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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営山梨県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 氷見野 良三
2024年8月28日

1.はじめに

本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。また、日本銀行と甲府支店への日ごろからのご協力に感謝申し上げます。

わたくしは富山県富山市の出身で、屏風のように聳える立山連峰を朝な夕なに仰ぎ見て育ちました。昨日当地に参りまして、南アルプスの姿に懐かしい思いがいたしました。武田信玄の「動かざること山の如し」という言葉も、実際に甲斐の山々を目にして思い起こしますと、動かないことの背後にある峻厳さが感じられ、風のように速く、火のように激しい、ということと、動かない山の峻厳さは表裏一体であるような気がいたしました。また、林も山も生きており、力に満ちた静けさなのだ、という印象を抱きました。

2.当面の経済・物価情勢

さて、まず、これから景気はどうなっていくのか、物価はどうなっていくのか、という点について考えてみたいと思います。

まず、景気ですが、コロナ禍からの回復のスピードが徐々に減速してきており、今年度については実質経済成長率0.6%を見込んでおります。ただ、年度半ばからは、賃上げから消費へ、高水準の企業収益から投資へ、といった前向きの循環が強まっていって、来年度、再来年度は1%程度の成長が続く、と見込んでいます(図表1)。

わたしどもは、潜在成長率と申しますか、いわば日本経済の成長の巡航速度を0%台後半あたりとみております。来年度・再来年度はそれをやや上回る程度の成長を見込んでいることになります。

次に物価です。わたしどもは消費者物価の上昇率2%を物価安定の目標としておりますが、一昨年度と昨年度には、世界的なエネルギー価格・食料価格の上昇の影響から、目標を上回る3%程度の上昇率となってしまいました。食料品など生活必需品の値上がり率は3%よりもさらに高く、家計にはご負担をお掛けしているわけですが、これも徐々に落ち着いていって、来年度・再来年度は目標に沿った2%程度の上昇率になると見込んでおります。

以上の見通しを整理いたしますと、来年度・再来年度は、物価安定の目標に即したインフレ率、巡航速度を少し上回る程度の成長という、バランスの良い状態をメインシナリオと考えていることになります。日本経済はバブル期には過熱し、バブル崩壊後はデフレ的な期間が続き、その後デフレからの完全脱却に向けて進展があったけれども、コロナ後は経済が落ち込み、次いで物価高に襲われ、どうもバランスの良くない状態が続いてまいりました。しかし、来年度あたりからは、とうとう長年目指してきたような状態が実現できるのではないか、とみているわけです。

では、本当に来年度以降、このような姿が実現するのでしょうか。

これまでのところ、物価については想定された道筋に沿って進んでいると考えております。また、今年前半の景気については、想定していたよりは弱めでしたが、自動車メーカーにおける認証不正問題などの一時的な要因が相当程度影響しているのではないかと考えております。

今後についても、見通しに沿った展開となることがメインシナリオだと考えていますが、さまざまなリスクシナリオも考えられるところです。以下ではその中から、「インフレ率は本当に下がっていくのか」と「下がりすぎて戻らなくなることはないか」の2点について考えてみたいと思います。

欧米との比較

第一に、インフレ率は本当に目標の2%に向かって下がっていくのでしょうか。欧米の人からよく言われるのは、米国や欧州では輸入物価ショックに対して厳しい金融引き締めで対応し、それでもまだ物価安定の目標よりも高い状況が続いている。日本は緩和的な金融環境を維持しているが、インフレを心配しなくていいのか、ということです(図表2)。

2020年半ばから22年半ばにかけて、日本にとっての輸入物価の上昇は、円安の進行の影響もあり、ドイツよりもずっと高く、米国とでは比較にならないくらい激しいものでした。他方、米国はエネルギーをほぼ自給でき、食糧については輸出国です。ドイツのエネルギーや食糧の自給率も日本よりは遥かに高いです。従って、日本にとって、国際資源価格の上昇のインパクトは、欧米よりずっと大きかったはずです。それなのに、インフレ率は、ユーロ圏では10%を超えましたし、米国でも9%にまで達したのに、日本ではピークでも4%でした。欧米の人からすれば、「金融引き締めもしていないのになぜだ」ということになるわけです(図表3)。

