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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営神奈川県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 氷見野 良三
2025年1月14日

1.はじめに

みなさま、本日はお忙しい中ご参加いただき、どうもありがとうございます。また、日ごろから日本銀行と横浜支店の業務にご支援を賜り、感謝申し上げます。

神奈川と日本の近代化

さて、1853年、砲声一発浦賀の夢を破り、日本は横浜開港によって世界に窓を開いて、近代化の歩みを始めました。横浜は製鉄所、鉄道、ガス灯と、文明開化の最先端を走ったわけですが、以来、日本経済は、二度の奇跡で世界を驚かせ、そして二度の失速で奇跡の成果から後退してしまいました(図表1)。

一度目の奇跡は非西洋世界で初めて近代化に成功したことで、アジアの東の端にあった小さな農業国が、半世紀のうちに世界の五大国の一角を占めるまでになったわけです。ただ、その成果は第二次世界大戦で灰燼に帰し、横浜も5月29日の大空襲で市の中心部が焼け野原となりました。

その後の戦後復興と高度成長が二度目の奇跡で、京浜工業地帯はその中核を担ったわけであります。日本は繊維製品に始まって、鉄鋼、電気機器、自動車、工作機械、半導体と、次々に世界市場を席巻してまいりました。その後も日本経済は2度のオイルショックを乗り越え、1980年代後半には日本は世界最大の債権国、世界の8大銀行は日本の銀行、世界第1位と第3位の証券取引所は東京と大阪にあったわけであります。

わたしは1988年にベルリンで開催されたIMFと世界銀行の年次総会に、行天豊雄財務官、この方は横浜のご出身ですが、行天財務官のお供でついていったことがあります。この総会は日本が主役だったともいわれており、行天さんも総会終了後の記者会見で「今回ほど日本が注目されたことは自分も初めてだ」と発言されていました。日本が途上国の累積債務問題について、米国のベーカー構想にかわる宮沢構想を掲げ、まさに世界全体の経済運営についても責任を果たそうという姿勢を示した総会でした。

社会人生活の初めのころに、日本の経済力、金融力、そして世界に対するリーダーシップの頂点の姿を垣間見る機会を得られたことはしあわせだったと思います。ただ、その後は日本経済二度目の失速とともに社会人生活を送ることとなりました。

もちろん、この間の日本経済のパフォーマンスについては、人口減少をはじめとしたさまざまな条件の中で、随分健闘した姿だとみる見方もあると思いますが、それまでの快進撃が目をみはるようなものであっただけに、他の国の人々の目から見ても、なぜだ、という思いを抱かせる面があったことは否定できないだろうと思います。

例えば、日本の経済規模は1995年には米国の73%でしたが、現在では14%です。また、一人当たりの国民所得では、2007年にシンガポールに抜かれ、2014年には香港に、2022年には韓国に、2024年には台湾にも抜かれたとみられます(図表2)。実際、これらの国・地域においでになると、日本よりも豊かだな、という印象を受けられることも多いのではないかと思います。この間、ずっと何らかの形で経済政策にかかわってきたものとしては、こうした結果には正直忸怩たるものがあります。

2.当面の経済・物価情勢

金融政策の多角的レビュー

日本銀行は、一昨年4月以来、「金融政策の多角的レビュー」を進めてまいりました。その結果を取りまとめ、昨年12月に公表しております。あわせて、スタッフの論文を46本、また内外の有識者にご参加いただいた6回のコンファレンスの記録なども、ホームページに載せております。

このレビューが対象としていますのは、経済がデフレに陥った1990年代後半以降の25年間です。「多角的レビュー」ですので、さまざまなテーマについてさまざまな視点から分析を行っていますが、バブルの崩壊が銀行危機に至ったあと、日本がなぜ思うように復活できなかったのかについての分析にもなっているように思います。

この25年間についてまとめてみますと、次のようになろうかと思います。すなわち、「1990 年代、需要・供給両面の様々な要因から経済低迷と緩やかなデフレに陥り、金融政策は名目金利の下限制約に直面した。2010 年代には、量的・質的金融緩和の効果などによって景気は回復し、デフレの状況ではなくなったが、賃金・物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方が根強く残るもとで、2%の物価安定の目標の実現には至らなかった。しかし、2020 年のコロナ危機の後、輸入物価の急激な上昇に加え、景気の回復や労働需給の引き締まりによって、賃金と物価の好循環が強まり、物価安定の目標の持続的・安定的な実現が見通せるようになった」ということになろうかと思います。

