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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営

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名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶

日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年11月30日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、中部経済界を代表する皆様とお話しする機会を頂き、大変嬉しく存じます。また、皆様には、平素より、名古屋支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。

このところの経済情勢をみますと、中国をはじめとする新興国経済の減速の影響が、わが国の輸出や生産に現れています。しかしながら、これからご説明するように、日本経済のファンダメンタルズはしっかりしており、わが国の企業や家計を取り巻く環境は、数年前に比べて大きく好転しています。また、物価の基調も着実に改善しています。日本銀行が一昨年4月に導入した「量的・質的金融緩和」は、デフレの脱却に向けて所期の効果を発揮していると考えています。

本日は、日本銀行の経済・物価見通しや金融政策運営の考え方をご説明するとともに、デフレ脱却に向けてわが国経済に残された課題についてお話ししたいと思います。

2.わが国の経済・物価情勢

まず、わが国の経済・物価情勢についてお話しします。

経済情勢

このところ中国をはじめとする新興国経済の減速が明確になってきており、わが国の輸出や生産にも影響を及ぼしています。こうした海外経済の減速も踏まえ、先月末に公表した「展望レポート」では、2015年度の実質経済成長率の見通しは、7月時点の1.7%から1.2%へと下方修正しました(図表1)。

もっとも、国内経済のファンダメンタルズは良好であり、日本経済は緩やかな回復を続けています。7〜9月の実質GDP成長率は、在庫調整の進捗を主因に、小幅ながら2四半期連続のマイナス成長となりましたが、最終需要は全体として増加している姿が確認されました。

まず、企業部門については、好調な収益環境のもとで、前向きな設備投資スタンスが維持されています。企業収益は、全体として過去最高水準に達しており、設備投資計画も堅調です。例えば、9月短観における2015年度の事業計画は、全規模全産業の設備投資計画が前年比+6.4%と高めの伸びとなっており、前回6月時点からさらに上方修正されています。

家計部門については、雇用・所得環境が着実に改善しており、これが個人消費の底堅さに繋がっています。労働市場をみると、有効求人倍率は、足もとでは1.24倍と1992年以来の高水準となっているほか、失業率も3.1%と1995年以来の水準まで低下するなど、需給の引き締まりが続いており、「完全雇用」に近い状況です。短観の雇用判断DIをみても、企業の人手不足感は一段と強まっており、輸出や生産のもたつきにもかかわらず、労働需給のひっ迫が続いている姿が窺われます(図表2)。

企業収益が過去最高水準で推移し、労働需給のタイト化が継続するもとで、賃金には上昇圧力が生じています。所定内給与は、2年連続でベースアップが行われたこともあり、年初来3四半期連続で前年比プラスとなっているほか、各種のアンケート調査などをみると、夏のボーナスも、大幅な増加となった昨年の水準を更に上回ったようです(図表3)。こうした雇用・所得環境の着実な改善を背景に、7〜9月の個人消費は前期比プラス成長となりました。より最近のヒアリング情報なども合わせてみますと、個人消費は底堅く推移していると判断しています。

以上のような企業・家計の両部門における前向きの循環メカニズムのもとで、先行きのわが国経済は、本年度から来年度にかけて、1%台前半から半ば程度の実質成長を続けると予想しています。これは、現在、「0%台前半ないし半ば程度」とみられる潜在成長率を上回る水準です。

物価情勢

次に物価情勢です。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、「量的・質的金融緩和」導入直前の−0.5%から、昨年4月には消費税率の引き上げの影響を除くベースで+1.5%まで高まりました。しかし、昨年夏以降、原油価格の大幅下落などが生じた結果、消費者物価の前年比上昇率は低下し、このところ0%程度で推移しています(図表4)。

