【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策熊本県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 鈴木 人司
2019年8月29日
1.はじめに
日本銀行の鈴木でございます。話を始める前に、平成28年熊本地震ならびに今夏の豪雨の被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。熊本地震から既に3年以上が経ちますが、今なお影響が残っていると伺っており、ご心配は尽きないと存じます。そうした中、本日はこのように、熊本県の金融・経済界を代表する皆様方とお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃より日本銀行熊本支店の様々な業務運営に多大なご協力を頂いており、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
本日の懇談会では、まず私から経済・物価情勢と日本銀行の金融政策についてご説明させて頂いたうえで、熊本県経済についても触れさせて頂きたいと思います。その後、皆様方から、当地の実情に則したお話や日本銀行の政策運営に対するご意見などを承りたく存じます。
2.最近の経済・物価情勢
海外経済の動向
まず、海外経済についてですが、保護主義的な貿易政策や地政学的リスクの高まりとこれらに伴う国際金融市場の不確実性の中で、先進国を中心に製造業の景況感が悪化しつつありますが、総じてみれば緩やかに成長しているとみられます。先行きについても、当面は減速の動きが続くものの、その後は中国などにおける景気刺激策の効果発現やIT関連財のグローバルな調整の進捗などにより、幾分成長率を高め、総じてみれば緩やかに成長していくものとみています。
主要地域別に見ますと、米国経済は、対中国を中心とする貿易問題が製造業のモメンタムにも影響しているとみられますが、非製造業の景況感は底堅さをみせています。良好な雇用・所得環境のもと、FRBが景気や物価の下振れリスクにも配慮した金融政策運営を図る中で、拡張的な財政政策にも支えられて先行きも景気は緩やかな拡大が続いていくことが見込まれます。欧州については、経済・政治情勢を巡る不透明感が高まる中で設備投資の増勢が鈍化するなど、経済は減速しています。先行きも、英国のEU離脱交渉の展開など政治情勢を巡る不透明感が高く、国際金融市場の変調や地政学的リスクの顕在化なども経済の下押し要因となり得ると考えられます。中国経済は、総じて安定した成長を続けていますが、製造業では弱さもみられます。IMFの試算では、今後、米中貿易摩擦が激化していけば、2020年の中国経済の成長率は-1%程度減速するとの結果もあります。こうした不透明感は依然残っていますが、政府の景気刺激策の効果が徐々に現れてくることも期待され、米国との貿易摩擦が解消される方向に向かえば、経済は安定性をより高めていくと考えられます。その他の新興国・資源国経済については、全体として緩やかな回復が続いていくものとみています。
このように、世界経済が幾分成長率を高めていくという見方は、国際機関の見通しと同様です。例えば、本年7月にIMFが発表した世界経済の成長見通しでは、2019年および2020年の見通しが本年4月時点よりも引き下げられましたが、水準としてはなお+3%を超える成長が続く見通しとなっています(図表1)。
国内経済の現状
次に、わが国の経済についてですが、わが国の景気は、所得から支出への前向きの循環メカニズムが働くもとで、基調としては緩やかに拡大しており、需給ギャップもプラスの状態を維持しています。昨年7~9月期に自然災害等の影響によりマイナス成長となったものの、その後は3期連続のプラス成長を記録しました(図表2)。輸出・生産や企業マインド面に海外経済の減速の影響があるものの、設備投資は増加基調を維持するなど、景気後退を示唆するような状況には至っていません。個人消費は、雇用・所得環境の改善を背景に、振れを伴いながらも緩やかに増加しているものの、今後の消費税率引き上げ前後の動向も含め、注意深くみていく必要があります。
