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【講演】中央銀行の財務と金融政策運営日本金融学会2023年度秋季大会における特別講演

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日本銀行総裁 植田 和男
2023年9月30日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。日本金融学会でお話しする機会を頂き、ありがとうございます。

本日は、「中央銀行の財務と金融政策運営」をテーマにお話しいたします。この論点については、海外の中央銀行が出口局面を迎えるもとで、注目度が高まっています。一方で、わが国では、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を見通せる状況には至っておらず、なお「出口」には距離があります。しかし、「出口」には距離がある現時点だからこそ、このテーマについて客観的に議論するのに適したタイミングであると考えたところです。また、私は、日本金融学会では、ちょうど20年前に「自己資本と中央銀行」と題する講演を行いました1。今日は、その続編ということになりますが、話の本質的な部分には大きな変更はありません。ただ、その後20年間の内外の金融政策の動きを踏まえて、この大事なテーマについてもう一度振り返り、確認作業のようなことを行ってみたいと思います。

当時、日本銀行は既に「量的緩和政策」を行っており、資産担保証券といった新たな金融資産の買入れも開始していました。また、世界的にディスインフレ傾向にあった中で、他の中央銀行でも、非伝統的な金融政策の手法が検討され始めていました。こうした状況で、中央銀行の財務リスクに対する関心が高まっていた局面でありました。

それから20年が経ちました。この間、主要中央銀行は、ディスインフレ傾向が続くもとで、グローバル金融危機や新型コロナウイルス感染症などのショックへ対応するために、政策金利の引き下げに加え、大規模な資産買入れなどの非伝統的金融政策を実施し、金融緩和を行ってきました。しかしながら、一昨年以降は、コロナ禍からの経済再開や国際的な資源価格高騰といった影響を受けて、世界的にインフレ圧力が高まっています。こうした中で、海外の中央銀行では、急速かつ大幅に政策金利を引き上げ、保有資産の残高削減を行うなど、金融の引き締めを進めています。この20年で金融政策や中央銀行の財務を巡る状況は大きく変化しました。また、この間、中央銀行の財務と金融政策運営に関する議論も蓄積されてきました 2

そこで、本日は、最近の状況を踏まえたうえで、中央銀行の財務と金融政策運営との関係についてどのように考えるべきなのか、お話しします。まず、中央銀行のバランスシートや収益の基本的な構造について説明しつつ、世界に先駆けて非伝統的金融政策を導入した日本銀行の過去25年間の財務の変化を振り返りたいと思います。次に、中央銀行のバランスシートの拡大と縮小が収益等に与えるメカニズムについて整理します。さらに、中央銀行の財務を巡る学界の議論などに触れたうえで、金融政策の引き締め局面にある最近の海外中央銀行の動向について申し上げたいと思います。そのうえで、以上をまとめる形で、中央銀行の財務と金融政策運営に関する日本銀行の基本的な考え方についてご説明します。

  1. 1植田和男[2003]「自己資本と中央銀行―2003年10月25日、2003年度日本金融学会秋季大会における植田審議委員記念講演要旨」参照。
  2. 2例えば、Adler et al.[2012]、Bell et al.[2023]、Reis[2015]など。このほか参考文献は最終頁を参照。

2.中央銀行のバランスシートと収益

最初に、中央銀行のバランスシートの基本的な構造についてお話しします(図表1)。日本銀行をはじめとした主要中央銀行は、伝統的には、短期金融市場の資金量を調節することによって短期金利を目標水準にコントロールすることで、金融政策を行ってきました。こうした金融調節の手段として、金融機関に対する貸付けといった短期オペや国債の買入れなどを行いますが、これらは、中央銀行のバランスシートの資産側に計上されることになります。その一方で、負債・資本側には、金融機関の所要準備としての当座預金や政府の預金、発行した銀行券、資本などが計上されます。

次に、こうしたバランスシートのもとでの収益構造です。中央銀行は、買い入れた国債等の資産から利息収入を受け取ります。その一方で、負債側の銀行券や金融機関の所要準備としての当座預金は、金利が付されないという意味で無コストです。この差分で得られる収益が、「通貨発行益(シニョレッジ)」と呼ばれるものであり、中央銀行は、通常、この収益を安定的にあげることができます。