なぜでしょうか。消費者物価指数は、大きく分けると、財、サービス、家賃の価格から構成されています。まず、輸入物価の上昇が直接影響しやすい財の価格についてみてみたいと思います(図表4)。財価格は、2020年末以降の累積で、ドイツが26%、米国が20%、日本が16%上昇しています。輸入物価ショックが一番大きかった日本が、なぜ上昇幅が一番小さかったのでしょうか。

実際の財価格の累積上昇幅の動きを説明するために、産業連関表という統計を使って、特定の財を作るために直接・間接にどんなインプットをどれだけ使うのかを調べ、インプットの価格変化が仮にそのまま100%次々に転嫁されていって、即座に影響が出尽くしていたらどうなっていただろうか、という試算を行ってみました。非現実的な極端な仮定ですが、これと現実を比べることで見えてくるものがあるのではないかと思うわけです。

インプットの価格変化としては3種類考えてみました。まず、輸入エネルギーと輸入食料品の価格上昇の影響です。また、産油国である米国を念頭に、国産のエネルギーの価格も国際相場並みに上昇して、その分も転嫁されたと仮定した場合の影響も試算してみました。さらに、今度は逆に、輸入物価とは別の要因の代表として、この間の賃金の上昇が即座に100%転嫁されたと仮定しての影響も試算してみました(図表5)。

大変粗い試算であり、しかも機械的・静学的な試算ですので、結果の評価には注意が必要ですが、日本の場合、輸入物価上昇の激しさと自給率の低さを反映して、輸入エネルギー・食料品の価格上昇の影響が大宗を占める結果となりました。他方、米国の場合は、国産エネルギーの分と賃金増の分が大きいです。ドイツは日米の中間です。

さらに、当初米独では実際の財価格が即時フル転嫁に近い動きをしたのに対し、日本では転嫁に時間を要したことも見て取れます。価格転嫁に慎重だった日本企業の当時の行動様式や政府のエネルギー価格対策が激変緩和に繋がったのではないかと思います。

さらにドイツでは3つの要素で説明できない部分も大きくなっています。この部分が何なのかはよく分かりませんが、「ユーロ圏では企業が収益マージンを拡大する動きが物価を押し上げた」という分析や、「ドイツではサプライチェーンのボトルネックの影響が大きめだった」という分析もみられるところです1

いずれにせよ、日本は輸入エネルギー・食料品等の価格上昇のインパクトははるかに大きかったが、他の要因が小さかったため、全体での影響は米独より小さかった、という説明ができそうです。

次に、家賃を除くサービスの価格の動きについてみてみます。財よりも日米独の違いがずっと大きくなっています(前掲図表4)。サービスの提供に必要なコストの中心は賃金ですが、米国ではコロナ初期に失業者が2千万人近くも増加したので、コロナ後に労働者の復帰を促すために賃金の大幅な引き上げが必要になった、という面があると思います(図表6)。

また、先ほど申し上げた財価格の変動要因のうち、輸入エネルギー・食料品の価格上昇の影響は海外の輸出者への支払いとして流出する一方、国産エネルギー価格や賃金の上昇の影響は国内のエネルギー産業や労働者への支払いに還元されます。自給率が大きく違うので仕方がないのですが、一次産品価格変動により、日本は国民全体として巨大な所得減になったのに対し、米国はむしろ所得増でした。日本は交易条件が悪化したのに対し、米国は改善していました(前掲図表6)。交易条件の悪化は賃金にはマイナスに働くと考えられますので、日米独の賃金やサービス価格の動きの違いには、こうした点も影響しているのかもしれません。

さらに、日米独では家賃の動きが大きく異なりました。米国では消費者物価指数の3割以上を家賃が占めていますが、家賃がこの間急速に上昇しました。日本の家賃水準はこの間ごくわずかしか上がっていません。ドイツは日本よりは上がっていますが、米国ほどではありませんでした。消費者物価の動きの違いのうち、家賃の動きの違いで説明できる部分がかなりあります(前掲図表4)。

以上、日本では輸入物価ショックが大きかったのに消費者物価指数が米欧ほどには上がりにくかった理由を探ってみました。

  1. ユーロ圏企業の収益マージンの拡大とその物価への影響については、日本銀行「経済・物価情勢の展望」2023年7月のBOX3「今次局面における物価上昇の特徴とその背景:米欧との比較」を参照ください。ドイツにおけるサプライチェーン・ボトルネックの影響が先進国の中でも高めであった可能性については、Ben Bernanke and Olivier Blanchard, "An Analysis of Pandemic-Era Inflation in 11 Economies," Hutchins Center Working Paper #91, May 2024のFigure 8: Historical decompositions of inflationを参照ください。

賃金と消費

さて、日本でも2022年以降はサービス価格が緩やかな上昇を始めており、足元では財価格への賃金の波及分も拡大しています(前掲図表4・図表5)。他のデータも子細に見ていくと2、過去の輸入物価の上昇を起点とするコストプッシュ圧力が減衰する一方、賃金と物価の好循環による緩やかで持続的な力が働き始めていることを見て取ることができます。

では逆に、輸入物価上昇の影響が減衰していく一方、賃金と物価の好循環という持続的な力があまり育たず、インフレ率がいずれ2%をまた大きく下回って、そのまま戻ってこなくなってしまう可能性についてはどうでしょうか。これは、「基調的な物価上昇率」が2%に達しない可能性、と言い換えることもできます。

当面カギとなる点としては、海外経済の動向のほか、国内については、(1)賃上げが続くのか、(2)消費が腰折れせず、賃金上昇を価格に転嫁できる環境が続くのか、そして(3)最近の円高・株安といった金融資本市場の変動の影響はどうか、の3点が考えられます。国内関連の3点について、互いに関係する問題ではありますが、とりあえずひとつずつ見ていきたいと思います。

まず、賃上げに関する見通しです。今年度の賃上げは、春闘の結果が徐々に反映されてきており、労働需給の引き締まり、企業収益の改善などもあって、統計上も昨年を上回る給与の伸びが確認できるようになっています。

問題は、来年度以降も賃上げが続くかどうかです。中小企業の経営者の方々からは、「人材を引き留めるため、従業員の生活を守るために今年は賃上げを行ったが、価格転嫁は容易ではなく、収益的には苦しい」という声や、「まだ来年のことを考えられる状態ではない」という声も多いのは事実です。他方、「人手確保、特に若手の確保、また、従業員のモチベーション維持のため、今後も賃上げを続けていく必要があると感じている」といった声も広まってきています。賃金が毎年上がる時代になった以上、そのための原資を確保できるような価格設定に努める、生産性の向上を意識した設備投資に取り組む、事業ポートフォリオの再構築や他社との連携強化、M&Aなどに取り組む、といったコメントも聞かれるようになっています。

こうした中小企業の経営者の方々の声が示しているのは、変われるようになったことがもたらす機会もあれば、変わらなければならないことの苦しみもあるということだろうと思います。先日、地銀の頭取がたのお話を伺う機会がありましたが、「足元のお客様の状況をみると違いが大きくなっていて、全体の動きだけではとらえられなくなっている。景気の現状を『緩やかな回復が続いている』と一括りで語るのはますます難しくなっている。お客様のサポートの仕方もお客様の課題の違いに応じていろいろなやり方を工夫していかなければならない」といった趣旨のお話をされる方が何人かあり、それが印象に残りました。

また、消費が腰折れせず、賃金上昇を価格に転嫁できる環境が続くのかどうかも注意点の一つです。ハレの日消費や、こだわり分野では対価を惜しまないといった動きもみられますが、全体としては、消費者の節約志向が広まっている、というのは事実だろうと思います。

ただ、今後については、春闘の結果が実際の手取りに反映され、高めの夏のボーナス、所得税減税の効果、さらには昨年に比べれば物価上昇のペースも落ち着く、といったことが組み合わさってくるはずですので、メインシナリオは、消費は腰折れしない、という見方でいいのではないかと思います。ただ、物価上昇のペースが思うように落ち着かず、実質賃金の減少が続く結果となるリスクなどには注意していく必要があると思います。

