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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営静岡県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2023年2月2日

1.はじめに

日本銀行の若田部です。本日は、静岡県の行政、経済、金融各界で活躍されている方々との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、日頃から静岡支店の業務運営に多大なご協力とご支援を頂いておりますことを、厚く御礼申し上げます。

静岡県と日本銀行には、今年のNHK大河ドラマで注目を集めている徳川家康公を通じて、深いゆかりがございます。静岡支店のある葵区金座町には、名前の示す通り、一時期(1607から1612年)、江戸幕府の金貨を鋳造する金座(駿河小判座)が置かれておりました。その後、金座は江戸に移り、現在の日本銀行本店はその金座の跡地に建てられています。江戸時代には、すでに物価の安定を目指して貨幣量を調整するという、現代の金融政策の萌芽がみられたことが知られています。いわば金座は江戸幕府の日本銀行的な存在でありました1

その物価について言えば、昨年来、物価上昇率が高まっています。わが国では、1990年代半ばにデフレに陥って以来、物価が持続的・安定的に上がることはありませんでした。今回は違うのでしょうか。2%の「物価安定の目標」は達成されるのでしょうか。結論から言えば、今回はこれまでとは違う動きもみられているものの、この先の不確実性は極めて高く、「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現するため、引き続き、金融緩和を着実に進めていく必要があると考えています。

本日は、まず、先般公表した「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」に基づいて、経済・物価の現状と見通しを述べます。その概要は、経済は回復に向かいながらも、物価は、目先、高めの伸びとなった後、減速するというものです(図表1)。そのうえで、最近の金融政策運営の考え方についてもご説明します。次に、日本銀行が2013年以降に実施してきた金融政策を振り返ります。最後に、静岡県経済についてお話しさせていただいた後、皆様から当地の実情に則したお話や日本銀行に対するご意見などを伺いたく存じます。

  1. 1日本銀行静岡支店「駿河小判座と日本銀行」2015年9月。
    https://www3.boj.or.jp/shizuoka/gaiyou/kobanshiryou.pdf

2.経済の現状と展望:今回は違うのか

(1)内外経済の現状と見通し

最初に、世界経済からお話しします。世界経済は、このところ回復ペースが鈍化しており、先行きも減速していくとみています。企業の景況感を示すPMIは、米国・欧州・中国という3大経済圏のいずれにおいても悪化しています(図表2)。米国の中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)は、高インフレを抑制するため、昨年を通じて合計4%を超える利上げを行いました。その影響は、今のところ金利の影響を受けやすい住宅投資の減少などにとどまっていますが、今後、米国経済は、物価高や利上げの影響を受けて、減速していく可能性が高いとみています。欧州経済も、欧州中央銀行(ECB)の利上げに加えて、ウクライナ情勢の長期化の影響も受けて、減速していく見込みです。さらに、中国では、昨年末以降の感染者数の急増が、個人消費を中心に、景気の重石となっています。

このように世界経済は一旦減速しますが、その後は、金融引き締めの効果などによってグローバルなインフレ圧力が和らぐもとで、持ち直していくと考えています2

次に、わが国経済についてお話しします。日本経済は、資源高の影響などを受けているものの、感染症抑制と経済活動の両立が進むもとで、持ち直しています。先ほど述べた海外経済の減速は、資源高の影響とともに、経済の下押し要因となりますが、緩和的な金融環境や政府の経済対策の効果にも支えられる形で、先行きも回復が続いていくとみています(図表3)。今回の展望レポートでは、2023年度、2024年度の実質成長率は、それぞれ+1.7%、+1.1%と、潜在成長率を上回る伸びが続く見通しになっています。当面は、これまで重石となってきた感染症や供給制約の影響が和らぎ、ペントアップ需要が顕在化すること、その後は、所得から支出への循環メカニズムが徐々に強まっていくことが、回復を支えるものと考えています(図表4)。

