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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策石川県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 高田 創
2024年9月5日

1.はじめに

日本銀行の高田でございます。はじめに、能登半島地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。能登半島地震から8か月程度が経ちましたが、今なお避難所での暮らしを余儀なくされ、厳しい生活を送られる方々がいらっしゃるなど、ご心配は尽きないと存じます。そうしたなか、本日は、石川県の行政、財界、金融界を代表する皆様と懇談させて頂く貴重な機会を賜りましたこと、誠にありがとうございます。皆様には、日頃から日本銀行金沢支店の業務運営に対し、ご支援、ご協力を頂いておりますこと、この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢や日本銀行の金融政策運営などについてお話しします。その後、復旧・復興に向けた取り組みを進める石川県経済の動向や日本銀行の業務・政策運営に対するご意見などをお聞かせ頂ければと存じます。

2.経済・物価情勢

経済・物価の現状です。海外経済は、総じてみれば緩やかに成長しています。図表1はIMFが本年7月に改訂した世界経済見通しです。米国経済は、既往の利上げの影響を受けつつも、個人消費を中心に緩やかに成長しており、先行きも継続するとみられます。欧州経済は、下げ止まりつつあり、先行きは緩やかに持ち直していくとみられます。中国経済は、不動産市場の調整の影響は続いているものの、政策面の下支えもあり、緩やかな成長が維持されるとみています。2024年の成長率見通しの変化をみると、米国を中心に過去1年程度上方修正が続いています。8月前半には、米国の雇用関係の統計公表を契機とした景気減速懸念を背景に、株式・為替相場の大幅な変動が生じましたが、足もとでは、落ち着きを取り戻しつつあります。私としては、米欧で引き締め的な金融政策運営が続いたなか、海外の経済・物価情勢をリスク要因として捉えたうえで、市場環境も含め極めて高い緊張感をもって注視する必要があると考えています。

わが国経済は、一部に弱めの動きもみられますが、緩やかに回復しています。図表2で家計部門をみると、物価高の影響から食料品などの非耐久財消費に弱さがみられます。一方、サービス消費を中心に底堅さは維持されているほか、足もとでは高めの賃金改定率となった春季労使交渉の結果が反映される形で賃金の伸び率も高まっています。企業部門では、6月短観において、良好な業況感が維持されるもと、今年度の設備投資計画は10%を超える高めの伸びとなるなど堅調な設備投資が継続している姿が確認されています(図表3)。物価面では、消費者物価(除く生鮮食品)前年比は、既往の輸入物価上昇を起点とする価格転嫁の影響が減衰してきているものの、賃金上昇等を受けたサービス価格の緩やかな上昇が続くもとで、足もとは2%台後半となっています(図表4)。

先行きについては、海外経済が緩やかな成長を続けるもとで、緩和的な金融環境などを背景に、所得から支出への前向きな循環メカニズムが徐々に強まることから、潜在成長率を上回る成長を続けるとみています。図表5で7月公表の展望レポートにおける経済・物価見通しをみると、実質GDP成長率は、政策委員見通しの中央値で2024年度+0.6%、2025年度+1.0%、2026年度+1.0%と予想しています。足もとで一部に弱さがみえる個人消費も、当面は物価上昇の影響を受けつつも、賃金上昇率の高まりなどを背景に緩やかに増加していくとみています。更に、ガソリン代の負担緩和策継続などの政府による施策も、個人消費を下支えすると考えています。

消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、2024年度+2.5%となったあと、2025年度+2.1%、2026年度+1.9%と、概ね2%程度で推移し、見通し期間後半には「物価安定の目標」と概ね整合的な水準で推移すると想定しています。今年4月時点の見通しと比べ、政府による施策の影響で2024年度が下振れる一方、2025年度が上振れていますが、全体としてみれば見通しが維持されています。

