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【講演】 マネーの将来 日本金融学会2018年度秋季大会における特別講演

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日本銀行副総裁 雨宮 正佳
2018年10月20日

目次

  • 2.マネーの機能
    マネーと信用
    マネーと情報処理
    中央銀行の登場と「二層構造」の成立
  • 4.マネーの将来
    マネーに求められる「信用」と暗号資産
    キャッシュレス化の一段の進展
    マネーとデータの接近
    「二層構造」の意義
    中央銀行の役割と機能

1.はじめに

日本銀行の雨宮でございます。本日は、日本金融学会の場でお話をする機会を頂戴し、大変光栄に存じます。

本日は、「マネーの将来」というテーマで、お話ししたいと思います。

近年、情報技術革新や、モバイルペイメントなど新たなキャッシュレス決済のグローバルな拡大、さらには仮想通貨の登場や中央銀行デジタル通貨の構想などを背景に、マネーの将来を巡る議論が一段と活発化しています。

改めて申し上げるまでもなく、マネーは金融、さらには経済社会の根幹です。そして中央銀行は、このようなマネーという基盤インフラの中核を担う存在として誕生しました。したがって、マネーの将来を考えることは、金融経済や中央銀行のあり方を再考することにもつながります。さらに、現在の世界的な「データ革命」とも言える動きがキャッシュレス化の大きな背景となっていることなどを踏まえれば、マネーの将来像は、今後の経済社会における情報やデータの活用のあり方とも、密接に関わるものといえます。

なお、予めお断りさせて頂きますが、この講演の中では「マネー」という言葉を、必ずしも中央銀行通貨や預金通貨に限定せず、幅広い支払決済手段を指す用語として使わせて頂きます。

2.マネーの機能

マネーと信用

まず、マネーの将来を展望する前に、マネーの成り立ちと機能について、簡単に振り返っておきたいと思います。

言うまでもなく、マネーは「言語」や「火」などとともに、人間が生んだ偉大な発明です。人間はマネーを通じて、時間や空間を超えた交換を行い、これにより経済社会を作り出しました。人間がマネー無しにモノやサービスを直接交換するには、よほどの偶然に恵まれる必要があります。

マネーの機能としては、通常、「価値尺度」、「価値保蔵」、「交換」の3つが挙げられますが、これら全ての根幹となっているのが「信用」です。すなわち、マネーがマネーとして機能できるのは、将来にわたりそれが受け入れられると、皆が信じているためです。言い換えれば、人間は幅広い他者との間で、このような無形の信用を「共有」し、「信用の連鎖」を築くことで、経済社会を形成することを可能とした訳です。

マネーの素材として、これまで貝殻や金属など様々な素材が使われ、その外形は時代とともに変貌を遂げてきました。しかし、マネーの本質は、その素材の使用価値にある訳ではありませんし、仮に使用価値を持ってしまうと、費消され、むしろマネーとして機能しなくなってしまいます。例えば、有名なヤップ島の石貨は、使用価値を見出し難いだけでなく、そもそも大きなものは動かすことすら困難です。この中で、島民が交換の対価としての価値を見出したのは、石そのものではなく、これを切り出して運ぶのがいかに大変であったかという、石貨に込められた「情報」であり「ストーリー」でした。極端な事例では、石貨を運ぶ船が途中で嵐に見舞われ、石貨が海に沈んでしまった場合でも、そのストーリーを信用した島民は、海底にあるとされる、誰も目にすることのない石貨を対価として取引を行ったとされています。このことはまさに、マネーの本質が信用であることを物語っています。

マネーと情報処理

情報処理の面からみると、マネーは、様々なモノやサービスの価値を共通の単位によって「価格」として抽象化し、効率的な価格メカニズムが機能することを可能としました。

そもそも「物価」という概念も、マネー抜きでは考えられないものです。すなわち、物々交換で登場する価値尺度は、例えば「米10kgに対して肉1Kg」といったように、個別のモノ同士の「相対価値」です。これに対し、あらゆる財やサービスの価値を全て単一の価値尺度で表示し、さらに、これらを集計するといったことも、マネーの出現によって可能となりました。

このようなマネーの働きを通じた、取引に伴う情報処理の圧倒的な効率化こそが、人間が経済社会を構築できた原動力でした。歴史上のハイパーインフレが常に、経済の著しい機能不全を招いているのも、これが人々の「信用の連鎖」や「価格メカニズム」を壊し、情報処理を極端に非効率にするためと捉えることができます。

もっとも、出回っているマネーの種類や単位が複数にわたってしまうと、人々はこれらの信用力をいちいち評価しながら受入れの是非を判断したり、それぞれの間の換算レートについて合意する必要があり、これにより情報処理の効率性はかなり損なわれることになります。このような問題を克服したのが、銀行券の発行を一元的に担う、中央銀行の登場でした。

中央銀行の登場と「二層構造」の成立

中央銀行が、銀行券の発行を一元的に任せられるだけの信用を備えるには、そのための制度的枠組みの確立など、数多くの条件を満たす必要があります。このため中央銀行は、これらを満たすことを可能とするような近代国民国家の成立後に誕生しており、その歴史は多くの場合、せいぜい200年弱に過ぎません。中には、スウェーデンのリクスバンクや英国のイングランド銀行のように、17世紀後半に誕生した比較的歴史の古いものもありますが、これらは当初は商業銀行的な色彩を強く有しており、その後、近代的な中央銀行に変貌を遂げたものです。例えば、近代中央銀行のモデルとされるイングランド銀行が、銀行券の発行を一元的に担うようになったのは、1844年の「ピール銀行条例」の時であり、今から174年前のことです。

このような中央銀行の登場により、マネーの供給という観点からは、中央銀行と民間銀行との「二層構造」が成立することになりました。この中で、中央銀行は銀行券と中央銀行預金からなる中央銀行通貨、すなわちベースマネーを一元的に供給し、民間銀行はこのベースマネーを核とする信用創造を通じて、預金通貨を供給してきました。

この二層構造は、情報処理や資源配分などの面で様々なメリットを有しており、だからこそ、近代中央銀行の成立から僅か200年弱しか経っていないにもかかわらず、今日では殆どの国々がこの仕組みを採用するに至ったと考えられます。すなわち、中央銀行がベースマネーを一元的に発行することで、人々は、複数の通貨単位について、これらをいちいち評価し換算する負担から解放されます。一方で、民間銀行による信用仲介活動を通じて、経済への資金の配分は民間のイニシアチブを通じて行われることになります。さらに、民間銀行の信用創造は、経済情勢などを反映した需要の変動に対応して行われるため、マネーの供給もある程度弾力的に調整されることになります。

もちろん、民間銀行の信用創造やこれに伴う期間変換は、時に金融の不安定化要因ともなり得ます。だからこそ、預金保険や中央銀行による最後の貸し手機能、すなわちLLRも存在している訳です。しかしながら、これまでも民間銀行の信用創造を事実上排除する「ナローバンク」が学界などから提案されたにもかかわらず、現在も殆どの国でこのような二層構造が維持されているのは、そのメリットがなおデメリットを上回っているためと考えられます。

3.情報技術革新と支払決済手段のデジタル化

各種のデジタル支払決済手段

このような二層構造のもとで、銀行をはじめとする民間経済主体は、その時々で利用可能な技術を取り入れながら、様々な支払決済手段を発展させてきました。

例えば、クレジットカードやデビットカードは、利用者が多額の現金を持ち運ぶ代わりに、預金を移動させる指図を出す形で支払決済を行う仕組みです。また電子マネーは、一定の金額を予めカード等にチャージしておくことで、少額の乗車券等をいちいち購入する負担を軽減できるといったメリットを持っており、とりわけ日本で大きな発達をみています。

さらに、ノンバンクが自らの債務を提供する形のデジタル支払決済手段も、eコマースの発達等に伴い発達をみてきました。典型的なものとしては、米国のPayPal等が挙げられます。

グローバルなキャッシュレス化の潮流

そして現在、急速に進む情報技術革新を背景に、各種のキャッシュレス決済手段、とりわけ、スマートフォンなどのモバイル端末を利用するモバイルペイメントが、世界的に拡大しています。この背景としては、二つの大きな変化を指摘することができます。

