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【講演】日本経済と生産性大和総研日本経済予測第200回記念コンファレンスでの特別講演

日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2019年3月25日

はじめに

こんにちは。日本銀行の原田です。

この度は、大和総研の日本経済予測が200回になられたとのこと、大変おめでとうございます。半世紀にわたる予測ですから、皆様方も日本経済の変遷とご自身の人生を振り返られて感慨深いのではないかと思います。そのような大事な節目を記念しての、大和総研日本経済予測第200回記念コンファランスにお招きいただき、講演の機会をいただきまして大変ありがとうございます。

日本銀行は2%のインフレ目標達成を目指して2013年4月から量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入、その強化を図って参りました。2%は達成できておりませんが、生産、雇用、投資、輸出、消費、財政状況などほとんどの経済指標が改善しています1。本日は、短期的な予測については他の講演者の皆様がお話しなさると思いますので、長期的なお話しをしたいと思います。

  • 本稿は筆者個人の見解を示すもので日本銀行の見解を示すものではない。
  1. 原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策-山梨県金融経済懇談会における挨拶要旨-」(日本銀行、2019年3月6日)を参照。

金融緩和政策と生産性

私は、大胆な金融緩和政策、QQEの、日本経済に対する最大の貢献は生産性を引き上げたことだと考えています。しかし、実は、経済学の教科書には、金融政策は、短期的には実質変数-実質GDP、生産、雇用などに影響を与えることができるが、長期的には名目変数-名目GDP、物価、為替レートなどにしか影響を与えることができないと書いてあります2。生産性も、実質GDPを雇用量や資本量という実質変数で割った実質変数ですから、本来は金融政策によって長期的に生産性が上がることはないのです。しかし、事実として生産性が上がっています。

ではなぜ、経済学に反して、金融政策によって生産性が上昇したのでしょうか。それを考える前に、まず事実を見たいと思います。

図1の生産性は、OECDが推計したもので、労働時間当たりの実質購買力平価GDPです。2013年からQQEを始めた訳ですが、2012年から17年までの日本の生産性上昇率は年率1.0%、それ以前の10年間は0.9%でした。これではわずかな違いしかないではないかと言われると思いますが、主要国の中でカナダに次いで2番目に高くなっています。リーマンショック後、世界的に生産性上昇率が低下している中で日本は高くなったのですから、値がわずかでも上昇したと評価して良いと思います。しかも、日本の労働者一人当たりの資本、資本装備率は低下しています3。これは、投資が十分であったならば、生産性はもっと上昇したことを意味します。

しかし、労働生産性では、評価に歪みが出る可能性があります。なぜなら、企業は生産性の高い人から順番に雇っていく傾向があるからです。すると失業率の高い国では生産性が高くなります。実際、失業率の高い国の生産性は高い傾向があります。イタリアもフランスも、図1で見たように、日本より生産性が高いですが、その失業率はそれぞれ11.3%と9.4%です(2017年の値。IMF, World Economic Outlook Database, October 2018)。しかし、失業率が高いとは、働きたいのに働けない人がいるということです。これは不幸なことです。失業率が低い、働きたい人がすべて働けた方が良いに決まっています。そこで、生産年齢人口一人当たりの実質購買力平価GDPという指標を考えてみました。これですと、働きたい人が働いていれば高く、働いていなければ低くなり、歪みは小さくなるはずです。

生産年齢人口一人当たりの実質購買力平価GDPを見たのが図2です。図と付表に見るように、QQE後の日本の成長率は主要国の中で最高となり、過去10年のトレンドよりも明らかに高くなっています。働きたい人が、より働けるようになったからです。

生産年齢人口一人当たりの実質購買力平価GDPのレベルを見ても、イギリス、フランス、カナダと並んで主要国の中位となります。

以上見ましたように、金融緩和とともに生産性は上昇しています。ではなぜ、経済学に反して、金融政策によって生産性が上昇したのでしょうか。なお、ここでの生産性は、労働時間当たりの生産性が上昇したこと、働きたい人がより多く働けるようになったことの両方を含みます。

  1. 2N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー経済学II マクロ編(第3版)』東洋経済新報社、2014年、には(長期的には)「貨幣量の変化は、(物価水準のような)名目変数のみに重大な影響を与え、(実質GDPのような)実質変数にはほとんど影響を与えない」(374頁)、「金融政策は長期においては中立(実質変数に影響を及ぼさない-筆者)であるが、短期においては実質変数に大きな影響を及ぼす」(397頁)とある。
  2. 3内閣府「平成29年度年次経済財政報告」の第2-2-8図を参照。

稼働率の上昇による生産性の上昇

生産性が上昇した理由として、まず短期的には稼働率の上昇があります。不況になって注文が減れば、工場の生産は低下する一方、労働者を簡単に解雇することはできませんから、労働生産性は低下します。好況の時には、この逆のことが起きます。

また、解雇が難しいと言っても、まったく解雇できない訳ではありませんから、不況になれば、失業者も増えます。不況期には人々は仕事探しを諦めて、好況期には積極的に探すということもあります。好況になると、失業していた人が働き始め、かつ、これまで仕事を諦めていた人も雇用環境の改善を受けて働き始めます。このような効果は非常に大きいと思います。

それ以上引き下げたらインフレになるという限度である構造失業率という概念があります。2014年ごろまで、構造失業率は3%台前半から半ば程度だと言われていました4。しかし、今や現実の失業率は2%台の前半で、インフレ率(消費者物価指数、生鮮食品を除く総合)は1%弱です。金融緩和政策によって、働きたい人が皆働けるようになるという意味での生産性は大いに高まったのです。QQEを続けていなかったら、2%台前半の失業率は実現していなかったでしょう。

景気が良くなれば、労働生産性の低い仕事を止めてしまうということもあります。不況になって売り上げが落ちれば、お店を開けている時間を増やしていくらかでも需要を取り込もうという動きが現れます。好況の時には、この逆のことが起きます。人手不足になれば、深夜まで営業していた飲食店も早めに店を閉めてしまいます。昼と夜の書き入れ時だけ営業すれば、労働生産性は高まります。これは、お店の稼働率を低めましたが、書き入れ時にはより多くの販売をしている訳ですから、労働の稼働率を高めたことになります。

  1. 4厚生労働省「労働経済の分析 平成27年版」、内閣府「経済財政白書 平成27年度」、日本銀行「経済・物価情勢の展望(展望レポート) 2014年10月」(基本的見解)などは、UV分析という手法によって構造失業率が3%台前半から半ば程度だと試算していた。日本銀行において、構造失業率の数値は2014年10月を最後に、「展望レポート(基本的見解)」の本文から落ち、注において「構造失業率を一定の手法で推計すると、このところ3%台前半から半ば程度であると計算される」と記されるようになり、2016年4月公表分以降は基本的見解の注からも削除され、背景説明の注のみで説明されるようになった。その後、2016年7月公表分からは、注からも構造失業率の数字が落ち、かつ「ここでの構造失業率はNAIRU (Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment [インフレ率を加速させない失業率])の概念と異なり、物価や賃金との直接的な関係を表す訳ではない」という説明が加わった。この間、構造失業率のグラフは背景説明にて掲載され、グラフからは構造失業率が3%台前半から徐々に低下していることが読み取れた。しかし、2018年4月のグラフでは、2.5%程度に急低下した。これを最後に2018年7月には、背景説明からも構造失業率のグラフが削除された。

ヒステリシスの解消による生産性の上昇

長期的にはヒステリシス(履歴効果)という問題があります5。不況になれば、企業は雇用や研究開発を含む投資を削減します。失業者は現実に働くことで得られる経験を積めません。就職氷河期世代の若者は様々な経験を積むことができませんでした。企業は人材への訓練投資も削減してしまいます。投資、特に研究開発投資の削減は長期に亘って生産性を低下させることになります。これを逆転させるにはきわめて長い時間が必要でしょう。そもそも、この間に失われたものを最終的に取り戻すことは現実的には難しいと思われます。特に、1990年代央から2000年代央、リーマンショック後の数年間の就職氷河期の若者が失った職場での訓練機会の損失を取り戻すことは困難です6