株式・為替相場の大幅な変動がありましたが、「物価安定の目標」実現がなお展望できる状況と考えており、その背景を改めて振り返ると、次の三つの段階を経て、企業の賃金・価格設定行動に変化が生じ、企業収益の改善と物価上昇に対応した持続的な賃金上昇による好循環や、根強く定着する賃金や物価は上がらないものと考える規範(ノルム)が漸く転換する変曲点を迎えたため、と捉えています。具体的には、図表6のように、第一段階として、2022年後半に海外発の原材料高のコストプッシュ――1つ目の「ビッグ・プッシュ」――で、財価格への転嫁が進みました。さらに、第二段階として、賃金上昇のコスト増加分――2つ目の「ビッグ・プッシュ」――の一部を、サービスを含む価格に転嫁する動きが生じています。今春の労使交渉での賃上げ率は5.1%と33年振りの水準となりました(図表7)。こうしたもとで、第三段階・最終段階として、予想物価上昇率は、緩やかながら着実に底上げされてきています。

足もとでは、2024年度に入って輸入物価が再び上昇しています。先行きの物価を展望するうえで、現時点の輸入物価上昇は、今申し上げた三つの段階を経た2022年以降のような価格転嫁をもたらす震度ではないとみています。もっとも、価格を据え置くとするノルムの転換が進んできていることもあり、従前より価格転嫁が進みやすく、下期に向け、価格引き上げの波が再び生じる可能性を、8月前半の円高進行も踏まえつつ、予断なく見極める必要があると考えています。また、2%を超える物価上昇が既に3年目となるなか、「物価安定の目標」の厳密な意味での実現と別に、家計を中心に「目標」実現が従前よりも意識されてきている点を認識する必要もあると考えています。

3.最近の金融政策運営

次に、金融政策運営に対する考えをお話しします。日本銀行は、今年3月の金融政策決定会合で、「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断し、金融政策の枠組みの見直しを行いました。イールドカーブ・コントロールの枠組みおよびマイナス金利政策といった大規模な金融緩和はその役割を果たしたことから撤廃し、短期金利の操作を主たる政策手段として、「物価安定の目標」のもとで、その持続的・安定的な実現に向けて、経済・物価・金融情勢に応じて適切に金融政策を運営することにしています。

更に、7月の金融政策決定会合で、市場参加者の意見も参考にしつつ、2026年3月までの国債買入れの減額計画を決定しました(図表8)。長期金利は金融市場において形成されることが基本であり、国債買入れは、国債市場の安定に配慮するための柔軟性を確保しつつ、予見可能な形で減額していくことが適切との考え方に基づき、相応の規模となる減額計画を策定したところです。ただし、日本銀行のバランスシート規模は大きく、今後もかなりの期間にわたってバランスシートの縮小を続けることが予測されるため、現時点では、最終的な国債保有残高やバランスシートをどこまで縮小するのが望ましいかを議論することは難しい点も指摘したいと思います。海外中央銀行が既に保有債券額の削減を進めてきており、こうした事例も参考にしていく必要があります。

加えて、主な政策手段である短期金利については、0.25%程度への引き上げを決定しました(図表9)。これまで示してきた経済・物価見通しに概ね沿って推移する一方、物価上振れのリスクに注意する必要がある状況を踏まえ、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現との観点から、金融緩和の度合いを調整することが適当と判断しました。政策金利を引き上げましたが、金融緩和度合いを評価するうえでは、実質金利と比較する対象となる自然利子率の把握が重要となります。もっとも、自然利子率は、現実の世界で直接観察できるデータではなく、様々な手法で推計した結果をみても大きなばらつきがあり、足もとの水準をピンポイントで把握することは極めて困難です(図表10)。ただし、こうした様々な試算結果と比べても、足もとの実質金利は自然利子率を下回っており、政策金利引き上げ後も、緩和的な金融環境はなお継続しているとみています(図表11)。

8月前半に株式・為替相場の大幅な変動が生じその影響が残存するだけに、当面はその動向を注視し影響を見極める必要があります。そのうえで、緩和的な金融環境が続くもと、私自身としては、先行きについても、物価が概ね見通しに沿って推移するもとで、堅調な設備投資や賃上げ、価格転嫁の継続など「前向きな企業行動」の持続性が確認されていけば、その都度、もう一段のギアシフト――金融緩和度合いの更なる調整――を進め、言わば「金利のある世界」にしていくことは必要だと考えています。ただし、自然利子率のピンポイントでの把握が困難なもと、「物価安定の目標」実現の時期に向けて一定の中立金利の水準を念頭に政策金利を引き上げていく訳ではなく、十分な時間をかけつつ、その都度、政策金利引き上げの経済・物価・金融情勢への影響を検証しながら対応するというアプローチが現実的ではないかと考えています。振り返ると、1970年代の変動相場制への移行後、先進国の金融政策スタンスとそれに対応する景気サイクルは概ね連動していましたが、足もと、内外の景気サイクルは異なります。米欧では利下げに向けた動きが生じていますが、これまでの利上げが急だっただけにその影響が時間を経て生じる場合、わが国の経済を下押しするリスクがあり、同時に、金融政策スタンスの違いから金融市場に変動が生じる可能性もあるだけに、当面は内外の動向を慎重に見守る必要があります。