まず一つ目は、携帯電話やスマートフォンの爆発的な普及です。2007年のiPhone登場以降僅か10年の間に、スマートフォンはグローバルに急速な普及をみました。世界中で銀行口座を持たない成人約17億人のうち、既に約3分の2の人々が携帯電話やスマートフォンを手にしているとの推計もあります。これに伴い、とりわけ新興国や途上国で、モバイルペイメントの急速な拡大が目立っており、中国などでは既存の決済手段を凌駕するシェアを占めるに至っています。モバイルペイメントは、店舗やATMといった固定的インフラの整備という段階を飛び越し、デジタル情報技術を通じて、金融サービスを新興国や途上国、貧困層などを含め全世界的に普及させる、「金融包摂」を大きく進めるツールとしても期待されています。

もう一つは、グローバルに進行する「データ革命」とも呼ぶべき動きであり、いわゆる「フィンテック」もその金融面の表れと捉えることができます。世界中の人々が日々刻々スマートフォンを操作する度に、SNSへの発信や位置情報、ウェブサイトの検索履歴など、巨大な量のデータが生み出されています。人類が過去に生み出したデータの9割以上は、最近2年間に作られているとの推計もあります。一方でデータの処理能力も飛躍的に向上しており、今やデータは、広範な経済活動において、付加価値を生む新たなアセットとしての性格を一段と強めています。この中で、キャッシュレス決済手段は、取引に伴う様々なデータを収集し活用するためのプラットフォームとしても注目を集めています。近年急速な成長を遂げた巨大データ企業の多くが、キャッシュレス決済の分野に進出しているのも、これによるビッグデータの収集や活用が大きな動因になっていると考えられます。

暗号資産・中央銀行デジタル通貨

この間、「仮想通貨」ないし「暗号資産」と呼ばれる新たな媒体も登場しています。

2009年に最初の暗号資産である「ビットコイン」が誕生した後、新しい暗号資産が次々と発行され、現在は2,000近い暗号資産が存在すると言われています。これらの暗号資産は、デジタル情報技術の中でも、ブロックチェーンや分散型台帳技術といった「分散型」の技術に基づいていること、特定の発行者を持たないこと、さらに、円やドル、ユーロといったソブリン通貨単位を用いないことを特徴としています。

さらに最近、学界や国際的なフォーラムでは、中央銀行が自ら、新しい情報技術を活用し、銀行券の代わりに使えるようなデジタル通貨を発行すべきではないか、との提言もみられています。また、銀行券が急速に減少しているスウェーデンや、銀行券に関するインフラが十分に整備されていない新興国・途上国などでは、このようなデジタル通貨の発行について、真剣な検討を行う中央銀行もみられるようになっています。

4.マネーの将来

では、今後、マネーはどのような姿に変貌していくのでしょうか。もちろん、技術進歩がきわめて急速であり、支払決済や金融経済を取り巻く環境も急激に変化している中、将来のマネーの姿を確度を持って予見することは容易ではありません。このことを承知の上で、これまで見てきたようなマネーの機能や本質に照らしながら、マネーの将来像について、敢えて私なりの展望を試みたいと思います。以下、5つのポイントにまとめて申し述べます。

マネーに求められる「信用」と暗号資産

第一に、発行者を持たず、ソブリン通貨単位を用いない暗号資産が、信用と使い勝手を備えたソブリン通貨を凌駕する形で、支払決済に広く使われていく可能性は低いように思います。

将来のマネーがいかなる形態をとるにせよ、ヤップ島の石貨の事例が示すように、マネーが「信用」を基盤とする点は変わらないでしょう。そして、このような信用を築き上げるには「コスト」がかかります。石貨の場合は、石を切り出し、時に嵐の中を運ぶ労力がこれに相当します。そしてソブリン通貨の場合は、中央銀行の独立性を担保する制度的枠組みや、信頼に足る業務や政策のトラックレコードなどが必要となります。もちろん、中央銀行への信用が一たび失われれば、ソブリン通貨といえども受け入れられなくなることは、ハイパーインフレの事例が示す通りです。一方で、こうした信用がしっかり確保されている限り、中央銀行は既にある信用を利用することで、ソブリン通貨、すなわち自らの債務を、低いコストで発行できます。

これに対し、暗号資産がソブリン通貨を凌駕して使われるためには、既に確立されている中央銀行の信用と競わなければなりません。しかしながら、暗号資産は、信用をゼロから築き上げるために、取引の検証 ― マイニング ― のための膨大な計算や、これに伴う大量の電力消費などのコストがかかります。このような制約を持つ暗号資産が支払決済に広く使われていく上でのハードルは、相当高いように思われます。現在、暗号資産が日常の支払決済手段としては殆ど使われず、専ら投機的な投資の対象となっている姿も、このことを裏付けているように思います。