日本銀行も1990年代後半時点では、短期金利のコントロールという伝統的な金融政策を実施していました。このため、1998年度末の日本銀行のバランスシートと収益をみると、ただ今ご説明したような姿となっていました。

その後、わが国経済は、不良債権問題に加え、ITバブルの崩壊、グローバル金融危機、自然災害など、様々なショックに直面しました。また、円高の進行や、新興国からの安価な輸入品の流入なども、物価の直接的な下押し要因として働きました。こうしたもとで、デフレから脱却し、「物価の安定」を実現することが、長年にわたる課題となりました。わが国では、1990年代末には、短期金利のゼロ制約に直面していたため、日本銀行は、「物価の安定」を実現するために、「量的緩和」、「包括緩和」、「量的・質的金融緩和」、そして現在の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」といった様々な非伝統的金融政策を実施してきました。

こうした金融政策運営のもとで生じた日本銀行のバランスシートの変化については、大きく3点を指摘できます(図表2)。1点目は、長めの金利の低下を促す目的で買入れを拡大した長期国債が、資産側で大幅に増加したことです。2点目は、リスク・プレミアムの縮小を促す観点から買入れを開始したETFなどのリスク性資産が新たに計上されたことです。そして3点目は、資産側の動きに見合って、負債側では、金融機関の超過準備が増加する形で当座預金が大幅に増加したことです。大幅な超過準備が存在するもとで短期金利を目標水準にコントロールするには、超過準備に金利を付すことが必要となります。このため、日本銀行では、グローバル金融危機時の2008年10月に「補完当座預金制度」を導入し、付利を開始しました。

このようにバランスシートが変化する中で、収益面でも変化がみられています(図表3)。まず、日本銀行が受け取る収入は、増加傾向にあります。長期国債の買入れ拡大に伴い、国債の利息収入が増加しています。また、ここ数年は、ETFなどから得られる分配金も相応の規模となっています。他方で、日本銀行が支払う費用としては、超過準備への付利を開始したことに伴い、支払利息が計上されるようになりました。もっとも、この間、付利に伴う支払利息は、増加している収入に比べれば少額にとどまっています。そのため、収入と費用の差額である日本銀行の経常利益については、バランスシートの規模が拡大するもとで、増加基調となっています。

このように、非伝統的金融政策の実施によって、日本銀行の財務構造は大きく変化してきました。

3.バランスシートの拡大・縮小局面における収益変化のメカニズム

バランスシート拡大・縮小に伴う収益の増減

では、中央銀行のバランスシートの拡大・縮小の動きと収益の変動がどのような関係にあるのか、一般的なメカニズムについて整理したいと思います。

まず、バランスシートが拡大する局面です。中央銀行が金融緩和を実施するもとで国債等の買入れによってバランスシートを拡大すると、資産側では長期国債等、負債側では当座預金が両建てで増加します。また、保有資産の平均残存期間が長期化するため、負債とのデュレーション・ギャップも拡大します。こうしたバランスシートの拡大に伴って超過準備に対する利息の支払いが生じますが、金融緩和局面では、短期金利を低い水準にコントロールする必要があるため、付利金利は低位に抑えられます。一方、通常、長期金利は短期金利よりも高い水準にあるため、買い入れる長期国債の利回りが付利金利を上回り、保有国債の増加によって利息収入は支払利息以上に増加することになります。国債のほかにリスク性資産を買い入れている場合は、その収益も、リスクに見合ったリターンという側面もありますが、保有残高の増加につれて拡大します。現在の日本銀行の財務は、こうした局面にあると言えます。

次に、金融政策が引き締め方向に向かい、バランスシートが縮小していく出口局面で、一般的に中央銀行の収益がどのように変動するかを説明します。この局面では、資産側では国債等、負債側では当座預金が減少していくと考えられます。その際には、短期金利を上昇させるために、当座預金に対する付利金利を引き上げていくことになります。その結果、支払利息が増加し、中央銀行の収益は下押しされます。現在、インフレへの対応から金融引き締めを進めている米国連邦準備制度(FRB)や、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)などは、こうした局面にあり、実際に収益が減少しています。この点は、後ほど詳しく述べたいと思います。

