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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策岐阜県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 中村 豊明
2023年8月31日

1.はじめに

日本銀行の中村でございます。本日は、岐阜県の行政および金融・経済界を代表する皆様と懇談させて頂く貴重な機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃から名古屋支店の円滑な業務運営に当たり、多大なご支援を賜り厚く御礼申し上げます。また、先般の台風7号による大雨の被害を受けられた方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

本日は、内外の金融経済情勢や持続的な2%の「物価安定の目標」達成に向けた日本銀行の金融政策、さらに日本の経済成長についての私の思い等をお話させて頂き、岐阜県経済の現状と期待される取り組みに触れさせて頂いた後、皆様から率直なお話を承りたく存じます。皆様との懇談を通じて、地域経済の現状や課題に対する理解を深め、頂いたご意見を日本銀行の業務や政策判断に活かしてまいりたいと存じます。

2.内外経済情勢

(1)経済・物価の現状と展望

海外経済は、グローバルなインフレ圧力が残存し、各国中央銀行による利上げが続く中、G10通貨国中8か国で逆イールドとなり1、ウクライナ情勢も重石となる等、回復ペースが鈍化しています(図表1)。米国経済は2021年後半以降4%を超える賃金上昇が続き個人消費に底堅さがみられ、第2四半期の実質GDPは前期比年率ベースで+2.4%2と予想を上回る伸びとなる等、物価上昇や利上げの継続の影響はあるものの、景気後退回避の期待が高まっています。欧州経済は、ひと頃に比べてエネルギー供給懸念は和らいでいるものの、ウクライナ情勢の影響や加盟国間のインフレ格差が広がるもとで、利上げの継続を受けて減速しています。また、中国経済は、サービス消費は増加していますが、財消費が低迷しています。政策面の下支えもあって、持ち直しの動きが続くとみられますが、不動産市場の低迷、若年層の高失業率、輸出減速、米中対立、外資の投資減少等の長期化により、成長期待の低下や景気回復の減速も懸念されます。総じてみれば、海外経済は下振れリスクが懸念されます。

日本経済は、緩やかに回復しています。企業部門では、海外経済の回復ペース鈍化の影響を受けつつも、供給制約の影響緩和に支えられて、輸出や生産は横ばい圏内の動きとなっています。また、企業の「稼ぐ力」の強化や価格決定力の改善から、企業収益が高水準で推移する中、成長期待や、予算の単年度主義の弊害是正による国の政策の予見性向上もあって、設備投資意欲が高まっています。家計部門の個人消費は、労働市場逼迫による賃上げ圧力の継続や輸入物価の高騰一服等、雇用・所得環境の改善とともに、緩やかに増加しています。物価面では、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、政府の経済対策によるエネルギー価格の押し下げ効果等によって、直近ピークの2023年1月の+4.2%からプラス幅を縮小していますが、7月も+3.1%と2%を大きく上回っています(図表2)。

日本経済の先行きを展望すると、当面は海外経済の回復ペース鈍化による下押し圧力を受けるものの、行動制限下で積み上がった貯蓄にも支えられたペントアップ需要の顕在化、緩和的な金融環境や経済対策の効果、企業の「稼ぐ力」の強化努力等から、緩やかに回復していくとみています。その後は海外経済が持ち直すもとで、所得から支出への好循環が徐々に強まり、潜在成長率を上回る成長が続くと期待しています。また、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、輸入物価の高騰を起点とする価格転嫁の影響が徐々に減衰し、プラス幅を縮小していくと予想しています(図表3)。

  1. 18月24日確認時点。
  2. 21次速報値。

(2)経済・物価のリスク要因

こうした見通しを巡る不確実性として、私が注目するポイントを2点お話します。

1点目は、賃金上昇の持続性です。日本経済団体連合会が公表する2023年春季労使交渉の賃上げ率の回答状況(最終集計)をみると、大手企業は+4.0%と31年振り、中小企業は+3.0%と29年振りの高い賃上げ率となりました。また、日本経済団体連合会の集計(最終集計)によれば、大手企業の夏季賞与・一時金は、前年が+8.8%の高い伸びとなった後、今年も前年比+0.5%となりました。業種別にみると、夏季賞与・一時金が増減した業種数は概ね均衡しています。今後、持続的な賃金上昇に必要な中小企業を含む企業の「稼ぐ力」の強化や賃金制度改革等の前向きな取組状況を丁寧にみていくことが必要です。

