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【講演】 賃金上昇を伴う形での「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向けて 日本経済団体連合会審議員会における講演

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2022年12月26日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、わが国の経済界を代表する皆様の前でお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

今年も残りわずかとなりました。2022年を振り返りますと、新型コロナウイルス感染症の影響がなお続く中、内外経済には様々なショックが加わりました。ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、エネルギーや穀物等の資源価格が急速に上昇したことに加え、コロナ禍からの回復過程で生じた部品の調達難などの供給制約の影響などから、財価格はグローバルに上昇しました。これに加え、コロナ禍で抑え込まれていた需要が、経済の回復過程で大幅に高まったことなどから労働需給も大幅に引き締まりました。こうした資源高や労働需給の引き締まりは、世界的なインフレ圧力を強め、米欧を中心に、40年振りの水準までインフレ率が上昇しました(図表1)。

米欧では、高インフレが定着することを防ぐため、急ピッチで政策金利を引き上げています。金融引き締めの効果が経済や物価に波及するには一定の時間的なラグを伴いますが、IMFなどの国際機関は、来年には米欧の物価上昇率は低下するとの見通しを示しています。ただし、金融引き締めの影響により、経済成長率は大きく低下し、一部の国ではマイナス成長も予想されています。労働需給が緩和に向かう分、失業率も上昇する見通しです。こうした状況について、米国FRBのパウエル議長は、「家計や企業にある種の痛みをもたらすものであり、インフレ抑制の不幸なコストであるが、物価安定を取り戻せなければ、より大きな痛みとなる」と述べています。欧州でも、経済への一定の悪影響は覚悟のうえで、インフレを鎮静化させるという姿勢は明確です。このように、来年の海外経済は、きわめて不確実性の高い状況が続くとみられますが、わが国経済は、比較的安定的な成長を続ける見込みです。その背景には、感染症からの経済再開のタイミングの違いに加え、米欧と異なり、緩和的な金融環境が維持されていることも大きく影響しています。失業率も、米欧では前述のとおり上昇する一方、わが国では一段の低下が見込まれており、労働需給のタイト化が進む見通しです。

日本銀行は、賃金の上昇を伴う形での「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を目指しています。本日は、わが国の経済・物価情勢やそれを踏まえた最近の金融政策運営についてご説明したあと、わが国の労働市場と賃金形成の特徴についても詳しくお話ししたいと思います。

2.最近の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策運営

経済・物価情勢

まず、経済情勢についてお話しします。わが国経済は、資源高の影響などを受けつつも、感染症抑制と経済活動の両立が進むもとで、持ち直しています(図表2)。景気持ち直しの原動力は、経済再開に伴うサービス需要の回復と、企業部門における収益から投資への前向きな循環です。

サービス需要をみますと、これまで感染症によって抑制されてきた宿泊・飲食業の活動水準は明確に持ち直しています。10月に全国旅行支援が開始されたことも、サービス需要の回復を後押ししています。さらに、同月に水際対策が緩和されたことを受け、入国者数も、1月から9月までの平均では、コロナ前の2019年の4%程度まで落ち込んでいましたが、10月は20%、11月は38%と改善しています。これを受けて、インバウンド需要も、復元しつつあります。人出の増加は、宿泊・飲食業に加えて、運輸業や娯楽業にも好影響をもたらしています。

次に、企業部門をみますと、資源高などの逆風は吹いていますが、その中でも企業収益は高水準を維持しています。GDPでみた設備投資も、4から6月、7から9月にそれぞれ前期比+2.0%、+1.5%の増加となるなど、緩やかに回復しています。今月公表しました短観では、今年度の企業の設備投資計画は前年比+15%程度となり、改めて企業の積極的な投資スタンスが確認されました。

景気の先行きについては、資源高や海外経済減速による下押し圧力を受けるものの、感染症や供給制約の影響が和らぐもとで、回復していくとみられます。個人消費は、物価上昇に伴う実質所得面からの下押し圧力を受けつつも、感染抑制と消費活動の両立が一段と進むもとで、行動制限下で積み上がってきた貯蓄にも支えられたペントアップ需要の顕在化を主因に増加を続けるとみられます。また、設備投資も、緩和的な金融環境による下支えに加え、供給制約の緩和もあって、増加傾向が明確になっていくと考えられます。

