【講演】頑健な金融システムの構築に向けて―金融危機後の取り組みと今後の課題―預金保険機構(DICJ)・国際預金保険協会(IADI)国際コンファレンスにおける講演の邦訳
日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年2月16日
目次
はじめに
本日は、「預金保険機構(DICJ)・国際預金保険協会(IADI)国際コンファレンス」にお招きいただき、誠にありがとうございます。
先般の国際金融危機の発生からおよそ10年が経過しようとしています。この時期をとらえ、私からは、この間に行われた金融危機の再発防止に向けた国際的な取り組みとその成果を振り返るとともに、将来にわたり、グローバルな金融システムの安定を確保していくための課題についてお話ししたいと思います。
振り返ってみると、先般の国際金融危機は、米国のサブプライム住宅ローン問題に起因するものでしたが、金融機関や投資家の損失の発生が、市場参加者間の相互不信を通じて、金融市場での著しい流動性低下を招きました。その後、2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻を経て、グローバルな金融システム全体を揺るがす危機にまで発展しました。
こうした事態に対し、各国では、積極的なマクロ経済政策の発動や金融市場に対する大量の資金供給、金融機関に対する資本増強を含む公的支援などの対応を行い、危機の連鎖的な拡大を阻止しました。あわせて、危機を再発させないための様々な取り組みを国際的な協調のもとで進めてきました。その結果、グローバルな金融システムの頑健性は、金融機関の自己資本や流動性保有の充実、中央銀行による流動性供給の拡充、金融破綻処理に関する法制度の整備やこれらにかかる当局間の連携強化などを通じて、大きく向上しています。
他方で、金融危機後、多くの先進国の中央銀行は、低成長・低インフレからの脱却を図るため、非伝統的金融政策を含め、極めて緩和的な金融政策を行ってきています。こうした政策自体は、時々のマクロ経済の状況に対応するうえで必要不可欠なものですが、同時に、長期にわたる低金利の継続が、金融機関の収益の源泉である預貸金利鞘の縮小にも繋がっています。もともと先進主要国では、金融システムを巡る構造変化などにより、金融機関の収益力に低下圧力がかかりやすい状況に直面していることもあり、金融機関の低収益性の問題は、金融システムを巡るグローバルな課題となっています。
このような認識に立って、以下では、金融危機後の金融システム強化に向けた国際的な取り組みと残された課題について、(1)国際金融規制、(2)マクロプルーデンス政策、(3)中央銀行の「最後の貸し手」機能、という3つの側面からお話しします。そのうえで、将来にわたる金融システムの安定確保を図るうえでの新たな課題である金融機関収益の問題について、私なりの考えを申し述べたいと思います。
国際金融規制の強化
最初に、国際金融規制についてお話しします(図表1)。先般の国際金融危機に至る過程では、欧米を中心に金融セクターが過度にレバレッジを高め、金融機関の自己資本の質と水準が大きく低下しました。また、多くの金融機関が短期の市場性資金調達に依存していたことも、危機の要因の一つとなりました。こうした経験を踏まえ、国際的に活動する金融機関に対して自己資本の充実を求めるとともに、安定的な流動性保有などを義務付けるバーゼルIIIが導入されることとなりました。現在まで、その詳細化に向けた議論が続けられています。
さらに、システミックに重要な金融機関に対する暗黙の公的サポートの存在がモラル・ハザードを招いたこと(いわゆるtoo-big-to-fail問題)から、これらの金融機関に対しては、資本賦課の上乗せや総損失吸収力(TLAC)の確保、経営悪化時の再建・破綻処理計画(RRP)の策定などが求められることになりました。
こうした一連の規制強化により、グローバルな金融システムの頑健性は着実に向上しています。例えば、金融機関の自己資本の水準をみると、欧米主要金融機関の自己資本比率は大幅に上昇しています(図表2)。
