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【講演】 新興国の持続的発展に向けて エマージング・マーケッツ・フォーラムにおける講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年10月20日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、「エマージング・マーケッツ・フォーラム」でお話しする機会を頂き、誠に光栄に存じます。

新興国を巡る環境は、目まぐるしく変化しています。このところ、世界経済は減速の動きが続いており、先行きのリスク要因は、貿易問題から地政学的リスクまで多岐に亘ります。

こうした難しい状況のもとで、新興国の持続的な成長を実現していくことは、世界経済にとってもきわめて重要です。ご承知の通り、グローバル金融危機による落ち込みからの回復には、新興国の成長が大きく貢献しました。2009年以降、世界経済の成長に対する新興国の寄与は、実に7割以上に達しています。先行きについても、新興国のパフォーマンスが世界経済の鍵を握っているといっても過言ではありません。

また、中長期的に見ると、世界では、グローバル化の一層の進展やデジタル技術の進歩、気候変動をはじめとする構造変化が間断なく進行しています。こうした中で、新興国が持続的な成長を実現していくためには、目指すべき経済・社会の将来像をしっかりと見据え、そこに至る移行過程を含めた長期的なビジョンを持つことが重要です。こうした観点から、本日は、日本が議長国を務めた今年のG20の成果も踏まえつつ、新興国の中長期的発展に向けて特に重要と考えられる三つのテーマ──すなわち、金融包摂の推進、持続的な成長の実現、将来的な高齢化への対応──についてお話ししたいと思います。

2.新興国の中長期的発展に向けた課題

A.金融包摂の推進

一つ目のテーマは、金融包摂の推進です。金融包摂という概念には様々な定義がありますが、「家計や企業が適切な金融サービスにアクセスを有し、効果的に利用できること」というのが共通の理解となっています。新興国では、貧困層や離島・山間部の住民をはじめ、十分な金融サービスを受けることができない人々がまだ数多くいます。世界銀行のレポートによると、新興国の成人の4割は、銀行口座を持っていません1。こうした人々が適切な金融サービスの恩恵を受けることは、貧困や格差の是正に大きく貢献するものと考えられます。

さらに、金融包摂の進展は、貧困や格差の解決に資するだけでなく、経済的な側面でも大きな潜在力を秘めています。まず、金融包摂が経済成長に繋がるという見方については、研究者や政策当局者の間で広く共有されています2。例えば、企業は、金融機関からの借り入れを行うことで、自己資金が少なくても、研究開発や能力増強投資を行うことができます。また、家計も、住宅ローンやクレジットカードを活用することで、手元資金以上の消費や投資を行うことができます。また、銀行口座を持っていれば、余剰資金を貯蓄し、金利収入を得ることができます。これらは、企業の事業展開の効率化や個人消費の活性化に寄与し、ひいては国全体の経済成長を促進する効果を持つと考えられます。

さらに、金融包摂には、金融・財政政策の実効性を高める効果も期待できます。まず、金融政策についてみると、多くの個人や企業が、政策金利をベースに設定された金利で借り入れや預金を行っていれば、中央銀行は、政策金利を操作することで個人や企業行動に影響を与えることができます。これは、金融政策の有効性を向上させ、長い目でみれば、景気の平準化に寄与するでしょう。また、金融サービスの普及は財政政策の有効性にも寄与します。例えば、個々人に確実に資金を送金できる手段があれば、特定のグループを対象とした補助金制度を設計できます。これは、よりきめ細やかな再分配政策に繋がります。また、税金を効率的に徴収するという面でも貢献が期待できるでしょう。

金融包摂の推進に向けては、ハード・ソフトの両面でのインフラ整備が必要です。ハード面では、インターネットや携帯電話などの情報通信インフラの整備が代表的です。ソフト面では、個人や企業の金融リテラシー向上に加え、幅広い金融サービスの提供に向けて、フィンテックを活用することも有効です。最新のフィンテック技術を導入することで、短期的には、いわゆる「蛙飛び(leapfrogging)」を享受できる可能性があります。これは、既存の技術が普及する前に、次世代の技術やサービスへのアクセスが可能となり、利便性が一気に上昇する現象を指します。例えば、中国において、数年足らずで、モバイル端末を介した電子マネー決済が急激に普及したのは記憶に新しいところです。従来、金融サービスを広範に提供するためには、銀行の店舗網やATMなどの物理的なインフラを整備することが不可欠でしたが、電子マネーでは、その必要がありません。中国では、利便性の向上に加え、伝統的な銀行業のインフラにかかるコストも大幅に節約できたことになります。