家計部門をみますと、昨年秋以降、国内で感染第8波が広がりましたが、人出の回復傾向は続き、旅行や外食など、サービス消費は堅調に推移しています。全国旅行支援や、水際対策の緩和に伴うインバウンド需要の増加も、サービス需要の回復を後押ししています。この間、食料品やエネルギーをはじめとする物価上昇は、家計の実質所得やマインドを下押ししていますが、政府の物価対策の効果や、行動制限下で積み上がってきた貯蓄にも支えられる形で、個人消費は、緩やかな増加を続けています。

企業部門に目を転じますと、海外経済の減速は、輸出や生産の下押し要因となりますが、感染症や供給制約の緩和によって、売上高や収益は、全体として高水準になっています。そのもとで、緩和的な金融環境にも支えられて、短観調査でみた本年度の企業の設備投資計画は、2桁増の見通しとなっています。

ただし、こうした日本経済の見通しについては、不確実性が大きい状況です。先ほど申し上げた海外の経済・物価動向に加え、資源・穀物価格の動向、内外の感染症の動向にも注意が必要です。さらに、これまで趨勢的に低下してきた中長期の期待成長率の動向にも注目しています(図表5)。現在は極めて変化の大きな時代です。コロナ禍の影響はもちろんですが、地政学的リスクの高まりから、グローバル化の潮流の先行きも不透明になっています。また、脱炭素化など、世界的な課題も増えています。家計や企業がそうした流れにうまく対応することができれば、中長期の期待成長率が高まり、経済の好循環はさらに強まると考えられます。

  1. 2ただし、こうした見通しには、様々な不確実性があります。
    例えば、米欧のインフレ率は、ひと頃に比べれば低下しているとはいえ、米国は6%程度、欧州は9%程度と、なお高インフレが続いています。インフレ率が想定以上に高止まる場合には、それだけ必要な金融引き締め度合いが高まり、経済への下押し圧力も強まります。世界的な金融引き締めが、資産市場の調整を招いたり、対外債務残高の大きな新興国からの資金流出をもたらさないかなど、国際金融資本市場の不安定化につながるリスクにも注意が必要です。
    さらに、中国経済については、感染抑制と経済活動の正常化についての不確実性は高いとみています。一旦落ち込んだ後に経済活動が急激に回復する上振れ方向のリスクが実現すると、資源・エネルギー価格を通じて、グローバルなインフレ圧力を強め、世界の中央銀行がさらに金融引き締めをする可能性もあります。そのほか、不動産部門の調整や各種規制の動向、人口動態を反映した中長期的な潜在成長率の鈍化にも注意が必要です。なお、中国経済の潜在成長率の動向については、以下を参照してください。佐々木貴俊・坂田智哉・向山由依・吉 野功一(2021)「中国の中長期的な成長力:キャッチアップの持続可能性に関する考察」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 21-J-9、2021年5月。
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2021/wp21j09.htm

(2)物価動向

次に、わが国の物価動向についてお話しします。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、徐々にプラス幅を拡大し、昨年12月には+4.0%となりました(図表6)。わが国では約40年振りの伸び率となっていますが、このような物価上昇の背景には、輸入物価の上昇を起点とした価格転嫁の影響があります。もっとも、こうした影響による押し上げは、今後、徐々に減衰していく可能性が高いとみています。実際、国際商品市況は既に下落に転じ、わが国の輸入物価は、上昇率が明確に低下しています。さらに、今月以降の物価には、政府の経済対策によるエネルギー価格の押し下げ効果も表れてきます。このため、先行き、来年度の半ばにかけて、物価上昇率のプラス幅は縮小していくとみられます。その後は、経済の回復が続く中で、時間はかかるものの、需給の引き締まりや、後ほど申し上げる賃金上昇率の高まりなどを背景に、再びプラス幅を緩やかに拡大していくとみています。

展望レポートでは、消費者物価の前年比について、2022年度に+3.0%となった後、2023年度、2024年度はそれぞれ+1.6%、+1.8%と、いずれも2%を下回るという見通しを示しています。なお、政府の経済対策の影響は、2023年度の前半を中心に、ガソリン・電気・都市ガス代の負担緩和策が消費者物価の前年比を押し下げる方向に働きます。一方、2024年度には、その反動で、前年比の数字は押し上げられる見込みです。この点、エネルギー価格の変動の直接の影響を受けない生鮮食品とエネルギーを除く消費者物価をみますと、2024年度は1%台半ばという見通しになっています。これらの点を踏まえても、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現にはなお時間を要するものと考えています。

