【挨拶】 中央銀行デジタル通貨について知っておきたいこと FIN/SUM(フィンサム)2024における挨拶
日本銀行総裁 植田 和男
2024年3月5日
はじめに
日本銀行の植田でございます。本日は、FIN/SUM(フィンサム)2024でお話しする機会を頂戴し、誠にありがとうございます。
本日は、中央銀行デジタル通貨――しばしば、英語のCentral Bank Digital Currencyの頭文字をとってCBDCと呼ばれますが――について、お話ししようと思います。CBDCは中央銀行にとって、大変重要なテーマだと考えておりますが、このCBDCという言葉、日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」の昨年9月の調査では、「見聞きしたことはあるが、よく知らない」というお答えが2割弱、「知っている」というお答えは僅か3.1%でした。この会場では詳しくご存じの方も多いかもしれませんが、できるだけわかりやすく、お話ししたいと思います。
既存のデジタル決済手段との違い
日本では、クレジットカード、電子マネー、QRコード決済といった様々なキャッシュレス決済手段が使われています。CBDCは、こうした既存のデジタルな決済手段と何が違うのでしょうか。日本を含む多くの国では、個人や一般企業を含む幅広い主体の利用を想定した「一般利用型」のCBDCは、現金、つまり、お札や硬貨と並ぶ決済手段としての役割や機能を果たすことを念頭に検討されています。ですから、現金の特徴は、CBDCと既存のデジタル決済手段の違いを考える出発点となるでしょう。大きく3つあります。
第1に、現金は中央銀行の負債であるということです。銀行や決済事業者といった民間企業の発行する負債によって決済を行うデジタル決済手段とは、この点が異なります。
第2に、現金での支払は、その場で完了するということです。現金を受け取った人はすぐにその現金を、他の支払に使うことができます。この点、お店での支払に使われるデジタル決済手段では、私たちが支払った「おかね」をすぐにお店が受け取るのではなく、後日、銀行振込等の形で受け取る仕組みであることが多くなっています。
このような性格から、第3に、私たちは、現金を日々、安心して使っています。そして、誰でも、いつでも、どこでも現金を使うことができます。
現金との違い
CBDCは、このような現金の特徴を備えることを念頭に検討されていますが、現金とCBDCには大きな違いがあります。それは、現金は紙や金属といった形をもっているのに対し、CBDCは電子的なデータによってそれがいくらか、誰のものかといったことが表される、形のないものだということです。形のない電子的データであることは、CBDCと現金の違いを考えるうえで重要なポイントです。大きく、3つあります。
第1に、データは空間を超えるということです。現金での支払は、支払う側と受け取る側が同じ場を共有する必要がありますが、データにはそうした制約がないので、オンラインショッピングなど、より広い利用シーンが考えられます。
第2に、データはかさばらないということです。大きな額の現金を保管するのは大変ですが、データではそのようなことはありません。これは利用する側からみれば便利なことですが、一方で、デジタル化によって現金が有する不便さが解消されることが、中央銀行が発行する「おかね」と民間企業が発行する「おかね」との関係にどう影響するかという視点で考えることも必要です。
「おかね」の有り様は歴史の中で変遷を遂げてきましたが、近現代では、中央銀行がその信認のもと、ベースマネー、つまりお札と中央銀行当座預金を一元的に供給し、民間銀行がそれを核とする信用創造を行うことを通じ、一般の個人や企業に預金通貨を供給するという二層構造となっています。また、銀行監督や預金保険制度などの整備によって、銀行預金などの様々なマネーが現金と等価であること――つまり、「1円は1円」であること――を確保する枠組みが整えられてきました。これは、「おかね」を広く供給する効率的な枠組みであると同時に、借り手に関する情報を収集・分析する機能に優れた民間銀行が一般の個人や企業に貸し出しを行ったり、預金通貨を供給したりすることには、民間イニシアチブによる経済への資金配分が実現されるというメリットがあります。
日本を含む多くの国では、CBDCを導入する場合でも、今述べたような利点を持つ二層構造を維持することが望ましいと考えています。一方、CBDCは、現金と異なり「かさばらない」という利点を持つがゆえに、預金からCBDCへの大量かつ急激な資金移動が生じ、二層構造に過度なインパクトを与えないかが懸念されます。こうしたことが生じないように、多くの国ではCBDCの保有額に上限を設けるといったセーフガードを取り入れることを検討しています。
第3に、データは足跡を残すということです。このような特性は、データの利活用の機会を生む点で、現金にはみられないものです。データの利活用は、消費者の利便性の向上や、新たな価値の創出による成長につながる可能性があります。また、このことにより、決済サービスと共存する電子商取引、SNSといったネットワークの魅力が重要性を増してもいます。
一方で、このことが、プライバシーに対する懸念を生むことも意識しなければなりません。もちろん、先ほど申し上げたように空間を超えた支払を容易に行えることは、マネーロンダリングなどの不正金融に使われる余地を増やす可能性もあるので、その対策も検討していく必要があります。そのうえで、日本銀行がアクセスできるデータを必要最小限にするなどの措置を通じ、プライバシーが保護される設計となることが必要不可欠です。
CBDCの検討で意識していること
わが国で一般利用型CBDCを導入するか否かは、国民的な議論を経て決まるべきものです。日本銀行では、そのような議論に資するよう技術面、制度設計面の検討を続けていますが、私たちが検討作業を行うにあたって常に意識していることを3点、申し上げたいと思います。
第1に、未来を描くことです。多くの国で引続きCBDCは、現実的なオプションのひとつとして検討されていますが、この議論の目的は、新たな技術の登場や、ステーブルコインなど新たな形態のマネーの登場といった環境変化も踏まえながら、「デジタル社会にふさわしい決済システムの将来像」を描くことである、ということです。その際には、今のところ問題がないとしても将来的にどのような問題が起こるか想像力を巡らせながら、グローバルな視点と日本の視点をうまくバランスさせて考える姿勢が必要です。
第2に、これまで現金や前述した二層構造が社会に提供してきた機能の尊重です。例えば、CBDCの設計がプライバシーを重んじ、それを用いる人々やその生活に敬意を持つものとなることは必要不可欠です。また、中央銀行と民間企業が発行する「おかね」との役割分担、そして民間企業が持つ資源配分やイノベーションの能力も尊重されるべきです。
最後に、デジタルという特性は、様々な価値を生む可能性を秘めています。CBDCによって人々や企業をいかに力づけ、CBDCがもたらし得る新しいエコシステムを築いていくことができるか、そうした意識から検討することも重要です。
おわりに
さて、今年のFIN/SUMのテーマは、「“幸福”な成長をもたらす金融」です。このテーマには、新たな技術を有効に活用しながら、経済の安定的・持続的な成長と人々の幸福を両立していきたい、という思いが込められていると伺いました。
日本銀行では、本日お話ししたCBDCについて昨年から「パイロット実験」を進めています。また、銀行間・企業間の大口決済の将来像については明日この会場でパネルディスカッションなどを行う予定であるなど、決済システム全体を意識してその将来像を描くための様々な取り組みを続けています。こうした取り組みを、「“幸福”な成長」につなげていくためには、皆様と対話させていただきながら、お知恵を拝借していくことが重要と考えております。ご協力よろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました。