【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営広島県金融経済懇談会における挨拶
日本銀行副総裁 中曽 宏
2017年7月26日
1.はじめに
日本銀行の中曽でございます。本日は、当地の行政および金融・経済界を代表する皆様との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より私どもの広島支店の様々な業務運営にご協力頂いております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。
日本銀行は、先週の金融政策決定会合において、2019年度までの経済・物価見通し等を「展望レポート」として取り纏め、公表しました。本日は、この「展望レポート」の内容をご紹介しながら、日本銀行の経済・物価に対する見方と金融政策運営の考え方についてお話しします。
2.経済の現状と先行き
海外経済
それでは、経済の動向から話を始めます。まず海外経済の動きに触れておきたいと思います。
海外経済は、総じてみれば緩やかな成長が続いています(図表1)。特に、製造業や貿易面での改善が明確になっており、その好影響がグローバルに拡がっています。製造業の業況感を示す指標は、昨年後半以降、多くの国で改善傾向にあるほか、世界全体の貿易量も、米国やアジアを中心に、このところ伸びが高まっています。
地域別にみると、米国および欧州経済は、雇用・所得環境の改善などから、家計部門を中心に底堅い回復を続けています。中国経済も、政策当局による景気下支え策の効果もあって、総じて安定した成長を続けています。こうした中にあって、中国以外の新興国・資源国経済は、輸出の持ち直しや資源価格の底入れなどから、全体として持ち直しています。一頃出遅れが指摘されていたロシアやブラジルも、ここにきて前向きの動きがみられ始めています。
先行きの海外経済については、先進国の着実な成長に加え、その好影響の波及や各国の政策効果によって、新興国経済の回復もしっかりとしたものになっていくことから、緩やかに成長率を高めていくとみています。IMFが今月発表した各国・地域の成長率の見通しを、わが国の輸出ウエイトで加重平均しますと、海外経済の成長率は、2016年の3.1%から2018年にかけて緩やかに高まり、3%台半ばの安定した成長を続ける姿となっています。
わが国経済の現状
こうした海外経済の成長が大きなサポート材料となるなか、国内需要も増加し、わが国の景気は、緩やかに拡大しています(図表2)。日本銀行が、景気の現状について「拡大」という表現を用いるのは、リーマン危機以前の2008年3月以来、約9年振りのことです。これは、所得から支出への前向きの循環メカニズムが働くもとで、資本や労働の稼働率を示すマクロの需給ギャップが、長期的な平均であるゼロ%を超えて、プラス基調で定着してきていることを踏まえたものです。
もう少し詳しくお話しします。まず、企業部門では、新興国経済の持ち直しを背景に輸出が増加基調にあり、生産も、内外需要の増加を反映して増加基調にあります(図表3)。こうしたもとで、企業収益は改善しており、全産業全規模でみた売上高経常利益率は、昨年10月以降、2四半期連続で過去最高水準を更新しました。また、今月初めに公表した私どもの短観では、全産業全規模の業況判断が4期連続で改善するなど、企業の業況感が業種の拡がりを伴って改善していることが、改めて確認されました。こうした良好な環境のもとで、設備投資も、緩やかな増加基調にあります。
次に、家計部門をみると、労働需給が着実な引き締まりを続け、雇用者所得は緩やかに増加しています(図表4)。5月の有効求人倍率は1.49倍と、バブル期のピークを超えて、1974年以来の水準に達しました。失業率も、最近は3%程度まで低下しており、完全雇用に近い状況が続いています。こうした労働需給の引き締まりを背景に、賃金は緩やかに上昇しています。特にパート労働者の時給は明確に改善しており、現在は前年比2%台前半の伸びとなっています。この間、個人消費は、昨年前半まで一部に弱めの動きがみられていましたが、その後持ち直し、最近は底堅さを増しています(図表5)。自動車や家電といった耐久消費財の買い替え需要は一定の押し上げ材料となっていますが、消費者マインドに与える影響を含めて、雇用・所得環境の着実な改善が個人消費の伸びに大きく寄与していると考えています。