次に、物価情勢についてご説明します。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、直近11月の計数は+3.7%となっています(図表3)。最近の物価上昇は、エネルギーや食料品、外食、さらには白物家電などの耐久消費財が中心です。これらはいずれも輸入品への依存度が高い点が共通しています。資源高や為替円安を背景とした輸入物価の上昇とその転嫁が、現在、消費者物価が上昇している要因です。ただ、原油をはじめとする国際商品市況は、海外経済の減速を織り込む形で、既に下落に転じています。年明け以降、輸入物価の上昇を起点とした価格転嫁の影響は減衰していくと見込まれます。このため、消費者物価の前年比プラス幅も、来年度半ばにかけて、縮小していくと考えています。

もっとも、経済・物価ともに、先行きの見通しを巡る不確実性は高いと考えています。特に、海外の経済・物価動向には注意が必要です。冒頭申し上げたとおり、米欧ではインフレ抑制のために急ピッチで利上げが進められており、市場では、インフレの抑制と経済成長の維持が両立できるかが懸念されています。急速な利上げが続くもとで、資産価格の調整や為替市場の変動、新興国からの資本流出を通じて、グローバルな金融環境が一段とタイト化し、ひいては海外経済が下振れるリスクがあります。こうしたリスクを念頭に置いて、金融・為替市場の動向や、そのわが国経済・物価への影響についても、十分注視する必要があります。このほか、内外の感染症の動向やその影響についても、注意深くみていくことが必要です。

日本銀行の金融政策運営

次に、金融政策運営についてお話しします。わが国経済は持ち直していますが、資源高による下押し圧力を受けているほか、GDPは依然として感染症前の水準を回復していないなど、コロナ禍からの回復途上にあります。また、海外の経済・物価動向やウクライナ情勢、感染症の影響など、わが国経済を巡る不確実性も、きわめて高い状況です。消費者物価は、現在2%を上回る上昇率となっていますが、先行きはプラス幅を縮小し、年度平均では、来年度以降、2%を下回るとみています。こうした経済・物価情勢を踏まえると、金融緩和によって、経済をしっかりと支え、企業が賃上げを行いやすい環境を整えることが必要だと考えています。このため、先週の金融政策決定会合では、短期金利をマイナス0.1%、10年物国債金利をゼロ%程度とする大規模な金融緩和を継続することを決定しました。また、そのうえで、企業金融まで含めて、金融緩和の効果がより円滑に波及するようにするため、イールドカーブ・コントロールの運用を一部見直しました(図表4)。いずれも政策委員会の全員一致による判断です。

本年春先以降、海外の金融資本市場のボラティリティが高まっており、わが国の市場もその影響を強く受けてきました。わが国の債券市場では、日本銀行のイールドカーブ・コントロールのもとで、10年物国債金利は「ゼロ%±0.25%程度」の低水準で推移してきましたが、各年限間の金利の相対関係や現物と先物の裁定などの面で、市場機能の低下がみられていました。例えば、期間10年の金利より8から9年の金利の方が高い、あるいは、先物市場と現物市場の価格に乖離がみられる、といったことです。また、期間10年の国債金利についても、指値オペの対象としているカレント物は0.25%以下となっていた一方で、残存期間10年の20年物国債はそれよりも高い金利で取引されていました(図表5)。

ご存じのとおり、国債金利は社債や貸出などの金利の基準となるものです。こうした国債市場における歪みが、社債のスプレッドが拡大する形で調整されるといった現象もみられました。現在は、企業等を取り巻く金融環境は全体として緩和した状態が維持されていますが、これまで申し上げたような状態が続きますと、企業の起債など金融環境に悪影響を及ぼす惧れがあると考えました。そこで、緩和的な金融環境を維持しつつ、市場機能の改善を図る観点から、イールドカーブ・コントロールの運用面でいくつかの手段を講じることとしました。