なお、先ほど申し上げたように、最近の消費者物価には、エネルギーや穀物を中心とした輸入物価の大幅な上昇の影響、あるいは政府の物価高対策の影響など、様々な要因が働いています。単独の指標で物価の基調的な動きを把握することは、より難しくなっているため、表面的な数字のみではなく、経済全体の需給の状況や賃金動向を含め、物価動向を規定するメカニズムをしっかりと点検していくことが一段と重要になっていると考えています。

こうした観点から、私が現在の物価の基調を判断するうえで注視しているポイントを3点、ご紹介したいと思います。

第一に、品目別の価格変動率の分布の変化です(図表7)。米欧と異なり、日本では、長い間、多くの品目の価格変動率が、ゼロ%程度の狭い範囲に集中してきました。ただ、直近の分布をコロナ前と比較しますと、右側、つまり価格が上昇する方向の分布の裾野が厚くなっています。こうした傾向は、輸入価格の影響を受けやすい財を中心にみられていますが、サービス価格にも広がっていくかどうか注目されます。

第二に、今申し上げた点にも関連しますが、企業の価格設定スタンスをみても、短観の企業の価格判断では、仕入価格だけでなく、このところ、販売価格が上昇しているという企業の割合が増加しているほか、企業の物価見通し・インフレ予想も、その分布が幾分上昇方向にシフトしています(図表8)。

第三に、企業の賃金設定スタンスです(図表9)。物価の安定を実現するうえでは、それが、賃金の上昇を伴う形であることが非常に重要です。この点、企業の人手不足感は、コロナ禍の初期に一時的に弱まったものの、その後、景気が持ち直す中で再び高まっており、既にコロナ前の水準に達しています。また、当面の賃金動向を占ううえでは、今年の春の労使交渉が大きな鍵を握ります。まさに現在交渉を進められている企業が多いと思いますが、組合の要求率は、昨年来の物価上昇も反映する形で、従来を大きく上回っています。政府や多くの企業経営者の方からも、物価上昇を勘案してしっかりと賃金を引き上げることが重要であるとの指摘が聞かれています。実際に、どの程度のベアが実現するか、注目しています。

もっとも、重要なことは、これらの変化が十分に持続的で、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現につながるかどうかです。この点については、なお不確実性が高いとみています。特に、足もとの変化は、昨年来の輸入品価格の上昇を起点としたものであるだけに、こうしたコストプッシュ圧力が一巡した後も続くのか、言い換えれば、企業の価格・賃金設定行動の変化が定着し、人々の中長期的なインフレ予想が2%にアンカーされていくのか、といった点については、なお慎重な見極めが必要であると考えています。春の労使交渉がどのような妥結結果となるのか、また、今次局面での値上げの経験を踏まえて企業の価格戦略がどうなっていくのか、幅広い統計はもちろん、企業の皆様へのヒアリング情報なども活用しながら、適切に判断していきたいと考えています。

(3)最近の金融政策運営

ここまで、私どもの経済・物価情勢に関する見方をご説明してきました。日本銀行としては、このような情勢を踏まえますと、経済をしっかりと支え、企業が賃上げをできる環境を整えることが重要であると考えています。このため、先月の金融政策決定会合でも、金融緩和の継続を決定したところです。

なお、昨年12月の決定会合では、イールドカーブ・コントロールの運用を一部見直しました。これも、緩和的な金融環境を維持しつつ、市場機能の改善を図ることで、イールドカーブ・コントロールを起点とする金融緩和の効果がより円滑に波及していき、この枠組みによる金融緩和の持続性を高めることを狙いとしたものです。イールドカーブを全体として低位に安定させるため、国債買入れの増額なども行っています。このように、金融緩和を続けていくという日本銀行のコミットメントは全く変わっておりません。

3.金融政策:2013年以来の成果と課題

ここからは、金融政策について、もう少し長い目で、3つのことをお話ししたいと思います。すなわち、2013年以来の金融緩和の経緯と成果、金融政策にまつわる誤解や批判、そして、「物価安定の目標」の意義です。

