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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営大阪経済4団体共催懇談会における挨拶

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年9月25日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、関西経済界を代表する皆様とお話しする機会を頂き、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より私どもの大阪、神戸、京都の各支店の様々な業務運営にご協力頂いています。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。

本日は、最近の経済・物価情勢に対する日本銀行の見方をご説明した後、金融政策運営の考え方についてお話ししたいと思います。

2.経済情勢

それでは最初に、わが国の経済情勢についてお話しします。わが国の景気は、緩やかに拡大しており、4~6月期の実質GDP成長率は年率で2.5%というしっかりとした伸びとなりました。6四半期連続でプラス成長が続いていますが、これは2006年以来、11年振りのことです(図表1)。先行きについても、景気は緩やかな拡大を続けるとみています。以下では、こうした景気拡大における最近の特徴を、いくつかご紹介したいと思います。

第1に、外需と内需がバランスよく景気を牽引しているということです。海外では、先進国、新興国ともに、製造業の業況感が改善傾向にあり、世界全体の貿易量も回復しています。わが国の輸出も、自動車関連や資本財を中心に増加傾向を辿っています(図表2)。内需についても、企業収益が過去最高水準で推移するなか、設備投資は緩やかな増加基調にあります。個人消費は、雇用・所得環境が着実に改善するもとで、このところ底堅さを増しています。さらに、最近では、昨年策定された政府の大型経済対策の効果が出ており、公共投資も増加しています(図表3)。このように、現在の景気拡大は、一つの要因に偏ることなく、外需と内需、内需の中でも民需と公需という複数の柱がバランスよく貢献する形となっています。それだけに、この先も息の長い景気拡大が続くことが期待できると考えています。

最近の経済に関する第2の特徴は、景気拡大の裾野が様々な経済主体に拡大していることです。リーマン・ショック以前の2000年代半ばの景気回復局面では、企業の規模や地域ごとに、業況感の改善度合いに相当のばらつきがありましたが、今回は比較的小さなものにとどまっています(図表4)。ちなみに、近畿地方の企業の業況感をみると、一昨年から昨年にかけて全国平均を下回って推移していましたが、昨年後半以降、海外経済が明確に回復するもとで、急速に改善しています。雇用・所得環境をみても、今回の景気拡大は、幅広い層にプラスの影響が及んでいます。労働需給タイト化の好影響を真っ先に受けやすいパートの時給は前年比+2%台半ばと、正社員よりも高い伸びを示しており、水準でみた両者の時給の差は縮小してきています。希望する人にとって、パートから正社員への転換が容易になっているとの声も多く聞かれています。また、正社員についても、有効求人倍率が2004年の調査開始以来、初めて1倍を超えました(図表5)。このように、正社員、パート労働者ともに、景気拡大の好影響を受けています。労働市場全体としても、失業率が3%程度まで低下し、ほぼ完全雇用といえる状況が実現しているほか、有効求人倍率は1.52倍と、バブル期のピークを超え、実に1974年以来の水準に達しています(図表6)。

こうした労働需給の引き締まりが一つのきっかけとなって、幅広い企業や業種で労働生産性を高める動きがみられていることも、最近の日本経済の一つの特徴です。人手不足に伴う賃金の上昇は、企業からみれば労働コストの上昇です。多くの企業は、コストの増加がそのまま販売価格の上昇につながることのないよう、様々な工夫を講じています。典型的には、ITを活用した省力化・効率化投資です。例えば、労働集約的な小売や宿泊・飲食では、このところソフトウェア投資額の増加が目立っています(図表7)。また、ビジネス・プロセスの見直しも行われています。スーパーマーケットやファミリーレストランなどで、客足の少ない深夜や早朝の営業をとりやめ、限られた労働力を日中の時間帯に集中的に投入するといった取り組みは、その一例です。営業時間の短縮によって労働投入量を減らす一方、売上はさほど減らさずに済むわけですから、結果的に企業の労働生産性は向上することになります。

これらの取り組みのうち、省力化・効率化投資の拡大は、最近の設備投資の伸びに少なからず寄与しています。また、より長い目でみても、企業の様々な取り組みは、日本経済の成長力を高めるうえで重要な役割を果たすものと期待しています。生産年齢人口が減少するわが国では、これを補うために労働生産性を引き上げることが不可欠です。簡単なことではありませんが、最近の広範な人手不足のもとでの様々な取り組みの拡大は、わが国経済の長年の課題である生産性引き上げに向けた推進力になり始めていると考えています。