わが国経済の先行き
続いて、先行きに目を転じたいと思います。先行きのわが国経済は、緩やかな拡大を続けるとみています。海外経済の改善を受けて輸出が基調として緩やかな増加を続けるほか、設備投資や個人消費も、きわめて緩和的な金融環境と政府の大型経済対策の効果を背景に増加基調を辿るとみられます。所得から支出への前向きの循環メカニズムが持続するもとで、内外需要が増加していくという、バランスのとれた持続的な景気拡大が見込まれます。この点、「展望レポート」では、政策委員の見通しの中央値として、2017年度、2018年度の実質GDP成長率は、それぞれ+1.8%、+1.4%と予想しています(図表6)。これは、「0%台後半」とみられるわが国の潜在成長率を上回る伸び率であり、私どもの3か月前の予想と比べても、幾分上方修正しています。その先の2019年度については、景気拡大局面の長期化による資本ストックの積み上がりやオリンピック関連需要の一巡、消費税率引き上げの影響などもあって、成長ペースは鈍化すると見込まれます。もっとも、海外経済の成長を背景とした輸出の増加に支えられて、実質GDPは前年度比+0.7%と、景気の拡大が続くとみています。
以上がわが国経済に関する中心的な見通しですが、こうした見通しは、当然、上下に変動する可能性があります。なかでも最大のリスク要因は、海外経済の動向です。先ほど申し上げたように、海外経済は、先行き緩やかに成長率を高めていくというのがメインシナリオですが、一方で、数多くの不確実性を抱えています。例えば、米国の経済政策運営については、財政政策に関する不透明感の高まりや、今後の利上げペースが国際資本フローに及ぼす影響に留意する必要があると考えています。このほか、新興国・資源国経済の動向、英国のEU離脱交渉の展開やその影響、金融セクターを含む欧州債務問題の展開、地政学的リスクなども、先行きのリスク要因です。いずれも、わが国経済の下押し要因となる可能性があるため、引き続き、これらの動きをしっかりと点検していきたいと思います。
3.物価の現状と先行き
物価の現状
次に、物価情勢についてお話しします。消費者物価をみると、2014年後半以降、物価の下押し圧力として作用してきたエネルギー価格が、昨年春以降の原油価格の持ち直しを背景に物価の押し上げ要因となっています。こうした中、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、本年1月に13か月振りにプラスに転じ、5月には+0.4%まで上昇しました(図表7)。
もっとも、エネルギー価格の影響を除くと、わが国の物価は弱めの動きとなっています。生鮮食品とエネルギーを除いた消費者物価の前年比は、2015年末の+1.2%をピークにプラス幅の縮小傾向が続いており、最近は0%程度で推移しています。携帯電話機や通信料の値下げといった一時的な要因も影響していますが、後ほどお話しするように、労働需給の引き締まりや高水準の企業収益の割には、これが、賃金・物価の上昇になかなかつながっていないことも影響しています。
物価の先行き
このように、現状、物価はやや弱めの動きとなっていますが、先行きは、情勢が好転していくことが期待できると考えています。すなわち、この先、消費者物価の前年比は、プラス幅の拡大基調を続け、私どもが「物価安定の目標」として掲げる2%に向けて、上昇率を高めていくとみています。そこでは、以下のようなメカニズムを想定しています。
第1に、個人消費が底堅さを増していくもとで、加工食品や生活用品といった景気感応的なモノの価格が次第に上昇していくとみられるほか、これまでの為替円安や原油価格の持ち直しが、輸入物価の押し上げに寄与すると思われます。
第2に、先行き、景気が拡大を続ける中、マクロ的な需給ギャップは、プラス幅を拡大・維持していくことが見込まれます。そうしたもとで、企業の賃金・価格設定スタンスは次第に積極化し、賃金の上昇を伴いながら物価上昇率が高まると考えています(図表8)。
そして第3に、これらの要因によって実際の物価上昇率が高まることで、人々が予想する先行きの物価上昇率も上昇し、より基調的な物価上昇につながっていくと考えられます。
