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【講演】金融政策の基本的な考え方と経済・物価情勢の今後の展望 内外情勢調査会における講演

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日本銀行総裁 植田 和男
2023年5月19日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。本日は、内外情勢調査会でお話しする機会を頂きまして、誠にありがとうございます。

本席は、私にとって、日本銀行総裁に就任してから初めての講演となります。これから5年間、総裁の職務を果たしていくにあたり、私が心掛けたいと思っていることの1つに、「論理的に判断し、できるだけ分かりやすく説明すること」があります。本日お話しする金融政策は、金融市場や広く人々の行動に働きかけることを通じて、効果を発揮するものです。そのためには、政策運営に関する考え方や、政策判断の背景について、理解を得ることが大切です。経済は様々な要素が複雑に絡み合って動いているものですし、金融政策には専門的・技術的な側面がありますので、一つひとつ解きほぐしながら、丁寧な説明に努めてまいります。

私自身、50年近く経済学という学問を研究してきました。学者の立場では、現実に起こっていることの一部分に焦点を当てて、その部分に特化して理論を組み立てていきます。一方、中央銀行の政策担当者としては、実際の複雑な経済に直面し、時機を逃さず的確に判断していくことが求められますので、両者の視点は自ずと異なります。しかし、経済理論は、経済現象を理解するうえでの有益な視座を提供してくれますし、逆に、政策現場における知見が新たな理論を構築するきっかけになることもあります。経済理論と政策の実践は、まさに相互に関連し合いながら発展するものであり、私としては理論的な根拠を踏まえつつ、責任をもって金融政策の実践を行ってまいりたいと考えています。

本日は、その第一歩として、日本銀行の金融政策の基本的な考え方について、これまでの政策運営の歩みも含めてお話しします。そのうえで、先月末に公表した展望レポートの内容にも触れながら、現在の金融政策運営についてもお話ししたいと思います。

2.金融政策の基本的な考え方

現在、日本銀行は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指して、大規模な金融緩和を行っています。私が前回、日本銀行の審議委員として金融政策運営に携わったのは1998年からでした。その年は、新日本銀行法が施行され、金融政策決定会合など、新しい枠組みで金融政策が実行されることとなった年であるとともに、デフレが始まった年でもあります。それ以降の25年間は、「物価の安定」に向けた「闘いの歴史」であったと言っても過言ではありません。そこで、以下では、この歴史にも触れながら、金融政策の基本的な考え方をお話ししたいと思います。

金融政策の波及メカニズム

最初に、金融政策が物価に影響を及ぼすメカニズムからお話しします。本日は、少し単純化していますが、2つの主要なメカニズムに絞ってご説明したいと思います(図表1)。

1つ目のメカニズムは、金利と経済の関係です。金融政策の出発点は金利です。日本銀行は、金利を上げ下げすることで、経済に対して影響を及ぼします。例えば、金利を引き下げますと、企業が設備投資を行ったり、家計が住宅を購入したりする際の借り入れ金利が低下し、需要を刺激します。これにより、雇用が生まれ、経済活動が活発化することになります。反対に、金利の引き上げは、需要を減らし、経済活動や雇用を抑制する方向に働きます。

2つ目のメカニズムは、経済と物価の関係です。物価は、経済全体の財やサービスの需要と供給のバランス、すなわち「需給ギャップ」によって決まってくると考えられています。経済が活発化し、需要が高まれば、物価上昇率は高まりやすくなります。反対に、経済が落ち込み、需要不足となれば、物価上昇率は低下することになります。こうした物価上昇率と需給ギャップとの関係は、経済学では「フィリップス曲線」と呼ばれるものです。ニュージーランド出身の経済学者フィリップスが1950年代後半に、名目賃金上昇率と失業率の関係を見出したことが始まりとなり、それ以降、物価と経済の関係を示す重要な枠組みとなってきました。

このフィリップス曲線の位置や形状が分かれば、どのように金融政策を行うべきかが明らかになります。仮に物価上昇率が目標の値より高ければ、金融引き締めを行うことで、逆に低ければ金融緩和をすることで、需給ギャップを物価目標に対応する水準に調整していけば良いということになります。シンプルですが、これが金融政策の最も基本となる考え方です。