もっとも、こうしたベネフィットはリスクの裏返しでもあります。例えば、大規模なシステム・トラブルやサイバーアタックは、個人の日常生活や企業経営に影響を与える可能性があります。個人情報の保護は重要な課題ですし、資金洗浄や脱税などに悪用される可能性にも注意が必要です。さらに、金融分野におけるデジタル技術の広範な活用が、金融システムの安定性や金融政策の有効性に与える影響についても、十分な検討が必要です。

政策当局としては、国内外の関係局と連携し、こうした各種のリスクに適切に対応しながら、新しい技術のベネフィットを最大限に引き出すよう努めていく必要があります。

  1. Asli Demirguc-Kunt et al. (2018). "The Global Findex Database 2017: Measuring Financial Inclusion and Fintech Revolution," World Bank Group.
  2. 例えば、次の文献を参照。Beck, T., Demirguc-Kunt, A., and Levine, R. (2007). "Finance, Inequality and the Poor," Journal of Economic Growth, Vol. 12 (1), pp. 27-49.

B.持続的な成長の実現

二つ目のテーマは、持続的な成長(sustainable growth)の実現です。世界経済は、産業革命以降目覚ましい発展を遂げました。ただ、これに付随して、貧困や格差、環境問題など、国際的に議論すべき課題も数多く提示されてきました。国連は、2015年に、貧困撲滅や環境問題の解決などを盛り込んだ「持続可能な開発目標(SDGs)」を採択し、2030年までの達成を目指しています。

ここで、持続的な成長に向けた社会問題や環境問題について、私の考えを二点申し上げたいと思います。

一つ目は、社会問題や環境問題の解決には多大な労力やコストがかかる一方、それに見合うリターンも期待できるという点です。別の言い方をすれば、社会問題や環境問題の解決と経済成長の実現は、決してトレード・オフの関係ではなく、相互に補完的であるということです。

例えば、貧困の撲滅は、近年、大きく進捗しています。世界銀行のデータによれば、1981年には最貧困層は世界人口の4割を超えていましたが、2019年調査では1割程度まで減少しました3。経済成長が貧困層を減少させることは言うまでもありませんが、貧困層が減少し、より包摂的な成長を実現することで経済成長率が高まり、貧困層のさらなる減少に繋がります。経済の発展と貧困層の減少は、互いの効果を強め合う関係にあるといえるでしょう。

最貧困層が十分に減少した経済における所得格差と経済成長率の相関関係については、理論面、実証面ともに様々な分析があり、いまだコンセンサスは形成されていません4。ただ、多くの人々が、高等教育や高度な技術習得の機会が与えられるようになれば、人的資本の蓄積が進み、供給面からも経済成長にポジティブな効果を与えることは明らかだろうと思います。さらに、経済のIT化、デジタル化に伴い、産業構造が労働集約型から資本集約型に、さらには知識集約型に移行する中では、人的資本の重要性は一段と高まっていくでしょう。また、先ほど述べた金融包摂の推進のほか、格差の解消を通じた政治情勢の安定化は、設備投資活動の活性化やマクロ経済の安定化を通じ、経済成長にはポジティブに働くと考えられます。

環境問題は、言うまでもなく、先進国と新興国に共通の脅威です。実際、気候変動の影響は、既に暴風雨や洪水、干ばつなどの自然災害の増加というかたちで、新興国にも実害を及ぼしています。また、国連の推計によれば、世界人口は2050年に97億人となり、今後30年で約20億人増加する見通しですが5、これを前提とすると、気候変動に起因する農作物不作や水不足の問題は、将来的に一段と深刻化するでしょう。