2点目は、海外の経済・物価情勢の動向です。先進国では、感染症流行後のペントアップ需要や労働市場逼迫による賃金上昇等により、利上げの効果がみえにくくなる中、食料品およびエネルギーを除いた物価上昇率が高止まりし、利上げ継続による経済のオーバーキルも懸念されます。また、中国GDPの1%の変動は、中国を除くアジア太平洋地域のGDPへ0.3%程度の影響を与えるとの試算もあります3。海外経済の減速の程度によっては、日本の輸出・生産に大きな影響を与えますので、海外の情勢変化について注意深くみていくことが必要です。

  1. 3IMF(2022)「Regional Economic Outlook for Asia and Pacific, October 2022」を参照。

3.金融政策運営

足もとの経済・物価情勢を踏まえ、当面の金融政策運営に関する私自身の考えについてお話します。主に以下2点から、2%の「物価安定の目標」のもとで、当面は現在の金融緩和を粘り強く続ける必要があると考えています。

1点目は、賃金上昇を伴う物価上昇の実現についてです。日本経済の大きな問題として、1990年代後半以降、物価・賃金・金利という3つの重要な経済・金融指標が殆ど上昇しなかったことが挙げられます(図表4)。販売価格の変動率分布は長年ゼロ近傍に集中し(図表5)、回収の難しさから投資が抑制され、企業のイノベーション創出力や「稼ぐ力」が低下し、労働生産性の低迷に陥りました。この停滞した経済活動の変革を後押しするため、日本銀行は金融緩和を継続し、政府の施策とも相俟って、日本経済はデフレではない状況になりましたが、リーマンショックやコロナショック等が起き、デフレマインドの払拭には至っていません。金融政策の理念は、物価の安定を図ることで国民経済の健全な発展に資することですので、安定的に物価が上昇する中で賃金も増加し、投資や消費等の経済活動が活発化し、これに連れて金利も上昇するという好循環の形成が重要です。この好循環の形成には、米欧のように経済成長とともに賃金も増加する経済・賃金構造への変革が必要です。米欧では、現在の経済・賃金構造を前提としつつ、需要を抑制し、高インフレを鎮静化するための金融政策運営が行われていますが、日本は停滞した経済・賃金の構造変革が必要であり、物価目標がその変革の進捗を測る基準にもなっているように思います。足もとの消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は16か月連続で2%を上回り、人手不足により賃上げ圧力も高まっていますが、国内で生み出される付加価値の価格変動を示すGDPデフレーターでみると、米欧のようなユニット・レーバーコストの大幅な拡大は確認されておらず、現状の物価上昇は、主に輸入物価の高騰を起点とするラグを伴う価格転嫁の影響とみられ、賃金上昇を伴う物価上昇の形成には至っていません(図表6)。

2点目は、物価上昇に負けない賃金上昇を可能にする中小企業を含む企業の「稼ぐ力」の強化についてです。6月短観によれば、販売価格判断DI4のプラスが9四半期連続し、仕入価格判断DI5とのギャップも2022年第1四半期をピークに縮小しており、価格転嫁の継続が窺われます。そして、賃上げが従業員エンゲージメントを向上させ、付加価値を価格に反映できるイノベーティブな製品・サービスが創出される等、「稼ぐ力」が高まるという好循環が生まれつつあるように思われます。しかし、従業者の7割弱が働く中小企業は、大企業と比べ、「稼ぐ力」が強くありません(図表7)。ドイツの中小企業は、大企業と比べて見劣りしない利益率を維持するもとで成長を続けており、日本とは状況が大きく異なるとみています6。中小企業の経常利益は価格転嫁の進展もあり、2022年度は前年度比+3.9%と3月短観の見通しから上振れて増益で着地しましたが、2023年度はまだ減益の計画で、中小企業の賃上げ原資確保に繋がる「稼ぐ力」の強化の進捗はなお不透明な状況ですので、2%の「物価安定の目標」達成に確信を持てる状況には至っていません。報道によれば、既に来春の賃上げの意向を固めている大手企業も相応にあるようですが、物価上昇に負けない賃金上昇を可能にする「稼ぐ力」の強化が、中小企業を含め着実に進捗しているか、見極めていく必要があります。