(1)2013年以来の金融緩和の経緯と成果

1990年代半ばにデフレが始まって以来、日本銀行は金融緩和を継続してまいりましたが、物価上昇率がはっきりとプラスに転じるのは、2013年に大規模金融緩和を導入して以降です。

その経緯をまとめると、次のようになります(図表10、11)。3つの点が重要です。第一に、すべての出発点は、2013年1月に、2%の「物価安定の目標」を採用したことです。「物価安定の目標」は、すでに世界の主要な中央銀行が採用しておりましたが、日本でも採用に至りました。これは、日本銀行が自ら決定したうえで、政府と日本銀行の共同声明にも記載しました。第二に、そのもとで、それまでよりも大規模な金融緩和措置をとったことです。まず、2013年4月に「量的・質的金融緩和」を導入し、その後マイナス金利政策の導入を経て、現在の長短金利操作(いわゆるイールドカーブ・コントロール)の導入へと至っています。第三に、ここまで、粘り強く金融緩和を継続してきたことです。この間、原油をはじめとする資源価格の大幅な変動、海外経済の変調、消費税率引き上げ後の需要の弱さ、様々な自然災害、そして感染症の流行など、数々の外部ショックに見舞われました。その都度、日本銀行は、様々な創意工夫を凝らしながら、対応してまいりました。

この政策の成果は、以下のようにまとめることができます(図表12)3。主なポイントを申し上げますと、まず第一に、経済成長が復活しました。日本では、少子高齢化や労働時間の傾向的な減少に伴って、趨勢的な経済成長率には低下傾向がみられますが、2013年以降は失業率が下がり、就業者数が増えるなかで、コロナ禍による落ち込みを除けば、経済成長率は改善しました。また、一人当たり実質経済成長率は、2000年代には+0.4%だったのに対して、2010年代には+1.3%に回復しています(図表13左)。これは1990年代と同程度の伸び率です。常々、私は、世の中の議論では、人口減少のもたらす経済への負の影響は過大評価されているのではないか、と考えております。国際比較でみましても、各国の人口増加率と一人当たり経済成長率の間に明確な相関関係はありません(図表13右)。確かに、人口減少は経済への逆風になりますが、そのもとでも経済成長は可能です。

第二に、少子化にもかかわらず、雇用が増えました。雇用の増加は、当初は非正規労働者の増加に牽引されましたが、2014年以降は正規労働者の増加も進みました。また、高齢者と女性の労働参加率が上昇しました4。雇用情勢の改善は、新卒就職率を改善させ、「就職氷河期」と呼ばれていた頃とは状況が大きく変化しています。もちろん、これまでの就職氷河期で苦労した世代を支援することは引き続き極めて大きな課題であり、そのためにも、大規模な金融緩和による経済の下支えが重要な役割を果たしています。

第三に、経済成長を反映して、税収が増えました。

第四に、物価については、継続的に物価が下落するという意味でのデフレではない状況に達しました。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、1998年度から2012年度の平均が-0.3%であったのに対して、2013年度以降足もとまでの平均で+0.5%に上昇しました。

第五に、賃金が上がりました。長らく実質的に行われてこなかったベアが2014年度以降は復活しており、名目賃金は緩やかながらも上昇しています5

以上のように、10年にわたる大規模な金融緩和は、様々な面で成果を挙げてきたと考えています。

  1. 3ここでの記述は、若田部昌澄(2022)「金融政策の未来:貨幣経済学の歴史に学ぶ――景気循環学会第38回大会における基調講演――」2022年12月3日(https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2022/ko221203a.htm)に一部よっています。片岡剛士(2023)「アベノミクス後をいかに乗り切るか:日本経済10年の軌跡と今後のシナリオ」『中央公論』2023年2月号、94-101頁も参照してください。
  2. 42023年1月の「経済・物価情勢の展望」のBOX2(労働需給の現状と先行き)の図表B2-3、B2-5を参照してください。
  3. 5実質賃金を議論するうえでの統計や構成効果の処理にまつわる問題については、次の講演で論じました。若田部昌澄(2021)「最近の金融経済情勢と金融政策運営――広島県金融経済懇談会における挨拶――」2021年9月1日。
    https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2021/ko210901a.htm
    物価が持続的・安定的に上昇するためには、賃金とインフレ予想が上昇する必要があります。物価と賃金の関係については、次の講演で論じました。若田部昌澄(2022)「最近の金融経済情勢と金融政策運営――岡山県金融経済懇談会における挨拶――」2022年6月1日。
    https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2022/ko220601a.htm