日本銀行が7月に公表した「地域経済報告」、いわゆる「さくらレポート」では、全国9地域の全てで景気の総括判断を「拡大」または「回復」としています(図表3)。当地を含む九州・沖縄地方の報告をみると、輸出や生産面では総じてみれば弱めの動きとなっているものの、企業の業況感は総じて良好な水準を維持しています。また、住宅投資や公共投資は高水準で推移しているほか、設備投資も増加しています。こうした中、雇用・所得環境の改善を背景に個人消費が緩やかに増加しています。
わが国の景気が拡大基調を維持する中で、労働需給は引き締まった状態が続いています。失業率は2%台半ばの低水準にあり、有効求人倍率も高水準を維持しているほか、日本銀行の短観の雇用人員判断DIでみた企業の人手不足感も、幅広い業種で引き続き高水準にあります(図表4)。こうした中、AIやRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の活用等を含む省力化投資が多くの業種で積極的に進められています。今後のわが国の社会経済の発展に向けては、高齢化に伴う人口動態の変化に対し、高齢者や女性の一層の労働参加に向けた労働環境の整備に加え、このような自動化や省力化といった技術面でカバーしていくことも重要です。
また、能力増強投資を含む設備投資に関しては、一部の設備にいったん手が付くと、他の工場や設備でも更新が前向きに検討されることとなり、多少の経済の不確実性があったとしても、投資ニーズ自体は大きくは落ち込みにくいことが経験則として言われることがあります。実際、本年前半については、事前には設備投資の落ち込みが懸念されていましたが、実際には1~3月期、4~6月期とも前期比増加となりました。これは、日本経済が海外からの下方圧力や不確実性に対して一定の頑健性を備えていることを示すものと考えられます。
国内経済の先行き
先行きのわが国経済については、2021年度までの見通し期間を通じて、拡大基調が続くとみられます。まず、2019年度については、当面は、海外経済の減速の影響を受けることで、輸出が弱めの動きを続けるほか、設備投資も製造業を中心にいったん増勢が鈍化する可能性があります。一方、個人消費は、雇用・所得環境の改善が続くもとで増加していくものとみています。消費税率引き上げ後は、個人消費や住宅投資がいったん下押しされる局面があるものと思います。もっとも、設備投資は、都市再開発関連投資や省力化投資の増加もあって、幾分伸び率を高めると考えられるほか、2018年度補正予算の執行や国土強靭化政策の推進などから、公共投資も増加することが見込まれます。また、輸出についても、海外経済が総じてみれば緩やかに成長するもとで緩やかな増加基調に復していくとみられます。また、2020年度については、消費税率引き上げの影響から2019年度下期に落ち込むとみられる個人消費や住宅投資が徐々に回復に向かうことが予想されます。こうした中、海外経済の成長率が高まるもとで増加基調を続ける輸出やオリンピック開催に伴う支出等が景気を下支えするかたちで、景気の拡大基調は続くと考えられます。さらに2021年度については、オリンピック関連の経費支出が剥落するものの、個人消費や住宅投資が、消費増税後の反動減の影響が剥落することもあって、増加すると考えられます。また、輸出は緩やかな増加基調を続け、設備投資も、潜在成長率の高まりもあって、緩やかな増加傾向を維持すると予想されます。
具体的に、日本銀行が7月に発表した展望レポートにおける政策委員の成長率見通しの中央値では、2019年度は+0.7%、2020年度は+0.9%、2021年度は+1.1%となっています(図表5)。
もっとも、わが国経済の先行きをみるうえで、世界経済を巡る不確実性が大きいことには注意が必要です。具体的には、米国の保護主義的な動きとそれに対する相手国の反応、英国のEU離脱交渉を巡る展開、中東などにおける地政学的リスクとそれに伴う原油価格の変動、欧州や中国の経済活動が急速に落ち込むリスク等が挙げられます。また、こうしたリスクへの懸念から国際金融市場が動揺し、世界経済の下押しに繋がる可能性もあります。このように、特に海外経済を巡る下振れリスクが高まっている中、わが国の企業や家計のマインドの動きも慎重に注視していく必要があると考えます。
物価の現状