このほか、気候変動による影響については、幅広い観点から研究が進んでいます。例えば、気温と労働生産性の関連は古くから研究されてきました。ある研究では、25℃から1℃上昇するごとに仕事のパフォーマンスが2%低下するとの結果が示されていますが、皆さまのご実感は如何でしょうか6。さらに、エネルギー需要や健康状態、治安など、様々な切り口で気候変動の影響の研究が行われています7

このように、社会問題や環境問題の解決は、マクロ的な経済成長と強くリンクしており、社会的な要請に応えていくというだけでなく、中長期的な経済成長に繋げるためにも、前向きに取り組んでいくべき課題だと思います。

二つ目は、持続的な成長に向けた取り組みには、市場メカニズムや経済的なインセンティブを積極的に活用していくべきだということです。例えば、投資判断を行う際、財務情報に加えて、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)への取り組みも考慮するESG投資という手法も世界的に注目度を高めています。こうした動きの活性化は、国連が、責任投資原則(Principles for Responsible Investment)を策定したことが契機になっています。これは、投資家に対して、受託者責任に反しない範囲内で、ESG要素を投資判断に含めることを求めるものです。ESG投資の対象は、従来株式中心だったものが、近年、債券や融資などにも拡大しています。例えば、環境問題向けプロジェクトの資金調達手段として、グリーンボンドと呼ばれる債券の発行が、このところ欧米や中国などで大幅に増加しています。こうした動きは、再生可能エネルギーの実用化といった環境関連の技術革新にも繋がるものと期待しています。

もちろん、こうした市場メカニズムや経済的なインセンティブを課題の解決に向けて活用していくためには、政策当局による適切な環境整備と方向付けが必要です。例えば、政府や公的機関は、プロジェクトが長期に亘る大規模なインフラ投資の実行や、環境問題に関する規制や制度設計などには、引き続き積極的に関わっていくべきです。また、ESG投資の標準化に向けた枠組みの策定など、市場メカニズムが円滑に機能するための取り組みも重要です。もとより、低所得国への国際的な援助や、成長する国の中で取り残されてしまった人々への直接的なサポートなど、市場メカニズムでは対応できない分野があることは言うまでもありません。

  1. 3World Bank Group, "September 2019 PovcalNet Update."
  2. 4この点、単純な所得格差でなく、機会の不平等による格差が経済成長にとって問題であるという研究もみられます。詳しくは、Aiyar and Ebeke (2019). "Inequality of Opportunity, Inequality of Income and Economic Growth." IMF Working Paper No. 19/34, International Monetary Fund, 2019.
  3. 5United Nations, "World Population Prospects: 2019 Revision."
  4. 6Seppanen, Olli, William J. Fisk, and David Faulkner. (2003). "Cost Benefit Analysis of the Night-Time Ventilative Cooling in Office Building."(外部サイトへのリンク)
  5. 7次の文献を参照。Dell, M., B. F. Jones, and B. A. Olken. (2014). "What Do We Learn from the Weather? The New Climate-Economy Literature." Journal of Economic Literature 52 (3), 740-798.

C.将来的な高齢化への対応

三つ目のテーマは、将来的な高齢化への対応です。日本が議長を務めた今年のG20では、高齢化への対応を重要なテーマとして取り上げました。当フォーラムの参加者の方々の中には、ご自身の国では差し迫った問題ではないとお考えの方も多いのではないでしょうか。実際、多くの新興国では、しばらくの間、生産年齢人口の増加が続く見通しです。もっとも、ひとたび少子化が進行し、生産年齢人口が減少に転じれば、20~30年で人口ピラミッドの形状は劇的に変化します。日本を例にとると、1970年時点では、約10人の現役世代で一人の高齢者を支える構造となっていましたが、2000年には4人、2015年には2.3人まで減少しました。少子高齢化は、おそらくみなさんが思っておられる以上に、短期間で急速に進行するものです8

幸い、こうした人口動態の変化は、ある程度事前に予測することが可能です。また、既に高齢化の問題に直面している先進国の先例に学ぶこともできます。将来の高齢化を見越して対策を考えておくことは、非常に有益だと思います。

