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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策鳥取県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 野口 旭
2021年10月14日

1.はじめに

日本銀行の野口でございます。本日は、新型コロナウイルス感染症の影響が続く中ではありますが、鳥取県の各界を代表する皆さまとのオンライン形式での懇談の機会を賜りまして、誠に有り難く存じます。皆さまには、日頃より日本銀行鳥取事務所ならびに松江支店の様々な業務運営に多大なご協力を頂いております。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

本日は、まず私から、国内外の経済動向や日本銀行の政策運営等について、脱コロナ禍経済についての私見も交えながらお話しさせて頂きます。その後、皆さまから、当地経済に関するお話や、私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。鳥取県を訪問することが叶わず大変残念ですが、皆さまとの懇談を通じて、地域経済の現状や課題に対する理解を深め、頂いたご意見を日本銀行の業務や政策判断に活かしてまいりたいと考えております。

2.経済・物価情勢

(1)内外経済情勢

まず海外経済の現状です。コロナ変異株に伴う感染症の影響は引き続き大きいものの、先進国が牽引する形で総じてみれば回復しています(図表1)。ただし、マクロ経済状況は、ワクチン接種の進展度合いなどに応じて国・地域ごとにばらつきがあります。ワクチン接種が相対的に進んでいる先進国では、公衆衛生措置が段階的に解除される中で、対面型サービスを含め、経済の改善度合いが強まっています。一方で新興国は、先進国の回復が貿易面を通じて波及する中で総じて持ち直しつつありますが、ワクチン接種の遅れ、変異株による感染再拡大、財政支援の打ち切りなどの影響によって、内需が下押しされている国・地域もみられます。

先行きについては、ワクチン接種の進捗度合いに応じて、国・地域ごとのばらつきが大きな状況が当面は続くとみられます。足もとでは先進国も含め変異株による感染再拡大により景況感の改善ペースがやや鈍化してはいますが、ワクチン接種が世界全体でより進捗するなど感染症の影響が徐々に和らいでいけば、各国での積極的なマクロ経済政策にも支えられて、全体として回復が続くとみています。

次に、国内経済の現状です。飲食や宿泊といった対面型サービスは、変異株による感染症拡大の影響で、下押し圧力がかかる状況が継続しています。もっとも、海外経済の回復が明確になる中で、輸出・生産は、自動車関連を中心に一部に供給制約の影響を受けつつも、増加基調にあります(図表2)。とりわけ、世界的にデジタル関連需要が拡大する中で、スマートフォンやPC関連、データセンター向けなどの情報関連財、半導体製造装置などの資本財が堅調です。企業収益もそれによって大きく改善しています。こうした動きは設備投資にも波及しており、外需の増加を起点とした企業収益から設備投資への好循環は途切れていません(図表3)。

つまり、足もとでは対面型サービスの苦境は続いているものの、先進国を中心とした海外経済の回復に牽引される形で日本経済全体としては持ち直しています。先行きについては、対面型サービスは当面厳しい状況が続くとみられますが、その後はワクチン接種が一段と進捗して感染症の影響が和らいでいく中で、個人的には年末以降には回復がより明確化していくものとみています。

(2)物価情勢

次に国内の物価情勢です。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比をみると、感染症の影響や携帯電話通信料引き下げによって下押しされる一方でエネルギー価格が上昇しており、0%程度となっています。この消費者物価指数は、2015年基準から2020年基準への改定が行われた結果、本年4月以降の前年比が、携帯電話通信料のマイナス寄与拡大により大幅に下方改定されました。しかしながらこれは、携帯電話通信料という特定部門の一時的な価格変化です。この携帯電話通信料や元々変動が大きいエネルギー価格などの一時的要因を除いてみれば、消費者物価の前年比は小幅のプラスになっています(図表4)。したがって、物価の一時的下振れが人々のインフレ期待に及ぼす影響を注視する必要はあるものの、物価の基調に変化はないものとみています。

物価の先行きについては、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、エネルギー価格の上昇などから小幅のプラスに転化し、その後も、ワクチン接種進捗による経済正常化の進展に伴う需給ギャップの改善、携帯電話通信料引き下げの影響剥落から、徐々に上昇率を高めていくものとみています。国際商品市況の上昇の影響に関しては、企業物価が前年比で大幅に上昇する中でも、消費者物価への転嫁は現時点では限定的にとどまっています。しかし、経済正常化が進展すれば、需給ギャップの改善に伴い、消費者物価への転嫁がより強まっていく可能性もあります。