最後に、最近の円高・株安といった金融資本市場の変動の影響です。これについては企業の方々からのお話をまだ十分にお聞きできていませんし、統計に反映されるのもこれからなので、今後よく分析していかなければなりません。ただ、一般的には、円安が修正された影響としては、輸入物価を通じた物価の上振れリスクがその分小さくなり、ひいては家計消費の先行きにもプラスに働きうるかもしれません。他方、円高がインバウンド需要に、株安が高額品消費に影響することも考えられます。

また、多くの中小企業にとっては、円安に伴うコスト上昇圧力が足元の円高でいくらか和らぐ面があるのではないかとも思います。他方、輸出産業や海外に大きく展開している企業にとっては、円高が円建ての収益を下押しするとも考えられますが、これらの企業が過去最高益を更新し続けている理由は決して円安の進行だけではなかったはずだと思いますし、現在の相場がこれらの企業が事業計画の前提としている想定為替レートから大きく外れているわけではないことにも留意すべきではないかと思います。株価の動きの心理的影響にも注意が必要ですが、自己変革を重ねてきた日本企業の強みは依然健在であり、相場の目先の動きに見方を左右されすぎないことが大切だろうと思います。

なお、以前は株安というと銀行への影響も気になったところですが、銀行の保有株式の量はかつてに比べればかなり小さくなっており、現時点では全体としてみれば健全性に大きく影響が及ぶとはみておりません。ただし、今回目算が外れた海外投資ファンドを経由してリスクが波及してこないかなども含め、よくモニターしていきたいと考えております。

  1. 2植田和男「賃金と物価の好循環と今後の金融政策運営――読売国際経済懇話会における講演――」(2024年5月8日)

3.日本銀行の金融政策運営

以上、輸入物価を起点とするコストプッシュの影響が小さくなっていく一方、賃金と物価の好循環が強まっていき、基調的な物価上昇率が2%に徐々に近づいていく、という姿をメインの見通しとしたうえで、リスクシナリオについても考えてみました。

では、メインの見通しのような道筋を実現するためには、金融政策はどのようにしていったらいいのでしょうか。わたしどもがいま進めているのは、長年続けてきた非伝統的な政策の手じまいと、伝統的な手段である短期の政策金利の調整の2つです。

非伝統的な政策手段の評価

バブルが崩壊して金融危機を経た後には、短期の金利をプラスの範囲で上げ下げするという伝統的なやり方では、経済の落ち込みを支えたり、物価が毎年下がる状態を食い止めたりすることが十分にはできなくなってしまいました。

このため、日本銀行は、1999年に非伝統的政策を世界に先駆けて導入し、その後も多くの手段を追加してきました。2022年には他の多くの諸国が非伝統的な政策から卒業しましたが、日本は今年の3月まで続けました。日本は、世界でも最も長期にわたり、最も幅広い非伝統的政策を行ってきたことになります(図表7)。

わたしどもは、昨年の4月から、こうした日本の経験について多角的な視点からレビューを行っています。日本銀行のスタッフや内外の研究者の実証分析では、各種の非伝統的な政策は景気や物価に対して一定の効果を有した、というのが概ね共通した結果です。

一方、非伝統的な手段は、金融機関の行動や金融市場の機能にゆがみを与えるといった副作用も伴いました。海外では、政策転換のタイミングの遅れに繋がった、という議論もありますし、出口に際して市場に混乱を生じた事例もみられました。

レビューに際しては、いろいろな論点に関する日本銀行のスタッフの論文をホームページに掲載しているほか3、内外の研究者や実務家の方々とのコンファレンスで議論を深めております。年内をめどに全体をとりまとめた結果を公表したいと考えておりますが、しかし、こうした研究や議論の積み重ねの上でも、まだよく分からない点も残っております。

例えば、強力な金融緩和による経済の後押しを長期にわたって続けた場合、「資源配分を歪め生産性を押し下げる」といった見方がある一方、「人的資本の蓄積等を通じて生産性にプラスに働く」といった議論もあります。こうした点についての実証分析はあまり進んでいないのが実情で、さらなる分析が必要だと思います。