もっとも、エネルギー価格の影響を除いてみると、物価の基調は着実に改善しています。たとえば、生鮮食品とエネルギーを除くベースでみた消費者物価の前年比は、「量的・質的金融緩和」導入以前はマイナスで推移していましたが、13年10月にプラスに転じました。その後は25か月連続でプラスを継続しており、今年10月には+1.2%まで上昇しています。このように物価上昇が持続するのは、90年代後半に日本経済がデフレに陥って以来、初めてのことです。また、東大や一橋大が食品や日用品などの価格を集計し、日次や週次で速報している価格指数をみても、本年4月以降、プラス幅の拡大傾向が続いています。さらに、消費者物価を構成する品目のうち、上昇した品目数から下落した品目数を差し引いた指標は明確に上昇するなど、価格改定の動きには、拡がりと持続性がみられています(図表5)。

なお、このところの物価上昇について、エコノミストなどの間で「もっぱら既往の為替円安に伴う輸入物価の上昇を通じた一時的なものに過ぎず、物価の基調が改善しているとは言えない」との声も聞かれます。円安に伴う輸入物価の上昇が消費者物価の上昇に寄与していることは確かですが、先程申し上げた通り、価格改定の動きは、こうした品目に限定されている訳ではなく、拡がりがみられています。また、このところの物価上昇のサイズと持続性は、ともに円安の効果だけで説明できるものではなく、その背後には、雇用・所得環境の改善と、企業や家計の物価観の変化があると考えるのが合理的です。

先行きの物価情勢については、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、エネルギー価格下落の影響から、当面0%程度で推移するとみられますが、物価の基調が着実に高まり、原油価格下落の影響が剥落するに伴って、2%の「物価安定の目標」に向けて上昇率を高めていくと考えられます。2%程度に達する時期は、原油価格の動向によって左右されますが、原油価格が現状程度の水準から緩やかに上昇していくとの前提にたてば、2016年度後半頃になると予想しています。

3.新興国経済の動向と日本経済への影響

こうした見通しに対するリスクとしては、中国をはじめとする新興国経済の減速とその影響が挙げられます。世界経済を見渡すと、先進国が堅調に推移する一方、新興国・資源国が減速するというコントラストが鮮明になっています。

このうち中国経済は、製造業では弱い動きが続いていますが、非製造業は好調を維持しています(図表6)。また、本年前半の中国経済の弱さの一因となった地方財政の支出についても、中央政府の指示や地方財政の資金繰り緩和策などを受けて、最近は伸びを高めています(図表7)。こうした政策対応の効果もあり、本年末から来年初にかけて、成長率は高まる方向にあると考えられます。もとより、過剰設備問題などの構造的な問題を抱える中で、中国経済の先行きには不確実性がありますし、中国経済が持ち直したとして、それが他の東アジア諸国の経済をどの程度押し上げるかという点にも不透明な部分は残ります。また、新興国経済全体としてみても、ごく最近では東アジアのIT関連財の生産などに持ち直しの兆しがみられる一方、資源価格は低迷し、資源国経済には厳しい状況となっているなど、依然として区々の動きが続いています。

こうした新興国経済の減速の影響から、わが国の輸出や生産が冴えないにもかかわらず、企業収益が増加を続けるというのは、過去の景気回復局面ではあまりみられなかった現象です。逆に言えば、それだけ日本経済のファンダメンタルズが外的なショックに対する耐性―英語で言うところのresilience―を強め、安定感を増しているということを意味しています。その背景としては、原油価格の下落や過度の円高の是正といった外部環境の好転に加え、今次局面の特徴として、非製造業が堅調に推移していることがあります。つまり、国内において所得から支出への前向きな循環メカニズムがしっかりと作用していることが、日本経済の現在のresilienceに繋がっていると考えています(図表8)。

こうした点を踏まえたうえで、仮に新興国経済がさらに減速した場合のわが国経済への影響について考えますと、輸出・生産の減少が企業収益の減少に繋がり、それが設備投資の減少をもたらすというリスクはそれほど大きくないと思います。企業収益の水準は極めて高く、多少の輸出・生産の下振れは十分吸収可能と考えられるためです。一方で、新興国経済を巡る不透明感の高まりが、わが国企業のコンフィデンスを悪化させ、設備投資や賃金設定の慎重化に繋がるリスクは、意識しておく必要があります。企業のコンフィデンスは、前向きになっているとはいえ、なお十分に高いとは言えません。この点は、この後すぐに申し述べます。