レビューは緩やかなデフレが長期にわたり継続した理由として、需要・供給両面の様々な要因に言及しています。今後について考える上では、様々な要因のうち、どれが解消し、どれがまだ残っているかが重要になろうかと思います(図表3)。

まず、1990年代初めにバブルが崩壊し、企業には過剰債務・過剰設備・過剰雇用の調整が必要になりました。その後、銀行危機に至り、銀行による貸し渋り・貸し剥がしも進みました。こういったあたりの要因は、2000年代で概ね解消したといっていいでしょう。

また、世界金融危機、東日本大震災、コロナ禍をはじめ、日本の経済システムの外からもショックが次々に襲いましたが、経済への直接的な影響は、能登の災害などを除けば、概ね解消したといっていいかと思います。世界金融危機以降の局面で、欧米金融緩和を主因として日本の為替が極端に円高に振れたことも様々な影響を日本経済に及ぼしましたが、2022年以降は、むしろ欧米の金融引き締めで日本の為替が急速に円安に振れる、という逆方向の展開となっています。

レビューは、短期金利を動かすという伝統的な金融政策手段では十分に経済を刺激できなくなったことについても言及しています。できなくなった理由は3つあり、第一に、短期金利がゼロに達してしまったこと、第二に、物価上昇率がマイナスに転じたため、名目金利から物価上昇率についての人々の予想値を差し引いた実質金利が高くなってしまったこと、第三に、潜在成長率の低下などから、実質金利を以前よりも低くしないと経済が刺激されないようになってしまったこと、の3つの組み合わせの結果だ、と見ております。

短期金利の水準は現状でも0.25%ですので、引き下げの余地が乏しい、という第一の点はあまり変わりません。しかし、第二の点については、デフレではなくなり、物価上昇率がプラスになっていますので、実質金利をそれなりに低い水準にすることは可能になりました。例えば、現在の実質金利の水準は、過去25年の中でも一番低い水準になっております。第三の点についてはあとで論じたいと思います。

また、レビューは、「賃金・物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方の定着」もデフレの背景として挙げています。企業が経営戦略上、コストカットを優先する、コストが上昇しても価格を据え置く、社会全体として賃金上昇より正規雇用の安定を優先する、公共料金についてはコスト上昇を補助金で吸収する、そうした慣行や考え方の定着です。

ただ、慣行や考え方は、その慣行や考え方が生まれる背景にあった構造が変われば、基本的には新しい構造に合わせて変わっていくものだと思います。仮に新たな構造の下で合理性を失った慣行や考え方が残り続けるのであれば、改革の努力が進められるはずだと思います。実際、2020年代に入り、輸入物価ショックが触媒になって、また、政府や経済界や労働界の努力もあり、企業が賃金や価格を設定する際の行動様式には変化が進んでいます。

ここまで述べた要因については、解消した、あるいは、解消の過程にある、といえるのではないかと思いますが、他方、現在でも強固に残る要因もあります。代表的なものとして、第一に、少子高齢化と人口減少、第二に経済のグローバル化が挙げられると思います。

このうち、少子高齢化と人口減少については、25年前には1年に120万人の赤ちゃんが産まれていたのに、足元では70万人で、しかも減少のスピードが加速しています。また、団塊の世代が後期高齢者に突入し、団塊ジュニアは50代となりました。かつてよりさらに深刻な問題となっていると思います。

他方、経済のグローバル化については、1990年代以降加速してきたわけですが、2008年の世界金融危機以降減速が始まり、2020年のコロナ禍、更に地政学的な対立の高まりなどを契機に巻き戻しに転じることを予想する論者もあります。しかし、変化率についての見通しはともかくとして、経済のグローバル化の水準自体は極めて高いものであり続けるだろうと思います。むしろ、デジタル空間が拡大し、それが国境のみならず言語の壁をも突破しつつある以上、財貿易や金融のグローバル化を上回るインパクトを持つ可能性もあると思います。IT革命は更に加速しており、我が国は必ずしもそのフロンティアに立てていないようにも思います。すなわち、「内外の競争力の相対的な格差と、格差に晒される度合いの高まり」という意味でのグローバル化の問題は、内容は変化しつつも、引き続きわが国経済にとっての大きな課題だと思います。