このように、出口局面入りしてからしばらくの間、中央銀行の収益は下押しされることになります。もっとも、その後は、当座預金の減少に伴い支払利息が減少していきます。その一方で、一定量の保有が必要な国債に関しては、いずれかのタイミングでは、満期償還時に再投資していくことになります。そうなれば、金利が上昇する中で、保有国債は順次利回りの高いものに入れ替わり、受取利息が増加していきます。このため、その時々の経済・物価・金融情勢とそれに基づく金融政策運営に依存しますが、やや長い目でみれば、通常、中央銀行の収益はいずれ回復していくことになります。

バランスシートの拡大・縮小に伴う収益の振幅度合いに影響を及ぼす要因

このように、バランスシートの拡大・縮小に伴い、中央銀行の収益は変動します。もっとも、収益が変動する程度については、様々な要因によって大きく異なってきます。ここからは、主として、現在、主要な海外中央銀行が直面しているバランスシートの縮小局面を念頭に置いて、中央銀行の収益の振幅に影響を与える主な要因を4つ挙げ、そのメカニズムをご説明したいと思います。

(1)バランスシートの規模

第一の要因は、バランスシートの規模です(図表4)。金融政策が引き締め方向に向かう際には、主要な海外中央銀行がこのところ行ってきたように、当座預金に対する付利金利を引き上げることで、金利を上昇させていくことになります。その過程では、保有国債の利回りが付利金利を一時的に下回り、逆ざやとなる局面が生じ得ます。この場合、バランスシートの規模が大きければ、その分、収益を下押しする度合いも大きくなり、結果として収益の上下の振幅も増幅されることになります。

(2)保有国債の満期償還時に再投資する規模

第二の要因は、保有国債の満期償還時にどの程度を再投資するかです(図表5)。保有国債の満期償還時に償還金額を全て新たな国債に再投資すれば、バランスシートの規模は維持されます。他方、償還金額の一部しか新たな国債に再投資しなければ、バランスシートは縮小します。バランスシートの縮小ペースは再投資の金額によって変わります。再投資を全く行わなければ、速いペースでバランスシートが縮小していくことになります。金融政策の引き締め局面では、長期金利は相応に上昇すると見込まれるため、この再投資の規模が大きければ、その分、保有国債の利回りの改善効果も大きくなります。なお、こうした再投資による利回り改善のペースは、保有国債の満期構成によっても変わります。利回りの低い国債が満期償還される一方で、利回りの高い国債が新たに加わるため、早期に満期を迎える国債が多ければ、その分、利回りの改善ペースは速まります。

もちろん、保有国債の再投資をどのように行うか、言い換えると、バランスシートの規模をどのようなペースで縮小させるかは、その時々の情勢によって異なります。例えば、FRBは、前回の2015年末からの金利引き上げ局面では、政策金利の引き上げを開始した後も2年弱の間は、償還する保有国債等を全額再投資することで、バランスシートの規模を維持しました。しかしながら、今回は、歴史的なインフレの高まりに対応する必要から、政策金利の引き上げ後間もなく、保有国債等についても、償還分の一部のみ再投資し、バランスシートの縮小を開始しています。このように、保有国債の再投資については、経済・物価・金融情勢とそれに基づく金融政策運営に大きく依存します。

(3)短期金利・長期金利の推移

第三の要因は、短期金利と長期金利の推移、言い換えれば、イールドカーブの形状とその変化です(図表6)。先ほどご説明したとおり、バランスシートが縮小する局面では、当座預金に対する付利金利の引き上げに伴い支払利息が増加する一方で、保有国債の再投資により受取利息も増加します。したがって、イールドカーブがスティープ化、すなわち、短期金利に比べ長期金利の上昇ペースが速い場合には、相対的に支払利息の増加が低位にとどまるため、収益の下押しは限定的となります。一方、イールドカーブがフラットである、つまり、短期金利が急速に上昇する中で、長期金利の上昇が比較的緩やかとなる場合には、収益を下押しする程度は大きくなります。

長短金利がどのように推移するかについても、その時々の情勢によって異なります。米国では、今回の金融引き締め局面で、政策金利を急速かつ大幅に引き上げており、そうしたもとで、イールドカーブの形状は短期金利が長期金利を上回る逆イールドとなっています。中央銀行の財務への影響という観点では、これは中央銀行の収益を下押しする度合いが非常に大きい状況と言えます。