しかも、この間、低賃金であったということは、それだけ税も社会保険料も十分に払えなかったということですから、現在と将来の財政悪化の原因にもなりえます。財政悪化が長期的に実質成長率を低下させるという議論が正しければ、これも成長率を低下させる要因です7。一方、現在、財政赤字は急激に縮小しています8。ということは、現在、成長率を高める要因が働いているということになります。

これらの影響は、長期にわたるということです。これがどの程度の大きさであるかを正確に推定するのは困難ですが、この期間の非正規比率の上昇や正規と非正規の賃金格差から考えて、大きいことは確実と思います。そして、金融緩和政策によって経済が拡大し、過去の負のヒステリシスが改善されるとともに生産性が上昇してきます。

ヒステリシスのうち、投資の削減については昔から議論がありました。かなり昔、成長会計という手法が開発され、成長率を資本投入と労働投入と技術進歩(全要素生産性)に分解することが試みられました。この時、成長率の8割から9割が技術進歩で説明できるという計測結果が得られることに関して、技術進歩と言っても新しい資本設備を投入しなければ新しい技術を導入できないのだから、技術進歩のうちには資本の投入分、資本に体化された技術進歩が含まれているはずだという議論が盛んになされたことを思い出します。この議論は、近年注目されませんが、需要が伸びなければ新しい投資ができず、新しい投資ができなければ、進んだ技術の設備を使うことができません。

  1. 5中野章洋・加藤涼「「長期停滞」論を巡る最近の議論:「履歴効果」を中心に」『日銀レビュー』2017-J-2、2017年3月。
  2. 6就職氷河期については、玄田有史(主査)ほか「就職氷河期世代の経済・社会への影響と対策に関する研究委員会報告書」連合総合生活開発研究所、2016年11月。
  3. 7財政赤字と成長率の関係についてマンキュー前掲書(617頁~621頁)では、政府が国内の貯蓄を使用してしまうことにより、金利が上昇し、民間投資を減少させ、それが生産性を低下させると説明している。また、同時に、政府支出が生産的であれば(例えば教育への支出など)、リカード=バローの中立命題が成り立つとすれば、財政赤字の生産性阻害効果は大きくないとも説明している。なお、日本の経済学者は、財政赤字が将来の負担になると論ずることが多く、特に、将来起きうる混乱を強調する経済学者が多い(例えば、小黒一正「日銀異次元緩和が財政規律を弛緩、消費増税先送りも」(ブルームバーグ、2019年2月15日)、土居丈朗「諭吉先生のお札が紙切れに、日銀緩和続けば経済大混乱も」(同、2019年2月18日))。一方で、ブランシャール(Blanchard, Olivier)は、2019年1月のAmerican Economic Association Presidential Lecture, "Public Debt and Low Interest Rates,"において、低金利の下で財政赤字のコストは小さい可能性を議論している。
  4. 8原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策-山梨県金融経済懇話会における挨拶要旨―」(日本銀行、2019年3月6日)図5参照。

人手不足と構造改革

金融緩和政策によって生じた人手不足は、生産性を上昇させます。まず、人手不足の結果、賃金が上昇します。高い賃金を払える企業は生産性の高い企業、低い賃金しか払えない企業は生産性の低い企業です。賃金が高くなれば、生産性の高い企業が残り、経済全体の労働生産性も上がります。つまり、人手不足で生まれる賃金上昇は、生産性の上昇を促進するのです。