こうしたもとで、物価情勢についてみますと、生鮮食品を除く消費者物価(コアCPI)の前年比は、足もと0%台半ばで推移しています(図表6)。日本銀行では、「物価安定の目標」を「2%」と設定し、大規模な金融緩和を実施しております。その目標に向けてはなお距離がありますが、企業の値上げがここのところ幅広い商品に拡がりをみせつつあり、後ほどご説明する需給ギャップもプラスを維持しています。このように、物価上昇に向けた動きが今後中期的に強化されていくための材料は整ってきており、わが国の「物価安定の目標」に向けたモメンタムは引き続き維持されていると考えられます。
こうした物価をとりまく足もとの環境について、本日は「人員面」、設備等の「ハード面」、そしてサービス価格等の「ソフト面」の3つの視点からご説明します。
(1)物価をとりまく環境(人員面)
まず、「人員面」に関してみますと、先程も申し上げましたとおり、失業率や有効求人倍率などのデータからみるわが国の雇用環境は依然としてタイトな状態が続いており、完全雇用に近い状況が続いていると考えられます。こうしたもとで、賃金についても上昇していくことが期待されます。この点、パートや派遣労働者を中心に賃金が上昇していますが、連合の発表による本年の春闘における加盟組合員の定昇相当込みの賃上げ率は2%程度に止まり、昨年から横ばいとなりました。また、ベースアップに関しても、6年連続で実施されているとはいえ、集計が可能な企業の結果をみますと、+0.5%程度に止まっています。さらに、経団連が発表した大手企業の夏の賞与は2年ぶりに前年割れとなりました。今後、わが国の労働力人口が減少に向かっていくことが予想される中で、人手不足の問題が深刻化する惧れもあり、必要に応じて、企業が生産を維持していくための「人員面」への投資、賃上げをさらに積極的に行っていくことが期待されます。これにより、先ほど申し上げた「所得から支出への前向きの循環メカニズム」がより力強いものになるとともに、家計や企業が予想する先行きの物価上昇率が高まっていくものと考えられます。
(2)物価をとりまく環境(ハード面)
次に、「ハード面」についてご説明します。日本銀行では、わが国経済の総需要が景気循環の影響を均した平均的な供給力からどの程度乖離しているかを示すマクロ的な需給ギャップを推計しています。こちらをみますと、2016年第4四半期以降、10四半期連続でプラスを維持していますが、これには、先程申し上げました労働需給の着実な引き締まりに伴う「人員面」の要因に加え、資本稼働率の上昇という「ハード面」の要因も寄与しています(図表7)。つまり、資本の稼働状況という面からみても物価に対して押し上げ方向の力が作用していると考えられます。
(3)物価をとりまく環境(ソフト面)
最後に、サービス価格等の「ソフト」の観点から、最近注目を集めている、携帯電話の通信料と「コト消費」について触れたいと思います。まず、携帯電話の通信料については、消費者にとっての負担が大きく、政府による価格引き下げへの要請や端末価格と通信料の分離に関する閣議決定などが行われています。携帯電話各社からはこうした動きを踏まえた新たな料金プランの発表が相次いでおり、消費者物価を下押ししています。次に「コト消費」です。消費者物価には外国パック旅行や宿泊代といった消費に対する価格が含まれています。こうした分野では、「コト消費」と呼ばれる体験や経験に対する需要が高まっており、日本人だけでなく外国人観光客を主なターゲットにしたサービスも拡がってきています。来年には東京オリンピックも控えており、このような「コト消費」を通じた物価の上昇が、物価全体の押し上げに寄与していくことも期待されます。
以上、物価をとりまく足もとの環境について、「人員面」、「ハード面」、「ソフト面」の3つの視点からお話をしましたが、もちろん、物価に対して影響を及ぼし得る要因はこれらだけではありません。景気の拡大や労働需給の引き締まりと比べ、消費者物価の基調的な上昇圧力は弱めの状態が続いていますが、その背景には、長期にわたる低成長やデフレの経験などから、賃金・物価が上がりにくいことを前提とした考え方や慣行が根強く残っていることが影響していると考えられます。加えて、賃金コスト上昇分を生産性向上により企業内で吸収しようとする取り組みや、インターネット通販の普及等の近年の技術進歩も、物価が上がりにくい状況に繋がっています。