以上の基本的な考え方をもとに、「展望レポート」では、政策委員見通しの中央値として、2017年度の消費者物価の上昇率を前年度比+1.1%、2018年度を+1.5%、2019年度については、消費税率引き上げの影響を除き、+1.8%に上昇するとの見通しをお示ししました(前掲図表6)。足もとの物価が弱めであることから、私どもの3か月前の見通しと比べ、最初の2年間の数字を中心に下方修正しましたが、2019年度頃には、消費者物価上昇率が2%程度に達する可能性が高いとみています。
労働需給、賃金、物価の関係
ここまで、わが国の景気と物価についてご説明してきました。改めて、一言で整理しますと、強めの景気とやや弱めの物価情勢、という姿です。こう申し上げると、多くの方が抱く疑問は、景気の緩やかな拡大、とりわけ毎日のように人手不足が報道されるほど労働需給が引き締まっているにもかかわらず、賃金や物価の上昇率が高まってこないのはなぜか、ということだと思います。そしてもう一つの疑問は、先ほど申し上げた先行きの物価上昇のメカニズムが、果たしてうまく作動するのか、ということです。いずれも難しい問いですが、ここでは、わが国の労働需給と賃金、物価の関係に焦点を当てながら、これらの疑問に対する答えを整理してみたいと思います。
まず、理論的に申し上げると、労働需給と物価の間に相関関係があることは、経済学のどの教科書にも書いてありますし、わが国の過去のデータからも確認できます。そこで想定されているメカニズムは次のようなものです。人手不足に直面した企業は、必要な人材を確保しようとして賃金を引き上げます。そして、その企業は、一定の収益を確保するため、人件費の増加に見合う分だけ製品の販売価格を引き上げようとすると考えられます。同時に、賃金が上昇すれば雇用者の所得が増加し、その分、消費活動が活発化しますから、需要の増加に伴って価格が上昇するといったルートも考えられます。このように、労働需給の引き締まりは、本来は、賃金の上昇と需要の増加を通じて、物価の上昇方向に作用します。
逆に言えば、現在のわが国では、こうした理論的なメカニズムがまだ十分には表れていない、ということになります。以下、この点に関し、最初に労働需給と賃金の関係、次に賃金と物価の関係と、2つに分けてお話ししたいと思います。
1つめは、労働需給の引き締まりに比べ、賃金の改善ペースが緩やかなものにとどまっているという点です。これについては、正規雇用者と非正規雇用者で賃金決定メカニズムが異なるわが国労働市場の構造が相応に影響しているように思われます。先ほど申し上げたとおり、パート労働者の賃金は労働需給の引き締まりに応じて上昇しており、その上昇ペースは、過去にみられた労働需給との関係にほぼ見合ったものとなっています。一方、正規雇用者の賃金は、相対的に上昇していません(図表9)。この点について、わが国では、労使ともに長期的な雇用・賃金の安定が優先されてきたため、デフレ下で雇用調整や賃金カットが行われなかった一方、労働需給が引き締まっても、賃金上昇に向けた姿勢になかなか切り替わることができないとの指摘があります。
2つめは、賃金と物価の関係です。すなわち、緩やかとはいえ名目賃金が上昇しているにもかかわらず、物価が弱めの動きとなっている点です(図表10)。これを説明する企業の取り組みとして、以下の3点があるように思います。
第1に、賃金上昇によるコストの増加をビジネス・プロセスの見直しによって吸収する企業の取り組みが関係しているとの指摘があります。具体的には、最近、これまで当然のように提供していたサービスであっても、人件費との兼ね合いで採算が合わないものは削減していく、といった対応が増えているように思います。例えば、売れ行きの悪い深夜や早朝の営業をやめる場合、営業時間、すなわち労働投入量を減らしても、売上全体がさほど減らない可能性があります。この結果、労働生産性は向上することになります。従業員の時給を引き上げたとしても、営業時間が減った分、企業の総労働コストは増加しません。この場合、人件費の増加を販売価格に転嫁する必要がなくなり、その分、物価の押し上げ圧力は小さくなります。
第2に、ITなどを活用した省力化・効率化投資も、これと同様の効果をもたらします。近年、小売りや宿泊・飲食等の業種を中心に、セルフレジやインターネットでの予約処理などを導入する動きが拡がっています。労働投入量を減らしても同じ売上げを実現できるという点で、ビジネス・プロセスの見直しと同じ効果をもたらします。この場合も、労働生産性は向上します。従業員の賃金を引き上げても総労働コストへの影響は限定的であることから、先ほどのケースと同様、賃上げが物価の上昇に結び付きにくくなります。