現状の物価上昇はまだ輸入コストプッシュインフレの色彩が強いため(図表6再掲)、販売価格の上昇が賃金上昇に繋がる前に金融引き締めに転換すれば、需要が抑制され、企業の「稼ぐ力」が再び低下しかねません。人々の成長期待も再び低下し、回復に多大なコストと時間を要することとなりますので、金融政策の修正には、丁寧な状況把握と慎重な判断が必要です。2023年度の政策委員の物価見通しの中央値が+1.8%から+2.5%へ大きく上方修正される等、経済・物価を巡る不確実性が極めて高いことから、イールドカーブ・コントロールの枠組みの中で運用を柔軟化しましたが、現状では、賃金上昇を伴う2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を見通せる状況には至っておらず、金融引き締めへの転換にはまだ時間が必要です。

  1. 4販売価格が「上昇している」と答えた企業の割合から「下落している」と答えた企業の割合を控除して算出。
  2. 5仕入価格が「上昇している」と答えた企業の割合から「下落している」と答えた企業の割合を控除して算出。
  3. 6Bundesbankの「Financial statement statistics(extrapolated results)」と「Consolidated financial statement statistics」のデータからは、ドイツの中小企業(売上高50百万ユーロ未満の企業)は、大企業と比べて見劣りしない利益率を維持しつつ、成長を続けていることが確認される。

4.経済・賃金構造の変革

ここからは、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向け、私が必要と考える日本の経済・賃金構造の変革とそのための企業と家計の「稼ぐ力」の強化について、民間での経験も踏まえて、お話したいと思います。

(1)日本経済の構造的な課題

人口増加に伴って成長した日本では、その後の人口減少や経済環境変化への対応が遅れ、経済活動が停滞し、物価・賃金・金利の3つの重要な経済・金融指標が殆ど上昇しませんでした。

日本経済は、人口増加時代に「良いものを安く大量に」提供する効率重視の大量生産・垂直統合事業モデルで高成長を実現しました。しかし、1985年のプラザ合意以降、急激な円高が進み、大手企業は海外展開を積極化しましたが、多くの中小企業は海外展開できず、需要が停滞した国内市場での過当競争や新興国企業との価格競争に陥りました。また、グローバル化・人口減少社会に適応した付加価値重視の水平分業事業モデルへの変革も遅れ、多くの企業で過去の成功体験から不景気の度にコストカット対策が徹底されました。この間、世界経済は新興国の台頭、デジタル化の進展等で着実に成長する一方、日本経済は少子高齢化が進むもとで、主婦層や高齢者層の非正規雇用を中心とした労働参加率の向上により事業が継続され、「年収の壁」もあり、賃金は低迷しました。さらにコストの聖域なき見直しにより、設備投資に加え、企業の持続的成長に重要なイノベーション創出の鍵である人財7への投資や研究開発投資等の成長投資も抑制され、デジタル化も遅れ(図表8、図表9)、日本の一人当たり労働生産性はOECD38か国中29位8に低迷する等、日本の国際競争力は低下しました(図表10)。長年続いたデフレ期には物価が上昇しなかったため、賃金や従業員の能力開発投資を抑制しても働き続けてくれるという「従業員の善意に依存した経営」が可能でした。こうした少子高齢化と低労働生産性による「低成長・低インフレ・低賃金上昇」が構造的な課題だと考えています。

課題解決に向けた変革の動きは、リーマンショックやコロナショックを経て、世代交代とともに進む事業承継を含むM&Aや事業売却等により経営リソースの強化が進んでいます(図表11)。また、構造的に人手不足が深刻化する中で、賃上げしなければ雇用確保が難しくなり、日本経済にも「適者生存」の波が押し寄せ、「従業員の善意に依存した経営」から「従業員の価値を高める経営」への変革が必要になっています。

しかし、人手不足は世界共通です。米マンパワーグループが3月に纏めた2023年の「人材不足調査」(世界41か国の雇用主アンケート)では、世界平均の人手不足感は77%と2006年の調査開始時点から37%pt増加し、過去最高となりました。この間、日本の賃金水準は低迷を続けていましたが(図表12)、昨年、九州地域では、大手海外企業が当地への進出に伴って高い初任給での採用を行う旨を公表したことが大きな話題となりました。労働市場の需給逼迫の深刻化にこうした要因も加わり(図表13)、賃上げができる事業構造への変革の意識が各地で高まっています。