(2)金融政策の論点

しかしながら、2013年以来、金融政策は、誤解に基づくものを含めて様々な批判にさらされてきたように思います。

第一の批判は、金融政策には効果がないというものです。既に論じたように、金融政策には明確な効果がありました。実際、「仮に2013年以来の金融緩和がなかったならば、経済・物価情勢はどのようになっていたのか」という推計を行うと、経済成長率は低迷し、物価もデフレ的な状態が続いていたという結果が得られています6

第二の批判は、いわゆる低金利の弊害とされる「のりしろ論」と「ゾンビ企業論」です。それぞれについてお話しする前に、まず、ここでいう「金利」が何か、という点に触れたいと思います。通常私たちが目にする「金利」は「名目金利」と呼ばれるものを指していますが、これと物価の変動を考慮した「実質金利」は区別して考えることが大事です。経済への影響を考える際に重要なのは、実質金利です。日本の実質金利は、最近でこそ下がっておりますが、物価上昇率や予想物価上昇率が低い場合には、名目金利が低くても実質金利は高くなります。

そのうえで、1つ目の「のりしろ論」というのは、低金利政策を続けている結果、将来、景気後退や金融危機が生じた場合に、金融政策による対応余力が乏しくなっているのではないか、という議論です。政策の対応余力は重要ですが、その余力を作るために利上げを行い、経済を悪化させてしまうのでは本末転倒です。金融論の世界でも「金利は上げたければ下げろ、下げたければ上げろ」という言葉があります。つまり、政策余地を作りたければ、まず、金融緩和によって経済成長を促すとともに予想物価上昇率を引き上げ、その結果として物価上昇率が高まり、中立的な名目金利の水準が上がることによって生みだすことが適当です。実は、多くの中央銀行が「物価安定の目標」を2%としている理由の1つは、こうした考え方が背景にあります。

次に、「ゾンビ企業論」です。「ゾンビ企業」という用語が適当かどうかはともかく、「業績が悪くて回復の見込みがないにもかかわらず、銀行等の支援によって存続している先」が、低金利政策によって生き残ってしまっているという批判です。実を言うと、学術的な研究における「ゾンビ企業論」は、金融政策との関連ではなく、不良債権処理ないしは企業金融支援策との関連で出てきましたので、直接、金融緩和政策との関連を問題にしているわけではありません。また、先ほど申し上げたような企業が増えているという話も、必ずしも実証的に裏付けられているわけではありません(図表14)7 、8。低金利環境は、企業の資金繰りを支援し、投資拡大・企業業績改善に貢献していると考えられます。

第三の批判は、金融緩和よりも、経済成長の促進に資する少子化対策や構造改革の方が重要だという指摘です。少子化対策や成長戦略は、金融緩和を含めたマクロ経済の安定化策と矛盾するものではなく、同時に追求されるべきものです。この点は、2013年1月の政府と日本銀行の共同声明で謳われているとおりです。既に述べたように金融緩和政策は経済成長率を上げ、雇用を増やすなどの効果を挙げており、マクロ経済の安定化策を追求しない理由はありません。さらに、仮に少子化や潜在成長率の低迷によって経済の均衡利子率にあたる自然利子率が下がっていくとすれば、中央銀行は自然利子率よりも市場利子率をさらに引き下げて、経済を支える政策を取る必要があります9