一方、低金利が企業の新陳代謝を阻害するという議論もあります9。金利が低下した結果、金利負担が減って、退出すべき企業が退出せず、経済全体の生産性を低下させるというのです。しかし、その時、企業が退出して、失業者があふれたらどうなるでしょうか。働いている人一人当たりの生産性は高まるかもしれませんが、日本全体の生産は減ってしまいます。また、規制緩和には、既存産業を効率化して雇用を削減するものが含まれます。そのような時、金融政策で景気が改善し人手不足を作り出すことは、規制緩和を行いやすくすることになります。

失業者があふれて社会不安が起きるというのは大げさでしょうが、問題が起きるのは避けられません。一方、人手不足による新陳代謝は、そのような問題を引き起こしません。

日本の生産性がなぜ低いかと言う文献を見ますと、その要因として、日本は企業ごとの生産性のばらつきが大きく、優良企業のシェア拡大、非効率企業の撤退という新陳代謝のメカニズムが弱いこと、人や企業の最適立地が妨げられ、都市集積の利益が生かされていないことが挙げられています10。しかし、このような新陳代謝は、雇用問題を惹起します。そもそも、新陳代謝のメカニズムを阻害するような規制は、雇用保護が目的だったのかもしれません。人手不足は、社会不安を起こさずに、新陳代謝を起こす手段だと強調したいと思います。

  1. 9例えば、白川方明「セントラル・バンキング―危機前、危機の渦中、危機後―」(日本銀行、2012年3月24日)は、「低金利の継続が経済全体の生産性に影響を与え潜在成長率を下押しするリスクについても考慮する必要があるかもしれない」(6頁)と述べている。
  2. 10森川正之『生産性 誤解と真実』日本経済新聞出版社、2018年、第6章、第8章。滝澤美帆「日本の生産性の現状、生産性向上に向けた取り組み」財務省財務総合政策研究所「イノベーションを通じた生産性向上に関する研究会」報告書、第3章、2018年。

おわりに

以上述べましたように、日本の生産性は、QQE後伸び率を高めています。その理由として、稼働率の上昇、ヒステリシスの解消、人手不足によって構造改革が容易になることを挙げました。

「あなたは物価が下落した方がよいと考えるデフレ派か」と言われて「そうだ」と答える人は現在いないと思います。雇用が伸び、生産性が上昇しているからです。そういう意味では、いまや皆、物価を引き上げ、景気をよくすることを望むリフレ派です11。だからこそ、日本銀行は金融緩和政策を続けているのです。

私には、QQEに反対している人々の態度には認知的不協和と言われるものがあると思えます。認知的不協和とは、マーケティングでも使われる心理学の用語ですが、自分の認識と新しい事実が矛盾すると不快に思うということです。その場合、少なからぬ人々は、新しい事実を否定することによって不快感を軽減しようとします。

QQEで経済は良くならないという自分の強い認識に対し、現実に経済が改善しているという事実を突き付けられたとき、その事実を否定、または、今は良くても将来必ず悪化すると主張して、不快感を軽減しようとするわけです。例えば、将来、金融緩和の出口で大変なことになるという主張も、将来の可能性を述べて、不快感を軽減しようとしているものです12。現在ではなくて、将来のことですから、当面、不快感を味わわなくてもよいことになります。

最後に、生産性上昇の為にどれだけ金融政策を行うべきかという問題について、一言述べておきたいと思います。金融緩和で労働需給の逼迫状態を続け、広い意味での生産性の上昇を追求するべきだという高圧経済論を信じすぎれば、インフレの兆候があるのに引締めが遅れ、許容できない高いインフレを招いてしまうかもしれません。私は、高圧経済論が正しいのではないかと思っていますが、実際の金融政策運営においては、2%のインフレ目標を優先して、さらなる雇用の改善や生産性の上昇は、できたら望ましいもの程度に考えて行うべきものと考えています。

  1. 11原田泰「我々は皆リフレ派である」『エコノミスト』2017年1月24日号。
  2. 12出口で大変なことになる等の議論への反論として、例えば吉松崇「第9章 中央銀行の出口の危険とは何か」原田泰・片岡剛士・吉松崇『アベノミクスは進化する 金融岩石理論を問う』中央経済社、2017年。