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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営

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大阪経済4団体共催懇談会における挨拶

日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年9月28日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、関西経済界を代表する皆様とお話しする機会を頂き、誠にありがとうございます。また、皆様には、平素より、私どもの大阪、神戸、京都の各支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。

さて、このところの経済情勢をみますと、中国を始めとする新興国経済の減速の影響から、輸出や生産に鈍さがみられています。また、金融市場では、中国株価の下落などを背景に、グローバルに振れの大きな展開となりました。この間、物価面では、消費者物価の前年比上昇率は、昨年以降の原油価格の大幅な下落の影響などから、生鮮食品を除くベースでみて、0%程度で推移しています。このように、夏場以降、やや冴えない動きが目立っていますが、これからご説明するように、日本経済のファンダメンタルズはしっかりしており、物価の基調も着実に改善しています。日本銀行が一昨年の4月に導入した「量的・質的金融緩和」は、デフレの脱却に向けて所期の効果を発揮していると考えています。

本日は、皆様との意見交換に先立ちまして、私から日本銀行の経済・物価に対する見方や金融政策運営についてお話しさせて頂きたいと思います。

2.内外経済の動向

日本経済の現状と先行き

まず、日本経済の現状と先行きについてご説明します。

わが国の景気は、輸出・生産面に新興国経済の減速の影響がみられるものの、企業・家計の両部門において所得から支出への前向きの循環が働くもとで、緩やかな回復を続けています。すなわち、企業部門では、収益が過去最高水準となっており、企業の設備投資に対するスタンスは前向きです。また、家計部門では、失業率が「完全雇用」に近い水準まで低下するもとで、2年連続でベースアップが実現するなど賃金が増加し、個人消費も底堅く推移しています。

なお、4〜6月の実質GDP成長率は、前期比で−0.3%と、3四半期振りのマイナスとなりました(図表1)。これは、このところの新興国経済の減速の影響などによる輸出の鈍さと、天候不順もあって個人消費がややもたついたことによるものです。輸出につきましては、新興国経済の減速の影響から、当面横ばい圏内の動きを続ける可能性があります。もっとも、その後は、新興国経済が減速した状態から脱していくにつれて、輸出も緩やかに増加していくとみています。

そのうえで、先行きのわが国経済については、企業・家計の両部門における所得から支出への前向きの循環メカニズムが働き続けるもとで、緩やかな回復を続けていくとみています。以下では、わが国の経済情勢をみるうえでのポイントを2点お話ししたいと思います。

堅調な国内民需

第1に、国内民需は堅調さを維持しているということです。

まず、企業部門についてです。日本企業は、グローバル金融危機以降の様々な苦境の中で、着実に収益体質を強化してきました。これに、為替の行き過ぎた円高が修正されたこと、また、昨年夏以降は原油価格が下落したことも加わって、わが国企業の収益は、グローバル金融危機前のピークを上回り、過去最高の水準で推移しています(図表2)。先行きについても、企業収益は高水準を維持する見込みです。

こうした良好な収益環境のもとで、企業の設備投資に対する姿勢は前向きです。機械受注や建築着工などの先行指標は先行きの設備投資の増加を示唆しています。各種のアンケート調査でも、企業の前向きな設備投資スタンスが確認できます。6月短観での2015年度の設備投資計画をみると、製造業大企業では、円高修正の定着を眺めた国内投資積極化の動きもあり、この時期としては2004年度以来の高水準となっているほか、中小企業でも、2000年度以降の平均とほぼ同じ水準と、相応にしっかりしています。特筆すべきことは、海外投資を優先してきた日本企業が、過度の円高が修正されるもとで、国内における投資にもウエイトを置く動きがみられることです。これは、大きな変化であるといえます。先行きについても、企業収益の明確な改善傾向と金融緩和の効果を背景に、設備投資は緩やかな増加を続けると考えています。

次に家計部門をみると、雇用の面でも企業の前向きな姿勢が継続していることから、労働需給は引き締まっています。「量的・質的金融緩和」の導入前には4%を超えていた失業率は、労働参加率の上昇と雇用者数の増加の双方を伴いながら、直近では3.3%と1997年以来の水準まで低下しています(図表3)。求人と求職には常にある程度のミスマッチが存在するため、現実には失業率が0%になることはありません。わが国における過去の求人と求職の関係から推計すると、3%台前半という現在の失業率は、求人と求職のミスマッチに起因する部分を除いてみれば「完全雇用」に近い水準です。このように労働需給がひっ迫するもとで、名目賃金は、振れを伴いつつも緩やかに上昇しています。今春の賃金改定交渉においては、多くの企業で昨年を上回るベースアップを伴う賃上げが実現しています(図表4)。また、こうした動きは、中小企業にも拡がりをみせています。このように、雇用者数が増加し、一人当たりの名目賃金が上昇していることから、両者の掛け算である雇用者所得も緩やかに増加しています。