もちろん、現実の金融政策はここまで簡単ではありません。その理由の一つは、フィリップス曲線の位置が変化したり、物価が同曲線から一時的に乖離して推移することがあるためです(図表2)。

この要因について、ここでは「予想物価上昇率」と「一時的な供給ショック」の2つを取り上げてみたいと思います。まず、「予想物価上昇率」は、文字どおり、先行きの物価上昇率に関する人々の予想を意味しています。企業などが財やサービスの価格を設定する際には、その時点の需給に加えて、先行きの物価の予想も考慮すると考えられます。例えば、ラーメンの価格を設定する場合には、先々の原材料価格やアルバイトの賃金の見通しを立てたうえで、適切な利益率を上乗せして価格を決めます。頻繁に価格を変えると顧客が判断に困るため、価格改定の頻度はそれほど多くはありません。したがって、先行き、原材料価格やアルバイトの賃金が上昇すると予想すれば、その分、あらかじめ高めの価格設定が行われることになります。言い換えますと、予想物価上昇率が高まると、現在の需給環境が同じであっても、物価上昇率は高まります。反対の場合も同様です。これを先ほどのフィリップス曲線の図に引き直しますと、予想物価上昇率の変化はフィリップス曲線自体を上下にシフトさせることになります。

もう一つの要因の「一時的な供給ショック」はどうでしょうか。典型的な例は、昨年みられたようなウクライナ情勢に伴う供給不安を背景とした原油価格の急激な上昇です。原油のような国際商品市況は日本国内の需給ギャップの状況とは関係なく決まります。もっとも、原油は、エネルギー源や原材料として幅広く使用されていますので、原油価格が上昇すれば、ガソリン価格はもとより、さまざまな財の価格や外食などのサービスの価格も上がります。こうした動きが持続的ではなく一時的であれば、実際の物価上昇率が需給ギャップで説明できる以上に一旦高まりますが、その後、そうした影響が一巡するにつれ、再び元のフィリップス曲線の上に戻ってくると考えられます。もちろん、供給ショックによって予想物価上昇率が高まれば、先程のフィリップス曲線の上方シフトにつながる可能性もありますので、二つの要因は関連していると言えます。こうした形での物価上昇は、供給ショックの「二次的波及」と呼ばれています。

以上が基本的な枠組みの話となります。そこで、ここからは、過去25年の歴史の中で、物価を巡って具体的にどのようなことが生じ、日本銀行がどのような対応をしてきたのかについて、ここまでお話ししてきたフィリップス曲線の枠組みを使いながら、お話ししていきたいと思います。

バブル崩壊以降の「2つの課題」

ここで、時計の針を1990年代まで戻してみます。先ほどお話しした「金利と経済」、「経済と物価」という2つのメカニズムにおいて、金融政策は、大きな課題に直面することとなりました(図表3)。第1に、「金利と経済」の面では、金利の下限制約に直面したことです。バブル崩壊後に相次いで利下げを行った結果、1990年代後半には、短期金利がほぼゼロ%まで低下しました。このことは、追加的に金利を下げて経済を刺激することが出来なくなることを意味しています。第2に、「経済と物価」の面では、賃金や物価の上昇率が低下する中で、わが国ではこれらが上がらないことを前提とした考え方や慣行が定着しました。これは先ほどの予想物価上昇率で言えば、それが低水準で定着したことに対応します。

この時期、実際のフィリップス曲線はどのように変化していたのでしょうか(図表4)。ここでは2つの動きを指摘することができます。まず、バブル崩壊に伴って、経済が大きく悪化したことです。これに対して、金利の引き下げ余地が乏しくなったことから、金融緩和によって経済を押し上げる力が十分にはありませんでした。その結果、需給ギャップが悪化し、フィリップス曲線に沿って左下の方向に動いていく形で、物価上昇率に低下圧力がかかることになりました。もう一つの動きは、人々の予想物価上昇率が低下した結果、フィリップス曲線自体が下方へシフトし、同じ需給ギャップのもとで実現する物価上昇率が低いものとなりました。これらの結果、経済と物価が長きにわたり停滞するという状態が定着してしまいました。

