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【講演】 アジアの未来への視点 アジア・パシフィック・イニシアティブ・フォーラムにおける講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年12月8日

1.はじめに

皆様、おはようございます。本日は、「アジア・パシフィック・イニシアティブ・フォーラム」の初回会合の場でお話しする機会を頂き、誠に光栄に存じます。このフォーラムは、アジアのビジネスリーダーや政策当局者が一同に会して、域内だけでなく世界的な課題に取り組むために、知見を交換し、新たなパートナーシップを結び、革新的なアイデアを生み出すための、中心的なプラットフォームになっていくものと確信しています。

本日、私からは、マクロの視点からアジアの特徴や将来の課題について、財務官やアジア開発銀行総裁、日本銀行総裁としての経験を踏まえ、お話をしたいと思います。

2.アジアの世紀

まず、「アジア」という言葉を立体的に捉えることから、話を始めたいと思います。「アジア」という言葉の語源は、一説によると、アッカド語で「日の出」を意味する「アス」という言葉が起源で、これが転じて「日出ずる場所」を指すようになったと言われています1。こうして数千年前には、東方を起源に持つあらゆる民族や文化がひとまとめに、単一のカテゴリーとして「アジア」という言葉に分類されるようになりました。しかしながら、「アジア」に分類される民族・宗教・文化は、世界の他地域と比較しても極めて多様です。例えば、国連に加盟しているアジアの主権国家は48か国に上り、10を超える言語が複数の国で公用語として使われています。また、購買力平価による一人当たりGDPは、域内の最大国と最小国との間で7倍を超える開きがあり、各国間の経済の発展度合いは、大きく異なります2

このようにアジアを一般化することは難しいのですが、「アジアの世紀」という表現は、頻繁に使われます。この表現は、しばしば「太平洋の世紀」や「中国の世紀」といった表現や、「東アジアの奇跡」や「アジアの台頭」といった表現とほぼ同義として、アジアのプレゼンスが高まっていることを示す意味として用いられています。

それと同時に、「アジアの世紀」という表現は、19世紀の大英帝国から20世紀の米国への覇権国家の移行といった歴史も想起させます。1904年には、英国の地理学者であり政治家でもあるハルフォード・マッキンダーが「歴史の地理的ピボット」を著しており、ここで、20世紀はアジアの世紀になる、と予測しました。彼の「20世紀」という予測こそ的中はしませんでしたが、「21世紀」は、経済の拡大や人口の増加に伴いアジアの世紀になるとの見方が多くあります。シンガポールの学者で元外交官のキショール・マブバニは、欧米が世界を主導してきた200年余りがむしろ、歴史的には例外的な時期である、と主張しています。確かに、西暦元年から1820年まで、世界の2大国は中国とインドでした3。アジア地域の経済的なプレゼンスに関する最近のデータは、図表1に示したとおりです。

  1. Etymonline.com., "Asia – Origin and meaning of Asia by online Etymology Dictionary." Retrieved November 24, 2019.
  2. U.S. Central Intelligence Agency, "The World Factbook," 2018.
  3. Schibotto, Emanuele, and Gabriele Giovannini, "Singapore's Role in the Asian Century – interview with Kishore Mahbubani," Asian Century Institute, February 12, 2015.

3.アジアの現状

ここで簡単に、アジアに関する最近の計数をご紹介します。アジアは、ここ数十年の世界経済の成長を牽引し、2018年時点のGDPは、世界全体の40%以上を占めています4。また、アジア域内の人口は、世界全体の約60%を占めます。域内貿易も増加し、そのウェイトは、アジア諸国の貿易量全体の58%まで高まりました。金融面での域内の繋がりも強まっています。こうした特徴点は図表2に示したとおりです。

域内での政策協力は、様々なプラットフォームを通じて実現されています。東南アジアの地域経済統合の中心にはASEANがあり、さらに、ASEAN加盟国以外の国も含める形でASEAN+3やASEAN+6が設置されるなど、政策協力の範囲が拡大しています。またAPECを始め、アジアの枠を越えた連携も進んでいます。アジアの多くの国々は、G20メンバーにも名を連ねており、グローバルな政策決定への貢献度合いが高まっています。中央銀行間でも、EMEAPやSEACENといった枠組みで、意見交換や知識の共有を活発に行っています。

