このページの本文へ移動

【講演】 決済の未来と中央銀行の役割 FISC創立40周年記念講演会における講演

English

日本銀行総裁 植田 和男
2024年12月4日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。本日は、金融情報システムセンター(FISC)創立40周年記念講演会でお話しする機会を頂き、大変光栄に存じます。1984年の創立以来、わが国における金融情報システムの安全性の向上、金融サービスの高度化と効率化に多大な貢献を果たしてこられたFISCの活動に敬意を表するとともに、この度、40周年を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。

本日は「決済の未来と中央銀行の役割」をテーマにお話ししたいと考えています。はじめに、通貨・決済システムの発展の歴史を振り返り、環境変化や技術革新に対応しながら、どのように決済システムの安全性と効率性・利便性を共に向上させてきたのか、という点について歴史的な教訓や示唆を得たいと思います。そのうえで、現在、我々が直面している経済活動のデジタル化やグローバル化、新たな決済手段を生み出している技術革新が、決済の未来にどのような影響を与え得るのか、それに対して、我々はどのように対応していくべきかを考えてみたいと思います。

2.決済システムの発展とデジタル技術

マネーの本質 ─利用者の信認の維持─

まずは決済に用いられる貨幣について考えてみます。図1は、よく用いられる物々交換の不便さ、貨幣の重要さを表したものです。いわゆる欲求の二重の一致が成立しない状態となっており、物々交換はうまくいきません。しかし、皆が信頼する貨幣があれば、物の動きと反対方向に貨幣が動くことによって、交換が成立することは容易にわかります。

また、この取引では、物と貨幣の引き渡しが同時に行われており、いわゆるDVP(Delivery Versus Payment)が成立していることも重要です。物やサービス(あるいは資産)の売り手が、売却代金を回収できるか、逆に買い手が代金を払ったにもかかわらず、物やサービスを受け取り損ねることがないかどうかは、決済における最も重要な要素の一つです。

マネーにとっては信認が命ですが、偽造対策は先人たちの頭を悩ませ続けたようです。江戸時代の日本では、藩や商人によって盛んに紙幣が発行されましたが、現在のマイクロ文字と同様に細かい文字を模様のなかに入れるといった工夫や透かしなどの偽札対策を講じながら、17世紀から明治初頭まで、約260年にわたり流通しました(図2)。今では、発行者が金属との交換を約束しない紙幣(不換紙幣)が流通しており、多くの国で中央銀行が最先端の偽造対策を講じながら紙幣(中央銀行券)を発行しています。因みに、わが国では、最近は20年に一度、改刷を行っていますので、FISCが創立された40年前は、ちょうど前々回の改刷の年にあたります。今回の改刷でも新たな偽造対策が施されています。

もちろん、偽造対策だけでマネーに対する信認を確保できるわけではありません。貨幣に関する歴史の教えるところでもありますが、信認維持の最大のポイントは貨幣価値を安定的に保つことです。これを裏から指摘したのが、ハイエクの「貨幣発行自由化論」です。これは民間の銀行に自由に貨幣を発行させれば、競争を通じて結局価値の安定した良いものが残っていくだろうという考え方です。

現在ではデジタル技術の予想を超える発展によって、マネー間の競争に、新しい技術を体現した使い勝手の良さ、安全性に配慮したうえでの効率性が、本質的な軸として加わっています。この点に関する全体像を提供することはとても無理ですが、今後の展開を考える際の留意点を、今日はいくつかお話しできればと思います。

先に進む前に、もう一度図1に戻りましょう。物の交換が貨幣を媒介に可能になると言いましたが、実は貨幣を使わなくても似たようなことは可能です。細かい点は省きますが、帳簿付けによる方法です。物がAさんからBさんに渡ったら、帳簿上Aさんの「資産」を増やし、Bさんのそれを減らすという操作をし、これを繰り返していくだけです。貨幣による交換と似ていますが、物理的に貨幣が移動する必要がありません。ただし、帳簿付けに対する信頼がないといけません。BさんからAさんへの支払い指図が帳簿係に正しく伝わること(メッセージング)が必要です。参加者が増え、帳簿が分断化、複雑化していくと、誰かがそれをちゃんと管理して、同期をとることも必要になります。取引が増えていくと、中間段階である程度の期間の取引を集計し、差額だけを資産変化に反映させる仕組み(ネッティング)も利用されたりします。