(4)銀行券発行残高の動向

最後に、銀行券の動向も、収益の変動要因になることをご説明します(図表7)。銀行券は、中央銀行のバランスシートの負債側に計上されていますが、金利が付されないため、中央銀行にとって無コストの負債です。一方で、超過準備には付利されますので、当座預金の多くの部分は中央銀行にとって有コストの負債となります。このため、負債の中で、コストが発生しない銀行券の比率がどうなるかによって、中央銀行の収益は左右されることになります。

例えば、政策金利の引き上げに伴って民間金融機関の預金金利が上昇すれば、金利収入を獲得するために、人々が手元の銀行券を預金口座に預け入れるインセンティブが高まると考えられます。こうして民間金融機関が受け入れた銀行券は、民間金融機関が中央銀行に保有する当座預金に入金される形で、中央銀行に戻ってきます。この結果、中央銀行のバランスシートの負債側では、無コストの銀行券が減少し、負債に占める比率が低下するため、収益は下押しされます。

銀行券に対する需要の変動には、このような経済的要因のほか、社会的、文化的、歴史的な要因など様々な背景が存在します。このため、銀行券発行残高の水準は、国・地域、時代などによって様々です。わが国における銀行券発行残高の対名目GDP比率をみると、1990年代半ばまでは6から8%程度で推移した後、趨勢的に上昇し、足もとでは20%を上回る水準となっています。こうした動きの基本的な背景には、長年にわたる低金利環境があると考えられます。一方で、キャッシュレス化が進展すれば銀行券需要は減少すると考えられます。実際、キャッシュレス決済の進展が著しいスウェーデンでは、近年、銀行券発行残高の対名目GDP比率は減少傾向にあります。このように、銀行券への需要は様々な要因に依存するため、今後の銀行券発行残高の動きを予想するのは難しいところがあります。

4.中央銀行の財務を巡る学界や国際機関の議論

ここまで、中央銀行のバランスシートの拡大・縮小が収益を増減させるメカニズムやそうした収益の振幅の度合いに影響を与える要因について説明してきました。海外の主要中央銀行が経験しているように、中央銀行の収益は、バランスシートの拡大局面では増加する一方、金融政策が引き締め方向に向かい、バランスシートが縮小していく局面では一時的に減少します。その仕組みについては、ご理解頂けたと思います。そのうえで、そもそも中央銀行の財務と政策運営との関係について、理論的にはどのように考えられるのでしょうか。

大前提として、中央銀行の財務のあり方は、採用されている通貨制度に依存します。かつての兌換制度のもとでは、中央銀行が発行する銀行券は、金や銀との交換が保証された兌換銀行券でした。すなわち、そうした中央銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を正貨準備として保有しておくことが義務付けられていました。兌換制度において、銀行券の信認の基礎は、中央銀行が保有する金や銀といった「裏付け資産の価値」に直接的に求められていました。もっとも、その後、多くの国・地域では、兌換制度から管理通貨制度に移行しており、そのもとでは、通貨の信認は、適切な金融政策運営により「物価の安定」を図ることを通じて確保されるという考え方が共通の理解となっています。したがって、管理通貨制度においては、中央銀行の財務と通貨の信認の関係は、「中央銀行の収益や資本の減少が金融政策運営にどのような影響を与えるのか」という視点から検討される必要があります。学界やIMF、BISといった国際機関などでは、こうした観点から様々な議論が重ねられています。その結論だけをみると、中央銀行の収益や資本の減少は、金融政策運営に「悪影響を及ぼす」という見方も、「悪影響を及ぼさない」という見方もあり、様々な立場が存在している印象を受けます。しかしながら、俯瞰してみれば、これらの議論は本質的に相反するものではないと私は考えています。

すなわち、金融政策運営に「悪影響を及ぼさない」という考え方は、中央銀行は、自身で支払決済手段を提供できることや、通貨発行益があるため財務の毀損は通常いずれ回復することなどに着目し、収益や資本の減少によって直ちにオペレーショナルな意味での政策運営能力が損なわれない点を強調する議論です。この点は、中央銀行と民間の金融機関や事業法人との大きな違いであり、中央銀行の財務と政策運営能力の関係を考える際の基本となるポイントです。別の言い方をすれば、中央銀行の財務を民間の金融機関や事業法人とのアナロジーで考えることは適当でないということです。他方で、金融政策運営に「悪影響を及ぼす」という見方は、収益や資本の減少をきっかけに中央銀行への信認が低下し得る点に着目します。信認低下に至るメカニズムとしては、政治の介入を招く、あるいは、中央銀行が財務改善を優先する政策運営を行うなどの思惑が高まることにより、インフレ予想の大幅な上昇が生じる、といった理論が示されています。