もちろん、暗号資産の基盤技術であるブロックチェーンや分散型台帳技術は、有望な技術ですし、これらの技術をソブリン通貨などの信用と結びつけることで、取引や決済の効率化を実現できる可能性もあるように思います。このような観点から、現在、多くの中央銀行がこれらの技術に関する調査や実験を行っています。日本銀行も、欧州中央銀行との間で、分散型台帳技術に関する共同調査“Project Stella”を進めています。

キャッシュレス化の一段の進展

第二に、今申し述べた暗号資産とは異なり、ソブリン通貨単位を用いつつ、デジタル情報技術を一段と活用する形での支払決済のキャッシュレス化は、今後とも進んでいくと考えられます。

もちろん、あらゆる支払決済手段は強い「ネットワーク外部性」を持っているため、新たな決済手段が直ちに、現金を一気に凌駕して使われていくとまでは言い切れません。とりわけ、既に現金が広く使われている国々ほど、キャッシュレス決済手段の普及には時間がかかりやすいと予想されます。また、低金利の国々では、価値保蔵手段として現金が需要されやすい面もあると考えられ、支払決済の面でキャッシュレス化が進んでも、現金の残高の方はなかなか減少しないことも考えられます。

もっとも、国によりスピードの差はあるにせよ、以下で申し述べるような点を踏まえれば、支払決済におけるキャッシュレス化の流れは、基本的には続いていくように思います。

まず、マネーの本質が信用にある以上、それが必ずしも金属や紙という形をとる必然性はないと考えられます。さらに、ヤップ島では海底に沈んだ石貨すらマネーとして機能したことを考えれば、無形のデジタル信号がマネーの役割を果たしていくこと自体は、決して不思議なことではありません。もちろん、これまでマネーの媒体として広く使われてきた「紙」は、情報やデータを「書き込み」、「伝達し」、「表示する」という機能を併せ持つ、人類の偉大な発明の一つであり、だからこそマネーや証券の媒体として広く使われてきました。しかし現在では、情報やデータの書き込みや伝達をデジタル技術で行い、これをスマートフォンやPC上に表示することが、より容易になっています。

また、技術革新や、eコマースなどデジタル・ベースで行われる経済取引の発達などに伴い、キャッシュレス化が人々の生活の利便性向上に結び付く局面も増えています。例えば、電子マネーやETCの普及により、駅の改札や券売機、料金所などの混雑は、かなり緩和されたように思えます。現金からキャッシュレス手段への移行局面では様々なハードルもある訳ですが、人々が、例えば「支払のために列を作って待たなくても良い」といった利便性を実感するにつれ、キャッシュレス化の勢いは増していくでしょう。

さらに、データが「21世紀の石油」として、付加価値を生み出すアセットとしての性格をますます強めている中、デジタル化された支払決済手段が、紙よりもはるかに多くの情報やデータを書き込み、伝達できることも、キャッシュレス化を進める要因となるでしょう。

マネーとデータの接近

そこで、三番目に申し述べたいことは、先行き、マネーとデータはますます接近していくだろうということです。

殆どの経済取引は支払決済を伴う訳ですが、現金とは異なり、デジタル化された支払決済手段は「誰が、いつ、どこで、何を買ったか」といったデータまで媒介することも可能です。現在、多くの巨大IT企業がキャッシュレス決済の分野に参入するとともに、これらのサービスを安価、ないし時に無料で提供できているのは、企業側が支払決済サービスをデータ収集のプラットフォームと捉え、集めたビッグデータを様々な用途に活用できるためと考えられます。これらのサービスのユーザーは、サービス利用の対価を、自らのデータを提供する形で支払っているとみることもできます。

同様に、ポイントカードやeコマースの利用による割引は、企業側が顧客のデータを実質的に「買っている」とも捉えられます。また、顧客側がこれらの取引を通じて貯めた「ポイント」を広範な財やサービスの購入に利用する場合、自らのデータをマネーに換えているとも言えます。このように、キャッシュレス決済を通じた顧客データの蓄積や活用が進むにつれて、データとマネーは、ますます接近していくことが予想されます。