以上をまとめますと、多くの要因は片付いたり、片付きつつあったりしているが、それでも残っている要因もある、ということになります。では、残っている要因がある以上、やはりあまり明るい明日は展望しがたいのでしょうか。

以下では、少子高齢化・人口減少と経済のグローバル化について、企業部門と家計部門にわけて、これまでに起こったことを簡単に振り返ってみたいと思います。私の結論を申しますと、この二つに日本は工夫して取り組んできたし、この二つの要因との向き合い方もこれまで大きく変わってきている、なので、道はあるはずだ、というものです。

日本企業と人口減少・グローバル化

まず、企業部門についてよく言われるのは、「人口減少が続く日本市場に投資しても儲からない。儲かるのは海外市場だ。なので、企業は国内での設備投資は減価償却費の範囲内の更新投資にとどめ、もっぱら海外進出に活路を見出してきたのだ」というストーリーです。このストーリーが正しければ、人口減少とグローバル化の組み合わせが続く限り、国内の停滞は終わらないようにも思えます。

たしかに、日本企業はこの間活発な海外進出を続けてきました(図表4)。海外現地法人の数は一貫して伸びています。海外現地法人を設立することを選んだ企業についていえば、従業員の数でみても、売上高でみても、すでに体の半分は外にある形になっています。海外諸国は世界金融危機以降、グローバル化のスピードを鈍化させてきたのに対し、日本は積極姿勢が続いたことが特徴ともいわれています(図表5)1

しかし、だからといって、国内市場では儲からず、海外でしか儲からなかったのかというと、必ずしもそういうわけでもないようです(図表6)。例えば、日本企業の海外現地法人の売上高経常利益率と、国内大企業のそれとを比べると、大半の時期では国内大企業の方が利益率が高いですし、世界金融危機以降は、海外現地法人の利益率が横ばいなのに対し、国内大企業の利益率は改善を続けており、両者の差は拡大してきています。

また、国内が儲からないから海外に出る、というのがこの間の中心的なメカニズムだったのだとすると、国内の設備投資と海外への投資の動きは逆相関になりそうなものです。しかし、国内の設備投資額から減価償却費を引いた国内の純投資額と、海外直接投資額の動きを比べてみると、むしろ同じ動き方をしているように見えます。もちろん個別の企業はさまざまな動機から投資先を判断していたのだとは思いますが、大くくりに見れば、バブルが崩壊した後日本企業が過剰設備に苦しんでいた時期には、国内での投資も海外への投資も不活発だったが、それを乗り越えて日本企業が元気になっていくにつれ、国内への投資も海外への投資もともに活発になっていった、と見ることができるように思います。

だとすれば、少子高齢化・人口減少とグローバル化の組み合わせを理由とした悲観論は必ずしも現実を反映していない、過去25年間は、バブルの後始末に苦しんだ前半期と、そこからの復活が続いている後半期に分けられ、後半期には総じてみれば日本企業は内外双方で積極化している、といえるのではないかと思います。

  1. 法眼吉彦、伊藤洋二郎、金井健司、來住直哉「国際経済環境の変化と日本経済―論点整理―」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、2024年2月、の図表1。

日本の家計と人口減少・グローバル化

次に家計部門についてみてみたいと思います。家計部門については、働き手が減少し、実質賃金も伸び悩んできた、というイメージでとらえられているのではないかと思います。

しかし、この間には、人口プールの形も変わり、働き方も、労働参加の姿も変わったので、平均値をみて判断することには注意が必要です。例えば、一人の人が毎日8時間働いてこなしていた仕事を、その人の定年退職に伴い、その人と、勤務を再開したもう一人の人との二人でこなすようになる場合を考えてみたいと思います。二人の間の連絡・調整にも時間が必要になりますので、仮にそれぞれ5時間ずつ、計10時間働いて同じ仕事をこなすようになり、総額では同じだけの給料を受け取るとします。

すると、勤労者一人当たりの賃金や労働生産性は半減、時間当たりの賃金や労働生産性は2割減となり、かなりマイナスの変化の印象となりますが、GDPや実質賃金の総額は維持され、おそらく税引き後の手取りの総額は増加します。これはこれで、力を合わせて、頑張って生産年齢人口の縮小を打ち返した姿といえるのではないでしょうか。