4.ポスト・デフレ時代を展望して

以上をまとめますと、日本経済は緩やかな回復を続けており、物価の基調も着実に改善していますが、新興国経済の動向などのリスク要因には十分注意する必要があると考えています。金融政策運営の面では、「量的・質的金融緩和」は、所期の効果を発揮しており、日本銀行は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続します。今後とも毎回の金融政策決定会合において、経済・物価の現状と先行き、様々なリスク要因、金融資本市場の動向などを十分吟味し、政策判断を下していきます。そして、2%の「物価安定の目標」の早期実現のために必要と判断すれば、躊躇なく対応します。

さて、最後に、デフレ脱却と企業経営について、申し述べたいと思います。先般の大阪での経済界の皆様との懇談の場や、東京での講演などで、私は「程度の問題として、企業収益が歴史的な高水準となっている割には、設備投資や賃金の伸びがやや鈍いという印象が否めません」と申し上げました。誤解のないように付け加えますが、私が申し上げているのは、それが日本経済全体のために必要だというだけではなく、自社の利益に繋がるはずだということです。すなわち、日本経済がデフレを脱却し、2%の物価安定のもとでの持続的成長という新しいステージに入っていくのであれば、今のうちにデフレ期のマインドセットを転換し、人材や設備への投資を進めることが勝ち残るための必須の条件になります。

この文脈で日本銀行が申し上げたいことは、ただひとつ、「デフレからの脱却と2%は確実に実現する」ということです。それも「できるだけ早期に」です。私どもは、賃金上昇を伴うかたちで物価がバランスよく上昇する姿を実現したいと思っています。しかし、そのことは、賃金が上がるペースをみながら物価の上昇に向けた手を緩めたり早めたりするということを意味しません。物価と賃金は、理論的にも実証的にも概ねパラレルに動くものです(図表9)。物価目標の実現をゆっくりやっていれば、賃金の調整もゆっくりになるだけです。これは結局は、「卵が先か鶏が先か」という問題であって、デフレという「竦み(すくみ)」の状況を打破するには、誰かが断固たる決意を持って物事を変えなければなりません。そしてそれが、物価の問題である以上、まず行動すべきは日本銀行です。日本銀行は、「物価安定の目標」の実現のため「できることは何でもやる」という姿勢のもと、「量的・質的金融緩和」を推進してきました。その結果、株価、為替相場などの金融市場の状況や、企業収益の環境、失業率をはじめとする労働市場の状況などは大きく変化し、物価の基調は明確に変わりました。「量的・質的金融緩和」導入前の2013年3月との対比でみると、この10月の消費者物価の前年比は、除く生鮮食品・エネルギーで+2.0%ポイント、除く食料・エネルギーで+1.5%ポイント上昇しています。このように、日本銀行は、2%の物価安定を早期に実現する強い意志とそれを実現する能力を持っています。

2%という物価全体の「ものさし」は提示されているわけですから、個々の価格や賃金は、それを前提として調整されることになります。実際に2%の物価安定が実現した場合、デフレ期の考え方で投資や雇用の判断、価格設定などを行っていた企業は、競争に出遅れ、不利になります。また、賃金の上昇については、労働需給や企業収益など賃上げの環境は既に十分に整っているとみていますが、この先2%の物価上昇を前提として、それにふさわしい賃上げを実現していくのは、まさに労使の役割です。

私自身、実は個々の企業の中には、新しいステージに向けた動きは既に拡がってきているとみています。特に当地は、わが国初の純国産乗用車が開発された地であり、従来から、進取の精神に富んだ経営風土にあると理解しております。折しも先日、わが国初の国産ジェット旅客機であるMRJが初飛行に成功し、新たなレジェンドが生まれました。是非、当地から前向きな企業行動の風が吹き立ち、日本経済がデフレ脱却後の新たなステージへと力強く飛び立って行くことを期待しています。

ご清聴ありがとうございました。