第3に、既存の人的資源をこれまで以上に有効活用しようとする取り組みも見受けられます。典型的には、繁忙度の低い部署から高い部署に、社員を配置換えするようなケースです。この場合、企業としては、全体の労働投入量を変えずに売上げを伸ばすことができますので、やはり労働生産性は向上することになります。一方で、人件費の増加は抑えられますから、その分、販売価格への転嫁は限定的となります。
以上お話ししたいくつかの取り組みの背景を、さらに突き詰めて考えると、賃金・物価が上がりにくいことを前提とした考え方や慣行が、わが国の企業や家計に根強く残っていることが影響しているように思います。正規雇用者の賃金が労働需給の変動に対して余り反応しないことについて、ベアを始めとするわが国特有の長年の労使関係が影響していることはよく知られています。また、企業が販売価格へのコスト転嫁を抑制するのは、消費者が値上げに慣れていない、あるいは、そうした消費者の行動を見越して、企業自身が値上げに慎重になるといった事情があるように思われます。先ほどご説明したように、こうした取り組みは、経済全体でみれば物価上昇圧力を減じる方向に作用しています。とはいえ、どの取り組みも、企業の皆様の真剣で合理的な選択の結果です。こうした状況こそが、「長期間にわたって定着してきたデフレマインドを払拭することの難しさ」の正体なのかも知れません。
そのように申し上げた上で、日本銀行は、こうした状況がいつまでも続くとは考えていないことも付け加えさせていただきます。マクロ的な需給ギャップは着実に改善していますし、そうしたもとで、企業の賃金・価格設定スタンスは、次第に積極化してくると考えています。もちろん、そのタイミングには不確実性がありますので、楽観は禁物です。しかし、人手不足感が益々強まる中、既に就業率がかなり上昇してきていることを考えると、この先、パート労働者等の増強だけで対応することは難しいと思われます。実際、過去10年以上にわたって一貫して上昇してきたわが国のパート労働者比率は、今年に入り、頭打ち傾向が明確化しています(図表11)。また、営業時間の短縮やサービスの削減には一定の限界がありますし、すべての業種で省力化投資を推進できる訳でもありません。人材の配置転換などの対応にも、やはり限度があります。そうした一方で、景気の拡大と雇用・所得環境の改善により家計の消費活動が活発化してくれば、経済全体に値上げを許容する動きが拡がってくると思います。この点、短観の販売価格DIをみると、「運輸・郵便」、「卸・小売」、「宿泊・飲食」といった労働集約的な業種において、幅広く、販売価格の上昇傾向が明らかになってきました(図表12)。先行き、値上げを検討している企業が増加しているとの報道を目にすることも、増えてきています。
こうした動きによって現実の物価が上昇してくれば、それに影響されて、中長期的な予想物価上昇率も高まることが期待されます。このところ、企業や家計の予想物価上昇率の上昇を示す指標が一部にみられ始めており、これも、デフレ脱却に向けた明るい材料です(図表13)。物価が上がるとの予想が広く企業や家計の間で共有されれば、正規雇用者の賃上げも本格化してくるでしょうし、賃金の上昇を販売価格に転嫁しやすくなると考えられます。そうなれば、幅広い雇用者の賃金上昇を伴いながら、物価上昇率が持続的に高まるという前向きの循環メカニズムが本格的に作動してくると確信しています。
物価の話を締め括るに当たり、労働生産性について、もう一度触れておきたいと思います。先ほど、省力化投資の事例などを取り上げ、労働生産性の高まりが物価の下落圧力として作用していると申し上げました。しかし、これは、物価への影響という一面のみを説明したものです。労働生産性の向上をネガティブに捉えるつもりは全くありません。生産性の向上によって1人当たりの稼ぐ力が増加すれば、その分、企業の収益力は強化されます。やや長い目でみれば、収益に余裕が生まれた企業は、むしろ生産性の向上に見合う形で賃金を引き上げてもよいと思うようになるはずです。実際、企業における近年のベースアップの動きを分析しますと、労働生産性が高まればベースアップの伸び率も高まるという関係を確認することができます。