デジタル情報技術の進歩は、マネーが、価値情報にとどまらない様々な情報やデータの媒体としての機能も備えていくことを可能としています。一方で、ユーザー側にとっては、支払決済に伴う匿名性やプライバシーの確保が、一段と重要な課題になっています。この中で、将来のマネーは、媒介する情報やデータを双方向から制御できるような機能も、拡充していくことが考えられます。例えば、顧客情報を集めたい企業が、ポイントカードに加入したり、ネット決済の際に年齢や趣味など様々な属性情報も併せて入力してくれる顧客に対し、追加的なポイントや割引を提供するといったケースがよく見られます。このように、企業側が支払決済の機会を利用し、きめ細かい価格戦略を通じて自らのビジネス上有益な顧客情報を集めようとする動きは、今後も続くでしょう。その一方で、顧客側も、企業側に渡したくないデータを支払手段から切り離したり、その利用を制限することで、自らのプライバシーを守るといった機能が、求められていくように思えます。

また、このようなマネーとデータの接近は、経済や金融の構造にも、様々な影響を及ぼしていくと予想されます。

例えば、グローバルな情報技術革新やデータ革命は、買い物の際のポイントカード割引などが示すように、企業側も顧客側のデータを実質的に買入れ、その分を販売価格から差し引く形での値引きを可能とするなど、各国で物価を幾許か押し下げる力として働いている可能性が考えられます。

また金融の面では、これまで民間銀行は預金を核として、支払決済サービスと信用仲介サービスの両方を提供してきました。これに対し、近年、金融分野に参入しているIT企業やeコマース企業は、ビッグデータやデータ収集のプラットフォームを核として、金融サービスを含む広範なビジネスを展開しています。このように、データとマネーの接近は、金融サービスの供給構造も変化させていく可能性が考えられます。

金融サービスのユーザーである個人や企業は、「情報やデータの束」とも捉えることができます。この中で、例えば企業は銀行などに対し、自らの経営体力やビジネスのリターン・リスク等に関する情報やデータを提示し、信用供与などのサービスを受けてきました。このように、もともと金融サービスが「情報処理」の固まりであることを踏まえれば、情報技術革新のもと、これからの金融サービス提供主体は、顧客から情報やデータを預かり、これらを守りながら、それぞれの顧客のために最適なサービスの提供に努めるという「情報バンク」、「データバンク」としての性格を、一段と強めていくと予想されます。また、この観点からも、金融サービスの提供主体には、顧客情報の管理やデータセキュリティが、一段と強く求められることになるでしょう。

さらに、新たに金融サービス分野に参入し、自らの債務を広範に支払決済手段として提供するノンバンクなどに金融当局がいかに関与すべきか、また、そのためにいかなる枠組みを用意すべきかといった、新たな論点も生まれています。これは、究極的には金融業の定義にも関わり得る問題です。

「二層構造」の意義

第四に、中央銀行と、銀行など民間主体との「二層構造」は、今後も維持されるだろうということです。

先ほど申し述べた中央銀行デジタル通貨を巡る議論では、そのメリットとして、取引や支払決済の効率化に加え、とりわけ学界では「名目金利のゼロ制約を乗り越えやすくなるのではないか」との主張もあります。さらには、中央銀行デジタル通貨が民間銀行の決済性預金を完全に代替すれば、民間銀行の期間変換や、さらには預金保険や中央銀行のLLR機能も不要となり、金融の安定にも寄与するのではないかとの主張も聞かれます。これは「ナローバンク論」に近い議論と言えます。

しかし、中央銀行によるデジタル通貨の発行が、金融政策の有効性向上や金融安定に本当に寄与するのかについては、検討すべき点が数多く残されているように思います。

例えば、名目金利のゼロ制約を乗り越えるには、現金を無くす必要があります。仮に中央銀行がそのデジタル通貨の金利をマイナスにしても、現金が残る限り、これへの資金シフトは起こるからです。しかし、現在広く利用されている現金を無くすことは、決済インフラをむしろ不便にすることになります。また、現金には電力に依存しないというメリットがあることは、先日の北海道の地震でも示された通りです。これらを踏まえれば、現金を今、敢えて無くすことは、決済インフラの提供を通じて経済社会に貢献することを使命とする中央銀行として、採り得ない選択肢です。