現在の決済は、以上のような帳簿付けに関する技術が格段に進歩し、効率性が向上しつつあるところですが、それに伴って、安全性に対する以前とは異なった観点からの配慮も必要になってきています。また、新技術を体現した決済方法間の競争も激しさを増しています。

デジタル技術の発展と決済システムの改善

少し時代をさかのぼって、デジタル技術の発展が現代の決済システムをどのように変えてきたかを振り返りたいと思います(図3)。メッセージ送受信、帳簿付けに関する技術進歩は、企業や個人、金融機関による資金決済を大きく効率化しました。1973年の全国銀行データ通信システム(全銀システム)の稼動や1988年の日本銀行金融ネットワークシステム(日銀ネット)の稼動を受けて、資金決済のオンライン化が進み、例えば、手形・小切手の利用枚数・金額は、ここ40年間で大きく減少しています(図4)。最近では、2022年に全国銀行協会が運営する「電子交換所」が稼動を開始し、銀行間の手形・小切手等の交換手続きが電子(ぺーパーレス)化されました。資金決済指図に関するメッセージを、人手を含めて物理的に運搬・処理していたところを、オンライン化で著しく効率化したわけです。

デジタル技術の活用は、決済に伴う様々なリスクの削減も後押ししてきました。例えば、日銀ネットでは、日本銀行当座預金(以下「日銀当預」と呼びます)と国債の決済が行われていますが、1994年にはこれらを紐づけて同時に受渡すDVP決済が導入されました。これにより、受渡しのタイミングがずれることで生じる「取りはぐれリスク」が解消されました。また、2001年には、日銀当預や国債の決済について、1日の決まった時間に多くの受払いをまとめ、その受払差額のみを決済する方式(時点ネット決済:Designated Time Net Settlement)から、個別に即時に決済する方式(即時グロス決済:Real Time Gross Settlement<RTGS>)に一本化しました。これにより、時点ネット決済ができなかった場合に、その影響が他の金融機関や決済システム、さらには金融システムに波及するシステミック・リスクが削減されました。

他方、こうしたリスク削減には、しばしば効率性の点で課題を伴い、対応が必要とされました。例えば、RTGSでは決済のために日中に多額の資金(流動性とも呼びます)が必要となるため、日本銀行では、金融機関などの流動性調達の負担を軽減するよう日中当座貸越の提供を開始し、安全性の向上だけでなく、効率性にも配慮した、従来よりも高い次元での決済サービスの提供を実現してきました。ただ、大口取引に際して、RTGSのように、入金に先立って支払いの必要が生じる仕組みでは、参加者の流動性管理に大きな負担が発生するという点は、後でも出てきますが、決済システムを考える際の大きなポイントです。

金融資産に目を転じると、2003年に国債、コマーシャルペーパーが順次ペーパーレス化され、2006年に一般債(社債・地方債など)、2007年に投資信託、2009年には上場株式がペーパーレス化されるなど、2000年代に入り、券面を前提としない完全なペーパーレス化が実現しました。ペーパーレス化による効果も含め、金融資産、金融取引のデジタル化は、取引主体や仲介業者における業務の効率性をもたらすと共に、リスクの削減も可能にしました。先ほど国債についてDVP決済の実現により「取りはぐれリスク」が解消された例を挙げましたが、さらに、約定から決済までの決済期間が長いほど大きくなる「再調達費用リスク」(約定した資金や証券を受け取れず、再調達しようとした場合に費用が増えるリスク)について、決済期間を短縮することで抑制する動きも進展しました。国債決済については、1996年にそれまでの5・10日(ごとうび)決済1から、約定の7営業日後に決済するT+7のローリング決済が実現し、その後、T+3、T+2と短縮化され、2018年には現在のT+1決済が実現しています。決済期間を短くするうえで、デジタル技術を活用した事務処理の効率化が鍵となりました。加えて、ローリング決済移行に伴う在庫国債のファンディングニーズの高まりに円滑に対応するため、国債のレポ市場が誕生・発展してきた点も注目に値します。ペーパーレス化・システム化に伴う業務効率化や決済リスクの削減の進展の背景には、デジタル技術の発展や関係者の連携による実務面・システム面での対応、さらに新たな市場の創設や実務の裏付けとなる法令・制度面の対応もありました。未来の決済システムを今より安全で効率的なものとするためにも、新たな技術と各種の法制度や実務との調和が重要になると考えます。