ただし、こうした経済・物価の見通しについては、変異株などによる感染再拡大という大きな不確実性があります。実際、この夏場以降、日本国内でのデルタ株の感染拡大により、一部地域は再び公衆衛生措置の強化を迫られました。それによって経済正常化局面はやや後ろ倒しされたものと考えています。自動車関連を中心としたサプライチェーンへの影響も含めまして、変異株の感染拡大に伴う経済下振れリスクには、今後とも大きな注意が必要です。

3.金融政策

(1)「物価安定の目標」に向けた政策対応

次は金融政策運営です。日本銀行は、2%の「物価安定の目標」を実現するため、2013年4月に「量的・質的金融緩和」を導入しました。その後も、政策効果を検証しつつ、経済・物価情勢に応じて、2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」でマイナス金利を導入し、2016年9月に「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」で操作目標を長短金利(イールドカーブ・コントロール)とすると同時に、生鮮食品を除く消費者物価指数の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大方針を継続することを約束する「オーバーシュート型コミットメント」を導入するといった形で、金融緩和を強化してきました。

(2)感染症への政策対応

昨年3月には、感染症の影響から、投資家のリスクセンチメント悪化に伴って金融市場が不安定化し、企業の資金繰りもタイト化しました。そこで、企業等の資金繰り支援と金融市場の安定を図る観点から導入したのが、(1)企業等の資金繰り支援のための新型コロナ対応特別プログラム(「特別プログラム」)、(2)金融市場の安定を確保するための国債買入れやドルオペなどによる潤沢かつ弾力的な資金供給、(3)資産市場におけるリスク・プレミアムに働きかけることを目的としたETFおよびJ-REITの積極的な買入れ、という「3つの柱」の措置です(図表5)。

これらの対応は、企業の資金繰り改善と金融市場の安定化に大きな効果を発揮してきました。実際、企業の資金繰りにはなお厳しさがみられますが、銀行借入やCP・社債発行といった外部資金の調達環境は緩和的な状態が維持されています。また、昨年春に一時的に大きく不安定化した金融市場は、その後は全体として落ち着きを取り戻して現在にいたっています(図表6)。

日本銀行は、本年6月の金融政策決定会合で「特別プログラム」の期限をそれまでの本年9月末から来年3月末まで半年間延長し、企業等の資金繰りを引き続き支援していくことを決定しました。「特別プログラム」は、感染症の経済への影響が十分に和らいでいけば縮小させるべきものですが、その判断は慎重でなければなりません。現状では、変異株の影響もあり、感染症が先行きの経済にどの様な影響を及ぼすのかは依然として不透明です。「特別プログラム」の扱いについては、今後の感染症の状況を踏まえて、適切に判断していきます。

(3)より効果的で持続的な金融緩和

感染症は他方で、日本経済全体に、経済・物価への強い下押し圧力として作用しました。それは、2%の「物価安定の目標」の実現にはより一層の時間を要することが予想される状況になったことを意味します。日本銀行はこうした認識のもと、本年3月に「より効果的で持続的な金融緩和のための点検」で政策効果等の検証を行いました。そして、金融緩和の持続性をより高めるとともに、経済・物価・金融情勢の変化により機動的かつ効果的に対応していくために、政策面での調整を以下のように行うこととしました(図表7)。

第1に、金融仲介機能に配慮しつつ機動的に長短金利の引き下げを行うため、「貸出促進付利制度」を創設しました。これは、日本銀行が金融機関の貸出を促進する観点から行っている各種資金供給について、その残高に応じて短期政策金利に連動する一定の金利をインセンティブとして付与する仕組みです。

第2に、イールドカーブ・コントロールについてより柔軟な運営を行うため、「概ね±0.1%の幅の倍程度」としていた長期金利の変動幅を「±0.25%程度」と明確化すると同時に、新たに「連続指値オペ制度」を導入し、必要な場合に金利の上昇を強く抑える手段を用意しました。

第3に、ETFおよびJ-REITの買入れについて、感染症対応の臨時措置として決定した年間増加ペースの上限(それぞれ約12兆円および約1,800億円)を感染症収束後も継続しつつ、その時々の市場状況に応じてメリハリをつけた買入れを行うこととしました。これは、「買入れがリスク・プレミアムへの働きかけを通じて市場の安定化に寄与する効果は、金融市場の不安定化する局面ほど高まる」という点検での分析結果を踏まえたものです。