また、中央銀行が、現金の代替にとどまらず、預金まで代替し得るような汎用性の高いデジタル通貨を発行することについては、これが金融安定や金融仲介に及ぼす影響について、慎重な検討が必要です。

例えば、人々がモバイル端末等を通じて簡便にアクセスできる中央銀行デジタル通貨が発行され、そのもとで金融システムにストレスが生じた場合、預金から中央銀行デジタル通貨への資金シフトが起こることが考えられます。すなわち、従来は人々が銀行に来店し現金を引き出す形で起こっていた「取り付け」が、デジタル化された形で、より急激に起こり得ます。

また、中央銀行デジタル通貨が、現金だけでなく預金まで代替していった場合、銀行の信用仲介を縮小させ、経済への資金供給にも影響を及ぼし得ることになります。このように、中央銀行デジタル通貨が預金を代替する形で、これまでの「二層構造」を「一層」にしていくことには、民間イニシアチブを活かした成長資金の配分といった観点からも、論点が多いと考えられます。

情報やデータの観点からみると、現在の二層構造のもとで、中央銀行は、日々の取引における「誰がいつ、どこで、何を買ったのか」といったデータを自ら囲い込むことはせず、その収集や活用は民間に委ねているとも言えます。一方で、支払決済システム全体の安定に必要な情報やデータは、大口決済システムの運営を通じて把握しています。この点、中央銀行デジタル通貨の発行により、このような「二層構造」を「一層」にすることは、支払決済に伴う情報やデータの民間による活用にも影響を及ぼし得るものです。このような観点からも、中央銀行と民間主体による二層構造には、一定の合理性があるように思われます。

日本銀行は現在のところ、一般の支払決済に広く使えるようなデジタル通貨を発行する計画は持っておりません。また、デジタル通貨の発行について検討している海外の中央銀行も、取引の効率化や信用リスクのない支払決済手段の提供などを狙いとしており、預金の代替を目的に掲げている先は見当たりません。このことを踏まえても、中央銀行と民間主体 ― 民間主体といってもその中身は変わっていくかもしれませんが ― による二層構造は、今後とも維持されていく可能性が高いように思います。

中央銀行の役割と機能

第五に、キャッシュレス化が進んでも、中央銀行の金融政策やLLR機能は今後とも維持され、有効であり続けると考えられます。

まず、キャッシュレス化が今後さらに進んだ場合の金融政策への影響について、考えてみたいと思います。

第一のケースとして、円などのソブリン通貨単位で表示されない暗号資産が、ソブリン通貨を凌駕する形で支払決済に広く使われる場合は、理論的には「ドル化」のように他国通貨が流通するのと類似の状況となり、金融政策の有効性は相当失われることになります。もっとも、先程述べたように、このような暗号資産が取引に広範に使われていく可能性は低いように思います。

第二のケースとして、キャッシュレス決済手段が預金同様、銀行の債務という形をとっていたり、決済が預金の移転を伴う場合、金融政策の有効性が損なわれることは考えにくいように思います。実際、これまでも小切手やクレジットカードなど、預金の移転を伴う様々な決済手段が登場しましたが、これらによって金融政策の有効性が大きな影響を受けた訳ではありません。

第三のケースは、伝統的な銀行とは異なる主体が、自らの債務として、円などのソブリン通貨単位で表示される決済手段を広く提供する場合です。中国のAlipayWeChatPay、 ケニアのM-Pesaなど、現在、グローバルにみて拡大が目立っているのは、このようなサービスです。これは、ノンバンクが広範なネッティングサービスを提供することと類似しており、これに伴い、いくつかの新たな論点も生じ得ます。例えば、このようなサービスが拡大すれば、マネーサプライの流通速度を変動させ、従来からの定義に基づくマネーサプライと経済活動との関係を一段と不安定化させるかもしれません。また、先程申し述べたように、自らの債務を広く支払決済に提供するノンバンク企業を、金融安定の観点からどのようにモニタリングすべきかといった問題もありましょう。しかしながら、これらの問題は基本的には、統計や制度、あるいは金融政策運営手法の見直しなどを通じて対処可能なものです。

