【講演】 グローバル経済の課題と対応 T20サミットにおける挨拶の邦訳
日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年5月27日
1.はじめに
本日は、T20サミットでお話しする機会をいただき、誠に光栄に存じます。本年は、日本が初めて議長国としてG20を開催することになっています。福岡で開催される財務大臣・中央銀行総裁会議も、いよいよ目前に迫ってきました。私は、麻生大臣とともに共同議長を務めます。G20では、グローバルな金融経済面での課題について、様々な角度から議論をすることになっています。世界のシンクタンクが集うこのT20におかれても、G20における議論と並行するかたちで、グローバル経済の課題について多様な議論を行い、政策提言をされると伺っております。シンクタンクの持つ専門性や独自の視点を活かした政策提言は、公的セクターの政策運営にとっても非常に有益なものになります。官民が切磋琢磨し、建設的な議論を通じてより良い政策を策定・実施していくことが重要だと思います。本日は、私が考えるグローバル経済の課題と対応についてお話します。本日のお話がT20サミットにおける議論に資するものとなれば幸いです。
以下では、まず、最近のグローバル経済の情勢について述べた後、中長期的な課題として、グローバル・インバランスと国際金融アーキテクチャーについてお話ししたいと思います。
2.最近のグローバル経済の情勢
グローバル経済は、昨年前半まで高いペースで成長してきましたが、昨年後半以降、中国や欧州を中心に、成長ペースが緩やかになってきています。この背景には、複数の要因を指摘することができます。
まず、世界経済全体でみて、通商問題や英国のEU離脱(Brexit)など、経済政策を巡る不確実性が高まったことが挙げられます。不確実性の高まりは、企業の投資スタンスに対して抑制的に働くほか、投資に関連する財の貿易にも負の影響を及ぼします。また、第2に、過去に幾度となくみられたIT関連財の循環的な変動、ITサイクルも下降局面に入りました。IT関連財について、昨年前半までは、需要が中長期的に堅調に増加する「半導体スーパーサイクル」の上昇局面にあると言われていました。しかしながら、過去と同様、部品や製造機器に対する多重発注のキャンセルや、スマートフォンをはじめとする最終需要の下振れが重なり、調整局面を迎えました。
これらグローバルな要因に加え、各地域固有の要因によっても、景気の勢いが弱まってきました。中国では、既往の債務抑制策による影響が残る中、通商問題などの影響が加わり、弱めの動きがみられました。また、欧州では、輸出の下振れ、新しい排ガス規制への対応の遅れによる自動車生産の停滞、政治・経済情勢を巡る不確実性の高まりに伴うコンフィデンス悪化などがみられています。
このように、現在、グローバル経済が緩やかな成長ペースとなっているのは、複数の要因が作用したものとみることができます。
それでは、先行きについてはどうみればよいのでしょうか。今年4月に公表された国際通貨基金(IMF)の最新の世界経済見通しでは、グローバル経済が本年後半にかけて再び成長率を高めるという見通しになっています。その理由として、第1に、中国などにおける景気刺激策の効果が徐々に現れてくることが挙げられます。昨年後半以降、中国では、財政・金融面で各種の景気刺激策が決定され、あるいは実施に移されつつあります。また、アジア新興国においても財政支出の増加が見込まれています。さらに、新興国全体としてみますと、米国FRBの金融政策正常化に対する姿勢が慎重化する中、昨年見られたような新興国からの資本フローの流出、それに伴う通貨安やインフレ率の上昇に対する懸念が後退した結果、各国における金融政策の発動余地が拡がっています。第2に、IT関連財の調整が進捗するとみられることです。現時点では、電子部品等の生産について、日本を含むアジア全体が調整局面にありますが、これも徐々に復調していくと考えられます。
ただし、こうした先行きの見通しについては不確実性が高いうえ、下振れリスクが大きいとみられます。ここでは、下振れリスクを4つ指摘したいと思います。
第1に、通商問題の影響です。いくつかの国の間では協議が進展しているようにみられますが、なお解決すべき課題は少なくありません。関税引き上げの対象品目が拡大することに伴って貿易コストが上昇するほか、製造拠点やグローバル・サプライ・チェーンの見直しを余儀なくされることなどによって企業活動が抑制されるリスクは、引き続き高いと言わざるを得ません。
第2に、中国などにおける景気刺激策の効果です。中国では、景気を刺激するため、インフラ投資の積み増しに加え、各種の減税を実施していますが、例えば減税が家計や企業の支出に及ぼす効果は、マインドや先行き見通しによって左右される面もあります。通商問題などを巡り不確実性が高い状況も踏まえると、景気刺激策の効果については幅を持ってみておく必要があると思います。
