【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営青森県金融経済懇談会における挨拶
日本銀行副総裁 岩田 規久男
2017年6月22日
1.はじめに
日本銀行の岩田でございます。本日はお忙しい中、青森県の行政および金融経済界を代表する皆さまとの懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆さまには、日頃から日本銀行青森支店の業務運営に様々なご協力を頂いております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。
本日は、皆さまから、当地経済の実情に関するお話や、私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。議論の皮切りとして、まず私から内外の経済情勢について簡単にご説明した後、金融政策運営を巡る話題についてお話ししたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
2.日本経済の現状と先行き
わが国の景気は、昨年秋頃から、その足取りがよりしっかりとしたものになってきており、日本銀行は、緩やかな回復基調から緩やかな拡大に転じつつあると判断しています。また、今年度から来年度にかけては、海外経済の改善に加えて、昨年策定された政府の大型経済対策の効果もはっきりと現れてくると考えています。こうしたもとで、2018年度までの期間を中心に、景気の拡大が続き、潜在成長率を上回る成長を続けていくと予想しています。
以下では、こうした日本経済の現状や先行きについて、やや詳しくお話ししたいと思います。
まず、わが国経済を取り巻く海外経済です。昨年前半は、中国を始めとする新興国経済の減速懸念が高まったほか、いわゆるブレグジットを契機に国際金融市場が不安定化し、世界経済に対する悲観的な見方が拡がりました。もっとも、世界経済は昨年前半に底を打ち、その後は様々な経済指標がはっきりと改善するなかで、成長モメンタムの強まりがみられています。具体的には、リーマン・ショック以降勢いの欠けていた製造業や貿易面で、改善が明確になってきています(図表1)。また、その好影響がグローバルに波及しており、先進国と比べて出遅れ感のあった新興国経済も改善してきました。例えば、NIEs・ASEAN諸国は、一昨年、昨年と不調でしたが、輸出がはっきりと持ち直し、消費者コンフィデンスは改善しています。また、中国経済は、1~3月期のGDPの前年比が前期から幾分伸びを高めるなど、総じて安定した成長を続けています。
先行きについても、先進国で着実な成長が続き、その好影響の波及や各国の政策効果などを背景に、新興国経済の成長もしっかりとしたものになっていくとみています。IMFによる最新の世界経済の成長率見通しは、2016年の3.1%から、2017年は3.5%、2018年は3.6%と伸びを高めていく姿となっています(図表2)。同時に、米国の新政権による経済政策運営、欧州の政治情勢、地政学的リスクといったリスク要因の動向や影響については、日本銀行としても注視しています。
次に、日本経済です。グローバルに製造業や貿易面を中心とした改善がみられるもとで、わが国でも輸出・生産が増加基調となっています(図表3左)。
こうしたなか、企業部門では、収益が過去最高水準で推移しています(図表3右)。企業の業況感は総じて良好で、設備投資も緩やかな増加基調を続けています。また、今回の景気回復局面の一つの特徴として、こうした業況感の改善が地方や中小企業へも拡がりをみせている点が挙げられます。短観の業況判断DIを地域別にみると、2013年12月調査以降、全ての地域でプラス基調となっています(図表4)。また、企業規模別にみると、大企業だけでなく、中小企業もはっきりとしたプラスとなっています(図表5)。これらは、リーマン・ショック前の2002年から2008年までの景気回復局面ではみられなかったことです。
家計部門に目を移しますと、わが国の労働需給は着実な引き締まりを続けています。失業率は1994年以来となる2%台後半まで低下しており、完全雇用に近いといえる状況となっています。有効求人倍率は1.48倍と、バブル期のピークを超え、1974年以来の水準まで上昇しています(図表6)。先行きも、経済が潜在成長率を上回る成長を続けるもとで、労働需給のさらなる引き締まりが続いていくと予想しています。