まず、国債買入れの月間予定額を、従来の7.3兆円から9兆円程度に増加することで、低水準のイールドカーブを維持します。そのうえで、10年物国債金利の変動幅を、従来の「±0.25%程度」から「±0.5%程度」に拡大することとしました。また、10年以外の各年限においても、機動的に、買入れ額のさらなる増額や指値オペを実施することとしました。これらの措置によって、低水準のイールドカーブを維持しつつ、より円滑なカーブの形成を促すことが可能になると考えています。実際、決定後の金融市場調節のもとで、歪みが生じていた10年物金利は上昇しましたが、それ以外の年限の上昇は抑えられています(図表6)。

また、社債市場への対応の面では、日本銀行が行っている社債買入れについて、現在、感染症対応から平常時に戻す調整を行っているところですが、この調整を、社債の発行環境に十分配慮して進めることとしました。

これらの措置によって、長期金利の変動幅は従来よりも拡大しますが、この先イールドカーブ・コントロールを起点とする金融緩和を続けていくうえで、指標金利としての国債金利の機能を維持し、企業金融などを通じて、緩和効果をより円滑に波及させていくことのメリットが大きいと考えています。このように、今回の措置は、企業金融に至る波及までを考えたうえで、金融緩和を持続的かつ円滑に進めていくための対応であり、出口の一歩ということでは全くありません。日本銀行としては、イールドカーブ・コントロールの枠組みのもとで、金融緩和を続けていくことで、賃金の上昇を伴う形で「物価安定の目標」の持続的・安定的な達成を目指していく方針です。

3.わが国の労働市場と賃金形成の特徴

ここからは、わが国の労働市場と賃金形成の特徴について、お話ししたいと思います。

日本銀行は2013年4月に、「物価安定の目標」の実現を目指して、「量的・質的金融緩和」という、現在まで続く大規模な金融緩和を開始しました。このことは、単に物価が上がりさえすればよいということではありません。この点は、9年前の本席でも、「価格の緩やかな上昇、売上・収益の増加、賃金の上昇、消費の活性化、価格の緩やかな上昇といった形で、経済の好循環が実現し、定着することを目指している」と申し上げたとおりです。言い換えますと、売上・収益の増加や賃金の上昇によって裏打ちされることが、持続的・安定的な形で「物価安定の目標」を達成するうえで、きわめて重要であるということです。このように、物価と賃金がともに上昇するという関係は、日本でも、90年代半ば頃までは当たり前のように観察されていました(図表7)。また、本日はグローバルに事業を展開されている経営者の方も多くお見えですが、海外においては、物価と賃金がともに上昇していくということは、ごく普通の現象です。

「量的・質的金融緩和」の導入後、政府の施策や企業による様々な取り組みもあって、経済は大きく改善し、労働需給もタイト化してきました。こうしたもとで、プラスの物価上昇率が定着し、賃金上昇率も振れはありますが、平均でみればプラスとなっています。このように、わが国は、「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています。もっとも、賃金の上昇を伴う形で2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現する状況には、まだ至っていません。

その背景について、昨年3月の時点で「点検」を行い、第一に、長期にわたるデフレの経験によって定着した、物価が上がりにくいことを前提とした人々の考え方や慣行、端的に言えば、企業の価格・賃金設定行動の転換に時間がかかっていること、第二に、女性や高齢者の労働市場への参加が進み、労働供給が増加したことで賃金上昇圧力が吸収されたこと、などが作用しているという点を指摘しました。そこで、これらの点に変化が生じているかを確認したいと思います。

まず、企業の価格設定行動です。短観の販売価格判断をみると、最近では、多くの企業で値上げの動きが広がっていることが確認できます(図表8)。この背景には、輸入物価の上昇を起点とする仕入コストの大幅な上昇があります。もちろん、今回ほどではないにせよ、過去にも仕入コストが大きく上昇した局面はありました。もっとも、厳しい競争環境を背景に、価格転嫁がなかなか進まない状況が長く続いてきました。この理由としては、競合する企業の間で、互いに価格競争力を意識して、コスト上昇の価格転嫁を控えてきた面があったと思われます。この点、今回の局面では、輸入物価上昇が、程度の面でも、品目の広がりの面でも大きかったこともあり、多くの企業が価格転嫁を行ったと考えられます。ただし、コスト高をもたらした輸入物価上昇の影響は、いずれ減衰していきます。足もとみられているような価格設定行動の変化が新しい慣行として定着するのか、今後見極めていく必要がありますが、そのためには、先ほど申し上げたような、賃金上昇と物価上昇の好循環が続いていくことが重要です。賃上げの動きが広がることで、人件費増加というコスト上昇圧力が企業に生じると同時に、家計の所得改善を通じて需要が増加することも、先行きの緩やかな価格上昇につながっていくと考えられるためです。