この後でお話しするように、世界の各中央銀行では現在、感染症の影響が縮小して経済正常化が進展する中で、コロナ禍に対応して行われてきたこれまでの金融緩和措置の手仕舞いや縮小への動きが進んでいます。しかしながら、日本ではおそらく、長期デフレによって経済主体に根付いたデフレマインドの影響が未だに大きいことから、仮に感染症が収束したとしても、2%の「物価安定の目標」の実現に目途を付け、金融緩和を縮小するまでには相応の時間を要することが予想されます。その間は、まずは現状の金融緩和措置を粘り強く継続していくことが最重要と考えます。

(4)気候変動問題への対応

次に、気候変動への対応に関する諸課題についてです。気候変動問題はいうまでもなく、将来にわたって社会・経済に広範な影響を及ぼすグローバルな課題です。企業や家計が経済活動を行う際に温室効果ガスが十分に抑制されない場合には、地球規模で気温が上昇し、大規模自然災害の頻度が高まる可能性があります。それが、気候変動に伴う社会的コストです。他方で、気候変動の抑制にもまた一定の社会的コストが必要です。したがって、その政策判断は基本的には、民主的な手続きを通じて選ばれた政府・国会の役割ということになります。

それでは、今日、主要中央銀行の多くがなぜ気候変動問題に強い関心を持っているのかといえば、気候変動問題が将来的にはマクロ経済に大きな影響を与え、中央銀行の最も基本的なマンデートである物価や金融システムの安定そのものを脅かす可能性・蓋然性が強まっているからです。日本銀行もそうした観点から、本年6月の金融政策決定会合で、気候変動関連分野での民間金融機関の多様な取り組みを支援するため、金融機関が自らの判断に基づき取り組む気候変動対応投融資をバックファイナンスする新たな資金供給の仕組みを導入することを決定し、先月の金融政策決定会合で制度の詳細を決定しました(図表8)。

とはいえ、現状では気候変動を巡る外部環境はきわめて流動的です。また、気候変動問題がマクロ経済に具体的にどのような影響を及ぼすのかについては、必ずしも十分な知見が蓄積されているとは言えません。したがって個人的には、より一層の調査・研究が必須と考えています。また今後においては、中央銀行のマンデートを意識しつつ、状況や知見の変化に柔軟に対応していくことが重要と考えています(図表9)。

4.「脱コロナ禍」経済の展望

(1)脱コロナ禍の途上にある世界経済

おそらく、日本を含む世界経済はいま、コロナ禍を克服して再び経済と日常生活を正常化させていくという「脱コロナ禍」に向けた、その過渡期にあります。ただし、その正常化への進展局面は、各国ごとに大きく異なっています。それは端的にいえば、ワクチン接種の進展度合いや、コロナ禍に対する政府による財政的支援の程度が各国ごとに異なっているからだと考えます。経済正常化のためには何よりも感染症を収束させていくことが必要ですが、その前提条件は現状ではワクチン接種の進捗です。また、コロナ禍によって家計や企業が被る経済的な打撃を可能な限り抑制し、正常な経済活動への復帰を可能な限り早く実現させるためには、政府による十分な財政的支援が必要不可欠と考えます。

もちろん、ワクチンを接種しても感染拡大が十分に抑制できない可能性がないわけではありません。実際、ワクチン接種を最も早期に進めたイスラエル、英国、米国といった国々では、感染がいったんは大きく抑制されたものの、変異株の世界的な流行によって再び新規感染者の急激な増加が生じています。こうした感染力のより強い変異株の拡大による経済への影響については、大きな不確実性が残されています。

このコロナ変異株に起因する不確実性の存在にもかかわらず、「ワクチン接種の進捗をトリガーとした経済正常化の途上にある」という世界経済の現状における基調それ自体は、今のところ大きく揺らいではいません。したがって、ワクチン接種で先行する国々の経済にこれまで何が生じてきたのかをつぶさに確認すれば、ワクチン接種が十分に進展したあとの日本の経済状況をある程度までは推し測ることができます。

これらの国々の経験によれば、少なくともデルタ株流行以前においては、ワクチン接種がある程度進捗したところで、人流が拡大し始め、経済活動の急速な正常化が始まります。この経済正常化直後の段階で最も顕著に現れるのが、いわゆる「ペントアップ需要」です。これは、公衆衛生措置や感染への警戒感によって抑制されてきた民間消費が、それらの解除によって一挙に顕在化することによって発生します。その需要の背後には、人々の消費抑制や政府の財政支援(給付金等)によって積み上げられてきた民間部門の超過貯蓄が存在しています1

