【挨拶】中銀デジタル通貨と決済システムの将来像「決済の未来フォーラム」における挨拶
日本銀行副総裁 雨宮 正佳
2020年2月27日
はじめに
本日は、決済の未来フォーラムにご参加頂き、誠にありがとうございます。
昨年来話題となっているステーブルコイン構想など民間による新たな取り組みは、より便利で迅速、そして効率的な決済に対する顧客ニーズの存在を示唆しています。そうしたニーズに応えるには、民間部門とともに、中央銀行も自らが提供する決済インフラを不断に改善していく必要があります。この点に関して、中央銀行がデジタル通貨(Central bank digital currency, CBDC)を発行すべきかどうかが一つの重要な検討課題となっています。
デジタル社会において中央銀行マネーをどのような形で提供していくべきか、そして、民間部門の決済サービスをどう改善していくべきかは、どちらも、わが国の決済インフラの将来像を考えていくうえで極めて重要なテーマです。また、この両者は密接に関連する課題であって、双方を分けて考えることは適当ではありません。今回、多くの識者の方々にフォーラムにご参加頂いていますので、有意義な意見交換になることを期待しています。
さて、これらの問題を検討する際には、情報技術革新の進展や決済事業者の様々な取り組みが、決済システムやマネーの仕組みにどのような影響を及ぼしていくかが、重要なポイントとなります。そこで、私からは、議論の出発点として、「ある程度予測可能な将来において」という条件のもとで、「変わらないであろうこと」と「変わるであろうこと」の双方を整理しておくことから、お話を始めてみたいと思います。
変わらないこと
まず、決済システムやマネーについて、将来も変わらないであろうこと、あるいは、変えるべきでないことを3つ挙げたいと思います。
一つ目は、マネーの基本的な仕組みです。マネーの発行形態には、トークン型と口座型があります。このうち、トークン型マネーは、「何らかの媒体に金銭的価値が組み込まれたもの」であり、銀行券や、交通系カードなどの電子マネーがこれに当てはまります。これらは、紙と電子媒体という違いはあっても、媒体に組み込まれた金銭的価値の移転によって決済を行うという基本的な仕組みは共通です。一方、口座型マネーについては、利用者からの振替依頼に基づき、発行者が口座の減額記帳および増額記帳をすることにより、価値が移転します。銀行預金がその代表例です。銀行に預金の移転を指示する手段は、窓口やインターネットでの振込依頼から、クレジットカードやデビットカードまで様々な種類がありますが、その本質は変わりません。また、近年におけるキャッシュレス決済の牽引役である、○○ペイといったノンバンク決済事業者も口座型マネーを発行しており、利用者はスマートフォンを通して口座の振替を指図します。将来の決済サービスも、基本的にはこの二種類のどちらかの仕組みを軸に発展していくと思われます。
将来も変わらないであろうことの二つ目は、通貨供給の二層構造です。これは変えるべきでない、維持すべきものというべきかもしれません。二層構造とは、中央銀行が現金と中央銀行預金からなる中銀マネーを一元的に供給し、民間銀行はこの中銀マネーを核とする信用創造を通じて、預金通貨を供給する仕組みです。二層構造のもとでは、経済への資金配分は民間イニシアチブを通じて効率的に行われ、また、決済サービスにおいて民間イノベーションの力が十分発揮されるというメリットがあります。フィンテック企業などノンバンク決済事業者の発行するマネーは、トークン型であれ口座型であれ、現金や銀行預金との等価交換により創出されます。マネーの発行者が多数存在することで、新しい効率的な決済手段の提供、さらには金融サービスの提供全般における競争のメリットが維持されると考えられます。
三つ目は、中央銀行の基本的な役割です。キャッシュレス化が進展し、現金の流通高が大幅に減少したとしても、中央銀行は、今申し述べた通貨供給の二層構造のもとで、中銀当座預金というデジタルマネーのコントロールを通じて金融政策を遂行するとともに、「最後の貸し手」機能を果たしていくことになるでしょう。もちろん、金融政策の効果波及ルートがより複雑化したり、マネーの把握がより難しくなるといった課題はあり得ますが、それはこれまでも起きてきたことです。通貨価値の安定と信用秩序の維持という中央銀行の責務およびその遂行能力は、情報技術革新の進展に伴い決済サービスやマネーを巡る環境が変わっても、基本的には維持されると考えられます。
変わること
これらに対して、情報技術革新に伴い、決済システムはどのように変化していくでしょうか。ここでは、後ほどの議論にも関係して、3点挙げておきたいと思います。