また、非伝統的金融政策の波及経路についても、さらに考えてみるべき問題があるように思います。

わたしは、日銀に来るまでは、金融緩和で資金調達コストが低下すれば、家計や企業が借入によって消費や投資を行いやすくなるので、それが金融政策の主要な波及経路となるのだとイメージしていました。

しかし、2021年に日銀が行った点検の結果では、政策金利がゼロに達した後にとられた各種の金融政策については、「資金調達コスト低下を経由して経済を押し上げただけではなく、株価上昇や為替相場を経由しての波及も相応に大きな役割を果たしていた」と推計されています。しかも、資金調達コスト経由の波及についても、貸出量の増加の大宗が不動産関連のものだったことからすれば、この間の地価の安定やマンション価格の上昇と密接な関係があったことが推測されます。すなわち、プラスの金利を上げ下げしていた時代はともかく、いわゆるゼロ金利制約に直面していた時代の金融政策の波及については、株価や為替相場や不動産価格といった資産価格の変動による経路の役割もそれなりに大きかったらしいことが窺われるわけです。

資産市場はプロジェクト選別の場であり、経済の未来は資産市場がよいプロジェクトを選別できるか否かにかかっています。ゼロ金利制約下の金融緩和が資産市場を一定の方向に動かすことによっても効果を持つのだとすると、資産価格が置かれている状況に従って、金融緩和がもたらす意味合い、特に、資源配分の効率性や長期的な成長力に与える影響が異なってくるのではないかという気がいたします。

たとえば、量的・質的金融緩和が始まる前年である2012年の資産価格についてみてみますと、日経平均が8,000円台まで低下、ドル円レートは70円台まで円高が進行、東京都区部を含め全国で地価変動率がマイナス、と、おそらく異常といってもいいような状況にあったわけですので、翌年からの大規模な金融緩和には、結果としてそうした状況の修正に寄与したという追加的なメリット、いわば副効用とでも呼ぶべき面があったのではないかと思います。

その後、資産価格をめぐる環境は変化し続けているわけですが、その中で、金融緩和の意味合いは変わっていったのか、変わらなかったのか。こうした問題を考えるためには、資産価格のコンテクストと金融政策の機能の仕方の関係について、さらに分析が必要ではないかと思います。

以上のように、非伝統的な政策手段を用いて金融緩和を続けてきたことの効果と副作用については、ある程度分かってきたことと、まだ必ずしもよく分からないこととがあります。ただ、全体的な評価としては、「伝統的な手段が限界に達した時の備えとして、非伝統的な手段も道具箱には入れておかなければならないが、伝統的な手段で目的を達せられる場合には、あえて非伝統的な手段を動員するにはあたらない」というのが諸外国も含めた定説となっているように思います。

  1. 3金融政策の多角的レビューについてのウェブサイト:

    https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm

当面の政策運営

日本銀行は、3月に、先行き、2%の物価安定の目標が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断し、非伝統的な手段がその役割を果たしたと考え、マイナス金利政策をはじめとした各種の非伝統的な手段を終了いたしました。また、7月には、長期国債についても、金融市場において長期金利がより自由な形で形成されるよう、一定の予見可能性がある形で買入れ額を縮小していくことを決定いたしました(図表8)。以上の対応により、伝統的な手段である短期金利の操作を主たる政策手段としていくことが明確になったと考えます。

主役に復帰した短期金利の操作については、7月の会合で、経済・物価がこれまでの見通しに概ね沿って推移していることを確認し、それまでの0から0.1%程度から0.25%程度へと引き上げました(図表9)。7月の会合の公表文では、「政策金利の変更後も、実質金利は大幅なマイナスが続き、緩和的な金融環境は維持されるため、引き続き経済活動をしっかりとサポートしていくと考えている」と述べています。

現状、金融資本市場は引き続き不安定な状況にあり、当面はその動向を極めて高い緊張感をもって注視していく必要があります。また、内外の金融資本市場の動向が、経済・物価の見通しやリスク、見通しが実現する確度に及ぼす影響をしっかり見極めてまいりたいと考えております。

そのうえで、今後の金融政策運営については、そうした影響や、7月に決定した利上げの影響を見極めつつ、わたしどもの経済・物価の見通しが実現する確度が高まっていく、ということであれば、金融緩和の度合いを調整していく、というのが基本的な姿勢です。