ですので、長い時間軸で評価する際には特に、平均値ではなく、家計全体の姿で見てみる必要があるのではないかと思います。

バブルの崩壊後、特に1998年の銀行危機以降は、企業のいわゆる過剰債務・過剰設備・過剰雇用の調整の影響が家計にも大きく及びました。しかし、この調整過程が概ね終息した2004年以降の時期について見てみますと(図表7)、生産年齢人口の減少が急速であったのに対し、総労働時間はそれよりもかなり緩やかな減少にとどまっています。

しかも、働いて生み出した付加価値の総量である実質GDPや、GDPの中から雇用者に分配された分である実質賃金の総額は、世界金融危機やコロナ禍などの衝撃を受けつつも、着実に伸びてきました。

もっとも、2022年と2023年には、実質GDPが回復する一方で、実質賃金の総額はむしろ減少し、家計にとっては厳しい結果となりました。日銀のスタッフの分析2からすれば、これはエネルギー価格等の上昇に伴う交易条件の悪化を主因とし、それに労働分配率の低下も加わった結果と考えられます。その後、交易条件が改善する中、2024年には実質賃金も雇用者全体での総額では上向きに転じています。

つまり、企業部門についても、家計部門についても、「少子高齢化・人口減少とグローバル化で構造的に見込みがないのだ」という通念とは異なり、バブル後の過剰債務・過剰設備・過剰雇用の問題を克服したあとは、構造的な課題をかなりよく乗り切ってきたといえるのではないかと思います。

  1. 2福永一郎、法眼吉彦、伊藤洋二郎、金井健司、土田悟司「わが国の潜在成長率と物価・賃金の関係を巡る論点」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、2024年10月、の図表17。

3.日本銀行の金融政策運営

物価を巡る状況と今後の金融政策

さて、先ほど、「デフレに陥った後、実質金利が高くなってしまった」というお話をいたしました。しかし、その後、2013年に量的・質的金融緩和を開始したあと、日本は物価が下がり続けるという意味でのデフレではない状態になり、実質金利はマイナスになりました(図表8)。

名目金利がマイナス、という状態、すなわち、「日銀にお金を預けると、タンス預金よりも損になる」という状態は去年の3月に解消しましたが、「お金を貸したり預けたりしても、物価の上昇分を考えると目減りしてしまう」という実質金利マイナスの状態は続いています。

実質金利がマイナス、ということは、事業の実質での価値が今後少しずつ毀損していくプロジェクトに、借金をして投資しても見合う、ということを意味します。

実質金利がずっとマイナスであり続けることがありうるかどうか、という点については、経済学者の間でも意見が一致していません。ノーベル賞を取った元FRB議長のバーナンキ氏の論文には、そんなことはありえない、という議論が出てきます3。他方、財務長官やハーバード大学の学長も務めたサマーズ氏の論文では、マイナスの実質金利はそんな珍しいことではない、という議論が出てきます4

ですので、ここでなにか結論を申し上げようというつもりはありません。ただ、経済をマイナスのショックが襲っているような状態や、デフレ的な様々な諸要因が強固に残っている状態では、実質金利がマイナスになるということは必要でもあり、決して不正常でもないが、ショックやデフレ的な諸要因が解消された状態であれば、実質金利がはっきりとマイナスの状態がずっと続く、というのは、普通の姿とはいえないのではないかと思います。

日本についていえば、ショックやデフレ的な諸要因のうち、多くは解消されていて、少子高齢化・人口減少とグローバル化という二大構造要因は続いているものの、それらがいわれているように宿命的なデフレ要因であるわけではないのではないか、という見方を申し上げました。

本当にそうかどうか。もちろん道は平坦ではないでしょうが、生産性を高めて賃金を引き上げ続けられる企業へと労働力が移動する傾向は強まっています。企業も政府も国際経済の新しい構図を見越して戦略を推し進めています。仮に今後も人口減少やグローバル化に伴う様々な課題を工夫して乗り越えていけるとすれば、実質金利が深いマイナスではなくなっていく姿を将来像として展望することも可能になるのではないか、と思います。

もちろん、当面の金融政策運営に当たっては、より短期的な経済・物価・金融情勢に十分な注意を払っていく必要があります。ここで、物価の現在地を確認してみますと、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、輸入物価急上昇の影響から2022年12月と2023年1月には4%にまで至りましたが、その後は徐々に落ち着いてきております。わたしどもでは、来年度・再来年度については2%程度に着地するというのをメインシナリオと考えています(図表9)。