さらに、消費者の側でも「人生100年時代」への備えをいかに図るべきかが重要な課題となっています。こうした様々な要因もあって、家計や企業の中長期的な予想物価上昇率は、横ばい圏内での動きが続いています(図表8)。予想物価上昇率は、過去(実績)の物価上昇率に基づく「適合的な期待形成」と、日本銀行が「物価安定の目標」の実現に強くコミットし金融緩和を推進していくことに伴う「フォワードルッキングな期待形成」の双方に影響されると考えられます。したがって、まずは足もとの物価が上がることが先決ですが、それにより企業や家計の先行きの物価に対する見方も変わっていくことが重要です。
物価の先行き
ただ今申し上げました物価をとりまく環境も踏まえたうえで、消費者物価の先行きについては、現状の大規模金融緩和の影響が徐々に浸透していく中で、「物価安定の目標」に向けて徐々に上昇率を高めていくとみています。すなわち、わが国経済の拡大基調が続きマクロ的な需給ギャップがプラスを維持する中、企業の値上げや賃上げに向けた取り組みの裾野が拡がり、企業・家計のマインドにも徐々に変化が生じていくものと考えられます。具体的には、7月の展望レポートにおけるコアCPIの政策委員見通しの中央値をみますと、2019年度は+1.0%、2020年度は+1.3%、2021年度は+1.6%となっています(図表5)。もっとも、特に海外経済を中心とする経済のリスク要因が顕在化した場合には、物価にも相応の影響が及ぶ可能性がある点には、注意が必要です。
3.金融政策運営
「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」について
次に、金融政策についてお話しします。日本銀行は、2013年4月に「量的・質的金融緩和」を導入し、現在、2%の「物価安定の目標」の実現に向けて、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を推進しています。
「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」のもとで、長短金利操作、すなわちイールドカーブ・コントロールは、「物価安定の目標」に照らし最適と考えられる金利の期間構造の形成を促すものです。具体的には、金融市場調節方針において、短期政策金利をマイナス0.1%に設定するとともに、10年物国債金利がゼロ%程度で推移するよう長期国債を買い入れることとしています(図表9)。また、昨年7月には、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の枠組みの持続性を高めるため、10年物国債金利の操作目標を引き続きゼロ%程度としつつ、「経済・物価情勢等に応じて上下にある程度変動しうる」こととすることで、運用上、一定の柔軟性や弾力性を持たせています。
こうした「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の枠組みのもと、わが国経済は拡大基調を続けており、需給ギャップもプラスの水準を保っています。物価面では、生鮮食品とエネルギーを除いた基調的な消費者物価の前年比は、6年にわたってプラス基調を続けています。予想物価上昇率という観点でも、日本銀行が実施している「生活意識に関するアンケート調査」の結果をみますと、中長期的な予想物価上昇率の水準はなかなか上がらないものの、「1年後」の物価が「上がる」と答えた個人の割合は足もと上昇してきており、人々の物価の見方に変化の兆しもみられ始めています(図表10)。コアCPIの水準自体は「物価安定の目標」に向けてなお途半ばの状況にありますが、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」のもとで、強力な金融緩和を息長く継続していくことが重要と考えています。
こうした中、日本銀行では、本年4月にフォワードガイダンスを「海外経済の動向や消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、少なくとも2020年春頃まで、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持することを想定している。」と変更しました。これは、「物価安定の目標」の実現に向け、強力な金融緩和を粘り強く続けていくという政策の運営方針をより明確に示したものです(図表11)。