こうした議論を総合的に理解すると、中央銀行の財務と金融政策運営の関係については、次のような結論になると考えられます。すなわち、「基本的に、中央銀行については、収益や資本の減少によって直ちにオペレーショナルな意味での政策運営能力が損なわれることはない。ただし、収益や資本の減少を契機とする信認の低下を防ぐため、財務の健全性への配慮も大事である」ということです。

5.最近の海外中央銀行の財務状況

以上、中央銀行の財務と政策運営の関係について理論的にはどのように考えられるのかみてきました。そこで次に、実際のケースとして、最近の海外の中央銀行の事例についてお話ししたいと思います(図表8)。海外の主要な中央銀行では、グローバル金融危機の発生以降、非伝統的な金融緩和政策が採用されました。その後も、欧州債務危機やコロナ禍への対応等を経る中で、バランスシートの規模は大幅に拡大し、収益は増加しました。しかしながら、昨年来、主要な海外中央銀行では、インフレへの対応から金融引き締めを進めており、そのもとで収益は減少しています。以下では、主として米国、欧州、豪州の中央銀行を例に挙げて、幾つかの切り口から最近の財務面の動向を確認したいと思います。

収益の減少

第一に、収益の動向です。海外の中央銀行では、過去のバランスシート拡大局面では収益が大幅に増加していましたが、現在は、バランスシートの縮小局面における収益の減少というメカニズムが実際に生じています(図表9)。FRBでは、2022年3月に政策金利の引き上げを開始し、その引き上げ幅は1年余りで5%程度と、過去と比べて急速かつ大幅なものとなっています。当座預金に対する付利金利も同様に引き上げられていますので、負債コストは急ピッチで大きく増加しています。先ほども述べたように、FRBは、インフレ抑制に強い姿勢で臨む必要から、今回の金融引き締め局面においては、再投資を限定的なものとし、金利引き上げとほぼ同時にバランスシートも縮小するという方針にあります。こうしたもとで、保有資産の運用利回りが改善しにくいこともあり、FRBでは、昨年9月から週次の収益が赤字となっています。

同じような事象は、欧州でも生じています。英国では、BOEが、子会社である資産買入れファシリティ(APF)を通じて大規模な資産買入れを行ってきました。このAPFは、資産買入れの原資としてBOEから政策金利で借入れを行う一方、資産買入れにかかる損益は政府に帰属する仕組みとなっています。こうした中、BOEが、急速かつ大幅な政策金利の引き上げを実施したため、APFでは逆ざやが発生しています。2022年10月以降は、保有する資産の利息収入ではBOEからの借入金の利払いをカバーできない事態となったため、政府から不足金額の補填を受ける形となりました。

ユーロ圏でも、ECBが、当座預金に対する付利金利である預金ファシリティ金利の引き上げを進めています。この結果、相対的に利回りの低いドイツ国債を多く買い入れているドイツ連邦銀行のみならず、相対的に利回りの高いイタリア国債を多く買い入れているイタリア銀行等についても、当座預金に対する付利金利が、保有する国債等の平均運用利回りを越える水準となっており、収益が下押しされています。

保有債券の評価損の拡大

第二に、保有債券の評価損益についてです(図表10)。海外の主要中央銀行では、金利の上昇に伴って保有国債の市場価格が下落し、評価損が拡大しています。もっとも、各中央銀行は、債券の保有実態等に応じて、その評価方法を選択しており、財務諸表への影響の表れ方は様々です。例えば、FRBでは、日本銀行と同様に償却原価法を採用しつつ、評価損益の状況について参考情報として開示する扱いとしています。2023年3月末時点のFRBの保有債券の評価損益は、0.9兆ドルと大幅な評価損となりましたが、期間損益に直接影響しない点は、日本銀行と同様です。保有国債の評価方法として償却原価法を採用している中央銀行としては、他にもECBなどがあります。他方で、オーストラリア準備銀行では、保有国債を時価評価しています。このため、保有国債が抱える多額の評価損は期間損益を大きく下押しすることとなり、2022年6月期決算でオーストラリア準備銀行は債務超過に転じました。

