【挨拶】決済イノベーションとFinTech―中央銀行の視点―
第17回決済システムフォーラムにおける挨拶
日本銀行総裁 黒田 東彦
2016年3月17日
目次
はじめに
日本銀行の黒田でございます。本日は「決済システムフォーラム」にお集まり頂き、誠にありがとうございます。
1.決済イノベーションとFinTech
現在、決済分野をはじめとする各種の金融サービスに、さまざまな新しい動きがみられています。とりわけ、金融と新しいテクノロジーとが結びついたイノベーションは、最近では“FinTech”とも呼ばれ、注目を集めています。
このような新しい動きの背景には、供給側、需要側両方の要因が働いていると考えられます。
まず、供給面の要因としては、何といっても、情報通信に関連する技術革新が一段と進んでいることが挙げられます。コンピュータの情報処理能力は飛躍的な伸びを続けており、「ビッグデータ」と呼ばれるような大量のデータを、比較的短時間のうちに処理し、分析することなどが可能となっています。
さらに、このような情報技術に幅広い人々が容易にアクセスできる、インターネットやモバイル端末などのインフラも、急速に普及しています。海外では、とりわけ、銀行などを通じた既存の金融サービスが、これまで必ずしも十分に行き渡っていなかった新興国や途上国において、モバイル決済などの新しいサービスが、「金融包摂」 ―すなわち、金融サービスへのアクセスの促進― という観点から、大きな期待を集めているケースもみられます。
また、需要面でも、経済のグローバル化は一段と進み、ますます多くの取引が、国境や時差を超えて行われるようになっています。人々のライフスタイルも多様化する中で、「Eコマース」や「シェアリングエコノミー」など、新しい形の経済活動も内外で起こってきています。こうした動きを背景に、金融サービスへのニーズもますます多様化・複雑化しており、例えば週末や深夜のネットショッピングや少額の海外送金などと相性の良い決済手段などへのニーズが、新たに生まれています。さらに、「ポイントカード」など、決済に付随するさまざまな情報を活用したいといったビジネスニーズも強まっています。
このように、“FinTech”の動きの背景には、供給・需要両面の要因が働いていると考えられますが、情報技術の発達が、このように、とりわけ金融に大きな影響を及ぼすこと自体は、もともと「情報産業」としての色彩が強い金融サービス業の特質を考えれば、決して驚くべきことではありません。例えば、与信や投資、リスク管理などは、多くの「情報」の集積と分析の上に成り立っており、ここに新しい情報技術を活用していく余地が生まれます。これらの金融サービスの中でも、とりわけ決済は、「情報の伝達」がきわめて大きなウェイトを占めています。このことを考えれば、近年の情報技術革新が、とりわけ決済分野での数多くのイノベーションや新しいサービスに繋がっているのは、ある意味、当然ともいえるように思います。
2.イノベーションのメリットを享受するために
このような金融サービスのイノベーションは、金融サービスの効率化やアクセスの拡大にとどまらず、経済全体に幅広いメリットをもたらす潜在力を持つものと考えられます。
まず、金融サービスのフロンティアの拡大は、新たな経済活動の可能性を拡げることにつながります。例えば、これまで金融サービス自体にアクセスできなかった人々がモバイル決済などを使えるようになれば、さまざまなビジネスへの潜在的な顧客層は拡大し、これらの人々に向けた新たなビジネスも生まれやすくなります。また、迅速で安価、かつ時間や場所を問わずに利用できる決済手段があれば、これを活用するビジネス ―例えば、Eコマースを通じて、顧客のニーズに細かく対応しながら楽曲やソフトウェアなどを提供するビジネスなど― のフロンティアを拡げることにもつながるでしょう。
また、金融イノベーションに伴い誕生した新たな技術が、幅広い用途に応用されていく可能性も考えられます。例えば、いわゆる「デジタル通貨」の技術基盤である「分散型元帳」については、特定の主体に頼ることなく、集団の検証作業を通じて帳簿などの正しさを確保する仕組みとして、幅広い応用ができるのではないかといった関心が国際的に高まっており、実際に、株式など金融資産の移転記録や不動産登記簿の管理などへの応用が検討されています。
このように、情報技術革新を背景とする、決済をはじめとする金融面のイノベーションは、各種のビジネスとの相互作用などを通じて、経済厚生の増加や経済活動の活性化をもたらすポテンシャルを持つものと考えられます。そのうえで、このようなイノベーションの便益を最大限享受し、経済の発展に繋げていく上で、私が重要と考える点を3つほど申し上げたいと思います。