  1. 各月の5日、10日、15日、20日、25日および月末日を受渡し日とする取引慣行。

3.デジタル化の進展

次に、特に最近における経済活動のデジタル化やグローバル化、新たな技術の登場が、決済システムに与える影響を考察していきたいと思います。そのために、まずデジタル経済に働く経済的な力について触れた後、決済手段のデジタル化を進める際の留意点を指摘していきたいと思います。

デジタル経済圏

デジタル経済に働く経済的な力を理解するうえでは、米国のGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)や中国のAlibaba、WeChatなどのデジタル・プラットフォームの拡大が参考になります(図5)。ご案内のとおり、デジタル・プラットフォームでは、様々な商品やサービスを購入することが可能です。決済には民間のデジタルマネーやクレジットカードなど様々なキャッシュレス決済手段が用いられています。AlipayやWeChat Payのように自社のデジタルマネーが主流のケースもみられます。デジタル・プラットフォームについては、商取引に加え、様々な金融商品を購入する場としても拡大するなど、多くの経済活動が行われるデジタル経済圏を形成していると言われることも多くなってきました。デジタル経済圏には、同じプラットフォームを利用する消費者と事業者が増えるほどそれぞれの利便性が高まるというネットワーク効果が働きます。また、消費活動に関する情報の分析と利活用の点でもプラットフォームが大きい方が有利であり、規模の経済が働きます。こうした経済的な力が働く結果、少数の規模が拡大した事業者による独占や寡占に伴う問題が生じやすいとの指摘もあります。

相互運用性の確保の重要性

デジタル・プラットフォームはスマートフォンの著しい普及とともに拡大してきましたが、消費者は手持ちの電子デバイス上で、オンライン予約やショッピング、オンライン・トレードなどの経済取引をいつでもどこでも行いやすくなりました。こうした取引に伴い必要となる国内外への支払・決済も簡便に行えるようになりました。また、中小規模の小売店舗等にとって、QRコードを使ったモバイルペイメントの登場は、カード決済に比べ認証端末の設置負担が少ない分導入しやすく、消費者のキャッシュレス決済ニーズに対応するハードルを下げました。このように消費者側も店舗側も、キャッシュレス決済の選択肢が広がっており、利便性が高まっている面があります。ただ同時に、多くのキャッシュレス決済手段が林立し、相互の互換性がないことが加盟店や消費者の利便性を減じているとの指摘も聞かれています。キャッシュレス決済が広がる中、決済手段間の相互運用性を効率的に確保することが、決済のフラグメンテーションに伴う問題を回避する観点から重要になっています。現状、各キャッシュレス決済手段で支払いを受けた店舗は、銀行預金で清算を受けています。その意味で、キャッシュレス決済手段は中央銀行・民間銀行のマネーを使いやすくする仕組みにとどまっているとも言えます。