財務リスクへの制度的な対応

第三に、財務リスクへの各中央銀行の制度的な対応についてです(図表11)。非伝統的金融政策を採用する以前から、各国の中央銀行は、財務リスクへの備えとして自己資本を保有しています。保有資産の内容や制度的な差異、歴史的な経緯等もあって、各国の中央銀行が保有する自己資本の水準には大きな幅があります。しかし、自己資本の保有により財務の健全性を確保することに意義を認める点では共通しています。

そのうえで、それ以外の制度的な対応として、FRBでは、2011年に、期間損益が赤字となった場合には累積赤字を繰延資産として計上するといった会計上の手当てを行っています。そして、累積赤字が解消されるまでは、国庫納付を行わないという仕組みとなっています。

次に、英国では、資産買入れの開始に当たり、BOEと政府が事前に役割分担を明確にするという対応をしています。具体的には、先ほど申し上げたとおり、資産買入れファシリティに対して、BOEが政策金利での貸付けにより資金を提供し、そこから生じる損益については政府に帰属する、という形でそれぞれの役割を担う仕組みとしています。

また、ドイツ連邦銀行では、財務リスクへの事前の備えとして、これまでのバランスシートが拡大していた局面において、積極的に引当金を積み立てていました。2022年決算ではこの引当金を取り崩すことで赤字を回避しています。この点、日本銀行でも同様の仕組みを手当てしています。すなわち、日本銀行では、将来の出口局面における収益の下振れに対する事前の備えとして、2015年に、債券取引損失引当金を拡充しました。この措置により、収益が上振れる局面でその一部を積み立て、将来、仮に収益が下振れる局面になればこれを取り崩すことができるようになりました。このことは、日本銀行の収益の振幅を平準化することを通じて、財務の健全性確保につながるものです。

このように、主要中央銀行の事例をみると、いずれの中央銀行も、財務リスクへの備えとして、様々な制度的な対応を行っていることが分かります。特に、非伝統的金融政策を実施した中央銀行では、自己資本の保有以外にも各種の対応策を講じています。財務の健全性への配慮も大事であるという点を、各国中央銀行が実践している証左と言えます。

対外的なコミュニケーション

最後に、財務のリスクに関して各中央銀行がどのように説明しているのかという、対外的なコミュニケーションの面について確認したいと思います。まず、いずれの中央銀行でも、一時的に赤字や債務超過となっても政策運営能力に支障は生じないという点を強調しています。また、現在は収益が減少しているが、これまでのバランスシート拡大局面では収益は増加していたという事実にも言及しています。そのうえで、大規模緩和の政策評価にあたっては、中央銀行の財務ではなく、経済全体へのプラス効果に焦点を当ててなされるべきであるといった考えを示しています。こうした説明と同時に、各中央銀行では、引き続き、資本の重要性を踏まえ、時間をかけて自己資本の回復を図っていくことで、財務の健全性に配慮するという方針についても、しっかりと情報発信を行っています。

なお、情報発信の媒体としては、議会での説明のほか、各種講演やスタッフペーパーの公表、ホームページでのQ&Aなど様々です。中央銀行の財務は、民間の金融機関や事業法人の財務とは異なる面があり、専門家でなければ馴染み難いものです。一方で、通貨や中央銀行の信認にも関わる極めて重要なテーマです。そのため、いずれの中央銀行も、機会を捉えて、丁寧な説明に努める姿勢が窺われます。

6.中央銀行の財務と金融政策運営に関する基本的な考え方

最後に、以上の内容を踏まえて、中央銀行の財務と金融政策運営に関する日本銀行の基本的な考え方を整理します。これまで申し上げた内容と重複する点がありますが、しばしば寄せられる疑問にお答えする形で、ご説明したいと思います。

