【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策秋田県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 中川 順子
2024年9月11日
1.はじめに
日本銀行の中川です。本日は、秋田県の行政および金融・経済界を代表される皆様との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様には日頃より、秋田支店の円滑な業務運営に多大なご協力を頂いておりますこと、この場をお借りして御礼申し上げます。また、7月の記録的大雨の被害を受けられた方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
本日は、最初に私から、経済・物価の現状と先行き、日本銀行の金融政策運営などについてご説明させて頂き、その後、皆様から当地の実情に即したお話や、日本銀行の政策・業務運営に対するご意見をお伺いできればと存じます。
2.経済・物価の現状
(1)海外経済の現状
はじめに、海外経済の現状についてお話しします(図表1)。企業のグローバルな景況感をみますと、製造業は、改善・悪化の分岐点である50を上回ったのち、足もとでは若干下回っていますが、AI関連を中心とするIT関連需要の持ち直しに支えられ、分岐点付近で推移しています。サービス業の業況感は改善しています。IMFの成長率の見通しは、2024年に3.2%、2025年に3.3%です。コロナ禍前と比べると高い水準ではありませんが、これは概ね1980年以降の平均的な成長率と同じ程度の成長率です。
主要国や地域の状況について、ごく簡潔に説明させていただきます。国・地域や業種によって改善のペースに相応のばらつきはありますが、総じてみれば世界経済は緩やかに成長しています。米国は、Fedによる既往の利上げの影響を受けつつも、個人消費を中心に、緩やかに成長しています。中国は、不動産市況の影響は続いているものの、政策面の下支えもあって緩やかに改善しています。中国以外の新興国・資源国は、輸出に持ち直しの動きがみられており、総じてみれば緩やかに改善しています。
(2)国内経済の現状
続いて、国内経済の現状についてご説明します。まず、国内経済は、一部に弱めの動きもみられますが、緩やかに回復していると評価しています。輸出や鉱工業生産をみますと、一部自動車メーカーの生産・出荷停止の影響は解消に向かっており、横ばい圏内の動きとなっています。以下では、企業部門と家計部門に分けて説明させていただきます。
企業部門
まず、企業部門です(図表2)。企業収益は、改善しています。法人企業統計の全産業全規模ベースの経常利益は、自動車の生産・出荷が再開に向かうもとで、価格転嫁の進展や、円安に伴う営業外収益の増加などを受けて増益となり、比較可能な1985年4から6月期以降で最高水準です。企業の景況感も良好な水準を維持しています。日銀短観の6月調査の結果をみますと、原材料価格・仕入価格の上昇の影響や、人手不足や人件費上昇の影響のほか、物価上昇による消費者の節約志向の高まりの影響などもみられましたが、価格転嫁の進展や、円安に伴う収益の増加などに支えられ、製造業・非製造業ともに業況感は概ね維持されています。
設備投資は、企業収益が改善するもとで、緩やかな増加傾向が続いています(図表3)。これは、国内でのデジタル化・省力化関連投資などに牽引されています。建設投資では、一部に建設資材高を背景に投資計画を先送りする動きもあり、足もとでは横ばいの動きとなっていますが、2024年問題などに伴う物流施設の建設や、比較的規模の大きな都市再開発案件などがみられるなか、工場の新設・増設などもあって、先行指標はこのところ増加傾向にあります。こうしたもとで、6月短観における2024年度の設備投資は、前年比+10.8%と、例年比でみても高めの増加計画となっています。
輸出と鉱工業生産は、横ばい圏内の動きです(図表4)。直近の動きとしましては、1から3月期は、一部自動車メーカーの生産・出荷停止の影響などから減少し、そうした影響が解消に向かうもとで、足もとでは増加しています。実質輸出について、地域別・財別にみます(図表5)。地域別では、米国向けは振れを伴いつつも高めの水準で推移しており、欧州向けは、自動車や資本財を中心にこのところ減少してきましたが、足もとでは自動車が反発しています。中国向けは、緩やかに持ち直しているとみていますが、足もとでは半導体製造装置などが減少しています。NIEs・ASEAN等向けは、グローバルなIT関連財の在庫調整の進捗に伴い、足もとでは増加しています。財別では、自動車関連は、自動車の生産・出荷停止の影響が解消に向かうもとで、持ち直しています。資本財は下げ止まった後に横ばい圏内で推移しています。情報関連は、IT関連財の在庫調整の進捗などの動きがみられています。一方、化学製品等の中間財は、アジアを中心とした供給過剰感などを受けて低めの水準で推移しています。