3.物価情勢

続いて、物価情勢についてお話しします。生鮮食品を除いた消費者物価の前年比は、このところ0%台半ばまで上昇していますが、エネルギー価格上昇の影響も除いた消費者物価の前年比は0%程度と、依然として弱めの動きが続いています(図表8)。もっとも、日本銀行では、先行き、消費者物価の前年比はプラス幅の拡大基調を続け、2%に向けて上昇率を高めていくと考えています。以下では、これが実現していくプロセスについて、企業の視点を意識しながらご説明したいと思います。

まず、労働コストの上昇にもかかわらず、足もとの物価上昇ペースが緩慢であることの背景には、先ほどご紹介した、企業におけるコスト吸収努力が影響しています。すなわち、わが国では、省力化投資やビジネス・プロセスの見直しなどを通じて、従業員に支払う給与を引き上げつつ、自社の製品やサービスの価格は据え置いているケースが多くみられます。価格を上げない理由としてよく指摘されるのは、「自社が値上げをしても、他社が値上げをしなければ、顧客離れが生じ、競争力を失う」という一種の警戒感です。他社も同時に同じことを考えていますから、競合企業同士が互いに様子をうかがいながら、誰もが一歩前に踏み出せない状況となっているのかもしれません。こうした判断自体は、厳しい競争に晒されている企業にとっては合理的な選択です。ただ、その結果として、必要なコストの転嫁ができず、物価が上昇しにくくなっている面もあります。

それでは、先行きはどうでしょうか。これまでも様々な合理化努力を行ってきた企業が、これからもそうした取り組みによって労働コストの上昇に対応していくことは、次第に難しくなっていくように思われます。合理化努力の継続と同時に、吸収しきれないコストの上昇分については、これを価格に反映させていくことも必要になってくると思います。実際、このところ、一部の企業が値上げに踏み出したとき、競合他社がこれに追随する環境も次第に整いつつあるようにうかがわれます。これだけ労働市場がタイト化していれば、どの企業も、同じように労働コストの吸収に限界を感じている可能性が高いからです。また、労働需給の好転によって人々の雇用・所得環境が改善するなか、消費者の側も、値上げに対する受け止め方が少しずつ変わってきているように思います。この春に大手運輸企業が宅配サービスの料金を引き上げる方針を打ち出した後には、競合他社においても同様の動きがみられています。人件費の上昇などを理由に、飲食業のうち3割強に上る企業が本年度中に値上げを予定しているとの報道もありました。こうした動きには、労働需給の引き締まりと経済環境の改善を受けて、企業の価格設定スタンスが変化してきている可能性が表れているようにも思います。

現在のところ、このような変化が経済全体の大きな流れになっているとはいえませんが、今後とも景気が緩やかな拡大を続けていくなか、企業、消費者の双方でコスト転嫁に対する姿勢が変わっていけば、価格を引き上げる動きが、「点」から「面」に徐々に拡がっていくと思われます。また、これによって現実の物価が上昇すれば、先行きの物価に対する見方、すなわち、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率も高まっていきます。日本銀行としては、このような形で、2%の「物価安定の目標」の実現に向けて、物価上昇率が次第に高まっていくと考えています。

4.日本銀行の金融政策運営

次に、日本銀行の金融政策運営の考え方についてお話しします。日本銀行法に定められているとおり、日本銀行が行う金融政策の目的は、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ことです。この「物価の安定」を具体的な数字で表したものが、消費者物価指数の前年比上昇率「2%」です。

「なぜ2%なのか」については、「統計上のバイアス」、「将来の政策対応力の確保」、「グローバル・スタンダード」の3つの理由がありますので、これを順にご説明します。

まず、「統計上のバイアス」についてです。やや技術的な話ですので、詳細な説明は省略しますが、私どもが参照している消費者物価指数という統計には、物価上昇率を実態よりも高めに表す「くせ」があります。このため、消費者物価指数でみて0%の物価上昇率を目指すと、実態としては、マイナスの物価上昇率を目指すことになってしまいます。物価の安定を確保するためには、ある程度プラスの物価上昇率が必要と考えられます。

次に、「将来の政策対応力の確保」についてです。通常、物価上昇率に応じて名目金利の水準が決まってきます。リーマン・ショック直前の2007年頃の金利水準をみると、物価上昇率が2%程度で推移していた米国や欧州では、政策金利が4~5%程度であったのに対し、物価上昇率がほぼ0%だったわが国では、政策金利である無担保コールレート・オーバーナイト物の金利は0.5%にとどまっていました(図表9)。リーマン・ショックは、世界各国の経済に大きなショックをもたらしましたが、米国や欧州は、政策金利をほぼ0%まで引き下げ、金利4~5%分の金融緩和効果でこのショックに対抗しました。その際わが国でも、米欧と同じように政策金利をほぼ0%まで引き下げましたが、0.5%分の金融緩和効果しか生み出すことができませんでした。わが国の実質GDPが、危機の震源地である米国や欧州よりも大きく減少したことは、皆様もご記憶のとおりです。このことは、金利水準の違いがもたらした政策対応力の差が、日本経済の落ち込みを相対的に大きくする一因となった可能性を示唆しています。名目金利の水準が高い状況にあれば、将来の景気後退に金融政策面から対抗する力が高まります。言い換えれば、日本経済の持続的な成長のための保険を用意することができると考えています。