第一に、情報技術革新や人々の金融ニーズに対する高い感性です。現在のように、情報技術が急速に変化し、新しい形のビジネスが次々に生まれているもとでは、金融機関を含め、金融サービスの提供に関わる主体は、人々のニーズの変化や応用可能な技術の進歩に対し高いアンテナを持ち、新しい技術を具体的な金融サービスの提供に繋げていく積極的かつ柔軟な姿勢が、ますます求められているように思います。
第二に、業態を超えた幅広い主体によるコミュニケーションの重要性です。多様化するニーズを捉え、新しい技術も取り入れながら金融サービスを展開していく上では、金融機関と、情報技術やデータの活用などの面で優位性を持つハイテク企業やベンチャー企業など、さまざまな主体による新たなネットワークの形成や、この中での対話や協力、健全な競争などが、有益な基盤となるように思います。
第三に、金融インフラに対する人々の信頼の確保です。インターネットやモバイル端末などを通じた金融サービスが普及する中、金融インフラへの脅威も、ハッキングやサイバー攻撃など、新たな形態のものが目立ってきています。仮に、これらの脅威への対応が十分でないといった懸念が広がれば、革新的な金融サービス自体への懐疑的な見方にも繋がりかねません。したがって、新しい金融サービスを提供する主体は、新しいリスクや脅威に対しても十分な備えが求められます。この面では、暗号技術や生体認証など、セキュリティ向上に寄与し得るテクノロジーの活用も重要となるでしょう。
3.決済イノベーションと中央銀行
最後に、決済システムと日本銀行との関わりや、決済イノベーションへの日本銀行の視点について、申し述べたいと思います。
日本銀行は、最も身近な決済手段である銀行券を発行しています。また、金融機関の間での大規模な資金決済や国債の決済を担う「日銀ネット」を運営しています。いかなる資金決済も、最終的には中銀マネー ―すなわち、現金ないし中銀当座預金― を通じた決済により完結することを踏まえれば、日本銀行が提供している決済インフラは、まさに日本経済の基幹的なインフラといえます。
また、民間決済システムも含めた決済システム全体の安定性を維持し、その効率性を向上させていくことは、中央銀行としての重要な課題です。このような観点から、日本銀行は民間決済システムへのオーバーサイト活動を通じて、モニタリングや対話を行うとともに、必要に応じ、これら決済システムの安定性の確保や機能向上に向けた働きかけを行っています。
さらに日本銀行は、自らが運営する「日銀ネット」についても、その高度化を進めており、昨年10月には新しい日銀ネットを全面稼動させています。この新しい日銀ネットは、最新の情報処理技術を採用した柔軟性の高いシステムとなっており、アクセス利便性の向上も図られているなど、決済のイノベーションや新しい金融サービス提供の動きを、基幹インフラの面から十分にサポートし得るものとなっています。先月15日には、稼動時間を夜9時まで延長し、アジアのほぼ全域の日中市場、および、欧州の昼頃までの市場とのオーバーラップも実現しています。
加えて日本銀行は、国際決済銀行の決済・市場インフラ委員会など、決済システムを巡るさまざまなフォーラムへの参加などを通じて、決済システムや決済イノベーションを巡る国際的な議論に積極的に参画しています。
このような中央銀行としての立場から、日本銀行は、決済システムや決済のさまざまなイノベーションの動向について、決済の安全性、決済サービスの効率性や利用者の利便性、金融システムの安定、金融仲介や経済への影響などさまざまな観点から、大いに関心を持ってみているところです。
情報技術革新の下での決済イノベーションを、真に金融サービスのユーザーや経済にとって実り多いものとしていくためには、これまでの金融業の枠を超えた、幅広い主体によるネットワークやwin-winの関係作りなどが重要となります。日本銀行は中央銀行としての立場から、その「触媒」としての役割も積極的に果たしていきたいと考えています。日本銀行は近々、決済機構局内に新たに「FinTechセンター」を設立し、FinTechと呼ばれる新しい動きが、金融サービスの向上や持続的成長に資するものとなるよう、一段と取り組みを強化してまいります。
本日の決済システムフォーラムが、皆様にとって新たな知見や視点を得る場となり、ここでのインタラクティブなコミュニケーションが、金融市場の発展や経済活動の活性化に繋がっていくことを期待して、私からのご挨拶とさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。