家計部門
続いて、家計部門について、個人消費と雇用・所得環境を中心にお話しします。
まず、個人消費です(図表6)。これまで、所得の増加期待から消費者マインド指標は改善を続けてきましたが、足もとでは、物価高による消費者の節約志向の強まりや先行きの物価上昇への懸念などを受けて、ひと頃より幾分悪化した状態となっています。各種の販売・供給統計を合成した消費活動指数では、食料品や衣料品等で物価高の影響がみられていますが、自動車販売の持ち直しや、猛暑を受けたエアコン販売の好調に加え、富裕層の高額消費の強さなどもあって、底堅く推移しています。
雇用・所得環境の動向については、緩やかに改善していると判断しています。就業者数は、コロナ禍後、正規雇用・非正規雇用のいずれも、振れを伴いつつも、緩やかな増加傾向にあります(図表7)。正規雇用においては、人手不足感の強い情報通信等、非正規雇用においては、卸・小売や対面型サービス等の業種が増加の中心です。名目賃金は、春季労使交渉の結果や特別給与の増加を反映して、はっきりと増加しています。特に、足もとでは、特別給与の高い伸びを受けて、実質賃金の前年比がプラスに転じています。また、所定内給与をみても、昨年をさらに大きく上回るベースアップ率となった春季労使交渉の結果が反映されていることに加え、昨年の最低賃金の引き上げもあって、高めの伸びを続けています。
なお、追加的な労働供給の余地――生産年齢人口と就業者数の差――は、縮小していくとみられています(図表8)。背景には、人口動態の変化と、これまで女性や高齢者の労働参加が相応に進んできていることがあります。このため、今後は、労働需給の引き締まりが進むもとで、賃金の上昇圧力が働きやすくなっていくと考えられます。そこで、企業の賃上げ余力をみるために、付加価値に対する人件費の割合である労働分配率に注目すると、中小企業は大企業と比べて労働分配率が高く、賃上げ余力が小さいことが想定されます。しかし、労働分配率が高い企業について、規模別に賃上げ率をみますと、中小企業でも、販売価格を引き上げる見込みのある先では、賃上げに前向きである傾向がみられます。所得から消費への好循環の観点から、中小企業や小規模企業に、価格転嫁による収益改善の動きと持続的な賃上げが広がっていくか、今後も丁寧に確認していくことが重要であると考えています。
(3)国内物価の現状
続いて、国内の物価についてです(図表9)。消費者物価の除く生鮮食品の前年比は、2%台後半の伸びとなっています。国内企業物価の夏季電力料金調整後の前年比は、上昇しています。これは、原材料費や人件費等のコストの上昇を価格に転嫁する動きに加え、電気・ガス代の負担緩和策の縮小の影響によるものです。企業向けサービス価格の前年比は、人件費上昇等を背景に足もとでは2%台後半のプラスと高めの伸びを続けています。消費者物価の除く生鮮食品・エネルギーの前年比の内訳を、一時的な要因の影響を除いてみますと、全体として、プラス幅は縮小傾向です。一般サービス等では人件費を価格に転嫁する動きが幅広くみられていますが、特に、財に対する原材料コスト転嫁圧力がひと頃よりも減衰しています。なお、今後の物価を取り巻く環境に目を向けると、輸入物価の上昇による消費者物価の上振れに注意する必要があると考えています(図表10)。ひと頃より商品市況や一方的な円安の動きは落ち着いてきていますが、これまでの輸入物価の上昇が消費者物価に時間差を伴って影響する可能性があります。また、海外経済に労働需給のひっ迫による賃金の上昇圧力が残存するもとで、海外のインフレが長引き、輸入物価の上昇圧力となる可能性もあります。このほか、地政学リスクに伴う不確実性もあります。そのうえで、後ほど改めて触れますが、内外の金融資本市場の動向が物価に及ぼす影響についても、注視していく必要があると考えています。
3.経済・物価の先行き見通しとリスク
(1)経済・物価の先行き見通し
続いて、国内の経済・物価の先行き見通しについてお話しします(図表11)。
7月の金融政策決定会合で決定した「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)において、実質GDP成長率の見通しは、政策委員の中央値で2024年度は+0.6%、2025年度、2026年度は+1.0%となっています。
国内経済は、海外経済が緩やかな成長を続けるもとで、緩和的な金融環境等を背景に、所得から支出への前向きの循環メカニズムが徐々に強まることから、潜在成長率を上回る成長を続けると考えています。
