【挨拶】CBDCが存在する、あるいは存在しない決済システムの将来像「中央銀行デジタル通貨に関する連絡協議会(第2回)」における開会挨拶
日本銀行理事 内田 眞一
2021年10月15日
本日は、中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関する連絡協議会にご参加頂き、誠にありがとうございます。
3月に第1回の協議会を開催してから半年あまりが経過しました。その間、日本銀行では、一般利用型についての「実証実験」をスタートし、順調に進めています。
海外に目を転じますと、欧州中央銀行は、デジタルユーロプロジェクトの調査フェーズを開始し、その結果を踏まえて2年後に発行の是非を判断する方針を明らかにしました。また、米国FRBは、CBDCに関する市中協議ペーパーをまもなく公表し、関係者との対話を強化する計画です。日本銀行を含む7つの中央銀行とBISによる共同研究グループは、先ごろ共通する課題についてレポートを公表しました。このグループは今後も継続していくことで合意しており、日本銀行としても緊密に連携していく考えです。この間、中国では大規模なパイロット実験が続けられているほか、経済規模が比較的小さいいくつかの国が、実際に通貨としてCBDCを発行しています。
前回の協議会では、「現時点で分かっている技術的な要因や内外の情勢などを踏まえると、将来「CBDCを一つの要素とする決済システム」が世界のスタンダードとなる可能性は相応にあります」と申し上げました。この半年間の海外の動向はそれを裏付けるものでした。各国において、CBDCが現実的なオプションのひとつになってきているという事実は、わが国としても、しっかりと受け止めなければなりません。もとより「CBDCありき」の議論は本末転倒です。議論の目的は、「デジタル社会にふさわしい決済システムの将来像」を描くことであり、CBDCはその手段にすぎません。
今日は、そうした将来像を描くうえで、多少なりとも具体的なイメージが持てるよう、ひとつの思考実験をしてみたいと思います。すなわち、経済・社会のデジタル化が進む中でも、日本銀行が、今と同じ公共財(「現金」と「日銀当座預金」)のみを提供し続けるとしたら、何が起こるのか、ということです。
もちろん、すぐに問題が起こるわけではありません。今のところ、わが国において、銀行券需要は伸び続けており、近い将来銀行券が大きく減少するとは思えません。しかし、現金という物理的な存在を取り扱うことには様々なコストがかかりますので、スウェーデンや中国で見られるように、急速にデジタルな決済手段に置き換わる可能性は常に存在します。そのこと自体は、より便利になるという意味で必ずしも悪いことではありません。ただ、店舗やレストランで現金が使いにくいような事態になれば、そうした決済手段に加入することを事実上強制されてしまうという問題が生じます。また、その決済システム上で動くのは、民間債務ですので、安全性を確保する何らかの仕組みが必要になります。グローバル・ステーブルコインを巡る議論は記憶に新しいところですし、中国では100%準備を要求するという手段も取られています。
相互運用性の問題もあります。わが国では、多くのキャッシュレス決済サービスが競争していますが、サービス間の相互運用性は不十分であり、スケールメリットやネットワーク効果は十分に発揮されていません。私たちは、日々店舗で「この決済手段は使えますか?」と聞いています。各事業者には、ビジネス規模を拡大するため、顧客を囲い込むインセンティブがあります。したがって、自然体ではなかなか相互運用性を高める動きは進みません。もちろん、いずれ、競争による淘汰の結果として、一部の主体が提供するシステムに集約していく可能性はあります。事業者によっては、データの利活用とクロスセルによって、安価に決済サービスを提供できるでしょう。ただ、それは「あなたがデータを提供すること」とセットになるかもしれませんし、集約の結果、新しい事業者が市場に参入するのが困難になってしまう可能性もあります。
さらに、例えば他国でCBDCが一般的になった場合には、わが国が金融サービス提供の面で不利にならないか、CBDCなしにこれと相互運用性を確保できるかといった問題も生じるかもしれません。デジタル化が進む過程では、以上のような問題だけでなく、今は予想できないような様々な課題が出てくることでしょう。