  1. 7人が会社経営にとって財産(human capital)である旨を表す造語。
  2. 82021年順位。同年の日本の時間当たり労働生産性は27位。

(2)労働生産性の向上―企業の「稼ぐ力」の強化―

賃上げが人財確保の必要条件となり、「稼ぐ力」の強化が喫緊の経営課題となっています。長期に亘り、多くの日本企業は販売価格引上げが困難だったため、コストアップの影響を原価低減や新製品・サービス開発によって吸収してきました。このため、優れた技術を持ちながら、新製品・サービス開発の効果が、従業員の賃上げに繋がらない構造に陥りがちでした。コロナ禍を経て、賃上げができる事業構造への変革のため、顧客が価値を認めるイノベーティブな製品・サービスの開発・提供や中小企業を含めたサプライチェーン全体での価値創造等の取り組みが進められています。

今年の賃上げに関する労使交渉の結果、多くの企業でベースアップが実施され、足もとの名目賃金は前年比で比較的高い伸びとなり、人手不足の深刻化を背景に募集賃金も高い伸びを示す等(図表13再掲)、日本に定着したデフレマインドから成長マインドへ転換する千載一遇のチャンスが到来しています。価格決定力の高いイノベーティブな製品・サービスの開発の取り組みが企業の利益成長を牽引し、各種投資の積極化や賃金上昇を通じて、企業と家計の成長期待を高めつつあります。そして、事業承継やM&Aを含む経営リソースの強化や従業員エンゲージメントの高まりによる生産性・イノベーション創出力の向上とともに、家計の消費意欲の向上等により、製品と従業員の価値が向上し、売上も増加し、企業の「稼ぐ力」強化や持続的な成長に繋がることで、さらなる賃上げ、消費拡大という供給・需要両サイドの強化、すなわち、「成長と分配の好循環」が始まりつつあると感じています(簡略化した構図は図表14)。こうした好循環が持続するには、成長を目指す企業が「稼ぐ力」を持続的に高めていくことが重要です。このため、「選択と集中」や事業ポートフォリオ改革の強化、イノベーションを起こす技術進歩への積極的な投資、企業の新陳代謝の向上、「スタートアップ育成5か年計画」に沿ったスタートアップやユニコーン(時価総額10億ドル超の非公開企業)の増加等の供給サイドの改革によって、物価上昇に負けない賃金上昇を実現する事業・経済構造への変革が必要と考えています。

また、成長とともに賃金も上昇する経済構造の実現の進捗を測るため、各経済主体の実感に近い名目GDPの成長に注目しています。デフレ期の2001から2011年度の名目GDPの前年度比単純平均は-0.6%縮小していましたが、実質GDPは+0.6%成長でした(図表15)。この間、名目耐久財消費額は25兆円から22兆円へ1割減少し、実際の家計の消費額は縮小していましたが、実質では2015年連鎖価格で11兆円から21兆円へ9割増加となりました。名目GDPは企業や家計のマインドに近い面があるため、各主体の成長期待に働き掛け、デフレマインドを変革するうえで名目GDPの成長は分かり易く重要だと思います。今到来している千載一遇のチャンスを逃さず、名目GDPの成長とともに物価上昇に負けない名目賃金上昇の実現に向けて、緩和的な金融環境の提供を通じて後押ししていきます。

過去のショック時からの名目GDPの回復期間をみると、デフレ期では1997年度の水準の回復には19年掛かりましたが、今回のコロナ禍では2019年度の水準を3年で上回り、2022年度は過去最高となったほか、2023年度も4%超の成長が見込まれ9、過去最高を2年連続で更新する見通しです。企業収益についても、法人企業統計では2023年1から3月の経常利益が同四半期では過去最高であったほか、6月短観の見通しでも2023年度は高水準を維持することが見込まれており、構造改革の進展や成長期待の高まりが感じられます。設備投資計画10は前年比+12.3%と高い投資意欲が窺われ、雇用人員判断DIからは人手不足感の一段の強まりが確認できます。また、2023年春季労使交渉による約30年振りの高い賃上げ率の実現に加え、最低賃金の全国平均も1,004円、前年度比+4.5%となる等、投資や賃上げのモメンタムが強まっていますので、今後も「稼ぐ力」を強化する企業努力が続いていくと期待しています。

  1. 9内閣府(2023年7月20日)「令和5(2023)年度 内閣府年央試算」。
  2. 10ソフトウェア・研究開発を含む設備投資額(除く土地投資額)。全規模合計、全産業(含む金融機関)ベース。