  1. 6この分析結果は、2021年3月に公表した「より効果的で持続的な金融緩和を実施していくための点検」(https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_2021/k210319c.pdf)の補論2で詳しく説明しています。大規模な金融緩和が行われなかった場合と比べると、実質GDPの水準は平均+0.9から1.3%程度、消費者物価(除く生鮮食品・エネルギー)の前年比は同+0.6から0.7%程度押し上げられたとの試算結果を得ています。
  2. 7例えば、国際決済銀行(BIS)では、各国における「ゾンビ企業」の割合について研究しており、わが国ではリーマン危機以降、減少傾向にあるとの結果が示されています。Banerjee, R. N., and B. Hofmann, 2022, "Corporate Zombies: Anatomy and Life Cycle," BIS Working Papers, No. 882.
    https://www.bis.org/publ/work882.htm

    また、日本銀行のスタッフによる研究でも、「ゾンビ企業」を「金利」、「支払能力」、「成長性」の3つの要件から定量的に定義したうえで、わが国の「ゾンビ企業」の数が全企業数に占める割合は、1990年代に大きく増加した後、2000年代以降は低水準で推移している、との試算結果を得ています。ただし、直近、特に感染症拡大以降の動向についてはデータの制約もあり、慎重な解釈が必要です。山田琴音・箕浦征郎・中島上智・八木智之(2022)「企業金融支援と資源配分:研究の潮流と新型コロナウイルス感染症拡大後の動向」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 22-J-4、2022年3月。
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2022/wp22j04.htm
    このほか、以下の研究でも、金融機関や政府の支援がなければ事業を継続できない企業の数について、集計基準に依存する面はあるものの、コロナショック後において世界金融危機時よりも明確に高まっているとは言えない、としています。植杉威一郎ほか(2022)「コロナショックへの企業の対応と政策支援措置:サーベイ調査に基づく分析」『経済研究』第73巻第2号、133-59頁。植杉威一郎(2022)『中小企業金融の経済学:金融機関の役割 政府の役割』日本経済新聞出版、43-47頁。
  3. 8なお、最近の研究では、銀行借入に頼らない無借金の中小企業は、むしろ設備投資意欲が小さいという結果も出ています(植杉(2022)、35-38頁)。
  4. 9早くから大規模な金融緩和の必要性を唱えたクルーグマン教授の1998年の論文では、少子化によって日本の自然利子率が下がっていることが前提となっています。いわば構造問題があるときにこそ、マクロ経済政策が必要であることを示したものです。Krugman, P. R., 1998, "It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap," Brookings Papers on Economic Activity, No. 2, pp. 137-87.(山形浩生訳『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』春秋社、2003年)
    将来の自然利子率の動向については、若田部前掲講演(2022年12月、脚注3)を参照してください。

(3)「物価安定の目標」の意義:再論

先ほど、日本銀行が2013年に2%の「物価安定の目標」を採用したことをご紹介しました。ここで、改めて「物価安定の目標」の意義についてご説明したいと思います。現在、多くの中央銀行では、「物価の安定」が最も重要な責務とされています。「物価安定の目標」は、この責務を数量的な定義で明示したもので、世界の多くの中央銀行が採用しています(図表15)。理論的には、物価上昇率だけでなく、名目経済成長率などを政策目標に据えるという議論もないわけではありませんが、物価の安定という責務と最も自然に関連するのは物価上昇率目標です10。海外の主要な中央銀行であるFRBやECBも、2%の物価上昇率を目標としています。

この「物価安定の目標」を曖昧にすることは、金融政策が追求すべき目標を曖昧にしてしまい、金融政策の透明性、さらには政策効果を損ないかねないという危険性があります11。このことはデフレだけでなく、インフレへの対応についても同様です。

  1. 10金融政策の枠組みをめぐる米国での議論については、以下の講演で論じました。若田部昌澄(2019)「最近の金融経済情勢と金融政策運営――青森県金融経済懇談会における挨拶――」2019年6月27日。
    https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2019/ko190627a.htm
  2. 11日本銀行金融研究所の海外顧問であるオルファニデス・マサチューセッツ工科大学教授は、物価安定の定義が曖昧であったことが、2013年以前の金融政策を不十分なものにしたと論じています(アタナシオス・オルファニデス(2018)「中央銀行独立性の境界:非伝統的な時局からの教訓」『金融研究』第37巻第4号、43-67頁)。