また、日本の金融機関についても、金融危機の直接的な影響を大きく受けることはありませんでしたが、国際的な規制強化の流れを受けて、自己資本の水準は大きく上昇しています。日本の金融機関は、日本銀行が推進している強力な金融緩和政策のもとで、貸出、有価証券投資の両面で積極的なリスクテイクを行い、経済や物価にプラスの効果をもたらしていますが、その背景の一つには、日本の金融機関が一段と充実した資本基盤を備えていることがあります。金融システムの安定が、金融政策の効果を十分に発揮させていくうえで不可欠なものであることを如実に示していると言えるでしょう。
他方で、金融規制の強化が、金融仲介活動に対する過度な制約となることは避けなければなりません。先ほど触れたように、バーゼルIIIの詳細にかかる検討はなお続けられていますが、金融機関の経営環境に関する不透明感を払拭するためにも、早期に最終化を図ることが重要と認識しています。もっとも、国際合意を得るにあたっては、規制によって最終的に求められる自己資本の水準が、金融システムの安定性維持と金融仲介機能の確保のバランスをとった妥当なものである必要があります。日本銀行としては、こうした観点も踏まえ、バーゼルIIIの最終化に向けた国際的な議論に参画していく考えです。
そのうえで、今後の課題は、規制強化が所期の効果を発揮しているか、意図せざる副作用を生じさせていないか、といった観点から、規制強化の影響を不断に検証していくことに移っていきます。例えば、レバレッジ規制などの規制強化が金融市場における流動性低下を招いていないか、規制の対象外となるシャドーバンキングの肥大化につながっていないか、といった点です。また、個々の規制は望ましいものであったとしても、規制強化が全体として、過剰な規制や規制間の不整合をもたらしていないかどうかも、重要な検証ポイントになると考えられます。これらを通じて、規制の問題点が明らかになった場合には、必要な見直しを行っていくことが適当と考えています。
マクロプルーデンス政策の枠組み整備
次に、マクロプルーデンス政策についてお話しします(図表3)。先般の国際金融危機では、金融システムと実体経済との相互作用により、金融システムの不安定性が増幅するという、プロシクリカリティの問題が表面化しました。こうした認識を踏まえ、金融システムの過熱度に応じて所要自己資本を調節するカウンターシクリカル・バッファー(CCyB)や、不動産市場の状態を踏まえて不動産担保融資における担保掛け目の水準を規制するLTV(Loan-to-value)比率規制などのマクロプルーデンス政策手段が導入されてきています。
また、マクロプルーデンス政策に関する制度的な枠組みの整備も進められています。例えば、金融システムにかかる規制・監督当局が複数にわたる国では、これらの当局間の見解を調整しつつマクロプルーデンス政策を決定・遂行するための合議体を設立する動きなどがみられています。この点、日本では、2014年に「金融庁・日本銀行連絡会」を設置し、半年に1回のペースで会合を開催してきています。この連絡会において、金融システムや金融市場を巡る諸情勢について意見交換を行うことなどを通じて、マクロプルーデンスにかかる金融庁と日本銀行の連携を一段と強化しているところです。
このように、マクロプルーデンス政策手段や制度的な枠組みの整備は進んできていますが、マクロプルーデンス政策手段を実際に、効果的かつタイムリーに運用していくことは容易な課題ではありません。まず、監督当局や中央銀行が、金融システムの過熱や停滞の兆候を適切に把握することが大前提となります。また、発動する際には、政策の発動から効果が顕現化するまでのタイムラグや、規制の対象外となっているセクターへの効果の漏出、不動産市場に関しては住宅関連税制といった他の政策領域との関係調整など、数多くの問題が指摘されています。このように、新たに導入されたマクロプルーデンス政策手段の効果については、まだ十分にテストされているとは言えず、実践と検証を積み重ねていく必要があると考えています。
いずれにせよ、マクロプルーデンス政策を担う監督当局や中央銀行には、金融システムにおけるマクロ的なリスクの蓄積状況についての分析力に磨きをかけるとともに、ミクロの金融機関行動において、金融システムの不安定化の芽が生じていないか、常時把握する力を一段と向上させることが求められます。日本銀行としても、考査・モニタリングや金融システムレポートにおける各種の分析を通じて、ミクロ、マクロの両面での実態把握力をさらに強化させていく方針です。
「最後の貸し手」機能の新たな展開