4.バブル崩壊からの「過去・現在・未来」

今年の春以降、(1)約35年振りの株価の史上最高値更新や、(2)33年振りの5%を上回る賃上げ実現など、30数年振りの現象が話題となっています。私自身としては、バブル崩壊以降の歴史的な転換点を迎えていると考えており、大規模な金融緩和からの転換とも関連していると捉えています。こうした歴史的転換にいたるまでには予想以上に長期にわたる時間を要しました。以下、「企業行動」の変化を中心に、バブル崩壊からの転換について、「過去・現在・未来」の視点に分けて私見を述べたいと思います。

「過去」:バブル崩壊後の企業行動の転換とノルムの定着

まず、起点となる「過去」を振り返ります。わが国の経済成長率の推移をみると、1990年代以降、バブル崩壊とともに低成長が続きました(図表12)。成長率の低下には、人口動態など様々な要因が影響していますが、バブル崩壊以降に直面した環境変化に対応した企業の行動変化が大きいと考えています。具体的には、図表13に示されるような、大幅な資産デフレ環境のなかでバランスシート上の資産圧縮と投資抑制を通じた「持たない経営」の広がりと、損益計算書上における海外との競合環境を背景とする「リストラ経営」の拡大が指摘できます。個々の企業の立場からみれば、以上の対応は置かれた環境変化を踏まえた合理的な対応ではありましたが、マクロ的には、「合成の誤謬」で縮小均衡に陥りました。一方、家計では、デフレ環境のもと資産を現預金で保有することが合理的でした。今日、わが国家計の金融資産は約2,200兆円ですが、米欧と異なり、現預金が過半を占めるなど、リスク資産の保有を回避したこともリスクマネーに資金が集まらず、マクロの縮小均衡に繋がる影響をもたらしました。また、企業の「持たない経営」「リストラ経営」は、設備投資圧縮に止まらず、人的投資の抑制も相まって、わが国の潜在成長率を低下させたと考えられます(図表14)。

ここからは、企業の「持たない経営」に繋がった資産デフレについて、歴史的観点から確認します。1980年代、ピーク時には世界の株式市場の時価総額の半分近くをわが国が占めましたが、図表15で示されるように1990年代以降、株価は大きく下落したほか、不動産価格も低迷しました。バブル崩壊後にわが国が直面した危機の本質は、資産価格の下落(資産デフレ)にありました。国富でみたその震度は、バブル期ピークとボトムの比較で約900兆円とGDPの倍近い規模であり、第二次世界大戦時の国富の消失と比べても、バブル崩壊のインパクトの大きさが窺われます1。こうしたなか、実質自己資本が大幅に低下することで投資の抑制や有利子負債削減が進みました。また、バブル崩壊後の金融システムの問題に伴う資金調達への不安が、現預金を積み上げる企業行動にも繋がり現在も根強く影響が続いていました。

続いて、「リストラ経営」に繋がった海外との競合環境について振り返ります。第二次世界大戦後、日本は長らく、西側陣営の工場として世界貿易の追い風を享受しました。もっとも、1989年のベルリンの壁崩壊以降は、地政学的環境に転換が生じ、わが国の経済的な脅威論拡大から米国との通商摩擦が高まるとともに、1990年代以降、為替市場では急速な円高が進行しました(図表16)。こうしたもと、本邦企業は、半導体産業では生産シェア抑制を余儀なくされたほか、自動車など幅広い業種で海外への生産拠点のシフトが求められ、国内の産業空洞化に繋がりました。また、円高環境でも輸出価格を据え置いて価格競争力を維持し、国内では、リストラに向けた経営やマージンを圧縮しつつ従業員の賃金を上げない対応が定着し、その後も長期にわたって、原材料価格が上昇しても販売価格に転嫁せず、コスト削減によって吸収することが習慣化されました。賃金も価格も据え置くのが当たり前だとノルムとして定着した状況であり、実際にデフレ期と評される1990年代後半以降、長年にわたり賃金も物価も上昇率がほぼゼロで推移しました(図表17)。新たな需要創出といったプロダクト・イノベーションではなく、海外との競合上、販売価格を下げるためのプロセス・イノベーションに偏重したとの指摘も聞かれます。こうした点は、図表18のように、米国企業とは大きく異なり、本邦企業は、国内需要の低迷を背景に、企業の価格支配力が低下し、販売価格の抑制とマージンの縮小――経済学の言葉では、「価格マークアップの縮小」――が生じました2。同時に、企業は、賃金抑制傾向――「賃金マークダウン」――を強める、言わば「消耗戦」で収益を確保してきたことも示唆されます。