また、先月の金融政策決定会合の公表文において、「先行き『物価安定の目標』に向けたモメンタムが損なわれる惧れが高まる場合には、躊躇なく、追加的な金融緩和措置を講じる」と明記しました。これは、特に海外経済の動向を中心に経済・物価の下振れリスクが大きいもとで、「物価安定の目標」に向けたモメンタムが損なわれるリスクの顕在化を未然に防ぐという、日本銀行としての対応方針を示したものです。そのうえで、具体的に追加緩和措置を検討して講じる場合には、その効果と副作用を比較衡量しながら、その時々に応じて適切な対応を考えていくこととなります。
低金利環境下での金融緩和の効果と副作用
次に、金融緩和の効果と副作用について、私の考えをお話ししたいと思います。「物価安定の目標」の実現に向けてきわめて低い長短金利の水準を維持していくことが重要であるわけですが、その際には金融緩和の効果が通常とは異なる形で現れる可能性や副作用をもたらしうることには留意が必要であると考えます。
まず、効果について述べたいと思います。金融機関による預金や貸出の金利は、契約上・運用上の制約によりゼロが下限となっていると考えられます。また、国債金利がマイナスとなる中、社債市場では、国債金利にプレミアムを上乗せする従来のプライシングではなく、国債金利との相対的な関係よりも社債金利の絶対値を重視したプライシングが行われているとの声も聞かれます。こうした実質的なゼロ金利制約があるような状況では、追加的な国債金利の低下による金融緩和効果は、これまでと比べ限定的となる可能性があります。
次に、金融緩和の副作用について3点指摘したいと思います。1点目は、金融機関のリスクテイク姿勢についてです。金融機関では、足もとの低金利環境の長期化に加え、地域における人口や企業の減少が進むもとで、金融機関同士の競争の激化もあり、新規貸出約定平均金利がきわめて低水準となっています。こうした中、金融機関の基礎的収益力は低下傾向を続けています。有価証券の益出し余力や与信費用の戻入の余地も徐々に乏しくなってきているのが現状です。こうしたもとで、金融機関においては、信用リスクが相対的に高いミドルリスク企業向けの貸出や、外国債券、内外の投資信託等への投資を積極化する動きがみられています。このため、将来的に景気やクレジットサイクルの局面変化が生じた場合に、貸出先企業の経営悪化が信用コストの増加に繋がる惧れが高まっているほか、金融機関の収益や経営体力が、内外金融市場の動向に大きな影響を受けやすくなっていると考えられる点に注意が必要です。
2点目として、金利が下がりすぎると、預貸金利鞘が縮小するもとで十分な収益が上げられなくなり、金融機関の自己資本がタイト化し、銀行貸出が減少に転じる可能性があります。こうした金利水準は、金融緩和の効果が反転するという意味で「リバーサル・レート」と呼ばれています。
3点目として、貸出金利が一段と低下した場合、収益の下押し圧力に耐え切れなくなった金融機関が預金に手数料等を賦課し、預金金利を実質的にマイナス化させることも考えられます。この場合、企業によっては預金削減のため借入金の返済が進むことで、銀行貸出の減少要因となる可能性があります。また、預金金利が実質的にマイナス化されることになれば、個人の消費マインドの冷え込みを通じて景気に悪影響を及ぼす惧れもあります。
ただいまご説明した点も含め、金融政策運営にあたっては、効果とコスト、副作用の比較衡量を図る必要があります。ここで留意すべきことは、金融政策の効果を考えるうえで、金融機関を通じて経済全体へと波及するチャネルが重要であり、金融機関が金融仲介機能を十分に発揮できるよう、物価の安定とともに金融システムの安定を確保することが重要であるということです。特に、金融危機を通じて明らかとなったように、金融システムの不安定化が実体経済に与える影響の大きさも踏まえますと、金融政策が様々な金融活動に影響を及ぼすという前提のもと、物価安定だけではなく金融システムの安定にも配慮しつつ金融政策を運営していくことがより重要となってきているのではないかと考えます。換言すれば、ひとたび金融システムが不安定化してしまうと、そのもとで物価の安定を確保することも非常に困難になると考えられます。