そこで、今度は、企業の賃金設定行動について確認したいと思います。その前提として、まず、わが国の労働市場の構造を改めて整理します。

わが国の労働市場と賃金形成の特徴

わが国の労働市場の大きな特徴は、「終身雇用」という言葉に象徴されるように、雇用の流動性が低い正規雇用と、それ以外の非正規雇用という、性質が異なる2つの雇用形態によって構成され、「二重構造」になっていることです(図表9)。両者の間では、賃金を規定する要因も異なっています。

わが国の労働市場の長期的なトレンドを振り返りますと、過去30年程の間に、非正規雇用が増加してきた点に大きな特徴があります。一般に、正規雇用に比べて非正規雇用の賃金水準は相対的に低いため、非正規雇用比率が高まったことは、わが国の名目賃金の平均値を押し下げる方向に作用し、その伸び率を抑制してきました。1990年代半ば以降、バブル崩壊後の調整の過程では、正規雇用の過剰感が大きく強まり、その数は減少傾向を辿りました1。それを埋める形で、あるいはそれ以上に非正規雇用が増加し、非正規雇用比率が速いペースで高まってきたというのが基本的な構図でした。

もっとも、ここ数年、こうしたトレンドには変化がみられています。引き続き非正規雇用の増加は続いていますが、経済の改善などによって人手不足感が強まっていることで、人材係留という面もあって、正規雇用が増加に転じています。この結果、非正規雇用比率の上昇ペースは、頭打ちになっています。なお、わが国の生産年齢人口(15から64歳人口)が、1995年をピークに減少を続けている中でも、正規雇用と非正規雇用の双方が同時に増加することが可能であったのは、女性や高齢者の労働参加が進んだためです。経済の改善に伴う就業機会の拡大に加え、政府や企業が多様な働き方を支援する施策を進めたことなどを受けて、より多くの女性や高齢者が労働市場に参加し、労働参加率は大きく高まりました。こうした労働参加率の高まりによる労働供給の増加は、マクロでみた平均的な賃金上昇率を抑制する一因となりました。ただ、このような労働供給の増加は、全体としての雇用者所得を押し上げるとともに、経済成長にとってもプラスの効果があった点は強調しておきたいと思います。

さて、こうした労働市場の「二重構造」は、先行きの賃金動向を占ううえで重要な意味を持っています。それは、雇用形態によって、賃金形成のメカニズムに違いがあるためです(図表10)。特に、両者の間では、労働需要に対する賃金の反応度合いが大きく異なっています。正社員とパートタイム労働者の労働需給をみますと、いずれも感染症拡大初期の一時期を除けば、過去10年、ほぼ一貫してタイト化してきました。この間、パート労働者の時給は、平均して2%程度の高めの伸びを続けたのに対し、正規雇用の賃金は、1%未満のごく緩やかな伸びにとどまりました。

こうした違いには、それぞれの雇用形態における雇用の流動性の違いが影響しています。非正規雇用は、雇用の流動性が高い分、労働需給が賃金に反映されやすい面があります。一方、正規雇用は、長期雇用慣行のもとで、一般に雇用の流動性が低いとみられます。さらに、バブル崩壊以降の景気低迷の経験もあって、労使ともに雇用維持を優先し、結果として賃上げが抑制された面もあります。ウェイトが大きい正規雇用の賃金が上がりにくかったことも、労働需給の引き締まりの割に、マクロで見た賃金の伸びが抑制された要因とみられます。

同様の違いは、企業規模、業種、年齢階層などの間でもみられます2 (図表11)。例えば、同じ正規雇用であっても、中小企業の労働者は、大企業に比べ、より良い条件を求めて転職する割合が多くなっています。雇用の流動性が高い分、賃金が労働需給に反応しやすい傾向がみられます。実際、正規雇用の賃金水準は、大企業で横ばい圏内となる一方、中小企業では明確に上昇しています。同様の傾向は、雇用に占める中小企業の比率が高い対面型サービス業、あるいは第二新卒市場を含めて雇用の流動性が高い若年層にも、あてはまります。