  1. 経済安定本部「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」に基づく国富の被害額(643億円)を、1944年度の国民総生産と比較すると、86%となる。
  2. 青木浩介、法眼吉彦、伊藤洋二郎、金井健司、高富康介(2024)「わが国企業における価格マークアップの決定要因と生産性への含意」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.24-J-11を参照。

「現在」:ノルムの転換の変曲点

こうしたなか、「現在」では、賃金や物価は上がらないものと考えるノルムが漸く変曲点を迎えています。この象徴的な変化の背景には、前段で触れたように、2022年以降の海外発の輸入物価上昇に起因したビッグ・プッシュ(前掲図表6)がありますが、加えて、バブル崩壊後の企業行動や家計行動の変化に繋がった資産価格低迷や海外との競合環境激化からの転換も指摘できます。すなわち、2010年代入り後、前掲図表15のように、株式や不動産市場を中心に資産価格が上昇したなど、バランスシート面で「持たない経営」に繋がった資産デフレは大きく改善しています。また、「リストラ経営」についても、同じく2010年代以降、損益計算書の面で海外との競合激化に繋がった為替の過度な円高進行が解消したほか、1990年前後とは大きく異なるわが国の地政学的な立場の変化から、熊本や北海道で半導体の国内生産が強化されるなど、経済安全保障の観点から日本に回帰する歴史的な動きも生じています。

他方、資産価格の改善や極端な円高からの反転はここ10年程度にわたって続きましたが、ノルムの転換は「現在」になって漸く見えてきた程度であり、転換には長い時間を要しました。バブル崩壊後に定着したノルムの根強さが窺われますが、その根強さをみる観点で、負の経験について1つの試算を紹介します。

図表19では、多くの人が就業すると考えられる22歳から、毎月一定金額を日経平均株価に投資したと仮定した場合の累積リターンを年齢別に示しています。過去10年余り株価上昇が続いたことから、20歳代や30歳代の世代は、マイナスを殆ど経験していない一方、40歳代・50歳代の世代は、バブル崩壊後の長期間の株価低迷から、就業してから半分近くの期間でマイナスを経験してきたことが確認できます。一例としての株価による試算ですが、現在、企業等の組織で中核を占める40歳代・50歳代の世代を中心に、長期にわたる負の経験、トラウマのような経験があったことが、その後、慎重化した企業行動の根強さの一因になっていると考えられます。加えて、こうしたノルムと化した根強い企業行動等の転換には、1つの世代を形成する10年単位(decade)と、予想以上に時間を要する可能性も示唆されます。同様に、予想物価上昇率の「適合的」な期待形成――図表20のとおり、日本は他国と比べてその度合いが高いことが確認できます――においても、ノルムが定着した期間が長いだけに、その慎重化した状況からの転換、上昇には当初の想定をはるかに超える時間を要したとの解釈もできると思います。また、変化は生じたものの、現在もまだ変わりにくいという二極化した面も残ると考えられます。