この点、人手不足がわが国の成長の足かせとなるのではないかとの議論が一部で聞かれます。しかし、私はそうは考えていません。むしろ、省人化投資などが次第に増加することで、労働生産性を向上させ、わが国経済の一段の成長を促していく要因になるとみています。
加えて、タイトな労働需給のもとで、賃金への上昇圧力が徐々に高まってきています。実際、労働需給に感応的なパート労働者の時給は、前年比で2%台後半まで上昇しています。また、今年の春闘では、多くの企業で4年連続となるベースアップが実現した模様です。中でも、業況の改善が大企業以外にも拡がるもとで、一段の人手不足に直面している中小企業における賃上げが目立っています(図表7)。
次に、物価の動向です。消費者物価は、2014年後半以降、エネルギー価格の下落による下押し圧力を受けてきました。もっとも、こうした影響は既に押し上げ要因に転じており、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、本年1月以降、小幅のプラスに転じて推移しています。この間、生鮮食品とエネルギーを除いた消費者物価の前年比をみると、約3年半にわたってプラス基調が続いています(図表8)。日本経済は、既に「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています。
もっとも、企業収益が過去最高水準にあり、労働市場が完全雇用に近いといえる状況にあるわりには、物価上昇率の高まり方が緩慢であることは認めざるをえません。この点は、米国や欧州の物価上昇率が、既に大きく回復していることときわめて対照的です(図表9左)。
こうした背景には、わが国の場合、物価の先行きに対する人々の見方――これを予想物価上昇率と呼んでいます――が、過去に低下した物価上昇率の実績に引きずられやすいことがあると考えています。このような過去を重視した期待形成は、他の主要国ではあまりみられない日本特有のものです。実際、原油価格はグローバルに下落しましたが、米国や欧州の予想物価上昇率はほとんど下落していません(図表9右)。米国や欧州では、物価の先行きを考えるうえで、過去の物価上昇率に引きずられる度合いが小さいためです。
なぜこのような違いが生まれたのでしょうか。わが国では、90年代後半以降のデフレ期に物価上昇率の低い状況が長く続いたため、過去の実績に基づいた予想が実際によく的中したからだと私は考えています。この時期には、前年の物価上昇率が例えばゼロ%であれば、来年は+2%に上昇すると考えるよりも、またゼロ%になると考えた方が合理的でした。
もっとも、経済学の大家であるミルトン・フリードマンは、こうした人々の行動は変化しうるものだとして、次のようなことを言っています。物価上昇が続くときには、人々は自分の受け取る賃金が上がらないと、物価上昇の分だけ損をしてしまう。人々はこうした状況をいつまでも甘受しない。やがて将来の物価上昇を先取りして賃金が上がるようになるのだ、ということです。これは賃金の例ですが、企業の製品やサービスの販売価格でも同様に、物価上昇局面ではやがて将来の物価上昇を先取りしていくようになるということだと思います。
わが国の物価は、先行き、労働需給の引き締まりがさらに進み、賃金への上昇圧力が一段と高まっていくことに加えて、エネルギー価格による押し上げ寄与が拡大していくことで、伸び率を高めていくとみられます。フリードマンの指摘は、このような物価上昇局面においては、わが国でも米国と同じように、人々の物価に対する見方が過去に引きずられる度合いが小さくなっていき、人々の間で将来の物価上昇を先取りする動きが徐々に広がっていくことを示唆しています。また、この後お話しするように、日本銀行は物価上昇率について、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、強力な金融緩和を続けていきます。予想物価上昇率の動向には不確実性があり、留意してみていく必要がありますが、いま申し上げたようなメカニズムを背景に、わが国の物価上昇率は、日本銀行の「物価安定の目標」である2%に向けて徐々に上昇率を高めていくと考えています。
3.金融政策運営の考え方
続いて、日本銀行の金融政策運営に対する考え方についてお話しいたします。日本銀行は、昨年9月から、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という枠組みのもとで金融政策運営を行っています。この枠組みは2つの要素から成り立っています(図表10)。