第3に、政治的なリスクがあります。Brexitや欧州の政治情勢の不透明感に加え、所得格差の拡大を背景とした政治の不安定化は、企業・家計のマインドや金融資本市場の変動などを通じて幅広く波及する可能性があります。
第4に、官民における債務の積み上がりという脆弱性が挙げられます。公的セクターの債務の増加は、リーマンショック後の財政支出の拡大、あるいは増大する社会保障支出の結果であり、経済に対してプラスの効果を発揮してきたことは間違いありません。もっとも、先行き、長い目で見て財政の持続可能性を確保していくことは、経済全体の安定を維持するうえで、重要な前提条件となります。また、民間債務の増加についても、企業の設備投資や家計の住宅投資という前向きな投資の結果ではありますが、これらも、金利や金融市場の変動に対する家計や企業の脆弱性を高めている側面もある点には注意する必要があります。
G20財務大臣・中央銀行総裁会議では、毎回、こうしたグローバル経済の動向とリスクについて各国の認識を共有し、必要な政策対応について議論を行っています。グローバル経済は常に変化していますので、6月の福岡での会議までしっかりと情報収集をしたうえで、的確な情勢判断を行い、G20議長国として政策討議をリードしていきたいと考えています。
3.グローバル・インバランス
以下では、G20で議論してきた中長期的な課題の中から、グローバル・インバランスおよび国際金融アーキテクチャーの2つについてお話ししたいと思います。
まずはグローバル・インバランスです。長年、グローバル・インバランスは、G20財務大臣・中央銀行総裁会議の議題として取り上げられてきました。もっとも、近年は、グローバル・インバランスそのものを議論する機会が少なくなっていました。そこで、今年のG20では、改めてこの問題を取り上げることとし、グローバル・インバランスの傾向やその背景をしっかりと分析したうえで、適切な政策対応について議論をしていきます。
リーマンショック前のグローバル経済の大きな構図を振り返りますと、米国で資産価格の高騰を背景とした過剰な消費や投資が行われ、そうした国内経済の過熱のミラーイメージとして、経常収支の赤字が拡大しました。一方で、新興国では、過去に国際収支危機に陥ったトラウマ等から、投資に対して慎重になり、結果として経常収支の黒字が累積していました。その後、米国では、資産価格が下落に転じるとともに内需が縮小することによって貯蓄・投資バランスが改善し、併せて、経常赤字の拡大ペースが鈍化しました。他方、新興国では、グローバル金融危機をきっかけとした世界経済の減速によって貿易収支が悪化し、経常収支の黒字拡大傾向に歯止めがかかりました。
グローバル・インバランスについては、赤字は悪く、黒字が良いとは一概に言えません。標準的なマクロ経済学が教えるように、経常収支には国内における貯蓄と投資の差額が現れます。そのため、それが黒字であるか赤字であるかということをもって良し悪しを判断することは適当とは言えません。例えば、成長機会が豊富な新興国にとっては、他国から資金を借り入れることによって投資を行い、経済成長を図ることが最適な行動となります。逆に、成長機会が乏しい国にとっては、海外に資金を投資することによってより高い収益を得ることが望ましいと言えます。この場合、成長機会の豊富な国は投資超過になり、その結果、経常収支は赤字となります。また、成長機会の乏しい国は貯蓄超過になり、結果として経常収支は黒字となります。このように、各国の状況によって、貯蓄・投資バランスや経常収支の状況は異なり得ます。問題は、実際の経常収支や貯蓄・投資バランスが、経済のファンダメンタルズを反映した最適な状態からかい離しているのかどうか、また、そうしたかい離が、金融や経済の不均衡ないしは望ましくない経済政策によってもたらされているかどうか、という点です。
持続可能でバランスのとれた経済成長を実現するためには、ファンダメンタルズに基づかない過度な経常収支の不均衡を放置しておくことは問題です。こうした問題を、二国間の貿易上の措置で解決することは、問題の解消には繋がりません。経常収支の不均衡やそれを反映したグローバル・インバランスの問題は、あくまで多国間におけるマクロ経済の貯蓄・投資バランスの問題です。
今年のG20財務大臣・中央銀行総裁会議では、グローバル・インバランスについてしっかり議論をしていきます。とりわけ、高齢化など構造的な要因の重要性を認識したうえで、インバランスが過剰かどうかを判断していくことが大切である、という認識を共有していきたいと思います。
4.国際金融アーキテクチャー