「2つの課題」を克服する手段としての非伝統的金融政策

こうした事態に直面し、日本銀行は、様々な工夫を凝らしてきました(図表5)。これらは、その後、「非伝統的金融政策」と称されるようになりました。

まず、日本銀行は、1999年に、先行きも金融緩和を続けるという「約束」をすることで、より期間の長い金利に働きかける、「時間軸政策」を導入しました。伝統的な金融政策手段である短期金利はすでにゼロ%となっていましたが、時間軸政策は、そのゼロ%の短期金利を「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」続けると宣言することによって、先行きの短期金利もゼロ%が続くという予想を作り出すことができます。これによって、先行きの短期金利の予想を反映して動く、期間の長い金利も低下し、追加的な景気刺激効果を得られます。この手法は、その後、海外の中央銀行でも広く採用され、「フォワードガイダンス」と呼ばれるようになっています。

2001年には、さらなる緩和策として、日本銀行が金融機関に供給する資金の量を増やす、「量的緩和政策」を導入しました。当時は、金融不安が意識される状況だったため、市場に大量の資金を供給することによって、銀行の資金繰りを改善し、金融面からの悪影響を抑制することで、経済を支える効果がありました。もっとも、この政策は、短期国債を買って日銀当座預金を供給する、という、経済的には性質が近い資産の交換にとどまったことから、こうした面からの経済に対する刺激効果は限定的なものにとどまったというのが私の理解です。

その後、2008年のリーマン・ショック以降は、米国の中央銀行であるFRBが、国債や住宅ローン担保証券などの長期の債券を大規模に買い入れるという政策を導入しました。大規模な国債の購入は、フォワードガイダンスよりもさらに期間の長い長期金利を押し下げること、リスク資産である住宅ローン担保証券の購入はリスク・プレミアムの縮小を通じて、それぞれ経済に好影響を与えることを企図したものです。これ以降、量的緩和といえば、単純な大量の資金供給ではなく、主に、長期国債の買入れによって直接的に長期金利を引き下げる政策を指すようになりました。

さらに、2013年に、日本銀行は「量的・質的金融緩和(QQE)」を導入しました。この政策は、先行きの政策運営方針を示すことに加え、大規模な国債買入れによる長期金利の押し下げ、ETFの買入れ拡大による株式市場のリスク・プレミアムへの働きかけの強化など、それまでの内外の非伝統的な金融政策の経験を最大限取り込んだものでした。これは、政府の施策とも相俟って、1つ目の課題である金利の下限制約のもとでも、経済・物価の押し上げ効果を発揮し、物価が持続的に下落するという意味でのデフレではない状態が実現しました(図表6)。デフレ期に事実上途絶えていたベアが2014年以降に再びみられるようになるなど、予想物価上昇率や賃金上昇率にも変化が生じました。もっとも、2つ目の課題である物価や賃金が上がりにくいという考え方の転換には時間がかかるということが、徐々に明らかになったということも付け加えなければなりません。

過去25年の金融政策運営に関する多角的なレビュー

このように、わが国経済がデフレやその後遺症としての低インフレを前提とする考え方や慣行の転換という課題に直面する中で、日本銀行は、金融政策面で様々な工夫を行ってきました。ただ、こうした政策運営は、前例がない状況であったため、理論に先行して実践を積み重ねてきた部分もあります。その意味では、政策の効果や副作用などについて、さらに分析していく余地が相応に残っていると考えています。さらに、この間のマクロ経済の展開について、先ほどはごく単純化してお話ししましたが、実際には、バブル崩壊後の金融システム面の問題、規制緩和やグローバル化の急速な進展、人口動態の変化など、様々な要因が複雑に絡み合っています。そして、一連の金融緩和策は、こうした経済・物価・金融情勢に対応して実施されてきたものであり、その効果や副作用は、こうした環境との相互関係の中で理解し、検討する必要があると考えています。