第一に、リテール決済のキャッシュレス化は着実に進展していくだろうということです。実は、スウェーデンのような特殊な事例を除き、主要先進国では、現金の流通高は今でも増加しています。日本でも、昨年10月のキャッシュレス・ポイント還元事業の開始以降、キャッシュレス手段を使う消費者が増えているようですが、現金はまだ前年比で2%ほど伸びています。現金志向は意外と根強いものがあります。しかし、長い目で見れば、新たなサービスの導入やその利便性に対する認知度の高まりとともに、キャッシュレス化の流れは止まらないでしょう。
第二に、決済を担う事業者の多様化です。近年のキャッシュレス決済を牽引しているのは、銀行よりも、ビッグテックやフィンテック企業、交通系・流通系企業などのノンバンク決済事業者であるように窺われます。例えば、○○ペイといった資金移動業者や、交通系・流通系企業などの前払式支払手段発行業者が、伝統的なマネーである現金や銀行預金とは異なるデジタルマネーを発行しており、その利用が拡がってきています。こうした決済事業者の多様化は、金融規制のあり方や、中央銀行・民間双方の決済インフラの運営に、様々な影響を与えることになるでしょう。
第三の変化は、「マネーとデータの接近」という現象です。ノンバンク決済事業者の多くは、便利なキャッシュレス決済サービスを提供することで、既存の顧客の利便性を高めるだけでなく、多様な関連ビジネスに顧客を誘導することにより、ネットワーク効果を通して自社のエコシステムの拡張を図っていこうという戦略をとっています。このような戦略は、Data-Network-Activityを略して、DNAと呼ばれます。かつては、買い物の支払いをする、つまりマネーを使うことの意味は一定の経済価値を授受することでした。それが今では、だれが、いつ、どこで、何を買ったか、場合によっては、ウェブサイト上の商品宣伝を閲覧するだけで何を買わなかったか、といった関連データも授受するようになっています。それだけに、決済システムやマネーの将来を考える際には、個人情報の保護やその有効活用をどう考えるかという論点が、一層重要になってきます。
海外におけるCBDCの検討事例
それでは、以上のように決済システムやマネーを巡る環境が変化する中で、CBDCにはどのような機能や役割が求められることになるでしょうか。海外でCBDCの発行が検討されている事例をみると、これまでのところ、3つほどの類型があるようです。
第一に、スウェーデンでは、現金流通高のGDP比が2%を割り込むまで低下していることが、CBDCの発行を検討する背景になっています。同国では、キャッシュレス化が大幅に浸透した結果、現金を受け入れる小売店が減少し、銀行口座を持たない人々が街での買い物に困難を来すほどになっています。こうした状況下で、国民があまねく中銀マネーへアクセスできるようにすることが一つの狙いとなっています。
第二は、カンボジアやバハマなどの発展途上国です。これらの国では、自国通貨や決済を巡るインフラが未整備である一方で、スマートフォンの普及率は極めて高いといった状況にあります。そうしたもとで、いわば一から決済制度を設計し直すことが課題であるために、最新のデジタル技術を全面的に採用することが可能となったケースです。
第三は、中国のケースです。まだ詳細な設計が明らかになっていませんが、これまで公表された内容によりますと、中国人民銀行によるCBDCは、流通現金の代替を明確な目的としています。その際、現金の発行・流通に伴うコストの削減だけでなく、偽造リスクへの対応、マネーロンダリングやテロ資金供与の防止といった、不正防止の観点に大きな重点が置かれています。
さて、日本を含む、多くの欧米先進国の状況を見ると、これらのケースと同じような形でCBDC発行の必要性が高まっているわけではありません。多くの国では、現金残高は毎年プラスの伸びを維持しています。現時点では、国民の中銀マネーへのアクセス確保のために、新しい措置を講じなければならない状況ではありません。また、発展途上国とは異なり、既存の通貨・決済システムが安定的に稼働している以上、一足飛びに新技術に移行するというわけにはいきませんし、すべきでもありません。マネーロンダリング防止などの不正対策は非常に大事な課題ですが、まずは規制や監督面での対応を図るというのが、現在の主要先進国の方針です。
CBDCの論点
それでは、そうした事例以外に、CBDCに求められる役割にはどのようなものがあるでしょうか。この問題を考えるうえでは、まず、通貨の持つ基本的な役割に立ち返ってみることが有益だと思います。そうすると、CBDCの有用性だけでなく、検討すべき諸課題も浮かび上がってくるからです。