(3)中小企業の「稼ぐ力」の強化

物価上昇に負けない賃金上昇が実現するために、中小企業の「稼ぐ力」の強化は大変重要です。日本の中小企業の現状をみると、売上高輸出比率は3%と大企業に比べて低くなっています(図表16)。こうしたもと、中小企業の従業者は全体の7割弱を占めますが、経常利益は全体の約4分の1で、一人当たりでは大企業の5分の1から6分の1と賃上げ余力が乏しい状況です(図表17)。また、国内市場での過当競争環境から価格決定力も弱く、賃金を上げられない悪循環に陥り易い構造です(図表14再掲)。例えば、中小企業の多くが活動する国内市場では輸入品との競争にも晒され価格競争に陥りやすく、「稼ぐ力」の強化が難しい状況が続いてきましたが、人口増加に伴い成長している世界の様々な需要を取り込むことで、ドイツのように成長する中小企業が増えていくと期待しています。

ドイツの中小企業は売上高輸出比率が20から30%11、税引前利益率も6%程度12と、政府等の競争力強化支援機関の活用等により、ニッチ市場での技術力や競争力、価格決定力が強い特徴があります。日本の多くの中小企業では、経営リソース不足と過当競争により、製品・サービスの競争力や輸出の強化策の実行が先送りされてきたように思います。しかし、近年、世代交代や事業承継、スタートアップ等によって、経営リソースや技術力等の強化を図る成長への挑戦が始まっています。将来に向けた研究開発力や市場対応力が強化され、政府・自治体・大学等の中小企業・スタートアップの成長力強化支援策の活用も可能になり、自立性の高い事業運営への道が広がると期待しています。こうした中小企業等の挑戦を後押しするには、地域を良く知る地域金融機関の伴走支援が必要不可欠だと考えています。

  1. 11田中信世(2017)「ドイツ中小企業の国際展開~輸出と投資に見る企業行動」(一般財団法人国際貿易投資研究所 季刊 国際貿易と投資 Spring 2017 / No.107)を参照。ここでの売上高輸出比率の対象となるドイツの中小企業は、年間売上高5億ユーロ以下の企業。
  2. 12Bundesbank「Financial statement statistics(extrapolated results)」のデータを参照。中小企業は売上高50百万ユーロ未満の企業。

(4)家計の「稼ぐ力」の強化

持続的な日本経済の成長を実現するためには、企業の「稼ぐ力」の強化とともに、家計の「稼ぐ力」の強化による可処分所得の安定的な増加が必要です。日本の家計は、可処分所得に占める勤労所得の割合が94%13と米国に比べ極めて高く(図表18)、配当・利子収入は4%と少ないため、勤務先企業の「稼ぐ力」に大きく影響を受けます。日本では、従業者の7割弱が中小企業に勤務し、1つの企業に長く勤めますが、その中小企業の6割が赤字法人14で持続的賃金上昇の期待が低い等、多くの家計は将来に備え、現預金の保蔵志向を高める傾向があります。家計の「稼ぐ力」を強化するうえでは、米欧と同様、リスキリングによる能力向上と能力に見合ったより高い賃金の獲得やそのための転職等は有効なオプションだと思います(図表19)。日本の転職率は米欧に比べて低い状況が続いてきましたが(図表20、図表21)、現在の完全失業率が2.5%15と歴史的にみて低い水準にある等(図表13再掲)、労働市場は逼迫しています。より高い賃金を支払い従業員の価値を高める能力開発投資にも積極的な成長産業への円滑な労働移動が進めば、地域全体の付加価値が高まり、「成長と分配の好循環」が進み、物価上昇に負けない賃金上昇への期待が確信に変わっていくと考えています。5月に公表された政府の「三位一体の労働市場改革の指針」では、個々の企業の実態に合った職務給の多様なモデルを年内に政府が取り纏めるとともに、多様な働き方や労働移動の円滑化の観点から、助成金や税制改革等も予定されており、企業や家計の前向きな対応に注目しています。