他方、人々が将来の物価上昇率について抱いている予想についてみますと、1%を下回っていたのが、徐々に上昇し、1%台半ばにまで至っています。日本銀行は、2%の物価安定の目標を持続的・安定的に実現することを目指しているわけですが、現実の物価上昇率がちゃんと下がっていかないとこの目標はもちろん実現できません。他方、人々が将来の物価上昇率について抱いている予想が2%に向かって上がっていかないと、実際の物価上昇率もいずれはまた2%を下回るようになってしまい、目標を持続的・安定的に実現することはできません。

そこで、現実のインフレ率は下がっていって、予想インフレ率は上がっていって、それが両方2%前後で着地する、という、難度の高い道筋を描いて、そうなっていくという見通しを持っているわけですが、これまでのところ、その背後にある経済のメカニズムも含めて、概ねその見通しに沿って進んでいると思っております。

わたしどもとしては、そうした見通しが今後も実現していくとすれば、昨年3月、7月に続いて、今後も政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えております。方向はそういうことだとしても、もちろん、内外には上下双方向のさまざまなリスク要因がありますので、注意深く判断していく必要があります。

国内での注目点の一つは、2025年度の賃上げの見通しです。それぞれの企業ごとにさまざまな課題に直面しておられますので、賃上げはもちろん容易なことではないと思いますが、強い業況判断、高い水準が続いている企業収益、歴史的には低い水準にある労働分配率、人手不足、転職の活発化、最低賃金の引き上げなどからすれば、2024年度に続いて強い結果を期待できるのでは、と願っております。

年初の各界の方々の発言も前向きなお話が多かったように思います。先週開きました私どもの支店長会議でも、全体的に強めの報告が多く、特に、今後の継続的な賃上げを中期経営計画に盛り込むこととした企業についての報告が複数の支店長からあったのが印象に残りました。各種アンケート調査でも、賃上げ予定先比率や賃上げ率は、前年並みないし前年を上回る結果が多いようです。

海外での注目点の一つは、米国の新政権の政策と、それが米国経済・世界経済・日本経済に与える影響です。これは継続的に見続けるしかありませんが、来週の就任演説で政策の大きな方向は示されるのではないかと思います。これまでに示された内容をもとに、中長期的には様々な影響が論じられていますが、少なくとも米国経済は当面強いパフォーマンスが続くとの見方が多く、下方リスクに焦点が当たっていた昨年8月ごろとはだいぶ様子が変わってきたように思います。

いずれにせよ、これらの点を含め、足元までに発表されたデータ・情報を分析し、本年以降の経済や物価の見通しを作成する作業を現在鋭意続けております。その結果は来週「展望レポート」にまとめて公表する予定です。

政策運営にあたってはタイミングの判断が難しくかつ重要です。来週の金融政策決定会合では、「展望レポート」にまとめる経済・物価の見通しを基礎に、利上げを行うかどうか政策委員の間で議論し、判断したいと思います。

  1. 3 Ben Bernanke, "Why are interest rates so low, part 2:Secular stagnation" Brookings commentary, March 2015
  2. 4 Lawrence Summers, "On secular stagnation: Larry Summers responds to Ben Bernanke" Brookings commentary, April 2015

金融政策を巡るコミュニケーションのあり方

さて、金融政策の運営を巡っては、多くの方々から、丁寧なコミュニケーションに努めるように、とのご意見をいただいています。コミュニケーションに関して3点ほど感想を述べさせていただければと思います。

第一に、日本銀行は1999年2月、ゼロ金利制約に直面するとともに、当時審議委員だった植田総裁の発案で、金融政策の今後の姿についてガイダンスを示すことにより、追加的な緩和効果の発揮を目指すようになりました。この戦略は、当時は時間軸政策と呼んでいましたが、その後フォワードガイダンスと呼ばれるようになりました。他の先進国もゼロ金利制約に直面していく中で、世界中の中央銀行に広まり、あらかじめ将来の金融政策決定会合の結論についてまで一定のガイダンスが示されるのが当たり前になりました。

しかし、フォワードガイダンスについては、効果もある一方、政策転換が必要な局面になった場合には制約になってしまうのではないか、場合によっては政策変更を遅らせてしまいかねない弊害があるのではないか、という点も意識されるようになりました。このため、多くの中央銀行は、ゼロ金利制約から自由になった2022年の段階でフォワードガイダンスを取りやめました。