4.静岡県経済の現状と展望

締めくくりに、静岡県経済についてお話しします。静岡県経済は、目下、感染症や供給制約の影響を受けつつも、基調としては持ち直しています。

将来を展望すると、他の地方と同様、人口減少への対応が課題とされます。静岡県の人口は2007年度の380万人をピークに、全国を上回るペースでの減少が続いています。人口減少がもたらす負の影響は過大評価されていると申し上げましたが、静岡県でも、リーマン・ショック後の2010年代以降、一人当たり県内総生産は増加傾向を辿っています(図表16)。2019年度の一人当たり県民所得は、全国3位の高さです。

経済学的には、経済成長の源泉は、「資本の蓄積」、「労働力の伸び」、そして技術力など広い意味での「知識」に大別されます。今後、静岡県経済がさらなる飛躍を遂げるには、これらのそれぞれに磨きを掛けていくことが鍵になると考えられます。こうした観点から注目される取組みを3点申し上げます。

第一は、「資本」であるインフラの整備やそれを活用した産業振興の取組みです。国際拠点港湾である清水港では、効率的で競争力の高い物流環境の整備が進められています。2021年の中部横断自動車道の全線開通により、流通し易くなった沿線他県の産品を含め、食料品の輸出振興にも取り組んでおられます。また、伊豆半島でも、道路網の整備が進むもと、観光振興、温泉を核としたヘルスケア産業の創出等に注力しておられます。これらは「資本」の充実を起爆剤として、輸出振興やインバウンド需要の取り込みを図る施策という点で注目されます。

第二は、新産業の創出、いわば「知識」の活用に向けた取組みです12。自動車産業の集積する県西部地域が中心となって、いわゆるCASEなど大きな環境変化に、産学官が連携して対応されています13。そこでは、次世代自動車が求める技術ニーズ等をフォローしながら、関係する中小企業が新たなビジネスを展開できるよう、開発・設計から製造・販売までを包括的に支援されています。このほか、静岡県では、自治体のほか地域金融機関でもそれぞれのインフラやネットワーク、知見を活かして、起業家やベンチャー・スタートアップ企業の育成・支援に取り組む先が増えている点も印象的です。

第三は、人を集める魅力的な地域作りです。先ほど、人口減少下でも経済成長は可能であると申し上げましたが、それでも、技術革新や起業を進めていくうえで、人口減少の抑制は大事な課題です。そのためには、「働きやすさ」、「暮らしやすさ」を意識した地域作りが欠かせません。この点で参考になるのは、長泉町や袋井市です。両市町は、過去5年間の人口変化率がプラスであった県内4市町の上位2つです。両者に共通するのは、積極的な企業誘致による多様な働く場の創出と、子育てや教育環境の整備等への手厚い財政支援です。コロナ禍を契機に地方への移住・回帰が注目される中、魅力ある生活空間の創出が地域のさらなる活性化につながることを期待しております。

日本銀行静岡支店は、本年6月に開設80周年を迎えます。引き続き中央銀行業務を通じて地域の発展に貢献していく所存です。地域の皆様の変わらぬご理解とご協力をお願い申し上げます。

  1. 12「知識」活用の重要性について、「産業クラスターにおいて重要なポイントは、知識の波及効果を生み出すコアとなる拠点です」との指摘があります(清水洋(2022)『アントレプレナーシップ』有斐閣、283頁)。産業集積による地域振興効果については、加藤雅俊(2022)『スタートアップの経済学:新しい企業の誕生と成長プロセスを学ぶ』有斐閣、69-78頁も参照してください。
  2. 13 CASEとは、Connected(つながる)、Autonomous(自動運転)、Shared & Services(シェアリング/サービス)、Electric(電動化)の頭文字をとった造語で、自動車産業の未来の方向性を示す概念です。

5.おわりに

2%の「物価安定の目標」の採用に始まった2013年以降の金融政策は、着実に成果を挙げてきました。それから10年を経て、今回はこれまでと違う動きもみられているものの、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現にはなお時間がかかる状況です。日本銀行は、今後も、賃金上昇を伴う形で2%の「物価安定の目標」を達成することを目指して、金融政策を運営していく所存です。ありがとうございました。