ここまで、統計上のバイアスと将来の政策対応力について話を進めてきました。しかしこれだけで、「2%」という数字に自動的に辿り着くわけではありません。海外では、政策対応力のさらなる引き上げを図るため、「3~4%」の物価上昇率を目指すべきとの提言も行われています。この提言そのものは、あまり現実的ではないように思いますが、それではなぜ、「2%」が丁度よい水準であると考えるのでしょうか。

ここで、「グローバル・スタンダード」という3つ目の理由がポイントとなります。現在、主要国の中央銀行はいずれも、2%程度の物価上昇率を目指して金融政策運営を行っています。こうしたもとで、わが国も2%を目指して政策運営を行うことは、長い目でみた為替相場の安定にもつながると思われます。為替相場は、短期的には様々な要因で変動しますが、長期的なトレンドは、内外の物価上昇率の格差を反映すると考えられています。自国と諸外国の物価上昇率が同程度の水準で安定的に推移すれば、長い目でみて、結果的に為替の安定につながっていくことになります。

以上3つの理由から、日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率2%を「物価安定の目標」として掲げています。もっとも、2%というプラスの物価上昇率を目指すというと、違和感を持たれる方もいらっしゃると思います。例えば、日本銀行が個人を対象に実施している「生活意識に関するアンケート調査」では、物価の上昇について、約8割の方が「どちらかと言えば、困ったことだ」と答えています。

ここで改めて申し上げておきたいことは、日本銀行の金融政策運営において目指しているのは、単に「物価を上昇させること」ではありません。消費者物価の前年比上昇率でみて2%という「物価の安定」が実現するもとで、人々の所得もしっかりと増加するという好循環が働く経済を目指しています。過去のデータをみると、消費者物価の上昇率と賃金の上昇率は概ねパラレルに動いています。米国や1980年代の日本では、物価が上昇するなか、総じてこれを上回るペースで名目賃金も上昇しています(図表10)。春闘などの賃金交渉の場において、現実の物価の動きが交渉材料となることを踏まえれば、こうした物価と賃金の関係は素直に理解できます。また、こうした経済環境のもとでは、通常、名目金利も上昇します。金利は、個々の経済活動に対する投資の収益率ですから、経済全体でみれば、中長期的に、わが国の名目成長率に見合った水準に収斂していくと考えられます。景気が拡大し、物価が安定的に上昇している経済のもとでは、名目賃金も名目金利も上昇するため、給与所得者だけでなく、金利生活者の所得も増加していきます。

このように、日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」を達成することで、これに見合って人々の所得も増加するバランスのとれた経済を実現しようとしていることを、改めて強調しておきたいと思います。

5.おわりに

最後に、現在の金融政策運営について簡単にご説明して、私のご挨拶を終わりたいと思います。

日本銀行は、現在、2%の「物価安定の目標」の実現を目指して、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という強力な金融緩和政策を実施しています。この枠組みはちょうど1年前に導入されました。昨年のこの懇談会の席上、当時、導入したばかりであったこの新しい政策を、皆様にご紹介させて頂きました。

「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は、消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」と、毎回の金融政策決定会合で決定される金融市場調節方針のもとで長短金利の操作を行う「イールドカーブ・コントロール」の2つの要素からなっています。この1年間を振り返ると、わが国の長期金利は、操作目標である「ゼロ%程度」で安定的に推移し、貸出金利や社債金利もきわめて低い水準となっています。また、企業からみた金融機関の貸出態度は、大企業、中小企業ともに、引き続き積極的であり、銀行貸出の残高は、このところ、前年比で3%台前半の伸びとなっています。こうしたきわめて緩和的な金融環境や、そのもとでの金融機関の前向きな取り組みは、わが国の企業活動をしっかりとサポートしていると考えています。

2%の「物価安定の目標」の実現までにはなお距離がありますが、日本銀行としては、これをできるだけ早期に実現するため、今後とも、強力な金融緩和を粘り強く推進していく方針です。

ご清聴ありがとうございました。