第1に、「オーバーシュート型コミットメント」です。これは、「消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する」という日本銀行の強力なコミットメントです。目標の2%を超えるのかと疑問に思われたかもしれません。わが国では、長年にわたるデフレの中で、人々の間に「物価は上がらないものだ」という認識――デフレ・マインド――が今なお拡がっています。こうしたもとで、新たに「物価は毎年2%くらい上がっていくものだ」という物価観を定着させていくためには、人々が実際に2%を超える物価上昇率を経験する必要があると考えています。日本銀行は、「オーバーシュート型コミットメント」により、こうした状況が実現するまで大規模な緩和を継続することを約束しています。
第2に、「長短金利操作」、いわゆる「イールドカーブ・コントロール」です。日本銀行は、わが国の経済・物価・金融情勢を踏まえて、2%の「物価安定の目標」を実現するために最も適切と考えられるイールドカーブの形成を促していくこととしています。現在は、短期政策金利を-0.1%、10年物国債金利の操作目標を「ゼロ%程度」とし、これを実現するように国債買入れを行っています。
既にお話ししたとおり、わが国では、景気の足取りはよりしっかりとしてきているものの、物価面では、物価上昇のモメンタムは力強さを欠いており、2%の「物価安定の目標」までにはなお距離があります。また、海外経済の動向や、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率の動向を中心に、下振れリスクが大きい状況が続いています。このような状況においては、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」のもとで、低水準の名目金利を起点として、実質金利を引き下げる金融緩和を粘り強く続けることが必要であると考えています。
ここで、私どもの金融政策運営について、このところ一部で聞かれる2つの提案について、私の考えを述べたいと思います。
最初の提案は、世界経済の成長モメンタムが高まり、米国が利上げのプロセスを進めるなど、グローバルな金利環境が変化するもとで、日本でも金利を引き上げていくべきではないかというものです。
確かに、直近の名目金利をみますと、短期、長期とも、米国の方が高くなっています(図表11)。もっとも、経済に緩和効果をもたらすのは、名目金利から予想物価上昇率を差し引いた実質金利です。この点を踏まえて、直近の実質金利を比較してみますと、実質長期金利では日本の方が低い一方、実質短期金利では日本の方が高くなっています。これは、わが国の予想物価上昇率が米国より低いからです。このように、実質金利でみると、名目金利でみた場合とは異なり、日本の金利が米国と比べて必ずしも大幅に低いとはいえないというのが現状です。
また、米国の物価上昇率は既に2%近くで推移していますが、日本は2%の「物価安定の目標」までなお距離があります。わが国は、「物価安定の目標」に照らして金融緩和がなお必要であり、現状、米国と比べて大きいとまではいえない金融緩和度合いを、金利の引き上げによって自ら減じていく局面では全くないと考えています。
2つ目の提案は、日本銀行が掲げる2%の「物価安定の目標」について、「経済成長率が高まりつつある中で、今実現している以上の物価上昇率を目指す必要はないのではないか」、あるいは、「日本ではそもそも物価が上がりにくいのだから、2%ではなく、例えば1%でも十分ではないか」というものです。
こうした提案への反論をお伝えするために、リーマン・ショック後の日米における短期金利の推移を振り返りたいと思います。リーマン・ショックのように需要が大きく減少するショックが加わったときには、実質金利を大きく引き下げることで需要の減少を食い止め、その早期回復を図ることが重要です。こうした観点から、リーマン・ショック後、日米両国は金融緩和を行い、名目短期金利をほぼゼロ%まで引き下げました(図表12)。
もっとも、経済に緩和効果をもたらす実質金利の動向をみますと、米国では、リーマン・ショック後に大きく低下し、その後はマイナス圏で推移した一方、日本ではむしろ上昇し、プラス圏にとどまり続けました。日本の実質金利が基調として下がり始め、マイナス圏で推移するようになったのは、2013年に「量的・質的金融緩和」を導入して以降のことです。