こうしたことから、米国や英国では、ワクチン接種が進展したこの春以降、供給制約の影響も受けつつ、消費者物価の上振れが生じています(図表10)。米国では、本年5月以降、消費者物価上昇率が5%を上回る状況となるなど、それがとりわけ顕著です。米国や英国ではさらに、需要拡大に伴って対面型サービスを中心として企業の求人が急拡大したことで、いわば「労働力の奪い合い」が生じ、労働者の賃金も上昇しています(図表11、12)。

ただし、政策当局者をも含む各国の専門家の多くは、米英で見られるこうした物価や対面型サービスを中心とした賃金の上振れはあくまでも一過性の現象であり、経済正常化の進展につれて次第に抑制されていくとみています。それについては確かに、「必ずしも一過性ではない」とか「1970年代型高インフレにつながる」と見る専門家も存在していますが、その立場は少数派に留まっています。つまり、専門家の多くは、コロナ禍で生じていた自発的失業や労働抑制が解消され、財やサービスの供給制約が緩和されていけば、物価や賃金の上振れには自ずと歯止めがかかると考えています。

仮に物価や賃金の上振れが中長期的に抑制されていくにしても、このような高インフレが既に実態として継続しているという事実それ自体には大きな経済的な意味があります。というのは、ベン・バーナンキ元米FRB議長が「世界的貯蓄過剰」として、ローレンス・サマーズ元米財務長官が「長期停滞」として概念化したように、2000年代以降の世界経済を特徴付けてきたマクロ経済的な常態とは「持続的な低インフレと低金利」であったからです。米国などで現在生じている高インフレは、それらの仮説にとっては明らかなアノマリーです。それは、コロナ前までは歴史的な低金利に直面し続けてきた政策当局者の多くにとって、必ずしも否定的な意味ではなく、一つの大きなサプライズであったと考えます。

  1. 内閣府「世界経済の潮流 2021年 I」(2021年8月)では、米国、ユーロ圏、日本の2020年1~3月期から直近までの累積貯蓄超過額を、米国が2.5兆ドル(対GDP比12.0%)、ユーロ圏が0.68兆ユーロ(同4.4%)、日本は35.9兆円(同6.7%)と推計しています。

(2)脱コロナ禍局面での金融政策

重要なのは、こうした脱コロナ禍に向けた経済状況の推移が、今後の金融政策運営に対してどのような意味を持つのかです。各国の政策動向をつぶさに眺める限り、その方向性はかなり明確です。各中央銀行とも、経済正常化の進展に伴い、コロナ禍に対応して展開してきた経済下支えのための金融緩和措置を徐々に手仕舞いさせようとしています。さらに、物価の先行きを睨みながら、金融緩和を縮小させる適切なタイミングを見計らい始めています。それは、各中央銀行が、「経済正常化の進展に伴う物価上昇圧力は、少なくとも現状の金融緩和を不要にする程度には強い」と考えていることを意味します。

米FRBに関しては、パウエル議長が先月のFOMC後の記者会見で、早ければ次回11月会合でテーパリング(資産買入れの縮小)開始を決定することを示唆しています。また、先月のFOMC後に公表されたFOMC参加者の政策金利見通しをみると、中央値でみて2022年中の利上げを想定した見通しとなっています。英BOEに関しては、本年8月のMPC後に公表された声明文において「経済情勢が概ね金融政策レポートの中心見通しに沿って進展していけば、見通し期間中に若干の引き締めが必要になる可能性が高い」との文言を追加し、先月のMPC後には「その可能性は前回会合より強まったようにみえる」としています。それら以外でも、インフレへの懸念などから、既に政策金利引き上げも含めた金融緩和の縮小を実行している中央銀行も増加しています(図表13)2

もちろん、このような金融緩和の縮小が直線的に進む保証はありません。上述のように、変異株などによる感染再拡大の影響に関しては、大きな不確実性が残されています。また、経済正常化初期局面でのインフレ率上振れの持続性も、実際に時間が経過してみないと分からない問題です。