こうした認識に立って、日本銀行は、先月の金融政策決定会合で、過去25年間に実施してきた金融政策運営について、「多角的なレビュー」を行うことを決定しました(図表7)。レビューを通じて、金融政策と経済等の相互関係についての理解をさらに深め、将来の政策運営にとって有益な知見を得ることを目的としています。これまでの経験から得られた知見や内外の学界における研究の蓄積も活用しながら、今後、1年から1年半程度というまとまった時間をかけ、腰を据えて取り組んでいきたいと考えています。

3.経済・物価情勢の展望と金融政策運営

ここまで、金融政策の基本的な考え方や歴史についてお話ししてきました。ここからは少し視点を変えて、経済・物価情勢の展望と当面の金融政策運営についてお話ししたいと思います。わが国の経済・物価情勢については、先月末に展望レポートとして公表したところですので、まず、その概要をお話ししたいと思います。

経済・物価情勢の展望

わが国の景気は持ち直しています(図表8)。現在、景気を牽引しているのは、ペントアップ需要、つまり、感染症のもとで抑制されてきた需要が顕在化していることです。これには、インバウンドを含むサービス需要や設備投資といったものも含まれます。この先、今年度半ば頃までは、そうしたペントアップ需要の顕在化などを主因とする緩やかな回復が続くとみています。

その後の景気改善の主役は、ペントアップ需要から、「所得から支出への好循環」という、より持続的なものに移っていくとみています。今春の労使交渉での賃上げ率は昨年を大きく上回っている模様です。これは、家計の所得改善を通じて、個人消費を後押ししていくと考えられます。また、資源高の影響は減衰し、海外経済も再び持ち直していくと予想されます。こうしたもとで、企業収益は改善し、設備投資もさらに増加していくとみています。こうした内外需要の増加が、賃金や企業収益のさらなる増加につながる、という形で、好循環が回っていくことを想定しています。このため、物価を規定する要因の一つである需給ギャップも、足もとでこそ小幅のマイナスですが、今年度半ば頃にプラスに転じ、その後も緩やかにプラス幅を拡大していくとみています。

そこで次に、物価についてお話しします。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、輸入物価の上昇を起点とする価格転嫁の影響から+3.4%となっています(図表9)。ピークとなった1月の4%程度の水準からプラス幅が縮小しているのは、政府の経済対策によるエネルギー価格の押し下げが主因です。先行きは、輸入物価の上昇を起点とする価格転嫁の影響が減衰し、今年度半ばにかけて2%を下回る水準までプラス幅を縮小していくとみています。実際、輸入物価の前年比は、足もとではマイナスに転じています。物価上昇率が2%を下回った後は、需給ギャップが改善し、企業の価格・賃金設定行動などの変化を伴う形で中長期的な予想物価上昇率や賃金上昇率も高まっていくもとで、振れを伴いながらも再びプラス幅を緩やかに拡大していくというのが中心的な見通しですが、この見通しを巡る不確実性はきわめて大きいと考えています。

これらの点に関連して、先行きの経済・物価を見ていくうえでのポイントを2つ挙げたいと思います。まずは海外経済です(図表10)。昨年大きく高まった世界的なインフレ圧力が低下していくにつれて、海外経済は再び持ち直していく、というのがメインシナリオです。ただ、市場では、物価の抑制と経済成長の維持を両立できるかという懸念が根強くみられています。米国や欧州の中央銀行は、昨年から急速な利上げを続けてきましたが、現在でも、賃金上昇を介してインフレ率が高止まりするリスクへの警戒感は高い状況にあります。春先以降、米欧の一部金融機関を巡る問題の影響などにより、市場のリスクセンチメントが悪化する場面もみられています。資産価格の調整や為替市場の変動、金融機関の貸出姿勢の変化、新興国からの資本流出などを通じて、グローバルな金融環境が一段とタイト化し、海外経済が下振れるリスクには注意が必要です。