これらを踏まえると、キャッシュレス化の進行による金融政策への影響は、基本的には対応が可能なものであり、金融政策の有効性が損なわれる可能性は低いと考えられます。

また、中央銀行のLLR機能についても、中央銀行と民間主体による「二層構造」が維持され、民間による期間変換が行われる限り、今後も必要とされ続けるように思います。また、ソブリン通貨が支払決済に広く使われ続ける以上、LLRを通じたソブリン通貨の供給は、流動性不安の解消などに有効であり続けると考えられます。

同時に、支払決済サービスの担い手が多様化するもとで、中央銀行は、支払決済や金融の安定を確保する観点から、これらの新たな担い手にどのような働きかけやモニタリングを行っていくべきか、検討を深めていく必要があります。また、データの集積が進むとともに、モバイル端末など新たな金融サービスの媒体も増加し、サイバー攻撃の手口も高度化している中、データセキュリティやサイバー攻撃対応の重要性も一段と高まっています。これらの面にも、中央銀行の立場から、しっかりと対応していく必要があると考えています。

5.おわりに

以上、マネーの将来像に関し、現時点での私の「ベスト・エフォート」としての展望を申し述べました。

すなわち、暗号資産が支払決済に広く使われていく可能性は低いけれども、支払決済のキャッシュレス化の流れは続き、これとともにマネーは「情報やデータの媒体」としての性格も強めていくだろう、この中で、マネーとデータは一段と接近し、これが経済や金融の構造にも影響を与えていくだろうと思います。その一方で、中央銀行と民間主体による「二層構造」は今後とも維持され、中央銀行の金融政策やLLR機能も、有効であり続けると考えられます。

そのうえで最後に、大事な留保も申し上げておきます。只今私が申し上げた予測の賞味期限は、せいぜい2年から30年程度だろうということです。この30年という年限に明確な根拠がある訳ではありませんが、いわゆる「シンギュラリティ」 ― 技術的特異点 ― の到来を2045年、すなわち27年後とする予測を踏まえ、敢えてこう申し上げました。もちろん、私自身、この予測の妥当性自体を論評する知見を持っている訳ではありません。ここで私が強調したいのは、情報技術革新の驚くべき発展のスピードです。

僅か10年前の2008年を振り返ってみると、当時はリーマンショックの真っ只中で、暗号資産やブロックチェーンは存在すらしていませんでした。iPhoneKindle、シェアリング・エコノミーなども生まれたばかりであり、インスタグラムやフェイスブックの「いいね!」ボタンも、まだ登場していませんでした。

今日のスマートフォンの爆発的普及や、“GAFA”や“BATJ”といった巨大データ企業が今や時価総額で世界のトップを占め、金融分野にも参入するといった動きを、当時、誰が予測できたでしょうか。スマホアプリや電子書籍、さらには「いいね!」、「インスタ映え」といった、現代の人々の生活を象徴するツールは、いずれも最近10年間で急成長したものばかりです。そして、これからの10年間の変化のスピードは、これまでの10年間よりも、さらに加速していくことでしょう。

今後、例えば量子コンピュータやAIの進歩が、金融や、さらには経済社会をどのように変革していくのか、我々は走りながら考えていく外はありません。極端な思考実験をするならば、情報やデータのネットワークや処理能力がさらに飛躍的に発展し、世界中の人々が広範な財やサービスの直接交換についてマネーを介さずに瞬時に合意でき、その履行まで確保されるようになれば、最早マネー自体が不要となっていく可能性すら考えられない訳ではありません。

もちろん、経済に様々な不確実性が残る以上、見通し得る将来において、マネーの消滅まで展望することは現実的ではないでしょう。ただし、これまでもマネーは、経済社会における情報処理と密接不可分であったこと、そして、現在の情報技術革新やデータ革命が、今まさにマネーの姿にも影響を及ぼしつつあることを踏まえれば、マネーの将来像は、金融の将来、さらには経済全体としての情報やデータの活用のあり方とも深く関わってくることは確かでしょう。

このような状況下、マネーや金融は、学問的にもきわめてダイナミックな局面にあります。私自身、マネーや金融と情報技術やデータ革命との複雑な相互作用が、多くの新たな現象を生じさせている中、マネーや金融の研究が今後いかなる発展をみせていくのか、大いなる関心と期待を持っております。また日本銀行としても、今後とも学界と協力しながら、マネーや金融の動向を適切に把握し、中央銀行としての対応に誤りなきを期してまいりたいと思います。

今後の日本金融学会の益々のご発展を祈念して、私の話を終わらせて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。