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【挨拶】 デジタルイノベーション、金融、中央銀行 国際決済銀行 決済・市場インフラ委員会アウトリーチ会合における挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年10月4日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。

本日の会合は、最新の情報技術と金融との接点という、中央銀行にとっても大変興味深いテーマに焦点を当てています。現在、急速な情報技術革新のもとで、従来からの金融ネットワークと、eコマースやシェアリングエコノミーなどの多様なビジネスが、スマートフォンやビッグデータの活用などを通じて結び付くことによって、新たなネットワークが形成されつつあります。

このような新分野に関する知見を深めるとともに、イノベーションを経済厚生の向上に繋げていく上では、金融機関やIT企業、公的当局など、多様な主体が協力していくことが重要な鍵になります。本日この場に、学界関係者に加え、金融機関や海外中央銀行など幅広い主体がお集まり頂いているのも、只今申し上げたような金融イノベーションにおけるネットワークの重要性を、まさに反映しているように感じます。

そこで本日私からは、金融イノベーションにおける関係者間相互の協力とネットワークの重要性、さらには日本銀行の取り組みなどについて、一人の数学者を例に取りながら、お話し申し上げたいと思います。

2.協力とネットワークの便益

ハンガリーの数学者ポール=エルデシュは、多くの数学者との共同作業を通じて、ネットワーク理論など、新しい数学の地平を切り開いた人として知られています。

エルデシュは共著論文が大変多いことでも知られ、「世界中の数学者が、何人の共著論文者を介してエルデシュに繋がっているか」を示す「エルデシュ数」という数まで生まれたほどです。

これはもちろん、エルデシュへの敬意をユーモアで示したものですが、同時に、一般には個々人が各々の頭で考え、単独作業に向いていると思われている数学という学問が、実は相当程度共同作業によって進歩・発展してきていること、更にはそれが相互に連関し合ってネットワークを形成していることを我々に気づかせてくれます。

このようなネットワーク性は、数学の世界に止まらず、今日の経済社会を特徴付ける一つのキーワードでもあります。道路や鉄道、通信はもちろん、グローバル化する企業取引に至るまで、現在の経済を支えるインフラは、その多くが複雑なネットワークを形成しています。

なぜ、このようなネットワークが形成されてきたのかといえば、それは、モノや情報のやり取りや関係性が単純な一本の線に止まらず、相互に繋がり合ってネットワーク化することで、その利便性などが飛躍的に高まるからだと考えられます。例えば、私もいろいろな場所の国際会議に出かけますが、今や飛行機を2回も乗り換えれば殆どの場所に行けますし、飛行機と鉄道を乗り継ぐ手段まで使えば、行くことのできる範囲はさらに広がります。また、帰りのフライトがたとえ欠航になっても、他の経路で何とか帰ることができます。これらは言うまでもなく、空港間のネットワークが繋がり合い、さらには鉄道などのネットワークとも接続することで、世界をカバーする複雑な交通ネットワークが形成されていることによるものです。本日この場にも多数の皆様に世界中からお集まり頂いていますが、現在、国際会議が頻繁に行えるのも、このような交通ネットワークの発達が大きく寄与しています。

金融も、このようなネットワーク性を強く持っています。

例えば、おかねやクレジットカードなどの支払決済手段は、多くの人が使うほど、その利便性が高まります。商店の側では、なるべく多くの顧客が使う支払決済手段を受け入れる体制を整えようとするでしょうし、顧客の側も、なるべく多くの店で使える支払決済手段を持っておこうとするでしょう。さまざまな支払決済手段の普及度合いについて各国間でかなりの差があり、また、いったん拡大を始めた支払決済手段が一気に大きなシェアを占める事例がみられることも、このようなネットワーク性を反映しているように思います。

また、銀行ATMのような、銀行の運営する支払決済ネットワークを考えてみても、各行が構築したATMネットワークがさらに相互に接続することで、顧客にとっては、自らの預金が引き出せるATMの数が飛躍的に増えることになります。これも、ネットワーク化による利便性の向上を示すものです。