3つめに、中央銀行の「最後の貸し手」(LLR)機能の展開についてお話しします(図表4)。「最後の貸し手」機能とは、伝統的には、特定の金融機関の経営悪化が預金者の心理的な連想や決済ネットワークを通じて他の金融機関に伝播するというシステミック・リスクが生じた場合に、「支払能力はあるが流動性不足に陥った(solvent but illiquid)」金融機関に対して、自国通貨を供給することが一般的な理解とされてきました。
これに対し、先般の国際金融危機では、金融市場の参加者間でのカウンターパーティ・リスクに対する懸念と、これによる市場取引の急激な収縮がシステミック・リスクの源泉になりました。こうした状況を踏まえ、主要国の中央銀行はCPや社債の買入れなどを通じて金融市場に対して資金供給を行い、市場機能を下支えしました。こうした政策の導入を通じて、中央銀行の「最後の貸し手」機能は、「最後のマーケット・メイカー」機能(MMLR)を包摂する形にまで発展しました。
また、金融機関のグローバルな業務展開に伴い、外貨建ての資金仲介が拡大する中、先般の国際金融危機では、スワップ市場の機能不全などに伴う外貨の流動性不足も深刻な問題となりました。これに対処するため、2007年には、ECBとスイス国民銀行がFRBとの間でドル資金に関するスワップ契約を結び、自国や地域の金融機関に対してドル資金を供給することとしました。リーマン・ブラザーズの破綻後には、日本銀行、BOEとカナダ銀行がスワップ契約に加わったほか、2011年には、ドル以外の主要通貨も対象とする多角的スワップ網が整備されました。こうしたスワップ網に基づく外貨資金供給の枠組み整備は、「最後の貸し手」機能が、「最後のグローバルな貸し手」機能(GLLR)も含む形まで発展したと整理することが出来ます。
このように、「最後の貸し手」機能に関しても、中央銀行の役割は大きく強化されています。市場の混乱に伴う主要通貨の流動性供給という点では、バックストップがかなり整備されたと言ってよいでしょう。そのうえで、今後は、国際的に活動する金融機関が、個別の要因で外貨資金不足に直面した場合への対応や、主要通貨以外のローカル通貨の資金不足への対応が課題になると考えられます。特に、日本の金融機関は、現時点で外貨繰りに特段の問題は生じていないとはいえ、近年、アジア諸国を含めグローバルにプレゼンスを拡大しているだけに、日本銀行にとって、金融機関の外貨の資金不足が金融システムを不安定化させるリスクへの対処は喫緊の課題となっています。
こうした問題意識から、日本銀行では、個別金融機関の一時的なドル資金不足が生じた場合には、自ら保有するドル資産を活用して資金供給を行うこととしています。また、ローカル通貨に関しては、昨年、オーストラリア・ドル、シンガポール・ドルについて、両国の中央銀行との間でスワップ契約を締結しました。これにより、万一、日本の金融機関の資金繰りに支障が生じた場合には、日本銀行がスワップによって調達したオーストラリア・ドルやシンガポール・ドルを原資として、当該金融機関に対して資金供給を行うことが可能になりました。もとより、金融機関にモラル・ハザードを生じさせることは避けなければなりませんが、今後も、関係当局との間で議論を重ねたうえで、バックストップとしての外貨流動性供給の枠組み整備を続けていく方針です。
新たな課題:金融機関の低収益性
ここまでお話ししたとおり、国際金融危機の教訓を踏まえ、こうした危機を再発させないための取り組みは様々な面で進展しています。それぞれの取り組みについて、なお課題は残されているものの、危機以前と比べれば、グローバルな金融システムの頑健性は大きく向上しているといえるでしょう。
もっとも、これにより、金融システムの安定を維持していく上での課題がなくなったわけではありません。より長い目でみると、金融機関の収益力低下が金融システムを不安定化させる潜在的なリスクへの対応が重要性を増してきています。
国際金融危機後の低成長・低インフレのもとで、多くの主要国中央銀行は、非伝統的な政策を含む極めて緩和的な金融政策を採用してきました。冒頭にお話ししたように、こうした金融政策は、それ自体、必要なマクロ政策として行っているものですが、これによる金利の大幅な低下は、利鞘の縮小を通じて金融機関収益の下押し圧力として働いています。