DLTの登場

金融分野におけるデジタル化においては、分散型台帳技術(Distributed Ledger Technology: DLT)やブロックチェーン、スマートコントラクトなどの新たな技術を活用したデジタル資産の経済圏の形成も注目されます(図6)。例えば、分散型金融(Decentralized Finance: DeFi)と言われる分野では、特定の管理主体を必要としないパブリックブロックチェーンを基盤として、取引所機能、貸出機能など様々な機能を低コストで構築し、運用しています。こうしたサービスを利用する際の決済も、基盤となるブロックチェーン上の暗号資産2やステーブルコインを使って行われます。また、予め指定された条件が充たされたときに取引等が自動執行されるスマートコントラクトの活用により、取引や決済に関する情報を円滑に連動させることが可能になり、デジタル資産経済圏のサービスの多様性が増しています。こうした経済圏は、今は暗号資産の世界が中心ですが、伝統的な金融・決済システムに比べて、低コストで構築可能、個人情報の開示が不要、24時間365日利用可能、といった特徴が指摘されています。一方、決済に利用する暗号資産の価格の安定性の問題や、消費者保護・投資家保護の仕組みの脆弱性、不具合が生じたときの影響が様々な機能の連携を通じて拡散する惧れ、など幾つかの懸念点も挙げられています。法規制対応が進む中で懸念点は解消されるかもしれませんが、ブロックチェーン上の様々な情報を活用し、スマートコントラクトを組み合わせて様々な処理の自動化を低コストで実施しやすくなったことが、デジタル資産経済圏が発展するための技術面でのハードルを下げたことは注目に値すると思われます。

デジタル経済圏、DLTを応用したデジタル資産経済圏、いずれのケースにおいても、イノベーションの場として、デジタル・プラットフォームが持続的に発展するためには、取引の透明性や公正性の確保など、利用者からの信認を確保し続ける仕組みも必要ということかもしれません。また、規模拡大への経済的な力が働くもとで多様なサービスが提供されるとすれば、規模の大きさや経済社会への影響に応じて、サービス提供の安全性と頑健性を確保する責任も重くなるということかと思います。

  1. 2ビットコインのような裏付け資産のない暗号資産による決済を活用したプラットフォームは、この講演の対象とする世界とは本質的に異なるものです。現状では、すぐ後でも触れますが、ビットコイン等の値動きの激しさもあって、こうした決済方法は暗号資産取引以外の場面では積極的には利用されていません。

DLT等の意義と課題の理解

DLTについて、もう少し触れましょう。この技術は、当初、中央管理者に依存しなくても、幅広い参加者により取引の正当性が検証される仕組みを有している点が注目を集めました。また、台帳情報が分散保有されており、攻撃対象となる中央集権型サーバーがないため、台帳情報の破壊や改ざんが極めて困難であることも、様々な金融取引や業務への応用が期待されている背景にあると考えられます。最近では、複数の当事者間で帳簿を共有する仕組みを迅速・安価に構築できる可能性や、先ほど述べましたように、スマートコントラクトの活用可能性も魅力として認識されています。

一方で、課題もあります。例えば、大量の取引を迅速に処理することができるのか、決済のファイナリティに不確実性はないのか、スマートコントラクトの法的・事務的リスクをどう管理するのか、中央管理者がいない場合にシステム運営の適切なガバナンスをどう確保するのか、といった点が指摘されています。スマートコントラクトについて「魔法の杖」のような印象で語る人もいますが、これは想定外の事象が発生した際の対応を事前に契約で決定できないような業務――経済学で言う「不完備契約」に類する業務――には活用できないという限界があります。こうした点も、認識しておいた方が良いでしょう。

こうした課題はありますが、中央管理者を置きにくく、大量取引の処理の迅速性が然程求められない分野において、DLTやブロックチェーンが活躍する可能性があります3。例えば、大口のクロスボーダー決済への応用が考えられます。大口送金は小口送金に比べると、件数は少なくなります。また、クロスボーダー送金では、一人の中央管理者を置くことは難しいという事情もあります。現在、大口のクロスボーダー決済の分野では、複数の国にまたがる銀行間のネットワークを用いて、送金情報と資金を順繰りに「バケツリレー」していく形で、決済が行われています。この結果、コストが高い、スピードが遅いなどの課題が指摘されています。「バケツリレー」になっているのは、国毎に通貨や規制が異なる中で、中央管理型の決済システムを構築・運営することに困難があったことが影響しています。そこで、DLTを含む新しい技術を活用して、この問題に対処しようという取組みが最近見られはじめました。日本銀行も参加している国際的な実験プロジェクトであるアゴラです。後ほど改めて触れたいと思います。