現在、多くの銀行が繋がり合って構築されている支払決済ネットワークは、時に国境を越えて、資金の払い手と受け手を結び付けています。さらに、銀行や金融市場は、預金者や投資家などの資金の出し手と、資金の取り手を見つけ出し、繋ぎ合わせる機能を果たしています。

3.デジタルイノベーションと金融ネットワークの発展

このような金融ネットワークは、さまざまな技術によって支えられながら発展を遂げ、経済の成長を支えてきました。

銀行間での資金のやり取りや金融市場取引を行う際、当初は、手形や小切手、株券など、紙で作られた有価証券が大きな役割を果たしてきました。そうした時代、有価証券は自動車や鉄道などで物理的に搬送され、やり取りされていました。

その後、金融ネットワークは、通信やコンピュータなどのイノベーションを背景に、複雑化する経済のニーズに応えながら一段と大きく発展してきました。この中で、銀行の支払決済ネットワークでは、手形や小切手といった紙媒体に代わり、電信での送金やデビットカードなどが使われるようになり、また、株式や債券の世界でも、紙の有価証券のやり取りに代わり、証券登録機関が電子化された情報を管理するようになりました。

4.「集中型」と「分散型」

こうした、20世紀後半に発展した金融インフラの多くは、大口決済システムや清算機関、電子化された証券決済システムにみられるように、特定の主体が帳簿の管理を行ったり、大型電算センターのようなインフラを運営したりする「集中型」の特徴を持っています。このような「集中型」のシステムは、これまで長期にわたり、高速かつ複雑な金融取引をサポートする基幹インフラとしての役割を果たしてきています。

一方で、最近、ブロックチェーンや分散型台帳などの「分散型」を特徴とする情報技術が新たに登場してきました。

「分散型」の特徴を持つインフラとして我々がまず思い浮かべるのは、90年代以降に急速に広まったインターネットではないかと思います。特定の管理者がいない中で、世界中の誰もが繋がることを可能としたインターネットは、家庭用のPCの普及などにも裏付けられ、短期間のうちに爆発的に普及しました。インターネットは、既に「ネットバンキング」や「eコマース」など、金融やビジネス全般のあり方を変える力となっていますし、社会や文化全般にも大きな影響を与えています。

さらに、最近登場したブロックチェーンや分散型台帳などの新しい技術は、以前からあった「分散型」の発想を、新しい技術の発展や組み合わせによって具体化することを可能とし、これを通じて「分散型」のコンセプトをさらに推し進めたものといえます。

ブロックチェーンや分散型台帳を応用する取り組みの多くは、なお実験段階にありますが、これらの取り組みでは、既存の金融ネットワークを、eコマースやシェアリングエコノミー、これらから得られるビッグデータなどと結び付け、さらに発展させていく可能性が期待されています。

このような、新たな「分散型」の情報技術の登場は、金融ネットワークの最適な姿を実現していく上で、採り得る技術の選択肢が増えることを意味しています。こうした中で、関係者は「集中型」と「分散型」という、それぞれの技術や構造の特性を踏まえながら、その応用可能性を検討していくことが求められます。

より具体的には、例えば「集中型」の構造を採るシステムでは、何よりもまず、中心となる主体が十分に信頼できることが必要不可欠です。逆に言えば、既にそのような主体が存在するのであれば、「集中型」の技術を用いて「既存の信頼を最大限活用する」ことが、メリットを持ちやすくなると考えられます。

一方、「分散型」の構造では、集中処理をする大型電算センター構築の費用を節約できるとか、特定のノードがダウンしても他のノードがカバーすることで、システム全体の稼動を維持できるなどのメリットが考えられています。このような特性が生かせるような分野では、分散型技術の応用を検討する意義も大きくなると考えられます。

こうした中、現実には、必ずしも純粋な「集中型」ないし「分散型」ではなく、その折衷的なものが検討され、生み出されているようにも思えます。例えば、「集中型」と言っても、全てを1か所に集中させるのではなく、「ハブ・アンド・スポーク型」の構造を複数作ったうえで、これら複数のハブを相互に繋ぐという、「分散型」の要素も採り入れた構造が多くみられます。先に私が申し上げた航空のネットワークはまさにその典型ですが、金融取引の清算や決済の世界でも、多くの小規模参加者が大規模な参加者にぶら下がる「階層構造」が数多くみられています。これも、「ハブ・アンド・スポーク型」の組み合わせとみることができます。