この点、2021年3月の「より効果的で持続的な金融緩和を実施していくための点検」では、金利低下が需給ギャップを改善させる効果の波及経路として、資金調達コストの低下を通じた経路に加え、金融資本市場(株価・為替)を通じた経路も大きな影響を与えていたことが示されています(図表21)。この結果から、日本銀行の金融緩和が、バブル崩壊後の企業行動の変化を招いた要因である資産デフレや円高も含めたいわゆる「六重苦」からの転換に貢献した可能性が示唆されます。私としては、ノルムの転換には1つの世代を形成する10年単位の時間が必要な可能性を踏まえると、日本銀行が長年にわたって粘り強い緩和姿勢を続け、資産価格の改善や極端な円高からの反転を支えたことが、バブル崩壊からの歴史的な変化となるノルム転換の変曲点を迎える「下地」となったと捉えています。前掲図表13に沿って改めてみると、バランスシート面では株式や不動産市場といった資産価格の改善が、損益計算書の面では為替の過度な円高進行の解消に加え、地政学的にも日本の産業立地がサポートされる環境となったことが寄与しています。また、過去のトラウマからの脱却には、大規模緩和以降の10年にわたる時間軸に加え、2022年以降、海外発の輸入物価上昇に起因したビッグ・プッシュもあり、2024年に漸く歴史的な30数年振りの転換という象徴的な変化が生じたと考えられます。

「未来」:前向きな企業行動が続くか

続いて、「未来」を展望したいと思います。「過去」のバブル崩壊後の企業行動の変化が、賃金や物価は上がらないものと考えるノルムの定着に繋がり、「現在」になってそのノルムが漸く変曲点を迎えていると捉えると、「未来」を考えるにあたっての注目点は、再び、前掲図表13に沿って改めてみて、将来にわたって前向きな企業行動が続くか、となるかと思います。もう一段のギアシフトに向けて、「前向きな企業行動」の持続性を挙げたのもこの考え方が背景です。

「前向きな企業行動」を判断するにあたっては、バブル崩壊後の企業行動が「持たない経営」と「リストラ経営」に代表されるだけに、こうした観点からの確認がポイントとなると考えています。すなわち、「持たない経営」の観点では、先行きの堅調な設備投資が挙げられます。この点、中小企業も含めて前向きな投資に踏み出す事例も生じています。中小企業は比較的担保に依存するという資金調達の構造から、不動産などの資産価格の上昇は、設備投資が進みやすく、収益環境の変化以上に企業活動に前向きなモメンタムを生み出す可能性もあるとみています。マクロでみて受取利息が支払利息を上回るほどに利払い負担が低下しているという企業の財務内容の良さもこうした動きを下支えするとみられます(図表22)。加えて、デジタル化やEV等電動化に向けた動き3や脱炭素に向けた世界的な取り組みなど、新たな社会への転換に向けた投資意欲が高まっている点も先行きを展望するうえでの注目点です。

「リストラ経営」の観点では、賃金や販売価格の引き上げ、マージンの確保などが挙げられます。この点、経営者は人的資本投資・賃金引き上げへの社会的要請の高まりを意識し、賃金や販売価格を据え置く行動原理が当然であるという考え方にも変化が生じています。実際に、多角的レビューの一環で実施したアンケートでは物価と賃金の緩やかな上昇を好ましいとする回答が7割を占めています(図表23)。中小企業や地域も含め、足もと増加が続く事業承継やM&Aなど、一定のイノベーションを促す力が働き出し、販売価格引き上げに向けた動きがみられ始めたと考えることも可能です4。加えて、前掲図表19でもみたように、バブル崩壊後の負の経験や縮小均衡を経験していない新たな世代の台頭は、これまで浸透してきた行動原理、ノルム等からの転換に繋がり得ると指摘できます。同時に、家計の資産運用も、従来の現預金中心からの変化が若い世代中心に生じると展望されます。

  1. 3日本政策投資銀行「2024年度設備投資計画調査」では、デジタル化の加速を受けて、EVや半導体関連の能力増強投資が拡大するなど、2024年度の設備投資は高めの伸びとなる計画が示されている。
  2. 4「令和5年度 年次経済財政報告―動き始めた物価と賃金―」では、「経済産業省企業活動基本調査」の調査票情報を活用して、研究開発や人的資本など、無形資産への投資はマークアップ率とプラスの関係性があることを確認している。

「真の夜明け」となるか

バブル崩壊後の30年強の間、日本経済はいくつかの「偽りの夜明け――経済の一時的な回復――」5を経験してきたことも事実です。2000年前後、日本では回復期待が高まりましたが、その後、海外のITバブル崩壊もあり、回復は頓挫しました。その後、2000年代半ばにかけてミニバブルとされた高揚期もありましたが、海外でのリーマンショックの影響もあり、回復は途切れ、「偽りの夜明け」を繰り返しました。「未来」を展望するにあたって、改めて「持たない経営」「リストラ経営」の観点からいくつかの過去の回復局面――海外発のショックによる影響を受けた部分が大きいですが――を振り返りたいと思います。