現時点では、各国の金融機関とも、実体経済の改善による信用コストの低下や金利低下による有価証券売却益の増加などにより、全体としては、相応の収益水準を維持しています。もっとも、仮に現在のような低金利環境が長引いた場合には、利鞘の縮小傾向が続き、金融機関収益は一段と低下する可能性があります。特に日本では、もともと、高齢化の進行や人口減少といった構造的な要因が金融機関経営に対して逆風として働いています(図表5)。また、欧州でも、一部金融機関の不良債権問題もあって、金融機関の収益力低下は金融システム安定に対するリスク要因として指摘されています。このように、この問題は、大なり小なりグローバルに共通の課題となっています。
金融機関の収益力低下が金融システムの安定性に悪影響を及ぼす経路はいくつか考えられます。具体的には、収益力の低下は自己資本の蓄積を妨げるため、仮に大きな信用コストや市場環境の急変による有価証券投資での損失が生じた場合に、自己資本が毀損されるリスクを高めることになります。そうした場合には、金融機関がリスクテイクに慎重になり、円滑な金融仲介機能が阻害されるおそれがあります。他方で、こうした事態に陥ることを回避すべく、金融機関が収益確保のために過度なリスクテイクを行う場合、そのこと自体が金融システムに新たな火種を持ち込むことにつながりかねません。したがって、金融システムが今後も安定性を維持していくためには、長い目でみた金融機関の収益力低下への対応が一層重要なものになっています。
金融機関の収益力向上に向けては、まずは、個々の金融機関自身が、自ら置かれた経営環境を正しく認識したうえで、それぞれの環境に応じたビジネスモデルを構築していくことが出発点になります。具体的な取り組みとしては、中小企業向けや個人向け貸出の需要掘り起こし、有価証券投資でのリスクテイク、手数料ビジネスの強化、店舗網の大幅な効率化を含むコストカットなど、様々な選択肢があり得ます。その中から、各行が適切なものを選んでいくことが求められます。その際には、金融機関間の合併・統合なども選択肢の一つとなり得るでしょう。
金融機関の収益力向上に向けては、当局の役割も重要になってきます。その際、個々の金融機関の置かれた状況は一つ一つ異なること、先行きの経営環境の変化をにらみながらフォワードルッキングに対応していく必要があることなどから、one-size-fits-allである規制的な手段は必ずしも適切ではない可能性があります。むしろ、金融機関の個々の事情に応じて柔軟に取り組みを促すことができる、監督や指導といった「ソフトなアプローチ」の方が有効と考えられます。こうした点を踏まえ、日本銀行としては、考査やモニタリングを通じて、金融機関がリスクテイクを強めている分野での適切なリスク管理を促すとともに、収益力強化に向けた金融機関との対話を一層深めることを考えています。あわせて、金融サービスの付加価値向上に資する各種セミナーの開催などを通じて、金融機関の取り組みを積極的にサポートしていく考えです。
おわりに
本日は、金融危機後の再発防止に向けた国際的な取り組みについて、国際金融規制、マクロプルーデンス政策、「最後の貸し手」機能、金融機関の収益力低下といった、中央銀行にとって関係の深い分野を中心にお話ししてきました。もちろん、これら以外にも、システミックに重要な金融機関に対する破綻処理法制の整備や、危機管理に関する国際協調の枠組み構築なども大きく進展しています。また、今回のコンファレンスで議論される預金保険制度についても、付保金額の拡大や財務基盤の充実などが図られており、金融システムの頑健性向上に大きく貢献しています。
このように、この10年弱の間で、グローバルな金融システムの頑健性に向けた各種の取り組みは着実に進捗してきました。先般の国際金融危機のような形での危機が再び起こる確率はかなり低下したと言ってよいと思います。もっとも、この間にも、いわゆる FinTech の発展やシャドーバンキングの台頭など、金融システムを巡る環境は急速に変化しています。また、先ほどお話ししたように、金融機関の収益力の低下という新たなチャレンジも生じています。そう考えると、今後、形を変えて、再び金融危機が生じる可能性は否定できません。金融システムの安定に向けた取り組みに終点はなく、当局としては、環境の変化に応じた不断の努力が求められ続けることになるでしょう。
幸いにして、私たちには、金融危機からの10年の間に築き上げた国際的な協力の枠組みがあり、金融システムの頑健性強化を実現してきたという実績があります。油断することなく、しかし自信を持って、今後生じてくる難題に対しても立ち向かっていきたいと考えています。
ご清聴ありがとうございました。