もう一つは賃上げの動向です(図表11)。今春の労使交渉では、30年振りの高水準のベアとなる見込みです。これは、政府や各界からの掛け声もあって物価高を賃金に反映する動きが広がったことに加え、人手不足に直面する企業が人材確保を狙ったり、全体として良好な企業の収益環境により賃上げの原資を確保できた、といった様々な要因が重なった結果です。先行きについては、労働需給の面では、これまで労働供給を支えてきた女性や高齢者の追加的な労働参加が見込みにくくなるため、需給がさらに引き締まりやすくなるとみています。一方で、海外経済や国内景気がどうなるか、人件費の上昇を販売価格に転嫁する動きの帰趨など、様々な要因にも依存します。この先も賃金上昇が継続し、これが定着していくかどうか、見極めていきたいと思います。

当面の金融政策運営とその考え方

さて、先月末の金融政策決定会合では、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」というこれまでの金融緩和を続けることを決定しました。この考え方について、しばしば寄せられるご質問にお答えする形で、ご説明したいと思います。

(1)なぜ、物価上昇率が目標の2%を超えているのに金融緩和を続けるのか

昨年来、よく寄せられるご質問は、消費者物価上昇率が2%を上回っているのに、どうして日本銀行は金融緩和を続けるのか、というものです。これに対しては、日本銀行が、「物価の安定」について、持続的・安定的な形で実現したいと考えているから、ということがお答えになります。現在、物価が3%を超えて上昇している主な理由は、需要の強さではなく、海外に由来するコスト・プッシュ要因です。これを先ほどご説明したフィリップス曲線の考え方に即して言うと、一時的な上方への乖離だと解釈できます(図表12)。コスト・プッシュによる物価上昇は、実質所得や収益の下押し要因となるため、家計や企業に負担をもたらすものですが、これを抑制しようとして金融引き締めを行うと、経済や雇用環境を悪化させてしまいます。この結果、家計や企業に別の形で負担が生じるほか、コスト・プッシュ要因が減衰したあとは、一段と低いインフレ率がもたらされます。日本銀行は、賃金の上昇を伴う形で、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現していくことを目指しています。そのために、金融緩和の継続により経済活動をサポートすることが必要となります。

(2)その物価の基調はどのように判断するのか

第2のご質問は、その「物価の基調」というのはどのように判断するのか、というものです。例えば、短期的な変動が大きい品目を除いたり、一定の統計的な処理を行ったりして、物価のトレンドを把握しやすくする指標を作成することがあります。ただ、現在のように幅広い品目が輸入物価上昇の影響を受けて変動するような状況では、そうした影響を除去しきることはできないのが実情です。政策当局者も経済学者も大変頭を悩ませていますが、残念ながら、これだけをみれば基調を判断できるという「理想的な指標」というものは存在しません。やはり、これらの指標をそれぞれの特性を踏まえながらみるほか、需給ギャップや予想物価上昇率、賃金上昇率といった物価を形成する要因などの点検も行い、さらには企業に対するヒアリング情報なども勘案しながら総合的に判断することが求められます。

(3)ベアは大きく上昇し、物価上昇率も2%に近づいていく見通しなのであれば、目標達成の可能性が高まっていると言えないのか

今年のベアの大幅な上昇が追い風であることは疑いありません。また、展望レポートでも、基調的な物価上昇率は、2025年度にかけて2%に近づいていく姿を示しています。そこで第3のご質問は、そうであれば目標達成の可能性が高まっているのではないか、というものです。

賃上げの動きについては、中小企業への広がりも含め、今後も継続し、定着していくかを見極めていくことが必要です。また、基調的な物価上昇率は、「物価安定の目標」に向けて徐々に高まっていく見通しですが、それにはなお時間がかかるとみています。加えて、この見通しは、需給ギャップが改善し、中長期的な予想物価上昇率や賃金上昇率が高まっていくということが前提です。2%の「物価安定の目標」を実現していくためには、予想物価上昇率が高まり、フィリップス曲線が上方にシフトしていくことが必要です(図表13)。日本銀行は、賃金と物価がともに上昇する好循環の中で、こうした状況となることを目指しています。展望レポートでは、徐々にそうした姿に近づいていくとの見通しを示している訳ですが、先ほど申し上げたとおり、経済の見通しは当面、海外経済を中心に下振れリスクの方が大きいなど、物価見通しの不確実性は大きい状況です。このため、現時点では2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現が見通せる状況には至っていないと判断しています。