まず、2000年前後の回復局面については、銀行部門の不良債権処理が未了であったもと、企業部門のバランスシート調整も完了していない、すなわち「持たない経営」が継続したままであり、前向きな設備投資が不足していたと捉えられます。また、2000年代半ばの回復局面では、企業や銀行部門のバランスシート調整は一巡していましたが、バブル崩壊後のトラウマのような経験が根強く残るもと、「リストラ経営」から脱出することができず、賃金や価格が据え置かれた状況が継続したと解釈できると思います。このように、何回か海外からの追い風で回復局面を迎えながらも、結局は「偽りの夜明け」に終わり、「真の夜明け」6は実現されなかったと言えます。

一方、足もとは、バランスシート調整に目途が付いたなか、ビッグ・プッシュに加えて、10年以上も続く追い風――資産価格低迷や海外との競合環境激化からの転換――を背景に、「持たない経営」と「リストラ経営」の両者から脱却し、長年のノルム、トラウマからの脱却が生じ「前向きな企業行動」の持続が漸く期待できる状況になったと言えます。私としては、「真の夜明け」が、「これまでとは違って(This time is different)」、本当に実現していくか、状況を注視していきたいと思います。前段で触れたとおり、「金利のある世界」を展望しているのも、こうした歴史的な転換を背景としています。ただし、過去を振り返っても海外発のショックが制約になったことが繰り返されてきただけに、海外経済や市場動向には十分留意する必要があるとも考えています。

  1. 5白川方明(2009)、「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応――ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳――」。

    https://www2.boj.or.jp/archive/announcements/press/koen_2009/ko0904c.htm

  2. 6中曽宏(2017)、「日本経済の底力と構造改革――ジャパン・ソサエティおよびシティ・オブ・ロンドン・コーポレーションの共催講演会における講演の邦訳」。

    https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2017/ko171005a.htm

バブル崩壊後のバランスシート調整――「国債」の視点から――

ここまで「企業行動」に着目しバブル崩壊以降のバランスシート調整をみてきましたが、「国債」という視点からもバブル崩壊以降を振り返りたいと思います。

前掲図表13で示した企業による資産・負債の圧縮――バランスシート調整――は、不良債権処理を進める過程で金融機関が損失を負担し、公的資金注入に繋がりました。加えて、経済全体の低迷を受け、財政支出が拡大傾向をたどり、国債発行残高の増加にも繋がりました。すなわち、この間の国債増加とはバランスシート調整を行う過程で、民間の過剰債務の負担を政府が肩代わりすることで生じた――言わば、「身代わり地蔵」――と評することができると思います。2000年代初には民間部門の過剰債務問題や金融システムの問題の目途がつきましたが、こうした観点から、バブル崩壊後の調整は、日本全体のバランスシート調整とも表現できるかと思います。バランスシート調整に伴う企業部門の資金需要低迷から、金融機関の国債保有も拡大し、2000年代においては国債の4割程度を預金取扱機関が保有していました(図表24)。

その後、日本銀行は、「物価の安定」が課題となるなかで、大規模な金融緩和を実施してきました。金利低下が需給ギャップを改善させる効果の波及経路として、金融資本市場を通じた経路も大きな影響を与えていたことも示されています(前掲図表21)。前掲図表13で示された企業のバランスシート調整を円滑に進める観点から、一定の時間をかけイールドカーブを押し下げることで前向きな企業行動に向けたサポートとなったと考えられます。こうした国債買入れプロセスのもと、預金取扱機関から日本銀行に国債保有がシフトし、足もとでは日本銀行が国債の半分近くを保有しています。この点、金融機関が有していた金利リスク量の多くを日本銀行が抱える状況となっており、日本銀行が「物価の安定」を実現するために実施してきた大規模な金融緩和は、結果として、バランスシート調整――言わば、資産デフレを起点とした日本全体のバランスシート調整――プロセスの最終的段階を金融面から時間をかけて支えた側面もあったと評価できると思います。