現在では、多くの中央銀行のコミュニケーションでは、「それぞれの決定会合の時点までに手に入ったデータの全体像をよく見て、会合ごとに判断していく」という姿勢が基本線になっています。日銀が公表文から将来を縛る表現を落としたのは、他の諸国に遅れ昨年3月のことでした。したがって新しい時代に入ってまだ間がないわけですが、その前のフォワードガイダンスの時代とは局面が変わっている、という点をまず申し上げておきたいと思います。

第二に、金融政策が意図してサプライズを起こすことは、危機時などパーセプションを大きく転換すべき場面を除き、望ましいことではありません。また、市場が金融政策に対して抱く予想が我々の考え方と乖離していると、そのギャップが解消される過程で市場が混乱することも考えられますので、ギャップの生じにくいコミュニケーションが望ましいことになります。更に、そもそも、金融政策の効果は、中央銀行の意図がどれだけ広く正確に受け止められるかに大きく依存します。したがって、世の中の人々が金融政策の今後について考え、予測するうえで役に立つように、基本的な考え方や、経済の現状についての見方について発信することは極めて大切です。

しかし、だからといって、毎回の金融政策決定会合の結論について、事前に市場に完全に織り込んでもらえるようにコミュニケーションをとるべきだ、ということにはなりません。政策は毎回政策委員の議論で決めるものですので、そのようなことは不可能です。また、「会合ごとに織り込みを目指した事前のコミュニケーションがなされるはずだ」という期待が生じると、経済の動向よりも日銀の言いぶりの変化ばかりに市場の注目が集まることになりかねず、それも決して望ましいこととは思いません。

第三に、コミュニケーションについては経験に学びながら継続的な改善に努めていきたいと考えております。コミュニケーションは、もちろん中身が大切ですが、場面の設定についてもいろいろ工夫できるところがあると考えております。例えば、政策委員による今日のような金融経済懇談会についても、従来は半月に4人やったり、1か月間なかったり、ということがありましたが、時期を平準化していきたいと考えております。また、日程についても、これをぎりぎりに発表すると何か緊急にメッセージを出そうとしているのかとか誤解されかねませんので、できるだけ早くに公表することにしたいと考えております。そのほか、ご意見を頂戴しながら、試行錯誤になるかもしれませんが、いろいろ工夫してまいりたいと考えております。

4.おわりに

神奈川沖浪裏

昨年の7月に、新しい日本銀行券の発行が開始されました。みなさまのご協力のおかげで、円滑に流通が進んでおります。感謝申し上げたいと思います。

新しい千円札には、葛飾北斎の傑作「神奈川沖浪裏」が大きくあしらわれております(図表10)。場所については諸説ありますが、横浜港付近から見た姿だともいわれていますので、現在に移せば波の向こうに今日の懇談会のこの会場も見えるのかもしれません。この浮世絵は、ゴッホやドビュッシーに衝撃を与えたともいわれ、海外では「グレート・ウェーブ」の名で知られています。

中央銀行の世界では、1980年代の半ば以降、景気変動の山谷が穏やかになった、それは(ちょっと手前味噌に聞こえるかもしれませんが)独立した中央銀行が金融政策を適切に運営するようになったからだ、という議論があり、この時期を「グレート・モデレーション」、大いなる穏やかさ、と呼んでいます。しかし、最近では次々に外的なショックが襲うものですから、フランス中銀のビルロワ・ドガロー総裁は、「グレート・ボラティリティ」の時代、大いなる変動の時代になったということを言っておられます5。「グレート・ウェーブ」の時代といってもいいかもしれません。

この作品には、大いなる自然に立ち向かう小さな人間の姿、波にもてあそばれる小舟の上で力を合わせて耐えている我々の先人たちの姿も描かれています。また、大波の向こうには不動の富士山の姿も見えます。これからどんな時代になるのかはわかりませんが、グレート・ウェーブの時代になるとしても、この絵を思い描きながら、力を合わせて、また不動の富士山のような視点も忘れずに、乗り越えていければと思います。

わたしの話が長くなってしまいましたが、これからみなさまからいろいろなお話を聞かせていただければと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

  1. 5 François Villeroy de Galhau, "Monetary policy in perspective(II): Three landmarks for a future of “Great Volatility”" Speech at the London School of Economics, October 2024