さらに、経済全体の労働生産性が向上し、長期的にみた経済の成長率が引き上げられれば、成長期待や恒常所得の増加を通じて設備投資や個人消費が活発化し、需給ギャップの改善とともに物価が上昇していく可能性もあります。この点については、時間はかかりますが、構造政策面のサポートも重要です。例えば、労働市場改革によって、人手の足りない企業や産業に必要な人材がスムーズに移動するようになれば、経済全体の生産性は高まります。諸外国に比べ、わが国の労働市場の流動性は改善の余地が大きいと言われていますが、それだけに、「働き方改革」を始めとする最近の政府の取り組みには、大きな意義があると考えています。このように捉えれば、今の人手不足は、日本経済の構造改革を強力に促す究極の成長戦略としての側面があると言ってもよいのかも知れません。
4.日本銀行の金融政策運営
さて、ここまで、労働需給のタイト化の割に、物価が上昇していない理由について、お話ししてきました。ただ、皆様の中には、「日本銀行は、なぜ物価の上昇を目指しているのか」疑問に思われる方もいらっしゃると思います。むしろ、「モノの値段は安い方が良いのではないか」と思われるほうが自然かもしれません。そこで最後に、日本銀行の金融政策運営についてご説明するにあたり、安定的な物価の上昇を目指しているのは何故かという点から、話を始めたいと思います。物価が持続的に下落する、いわゆるデフレのもとでは、商品やサービス価格の下落により、企業の売上げや収益が減少し、さらには賃金の抑制につながっていきます。この結果、消費が低迷し、物価がさらに下落するという悪循環に陥ります。一方、物価が安定的に上昇し、企業や家計がこれを前提に行動するようになれば、先ほどお話ししたことと反対の循環が生まれます。商品やサービス価格の上昇により、企業の売上げが伸びて収益が増加すれば、それに見合って賃金が増加し、消費が活発化します。日本銀行が目指しているのは、こうした好循環を実現することですし、結果として、幅広い経済主体に恩恵をもたらすことになると考えています。
ここで大事なことは、「安定的な」物価の上昇という点です。この点、日本銀行では、年率2%程度の物価上昇を「安定的」と考え、これを金融政策運営の目標としています。最近、景気が堅調に推移していることもあってか、目標とする物価上昇率について「2%は高すぎるのではないか」とのご意見を頂戴することもありますが、日本銀行は、次の3つの理由から、2%を目指すことが大事だと考えています。
第1に、消費者物価指数には、物価上昇率を実態よりも高めに表すという統計上の「くせ」があります。このため、物価の安定を実態的に確保するためには、ある程度プラスの物価上昇率が必要となります。
第2に、政策対応には一定の「のりしろ」が必要です。再びデフレに陥らないためにも、ある程度プラスの物価上昇率を確保しておくことが望ましいと考えています。中央銀行は、一般的に、インフレ率が高まる場合には、政策金利を引き上げることによって対応できます。一方、デフレに陥った場合には、景気を刺激しようにも、中央銀行がゼロ%を大きく下回る水準まで政策金利を引き下げることは難しく、マクロ経済政策ツールとしての金融政策の対応余地が限られることになります。
第3が、グローバル・スタンダードです。主要先進国は、目指すべき物価上昇率として、いずれも2%という基準を採用しています。関係国が同じ物価上昇率を目指すことは、長い目でみた為替レートの安定、ひいては企業活動や経済全体の安定に資すると考えられます。
日本銀行は、この2%の目標を実現するために、昨年9月以降、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を実施しています。この枠組みは2つの要素から成り立っています(図表14)。
第1に、「オーバーシュート型コミットメント」です。これは、「消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する」という強力なコミットメントです。人々の間に「物価は毎年2%くらい上がっていくものだ」という物価観が定着するためには、実際に2%を超える物価上昇を経験することが重要だと考えています。