このように、名目短期金利を日米で同じようにゼロ%まで引き下げたにもかかわらず、両国の実質短期金利の水準に差が生じた理由は、実質金利を計算する際に名目金利から差し引いている予想物価上昇率にあります。予想物価上昇率の推移をみると、リーマン・ショックの直後こそ日米ともに低下しましたが、米国ではその低下幅は限定的であり、また、早い段階で底を打って以降は2%近傍で安定的に推移しています。一方、日本の予想物価上昇率は、もともと米国よりもかなり低かったうえ、その後の低下幅は大きく、また、マイナス圏にとどまる期間も2013年まで長く続きました。この点が、日本の実質短期金利を米国対比で高止まりさせる要因となりました。
同様に長期金利についてみると、実質金利における日米差は、名目金利における差よりもかなり小さくなっています。これについても、日本の予想物価上昇率が米国よりも常に低かったことが大きな理由となっています(図表13)。
以上のように、日本のように予想物価上昇率が低く、また、特に景気後退局面において一段と低下する傾向があると、名目金利をゼロ%まで引き下げても、実質金利は十分に低下せず、適切に金融緩和効果を得ることができません。この点、予想物価上昇率が2%程度で安定している米国では、名目金利を引き下げることによって実質金利をしっかりと低下させ、十分な金融緩和効果を得ることができます。逆に言えば、名目金利を日本のようにマイナスにまで引き下げなくても金融緩和効果を得られるため、低金利による金融機関への負担を抑えつつ必要な金融緩和を行うこともできるのです。
リーマン・ショック後の日本経済は、その直接の原因が国外にあったにもかかわらず、米欧対比で大きく落ち込みました(図表14)。また、2013年の「量的・質的金融緩和」導入以降、大規模な金融緩和を行っていますが、なお2%の「物価安定の目標」を達成できていません。これらの一つの大きな要因が、リーマン・ショック後、わが国の予想物価上昇率が低位にとどまり、あるいは大きく低下したために、名目金利を引き下げても実質金利が十分に下がらなかったことにある点は否定できません。
日本銀行の2%の「物価安定の目標」に向けた取り組みは、こうした事実認識に基づき、経済に負のショックが生じた場合にも十分に実質金利を引き下げ、経済をしっかりと下支えすることができる状況を作り出すために行っています。日本に限らず、主要国はいずれも、目標とする物価上昇率を2%程度としています。これは、物価上昇率を2%程度に安定させることで、予想物価上昇率を2%にアンカーし、実質金利の引き下げ余地を十分に確保することの重要性が、グローバルに理解されているからです。こうした意味で、わが国で聞かれる「2%の物価上昇率を目指す必要はない」という声は、リーマン・ショック後10年近くを経て、その大きな教訓を忘れてしまったご意見のように思われてなりません。
日本銀行は、今後も、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現するため、強力な金融緩和を推進していきます。
4.おわりに
最後に青森県経済についてお話しさせて頂きます。当地は、豊かな自然に恵まれ農林水産業が盛んなほか、自然・歴史・文化と多種多様の豊かな観光資源を有しているという大きな強みを持っています。
農林水産業では、りんごやにんにくなど、全国トップの生産量を誇る品目を多く抱えているほか、近年は畜産業で大規模かつ近代的な事業の拡大が進んでいます。このため、全国的には農林水産業が低迷する中、当地の生産額は増加傾向にあり、伸び率は全国トップクラスです。最近は、ブランド力の向上や6次産業化により付加価値を高める取組みのほか、海外進出の強化も進められています。新たなブランド米として人気を得ている「青天の霹靂」や、欧米での販売が増加している「黒にんにく」など、着実に成果も上げられています。
観光業では、世界遺産の白神山地や、桜の名所としても有名な弘前城、縄文遺跡群、ねぶた祭など、自然環境や歴史的な文化財と、豊富な観光資源に恵まれています。こうした中、昨年の北海道新幹線開業を契機に函館地区と連携した観光推進の強化を進めておられるほか、インバウンド需要の獲得にも熱心に取り組まれており、最近の外国人宿泊者数の伸び率は全国トップクラスです。クルーズ船の寄港回数は東北トップであるほか、本年5月には22年振りに青森空港に国際定期便が就航し、更なる外国人観光客の増加が期待されます。
青森県の皆様におかれましては、こうした恵まれた資源を最大限に活かし、新たな挑戦に取り組まれていることと思います。青森支店には、そうした取組みに少しでも貢献できるよう地域経済の分析や情報発信に努めさせたいと考えています。最後になりましたが、青森県の益々の発展を心より祈念し、挨拶の言葉とさせて頂きます。
ご清聴ありがとうございました。