家計支出のうち個人消費は、4〜6月の天候不順の影響などもあって、このところ一部にもたつきがみられています。もっとも、雇用・所得環境が着実な改善を続けており、消費者マインドも改善傾向にあることから、全体としては底堅さを維持していると考えています。先行きについても、今年度は、昨年と違って消費税率の引き上げがなく、原油価格は昨年対比で下落していることなどから、賃金上昇率が物価上昇率を上回り、実質賃金は増加していくとみられます。こうしたもとで、個人消費については、今後、底堅さを増していくと考えています。もうひとつの家計支出である住宅投資については、消費税率引き上げ後の反動減が続いていましたが、雇用・所得環境が着実な改善を続けるもとで、年明け以降、持ち直しが明確になっており、今後も持ち直しを続けると考えています。

輸出と海外経済の動向

第2に、輸出と海外経済の動向についてです。輸出は、昨年7〜9月期以降3四半期連続で増加してきましたが、新興国経済の減速の影響などから、このところ横ばい圏内の動きとなっています(図表5)。先行きも、当面横ばい圏内の動きが続くとみていますが、その後は、新興国経済が減速した状態から脱していくにつれて、これまでの円高修正による下支え効果もあって、緩やかに増加していくとみています。

海外経済の動向を地域別に少し詳しくみてみたいと思います。まず、米国では、家計支出に支えられた回復が続いています。1〜3月は寒波や港湾ストといった一時的な要因から成長率が大きく減速しましたが、4〜6月は明確にリバウンドして高い成長率となりました。良好な雇用・所得環境が続くもとで、成長モメンタムがしっかりとしているということができます。金融政策面で利上げが視野に入ってきていることも、米国経済がそれだけ改善していることを示すものです。欧州では、9四半期連続でプラス成長が続いており、景気は緩やかな回復を続けています。ギリシャに対する金融支援が行われたことで、国際金融市場のギリシャ情勢に対する見方もひとまず落ち着いています。先行きも、ユーロ安や金融緩和の効果が浸透していくもとで、欧州の景気は緩やかな回復を続けると考えています。

このように先進国の経済が堅調な一方、新興国経済は減速しています。まず、中国では、最近、株価が大幅に下落したことが、国際金融資本市場にも大きな影響を及ぼしましたが、この点については、それ以前の半年強の間に株価は2倍以上に上昇していましたので、行き過ぎた水準の調整という面が強かったと思います。ただ、実体経済面でも、このところ、幾分減速感が強まっているのも事実です。中国経済は、所得水準が高まる中で、経済構造が製造業中心からサービス業中心に変化していき、成長のペースも高成長から中成長へと転換していく過程にあります。その過程で、製造業における過剰投資の調整が生じていることや、政治・経済・社会面で構造改革を進める中で、地方における投資が鈍っていることなどが、このところの減速の背景になっていると考えられます。もっとも、こうした状況を受けて、当局は、財政・金融の両面から各種の景気刺激策を相次いで講じています。中国においては、財政政策や金融政策などの政策対応の余地が比較的大きいことを考えると、先行きの中国経済は、成長ペースを幾分切り下げながらも、概ね安定した成長経路を辿ると考えています。中国以外の新興国についても、中国での調整の影響や世界的なIT関連需要の弱さを受けて、このところ減速しています。しばらくはそうした状態が続く可能性がありますが、先進国の経済成長の好影響が及んでいく中で、景気刺激策による内需の持ち直しもあって、次第に成長率を高めていくとみています。

このように、メインシナリオとしては、海外経済については、先進国を中心に緩やかな成長を続け、新興国経済も減速した状態から脱していくと判断しています。そのもとで、わが国の輸出は、当面横ばい圏内の動きを続けた後、緩やかに増加していくと考えています。もとより、新興国経済の動向や国際金融資本市場の展開などのリスク要因については、十分に注意を払っていく必要があると考えています。

3.わが国の物価情勢

続いて、わが国の物価情勢についてお話しします。

消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、「量的・質的金融緩和」導入直前の−0.5%から、昨年4月には消費税率の引き上げの影響を除くベースで+1.5%まで高まりました。しかし、消費税率引き上げ後、個人消費の弱めの動きが続いた中で、昨年夏以降、原油価格の大幅下落が生じた結果、消費者物価の前年比上昇率は低下し、本年入り後は0%程度で推移しています(図表6)。