第2に、「長短金利操作」、いわゆる「イールドカーブ・コントロール」です。日本銀行は、わが国の経済・物価・金融情勢を踏まえて、2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に実現するために最も適切と考えられるイールドカーブの形成を促しています。具体的には、短期政策金利を-0.1%、10年物国債金利の操作目標を「ゼロ%程度」とし、これを実現するよう国債の買入れを行っています。こうしたイールドカーブのもとで、CP・社債の発行金利はきわめて低い水準で推移しています。金融機関の貸出態度は積極的であり、貸出金利は既往ボトムの水準まで低下しています。そうしたもとで、銀行貸出残高の前年比はプラス幅が緩やかに拡大しており、最近では、3%台前半のプラスとなっています。この間、企業の資金繰りも、企業規模を問わず改善した状態にあります。このように、イールドカーブ・コントロールによって生み出されたきわめて緩和的な金融環境は、わが国の企業活動を強力にサポートしていると考えています。
本日お話ししたとおり、わが国の物価は、景気の改善度合いに比べて弱めの動きとなっており、2%の実現までなお距離があります。この点は、日本銀行として、しっかりと受け止める必要があると考えています。先行きについては、マクロ的な需給ギャップが着実に改善していくなかで、企業の賃金・価格設定スタンスは次第に積極化してくるとみています。また、中長期的な予想物価上昇率も、一部に上昇を示す指標がみられるもと、先行き、実際に価格引き上げの動きが拡がるにつれて、着実に上昇すると考えられます。このように、2%の「物価安定の目標」に向けたモメンタムはしっかりと維持されていますが、日本銀行としては、こうした前向きの動きがこれからも持続し、できるだけ早期に2%の「物価安定の目標」を実現するよう、現在の強力な金融緩和を粘り強く推進していく方針です。日本銀行の金融政策と政府による構造政策がしっかりと噛み合うことが、日本経済を持続的な成長軌道に戻す途を拓くことになると考えています。
5.おわりに
以上、わが国の経済・物価情勢と、日本銀行による政策対応についてご説明してきました。最後になりますが、当地経済について、事前にいくらか勉強をさせて頂き、私なりに感じたことをお話したいと思います。
現在、広島県の経済は、緩やかに拡大しつつあります。海外経済の成長を背景に、輸出が持ち直しているほか、雇用・所得環境の着実な改善を背景として、個人消費も底堅さを増しています。こうした内外需要の増加を反映して、生産は緩やかに増加しています。
広島県の5月の有効求人倍率は1.77倍であり、数字だけみれば、県内の労働需給は、全国以上に引き締まっています。こうしたなか、当地の企業は、長年培ってきた優れた技術やアイディアを活かして、これまで機械化が不可能とされてきた作業分野にまで自動化システムを導入するなど、人手不足に対抗するための様々な工夫を講じています。また、当地主力の自動車産業では、より厳しい環境規制への対応や、安全性能の一段の向上に向けた新技術の導入に果敢に挑戦しています。先ほど申し上げたように、こうした取り組みによって1人当たりの稼ぐ力が増加すれば、その分、企業の生産性は向上し、収益力は強化されます。そのように考えれば、今回の人手不足は、当地経済全体の長期的な成長力強化につながるだけではなく、人口減少や若者の流出といった地域経済が抱える構造問題も跳ね返すきっかけとなる可能性があります。
広島県では、こうしたものづくりの分野だけでなく、観光を始めとするサービス業の分野でも、新たな需要創造に向けた動きがみられます。例えば、広島県は2つの世界遺産を擁しているほか、昨年5月の米国大統領の訪問や広島東洋カープの25年振りのリーグ制覇により、国内外での知名度は一段と向上しました。このため、このところ観光客数は大幅に増加しています。しかしながら、観光客一人当たりの旅行消費単価は全国より低く、せっかくのチャンスを十分に活かしきれていません。こうした状況を打開するため、広島県では、民間事業者に対する補助金の交付等を通じて、周遊促進と滞在期間の延長につながる観光プロダクト・サービスの支援を強化しています。このほか、広域観光を推進するため、広島県が中心となって近隣6県とともに観光地活性化組織「せとうちDMO」が昨春設立されました。本組織には地元金融機関も参画し資金面でのサポートを行っています。瀬戸内地域の観光産業活性化に向けて、産官金が積極的に連携する姿には、私自身、大いに頼もしさを感じています。
日本銀行としても、広島支店を通じて情報収集と分析を丹念に行い、地域活性化に向けた取り組みに少しでも貢献できるよう努めてまいりたいと考えています。最後になりましたが、広島県経済のますますの発展を心より祈念し、挨拶の言葉とさせて頂きます。
ご清聴ありがとうございました。