(4)副作用はどのように評価しているのか

もちろん、長期にわたる金融緩和のもとで、効果だけでなく副作用にもしっかりと目配りしていく必要があります。そこで4つ目のご質問は、その点をどう考えているか、ということです。

しばしば指摘される副作用の一つは、金融仲介機能を悪化させるというものです。この点、わが国の金融機関は充実した資本と十分な流動性を有しており、金融仲介機能は円滑に発揮されていると評価しています。実際、金融機関の貸出は、最近では前年比で3%以上の伸び率を示しています。企業からみた金融機関の貸出態度も、緩和的であるという評価が続いています。また、債券市場の機能度に影響を及ぼすという点では、確かに様々なデータやアンケートから、相応の市場機能の低下が窺われています。ただ、日本銀行は、昨年12月には長期金利の変動幅拡大などの対応を行ったことに加え、国債の一時的貸出を含む日々の市場オペレーションでも工夫を講じているところです。足もとにかけては、海外金利の低下もあって、イールドカーブの形状が比較的スムーズなものとなるなど、改善の動きもみられていると評価しています。

いずれにせよ、副作用だけを取り出して評価するのではなく、経済・物価情勢への効果とのバランスの中で、副作用がその効果をどの程度打ち消しているのか、効果を上回っていることがないか、といった視点が重要だと考えています。

先行きの政策運営の考え方

以上述べてきたとおり、現在はしっかりと金融緩和を続けていくことが必要になります。この点、先月の金融政策決定会合では、内外の経済や金融市場を巡る不確実性がきわめて高い中、経済・物価・金融情勢に応じて機動的に対応しながら、粘り強く金融緩和を続けていくことで、賃金の上昇を伴う形で、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指していく、という日本銀行の基本的な方針について、明確に示すこととしました(図表7再掲)。

この点も含め、今回、感染症を巡るリスク認識の変化などを踏まえ、先行きの金融政策運営に関する方針を改めて整理・明確化したところです。感染症に紐づけて記述していた政策金利に関する方針は、感染症法上の位置づけが変更されたほか、感染症によって内外経済・金融市場が影響を受けるリスクが低下したことから、適切ではなくなったため、削除しました。もっとも、感染症のリスクは低下したとはいえ、内外経済や金融市場を巡る不確実性はきわめて高い状況にあり、粘り強く金融緩和を継続していく、という姿勢は不変です。そのもとで、引き続き、企業等の資金繰りや金融市場の安定維持に努めるとともに、必要があれば、躊躇なく追加的な金融緩和措置を講じる考えです。

日本銀行としては、イールドカーブ・コントロールのもとで、大規模な金融緩和を継続していく方針です。金融政策運営とは、経済・物価・金融情勢の不確実性や様々な制約に直面する中で、現実的な選択肢を見定め、そこから最適なものを選び抜いていく営みだともいえます。この点、金融政策運営にあたって、経済に不確実性があることを前提として、先行きの様々な経済の経路ごとに社会厚生を考慮することが重要という考え方があります。これは、かつて米国FRBの議長を務めたグリーンスパン氏が提唱したことでも知られる、リスクマネジメント・アプローチと呼ばれる考え方です。これをわが国の現状に引き直しますと、拙速な政策転換を行うことで、ようやくみえてきた2%達成の「芽」を摘んでしまうことになった場合のコストはきわめて大きいと考えられます。逆方向の、政策転換が遅れて2%を超える物価上昇率が持続してしまうリスクもありますが、こうした2%の定着を十分に見極めるまで基調的なインフレ率の上昇を「待つことのコスト」は、前者に比べれば大きくないと思われます。そうした意味で、先行きの出口に向けた金融緩和の修正は、時間をかけて判断していくことが適当だと考えています。この「芽」を大事に育て、賃金の上昇を伴う形で、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指します。

ご清聴ありがとうございました。