(1)日本銀行の収益や資本が減少すると、通貨の信認が失われるのではないか

最も基本的な疑問は、「日本銀行の収益や資本が減少すると、通貨の信認が失われるのではないか」というものではないでしょうか。この点、現在、日本を含め多くの国・地域で採用されている管理通貨制度のもとでは、中央銀行は、「物価の安定」を実現する観点から、金利の水準や通貨の発行量をコントロールしています。したがって、通貨の信認は、中央銀行の保有資産や財務の健全性によって直接的に担保されるものではなく、適切な金融政策運営により「物価の安定」を図ることを通じて確保されるものとなっています。先ほど述べたように、海外中央銀行では、赤字や債務超過の事例がみられていますが、通貨の信認は維持されています。それは、これらの海外中央銀行が「物価の安定」を実現する観点から、適切な金融政策を行っているからです。通貨の信認が、金融政策の適切な遂行により確保されるということが分かります。

(2)出口の局面で逆ざやが発生するのではないか。日本銀行の収益が大幅に赤字となり、長期間にわたり債務超過が続くのではないか

次に、「日本銀行は、出口の局面で逆ざやが発生するのではないか、収益が大幅に赤字となり、長期間にわたり債務超過が続くのではないか」という懸念についてです。確かに、大規模金融緩和の出口局面では、当座預金に対する付利金利の引き上げによって支払利息が増加するため、収益は下押しされます。もっとも、そうした局面では、経済・物価情勢の好転とともに長期金利も上昇すると予想されますので、保有国債がより高い利回りの国債に入れ替わることで、受取利息も増加すると見込まれます。このため、実際に逆ざやが起きるのか、起きる場合に日本銀行の財務にどの程度の影響をもたらすのかについて、現時点で正確に予測することはできません。

外部の有識者からは、一定のシナリオを設定したうえで、日本銀行の財務をシミュレーションしたものが発表されています。その結果をみると、シナリオの設定の仕方に応じて、様々であることがわかります。収益の振幅度合いに影響を与える要因に関してご説明したように、例えば、国債の再投資を全く行わない、あるいは、短期金利が急激に上昇するといった前提を置くと、先行きの収益の減少の程度は大きくなります。したがって、こうしたシミュレーションを見る際には、国債の再投資の規模、イールドカーブの形状と変化、銀行券発行残高の動向などについて、どのような前提が置かれているのかにも留意する必要があります。

とは言え、バランスシートの拡大・縮小に伴い収益が振幅するメカニズムが内在していることは確かです。その点に関して、「中央銀行の非伝統的金融政策の出口局面では、国庫納付金が減少し、国民負担が増加するのではないか」というご意見を頂くこともあります。グローバルにみて、中央銀行の収益は、最終的に政府に納付するという制度が一般的です。そのもとで、金融政策運営の結果として、中央銀行の収益が変動すると、それに応じて、納付金額も変動することになります。したがって、通常、国庫納付金は、バランスシートの拡大局面では増加する一方、出口局面では減少するという形で変動することになります。

ただ、強調させて頂きたいことは、金融政策の目的はあくまでも「物価の安定」であるということです。日本銀行は、賃金の上昇を伴う形で、「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指しています。中央銀行の財務は、こうした目的を達成するために行う政策の結果です。したがって、金融政策に対する評価は、「物価の安定」という政策目的の達成状況によってなされるべきものと考えています。

(3)日本銀行は、財務等への配慮を優先した政策運営を行うのではないか

第三に、「収益や資本の減少が懸念されるもとで、日本銀行は、これを回避するように政策運営を行うのではないか」という指摘も耳にします。しかし、繰り返しになりますが、金融政策の目的はあくまでも「物価の安定」であり、これは法律にも定められた日本銀行の使命です。日本銀行の財務等への配慮から、必要な政策の遂行が妨げられるということはありません。

既にご説明しているとおり、中央銀行は、通貨発行益が発生するという収益面での特徴を持っており、やや長い目でみれば、通常、収益が確保できる構造にあります。また、中央銀行は、自身で支払決済手段を提供することができます。このため、中央銀行は、適切な金融政策運営を行っているという前提のもとでは、一時的に収益や資本が減少しても、政策運営能力が損なわれることはありません。このことは、金融政策だけではなく、金融システムの安定や、政府の銀行、決済システムの円滑性維持といった中央銀行の基本的な役割全般についても同じです。中央銀行というのは、収益構造の面や発券機能を有する点などでユニークな存在です。もとよりそれは、政策運営を通じて経済に貢献するという役割を果たすために与えられたものです。このように、中央銀行は、民間の金融機関や事業法人とのアナロジーでは捉えられない側面を持っています。