高齢化の進展が経済にもたらす影響は多岐に亘りますが、本日は、主要な課題のひとつである年金制度について、日本のケースを振り返ってみたいと思います。年金制度は、社会保障の根幹をなすシステムです。国民生活に大きく関わるものであるだけに、改革に当たっては、時間をかけて議論を尽くす必要があります。日本の場合は、年金制度改革の内容および財源の確保のあり方などについて、20年以上の期間をかけて様々な議論を行い、改革を進めてきました。

日本の年金制度は、現役世代の保険料で高齢者への給付を賄う「賦課方式」をベースした方式を採用しています。このため、高齢化が進展するもとで、保険料や給付水準、国庫負担のバランスを再検討する必要が生じました。長い時間をかけて活発な議論が行われた結果、支給開始年齢の引き上げや国庫負担の増加などの措置が講じられました。また、年金被保険者数や平均寿命の変化にあわせて給付水準を自動調整するメカニズム(「マクロ経済スライド」)も導入されました。また、年金財政の状況については、少なくとも5年に一度、将来的な見通しも含めて検証を行っています。

高齢化の進展は、年金制度だけでなく、財政のあり方全体にも大きな影響を与えます。日本では、高齢化に伴って、年金以外にも、医療・介護向けの支出も大幅に増加しています。これらを含む社会保障費が歳出に占める割合は、1970年時点では14%程度でしたが、現在は35%程度まで上昇しています。財政運営にあたって、中長期的な財政の持続性を維持し、財政に対する信認を確保することの重要性については、改めて言うまでもありませんが、そのためには、人口動態の変化に対応した社会保障制度や税制の設計・見直しがきわめて重要です。

また、高齢化が進展し、生産年齢人口が減少する中で、どのように経済の活力を維持していくかも重要な課題です。マクロ経済的な観点からは、労働参加の拡大を図るともに、生産性を向上させるための取り組みが必要です。この点、日本では、ここ数年間で高齢者と女性の労働参加が大幅に増加し、経済成長の下支えとなっています。その背景には、子育て世代を含め、それぞれの環境やライフスタイルに応じて柔軟な働き方を認めるようになってきていることが指摘できます。また、多くの企業が深刻な人手不足に直面する中で、各種のICT技術やAIを活用した省力化のための設備投資も大幅に増加しています。また、産業構造という観点からは、高齢化に伴って新たな産業が成長し、新たな雇用やイノベーションが創出される可能性があります。医療やヘルスケア、介護などの分野が代表的です。高齢化のトレンドは世界的なものであり、高齢者を対象とした産業は今後も成長が期待できるでしょう。このような環境変化への適応を促進していくことも、政策当局の重要な役割です。

なお、最後に、高齢化自体を否定的に考える必要はないということを強調しておきたいと思います。現在、日本では、65歳以上の高齢者が人口に占める割合は3割程度となっています9。生活環境の改善や医療の発達などにより、健康で活力のある高齢者は着実に増加しています。ちなみに、イタリア・ルネサンス期の彫刻家であるミケランジェロは、74歳の時にサン・ピエトロ大聖堂の改築責任者を務めたそうです。(奇しくも、現在の私と同じ年齢です。)高齢化は、より豊かな人生をもたらすものであり、その豊かさを十分に享受できるような社会の制度設計が必要だということです。

  1. 8国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」、2017年7月。
  2. 9総務省「人口統計」。

3.おわりに

本日は、新興国の中長期的発展に向けた課題というテーマでお話ししました。新興国が直面する課題は非常に多岐に亘っており、これに適切に対応していくことは決して簡単ではないかもしれません。もっとも、新興国には、「後発の利益(late comers' advantages)」があることも指摘しておきたいと思います。デジタル技術の発展を利用することにより、先進国では陳腐化してしまったインフラ投資をスキップすることができるほか、少子高齢化などについては、先進国の経験や失敗に学ぶこともできるはずです。新興国のみなさんが各種の課題を力強く乗り越え、持続的かつバランスのとれた発展を実現されることを祈念して、私の挨拶を終えたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。