ヘッドラインの物価が上昇していないのは、エネルギー価格が消費者物価の下押しに寄与しているためです。その影響により、消費者物価の前年比は最近では−1%ポイント程度押し下げられています。しかし、原油価格が下落を続けるのでない限り、先行きエネルギー価格が消費者物価の前年比に与えるマイナスの影響は、いずれ剥落していきます。単純な計算ですが、この影響がなくなるだけで、消費者物価の前年比は、現在と比べて1%ポイント程度高まることになります。

また、エネルギー価格下落の影響により見えにくくなっていますが、この間も、物価の基調は着実に改善しています。たとえば、生鮮食品とエネルギーを除く消費者物価の前年比は、2013年10月以来23か月連続でプラスとなっており、直近8月は+1.1%まで上昇しています。物価の基調が着実に改善している背景としては、企業や家計の物価観が変化していることがあると考えています。

企業や家計の物価観の変化は、賃金改定や価格設定の動きとして現れています。まず、賃金改定については、昨年春の労使交渉で約20年振りにベースアップが復活し、本年も多くの企業で昨年を上回るベースアップが実現しています(前掲図表4)。ベースアップを行う企業は昨年よりも増加しているほか、業種や企業規模にも拡がりがみられています。また、価格設定の動きをみると、仕入価格や人件費の上昇を販売価格に転嫁する企業が増えてきています。家計の側でも、賃金の上昇あるいはその期待を背景に、そうした価格転嫁の動きを受け入れ始めているようにみられます。実際、今年度に入ってからは、価格改定の動きに拡がりと持続性がみられています。例えば、消費者物価(除く生鮮食品)を構成する品目のうち、上昇した品目数から下落した品目数を差し引いた指標をみると、本年度入り後の上昇が顕著であり、最近では2000年以降で最も高い水準となっています(図表7)。さらに、東大や一橋大が食品や日用品の価格を集計して作っている価格指数をみると、4月以降、前年比ではっきりとしたプラスに転じており、その後もプラス幅の拡大傾向が続いています。昨年も、多くの企業が新年度に価格改定を試みましたが、消費税率引き上げ後の需要低迷を受けて、ほどなく撤回を余儀なくされました。今年は、それとは対照的な動きとなっています。このように、ベースアップと価格改定の動きとが軌を一にして本格化していることは、わが国においても、雇用・賃金の増加を伴いながら、物価上昇率が緩やかに高まっていくという循環メカニズムが作用していることを示すものであると捉えています。

以上を踏まえますと、先行きの消費者物価の前年比は、当面0%程度で推移するとみられますが、物価の基調が着実に高まり、原油価格下落の影響が剥落するに伴って、「物価安定の目標」である2%に向けて上昇率を高めていくと考えられます。2%程度に達する時期は、「2016年度前半頃」と予想していますが、原油価格の動向によって前後する可能性には留意する必要があります。

4.金融政策運営についての考え方

現在、日本銀行は、2%の「物価安定の目標」が安定的に持続する状態を目指して「量的・質的金融緩和」を推進しています。実際の物価上昇率は、様々な一時的な要因に影響されて変動しますので、2%を「安定的」に実現するためには、物価の基調的な動きが重要になります。この点、先程ご説明したように、物価の基調は着実に改善していると考えています。ただし、2%の「物価安定の目標」の実現に向けては、雇用・賃金の増加を伴いながら、物価上昇率が高まっていくという循環メカニズムが、一層強まっていく必要があると考えています。

日本銀行としては、今後も、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続していきます。その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、仮に何らかのリスク要因によって物価の基調的な動きに変化が生じ、「物価安定の目標」の早期実現のために必要と判断すれば、躊躇なく調整を行っていく方針に変わりはありません。

5.おわりに

最後に、以上を踏まえて、日本経済の好循環を確実にするうえで、最も重要と思われるポイントを申し上げます。企業は今や史上最高益を享受し、労働市場は完全雇用の状態にあります。これが、将来の経済成長と賃金・物価の上昇に繋がっていく道筋は、経済のメカニズムからみて当然のことですし、私もそう考えています。ただ、程度の問題として「これだけの収益水準の割には設備投資や賃金の伸びが鈍い」と言われることもまた事実です。その背景には、長く続いたデフレのもとで、企業や家計のマインドセットの転換に時間がかかっているということがあると考えられます。だからこそ、日本銀行は、デフレからの脱却と2%の「物価安定の目標」の実現に強くコミットし続けます。そして、別の機会に何度か申し述べたとおり、2%が安定的に実現した世界では、当然、これほどの低金利環境は続きませんし、人手の確保はより困難になるはずです。現在の収益を使って将来のための行動に移るタイミングには早い者勝ちの面があり、おそらく皆様方の間でもいち早くそうした行動を起こされている方々がおられることでしょう。経済のメカニズムは必ず貫徹しますし、その中で日本銀行は役割をきっちりと果たす、とお約束して私からの話を終えたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。