こうした問題に対する解決策のひとつとして、「CBDCが存在する決済システム」は、わかりやすいグランドデザインです。現在の現金と同様100%安全でどこでも受け入れてもらえる中央銀行発行の決済手段が、民間主体が運営する各種の決済サービス上で動いてくれたら、もっと便利で安心でしょう、ということです。決済手段と決済サービスの提供は区別して考えることが可能ですし、この区別は決済システムやその周辺の諸問題を考えるうえで重要な視点になります。例えば、データ利用などの面でも中立的なCBDCを決済手段として介在させることで、相互運用性のある形で決済サービス間の競争は維持され、消費者は好きな決済サービスと付随するエコシステムサービスを選べます。囲い込みや集約によるスケールメリットを否定するものではありませんが、誰でも使える決済手段の存在は、公共財として必要です。
もちろん、仮にCBDCを発行する場合、中央銀行は、あくまで公共財としての則を守り、民間決済サービスとの共存を図る必要があります。
この「共存」には、「水平的な共存」と「垂直な共存」があります。「水平的な共存」とは、CBDCのシステム以外にも様々な民間の決済ネットワークが並存するという意味ですが、その極端なケースとしては、CBDCを、民間決済システムを使えない、あるいは、使いたくない人のための限界的な手段として提供するということが考えられます。いわゆる「金融包摂」の考え方で、例えば、銀行口座を持たない人や遠隔地などで民間決済サービスのコストが見合わない場合の受け皿と位置付けるというものです。
ただ、日本や多くの先進国では、そうしたケースは極めて限界的でしょうから、これらに対応するためだけに多額の費用をかけてCBDCのシステムを構築することは考えにくいと思います。むしろ、普通の人が使う決済手段の中に、CBDC「も」存在するというモデルをイメージしたうえで、その必要性を検討すべきだと思います。そこでは、「水平的な共存」に加えて、「垂直な共存」すなわちCBDCのエコシステムの中で様々な主体がどのように役割を分担するか、が重要になってきます。
垂直な共存のためには、中央銀行が提供するCBDCは、比較的プレーンな、料理しやすい素材であることが望ましいでしょう。例えば民間が提供するひとつのウォレットの中で、民間の決済手段に加えてCBDCも使えるようにするのかもしれませんし、CBDCを使ったうえで新たなサービスを付け加えていくのかもしれません。様々な選択肢がありますが、日本銀行としては、皆様と一緒に、CBDCが存在する場合の決済システムの全体像を描いていきたいと考えています。
もちろん、今日お話しした課題に対する解決策はCBDCだけではありません。規制・監督・オーバーサイトなどによって決済ビジネスに対する安全性を確保することや、事業者間で協力して相互運用性の向上を図ることなど、多様なアイデアがありえます。取引から最終的な決済完了までの時間を極めて短くするような、テクノロジーによる解決もあるかもしれません。CBDCを導入することには、中央銀行・民間仲介機関の双方でコストがかかりますから、よく検討した結果、やはりCBDCではなくて、別の方法を模索したほうが良い、ということもありえます。それはそれで、デジタル社会における決済システムの方向性を決めていく上で、建設的なステップです。
日本銀行として、「現時点でCBDCを発行する計画はない」というこれまでの基本的な考え方に変わりはありません。ただ、「CBDCを発行する」ということが大きな決断であると同時に、世界各国で真剣な検討が進む中で「発行しない」ということも大きな決断になってきています。そして、発行しないのであれば、どうやってデジタル社会にふさわしい決済システムを構築していくか、考えなければなりません。いずれにしても現状維持はありえません。
本日は、実証実験の進捗状況等について情報共有させて頂くとともに、皆さまから幅広くご意見を聞かせて頂き、今後の検討に役立てて参りたいと考えておりますので、よろしくお願いします。
ご清聴ありがとうございました。