経済主体の経済活動を支えるうえで、誰もが安全、確実に、安価に、そして何処でも利用できる決済手段の存在は不可欠です。デジタル社会においても、中央銀行がそうした決済手段の提供という役割を果たすべきという点には、大方の賛同を得られるでしょう。CBDCに求められる役割もこの点にあるでしょう。一つの事例として、本日も参加されている新たな決済サービス事業者の皆さんからしばしば聞かれるご意見をご紹介します。
先ほども申し述べた通り、新たな事業者による決済サービス市場への参入は、決済システムを巡る主要な変化点の一つです。この点に関連し、わが国においては、民間マネー間の相互運用性の確保が一つの課題になっています。例えば、○○ペイなどのノンバンク決済事業者がそれぞれ運営する決済プラットフォームの加盟店は必ずしも重なっていないので、ある事業者が発行するデジタルマネーを保有していても、別のプラットフォームに加盟する店舗では利用できないことがあります。また、異なる決済プラットフォーム間では、個人間送金を行うこともできません。
こうした事例において、CBDCにはどういった役割が期待されるでしょうか。CBDCがあれば、誰とでも個人間送金が自由に行えるほか、民間マネー間の相互運用性も飛躍的に向上することになります。CBDCが民間マネー間の橋渡しをすることにより、決済の効率性の改善に寄与し得ることを示しています。実際、最近、こうしたご要望を伺うことが増えています。
もっとも、話はそう簡単ではありません。CBDCについては、より広く決済制度や金融システム全般に与える影響を含めた総合的な検討が必要です。先の事例でいえば、CBDCの発行は、民間マネー間の橋渡しに寄与する一方で、銀行振込など既存の民間決済サービスをクラウドアウトする可能性があります。さらに、もし、CBDCの決済コストが民間に比べて大幅に低ければ、殆どの店舗は民間マネーによる決済ではなく、CBDCによる決済を選好するでしょう。中央銀行が民間主体よりも安価な決済サービスを提供できるのは、決済のコアインフラという公共財を提供する観点から、中央銀行が一定のコスト負担をしているからです。そのコアインフラの設計次第では、官の民業圧迫を引き起こし、民間のイノベーションを阻害する可能性も考えられます。
また、企業や個人が銀行預金よりCBDCの保有を選好すれば、銀行の資金調達に影響を及ぼし、貸出などの金融仲介機能にも影響を与えることが考えられます。そうなりますと、先に触れた通貨供給の二層構造そのものを変容させることになるかもしれません。
さらに、これも先程述べたように、デジタル化の進展とともに、マネーとデータはますます接近していくでしょう。CBDCの発行とともに、関連する取引情報が中央銀行に集まってくることをどう考えるかという論点もあります。これは、個人情報保護の問題だけでなく、そうした商流情報をうまくビジネスに活用するにはどのような制度設計が社会として望ましいか、という問題でもあります。
このように、中央銀行としては、CBDC発行のメリットと課題・リスクについてより理解を深めるとともに、課題やリスクについては、実効的な対応策を見出し得るのか、しっかり検討していく必要があります。論点は多岐にわたります。
また、決済システムの将来像について考える際には、中銀マネー、民間マネーそれぞれを独立に捉えるのではなく、両者の相互関係を念頭に置いて、決済システム全体の機能の向上策を検討することが重要です。先の事例で言えば、民間部門は、決済の相互運用性を高めたり、既存の決済インフラの効率性を改善しデジタルマネー間の交換における摩擦を解消していくことが重要です。相互運用性の改善については、決済プラットフォーム間の相互接続やノンバンク決済事業者が銀行と共通の決済プラットフォームに参加することなどが選択肢として考えられるでしょう。
おわりに
ただいま私が述べた論点は、リテール決済サービスの一例に過ぎませんし、ホールセール決済やクロスボーダー決済においても様々な事例や課題が考えられると思います。本日のフォーラムでは、この3つのテーマ、つまり、リテール、ホールセール、クロスボーダーのそれぞれについて、セッションが用意されています。皆さまから幅広くご意見を頂き、わが国の決済システムの将来像について一緒に考えていく機会にしたいと願っておりますし、この決済の未来フォーラムは今後も継続して開催していく予定です。また、日本銀行では、決済機構局内にCBDCに関する研究チームを発足させ、国内の識者や関係諸機関、海外中銀との意見交換等を通じて、今後も様々な論点について研究を深めていく方針です。
ご清聴ありがとうございました。