域内統合の深化に伴い、人々の往来はより一層活発になりました。このことは、例えば、メディアやポップカルチャーの「地域化」が進んでいる点にも示されています。アジアに広がる華僑コミュニティでは、中国語のポップ・ミュージックやオペラ、映画を製作し、配給し、消費するための、長い歴史を持つネットワークが存在します。1990年代には、日本のテレビドラマが東アジア中の視聴者にとって欠かせないものとなりました。この成功を受けて、韓国のテレビ業界は、自国のドラマを積極的に域内に輸出するようになりました。こうした動きは、東アジア域内で緩やかに統合されているメディア・文化産業の発展に繋がり、さらにアジア域内の観光や文化交流の促進を後押ししています。

  1. 4International Monetary Fund, "IMF Data Mapper, World Economic Outlook October 2019 (GDP)."

4.未来としてのアジア

このように域内の結びつきが強まり経済的な存在感が高まる中で、アジアが世界を主導する力を持ち、実際に世界を主導していくと期待されていることは、驚くべきものではありません。ただし、この流れを、ここ数十年間の力強い経済成長の延長線上のこととして単純に捉えるならば、事態を見誤る可能性があります。我々がよく知っているとおり、経済規模だけでは、グローバルなリーダーとして受け入れられるには不十分です。この点は、第二次世界大戦後の歴史や、大国の歩んできた過程を振り返っても、単なる経済力・軍事力だけでは不十分であることが明らかです。将来のビジョンや、道徳的な価値観、他者に対する尊重を併せ持つことも必要不可欠です。

アジアがこの広大かつ複雑な地域の潜在能力を十二分に発揮し、グローバルな舞台で積極的な役割を果たしていくために、我々にはどのような取り組みが求められるのでしょうか。アジアの国々は、地域の多様性を肯定しつつ、相互理解と尊重に基づき、一段と域内での連携を深めていく必要があります。特に、域内の経済的な結びつきを一段と深化させることは必須でしょう。また、経済以外の分野における国際社会との関わりを高めるための、より広い視野を持つことも重要です。これらの点について、以下で個別に触れたいと思います。

域内での結びつきの深化

アジアが世界で主導的な役割を果たしていくためには、開かれた柔軟な経済や市場を生み出し、それを維持していくことが必要です。また、経済的な結びつきを強化するためには、アジアのサプライチェーンを充実させることも不可欠です。経済統合に関しては、既に多くの実績が上がっています。例えば、ASEANにおいては、関税の撤廃や、サービス貿易の自由化の推進、投資の自由化・促進、高度な熟練労働者の移動の促進などが進められてきました。しかしながら、図表3に示したとおり、欧州に比べて、アジアのグローバル・バリュー・チェーンへの参加度合いは低くなっています。貿易を巡るグローバルな緊張が高まっている現状だからこそ、TPP11やRCEPといった枠組みを通じた自由貿易の推進が進むべき道でしょう。また、財貿易だけではなく、サービス貿易の促進も重要です。アジアは、世界の主要な生産拠点との位置づけから、企業・消費者の最大の消費地との位置づけに、着実に変わってきています。これはまた、域内のサービス需要も増加させていきます。

自由貿易の推進と同様に重要なのが、域内のクロスボーダー規制や制度的要素の連携です。「ASEAN経済共同体ブループリント20255」における議論からは、こうしたクロスボーダーの課題に対応する際のヒントが得られるようです。例えば、企業などからは、過去、ASEAN加盟国間で相互認証に関する合意が不十分な状況下、各国で異なる要件や規制が課されることや、ASEANの複数の国では、手続きが煩雑であることや十分な透明性が確保されていないことなどが、課題として挙げられました。現状、これらの課題への対応には大きな進捗が見られているものの、ビジネス環境や貿易の容易さに関しては、依然としてASEAN加盟国間で大きなばらつきがあります。また、こうした課題は、他のアジア諸国でもみられます。この点、EUは、単一市場の創設を通じて経済統合を目指してきましたが、ASEAN加盟国を含めたアジア諸国は、各国の主権を維持することを優先してきました。これは、域内の多様性を踏まえれば、適切な対応であったと考えられます。もっとも、域内経済の相互依存が進むに従って、財・サービスの自由貿易や直接投資に対する障壁を低減する観点から、一段の取り組みが必要となっています。こうした取り組みは、成長の源泉となる域内需要の増加にも繋がるでしょう。また、域内の貯蓄を有効活用し、長期的な資本流入を促していく観点から、深度があり流動性の高い市場を発展させるため、各国が協働で取り組むことが重要です。