  1. 3あるいは、不動産や自動車などのように、取引がそれほど高頻度ではない資産について、登記や登録手続き、そしてその決済との紐づけに利用される可能性もあります。

サービスのレジリエンス確保の重要性

デジタル経済圏の利用者となることは、様々な財・サービスへのアクセスを容易にするという利便性を提供してくれますが、同時に、デジタル・ネットワークを通じて世界中と繋がり得るため、サイバー攻撃や自然災害によるシステム障害の影響を受ける可能性も高まると考えられます。国際的な議論の場4でも、金融市場インフラ(Financial Market Infrastructure: FMI)のサイバー攻撃への頑健性を高める必要性が主要な検討課題に挙げられています。デジタル経済圏がさらに拡大し、人々の生活や金融市場におけるインフラとしての役割を果たすようになった場合には、サイバー攻撃をはじめとする様々なリスクへの対応もより高度なレベルが求められることになるでしょう。

  1. 4例えば、決済システムに関する国際基準の設定主体であるCPMIでは、2024年から2025年中の主な取り組み事項の一つとして、FMIのオペレーショナルレジリエンスを挙げているが、その主な作業項目にサイバーレジリエンスが掲げられています。

国際的な標準化の重要性

先ほどキャッシュレス決済に相互運用性が大切である点を指摘しました。この点は、国をまたいだ決済についても当てはまります。その際、情報の伝達やセキュリティに関する国際標準が重要な役割を果たします(異なる帳簿や主体間の連絡言語の統一です)。例えば、クロスボーダーの取引では、異なる国の決済システムにおいて、関連する情報の取り扱いを国際的に標準化することで、決済システムとその参加金融機関間で円滑かつ安全に情報を交換することが可能になります。具体的には、国際標準化機構(International Organization for Standardization:ISO)の金融サービス専門委員会(ISO/TC68)で、情報交換の仕方やセキュリティ確保策について国際標準の策定を進めています。この専門委員会では、例えば、セキュリティ面では、スマートフォンを用いたオンラインでの本人確認や、ブロックチェーン・DLTのセキュリティ技術に関する国際標準が新しく作られています。日本銀行は、ISO/TC68国内審議団体の事務局を担当しており、日本の視点を国際標準に活かすとともに、世界の優れた技術が円滑に国内で活用されることを後押ししています。

4.決済システムの未来を考える視点

伝統的な決済システムの利点と課題

決済システムの未来を考えるために、中央銀行預金、民間銀行預金の二層構造に、ノンバンクによる決済が加わる世界における分業の在り方に関する一つの視点を提供してみましょう。出発点として、伝統的な決済システムの利点と課題について考えてみます。現在の決済システムで大きな役割を果たしているのは、銀行の預金通貨です。預金通貨には、信用創造機能があります。銀行が貸出を行うことにより支払手段である預金を創出できますので、大口の資金決済に伴い必要となる顧客の流動性需要(入金に先行して支払いが発生する場合などにおける一時的な資金需要)に柔軟に対応することが容易になります。電子マネーやステーブルコインの場合、支払代金を用意しておくこと(プレファンド)が必要となるため、大口決済になると負担が大きくなります。預金通貨を用いる決済システムは、特に大口決済で効果を発揮します。一方、小口決済の分野では、予め支払代金を用意しておく負担が大口決済ほど大きくありませんので、ユーザーにとっての手続きの簡便さなどのユーザーエクスペリエンスが重視される傾向があります。こうした点で便利なノンバンク決済サービスは利用拡大のチャンスがあります。

次にクロスボーダー決済の分野では、銀行の送金サービスは、ノンバンクの送金サービスよりも、コストが高く、時間がかかることが多いと言われています。先ほど述べた通り、銀行は信用創造機能を持つがゆえに大口決済には便利なのですが、信用創造機能の提供は厳格なリスク管理を前提としたものであるため、銀行への規制監督も厳格になります。この結果、事業を多国間展開する負担は重くなります。他方、ノンバンク決済サービス事業者は、信用創造機能を有しないがゆえに大口決済分野では優位性が出しにくくなりますが、銀行ほど規制監督の負担は重くないため、自社で多国間展開を行うことが銀行に比べれば容易です。この結果、小口決済を中心に、自社ネットワークを使ったクロスボーダー送金を安く、速く行いやすくなります。ただ、仮に今後大口決済の分野にサービスを拡大する場合には、各国の通貨を多額に手当しておく必要性や、システム障害時における代替手段確保の要請の高まりなど、ノンバンク決済サービス事業者の責任は大きくなると考えられます。