前段のとおり、7月の金融政策決定会合で国債買入れの減額計画を決定しました。現状、金融緩和の効果が大きく変化することはないと思いますが、イールドカーブ・コントロールによって緩和効果を追求していた時点からは大きな転換を意味します。同時に金融面からは、これまで日本銀行が保有していた国債の残高が減少し、民間セクターの残高が増加するプロセスとなるため、国債買入れの減額局面において、財務面も含めて、民間(含む金融機関)、政府、日本銀行の状況を注視していくことが重要だと思います。国債買入れの減額は事実上の市中への国債発行増加と同じような効果をもたらすと捉えることもでき、今回の減額により、歴史的な点からも有数の大量発行局面を迎えるとの見方もできます。それだけに、今後の国債保有構造の在り方を念頭に、中長期的観点から新たな市場構造が幅広く議論されることも必要だと思います。その際、市場参加者を取り巻く前提となる環境を踏まえた議論も重要です。日本銀行として、普段のコミュニケーションはもとより、債券市場参加者の会合などを活用して市場参加者の意見をお聞きするなど、新たな環境に対処して市場との対話に努めるほか、内外市場や投資家動向を丁寧にモニタリングして参りたいと考えています。

5.石川県経済について

最後に、石川県経済について、お話しさせて頂きます。能登半島地震からの復旧の途上にあるものの、回復に向けた動きがみられています。足もとの生産については、被災した設備の復旧が進み、現時点では、電子部品や化学、繊維等の主だった工場の生産量は、概ね震災前のレベルにまで持ち直してきています。

当県の特徴として、伝統を重んじつつ、それらを発展的に変容させ、付加価値を高めていく点を挙げることができると思います。例えば、地場産業として栄える機械工業や繊維業は、明治時代の鉱山開発や産業振興を興りとし、現在では、建設機械では、情報通信技術を活用した製品で世界的な需要を取り込んでいるほか、繊維業では、高性能な素材により世界的ブランド企業とも取引を有するなど、今やその高い技術力は世界に認められているところです。このほか、電子部品では、ニッチトップ企業が数多く存在し、国内外の電子部品の供給を担う拠点となっているなど、わが国経済において重要な地域となっています。さらに、こうした企業を、重厚な調達先、効率的な物流、生産性の高い労働力など、地域全体で下支えする仕組みが構築されているのが印象的です。

さて、年初に地震に見舞われた能登地方についてですが、私自身、今回、輪島、和倉、能登町など被災地を訪問し、被災地の現状を拝見するとともに、復興にご尽力されている方々から様々なご意見を伺いました。能登地方は、輪島塗や珠洲焼などの伝統文化や自然、人々の生活様式が「能登の里山里海文化」として一体的に形成された特色ある地域で、2011年には世界農業遺産に登録されています。里山・里海で育まれた産業は相互に関係しており、不要資源を、肥料等で再利用するなど、持続可能な自然資源の利活用が行われています。古くから現在のSDGsの考えに通じる生活様式が実践され、自然や人、文化との多様な繋がりが今日まで存続している点が世界でも評価されているものと思います。

そうした良い面を維持していくためにも、まずもって地震からの復旧・復興を一日も早く実現することが重要です。この点、7月1日に「能登創造的復興タスクフォース」が設置されましたが、復旧・復興が一段とペースアップしていくことはもとより、より良い社会基盤の構築が進められていくことを期待します。

この間、石川県も他県と同様に、人口減少や少子高齢化が進む下で、中小企業を中心に人手不足や後継者不足が大きな課題となっています。この点、県内の金融機関では、デジタル技術を活用した中小企業の業務効率化支援を通じ、地域の生産性向上に貢献しているほか、石川県信用保証協会では、企業の強みを販売価格に反映させる取り組みを通じ、企業価値の見える化を支援することで事業継続意欲の維持に努めています。また、石川県産業創出支援機構では、各機関と連携して事業承継に関する相談会を開催するなど、県内一丸となった取り組みが進められております。

能登半島地震からの復旧・復興や人口減少への対応など、石川県が直面する課題は決して容易なものではありませんが、石川県の特性とも言える、環境の変化に応じて付加価値を高めながら新しいものに変容させていく力や、北陸新幹線による経済効果を復興の下支えの力とし、当県がさらに発展していくことを祈念して、ご挨拶といたします。