また、家計の「稼ぐ力」を強化するうえでは、配当・利子収入を増やすことも重要です。日本の家計の金融資産の構造をみると、現預金の割合が54%、株式等・投資信託の割合が15%となっており、米国やドイツに比べて現預金保蔵志向が強い特徴があります(図表22)。「お金を保蔵する」デフレ思考から「お金を活用する」成長思考へマインド変化が進めば、貯蓄の一部が「長期・積立・リスク分散」に基づく投資にシフトされ、投資先の多くの上場企業からの配当金獲得による「稼ぐ力」の向上と投資先の成長による将来の資産形成が促進されます。現預金の保蔵だけでは、家計は多くの企業の事業活動による日本経済の成長の果実から遠い存在になってしまいます。2001年以降のTOPIXの株価指数や配当利回りをみると、リーマンショック等の大きなショックを経ても上場企業の成長とともに資産価値が増加し、リーマンショック以降、配当利回りは2%程度を維持しています(図表23)。経済は多くの企業活動によって成長を続けます。昭和の時代は、日本経済が輸出によって成長し、産業クラスターが形成され、家計の自身が勤務する企業からの勤労所得をベースに「1億総中流」と言われる社会になりましたが、プラザ合意以降の円高や人口減少とともに企業の「稼ぐ力」が弱まり、賃金が低迷し、家計の「稼ぐ力」の構造変革も必要になっています。株式等・投資信託への投資によって多くの上場企業との繋がりを持ち、名目GDP成長とともに賃金と金融収入が持続的・安定的に増加し、資産形成も促進する構造に変革していくことが重要だと考えています。

  1. 132019年末時点。
  2. 14国税庁「会社標本調査 令和3年度分」において、資本金1億円未満の法人のうち、欠損法人の割合。
  3. 152023年6月。

5.おわりに ―― 岐阜県経済について ――

最後に、岐阜県経済について触れておきたいと思います。

岐阜県は、濃尾平野に注ぐ木曽三川等の豊かな水資源や、3,000メートル級の山々が連なる山地から得られる良質な木材等に恵まれ、関の刃物や美濃焼、本美濃紙、一位一刀彫、岐阜提灯といった伝統工業をはじめ、古くからモノづくりが盛んな地域です。そうして培った技術は、自動車部品や工作機械、電子部品・デバイスを含む電気機械等にも継承され、世界市場を視野に入れて現在も当地の経済活動を支えています。当地に集積する産業としては航空機部品が有名ですが、コロナ禍による世界的な旅客需要の蒸発によって大きな打撃を受け、現在も生産水準はコロナ前を大きく下回っています。もっとも、国内外においてコロナ禍からの回復が進むもとで、ごく足もとでは航空機部品の生産にも緩やかな持ち直しがみられています。

本州の7つの県に囲まれた岐阜県は、全国のほぼ中央に位置し、東海地域だけでなく、中山道を通じて首都圏、関西圏へもアクセスしやすいほか、地盤が強固で津波リスクも低いという地理的な強みを有しています。これに加えて、東海環状自動車道の整備が進む等、高速道路網の整備に伴って主要経済圏との高速交通アクセスが一段と充実してきています。これらを背景に、2022年の工場立地件数と面積は全国3位となる等、当県を生産拠点とする企業が着実に増えています。このような活発な企業活動の中、当地の求人募集賃金は徐々に切り上がりつつあります。当地はスタートアップを含む地元企業の支援にも積極的であり、本年6月に「ぎふスタートアップ支援コンソーシアム」が設立されたほか、岐阜市リモートオフィス「Neo work-Gifu」を拠点とした企業支援も行われています。岐阜大学での研究成果を活かして、大学発のテック系スタートアップが増加しているというお話も耳にしております。また、中小企業のデジタルインボイス活用推進等のDX支援の取り組みも、県が企業や金融機関を巻き込んで進めておられます。このような、産学官金が連携した新たな取り組みが、元来持っていた岐阜県の強みと合わさることで、当地企業の新たな事業展開や雇用の充実等、幅広い成果が生まれることを強く期待しています。

新型コロナウイルス感染症に苦しめられた当地の観光産業にとって、2023年は反転攻勢の年となっています。本日の懇談会場がある長良川は鵜飼で全国に知られていますが、今年は乗船客の人数制限を4年振りに撤廃することでコロナ禍前の賑わいを取り戻していると伺いました。感染症の影響で中止を余儀なくされていた長良川の花火大会も、装いを新たに4年振りの開催を実現されたほか、昨年11月にユネスコ無形文化遺産に登録された郡上おどりは、日程や時間を短縮しない伝統的な姿で開催されました。昨年10月に入国者数の上限が撤廃されて以降、外国人観光客の入国も着実に増加しているほか、円安もあり支出額も増加していると思われます。2023年入り後、外国人の人気が特に高い高山市では、全国旅行支援による国内旅行客の増加も相俟って、観光客数がコロナ禍前の水準を上回る月もみられています。今後も、コロナ禍からの正常化が進むことで、多様性あふれる岐阜県観光の魅力が今まで以上に多くの方々を楽しませると考えております。

岐阜県経済がアフターコロナの世界で飛躍することを祈念して、挨拶の言葉とさせて頂きます。