そうではあるものの、もう少し長いスパンで見れば、経済正常化に伴う金融緩和の縮小は、紆余曲折を伴いつつも着実に進展していくと思われます。各中央銀行はおそらく、政策の方向や調整ペースを前もって決め打ちするのではなく、感染症の影響などでインフレ圧力が想定よりも弱まれば金融緩和の縮小プロセスを遅らせ、そうでなければ早めるという柔軟な対応を行うことになるでしょう。それは、中央銀行は結局のところ、物価を含むマクロ経済の安定のためには、その時々の状況に対応して政策を調整していく以外にはないからです。

仮にインフレの持続性が事前の想定以上に強かったとしても、それが必ずしも問題であるとは限りません。というのは、主要中央銀行の多くは、これまではむしろ政策金利が低くなりすぎたことによる制約に直面していたからです。確かに、インフレの制御には常に困難が伴います。しかし他方で、インフレ抑制には究極的には政策金利の引き上げが必要ですから、このインフレはあるいは、低すぎる政策金利から脱却できる絶好の機会として捉えることもできるかもしれません。

  1. 2そうした金融緩和縮小を行う背景は必ずしも一様ではありませんが、例えば、カナダ、オーストラリアなどでは資産買入れの縮小が行われており、ニュージーランド、ノルウェー、アイスランド、ハンガリー、ポーランド、韓国、ブラジル、メキシコ、ロシアなどでは利上げが行われています。

(3)2%の「物価安定の目標」の重要性

以上は脱コロナ禍経済下の金融政策に関する「一般論」であり、当然ながら現状の日本経済にそのまま適用はできません。というのは、日本経済は、2013年4月から8年以上にわたって実行されてきた大規模金融緩和政策によって物価が継続的に下落するという意味でのデフレではない状況にはなったものの、日本銀行も含む主要中央銀行の多くがその目標としている2%の「物価安定の目標」は達成されないままコロナ禍に突入していたからです。そのため、コロナ禍を克服したのちには、2%の「物価安定の目標」の達成という課題に改めて取り組んでいくことになると考えます。

これまで述べたように、経済正常化の途上にある各国では現在、ペントアップ需要などによるインフレ率の上振れが生じています。したがって、そこでの金融政策上の課題は、「その高いインフレ率を目標水準にいかにソフト・ランディングさせるのか」になります。日本ではおそらく、こうしたマクロ経済状況が生じる可能性はそれほど高くはありません。

日本の場合にも、経済正常化の初期局面では、経済活動が相応に拡大することが期待できます。というのは、上述のように日本でも、コロナ禍におけるこれまでの消費抑制と財政支援によって、相応の超過貯蓄が積み上げられてきたからです。ワクチン接種の進展によって公衆衛生措置が解除され、対面型サービスを含む経済活動が正常化されれば、その超過貯蓄の少なくとも一部はペントアップ需要として顕在化するでしょう。

とはいえ、コロナ前の日本経済における基調的なインフレ率の低さを考えると、それが物価や賃金の上昇となって現れる程度については、諸外国ほどには大きくならないと想定されます。また、これはそれ自体としてはまったく悪いことではありませんが、日本ではコロナ禍においても米国のような失業の急拡大は生じてこなかったことから、米国とは異なり、労働復帰の遅れという供給制約による賃金や物価の上昇もまた自ずと限定的なものになると考えられます。

結局のところ、日本の場合には、各国の中央銀行が現在行いつつあるようなインフレ率の上振れに対応した金融緩和の縮小は、当面は選択肢にはなり得ません。それは、日本銀行が金融緩和の縮小に着手するその前提条件は、インフレ率が安定的に2%を超え続けること以外にはないからです。したがって日本の場合にはむしろ、ペントアップ需要が拡大するモメンタムを金融緩和の継続によってその後も持続させていき、その勢いを2%の「物価安定の目標」の達成につなげていくということが課題になると考えられます。

(4)重要な財政政策と金融政策とのポリシーミックス

日本銀行にとっての2%の「物価安定の目標」の達成は、当初の想定よりも時間がかかっているという意味で、想定以上にハードルの高いものでした。しかしながら私自身は、確かに時間はかかっていても、その目標の達成は可能と考えています。それは第1に、日本経済はコロナ禍の以前にも、完全失業率がバブル末期の1990年代初頭の水準にまで低下するなど、金融緩和の継続によって潜在的成長経路に着実に近づきつつあったからです(図表14)。第2に、これはコロナ禍が生み出した一つの肯定的な要素ですが、政府による財政的支援が経済の下支えに大きな役割を果たすという点についての社会的認知が前進しているからです。