(4)中央銀行は、いくら赤字や債務超過になっても問題ないのではないか

だからと言って、「中央銀行は、いくら赤字や債務超過になっても問題ない」とは言えません。中央銀行の収益や資本の減少をきっかけに、中央銀行への信認が低下すれば、金融政策運営には悪影響が生じます。学界や国際機関の議論についてご紹介したように、中央銀行の収益や資本の減少が信認の低下につながるメカニズムについては、様々な理論が示されています。だからこそ、このところ収益が減少している海外中央銀行では、一時的に赤字または債務超過となっても政策運営能力に支障は生じない旨を説明しつつ、同時に、財務の健全性確保のために、必要な各種の対応を講じているのです。

以上が、中央銀行の財務と金融政策運営に関する日本銀行の基本的な考え方です。まとめると、通貨の信認は、適切な金融政策運営により「物価の安定」を図ることを通じて確保されるものです。そうした前提のもと、中央銀行は、やや長い目でみれば、通常、収益が確保できる構造にあるほか、自ら支払決済手段を提供することができます。したがって、一時的に赤字や債務超過になっても、政策運営能力は損なわれません。ただし、いくら赤字や債務超過になってもよいということではありません。中央銀行の財務リスクが着目されて金融政策を巡る無用の混乱が生じる場合、そのことが信認の低下につながるリスクがあります。日本銀行としては、こうした考え方のもとで、財務の健全性にも留意しつつ、適切な政策運営に努めていくことが適当であると考えています。

7.おわりに

20年前、私は、この日本金融学会の場において、中央銀行は、自己資本の問題、より広く財務の問題と言い換えて良いと思いますが、その金融政策運営との関わりの多様な側面を意識しつつ、注意深い政策運営を行っていくことが適当であるとの主張を展開させて頂きました。その後の20年の間に金融政策を巡る状況は大きく変化しましたが、こうした基本的な考え方は、政策当局者として現在も適切であるように思います。

もっとも、中央銀行の財務と金融政策運営については、なお議論を深めていくべき論点が多いことも事実です。私としては、こうした点に関して、実務家とアカデミアの双方において、政治経済学的な観点も踏まえた形で、より一層、分析が進められていくことを期待しています。状況の変化が激しいこうした分野では実務家の議論が先行するものですが、理論的なパースペクティブを提供するアカデミアの役割も極めて重要であるということを申し上げたいと思います。

最後になりますが、日本銀行では現在、これまでの非伝統的金融政策が、わが国の経済・物価・金融の幅広い分野と相互に関連し、影響を及ぼしてきたとの認識のもとで、過去25年間の金融政策運営について、「多角的レビュー」を実施しています。本日、「中央銀行の財務と金融政策運営」というトピックに関して、まとめてお話しさせて頂いたのも「多角的レビュー」の一環です。日本銀行としては、今後も、様々なテーマについて「多角的レビュー」を行い、とりまとめた内容について、順次、情報発信し、議論を深めていきたいと考えています。

ご清聴ありがとうございました。

参考文献

  • Adler, Gustavo, Pedro Castro, and Camilo E. Tovar [2012], "Does Central Bank Capital Matter for Monetary Policy?" IMF Working paper WP/12/60
  • Archer, David and Paul Moser-Boehm [2013], "Central bank finances," BIS Papers No. 71
  • Bell, Sarah, Michael Chui, Tamara Gomes, Paul Moser-Boehm, and Albert Pierres Tejada [2023], "Why are central banks reporting losses? Does it matter?" BIS Bulletin No. 68
  • Del Negro, Marco and Christopher A. Sims [2015], "When Does a Central Bank's Balance Sheet Require Fiscal Support?" Journal of Monetary Economics, 73, pp. 1-19
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  • Hooley, John, Ashraf Khan, Claney Lattie, Istvan Mak, Natalia Salazar, Amanda Sayegh, and Peter Stella [2023], "Quasi-Fiscal Implications of Central Bank Crisis Interventions," IMF Working paper WP/23/114
  • Nordstrom, Amanda and Anders Vredin [2022], "Does central bank equity matter for monetary policy?" Sveriges Riksbank Staff Memo
  • Reis, Ricardo [2015], "Different Types of Central Bank Insolvency and the Central Role of Seignorage," NBER Working Paper Series No. 21226