この点、少なくとも現状においては、わが国の金融機関は全体として資本と流動性の両面で強いストレス耐性を備えており、金融システムの安定性も維持されているものとみています。また、金融機関が積極的な貸出スタンスを維持する中、貸出残高は前年比でプラスとなっています。しかしながら、先行きについては、金融政策の効果が実体経済に波及していく時間軸だけでなく、その副作用が累積していく時間軸も踏まえ、金融機関のリスクテイク姿勢の変化や、低金利環境の長期化が金融機関の収益や貸出姿勢に与える影響を見極めつつ、金融システムの不安定化を未然に防ぐという観点からも、金融政策をこれまで以上に慎重に検討していく必要があると考えます。今後も、現状の金融緩和政策を息長く続けていくもとで、金融政策運営の観点から重視すべきリスクの点検を行うとともに、「物価安定の目標」に向けたモメンタムをしっかりと維持すべく、適切な政策運営に努めて参りたいと考えています。
4.おわりに ―― 熊本県経済について ――
最後に、熊本県の経済についてお話ししたいと思います。
当地は、九州地方のほぼ中央に位置し、北部は緩やかな山地、東部から南部にかけては標高1,000m級の九州山地に囲まれている一方、有明海や八代海に面する中西部には熊本平野や八代平野が広がっています。こうした豊かな自然のもと、農業産出額は全国でもトップクラスにあるほか、人口や県内名目総生産等では九州第2位の規模にあります。また、県の積極的な企業誘致もあり、大手製造業の生産拠点が立地し、IT関連企業の集積が進んでいます。
こうした中で、2016年4月14日、16日の二度にわたり発生した平成28年熊本地震では、多くの住宅や農業・製造業・観光業をはじめとする地域経済が悪影響に見舞われ、熊本の宝でもある熊本城も深刻な被害を受けました。県では、この地震からの復旧・復興に向けた4か年戦略を同年12月に策定し、「災害に強く、誇れる資産(たから)を次代につなぎ、夢にあふれる新たな熊本の創造」を基本理念として掲げています。具体的な施策として、住居や公共施設の再建や耐震化、被災者の生活再建支援などの「安心で希望に満ちた暮らしの創造」、幹線道路ネットワークなどの社会資本の整備や熊本城をはじめとする文化財の修復といった「未来へつなぐ資産の創造」、農林水産業の競争力強化や県経済を支える企業の再生・発展などを柱とする「次代を担う力強い地域産業の創造」、空港機能の強化や熊本港・八代港の海外展開拠点化といった「世界とつながる新たな熊本の創造」の4つの方向性の取り組みが進められています。
県内景気は、熊本地震を受けて落ち込んだものの、国や自治体、金融機関などの迅速かつ手厚い支援のもとで早い段階で底入れし、震災から半年後には持ち直しに転じました。最近では公共工事を中心とする復旧需要の減少や、海外経済の減速もあり一服感がみられますが、鉱工業生産指数は全国を上回る水準にあるなど、緩やかな拡大を続けています。
先行きも、秋にはラグビーワールドカップ2019、女子ハンドボール世界選手権大会といった世界規模の大会が予定されています。また、桜町地区市街地再開発事業では人・モノ・情報の交流拠点となる新たなランドマーク施設の開業が予定されており、来年には阿蘇くまもと空港の新ターミナルビルの建設が始まるほか、八代港におけるクルーズ船専用岸壁・停泊地の供用が開始されます。さらに、再来年には、熊本駅の再開発も終了し、新たな商業施設が誕生するなど、陸・海・空の玄関口の整備が着々と進められています。熊本地震という経験を経たうえで、経済的安定だけでなく、安全や安心といった面も含めて、一層強靭な「まち・ひと・しごと」の創生に向けた動きが、官民連携によって展開されつつあることを感じます。
熊本城は、「銀杏城(ぎんなんじょう)」とも呼ばれ、かつてこの城を築城した加藤清正公が植えたとされる大銀杏があります。この銀杏は1877年の西南戦争時に焼けてしまったそうですが、その後に再び芽吹き、今や大木に戻っています。この熊本県、そして日本経済も、これまでに困難や試練もありましたが、それらを乗り越え、より力強くなって今日を迎えていることと存じます。今後も、皆様の幅広い取り組みが奏効し、熊本県経済が一層の発展を遂げられていくことを祈念いたします。ご清聴ありがとうございました。