一方で、分散型台帳を応用する取り組みでも、「分散型」の構造を徹底させた、誰でも参加できる「パブリック型」のプラットフォームだけではなく、ネットワークへの参加者を限定する「コンソーシアム型」や「プライベート型」など、いわば「分散型」と「集中型」の折衷とも言えるプラットフォームの応用が数多く検討されています。

このように、ネットワーク構築のために取り得る技術の選択肢が広がる中、現実の金融取引実務や、金融と他のビジネスとのネットワーク間連携といった新たな動きも踏まえながら、さまざまな情報技術を最適なネットワーク設計のためにどう活かすべきか、今後さらに議論が深まっていくことが期待されます。

5.デジタルイノベーションと中央銀行

最後に、中央銀行の視点から、若干お話を申し上げたいと思います。

中央銀行はこれまでも、その時々で利用可能な技術を取り入れながら、銀行券や大口決済システムなど、経済社会の基盤インフラを提供してきました。

ブロックチェーンや分散型台帳などの新しい技術が登場する中、「中央銀行もこれらの技術を活用し、銀行券を代替するような中央銀行デジタル通貨を自ら発行してはどうか」とか、「中央銀行当座預金にブロックチェーンや分散型台帳技術を応用してはどうか」といった意見があります。

現時点において、日本銀行はそうした具体的な計画は持っていないのですが、純粋な調査・研究の視点からは、中央銀行デジタル通貨の問題は、中央銀行が自らの債務の形をとる決済手段として経済社会に供給している「銀行券」と「中央銀行当座預金」の双方に関わる、数々の興味深い論点を含んでいます。

例えば、銀行券は1年365日、1日24時間、誰でも使える決済手段です。これに対し、中央銀行口座に直接アクセスできるのは銀行など一定の主体に限られていますし、中央銀行決済システムの稼動時間にも制約があります。この点、全くの思考実験ではありますが、中央銀行デジタル通貨を万人向けに発行することは、「中央銀行口座へのアクセスを大幅に拡大し、中央銀行決済システムを1年365日、1日24時間使えるようにする」ことに近いともいえます。このように、中央銀行デジタル通貨を巡る議論は、「中央銀行は自らの決済インフラを、時間・空間の両面でどこまで踏み込んで経済社会に提供していくべきなのか」という、中央銀行にとって本質的な問題を再考させる一面を持っています。

また、中央銀行として、現時点でデジタル通貨を発行する具体的な計画は有していないものの、将来的に、新しい技術を自らのインフラ改善に役立てていく余地がないのか、不断の研究を重ねていくことが求められます。さらに、金融システムや支払決済システム全般の安定に責任を持つ立場からも、中央銀行は、これらのシステムに影響を及ぼし得る新技術の内容を深く理解する必要があります。

このような観点から、日本銀行は欧州中央銀行と共同で、昨年の12月から分散型台帳技術に関する共同調査「Project Stella」を実施しており、先月、これまでに得られた知見を共同論文の形で公表しています。

Project Stellaは、分散型台帳技術を用いた流動性節約機能を再現するなど、さまざまな先進的な実験を行っています。現在、他にも多くの海外中央銀行が、分散型台帳技術に関する実験を行っていますが、欧州中央銀行と日本銀行という世界の主要中央銀行が共同で作業を行うのは、現時点では世界で唯一の試みであり、エルデシュがまさに、多くの数学者との共同作業によって、新たな数学の地平を切り拓いていったように、新しい分野に対峙していく上で、大きな意義を持つものであると考えています。

今回の会合が、新しい情報技術を巡る関係者間のネットワーク強化に繋がり、ひいては、金融ネットワークの利便性や安全性の一段の向上に結び付いていくことを、心から期待しています。

ご清聴ありがとうございました。