2%の物価安定の目標のもとで、その持続的・安定的な実現という観点から、市場とも丁寧にコミュニケーションを取りながら、適切に金融政策を運営してまいりたいと考えております。

中立金利

さて、ここでよく聞かれますのは、「では、順調に見通し通りに進んだら、最終的にはどこまで政策金利を引き上げるのか」という質問です。経済も巡航速度、物価も物価安定の目標に沿っている、という状態になって、加速も抑制もする必要がなくなっていくとすると、緩和的でも引き締め的でもない水準の金利にしていけばいい、ということになります。学問的にはそうした水準を「中立金利」と呼んでおり、経済モデルを用いた推計方法も各種開発されています。日本銀行のスタッフも独自の工夫も用いながら様々な試算を行っています。

中立金利の概念は考え方の整理として貴重なものです。しかし、世の中には「中立金利の推計から自動的に政策金利の終着点が出てきて、そこから逆算して政策運営を進めればそれでよい」という見方もあるようですが、わたしはそういう風には思いません。

まず、終着点をどの程度特定できるかですが、中立金利の推計はどの推計方法を使っても幅を持った推計になり、そのうえ用いる手法によって結果が違うので、特定の数字をピンポイントで正解といえるわけではありません。しかも、日本の場合は過去30年間短期金利がほぼゼロだったわけですので、その間のデータをもとに今後の経済の反応度合いを判断することには特に注意が必要だろうと思います。

次に、逆算で途中の道筋を描けるかどうかですが、現実の経済は内外の様々なショックを受けながら常に不均衡のある状態から別の不均衡のある状態への変化の過程にあるわけですので、機械的に考えず、そこを踏まえて道筋を描く必要があります。

また、例えば政策金利が中立金利の水準に達したとしても、実際には金利を引き上げた結果そこに到達したのか、引き下げた結果なのか、引き上げや引き下げのスピードはどうだったのか、などにより、その時の企業や家計や金融機関の行動は違ってくる可能性があります。線型の経済モデルでは経路依存性はうまく表現できない場合が多いですが、現実の世界ではタイミングと手順次第で結果が変わります。「一定の金利の幅の中では企業や家計や金融機関の行動はあまり変化しないが、そこを超えると変わる」といったこともありうるのではないかと思います。

いずれにせよ、少なくとも当面の日本の政策運営については、中立金利の議論からそのまま当面の進め方の答が出るというわけにはいかないように思います。中立金利の推計の精緻化の努力は続け、その結果は参考にしつつも、政策運営を進めていく中で、実際の経済・物価の反応を分析しながら、道筋を探っていくしかないのではないかと思います。

4.おわりに

近年世の中の変化が目まぐるしく、また、いろいろな余裕も乏しくなる中で、どうしても目先のことを考えるだけで目一杯になりがちです。そうした毎日を送っていて、対極にある姿として思い起こすのは、当地の信玄堤のことです(図表10)。

御勅使(みだい)川の急流の力を、石積出しにより方向を変え、将棋頭(がしら)で分断し、十六石で抑え、もともとあった高岩に当て、さらに5つもの堤を並べて、もし水があふれても堤防の切れ目から川に戻すように工夫してあると承知しています。まるで信玄の軍略を見るようで、信玄が地形を利用しながら軍勢を配置する仕方もきっとこのようなものだったのではないかという気がします。最近の言葉でいえば、さまざまな想定外のシナリオにも対応できるような、レジリエンス重視の設計といってもいいのではないかと思います。

本日はできるだけ話を単純にするため、景気と物価をめぐる一つのシナリオを中心にしてお話いたしました。また、リスク要因についても、どちらかといえばこれまでの延長線上にあるような目先のリスクについていくつか触れるにとどまりました。地域の経済の将来を切り拓いていくためにも、日本の経済の将来を考えていくためにも、本来であれば、信玄堤を作った先人に学ぶくらいの気持ちでもっと大きな戦略性を持たなければならないだろうと思います。

本日は、わたくしが申し上げたようなテーマに限らずに、皆様が現在悩み、取り組んでおられる事柄についてのお話を幅広くお伺いできればと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。