需要の拡大により、需給ギャップの改善傾向が続くため、物価に対する上昇圧力も次第に高まると予想されます。
第二の要因である予想インフレ率はどうでしょうか。市場で観察されるデータや各種サーベイの結果分析などを踏まえると、足許のインフレ率の低下にもかかわらず、中長期の予想インフレ率は、全体として上昇しているとみられます。先行き、実際のインフレ率が上昇すると、そのこと自体も予想インフレ率の上昇要因となるため、予想インフレ率は底堅く推移するものと考えられます。
さらに、先ほども触れましたが、この春の賃金改定交渉では、多くの企業で昨年を上回るベースアップを含む賃上げが実現する見通しにあります。企業のビジネスモデルも、「人件費を中心とするコスト削減による低価格設定」というデフレ型のビジネスモデルから、「価格引き下げに頼らず、顧客の満足度を高める新商品・新サービスの開発に注力する」というイノベーティブ型のビジネスモデルへの転換が進行しつつあるように見受けられます。こうした中で、企業の価格設定行動をみても、付加価値を高めつつ販売価格を引き上げる動きがみられています。
このように、賃金の上昇を伴いながら緩やかにインフレ率が高まっていくというメカニズムは作用し続けており、物価の基調は着実に改善しています。「展望レポート」の消費者物価の見通しで申し上げると、2015年度は+0.8%、2016年度は+2.0%、2017年度は+1.9%と予想しています(前掲図表5)。2%程度に達する時期は、原油価格の動向にも左右されますが、現状程度の水準から緩やかに上昇していくとの前提にたてば、2016年度前半頃になると予想されます。その後は、平均的にみて、2%程度で推移すると見込まれます。
4.おわりに
最後に北海道の経済についてお話しさせて頂きます。
当地経済は、中小企業に影響の大きい公共工事関連など一部に弱めの動きがみられるものの、緩やかに回復していると認識しています。最終需要面をみると、公共投資の減少という弱めの動きがある一方、外国人観光客の著しい増加が需要を下支えしています。また、消費税率の引き上げから1年以上が経過する中で、耐久消費財や住宅投資についても下げ止まってきています。この間、雇用・所得環境は着実に改善しているなど、全体として、所得から支出へという前向きな景気循環メカニズムが全国と同様にみられていると判断しています。
さて、北海道では、観光の活性化に繋がる話題に事欠きません。例えば、北海道の余市(よいち)町が好評を博したNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の舞台となったほか、来年3月には北海道新幹線の開業、さらに、その後の札幌延伸も予定されているなど、北海道への注目が高まっていくことが期待されます。また、2026年の冬季五輪に札幌市が名乗りを挙げており、世界に向けた魅力発信の機会が増えることが予想されます。
観光以外にも、北海道には、豊富な農業・水産資源を背景とした食料品関連での強みがあります。離農問題などによる生乳生産の低迷や漁業の水揚げ不振といった原料供給面の問題を抱えていると伺っていますが、北海道庁が普及を進めている機能性食品の表示制度「ヘルシーDo(ドゥー)」などを通じて、高付加価値化を図ることを期待しています。
他にも、自然災害の少ない北海道を首都圏や本州等のバックアップ拠点として活用することも新たな光の当て方だと思います。こうした取り組みは、実際に北海道への企業誘致に繋がっており、その中には、従来、北海道が弱いとされていた輸送用機械などの外需型の製造業も含まれていると伺っております。これは、北海道の産業基盤をより強固なものとすることに大きく寄与すると思います。
全国共通の課題として、人口減少や少子高齢化が指摘されておりますが、当地は全国に比べて速いペースで人口減少などが進んできた、いわば課題先進地であると言えます。このため、産・学・官・金が連携して、全国に先駆けて地方創生に向き合い、全国に通用するビジネスモデルを構築されることを期待しています。日本銀行札幌支店もこうした動きに少しでも貢献できるよう地域経済の分析を進めていきたいと考えています。
最後になりましたが、当地経済のますますの発展を心より祈念し、挨拶の言葉とさせて頂きます。
ご静聴ありがとうございました。