  1. 1なお、この時期には、自営業主や家族従業者も減少している。
  2. 2フルタイム労働市場における企業規模や業種間での賃金形成の違いについて、詳しくは、「「コロナ禍における物価動向を巡る諸問題」に関するワークショップ第3回「わが国の賃金形成メカニズム」の模様」をご参照ください。

賃金の見通し

以上の整理を念頭に、先行きの賃金の展望を述べたいと思います。基本的に、賃金の上昇率は徐々に高まっていくと考えています。

まず、非正規雇用を中心に労働需給がさらにタイト化していくと考えられます。今後、わが国の経済が回復していくもとで、対面型サービス業を中心に、労働需要も増加していくとみています。他方、労働供給の面では、女性や高齢者の労働参加がこれまでのようには増えにくくなると考えられます(図表12)。わが国の女性の労働参加率は、はっきりと上昇し、既に米国を上回っているほか、G7の上位国に迫る水準となっています。また、高齢者の労働参加も進みましたが、先行き、ベビーブーマー世代が、労働参加率が大きく下がる75歳以上になります。このように、労働需給が、需要・供給の両面からタイト化することで、特に、非正規雇用の賃金は伸びを高めていくと考えられます。さらに、こうした非正規雇用の賃金上昇圧力は、相対的に雇用の流動性が高い中小企業、対面型サービス業、若年層を中心とした正規雇用の賃金にも広がっていくとみています。

もっとも、マクロでみた賃金上昇が本格化するためには、相対的に流動性の低い大企業の正社員も含め、ウェイトの大きい正規雇用の賃金も上昇する必要があります。来春の労使交渉では、労働需給の引き締まりに加え、物価がどの程度賃金に反映されるのかが注目されます(図表13)。わが国でも、かつては「生活給」を確保するという考え方が労使双方で共有され、物価上昇がベアを通じて賃金を押し上げていました。もっとも、デフレ期には、事実上、ベアが行われなくなりました。「量的・質的金融緩和」を導入した翌年の2014年以降は、9年連続でベアが実現しています。来春の労使交渉において、連合は、物価上昇も踏まえて、定期昇給分を除くベースで3%と、従来を上回る賃金上昇を求める方針を決定していますが、どの程度のベアが実現するのか注目しています。この点では、企業の賃金設定行動も、物価を勘案する方向に変化しつつあるとみています。アンケート調査によれば、中小企業の経営者も、以前と比べれば、物価の上昇をより意識した賃金引き上げを行うようになってきています。

もちろん、賃上げの原資となる収益は、企業全体としては高水準であるとはいえ、規模や業種によってもばらつきがあります(図表14)。中小企業の経営者の中には、業績の改善を伴わないが、「防衛的な賃上げ」を行う、という声が多いのも事実です。持続的な形で賃上げの動きが広がっていくうえでは、収益が大きく改善している大企業を中心に、賃上げの動きが本格化するとともに、取引条件の改善などを通じて、収益増加の好影響が中小企業などにも広がっていく取り組みも求められると考えています。この点では、来春の労使交渉について十倉会長からも、「物価の動向を最も重視して検討すべきである」、「賃金引き上げのモメンタムを持続的なものとし、物価と賃金の好循環を実現したい」、とのメッセージが発せられている点は大変心強く感じています。また、大企業と中小企業が共に成長できる持続可能な関係を構築するという理念のもと、「パートナーシップ構築宣言」を行う企業も増加しています。これらを通じて、賃上げの動きが社会全体に波及していくことを期待しています。

4.おわりに

時間も少なくなってきました。本日お話ししてきたとおり、今後、わが国では、労働需給のさらなるタイト化が見込まれ、企業の価格・賃金設定行動も変化していくとみられます。その意味では、バブル崩壊以降、長きにわたる低インフレ・低成長の流れを転換できるかという重要な岐路に差し掛かっています。企業の皆さまの前向きな取り組みが進展していくことを期待するとともに、日本銀行としても、緩和的な金融環境をしっかりと維持していくことで、それを最大限後押ししていくということを申し上げて、本日のお話を終わらせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。