企業部門では、海外経済が緩やかな成長を続けるもとで、輸出や生産は増加基調に復していくとみています。家計部門では、景気回復の過程で雇用は増加を続けますが、先ほど申し上げた通り、今後は追加的な労働供給がより見込みにくくなり、労働需給が引き締まることで、賃金の上昇率は、物価上昇も反映するかたちで基調的に高まっていくとみています。こうしたもとで、個人消費は、当面は物価上昇の影響を受けつつも、賃金の伸びの高まりを背景に緩やかに増加していくとみています。ガソリン代の負担緩和策の継続や、電気・ガス代の緊急支援、所得税・住民税の減税といった政府の支援策も、当面の個人消費を下支えすると考えています。
同じく展望レポートにおける生鮮食品を除いたベースの消費者物価の見通しは、政策委員の中央値で、2024年度は+2.5%、2025年度は+2.1%、2026年度は+1.9%となっています。生鮮食品とエネルギーを除いたベースでは、2024年度、2025年度は+1.9%、2026年度は+2.1%となっています。
これまでみられてきた輸入物価の上昇を起点とする価格転嫁の影響は減衰していくと考えていますが、生鮮食品を除いたベースの消費者物価については、2025年度にかけて、政府による施策の効果とその反動等の影響を想定しています。景気回復に伴ってマクロ的な需給ギャップが改善することに加え、賃金と物価の好循環の強まりに伴って中長期的な予想物価上昇率が上昇していくことで、消費者物価の基調的な上昇率は徐々に高まり、見通し期間の後半には「物価安定の目標」と概ね整合的な2%程度の水準で推移すると考えています。
(2)経済・物価見通しにおけるリスク
これまでお話しした通り、わが国の経済は、高水準の企業収益に支えられ、賃金と物価の好循環が展望できる状況にあると考えています。もちろん、こうした経済・物価の先行きの見通しについては、様々な不確実性が存在します。以下では、私が特に注目する経済・物価見通しにおけるリスクについて3点お話しさせていただきます。
リスクの1点目は、物価の上振れリスクです。先ほど、海外のこれまでの大幅なインフレと円安による輸入物価上昇の影響は徐々に減衰していくとの見通しをご説明しました。もっとも、先ほど申し上げたいくつかの要因などにより、今後、輸入物価が再び上昇に転じる場合には、価格転嫁が積極化する可能性があります。また、労働需給のひっ迫の影響で賃金が上振れる可能性もあり、賃金や物価が「物価安定の目標」を超えて上昇するリスクには注意が必要です。
一方で、2点目は、海外経済の下振れリスクです。高水準であった米欧の物価上昇率は、このところ着実に低下してきていますが、既往の利上げの影響が、時間をかけて実体経済や金融面にどのように及ぶかには不確実性があります。また、先月初には、米国経済の減速の可能性を示唆するデータをきっかけとして、急激な景気後退――ハードランディング――を意識した市場の動きがありましたが、こうした海外経済の減速懸念を背景にした金融市場の過度な動きや調整が続き、それが海外経済をさらに下押し、わが国経済に波及するリスクにも注意が必要です。
3点目は、消費者マインドの改善の遅れが、所得から支出への前向きな循環を阻害するリスクです。これまで、食料品、日用品など身近な品目の価格上昇率が相対的に高かったことや、実質所得の伸びがマイナスとなったことなどから、家計部門では生活防衛的な動きがみられています。足もとで実質賃金の前年比がプラスに転じるなど、所得環境が改善していることや、企業努力、政府による様々な施策の効果もあり、個人消費には底堅さがみられますが、これまで実質所得のマイナスが長期化したことが今後の消費者マインドの改善の重しとなる可能性もあり、丁寧に確認していく必要があると考えています。
4.日本銀行の金融政策運営
続いて、日本銀行の7月の金融政策決定会合での決定内容について、私自身の考えをもとにお話しさせていただきます。
1つ目は、金融市場調節方針についてです(図表12)。政策金利である無担保コールレート・オーバーナイト物の誘導目標について、従来の「0から0.1%程度」から「0.25%程度」へと変更しました。会合では、わが国の経済・物価は、これまで展望レポートで示してきた見通しに概ね沿って推移していますが、足もとで輸入物価が再び上昇に転じるなど、先行き、物価が上振れるリスクに注意する必要があるとの見方を示しました。こうした状況を踏まえ、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現の観点から、政策金利を変更し、金融緩和の度合いを調整することが適切であると判断しました。なお、政策金利の変更後も、実質金利は大幅なマイナスの水準に止まり、緩和的な金融環境が維持されることから、引き続きわが国の経済活動をしっかりとサポートしていくと考えています。