日本経済は今、やがて2年にもなろうとするコロナ禍によって苦しんでいます。とりわけ、対面型サービス業に従事されている方々の多くは、この間に塗炭の苦しみを経験されてきたに違いありません。しかしながら他方で、日本経済全体としては何とか底割れすることなく持ちこたえてきたのも事実です。そこでは金融政策も一定の役割を果たしてきましたが、より大きかったのは財政政策の方と考えます3。対GDP比でみた日本のコロナ対応財政支出の規模は、米国よりは劣るものの、英国、カナダ、オーストラリアなどとほぼ並ぶ高い水準にあります(図表15)。それは、「コロナ禍の今は何を差し置いても政府が手厚い財政支援を行うべき」という点に関して、十分な社会的コンセンサスが存在していたからです。

コロナ禍に直面した日本を含む世界各国はこれまで、拡張財政と金融緩和のポリシーミックスによって経済を下支えしてきました。そしてそれは、少なくとも経済面では一定の成功を収めたと考えてよいでしょう。このようなマクロ経済政策のレジームは、経済正常化が課題となる脱コロナ禍経済においても、少なくともその正常化が完遂されるまでは重要になるものと考えます4。そして、2%の「物価安定の目標」の達成によるデフレからの完全脱却という積年の課題を持つ日本においては、こうしたポリシーミックスの重要性はより一層強くいえると思います。

  1. 3例えば、Pierre-Olivier Gourinchas, Şebnem Kalemli-Özcan, Veronika Penciakova, and Nick Sander, “Fiscal Policy in the Age of COVID: Does it ‘Get in all of the Cracks?’,” paper presented at the Federal Reserve Bank of Kansas City’s Economic Policy Symposium on “Macroeconomic Policy in an Uneven Economy, ” in Jackson Hole on August 27, 2021.では、64か国、36業種を内包した経済モデルを用いて、「財政支出の拡大は需要不足に陥った業種の回復に寄与した」ことを指摘しています。
  2. 4この点、本年6月のG7財務大臣・中央銀行総裁会議およびその後の首脳会議では、経済回復に向けて「必要な期間、経済への支援を継続」することが合意されています。

5.おわりに ―― 鳥取県経済について ――

最後に、鳥取県経済について、日本銀行鳥取事務所や松江支店からの報告を基にお話しさせて頂きます。

足もと鳥取県経済は、持ち直しの動きが一服しているとみています。個人消費は、感染症再拡大や天候不順等の影響から、飲食・宿泊などの対面型サービス消費において厳しさが増しているほか、衣料品や家電製品の販売も低調となるなど、全体として弱含んでいます。製造業の生産は、部品調達難の影響等から電気機械が伸び悩むなど、全体でも横ばい圏内の動きとなっています。他方で、設備投資は、企業収益の改善等から持ち直しています。

先行きについては当面、感染症の影響に関して不確実性が高い状況の下で、感染防止と経済再生の両立を図っていくことが重要となります。さらに、より中期的に持続可能な経済発展を実現していくうえでは、コロナ禍を経た企業・家計の行動変化に的確に対応し、人口減少や少子高齢化による需要減少、人手不足、後継者難といった課題にも取り組んでいくことが求められます。この点については実際、県内関係者の皆さまにより、当地の特性を活かした様々な取り組みが進められています。

例えば、コロナ禍を契機に、グローバルな需要をオンラインにより取り込む動きが広がってきています。地元観光協会などがSNSを利用し地元名産品の海外販売を支援しているほか、コロナを脱した後のインバウンド需要を睨んで、当地観光情報の発信にも取り組んでいます。テレワークの進展とともに全国的にワーケーションやシェアオフィスなどの新しい働き方が注目されていますが、当地でも、大山や鳥取砂丘などの自然環境を活かしてワーケーションなどに利用可能な施設を開設する動きのほか、シェアオフィスやコワーキングスペースにベンチャー企業の誘致を図る動きも進んでいます。さらに、全国的に副業を認める企業が増えてきている中で、当地では、行政がいち早く副業に着目して県外居住者と県内企業とのマッチングを支援し、地域の課題である専門人材の確保に取り組んでいます。

不確実性に満ちた脱コロナ禍の時代を生き抜くうえでは、柔軟かつ迅速な対応が重要となります。その意味では、鳥取県は全国で人口が最も少ない県ですが、小さいことが逆に強みにもなり得ると考えています。今後、地域の魅力を着実に高めていくことで、鳥取県経済が更なる発展を遂げられることを大いに期待しております。ご清聴ありがとうございました。