グローバル・インバランスとならんで長年G20財務大臣・中央銀行総裁会議で議論してきたのが、国際金融アーキテクチャーです。1990年代後半のアジア危機、リーマンショック後の世界的な金融危機や欧州債務危機など、国際的な金融経済危機が発生しますと、グローバル経済に多大な悪影響が及びます。
こうした危機を未然に防ぐためには、各国が適切な経済政策を実施し、経済や金融面での不均衡を蓄積させないことが重要です。先に述べたいずれの危機においても、危機発生前には土地や株式などの資産価格が高騰する「資産バブル」や金融機関の過剰融資が、相乗的に経済を過熱させ、経常赤字の深刻化や対外債務の累増といった危機の芽となっていました。その意味では、危機の芽を早期に摘むという適切な経済政策運営が、「危機回避(crisis prevention)」にとっての第一の防衛線となります。その際には早期に危機を察知することが必要となるため、金融経済情勢のサーベイランスが重要になります。そうした観点から、先に述べたように、G20では、毎回、グローバル経済や金融情勢について丹念に点検を行っています。
もっとも、そうした過熱や不均衡について、事前にすべてを察知して対応することが必ずしもできないことは、過去の事例を見ても明らかです。したがって、実際に危機が発生してしまった場合に備え、その波及を防ぐ「危機管理(crisis management)」のための政策も準備しておく必要があります。その危機管理の中心にあるのがIMFによる融資です。一国の国際収支危機に対して短期的な融資を行うことは、IMFの重要な役割の一つです。貿易取引や金融取引がグローバル規模で拡大する中で、危機発生時におけるIMFの融資の役割は重要度を増しています。
こうしたIMFの資金の活用のほかに、「地域金融取極(Regional Financing Arrangements、RFA)」も活用することが展望されます。アジア地域では、チェンマイ・イニシアティブが該当します。チェンマイ・イニシアティブは、ASEAN諸国と日中韓の3か国が参加しています。参加国のいずれかにおいて国際収支危機が生じた場合には、加盟国が資金提供を行い、危機の拡大を防止する役割が期待されています。チェンマイ・イニシアティブでは、迅速に資金提供を行うことが出来るよう、IMFの融資に紐づかない(デリンク)資金提供の枠が設定されており、最大で全体の3割がデリンクとして利用可能です。また、二国間でのスワップ協定を結ぶ動きも拡がっています。危機発生時に二国間でそれぞれの通貨を交換することにより、国際的な資金取引に必要な資金を手当てすることができます。
このように、現在では、IMFの資金を中心としつつ、RFA、二国間スワップ協定など、国際的な金融危機に対応するための手段が多層的に準備されています。
ここで述べたような国際金融アーキテクチャーの強化に加え、グローバル金融危機後の金融規制の強化も相まって、グローバル経済や金融システムは、安定性を増していると評価することができるでしょう。もっとも、変化の激しいグローバルな金融経済の情勢を踏まえると、様々な点において、不断の検証が必要です。まず、サーベイランスの観点からは、常に危機の見落としがないかどうかを点検していく必要があります。とりわけ、情報通信面での技術革新が大きく進展している現状では、金融活動が、従来の法規制やサーベイランスの枠を超えて大きく拡がっていく可能性があります。また、銀行部門への規制強化によって、資金が非銀行部門に流れていくという現象もみられます。従来とは異なる資金の流れに対応して、サーベイランスのためのデータやツールも拡充していく必要があると思います。
サーベイランスによって認識された不均衡に対しては、経済政策面での各国の対応やその国際協調も引き続き大きな課題です。この点、金融政策や財政政策に加えて、金融不均衡に対処するために、マクロプルーデンス政策を活用する国が増えています。カウンター・シクリカル・バッファーやストレステストの活用、各種の貸出規制などのマクロプルーデンス政策は、各国における経験を踏まえ、相互に学んでいく余地が大きい分野であると考えられます。今後、国際金融危機への対応面では、各主体が提供するファシリティーのあり方について、議論を深めていく必要があると考えています。
5.おわりに
以上述べてきましたように、グローバル経済は様々な課題を抱えています。本年のG20でも議論を深めていくことになりますが、問題が多岐にわたることから、シンクタンクによる分析や政策提言は、重要なインプットになると考えています。今回のT20サミットでの議論をきっかけに、官民の協力がさらに進展することを願って、私の話を終えたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。