2つ目は、長期国債買い入れの減額計画についてです(図表13)。これまで月間6兆円程度としてきた国債買入れについては、月間の買入れ予定額を原則として毎四半期4,000億円程度ずつ減額し、2026年1から3月に3兆円程度とする計画を決定しました。日本銀行としては、長期金利は金融市場において形成されることが基本であり、国債の買入れは、国債市場の安定に配慮するための柔軟性を確保しつつ、予見可能な形で減額していくことが適切であると考えています。来年6月の決定会合では、減額計画の中間評価を行う予定としています。今回の減額計画を維持することが基本となりますが、この中間評価で、国債市場の動向や機能度を点検したうえで、必要と判断すれば、計画に修正を加えることもあり得ます。同時に、2026年4月以降の国債の買入れ方針について検討し、その結果も公表する予定です。なお、これまでと同様ではありますが、長期金利が急激に上昇する場合には、毎月の買入れ予定額にかかわらず、機動的に、買入れ額の増額や指値オペ、共通担保資金供給オペなどを実施します。また、必要な場合には、金融政策決定会合にて減額計画を見直すこともあり得ると考えています。
今後の金融政策運営は、先行きの経済・物価・金融情勢次第ではありますが、現在の実質金利が極めて低い水準にあることを踏まえると、先行き日本銀行の経済・物価の見通しが実現していくとすれば、2%の「物価安定の目標」のもとで、その持続的・安定的な実現の観点から、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。
7月の決定会合後、8月初旬に公表された米国の雇用統計において失業率の上昇などがみられたことをきっかけとして、米国の景気減速懸念から、世界的に急速なドル安と株価の下落が生じました。
先ほど申し上げた通り、わが国企業の収益は歴史的な高水準にあるなど、この間、わが国経済のファンダメンタルズに大きな変化は無いと考えていますが、先行き、金融緩和の度合いの更なる調整を検討するに当たっては、7月の政策変更後の市場の動向を振り返りつつ、金融市場の変化が経済・物価の見通しに及ぼす影響――例えば、市場機能や企業の資金調達行動の変化が見通しの実現する確度やスピードに与える影響――について、これまでと同様に、丁寧に評価を行い、判断をしていく必要があると考えています。
5.秋田県経済について
最後に、秋田県の経済について、秋田支店を通じて得た情報も踏まえつつお話ししたいと思います。
最近の秋田県経済は、回復の動きが一服しています。雇用・所得環境は緩やかに改善していますが、個人消費は、消費者の節約志向の強まりから回復の動きが一服しています。この間、生産は、品目ごとのバラつきを伴いつつも、全体として緩やかに増加しているほか、設備投資は、能増投資や脱炭素関連の投資などから高水準で推移しています。先行きについては、賃上げや観光需要の高まりが個人消費に及ぼす影響に加え、賃上げや設備投資の今後の持続性の観点から、中小企業における価格転嫁の進展についても、注意深くみていく必要があります。
そうした中、秋田県は、人口減少が全国一の速さで進むなど、課題先進県ともいわれますが、足もと大きな変化の兆しを感じています。
その一つが、再生可能エネルギーの分野での取り組みです。秋田県は、風力発電や地熱発電では全国のトップランナーです。中でも洋上風力発電については、2022年末に、港湾区域での大規模商業運転が全国で初めて開始されたほか、一般海域では4案件の発電事業者が決まり、現在、各種の準備が進められています。その先には浮体式洋上風力発電の実証実験も予定されています。そうした電力の供給側の動きに止まらず、発電した電力を県内で消費するための再エネ工業団地の整備や、水素等代替エネルギーへの変換と活用に向けた検討が始まっています。また、電力を需要地に送るための大容量の送電設備の建築計画も、陸海両方で進んでいます。こうした一連の動きに対し、県内の企業も参入の動きを徐々に強めており、電力の供給側のみならず、電力の需要側や、インフラ関連、個人消費関連を含め、様々な領域で秋田県経済の需要創出に繋がり始めています。今後、再生可能エネルギーに関連して生じてくるビジネスの機会を着実に捉え、それが秋田県経済の大きな柱へと成長していくことを期待しています。
また、秋田県では、最近、県内外の若者などによる新しいビジネスの立ち上げが増えており、行政や金融機関はもとより、先輩企業が様々な支援を行っています。そうした新しい企業の中には、高齢化や一次産業の担い手不足、若者世代の県外流出など、これまで秋田県の課題とされてきた点に着目して事業を展開・拡大するケースもみられます。秋田県でこうした変化が生じ始めていることは、持続可能な地域社会の実現に向けた可能性を感じさせるという意味でも、大変注目しています。
日本銀行としましても、引き続き秋田支店を通じて当地の金融経済の動向をきめ細かく把握・分析し、地域経済のさらなる発展に貢献していきたいと考えています。ご清聴ありがとうございました。