通貨・決済システムの構造と求められる性質

さらに、決済システムを中央銀行マネーと民間マネーという視点から捉えなおしてみましょう。未来のことについては、分からないことが多いわけですが、歴史を振り返ると、マネーや決済システムには、いつの時代にも求められる性質があります。中でも、冒頭述べたように、その価値が安定していることを含めて、利用者の信認を得る、あるいは一般受容性を確保するということが最も重要です。日本銀行法に日本銀行が発行する銀行券は無制限に通用する(強制通用力)という規定5があることも、こうした点を法律面から裏付けるものです。

一方、銀行預金や電子マネーについては、中央銀行マネーと同じレベルでの制度的な信認確保の仕組みがあるわけではありませんが、預金保険や供託等により一定金額が保護されている、規制監督されている、求めに応じて現金と交換できる、といった制度的な仕組みにより、安心して利用されている面があると思われます。そうした仕組みのもとで、銀行預金については利子が付される、電子マネーでは様々なポイントが付されるといった経済的な魅力や、スマートフォンなどを通じていつでも利用できるといった利便性の高さが、その利用を促していると考えられます。ただ、銀行預金にしても、電子マネーにしても、民間主体が発行する民間マネーは、現金や中央銀行当座預金といった中央銀行マネーの存在を前提とした支払手段です。例えば、銀行預金は、本質的には現金により払い戻すことを約束するマネーです。これは単に観念上のことに止まりません。仮に何等かの障害により銀行振込みや電子マネーが利用できなくなった場合、現金で支払うことが最終手段となると考えている人は多いのではないでしょうか。このように、現在の銀行預金や電子マネーは、それ単独で存立するのではなく、現金や中央銀行預金といった中央銀行マネーの利用可能性を前提にした支払手段です。

この点を踏まえると、民間マネーと中央銀行マネーとが、その性質に応じて、バランスよく流通することが大切です。決済システムについても、中央銀行マネーと民間マネーの性質に応じた役割分担が図られてきたように思われます。例えば、信認・信頼性に重きをおく中央銀行マネーが決済手段に用いられる決済システムは、効率性に配慮しながらも安全性や頑健性を確保するために、利用実績が十分にある技術を用いて作られ、障害などの異例時対応に備えた稼動確認を十分に行ったうえで構築される傾向にあります。民間マネーが利用される決済システムのなかでも、経済活動のインフラとして利用されるシステムと、社会的な影響度が相対的に低いシステムとでは、求められるシステムの頑健性や代替機能の要求水準に差が生じえます。

デジタル化が進展する中での通貨・決済システムの未来を考えるということは、決済サービスのうち、どこまでがインフラとして整備する領域(非競争領域)で、どこから先は、民間事業者が競争を通じて改善を図っていく領域(競争領域)なのか、その中間に位置する領域も含めて、中央銀行と民間主体の役割分担を考えるという作業を伴うものだと考えます。

  1. 5日本銀行法第46条第2項で「日本銀行が発行する銀行券は、法貨として無制限に通用する」と定められています。

日本銀行の取り組み

決済の未来について、日本銀行も様々な取り組みを通じて模索しているところです。我々の基本的な考え方は、大口決済であれ、小口決済であれ、一般受容性のある決済手段を確保しておくことが我が国経済の健全な発展にとって重要である、ということです。そうした視点から、決済システムが全体としてより良いものとなるように、決済サービスの提供者、民間決済システムのオーバーシーアー、関係者の議論のカタリスト(触媒役)として、様々な取り組みを行っています。そうした取り組みのうち、以下では、プロジェクト・アゴラと中央銀行デジタル通貨(CBDC)の検討について、触れたいと思います。