こうした経済的な結びつきを一層強化していくためには、域内の国々や人々の間で、根源的な相互理解を深めるための取り組みを粘り強く進めていくことも重要です。先ほど申し上げたとおり、アジア諸国は、所得、産業構造、技術革新などの経済的な側面だけではなく、その他、宗教や文化など多くの分野でも多様性が高くなっています。このため、各国のユニークな特徴を尊重した上で、より強固な信頼感を醸成していくことが重要です。

  1. 5「ASEAN経済共同体ブループリント2025」は、2025年までに実現すべきASEAN経済共同体の姿を示した「ASEAN共同体ビジョン2025」を実現するための、具体的な行動項目を列挙した文書。

国際社会との連携

アジアは、経済以外の課題についても、国際社会に積極的に貢献していくべきです。例えば、あるコンサルティング会社の調査による、世界各国のソフトパワーの比較では、図表4に示したとおり、アジア諸国の中で上位30位に入っているのは、僅か4か国にとどまります6。アジアは、世界の人口の約60%を占める地域として、気候変動や格差といった世界的な課題について、建設的な役割を果たしていく責務があります。アジア発のアイデアや価値観は、効果的な対話を通じてグローバルな議論の進捗に勢いを与えることができるかもしれません。この観点では、国際的な議論に積極的に参画し、G20といった枠組みを通じてアジアの声を上げ続けていくことが重要です。

先ほど申し上げたとおり、気候変動に関する課題は、アジアの積極的な貢献が求められる領域です。気候変動リスクは、国際社会全体で対応すべき課題ですが、アジアでは、気候変動によって、自然災害の増加や海面水位の上昇、農林水産業への打撃などの影響を特に大きく受ける地域であることから、より切迫した課題です。また、経済成長に伴い、アジアの二酸化炭素排出量は急速に増加し、2017年には世界排出量の半分強を占めています7。今後、例えば、環境に配慮した技術を積極的に導入して共有するなど、域内、国際社会と連携して対応することが重要です。

デジタル・トランスフォーメーションの活用方法も、アジアが世界的な議論の中で主導的な役割を果たせる領域です。中国、インド、日本を含む多くのアジア諸国は、デジタル技術の主要なイノベーターであり、生産者でもあります。こうした域内の国々がデジタル・サプライチェーンの連携に取り組むことができれば、極めて大きなシナジーが得られるでしょう。他方で、アジア諸国の多くは、対応が困難な人口動態のジレンマに直面しています。多くの東アジア諸国において、出生率は「人口置換水準」以下まで低下し、人口は高齢化し、労働力は減少しています。省力化技術は、こうした人口動態上の課題の影響を緩和し、東アジア諸国の生産性を高めることに繋がるでしょう。

  1. 6Portland, "The Soft Power 30," 2019.
  2. 7Global Carbon Project, "Global Carbon Budget 2018."

5.おわりに

そろそろ講演を締めくくりたいと思います。このところ、第二次世界大戦後の世界経済の発展を牽引してきたグローバル化の流れが減速してきています。各国で内向き志向が強まり、クロスボーダーの金融経済活動に対して、強い向かい風が吹いています。一方で、貿易や気候変動問題などの多くの課題においては、多国間の取り組みが不可欠です。

アジアは、戦後の金融経済のグローバル化により、最大の恩恵を受けた地域の一つです。不確実性が高い時代において、新たな「グローバル・オーダー」を模索する動きは続いています。こうした動きは、アジア地域にとって課題とチャンスの双方をもたらすほか、アジア地域による世界的な議論への貢献についての期待を高めています。そのためには、これまで申し上げたような、相互理解と尊重に基づく域内の連携を強めていくことが重要です。アジア域内での結びつきを強化することで、世界的な課題に対する貢献が可能となるでしょう。長年、アジアの同僚と共に働いてきた経験から、私は、「アジアの世紀」が必ず到来するものと確信しています。

ご清聴ありがとうございました。