プロジェクト・アゴラは、DLTやスマートコントラクトといった新しい技術を活用して、クロスボーダー決済のスピードやコストの改善を図ることを目的とした実験プロジェクトです。国際決済銀行(BIS)が企画し、7つの通貨圏の中央銀行と民間金融機関が参加しています。具体的には、BISが2023年に提唱した「統合された台帳(Unified Ledger)」というコンセプトに基づき、中央銀行預金と民間銀行預金を同じ台帳にのせ、預金システムの二層構造を維持しながら、円滑なクロスボーダー決済を実現する方法を検討します。最近では、DLT上で資産を管理することを「トークナイゼーション(tokenization)」と呼ぶようになっており、DLT上で管理する預金のことを「トークン化預金」と呼びます。アゴラでは、各国の中央銀行預金と民間銀行預金を「トークン化」して共通プラットフォーム上で管理することを実験します。先ほど、クロスボーダー決済は、各国で通貨や規制が異なるため、一つの中央管理システムを構築・運用することに困難さがあったと述べました。アゴラは、DLTを活用しながら、この問題を乗り越える可能性があります。DLTを使えば、理論的には、どこかの国のシステムにデータ管理を集中させることなく、各国が自国に関わるデータを管理しながら国際的な共通プラットフォームを構築することが可能だからです。日本銀行では、アゴラのような国際共通プラットフォームを構築する場合には、通貨主権に配慮した分権的なデータ管理の仕組みと、多くの国の参加が可能となるようオープン・透明、安全な仕組みを目指すことが大切であると考えています。この点を含め、国際共通プラットフォームを構築する際の基本的な考え方をまとめ、「決済システムレポート2024」などで国内外に向けて発信しています。

CBDCについては、2020年10月に「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針」を公表し、同方針のもと、個人や一般企業を含む幅広い主体の利用を想定した一般利用型のCBDCについて、内外関係者と連携しながら、実証実験と制度設計の検討を並行して進めているところです。今は、技術的な実現可能性を検証するために日本銀行が行う「実験用システムの構築と検証」と、技術面・運用面の検証に有効な民間事業者の技術や知見を得る場である「CBDCフォーラム」の2本柱からなるパイロット実験6を進めています。現時点でCBDCを発行する計画はありませんが、内外の様々な領域で進むデジタル化が通貨・決済システムの構造に与える影響や、通貨・決済システムの安全性と効率性を確保するうえでCBDCが果たしうる役割など、未来のリテール決済分野における中央銀行マネーの位置づけについて、引き続き関係者の皆様と議論を深めることが重要だと考えています。

  1. 6パイロット実験については、日本銀行のホームページで定期的に進捗状況を公表しています。https://www.boj.or.jp/paym/digital/index.htm

5.おわりに

決済の未来を考えるうえでは、幅広い視点から経済社会の環境変化とそれに伴う決済ニーズやリスクを予測・分析していくことが必要です。一国の決済システムは、その国の経済発展の中で、社会を構成する人々のニーズやリスク選好などの影響を受けて構築されており、経路依存性を有しています。その意味で、決済システムの高度化に当たっては、新たな技術と制度や実務の調和を意識した対応を進め、社会のニーズやリスク選好を反映した仕組みを検討することが大切です。この点、発展途上国など、決済システムの整備が遅れたという経路を辿った国では、英語でLeap Frogと言うように、新技術を用いて一足飛びに決済システムの高度化を図る事例もみられます。我が国においては、伝統的な決済システムの利点を活かしながら、新しい技術も上手に取り込み、全体としてより良い通貨・決済システムを作っていくことが大切です。日本銀行としても、引き続き様々な努力を続けていきたいと考えています。

最後になりますが、創立以来40年間、わが国の決済システムの発展に貢献してこられたFISCの取り組みに改めて敬意を表するとともに、今後も、より頑健で利便性の高い未来の決済システム作りに向けて、会員企業と共に役割を発揮していかれることを期待して、私からの話を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。